白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2008年10月30日(木) 昔、海だった場所

娘と公園の砂場で遊んでいて子供の頃の記憶が不意によみがえってきた。

砂場の砂には、よく小さな貝殻が混じっている。砂場の砂は海岸の砂を運んでくるのだから当然のことだな……と、大人だったら簡単に分かることだけど、その頃の私はそんなこと思いもしなかった。誰に教えられた訳じゃないのに「ここは昔、海だったんだ」と思いこんでいた。昔、海だったから砂場の砂に貝殻が混じっているのだと本気で信じていた。

当時、私は「ここは昔、海だったんだ……」と砂場で海に思いを馳せる子供だった。

いつ頃、砂場の謎に気づいたのかは覚えていないけれど、たぶん砂場でうっとり妄想しなくなった頃、自然と「公園は人間が作る」ってことを知ったのではないかと思う。大人になって思い出すと、突拍子もないことを考えていたものだと思わずにはいられないけれど、これも子供ならでは……ってことだと思う。

娘はまだお喋りが出来ない。だけど、たぶん娘は娘なりに色々なことを考えているのだろう。公園を歩いていて、風の音にふと立ち止まったりする娘を見るたびに「いったい、何を考えているのだろう?」と不思議に思うことがある。かつての私がそうであったように、娘もまた1人突拍子もない事を考えているのかも知れない。

今日で私と娘の授乳生活はオシマイ。明日の朝、お別れの授乳をしたら断乳を開始する。今は寂しさに胸が一杯になっているのだけれど、これもまた成長のためのステップなのだし覚悟して頑張りたいと思う。お乳を卒業した娘は、どんな表情を見せてくれるのだろう。11月から娘は乳児ではなくなるのだ。まずは2人で断乳を乗り切らねば……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年10月29日(水) 上手く立ち回れない人

昨夜、テレビで高橋尚子の引退のニュースを見ていたら夫から「宝塚歌劇を観る乙女のような顔をしている」と言われてしまった。

実際のところ胸が一杯になっていたのだ。辛うじて泣きはしなかったけれど年をとると涙もろくなる……と言うか。私は高橋尚子が特別好きだった訳ではない。むしろ「惜しまれる時に引退すればいいのに」と常々思っていた。と、同時に「この人は本当にマラソンが好きんなだなぁ。もっと上手く立ち回ればいいのに馬鹿だなぁ」とも思っていた。

「上手く立ち回れない人の生きざま」というのは私の涙腺のツボなのだ。

なんと言ったらいいのかなぁ。すごく楽な生き方とか、やり方があるのが分かっているのに、そう出来ない人を見るとヤキモキしながらも「頑張れ」と思ってしまう。スポーツ選手だと、引き際を知っていて頂点の時に引退して、その後も活躍している人を見ると「素敵だなぁ」と思うのだけど、高橋尚子のようにギリギリまでやっちゃう人を見ると「馬鹿だなぁ」と思いつつ「ウッ」っときてしまう。今、現役で頑張っている人だとボクシングの辰吉なんかがそう。彼もボクシングが好きで好きでたまらないのだろうと思う。ボクシングにしがみついている様は心にグッっときてしまう。

生きていると「そっちに行けば楽なんだろうけど、分かっちゃいるけど選べない」ってことが多々ある。そこをうまく立ち回っていくのは素敵だけれど、上手く立ち回れなくても、それはそれで魅力的だと思うのだ。

もっとも自分の身近にいる人には、上手く立ち回って楽しく生きて欲しいと思う。でも、あえて立ち向かっていくのであれば、やっぱり応援してしまうかも。人間は理屈で割り切れないものを抱えて生きているのだもの。

それはさて置き。高橋尚子は、きっと一生走っているのだろうなぁ。一生をともに出来る何かを持っている人は強いと思う……なんてことを考えつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。

先週「数日中に花を活けよう」と決意したけれど、やっと花を活けてみた。1輪挿しに1輪だけ。家に花があるって、やっぱり良いものだと思う。








2008年10月28日(火) 断乳に向けて

金曜日から娘への授乳をやめようとと思っている。

娘は無類のおっぱい好きなので、無理やりおっぱいを卒業させるのは可哀想にも思うし、昔は1歳前後での断乳を推奨していたのが、今は「2歳頃まで授乳するのが好ましい」となっているのも知っているのだが、色々と考えた末の決断だ。

娘は歩くのが早めだったため、1歳になった今では不自由なくスタスタ歩いているのだけれど、おっぱい好きが影響して離乳食があまり進んでいないのだ。なのでちょっぴり小さめ&スリム。断乳すると離乳食をしっかり食べるようになり、また夜もぐっすり眠るようになると聞く。

それに私の身体も大事にしたい…ってのもある。授乳すること自体、体力的にキツイのもある上に、授乳していると薬が飲めないのだ。正直なところ娘が自分の意思でおっぱいを卒業するまで、トコトン付き合うつもりでいたのだけれど、現実的なことをふまえて考えてみるだに母娘して授乳生活も今がギリギリかなぁ……と。

娘には「Yは1歳になったし、もうマンマを食べられるお姉ちゃんになったから、今月いっぱいで、おっぱいはバイバイしようね」と言い聞かしているのだけれど、満面の笑みでおっぱいを吸っている娘を見ると寂しくてならない。娘からおっぱいを取り上げてしまうのだと思うと、フッっと泣きそうになってしまうことさえある。

