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2013年03月30日(土)
『私のなかの悪魔』

『私のなかの悪魔』@あうるすぽっと

男と女のラブ☆ゲームをミステリ仕立てで。ミステリ仕立てだったんだ、と言うのは最後になって判明するので、ある意味見事にやられたーと言う感じです。とは言うものの、男女の関係ってそもそもがミステリ〜なもの☆ すみません言ってみたかっただけです。ストリンドベリ『債鬼』を、演出の青山真治さんとプロデューサー(メジャーリーグ)の笹部博司さんが翻案。原作が発表された当時、妻は悪女と言われたのでしょうか。今となってはそうでもない…と言うか、男のダメさ加減も際立っているので、なんかどっちもどっちじゃね、とニヤニヤし乍ら観ました(笑)。女はカラッと、男はジメジメ。

しかし原作はどうだか知らないのだが、最後の「四十年後」は余計に思えた。その前の場面であの夫婦はいずれ別れるときが来るだろうなと予測出来る(その別れは夫の死によって、かも知れないが)。お互いの「愛してる」が永遠のものではないとどちらもが判っており、夫婦(男女)間の溝はどうやっても埋まることはない。このストーリーの骨子を「四十年後」直前のシーンは台詞と役者の力で見事に表現していた。ここで終わっておけばよかったのに…これぞ蛇足…と思った……(ひどい)。とよたさんがハケてから、四十年後の姿(おおっぴらに着替えたりとかメイクを替えたりと言うものではなかったが)になる準備がいるためかちょっと妙な間が空いたこともその思いに拍車をかけた。終わった?と席を立つひともいたし。

これ、映画的な時間経過の表現を舞台に持ち込んだらうまくいかなかった、と言うように見えた。青山さんが映画監督だからかな、と思うのはこちらの偏見かしら。いやでも、そう思っちゃう程その前のシーンが素晴らしかったんだよ……。

さてそのラブゲームを演じた三人。闊達セクシー男前な妻を演じたのはとよた真帆さん。山田勳生さんのギター生演奏をバックに唄い乍ら登場、間もなく黒のランジェリー(+網タイツ+ガーター)姿になり、隣席のおばあちゃんが「まああ」と声をあげました(笑)。嫁自慢かコラと思いましたが、いや実際眼福であった。ゴージャス!脚が、長い!もーしばし脚ばっか見てしまいましたね。私はスケベなオヤジか。そもそもこの妻役のキャスティングって青山さんが?笹部さんが?『債鬼』を舞台化する時点で決まっていた?この役のために存在するかのように立っていたとよたさん格好よかったわー。歌にちょっと緊張が見られたところももはやかわいい。男たちをバッサバッサと斬る切るKILL、あの妻を嫌味にならずに(まあ、ムカツクんだけど・笑)演じることが出来るサッパリさ加減もよかったです。ときどき顔を見せる、過去を感じさせる仄暗さもいい。

そしてバサバサ斬られる男たち。いやー教員(元夫)ダメだったわ〜タチわるいわ〜しょうもないわ〜半端な知性があるとこがまたイヤだわ〜教員だけに。理屈で女を所有物に出来ると思ってるような、プライドだけは高い男。なっさけないわ〜。芝居を観ていただけのいち観客がここ迄言えてしまう程です(笑)。しかしこの教員、パンフによるとストリンドベリ本人が投影されているとのことで、この作品も実体験が反映されているとのこと。そう考えると気の毒に…と思ったりもしました。そしてこんだけ自分を突き放して描けるのはすごいと素直に思った。その作家の分身を演じたのは佐戸井けん太さん。こんな気味わるい佐戸井さん観たの初めてかも!貴重!イヤだった!(笑)

