白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2008年11月29日(土) いい子・いい子

昨日、夫から「来年のカレンダーを買ったら11月の最終週に『風邪予定』と書いておいたら?」と言われた。どうしてそんな事を言うのか尋ねたら、私は結婚してから3年連続で11月の最終週に風邪をひいて発熱しているのだと言う。「よく、そんな細かいこと覚えてるね」と言ったら「3年連続だと流石にね…」とのこと。なんだかなぁ。

熱は下がったものの体調はイマイチ。明日は夫の祖母の百賀のお祝いで和歌山へ行かねばならないのに。明日は今日よりも楽になっているだろうから、気にしないでおくことに。夫は土曜日だけど出勤。ボチボチ家事をこなしつつ、娘の相手などして過ごしている。

娘は最近、人の頭を「いい子・いい子」と「なでなで」するのにハマっている。

この「なでなで」は、お誕生日に戴いたクマのぬいぐるみで遊んでいる時に「クマさんに、いい子・いい子してあげてね」とクマの頭を撫でる事を教えたのだけど、娘はクマのぬいぐるみだけでは足りずに「いい子・いい子」と人の頭まで撫でるようになってしまった。

娘は毎日、色々な人の頭を撫でまくっている。どうやら誰でもいい訳ではなくて、好きな人限定のようだ。私や夫、おばあちゃん、おじちゃん。お友達のHくん。娘のしている「いい子・いい子」は大人が子供にする時の物とは違っているけれど「大好きな人や物にする」という認識くらいはあるのだろう。

そんな訳で私は毎日娘に「いい子・いい子」してもらっている。1歳児に頭を撫でられるなんて変な感じだけれど、これがけっこう嬉しいものだ。娘は私を褒める意味で頭を撫でているのではなく、遊びの延長でそうしてる…って事くらい分かっているのだけど。

人はいつだって誰かに褒めてもらったり、可愛がってもらったり、大切に扱ってもらいたいのだ。たとえ、いい歳をしたオバサンであってもオジサンであっても、それはきっと変わらないんじゃないだろうか。

娘の「いい子・いい子」は成長過程における1つのブームだから、近いうちにしなくなってしまうのだと思う。だけど私ぱ娘に「いい子・いい子」をしてもらった日のことを、きっと死ぬまで忘れないだろう。いたらぬ母だが「いい子・いい子」してくれてありがとう。母は貴女に、いっぱい「いい子・いい子」して育てていこうじゃないか……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年11月28日(金) 週間行事のように

昨日は体調を崩してダウンしていた。

水曜日の夕方、友人に書いたメールに「寒くなってきたのでお風邪など召されませんように」と書いた矢先、自分自身が風邪っぽいことに気がついた。背中が寒くて関節が痛い。先週、眩暈でダウンしたところなのに……これでは、まるで体調を崩すのが週間行事のようだ。

幸い微熱レベルで「風邪のひきはじめ」だったので、水分をたっぷりとって葛根湯を飲んで早めに就寝。昨日は食事の支度以外は何もせず、パジャマのままゴロゴロしていた。外遊びが大好きな娘は、不甲斐ない母のせいで1日中家に缶詰。グズグスするかと思ったが、毛布にくるまって絵本を読んだり手遊びをしたりしていたせいか、以外にも機嫌良く過ごしてくれた。

外で働いていた頃も季節の変わり目等は風邪を引いてダウンしていたけれど、最近の駄目っぷりは我ながら目に余る。この秋は1週間ごとに体調を崩している。体調を崩しがちになってからは、娘がお昼寝する時は自分も横になったり眠ったりしていて働き過ぎと言うほど頑張っていないのだけど。

今日は微熱もおさまって、とりあえず復活。ダラダラ家のことをしながら娘と家で過ごしている。

子育て中の主婦は体調を崩してダウンしても「完全休業」する訳にはいかない。掃除や洗濯は放っておいても良いけれど、子供の食べることだけは休む訳にはいかないのだ。実家の母からは「一家の主婦がコケたら、家族みんながコケるよ。もっと、しっかりしないと」と言われてしまった。まったくもってグウの音も出ない。

今回は早めに対処したので1日の休養でなんとかなったのが不幸中の幸い。風邪を引かないよう気を付けていたつもりなのだけど、油断しちゃってたのかも。気をつけないとなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年11月26日(水) 一人前扱い

最近、娘は食事に興味を持つようになった。

娘は離乳食の進みが遅い方で断乳するまでは食事にとんと興味を持たない子だったのだが、断乳してからは食べる事への興味が出てきたらしい。新しい食べ物を見せると、言葉通り「目の色が変わる」のが見て取れる。もちろん偏食だってある訳だけど、私の作った料理を娘がパクパク食べる姿を見るのは非常に嬉しい。

そんな娘だが、ここのところ自分のお皿に盛られたものがあるのに、大人の食事を欲しがるようになった。私達と娘の食事では味付けにしても、材料の切り方にしても違いがある。が、見た目に違いの無い料理であっても大人の食事を欲しがるのだ。「中身は一緒だよ」と見せても納得してくれない。

「もしかして娘は大人の食器で食事をしたいのかも」と思い、チキンライスを大人と同じ器に入れて出してみた。大人と同じ器に盛られたチキンライスが自分の前に置かれた時の娘の嬉しそうな顔と言ったら無かった。娘は赤ちゃん用のプラスティックの食器ではなく、ちゃんとした陶器の器で食事がしかたったのだ。