我が子に授乳をするようになった時、私は「おっぱいは、このためにあったんだ!」と感動したものだ。授乳の喜びを味あわせてくれた娘には本当に感謝している。

授乳生活が終わってしまうのは寂しいけれど、もう止めると決めたのだ。断乳は大変だと聞いているけれど母娘して成長の階段を上るのだと覚悟して挑みたい。残り少ない授乳生活、しっかり楽しんで心に刻んでおこう……と思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年10月27日(月) 楽しい雨の日曜日

昨日はせっかくの日曜日だったと言うのに生憎の雨模様。

午前中は実家の車を借りて赤ちゃん用品のお買いもの。お食事エプロンだの、スリーパー(昔で言うところの、かいまき布団のようなもの)だの、あたたかいトレーナーだの。ここのところ急に冷え込んできたので少しずつ冬支度をしている。これで、いつ寒くなっても安心。スーパーで食料品を買って帰宅。帰宅してから地味に昼食。

用事は片付いたものの、なにげに物足りないような、つまらない日曜日。外は冷たい雨が降っていて出掛ける気にはなれないし、家の中も湿った空気が漂っているような気がした。

2階の寝室で娘をお昼寝させて降りてくると「これから何しようか?ゲームでもする?」と夫。「ゲームしたいところだけど、夕食の段取りがあるしなぁ。豚肉の生姜焼きは食べる直前に焼くけれど、お味噌汁とか野菜のおかずはY(娘の名)が寝ている間に済ませておきたいし」と言うと「白蓮さん、ここのところ疲れてるし今日は俺が味噌汁とおかずを作るよ」と夫。夫も毎日、外で働いていて休日くらいはのんびり過ごしたいだろうに申し訳ないなぁ……と思ったのだけど、せっかくなので甘えさせてもらうことにした。

私は居間でゲーム。夫は台所でお料理。お味噌汁と、白菜の浅漬け、粉吹き芋を作っていた。粉吹き芋は娘も食べられるので、娘の分を取り分けておいてもらいたいと夫に言ったら「……それは無理かも。ちょっと…塩辛い」と夫。味見をしたら「ありえない」レベルで塩辛かった。味見をしてあまりの塩辛さにむせてしまったほどだ。夫は粉吹き芋の作り方を誤解していたらしい。かなり濃い味の塩水で芋を茹で、水を捨てずに水分を煮て飛ばしていたようだった。

せっかく作ってくれたのでなんとかしたいと、粉吹き芋をマッシュにして、刻んだキャベツとヨーグルト、レモン汁、黒コショウでコールスロー風のサラダにリメイクした。リメイクしたサラダは辛うじて食べられたが、それでも恐ろしく塩辛かった。

私は夫に「たとえ徒労…と言うか失敗に終わっても、作ってくれたってこと自体が嬉しかった」と言ったら、夫は「やっぱり徒労と思ってたんだ」と大笑いした。実際、笑うしかないくらいに酷い小吹き芋で、サラダにリメイクするよりも、むしろ捨てちゃった方が良かったと思うくらいサラダも不味かったのだ。

夫と2人で散々笑った。

ちなみに、夫の作ったお味噌汁と白菜の浅漬けはちゃんと美味しかった。夕食前に私が豚肉の生姜焼きを作った。塩辛すぎるサラダは半分くらい食べて残りは捨てた。食べ物を捨てるのは勿体ないことだけど、満足できる夕食になった。

つまらない日曜日が、いっきに楽しい日曜日になった。1人だったら、こうはいかない。きっと「退屈な日曜日だった」と終わってしまったことだろう。家族で暮らしているからこその出来事だったと思う。家族がいるって嬉しいことだなぁ……と思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年10月25日(土) お茶の祭典と大阪城公園

今日はルピシアというお茶(紅茶)屋さんが主宰するお茶の祭典へ行ってきた。先日、ルピシエのお店で紅茶を買ったら招待券を貰ったのだ。お茶の祭典…と言うと「なんじゃそりゃ?」って感じなのだけど、要するに「大試飲会」といったところ。お茶好きにはたまらない企画。

広い会場には紅茶ごとに試飲が出来て、試飲して気に入った物は帰りに買って帰る……という趣向。普段は飲む機会のないような高価なお茶や「ちょっと気になっているけれど、味が分からないし…」と思っていたお茶を試飲出来て楽しかった。お茶菓子だの、お茶のカップだのと言ったお土産付きで、なかなかの人出だった。本当はゆっくりと周りたかったのだけど娘が退屈しそうだったので、試飲した中で1番気に入ったお茶を1袋購入して会場を後にした。

娘には大人の買い物に付き合ってもらったので、その後は大阪城公園へ行って遊ぶことに。芝生の上でお弁当を食べて娘を遊ばせた。街中の刺激も娘にとっては、それなりに楽しいようだけれど、やはり自由に遊べる場所の方が良いみたい。たっぷりと歩きまわってくたびれたのか、娘は途中ベビーカーでお昼寝タイム。娘が眠ってくれたので、なんだかデート気分で秋の大阪城公園を散策した。