そして画家(夫)。歳下である負い目、才能の枯渇への不安、作家デビューした妻への嫉妬を抱え、常に怯え苛立っている。そこを教員につけこまれて…と見せかけて。教員を追い払うための夫婦ゲンカは、演技であると承知し乍らお互いを傷付けている。それが演技だと言うことは、最後迄隠しておかなければならない。難しい役どころですが、こーれーがーよかった。演じたのは高橋から盒兇鵬名し、久々に舞台に帰ってきた盒桐里ん。淡々としたトーンで平易に語る序盤、「あれ、基本の声のトーンが低い」と思う。以前はもうちょっと高音だった…いやはや憶えてるものですね。落ち込んでて元気がない役柄だからかな、それともしばらく舞台を離れて、映像での芝居を身につけた上でこのトーンでいこうと判断したのかな、それとも単に歳とったからかな?などと思う。それが中盤一転、妻に対して激高するシーンはきた!これぞ舞台の盒桐痢な声のトーン、滑舌、芯のある台詞回し。嬉しさのあまり心のなかでガッツポーズ。これが観たかった!!!しかし前述の終盤のシーンでトーンがまた低音に…そうか、教員同様こちらも二重にしてやられたんだ。私が観たかった盒兇んの演技は、夫が演じていた人物だったんだ。と衝撃を受ける。数年舞台を離れている間に、演技のレイヤーが一枚増えたんだ…これは、すごい……。うわーん素晴らしかったですよ。これを機に、またコンスタントに舞台に立ってくれたら嬉しいな。

ウエイター役の足立理さんは、四十年後も妻の世話をやく人物として登場。いいアクセントになっていました。ある意味妖精ぽい。妻も夫も教員も、老いていくのに彼だけが若い。

アドリブなのかなと思える場面も活き活きとしていて、いい座組だなと思いました。とよたさんに立ちはだかられた盒兇んが「デカッ」と言ったのに大ウケ。かわいい身長差だった……。

最近『水の音』を観たり『ビューティフル・サンデイ』DVDを観直したりして、三人芝居好きだわ〜と自分の好みを再確認したこともあり、いいタイミングでもありました。やっぱこのくらいの規模の公演がいちばん好きー。心地よい緊張感、それでいて落ち着く。



2013年03月29日(金)
小林十市 ダンスアクト『Hamlet Parade 〜Last Dance〜』

小林十市 ダンスアクト『Hamlet Parade 〜Last Dance〜』@Shinjuku BLAZE

昨年末DCPRGを観た会場で十市さんのダンス公演と観ると言う、なかなか貴重な…「(不夜城と言われているが)リーマンショック以降眠るようになった(笑)」(菊地成孔談)とは言え歌舞伎町、普段はヴィジュアル系バンドが使うことの多いハコです。スタンディング使いでしか知らなかったのでどうやるのかな、と思っていたら、普通にパイプ椅子ビッシリ並べてありました。場所によってはかなり視界が違ったかも知れない。自分は4列目センターでした。座席段差がないため、前の席のひとの頭に隠れてステップは見辛かったのですが、それにしたってむちゃ近い。バレエをこんなに近くで観たの初めてです。すごい迫力。踏み切りや着地音だけでなく息遣いもハッキリ聴こえるし、汗とか飛んできそうなくらい。高いジャンプのピルエットを繰り返すところは、遠心力でステージから飛び出してきてしまうのではと思う程でした。ひとりしかいないステージが、狭く見えた。

さて、“ハムレットパレード”とは何ぞや。十市さんのインタヴューによると、青井陽治さんのワークショップで扱われていたマテリアルだそうです。シェイクスピア『ハムレット』から、ハムレットの独白(四大独白+二箇所の独白)とオフィーリアの独白、その前後の状況説明を抜粋構成したテキストを通しで演じること。その“ハムレットパレード”にダンスの要素を組み込み、作品として成立させたものが今回の公演。演出と振付は十市さん本人が手掛けており、ハムレットの翻案ものとしても非常に面白いものでした。ハムレット、オフィーリア、クローディアス、ガートルード、ポローニアスを十市さんひとりが演じる。ステージ後方にあるスクリーンに、ハムレットの独白に応じた登場人物が映し出される。この辺り噺家の血が騒ぐのか(自らアナウンスした開演前後の諸注意、ご挨拶もユーモア溢れるもので面白かった)、現れるデンマークのひとびとは茶目っ気たっぷり。しばしここはどう反応していいのか…?って空気が流れたけど、三つ編みウィッグのガートルードやカトチャンペみたいな扮装のポローニアスが出てくると、程なく笑いが解禁されました。ガートルードがちょっと珍しい解釈だった。あの三つ編みといい、仕草といい、とても幼い。その幼さが、先王の死後すぐにその弟の妻となる浅薄さを暗示しているようにも見えました。ブルネットのショートボブウィッグで、妖婉さすら香らせたオフィーリアの美貌とは真逆です。