娘はまだ食べる量も多くはないし、食べさせる時の便利さを思うと赤ちゃん用のプラスティックの食器を使う方が私にとっては都合が良い。しかし、よくよく考えてみたら娘だって小さいなりに1人の人間なのだ。一人前扱いして欲しい気持ちはよく分かる。

そんな訳で娘の食事を出す時、ご飯茶碗以外は大人用の食器に盛りつけて出すことにした。

娘は1歳1ヶ月。ついつい赤ちゃん扱いしてしまうけれど、彼女も一人前の人間だってことを忘れちゃいけない。小さくても、ちゃんと向き合ってやらねばなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。

今日の公園。空があまりにも綺麗だったのでパシャリ。手前に見えているのは娘のマイブーム滑り台。









2008年11月25日(火) クリスマスの準備

ちょっと気の早いような気もするけれどクリスマスの準備をはじめた……と言ってもクリスマスカードを書きはじめただけなのだけど。

私は年賀状よりもクリスマスカードの方に気合を入れてしまうタイプだ。年賀状はどんなに趣向を凝らしてみたところで、ひと言ふた言しかメッセージを書けないので、どうにも物足りないのだ。その点、クリスマスカードだと年賀状よりはたくさんメッセージが書ける。

もっとも、たくさん書けるからって気の利いたメッセージを書けるかと言うと、それはまた別の話。毎年、ありきたりなことを書いて投函しているような気がするのだけれど、送る相手のことを思い浮かべながらペンを走らせる時間はけっこう楽しい。

張り切ってクリスマスカードを書きはじめたものの、その他には何もしていない。月が変わったら玄関にリースを飾ろうと思っているのだけど、よくよく考えてみると我が家にはクリスマスツリーが無い。今夫婦2人暮らしの時は必要ないと思っていて、昨年のクリスマスは娘は首も据わっていないような時期でクリスマスツリーを買いに行く気にはなれなかっただ。今年は娘のためにもクリスマスツリーを飾ってやらねばならないかなぁ……なんて思っている。

クリスマスプレゼントのことも考えなければ。娘には絵本と決めているけれど、夫には何を贈ったものか。今年は働いていないため、私個人の収入が無いので高価な物は贈れない。何か編んであげたいようにも思うのだけど、そんな余力はどこを探してもない。昨年は娘がンネの赤ちゃんだったから、編み物をする余裕もあったのだけどなぁ。

日本はキリスト教国でもないし、誤ったクリスマスをしている訳だけど、日に日に寒さが厳しくなってくるこの時期にクリスマスの準備をするのは良いものだと思う。寒い季節だからこそ、気持ちが温かくなる行事が嬉しいのだ。今夜もまた、少しばかりクリスマスカードを書きたいものだなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年11月24日(月) 紅葉狩

先週は体調を崩してしまったので土曜日は大事をとって家で過ごしたのだけれど、この日曜日は竜田川公園へ紅葉狩に行ってきた。

竜田川は「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」と歌にも詠まれた紅葉の名所。丁度、紅葉祭りが開催中と知ったので夫と娘、実家の母と紅葉狩など。

紅葉の名所とのことなので観光地だと思っていたのだけれど、想像していた以上に人が少なくて吃驚。竜田川自体も、そんなに大きな川ではなかった。が、それがかえって風情があって良い感じだった。紅葉の色付きは今ひとつだったのが少し残念。

紅葉祭は一般のテキ屋さんに混じって地元のボーイスカウトや婦人会の人が屋台を出していて、たっぷり入った焼きそばが250円。たこ焼きが11個で300円。綿菓子が1本100円と、良心的な値段で食べ物を売っていた。

娘は持参した離乳食。大人は屋台で買った食べ物で、陽のあたる川辺で昼食など。川辺はポカポカと暖かくて気持ち良かった。地元の人達が出していた屋台の食べ物は、どれも「家庭の味」に近い感じで、とても美味しかった。特に美味しかったのはうるち餅で作ったよもぎ大福。夫は「子供の頃、田舎のおばあちゃんに作ってもらった、あんこ餅の味がする」と感激していた。

それなりに賑わっていたけれど、人でごったがえす…というほどでも無かったので、とてものんびりした時間を過ごすことが出来た。昼食後、地元の観光協会が出していた野点の席で和菓子とお抹茶を戴いた。制服のスカートに袱紗を挟んだ中学生の女の子が、慣れない手つきでお茶を出してくれたのがとても可愛らしかった。野点でもなければベビーカーの娘を連れてこういう席には来られないだけに、私達にとってはとてもありがたかった。

お目当ての紅葉はいまひとつだったけれど、風にゆれる木々や川の流れる音が、なんとなく秋を感じることが出来た。実家の母にも楽しんでもらえたようだし、娘も川原で遊ぶことが出来て満足そうだった。私も夫ものんびりした時間を過ごせてリフレッシュ。良い1日だったなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年11月21日(金) 今度は眩暈

最近、ちょくちょく眩暈がするなぁ…と思っていたら、昨日は朝から眩暈が酷くて困ったことになってしまった。

またしても実家の母を召喚。実家の母に娘を見てもらって病院へ行ってきた。診察の後、念のためCTを撮ってもらったのだけど脳に異常は無いとのこと。眩暈のタイプからして三半規管からくる物ではないらしい。メニエル氏病だと回転性(天井がぐるぐ回るような感じ)の眩暈が起こるそうなのだけど、私の場合はフラフラする眩暈。結局、原因が分からないまま、薬だけ処方されて様子を見ることになった。