色付きはじめた銀杏の並木が美しかった。

自宅の最寄り駅のスーパーで買い物をして、駅前のケーキ屋さんでケーキを買って帰宅した。今夜、娘が眠った後、買ってきた紅茶とケーキで大人ののんびりタイムを楽しむ予定。

今は夫が「俺が娘を見ているから夕食の用意したり、1人でのんびりしなよ」と言ってくれたので、夕食の段取りを済ませて1人PCタイム。おかげさまで今日は休日を堪能させてもらっているなぁ……としみじみ。お茶の祭典も、大阪城公園もどちらも楽しかった。リフレッシュさせてもらったことだし、また来週も頑張ろう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年10月24日(金) 花を飾る心

私は花を活けるのが好きで、結婚してから娘が生まれるまでは、盛夏の頃以外は家の中にいつも何某かの花を活けていた。が、娘が生まれてからは花などとんと活けていない。

花は食べられる訳でもないし必ず枯れてゴミになる。その上、まめに水を変えたり、水切りをしないと美しさが保てないので、なんだかんだと面倒だ。突き詰めて言うなら花なんて無くても生きていける。だけど、家の中に花が1輪あるだけで心が和むと言うか、ホッっとする。花を飾る余裕は、心の余裕に通じているのかも知れない。

今日は娘を連れていつものスーパーへ行ったら、レジのところで私の前の人のカゴの中に花が入っているのが目についた。花の入ったカゴの主は私よりも10歳くらい年上だろうか。「年季の入った主婦」という感じだった。お洒落な雑誌のインタビューで「家の中には花を欠かさないようにしていますの」と言うような、お洒落な主婦という感じではなくて、くたびれたオバサン風の主婦だった。

私は、その人に「負けた」と思った。見た目とかそういう事ではなくて、私は花を飾る余裕が無いけれど、彼女にはそれだけの余裕があるのだ…って部分で。

「子供が小さいうちは忙しくて」と言うのは言い訳だと思う。スーパーで花を1輪買って1輪挿しに活けて娘の手の届かない所に置くくらいのことは忙しくたって出来るはず。そう言うことをしない…しようとしない自分って、ギスギスしているなぁ……と思った。

お財布に余裕があったとしても「花を買うなら、甘いものでも」と言う発想になってしまいがちだけど、たまには花を買って活けたいと思う。花を飾る心を忘れちゃいけないと自戒した。数日中に花を飾ろう……と決意したところで今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年10月23日(木) 柿。

先日、夫の従兄から立派な柿が届いた。

夫の従兄は和歌山で柿を作っている。彼は自分の父と祖父母、そして自分達家族を養うお父さん。兼業農家で農業の繁忙期以外はタクシーの運転手をして生計を立てている

柿はとても大きくて、甘く、瑞々しく、美味しかった。夫の従兄の作る柿は、柿の中でも高級な物とのこと。きっと、飛びきり出来の良いものを送ってくれたのだと思う。ありがたいなぁ……と思いつつ、美味しい柿を堪能した。

私は結婚するまで身内に農業をしている人がいなかった。しかし夫と結婚してからはスーパーへ行っても、ふと従兄のことを思ったりする。スーパーで売っている柿はとても安い。(大阪は柿の産地が近いので運送料の分、他の地域よりも安いのかも知れない)

従兄は自分の仕事に誇りを持って、丹精込めて柿を作っている訳だけど、柿農家は決して実入りの良い仕事ではない。従兄の作る柿はスーパーで安売りされている柿よりも高い値段が付いているようだけど、それでも柿の値段なんて知れたものだ。そうでなければ従兄とてタクシーの運転手などせず、農業だけで暮らしているだろうと思う。

今「食の安全」とか「食糧の自給率」についての問題がニュース等で取り上げられることが多い。食糧は自分の国で作るのが理想だとは思うのだけど、従兄の苦労を思うと、農業を離れる人が多いのも仕方のないことのように思える。従兄の子供は農業を継がないだろうと思う。素晴らしい仕事だと思うけれど、世の中には農業よりも楽をしてお金を稼げる仕事が沢山あるのだ。

自分が食糧を買う時は「値段の安さ」を重視してしまうのに、従兄が柿を作っているからと言って、柿を見て「柿の値段って安過ぎるなぁ」と思うのは身勝手な話だと思う。それだけに、食糧の自給率を上げる事の難しさを実感せずにはいられない。

食糧問題について私自身は何が出来ると言う訳ではないので、せめて食べる物に対して感謝の気持ちを忘れないようにしたいなぁ…と思う。誠実に柿や野菜を作っている従兄と、日本で農業に従事している人達に敬意を抱きつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年10月22日(水) 3連プリン

夫が風邪でダウンしていたので「何か食べたいものあったら言ってね」と言ったら「3連プリンが食べたい」との答えが返ってきた。夫の言う3連プリンとは、スーパーなどで3つ連なっていたり、あるいは3つセットになっているお買い得なプリンだ。

言っちゃあなんだが、3連プリンはお買い得だが、安っぽい味だ。「風邪を引いているときのご馳走としてはどうなんだろう?」と思っていたら、夫は「3連プリンを1人で食べるのが夢だった」と言う。なんでも夫は3人兄弟で、冷蔵庫に入っている3連プリンを見て「自分1人食べたいなぁ」といつも思っていたのだそうな。