そう、オフィーリアの解釈も興味深かった。実際にステージに立ち、ダンスと独白があるのはハムレットとオフィーリアのみ。他の人物は映像の外には出てきません。ハムレットからオフィーリアへの変換は、ウィッグと和装の羽織のみ。しかしこれだけでガラリとダンサーの居住まいが変わります。利発そうな、美しい切れ長の目元、低温の微笑。彼女の狂乱は、自覚のもとの結果だったのではないかとすら思えるものでした。激情的に語る役者さんや演出が多い台詞「気高いお心が壊れてしまった!」を、溜息をつくかのような穏やかさで語ったこともそう感じた要因。ハムレットと自分の行く末を悟っているかのようです。そしてハムレットを思い続けるせつない仕草、表情。悲しい初恋。それらを内包したダンスに涙。ハムレットよりずっと大人に見えたオフィーリア、素晴らしかったです。ちなみにこのオフィーリアの扮装、ジョナサン・ケント演出の日本人キャストによる『ハムレット』を思い出しました。このときオフィーリアを演じた中村芝のぶさんには、こけしや日本人形をモチーフとした衣裳やメイクが施されていました。

独白も観客にしっかり通る。現代口語ではない古典の台詞が、その言葉に込められた意味を持ったものとしてハッキリ伝わる。バレエダンサーを引退した後、新たに得た表現方法。ダンスもそうだが、この役者としての十市さんも(当分)観られなくなる。本当に残念。でも、笑顔で見送らないと。来月から活動の拠点をフランスに移す十市さん。ご本人も「どうなるか自分でも判らない」と前置きした上で、家族(フランスにいる奥さまクリスティーヌと愛娘正果ちゃん)と一緒に暮らすことと言うのがまず第一にあり、フランスでバレエ指導者のライセンスが取得出来たことが大きい、と仰っていたので、日本のステージに立つ姿は当分観られないでしょう。公式サイトも三月いっぱいで停止されるとのこと。

使用曲は『第七』全部の楽章に『月光』と、ベートーベンで構成されてました。ところが最後のダンスで使われたのはRADIOHEADの「Exit Music」。これには驚いた!客入れ曲がずっとRADIOHEADで気になってはいたんだけど、ラストに持ってくるとは。この曲はレオナルド・ディカプリオ主演の映画『ロミオ+ジュリエット』のエンディングに使用されて話題になったものでもあります。なので一瞬ちょ、これハムレットじゃなくてロミジュリ!と思いましたが、目の前で繰り広げられる気迫のダンスにそんなツッコミも霧散しました。ハムレットはレアティーズとの決闘で命を落としますが、この“Last Dance”の幕切れは十市さんが自分の腹をかっさばくと言う衝撃的なものでした。『M』の割腹少年を彷彿させる渾身の振付。「小林十市」は一度死に、「小林十一」に戻るのかも知れない。しかしモーリスもミシマも、表現のなかに生きている。十市さんの、これからに対しての決意表明にも思える“Last Dance”でした。