薬局で薬を処方してもらったのだけど、薬剤師さんが「そう言えば昨年も急に気温が下がった時に、眩暈の薬をたくさん出しましたよ。私は医師じゃないからよく分からないけれど、何か関係があるのかなぁ」なんて事を話してくれた。

薬が効いたのかどうかは分からないけれど眩暈は少しマシになった。出産後の1年間は自分でも吃驚するほど元気だったのに、娘が1歳になる前後から体調を崩しがちだ。どうにも不甲斐ない。

今回の眩暈も娘を産む前なら「ほっておけば治るだろう」と病院へは行っていなかったと思う。しかし今は「長期間寝込む訳にはいかない」と言う気持ちが強いので「大丈夫だろうと」思いつつも、念のために調べてもらった次第。

先月は肩凝りからくる頭痛と吐き気で寝込み、今月は眩暈。どちらも病気とは言えない程度の体調不良。「情けない」と取るべきか、それとも「この程度の体調不良でラッキー」と取るべきか。健康には気をつけているつもりなのだけどなぁ。早いところ眩暈がおさまってシャッキリしたいものだ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年11月19日(水) 娘と絵本

最近、娘の「絵本読んで」攻撃が激しい。

絵本を持ったストーカーさながらに、私の後を追いかけてくる。娘にはじめての絵本を買ったのは昨年のクリスマスだった。その時は1年後、こんな風になっているとは思ってもいなかった。子の成長に驚かされる今日この頃。

それにしても小さい子向けの絵本の作者って凄いなぁ…と思う。まだお喋りもロクに出来ない子供の心をガッチリ持っていくのだから。いま、娘が激しく愛している本は3冊。それぞれに「ものすごく好きなページ」があって、娘はそのページを読むたびに「好き・好き」とばかりに、頬ずりをする。娘の「好き・好き」は、私や夫、ぬいぐるみが対象だと思っていたので、初めて本のページに頬ずりをするのを見たときは驚いてしまったけれど、彼女は「好き・好き」をするくらい、それらのページが好きなのだろう。

彼女にとって、絵本は両親やぬいぐるみと同じくらい好きなのだ。絵本に頬ずりだなんて変な感じだけれど、その姿はとても愛らしい。

……親馬鹿だな。と我ながら思う。

クリスマスには娘に新しい絵本をプレゼントしたいと思う。今日はとても寒くて、娘は鼻水をたらしていたので、外遊びはオヤスミして1日家に籠っていた。その分、いつもより余計に絵本を読んだ。家事がちっとも進まないは困るのだけど、今しばらくは娘の「絵本読んで」攻撃に付き合ってやりたいなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年11月18日(火) 特別なこと

友人から「無事に出産しました」の報せをもらった。嬉しかった。

友人は前の子を死産、そして今回の妊娠・出産も流産の可能性が高くて、入院したりしつつの出産だったので無事に産まれたと聞いて、他人事ながら心底嬉しかったし、ホッっとした。

妊娠や出産って病気ではないし、子を産んだことのある女性なら誰しも通る当たり前のこと。しかし当人にとっては特別なことに他ならない……と言うか妊娠や出産に限ったことではなくて自分や自分の家族に起こる出来事は、どれもこれもが特別なことなのだと思う。病気にしても親の介護にしても「当たり前」と言えば当たり前のことだけど、直面している人にとっては当たり前のことではない。

世の中は数限りない「特別なこと」で成り立っているのだなぁ…なんてことを、ふと思った。

もっとも、だからって、見ず知らずの人の「特別なこと」を我が事のように感じることは出来ない。自分のことや、せいぜい身近な(親しい)人のことくらいだけれど。身の回りに起こる「特別なこと」を見過ごしてしまわないようにしたいなぁ…と思う。

友人の子が、すくすく元気で成長しますように。そして友人が元気に子育て出来ますようにと願いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年11月17日(月) 秋の公園

土曜日は家族で緑地公園まで自転車に乗ってピクニックへ行ってきた。

朝、起きた時は曇っていたし、しかも午前中は大人2人がインフルエンザの予防接種に行く予定だったので「今日は遠出は止めて家にいよう」と話していたのだけれど、インフルエンザの予防接種を終えて、病院から出てきたらピクニック日和の素晴らしいお天気。お弁当を作る時間は無かったので、スーパーでお弁当を買って急遽出掛けることに。

娘が子供用のヘルメットをかぶれる大きさになってからは、自転車が大活躍。緑地公園は自転車で25分。娘は夫の運転する自転車の補助椅子に座って、こっこりこっくり居眠りをしていた。

緑地公園へ行くのは10年以上ぶり。学生時代には楽器の練習をするのに通ったものだけど、すっかり足が遠のいていた。久しぶりに行く公園は私が通っていた頃よりも整備されていて、幼児を遊ばせるようのスペースが出来ていた。遊具も小さい子向けで、娘は大はしゃぎ。滑り台が気に入ったらしく、頭から腹這いになって(スーパーマンのような形)で何度も滑り下りていた。