そんな訳で私は夫のためにスーパーで安っぽい味のする3連プリンを買い、夫はそれを美味しそうに食べた。3度に分けて3連プリンを1人で食べた夫は、それはそれは満足そうだった。

以前、私が風邪でダウンをしてプリンをリクエストしたら「全部1人で食べていいんだよ」と夫が3連プリンを買ってきたことがある。私は「風邪の時くらい、美味しいプリンが食べたいのに、どうしてよりによって3連プリンなんだろう…」と不満だったが、買ってきてもらって文句を言う訳にもいかず黙って3連プリンを食べた。(ちなみに1人では食べきれず夫にも食べてもらった)あの時、夫が3連プリンを買ってきた理由は、こう言うことだったのだ。

私も子供の頃は3連プリンをよく食べていた。弟がいたので1人で全部食べることは無かったけれど「1人で3つ食べたい」とは思ったことがなく、むしろ「3連プリンじゃない、1つ1つのプリンの方がいいなぁ」と思っていたので、夫の夢はちょっと衝撃的だった。子供時代のささやかな夢も、人によって違うものなのだなぁ。

夫と結婚して2年8ヵ月。いまだ新しい発見がある。

夫婦と言っても他人が一緒に暮らしているだけなのだし、まだ付き合いだって浅いのだから、これからもこういう小さな発見があるのかも知れないなぁ……なんて事を思った。ちなみに夫の風邪は早めの対策が良かったのか、もう大丈夫そうだ。今度、夫が風邪をひいたら黙って3連プリンを買ってこよう……なんて事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年10月21日(火) 1歳の記念写真

日曜日は子供専門写真スタジオで娘の1歳のお誕生日の記念写真を撮ってきた。

娘自身は可愛らしい服を着て喜ぶような年頃ではないので「娘のため」ではなくて、むしろ私達夫婦が着飾った娘を愛でて喜ぶための親馬鹿的イベントだった。当日は実家の母も一緒に行く予定だったのだけど、体調不良で泣く泣く断念。親子3人で出掛けてきた。

子供がいない頃、私は「子供専門の写真スタジオで、幼い子にコスプレもどきの格好をさせるなんてどうなんだろう?」と軽く否定的な目でそういう親を見ていたというのに、自分自身も同じ道を歩んでしまうとは思ってもみなかった。

写真スタジオでは白雪姫や、ふわふわのドレス、蜂のコスチュームなど、いつもとは違う娘の姿に大満足。流石に子供専門と言うだけあって、スタッフの人達は子供の扱いに慣れていて、娘のご機嫌で撮影されていた。

娘以外にも何人かの子供達が撮影していて、どの子達もそれぞれに可愛らしかった。「自分の子供は可愛いけれど他人の子は……」なんて話も聞くけれど、どの子も可愛いなぁ……と目を細めてしまった。娘と同じ年頃で「よく分からないけれど着せられている」だけのヨチヨチ歩きの赤ちゃんの姿や、御姫様のようなドレスを着てうっとりしている少女。華やかな空気に満ちいて、なんとも楽しい時間を過ごさせてもらった。

出来ることなら娘のお誕生日前後に記念写真を撮りたいと思う。最初の何年かは親の自己満足だけど、そこそこの年齢になったら娘自身も楽しむことが出来るだろう。そして、いつかそうやって撮った写真を懐かしく眺める日が来るのだろう。私はまだ娘と1日1日を過ごすのに夢中で、そんな日が来るなんて想像もつかないのだけど、いつか親の手を離れていく娘のために、愛されて育った幼い頃の写真を残してあげたいのだ。

大きな出費ではあったけれど、良い記念になったと思う。写真が出来るのは3週間後。出来上がりを見るのを楽しみにしつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年10月18日(土) ゆるゆるの土曜日

昨夜は色々あって、よく眠れなかった。

深夜、夫の携帯に仕事の電話があったり、その事で娘が起きてグズグズしたり。寝たのだか寝ていないのだか分からないような状態で6時過ぎに起床。娘は機嫌良く目を覚ましたけれど大人2人は揃って酷い顔。

「今日は食事の支度以外は何もせずに過ごします」と出勤していく夫に宣言した。朝から素晴らしいお天気だったし、寝不足からくるハイテンションで、換気扇の掃除でもしたいような気分だったのだけど、この間体調を崩した時も似たようなパターンだったなぁ……とて自重することにした。

朝から娘の相手をしながら休み休み夕食の準備。今夜の献立はプリの照り焼き、里芋の煮物、ブロッコリーのお浸し、大根とシメジのお味噌汁。娘を公園へ連れて行って遊ばせて、昼食。お昼寝をする娘の横に転がって、ねじめ正一『荒地の恋』を読みつつ、家事と言っても掃除と買い物をしないだけで、のんびりするものだなぁ……となんて事を思った。

毎日、のんびり過ごすのはどうかと思うけれど、たまにこんな日があるのも良いものだ。

天気の良い日に家の中で本を読むって贅沢な時間の使い方かも知れない。『荒地の恋』は詩人の恋の話で、平穏な家庭を壊しての不倫が描かれていて、どちらかと言うと私は苦手なタイプの小説だった。「好きになっちゃったんだから仕方ないよ」というフレーズはどうにも好きになれない。もっとも、それを非難する気もないのだけれど。なんだろうなぁ……開き直っている感じが嫌いなのかも。