木々の茂っている芝生の上でシートを広げてお弁当を食べた。娘はタッパーに入れて持ってきた離乳食をペロリと平らげ、大人用のお弁当に入っていた細巻きを2切れ食べた。私達はスーパーで買ったお弁当だったけれど、外で食べたせいかそれなりに美味しかった。

昼食後、娘と近辺をお散歩。すっかり色づいた木々が美しかった。身近な場所でも紅葉を楽しめる日本の四季に感謝。せっかく紅葉が美しい季節なのだから、紅葉の名所に出掛けたいような気もするけれど、娘が小さい今はまだ、これくらいのお出掛けが丁度良いように思う。

紅葉が終わったら、駆け足で冬がやって来るのだろうなぁ。寒いのが滅法苦手な私にとっては厳しい季節の到来だ。本格的に寒くなるまでの短い時間を、しっかり楽しんでおかねばなぁ……なんてことを思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。

公園の木々。自然の風景にしみじみと見入るようになったのは30代を過ぎてからだなぁ…なんてことを、ふと思った。








2008年11月16日(日) 普通のご飯でおもてなし

金曜日は元CADの相棒が遊びに来てくれた。

CADの相棒は現在、癌で抗癌剤治療中。つい先週、3度目の抗癌剤治療があって、やっと落ち着いたとのこと。抗癌剤の治療って、最初のうちは副作用もゆるやかだけど、回を重ねる毎に副作用がキツくなってきて、先週は吐きまくりで大変だったとのこと。ご主人が飲み会なので、仕事帰りに遊びに来たいとメールがあった。「大歓迎だよ」と返事をしたのは言うまでもない。

CADの相棒は抗癌剤治療中なので、ビール好きなのだけどお酒が飲めず、しかも生野菜が食べられないとのこと。「じゃあ、すごく普通のご飯でいい?」とメールしたら「むしろ普通っぽいご飯がいい」との事だったので、おもてなし料理っぽくない食事を用意した。

がんも・人参・椎茸・蒟蒻の煮付け。ブロッコリーの胡麻和え・サンマの塩焼き・大根とエノキと薄揚げのお味噌汁など。

娘を寝かしつけた後、サンマを焼いてCADの相棒と2人で夕食。普通のご飯を食べながら、抗癌剤治療の話や職場の近況などを聞いた。「先週はロクに家事が出来なかったから、こういう普通のご飯が嬉しいよ」とCADの相棒。「ご馳走やお洒落な料理は出来ないけれど、こういう普通のご飯なら、いつ来てくれても出せるから、気軽に遊びに来てね」と言っておいた。抗癌剤治療はなかなか大変そうだけど、CADの相棒は案外元気そうなので安心した。精神的な部分でしっかりしているからだろうなぁ……なんてことを思った。

食後、CADの相棒が持ってきてくれたチーズケーキを切って、珈琲を飲みながらお喋り続行。途中、夫帰宅。3人でワイワイ。CADの相棒は午後11時前まで家にいて「終電がぁ…」などと言いながら、足早に帰って行った。

CADの相棒は、あと1回抗癌剤治療が残っているそうだけど、それも年内には落ち着くそうだ。新しい年は気持ち良く迎えられそうで嬉しい。お互い、立場が違ってしまったのでそうそう会えるものではないけれど、また遊びに来てくれると嬉しいなぁ……なんて思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年11月14日(金) 空が青い

昨日は遠くの公園まで遠征してみた。

自宅の最寄の公園は、いつ行っても小さい子供がほとんどいない。夕方になると小学生達がやってくるけれど、娘と同じ年頃の子供と会うことは滅多にない。そんな話をご近所の人にしたら「Y公園へ行くと子供がいっぱいいるよ。私が子育て中の時は自転車で遠征してたよ」なんて話を聞いたので、娘を連れて張り切って遠征など。

昨日は素晴らしいお天気だった。見上げた空は雲ひとつなく、上着をきたら汗ばむ陽気。週末だったら絶対にお弁当を作っていただろうと思う。

Y公園は話に聞いた通り、娘と同じ年頃の子供も多くて賑わっていた。面白い遊具もあったりして娘も大はしゃぎ。娘と2人で遊んでいたら、3歳くらいの男の子がやってきて、私の目をじっと見て「どうして1人で遊んでいるの?」と言った。どうやら彼は娘の姿が見えなかったらしい。「1人じゃないよ。赤ちゃんと一緒だよ」と言うと「ぼく、妹がいるんだ」と、自分の身の上話をしてくれた。おしゃべりが大好きな男の子だった。

娘を見ながら、しばらく彼とおしゃべりをしていた。彼は滑り台を滑ったり、1人で駆けっこをしたりと精力的に遊んでいた。と、彼が不意に空を見上げて言った。

「空が青いなぁ…」

なんだかこう…胸がキュウッとしてしまった。空が青いのは当たり前のこと。確かに昨日は素晴らしいお天気だったけれど、大人になると心の中でそう思ったとしても、口に出して「空が青い」なんて事は言わないものだ。見たままの感動をするりと口に出す子供の感性って凄いと思う。

彼が「バイバイ」と母親の元に戻った後で、私も「空が青いなぁ」と口に出して行ってみた。ちょっといい感じだった。

娘と一緒に暮らしていると、娘に教えられることも多いけれど、娘を通じて関わった子達に教えられることも案外多い。子供にハッっとさせられる瞬間って、かなり好きだ。これからますますそんな機会が増えていくのだと思う。楽しみだなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年11月13日(木) ファーストシューズ