人を好きになるって素晴しいことなのに、立場によっては祝福されるものでは無いって、ある意味において理不尽と言っても良いかも知れないなぁ……などと、愚にもつかないことを考えてしまったのは、ゆるゆるとした空気のせいだろう。いつもなら「不倫なんて!」と憤慨してオシマイにしそうなものなのに。

なんだか、心も身体も、ゆるゆるな感じだ。いつもはもう少しシャキッっとしているのだけど。どうも脱線気味でいけない。

明日は娘の1歳の記念に子供専門の写真スタジオで記念写真を撮ってもらう予定。今日はのんびり過ごさせてもらったことだし、明日はシャキッっとして出掛けたいなぁ……なんてことを思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年10月17日(金) 身近な盗難話

昨日、隣のお子さん(小学校1年生)の自転車が盗難されたらしい。

スーパーの駐輪場に停めていて盗まれたとのこと。自転車を盗られた時に停めていたのは、人の往来が少なくて比較的空いている場所でそのスーパーで「よく自転車が盗まれる」スポットだったとのこと。小学校1年生の乗っていた自転車なので、犯人も同じ年頃の子なのだろう。なんだかいたたまれない。ちょっと意外な気がしたのだけど、子供の自転車の盗難というのは決して珍しい話ではないそうだ。

嫌な話だが、身近なところで盗難の話をよく耳にする。

たとえばベビーカー。検診や集団予防接種にベビーカーで行った際、帰りにベビーカーが無くなっている……という話をちょくちょく耳にする。子供の玩具や帽子、自転車用のヘルメットなども公園などで盗られることがあるらしい。

自分の子供に盗んだ物を与える親って、なんだかなぁ…と思わずにはいられない。私は「自分の子に恥じない人でいたい」という意識を持っているのだけれど、そうじゃない親もいるのだろう。今まで私は「泥棒」というのは悪いことで、そういうことをするのは特別な人だと思っていたところがあったのだけど、自分と同じラインで生きている人が、そういうことをしている……ってことが、どうにも嫌な感じだ。

上手く説明するのは難しいのだけど「同じ趣味の人に悪い人はいない」って感覚に近いかも知れない。「同じ趣味」を「同じ学校」とか「同郷者」とかに置き換えてもいい。自分と近い属性の人に悪い人はいないと信じたがっている……って感じだろうか。もちろん、属性が近いからって悪い人がいないなんて考えは幻想でしかないのだけれど。

そんなことを考えて憂鬱になっていても仕方がない訳で、せめて嫌な目に合わないように、物に名前を書くとか、自転車だったらキッチリ鍵をかけるといった自衛策をしっかり取るようにしたいと思う。

それにしても嫌な話だ。そういう事の無い世の中が理想だけれど、なかなかそうはいかない。世知辛い事だなぁ……などと思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年10月16日(木) 秋空と飲み物

今日は素晴らしいお天気で「秋晴れの見本」として取っておきたいような素晴らしいお天気だった。

先週、先々週と体調不良を引きずっていたのが、ここ数日でやっと調子を取り戻してきた。「あまり頑張り過ぎない」ってのは、なかなか効果的だったように思う。「もうちょっと頑張れるんだけどなぁ」と言う気持ちがあって、消化不良気味なのも事実だけれど寝込んでしまっては、お話にならない。『若草物語』の続編で、結婚したメグが双子の育児中に「いいお母さん(奥さん)にならなきゃ」と煮詰まってしまったエピソードがあったけれど、こういうことって誰しも通る道なのかも知れないなぁ……なんて事を、ふと思った。

最近、夕食を食べてから寝るまでの時間、夫と温かい飲み物を飲むのが日課になっている。カフェオレだったり、チャイだったり、ほうじ茶だったり。暑い間は冷やした麦茶ばかり飲んでいたのだけど、今くらいの気温になってくると、冷たい飲み物より温かい物の方が美味しいと感じる。作るのも、片付けるのもほんの少し面倒だけど、ひと手間かけるだけで気持ち的なところに余裕が生まれてくるように思う。

本当のことを言うと喫茶店で珈琲でも飲みたいなぁ…なんて思うことがある。喫茶店とまではいかなくても、ドトールとかスタバでも。娘連れでも行けなくはないのだけれど、じっとしていられない時期の娘を連れてだと本当の意味ではゆっくり出来ないので、今しばらくは自宅での飲み物を楽しむことになりそう。少し不自由だけど、これも期間限定のことなのだと思うと、今をじっくり堪能しなくちゃ勿体ないような気がしてくるから不思議だ。

明日も晴天とのこと。久し振りに少し遠いスーパーへ遠征しようかと思っている。本格的に寒くなるまでに、外の空気をしっかり楽しんでおかねばなぁ……なんてことを思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年10月15日(水) 腹巻