娘の靴に大きな穴が空いた。新しい靴を買わなくちゃいけない。

子に初めて履かせる靴をファーストシューズと言うらしい。「初めての靴」ではなく、あえて英語読みなのは何故だろう?と思うのだけど、世間ではそう呼ばれているのだから仕方がない。娘のファーストシューズは実家の母に買ってもらった。わずか数ヶ月のうちに修理を2回。針と糸、ボンドを使って繕った。しかし、それも限界のようだ。今朝、公園へ行った時に気づいたのだけれど、つま先にパックリ穴が開いていてザカザカ砂が入っていた。

子供の靴って、アッっと言う間にダメになってしまうのだなぁ。ファーストシューズを履き潰すまでに足のサイズが変わるかと思っていたのだけれど、履き潰す方が早かった。子供の靴は高いので、お財布的には嬉しくないことだけど、娘がたくさん歩いて、しっかり遊んだ証拠だと思うと誇らしいような気がする。

娘の初めての靴は捨てずに取っておこうと思う。

私は思い出グッズに執着しないタイプで、なんでもかんでもバッサバッサと捨てている。どれくらい執着しないかと言うと、自分の卒業アルバムを捨てちゃったくらいだ。それなのに娘の初めての靴は捨てたくないと思ってしまった。なんだかこう…娘が大地に立って歩き、世界に踏み出していった時のことを、初めての靴はすべて見ていたのだと思うと、とてもじゃないが、捨てる気にはなれない。数年後に「なんで、こんな物を後生大事に取っておいたのだろう?」と思うかも知れないけれど。

1歳1ヵ月になった娘は、もう歩くことに不自由はしない。公園へ行っても1人で滑り台に昇るし、逃げ足だって速くなった。今はまだ、母にベタベタとひっつき虫でいてくれるけれど、いつか1人で母の手の届かないところへ歩いていってしまうのだろう。

娘には1人でしっかり歩いていける強く逞しい子になって欲しいと思う。これからも、たくさんの靴を履き潰しながら、元気に育って欲しいなぁ……なんて事を思いながら、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年11月12日(水) 別れを意識する

叔父が亡くなったことで考えさせられたこと。

実家の母は亡くなった叔父と同じ病気を抱えている。母は61歳。叔父は72歳。その病気を抱えていると長生きするのは難しい。母も頑張れてあと10年くらいなのだなぁ……ってことを、実感として思い知らされた。

母の病気のことはずっと前から分かっていたことだし、平均寿命まで生きるのは難しいってことも理解していた。60歳も過ぎると持病の悪化で亡くなるとは限らない。別の病気でポックリと死んでしまうことだってあるのだ。もっと突き詰めて言えば、死は年齢順に訪れるとは限らない。縁起でもない話だが、私が母より先に死ぬ可能性だってある。

だから「10年後に母はいないのだ」ということで、シンミリするのは馬鹿げていると思う。母があと10年生きたとしたら71歳。平均寿命よりは短いけれど「早過ぎる」という年でもない。そんな事は理屈では分かっているのだけれど、母との別れをリアルに突きつけられて「娘は小学生くらいの時に、おばあちゃんとお別れするのか…」などと、具体的なことを考えていたら、ふいに寂しくなってしまった。

大事な人と死別するのは寂しいことだ。

死は年齢順に訪れるとは限らないけれど、可能性で言うなら自分より年長の人達は、たぶん自分より先に死んでしまう。と言うか自分より年長の人でなくたって、いつ死んでしまうか分からない。

人と向き合う時は、いつか来る別れを意識してなくちゃなぁ…と思った。

一期一会って言葉の意味を初めて理解したように思う。いつか来る別れの時に「あの時、もっとちゃんとしておけば良かった」と後悔しない生き方をしたいと改めて思った……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年11月11日(火) 伴侶の死

先週、列席した叔父の葬儀の際、叔父とはあまり面識の無かった夫が泣いていた。夫は叔父と2回しか会っていないのに、泣くほど思い入れがあったのだろうかと不思議に思い、帰宅してから訊ねたところ叔母が哀しむ様を見て、もらい泣きしてしまったのだと言う。

確かにあの時、叔母は言葉通り嘆き悲しんでいた。
亡くなった叔父は「THE昭和男」とでも言いたいくらい昔風の男だった。無口で頑固。家事は協力しない。妻に愛しているだなんて死んでも口にしない。サラリーマンだったが定年退職後「定年退職の記念旅行」なんてのも行かなかった。酒好きで喧嘩っ早く、浮気はしないようだったけれど、叔父と叔母は決して仲の良い夫婦ではなく、叔母はよく私の母に叔父の愚痴をこぼしていた。

叔母は定年退職をして家にいる叔父の存在をうっとおしく思っていたようだった。叔父の定年退職後は「お父さんが家にいるようになってからストレスが溜まっちゃって」となんてことを言っていたくらいだ。

しかし叔母は葬儀の時、確かに嘆き悲しんでいた。叔母の姿に40年連れ添った夫婦の絆を垣間見たような気がした。傍から見ていると分からなかったけれど、叔母は叔父のことを深く愛していたのだろう。40年も一緒に食卓を囲んできた伴侶がいなくなるって事は、とてつもなく大きいことなのだと思う。