先週末、娘が下痢気味になった。どうやら原因は寝冷えらしい。なので三連休の中日に腹巻を買いに行った。

腹巻と言うと私も子供の頃に「つけさせられて」いた。子供心に格好悪くて大嫌いだった覚えがある。ひらひらレースのついたお姫様のようなパジャマを着ても腹巻を巻いていては台無しだと思っていたのだ。腹巻を卒業した時の嬉しさと言ったら無かった。「私はこれから先は決して腹巻を手に取らない」と誓ったほどに。

腹巻といっても、毛糸の腹巻をするにはまだ暑すぎるので綿の腹巻を2枚購入した。もっと寒くなったら毛糸の腹巻にシフトするつもりでいる。早速、その夜から腹巻をつけて寝かせているのだけどなかなか良い感じだ。暖かさもさることながら、パジャマの上から腹巻をつけた娘は、建設現場のオヤジのようでとても可愛い。

腹巻が大嫌いだった私が、自分の子供に腹巻を強制するようになる日が来るとは思いもしなかった。これは腹巻に限った事ではないけれど、着る物にしろ、食べる物にしろ「これはダメ」「これはしなきゃ」と、親から口酸っぱく言われた事は、たいてい深い意味があったのだなぁ……と今頃になって気がついた。

子供が元気で育つよう、どの親も心を砕くものなのだなぁ。

たいていの大人は、皆それぞれに親に大切にされてきたのだ。どんな大人もそれぞれにお父さん、お母さんの大切な子供なのだと思うと、ちょっと愛しく思えるから不思議だ。

毛糸の腹巻は自分で編もうかと思っている。これから寒くなってくるけれど、風邪をひかないよう、お腹を壊さないよう、娘には元気で過ごしてもらいたいなぁ……と思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年10月14日(火) 1歳のお誕生日会

この週末に娘は1歳のお誕生日を迎えた。

土曜日は義母、実家の母、弟を招いてのお誕生日会を開いた。朝から私はご馳走の準備。夫は娘の相手をしながら掃除など。実は前日から娘は下痢気味。病院へ連れて行くほどではないものの、前夜はグズグズしていて夫婦して超寝不足。料理を作るのは大好きだけど、肝心の日に「あ〜。しんどい。いっそ中止にしたい」なんて事態に。しかし、せっかくのお誕生日会ってことで奮起して予定通りにお料理など。

お赤飯を炊き、煮物、酢の物、お吸い物を作り、天麩羅をどっさり揚げた。料理の最中、娘へのお誕生日プレゼントが次々と届いた。義兄一家からと、弟から。なんとなく気分が盛り上がる。

正午からお誕生日会スタート。主役の娘は離乳食の進行が遅めなので、ご馳走は食べられないので、大人達でご馳走をパクパク食べた。たくさん揚げた天麩羅は、きっと食べきれないだろうから残ったら夜に天丼でも作ろう…と思っていたのに、1つ2つ残しただけで綺麗になくなり、お土産と、自分達用の予備を見越してどっさり炊いたお赤飯も、お土産用が辛うじて確保出来た……というくらいに、勢いよく食べた。どうやら、義母も実家の母や弟も満足してもらうたようで、嬉しかった。

大人数での食事に娘は始終ご機嫌だった。食事の後、義母が持ってきてくれた大きなバースデーケーキにロウソクを立てて、ハッピーバースデイの歌をうたった。ケーキを食べていたら、インターホンが。娘に電報とのこと。誰かと思っていたら、私の友人達からだった。テディベアのぬいぐるみ付き電報には、いばら姫の魔法使いが、姫に魔法をプレゼントしたのになぞらえて「優しい子になりますように。元気な子になりますように」との魔法が。お誕生日会が盛り上がったのは言うまでもない。友人達の粋なはからいに感謝。

お誕生日会は娘のお昼寝の時間にに合わせてお開きとなった。朝から張り切ったせいか、私も夫も草臥れていて娘と一緒に川の字になってお昼寝。夜、義母と実家の母と電話で話をしたのだけれど「とても楽しかった」とのこと。今回のお誕生日会は娘を喜ばせる会…というよりも、むしろ「おばあちゃん達に喜んでもらいたい」という意味合いが強かったので大成功と言っても良いと思う。

娘が無事に1歳を迎えられて嬉しい。と同時に、今まで力になってくれた人達に感謝を。これからも周囲の人から愛されて、すくすく育って欲しいものだなぁ……と願いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年10月10日(金) いよいよ明日

やっと金曜日。先週、体調を崩してからフラフラ感がちっとも抜けない。今週は家事も出来るだけ頑張らない感じでいたのになぁ。食べられない時期があったせいもあるだろうとは思うのだけど、身体の芯がシャンとしない。顔が濡れたアンパンマンはこんな感じなのだろうか。まったくもって不本意な1週間だった。

いよいよ明日は娘、1歳のお誕生日。義母、母、弟を招いてお誕生日会を開く。献立はお赤飯、お吸い物、里芋の炊き合わせ、キュウリとカニカマの酢の物、天麩羅の予定。娘はまだご馳走は食べられないのだから、大人が喜ぶ物にしようと。義母も母も天麩羅は好きだけど「自分で揚げるのは…」ってタイプなので、喜んでもらえると思う。