父が亡くなった時、私は伴侶を失った母を本当の意味で思いやることが出来なかった。しかし夫を持った今なに、叔母の嘆きの深さを想像することが出来る。夫婦って、他人同士が一緒に暮らしているに過ぎないのに時を積み重ねることによって特別な存在になっていくのだろうなぁ。

「40年連れ添うって凄いことなんだね」と夫と話をした。

叔母が本当に寂しくなるのは、四十九日が済んだ頃だろうか。どんな手段を持ってしても、叔父の存在を埋めることは出来ないけれど、少しでも叔母の力になりたいなぁ……なんて事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年11月10日(月) 過不足の無い死

先週、親交の深かった叔父が他界した。72歳だった。

叔父は長年持病を患っていて「いつか…」と覚悟はあったのだけど、死の1週間前までは自宅で安穏と暮らしていたので、突然死んでしまった感が大きかった。

私は祖母の自殺以降、人の死に対して過敏だと思う。父が死んだ時は経済的にも精神的にも厳しい状況にあり、哀しむよりもむしろ「なんとかしなくちゃ」という思いが強くて泣くに泣けなかったのだけど、友人のお母さんが亡くなられた時など、色々とこみあげてくるものがあり、お会いしたことさえない方の葬儀で、恥ずかしくなるほど泣きじゃくってしまったことがある。

しかし今回、叔父の葬儀ではホロリときたくらいで、泣きじゃくることは無かった。

亡くなった叔父は小さい頃から私を可愛がってくれていたので、もうお別れなのだと思うと寂しくて少し泣いてしまったけれど、号泣するには至らなかった。自分の冷静っぷりに自分でも吃驚してしまったくらいだ。

後でゆっくり考えてみて気づいたのだが、叔父の死は過不足の無い死だったから、胸をかきむしられるような哀しみに襲われなかったのだと思う。叔父は最後まで比較的思い通りに暮らしていたし、家族に看取られて亡くなった。もう少し長生きして欲しかったとは思うし、大往生とは言えないけれど、不幸な形での死では無い。

過不足の無い死…というのは静かで穏やかで、それゆえに哀しみの度合いも少しばかり控え目なのだ……ってことを初めて知った。そして、そんな死は、ちょっと大変な死に際だった人の死よりも、ずっと受け入れやすい。

今回の事は私の中でものすごい発見だった。私が死ぬ時もまた叔父のようでありたいなぁ…と思う。そして私の周囲の人が亡くなる時も、そうであって欲しいと。人は死の形を選べないけれど、出来ることなら哀しくない死に方の方がいい。そんなことを考えてみたところで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年11月08日(土) 断乳を終えて

今日は断乳を終えての感想など。

最近は2歳まで授乳することが推奨されていて、断乳よりも卒乳を待つ人も多いとのことだけれど、結果的に見て私と娘の場合は断乳をして良かったと思う。娘は断乳後、目に見えて成長した。離乳食をしっかり食べるようになり、夜もしっかり眠るようになった。今までは少し嫌なことがあると、自分の気持ちを紛らわせるためにおっぱいを欲しがっていたのが、他の方法(我慢する・甘える・泣く)で気持ちを落ち着かせることを覚えた。

私も娘の寝かせつけや食事が楽になって心身共に余裕が出来た。断乳前は、身体的にしんどくてギリギリだったのだ。いくら子供が可愛くたって、母親の体力は無限大ではないのだ。

断乳が良いのか、卒乳が良いのかは、その母子ごとに違ってくると思う。思い切って断乳した方かいい場合もあれば、じっくり授乳生活を楽しんで卒乳を待つ方がいい場合もあると思う。どちらを選んでも間違いではないし、どちらにしても子育ては大変なのだ。

それにしても、断乳の3日間は辛かった。おっぱいを欲しがって泣く娘を見るのは耐え難かったし、お腹を空かせているのが分かっているのに、そのまま寝かしつけるのは娘が不憫でたまらなかった。夜は寝てくれないし、心身共にクタクタだった。

でも頑張って良かったと思う。しんどかった分、見返りは大きかった。

娘がおっぱいを欲しがらなくなったのは少し寂しいけれど、断乳をしてグッっと成長した娘を見るのは嬉しくも誇らしい。そして、娘が体験するはじめての試練にガッツリ付き合えたのはある意味において幸せな経験だったのかも知れないなぁ…なんてことを思う。夫もよく協力してくれて本当に助かった。しんどい3日間だったけれど、頑張って良かったなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。

断乳の話とはなんら関係の無い写真。戴き物の紫芋で作ったスイートポテト。お菓子を作るのは久しぶり。たまには栄養とか考えずに食べ物を作るのも楽しいものです。








【断乳を考えておられるお母さんへ】
断乳の方法などをまとめてみました。参考にしていただければ幸いです。
断乳を考えておられるお母さんへ


2008年11月07日(金) 断乳3日目

断乳3日目。

母娘とも疲れがピークにきている……と言う印象。朝は午前6時半時起床。娘は腹ぺこで目が醒めたらしい。スムーズに離乳食を食べてくれた。私は叔父のことで頭が冴えて一睡も出来なかったので超寝不足。夫も娘も寝不足。寝不足一家といったところ。