大きな怪我や病気をすることなく無事に育ってくれて本当に嬉しい。明日は楽しい1日にしたいなぁ。今日は早めに休んでチャキチャキ動けるようにしたいものだ。

そろそろPCから離れてお赤飯の仕込みをしなければ。家でお赤飯を炊くのって、ちょっと面倒だけど「明日は特別な日だ」という感慨が深まって良いものだ。幸せな作業と言ってもいいと思う。お赤飯、美味しく炊けるといいなぁ……っ事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年10月09日(木) 丸7年

気がつけば日記を書き始めて丸7年が過ぎていた。

日記を書き始めた日はすっかり過ぎてしまっていて、今頃になって気がついた。この日記を書き始めた頃は精神的にだんご虫のようだった。対外的には目一杯虚勢を張っていたけれど様々なことに行き詰まっていて、友人や、ここで知り合った人達には随分と助けられたものだ。

7年の間に色々なことがあった。当時、大怪我をして入退院を繰り返していた愚弟は社会復帰した。この場所がきっかけで親しくなった人と会ったりもしたし、職場はいくつか変わったし。結婚して出産もした。

7年前と今とでは私の生活環境はびっくりするほど変わっている。

変わったのはネット環境だけではない。書き始めた頃はこの日記のような「ウェブ日記」が流行していたものだけど、今やプログ全盛時代。ウェブ日記どころか個人のHPもすっかり下火になっている。たった7年でここまで変わってしまうとは。

何もかも変わってしまったように思うけれど、私の本質と言うか根っこにある部分は変わっていないように思う。この日記を書こうと思ったあの頃のまま、日々ジタバタと足掻きつつ、くだらない事ばかり考えている。

当面の目標は10年日記を書き続けること。もちろん、その先もずっと続けていきたいとは思っている。来年もこうして日記と向き合っていたいなぁ……なんて事を思いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。

今日の日記とは何ひとつ関係のない写真2枚。次々届く娘へのお誕生日プレゼント。木馬…ならぬ木アヒルは友人達から。赤いピアノは義母から。義母はお誕生日会にも来るのだけれど荷物にならぬよう先送り。遠くの友人からはお誕生日カードも届いた。ありがたいなぁ…としみじみ。娘はもうすぐ1歳になる。    









2008年10月08日(水) 金木犀

あちこちで金木犀の花が咲き始めた。存在感抜群の香りは遠くにいても「あっ。金木犀が咲いてる」とすぐに分かる。トイレの香りの代名詞のようになっているけけど、私はけっこう金木犀が好きだ。

しかし、ここ数年は金木犀を植えている家がどんどん減っているような気がする。昭和40年代〜50年代に建てられた家には必ずと言って良いほど金木犀が植えられていた。当時の家は土地が狭くても、今のように土地一杯に家を建てるケースは少なく、僅かばかりの庭木を植えている家が多く、その「僅かばかりの庭木」の中に金木犀は必ず入っていたように思う。

しかし昭和40年代〜50年代に建てられた家は、建て替え時期を迎えていて、どんどんと潰されて新しい家に変わっている。そして新しい家に金木犀はまずもって植わっていない。近年の流行りは花水木…ってところだろうか。あるいは土地パツパツに家を建てたり、ガレージを作ったりするために庭木自体、植えない家も多い。

きっと金木犀は年々減っていくのだろうなぁ。

もしかすると「金木犀=トイレの香り」と言われても「ところで金木犀ってどんな花だっけ?」なんて会話が交わされる日が来るかも知れない。季節を代表する香りも時代と共に変わっていくのは仕方がないことなのだと思うのだけど、少し寂しい気がしてならない。

ずっと変わらないものなんて無い。だからこそ、今一瞬が愛おしく思えるのだろう。金木犀の香りを楽しむことの出来る今を大切に過ごさなきゃなぁ……なんて事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年10月07日(火) 身の丈に合った頑張り方

先週は「首の凝りからくる頭痛と吐き気」で木曜から週末にかけての時間をフイにしてしまった。それどころか夫や娘、実家の母にまで迷惑をかけた。自分が気を付けていても罹ってしまう類の病気なら「仕方が無かった」と思えるのだけど、体調管理がちゃんと出来ていたら回避出来ただけに反省の至り。

歌手や俳優、スポーツ選手といった身体が資本という職業に就いている人達は「体調管理も仕事のうち」と言っているけれど、今回ほど身にしみて思ったことはない。

「首の凝りが原因」と特定してくれた老医師から「家事にしても子育てにしても、もっとズボラしなさいよ」と言われた。専業主婦の仕事ってガイドラインがある訳ではないので「ここまで頑張ればOK」と納得するのはなかなか難しい。

今までも夫は「もっと手抜きしてもいいよ」と言ってくれていたのだけど、家事と育児が仕事だと思っているので「あまり手抜きをするのもなぁ…」と躊躇するところがあった。これは「夫に養ってもらっているから悪い」って感覚ではなく「自分の為すべきことをしないのは駄目でしょう」ってことなのだ。それに「夫と娘に恥じない人でいたい」という気概もあった。

しかしながら、体調を崩して寝込んでしまっては元も子もない。どころか、かえって家族の足を引っ張ることになってしまう。毎日90点の仕事をしていても、0点を取るようではいけないのだ。これからは70点でいいからコンスタントに平均点を稼ぐようにしたい。