午前中は家族でスーパーへ買い物へ行くつもりだったのだけど、娘がどうしても公園で遊ぶと言うので、私は買い物へ行き、夫と娘は公園へ。1人で買い物をするなんて久しぶりのことで、いつものスーパーがちょっと違って見えた。食料品、不祝儀袋等を買って帰宅。昼食の準備をしていたら夫が娘を抱いて帰宅。公園のシーソーで遊んでいる最中に眠ってしまったとのこと。遊びながら寝てしまうなんて、娘はよほど眠かったのだろう。娘はそのまま1時間半ばかりお昼寝。起きてから離乳食。

午後から、明日に控えた叔父の葬儀のために娘の服を買いに。大人と違って喪服を着せる訳ではないけれど、娘はピンクだの赤だのといった明るい色の服しか持っておらず、流石にそれはマズイだろうと。

実家の車を借りて娘の服を買いに出掛けた。地味な色合いの服と、タイツなどを買って帰宅。夕方、おっぱいを欲しがって娘が大泣きをはじめる。1時間半ほど泣き通し。断乳も3日目になると、おっぱいを諦める子が多いと聞いていたのに、娘はそのパターンに入らないのかも…と憂鬱気持ちになる。

泣き寝入りするかと思ったのだけど眠る様子もが無ければ、泣きやむことも無いので、娘を泣かせっぱなしにして離乳食の用意など。大人2人は作り置きのカレーライス。食事がはじまると娘はようやく泣きやんで、離乳食をパクパク食べた。あんなに泣いていたのにピタリと泣きやんで食事をした娘を見て、夫
と2人して「これはもしかしたら、ひと山越えたかも?」と顔を見合わせた。

夕食後、入浴を済ませて午後8時。娘をベッドに連れて行った。今夜も泣き寝入りだろうと覚悟していたのだが、娘は横になって20分ほどでグズることなく眠りに落ちた。この時の嬉しかった事と言ったら!「断乳は3日で諦める子が多い」と言うのは本当だったようだ。

娘の断乳は、この時点で完成とは言えないのだけれど、大きな山を越えたことは間違いない。ちなみに、この日を境に夜はおっぱい無しでも泣かずに眠るようになった。明日は断乳を通しての感想と、これから断乳に挑むお母さん達へのアドバイス的なことを書いてみたいと思う。文章に書いてみると淡々としているけれど、実際は大変な3日間だった。家族でよく頑張ったなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年11月06日(木) 断乳2日目

断乳2日目。土曜日。

家族揃って午前8時起床。娘は流石にお腹が空いていたらしく、離乳食をパクパク食べた。家にいると、娘がおっぱいの事ばかり考えてしまうので遊びに出掛けることに。お天気も良いので天王寺動物園へ。本当ならば張り切ってお弁当を作りたいところなのだけど、私も寝不足でクタクタなので、おにぎりだけ握って出発。天王寺の地下街でコロッケだの、オヤツなどを買いこんで動物園へ。

娘を楽しませるために連れてきた動物園だったが、娘は動物を見ても喜ばず、階段を昇り降りしたり(昇り降りは最近のブームらしい)、あちこち歩き回って探検したりしていた。動物は喜ばなかったけれど、楽しそうだったのでヨシとする。芝生広場で昼食。大人はおにぎりとお惣菜。娘も離乳食とおにぎり。外で食べると気分が変わるのか、パクパク食べた。

昼過ぎ、おっぱいが恋しくなったらしく娘、大泣き。ベビーカーに乗せられる状態ではなかったので抱っこひもに収容。娘はそのまま抱っこ紐でお昼寝。大人はそのままお散歩など。動物園を出て、最近出来た無印良品のカフェでお茶。カフェで目を覚ました娘は、お茶を飲み、カフェのパンを食べた。いつも食べているパンよりも美味しかったらしく、やたら食いつきが良かった。

帰宅後、夕食まで1度泣く。夫が全力で相手をしてくれたので助かった。夜の離乳食は最初、拒否したものの、途中からパクパク食べだした。夕食の途中、叔父の訃報が入る。夕食を済ませ、実家の母を連れて急きょ叔父宅へ。娘は眠たくてグスグズ。本当ならば寝ている時間なのだけど、緊急時なので娘にも我慢してもらうことに。午後9時過ぎ帰宅。娘のお風呂はオヤスミすることにして、そのままベッドに連れて行き、寝かしつける。娘は相当眠かったらしく、おっぱい無しでも案外、あっさり眠りについた。

夜中、娘は案の定、目を覚まして泣き、泣き疲れて寝る……というセットを何度か繰り返した。娘か寝ている間に眠れば良いのだけれど、私は叔父の死について色々と頭が冴えてしまったのか一睡も出来ず。まんじりともせず朝を迎えた。

断乳2日目は、身体的には辛かったけれど、動物園だの叔父の訃報だのと、断乳以外に色々あったので、断乳がらみでイライラすることは少なかった。娘はまだまだおっぱいを忘れられない状態。断乳3日目の様子は明日の日記で……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年11月05日(水) 断乳初日

土・日・月の3連休を前にした金曜日から断乳スタート。初日。

朝から張り切ってカレーを仕込む。断乳中は子がグズりがちになるとのことなので「3日間カレーを食べる心づもり」でいつもよりも丁寧に作る。断乳中は家事をせず、娘にかかりきりにしたかったのだ。娘には辛い思いをさせるのだから、せめてたっぷりかまってやらねば。