世の中には家事も育児もしっかり手がけて、合間にパンやお菓子を焼いたり、子供の服を作ったりする素敵な奥さんも多いようだけれど、どうも私には無理みたい。自分の身の丈に合った頑張り方を模索していきたいと思う。

素敵な奥さんは無理そうなので、これからは方針を変えて「ゆるゆるな奥さん」でいこう。体調管理も仕事のうち…ってことを強く自分に言い聞かせつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年10月06日(月) 臥せっていました

実は私。木曜日から臥せっていました。

木曜日の朝。洒落にならない頭痛に見舞われながら起床。「風邪の引き始めかな?」などと思いつつ夫を送り出し「今日は大事を取って1日のんびりしよう」などと気楽に構えていたら、頭痛はますます酷くなり、起き上がるのも辛いほどに。どうしようもなく実家の母に来てもらい娘を見てもらうことに。

娘に授乳しているため、頭痛薬を飲む訳にいはいかず、じっと横になって我慢していたら、今度は吐き気。しかも強烈な吐き気で食事どころか水分も摂れない状態に。脱水症状になったら困るので頑張って水分を飲むのだけれど、飲んだ後から吐いていく始末。娘の授乳だけはなんとかこなしていたのだけれど、授乳中の娘を放り出してトイレに駆け込んだことも。

あまりにも酷い状態なので流石に脳の病気を疑い病院へ。しかし脳の出血や脳梗塞等ではないとのこと。頭痛薬や吐き気止めは授乳中だと出せないので、様子を見ましょう……とて、診察のみで無念の帰宅。

様子をみていたものの症状が治まる気配は無く、実家の母が自分の診察の際、掛かり付け医に私の状態を話すと「とりあえずいらっしゃい」とのことだったので、母の掛かり付けの医院で診察を受けることに。

母の掛かり付け医はいわゆる「ホームドクター」で、穏やかな老紳士といった感じの人。診察の結果は「首の凝りによる神経痛」とのことだった。要するに「首が凝り過ぎて強度の頭痛が起こり、頭痛のせいで吐き気がおこった」とのこと。軽い脱水状態だったので点滴をしてもらって帰宅した。

結局、その後に行きつけの整骨院で針治療を受けて頭痛も吐き気もおさまったのだけど「たかが首の凝り」で、ここまで酷い目に遭うとは! もともと首の凝りは自覚していたけれど、ここまで酷いとは思ってもいなかった。「凝っている状態」に慣れちゃっていたらしい。

ここのところ疲れが溜まっているなぁ…とは思っていたので、その疲れが一気に噴き出てしまったのかも知れない。回復したとは言うものの、まだちょっとフラフラしている。週末は義母や実家の母、弟を招いて娘のお誕生日会を予定しているので、今週は家事は控え目にして身体を回復させることだけを考えることにしようと思う。

あまりの辛さに「もしかしたらヤバい病気かも」なんて思ったこともあったけれど、その程度のことで良かった。と思うと同時に「そこまで頑張るなよ自分!」と自戒しつつ今日の日記はこれにてオシマイ。

追記 「伏っていました」と題名に誤字が。慌てて訂正。どうにも間抜けでいけません。


2008年10月01日(水) 秋晴れ

昨日、一昨日は2日続けて雨降りだったので、娘と2人で家に缶詰状態だった。

娘が歩くようになってから1日中雨降りなのは初めて。今までは1時間でも雨が降っていない時間があったので、抱っこしてお外を散歩することも出来たのだが、この2日はそれも叶わず母娘してうんざりしてしまった。1日目は靴をはかせて玄関で遊ばせて胡麻化したのだけど、昨日は娘の欲求不満が爆発。実によく泣いた。転んだと言っては泣き、高いところに手が届かないと言っては泣き、外に出たいと言っては泣き。昨日は娘のグズグズに付き合っていたらクタクタになってしまった。

ついていない時ってのは、とことんついていないもので、昨夜は夫が残業で午前様だったのだけど、娘が夫が帰ってきたのに気づいて目を覚まし、1時間ほど大はしゃぎ。外に出られなかった分、エネルギーが発散しきれなかったのだろう。おかげで夫婦して寝不足。夫は眠い目をこすりながら7時前に出勤した。

そんなこんなで、昨日はついていなかったのだけど、今日は午後から素晴らしい秋晴れに! 娘は昨日の寝不足が堪えたらしく1時前にお昼寝してしまった。私も寝不足なので一緒にお昼寝を……と思ったのだけど、あまりにも素晴らしいお天気なので、タオルケットを洗濯してみた。寝不足と披露でグダグダだけど、爽やかな秋空の下、風にそよぐタオルケットを見て自己満足に浸った。

寝不足の時って不思議と妙にテンションが上がる。夕食の仕込みもしたことだしこれからケーキでも焼こうか……などと、たわけた事を考えてしまうほどに。ぶっちぎりたい気持ちは山々だけど流石にどうかと思うので、これを書いたら娘の横でゴロリと転がって本でもよもうかと思っている。

しかし気持ちの良い秋晴れだなぁ。家にいるのがもったいないくらい。デートがしたいなぁ……と唐突に思う。好きな人と手を繋いで歩くって、何が無くても楽しいものだ。街を歩くも良し。緑の多いところを歩くも良し。娘が起きたら散歩に出掛けることにしよう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


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白蓮 |MAILHP