娘はいつもの時間に起床。離乳食を食べ、ひと遊びした後で授乳タイム。「これで、おっぱいとバイバイだからね」と言い聞かせたものの、娘はおっぱいと名残を惜しむでもなく、いつものように飲み、いつものように離れていった。むしろ私の方が泣きそうだったが「もう始めると決めたのだから頑張らねば」と自分に言い聞かせる。

午前中はスーパーへ買い物へ行き、公園へ行き、おっぱいを思い出さないよう、とにかく外に連れ出した。昼食前に帰宅。娘は離乳食ではなく、おっぱいを要求。号泣されたが当然、あげる訳にはいかない。娘は1時間半泣き通して、泣き疲れて寝てしまった。娘が起きてから離乳食。実家へ連れて行き、夕方まで遊ばせる。

午後6時。夜の離乳食を食べさせてみたが、あまり食べず。娘にしてみれば「寝る前におっぱい飲むから平気だもん」ってな感じなのだろう。入浴後ひと遊び。8時にベッドへ連れて行く。

……が。おっぱい無しで娘が納得する訳もなく号泣。1時間ほど泣いて泣き寝入り。朝まで「起きる→泣く→泣き疲れて寝る」というセットを何度か繰りかえす。親も子もクタクタになる。

泣きじゃくる娘を見ているのは辛い。娘にとっては人生初の大きな試練。娘の初めての試練に付き合ってあげられるのは幸せなことなもかも知れないなぁ……なんてことを、ふと思う。大好きなおっぱいを取り上げてしまうのだから、とことん付き合ってやらねば……と改めて思う。

翌朝は8時起床。いつもは休日でも6時過ぎには起きる娘も、夜のあいだ中、泣き通したので寝不足だったらしい。断乳1日目終了。大変だとは聞いていたけれど、噂以上だった。断乳2日目の土曜日は夫も参戦。2日目の話は明日に……っ事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年11月04日(火) 断乳を考えておられるお母さんへ

僭越ながら、断乳を考えておられるお母さんへのアドバイスなど。私自身、WEBの日記やプログを参考にさせていただいてので、私の記録も参考にしていただければ幸いです。

断乳は1人でしようとするのではなく家族で挑んでください。

子供にとって、大好きなおっぱいを取り上げられることがどんなに辛いか…ってことを、ご主人にも説明して、ご主人にもしっかり協力してもらってください。連休や長い休みの時に挑むのがベスト。断乳中は子が泣きまくるので、家事は出来ないくらいの心づもりで、大人の食事は作り置きとか、外食やお惣菜で済ますつもりで。

子が分かっても分からなくてもカレンダーに丸をつけて1週間前から「○日になったら、おっぱいとバイバイだよ」と言い聞かせてあげてください。断乳スタートの朝に、しっかり授乳した後は、子がどんなに泣き叫んでも絶対に授乳しないこと。

夜の寝かせつけは、どんなに泣いても抱っこをしないこと。抱っこで寝かせつけると、抱っこでないと寝ない子になってしまいます。背中トントン等で頑張ってください。

お風呂はご主人に入れてもらってください。自分でいれる場合はブラジャーをしたままで。おっぱいを見ると子が哀しくなってしまいます。

そして自分のおっぱいケアも忘れずに。おっぱいがパンパンに張ってきたら、絞ってください。絞る間隔を空けていくと、少しずつ張らなくなってきます。絞る間隔ですが最初の3日は1日3回。4日目以降は1日1回〜それ以下に。トラブルがある場合は乳房外来や助産院へ行って相談してください。モリモリ食べると、おっぱいが張ってくるので食事は控えめに。あまり張るようなら、アイスノン等で冷やしてみてください。

断乳は大変ですが、やってやれない事はありません。私の娘の場合は断乳直前まで、新生児並の頻度で授乳していましたが、スパッと止めることが出来ました。健闘をお祈りします!

断乳日記も書いていますので参考になればと思います。
断乳初日
断乳2日目
断乳3日目
断乳を終えて


2008年11月03日(月) 濃厚な3連休

この3連休で娘はメデタク乳児を卒業した。

噂には聞いていたけれど断乳は思っていた以上に大変だった。親も子もクタクタ&ヨレヨレ。心身共にズタボロになったと言っても過言ではない。しかし、結果的には断乳に踏み切って良かったと思っている。断乳したおかげで娘は離乳食をしっかり食べるようになり、夜の寝かせつけも楽になった。よく食べ、よく眠ると日中も機嫌良く遊べるので娘にとっても良かったと思う。

そしてこの3連休は親しくしていた叔父が亡くなった。知らせを受けて夜、実家の母を連れて叔父の家へ行ったり、葬儀に参列したりと断乳と並行してバタバタとしていた。

断乳については明日から詳細を記録していきたいと思う。娘の断乳は私の中ではすでに完結しているのだけど、これから断乳に挑むお母さん達の参考になれば……と思う。実際、私自身も断乳に挑むにあたり、体験プログや日記を参考にさせてもらったので。

叔父が亡くなったことについても色々と思うことが多かった。「死」について。夫婦について。その他にもたくさん。

金曜日から昨日までは、いつもの倍以上に濃厚な時間を過ごしたように思う。書きたいことが一杯あって困ってしまうほどに。明日からまた少しずつ書いていけたらいいなぁ……と思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


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