映像に使われた絵画、イラスト、舞台上に置かれた先王の肖像画(王冠を被った髑髏)は天野弓彦さんによるもの。ユーモアとシリアスを行き来するこの公演にぴったりでした。

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その他メモ。

・魔夜峰央先生からお花が来ていてカンドー(笑)。魔夜先生とバレエは深い縁ですが、十市さんと交流があったとは知らなかった。

・物販に『Blog Jump』なるものが。何だろうと思っていたら前のひとが同じことを思ったらしくスタッフさんに質問していた。「十市さんがブログで定期的に撮っていたジャンプ画像をセレクトした写真集みたいなものです」。あっ、これ好き!ブログも終了してしまうし、ログも残らないかも知れないし!と購入しましたよ

・冒頭に本人のコメントが載っていた。「動ける自分を写真に収めておこうと思って始めた」。ダンサーを引退して無意識に跳びたいと思っていたのかも知れない、それを裏付けるかのように『M』でダンサーに復帰してからは、跳ぶことが減った

・「日常生活での風景に跳んでいるひとがいたら?」と言うこのコンセプト、アートとしてもとても面白い。林ナツミさんの『本日の浮遊』を見たとき、あ、これ十市さんが!と思いましたもん(笑)セルフタイマーで撮られた、重力が消える風景。一瞬だけ世界が停まる、ひとりのダンサーが笑顔で舞っている

・これ、まとめられてすごく嬉しい。フランスでもやってほしいな。そして、いつかまたそれを観る機会が作られるのを待っています



2013年03月26日(火)
菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール『JAZZ WEEK TOKYO 2013』

菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール『JAZZ WEEK TOKYO 2013』@シアターオーブ

新宿から来ました菊地成孔と申します。谷底にある渋谷、何かいる感じ、リハでもリードの調子が悪くなったり…楽屋でシャワーを浴びたら×××を流してしまいました。毎回言わなくてもいいこと迄晒してしまうバンマスであった。ときどきこのひと見てるとリスのナトキンを思い出します。ナトキンはフクロウにしっぽ喰いちぎられるの判ってたんじゃないかなー。それでもヤバい方ヤバい方行っちゃうんだよ…オモシロの方を選んじゃうんだよ……。

そんなこんなで何かいそうなシアターオーブ。お祓いのような雰囲気を醸しつつPTAの儀式が始まりましたヨー。しかしホントなんか…なんだろ……ちょっと不思議なハコでした。音響のせいなのか自分の席の位置によるのか、音の座標軸が定まらない定まらない。一音目から生音と、マイクで拾ってスピーカー通した音がびみょ〜なズレを伴って両方聴こえてすごい違和感。微弱音でスタートするから尚更です。そして林さん(Pf)がムラムラで。いや林さんがムラムラしてたってんじゃなくて音のムラがすごくて。リフでリズムとってるときはすっごいクリアに大きく聴こえたのに、ソロになると殆ど聴き取れなくなると言う…よりによってソロで!何故!

あーでもそのおかげで?リズム楽器としてのピアノ、林さんのリズム感を堪能出来た。躍動感溢れる林さんのピアノ、格好いいなー。複合リズムになってどっち寄りで聴こうかな、となったとき、林さんを頼りにすることが多い。

結構前の席のどセンターで、ち、ちかい…こんな前……とビビり、ふと振り返って拡がる大人数収容のハコを見渡してヒーとなったもんですが、オーブでいちばん音の返りがいい席ってどの辺りなのでしょうね……。この劇場のプログラム的にあまり自分とは縁がなさそうなので、次いつ来るか判らないけど、そのときは音響的にハラハラせず聴ける席を選びたいー。ちなみに昨年のトリフォニーホールでも前席どセンターだったんですが、菊地さんに隠れて鳥越さん(Cb)が手元しか見えない、と言うか、菊地さんの股間から鳥越さんを仰ぎ見ることになりました…角度的にアイドルのスカートを覗き込むような体勢で凝視しておりましたがいや、菊地さんの股間を見ていた訳ではないです、ないんですよ……贅沢なのか何なのかもはや判らないセンターの落とし穴。手元が見えれば充分と言う気もしますがいやいや、他の演者とどういうふうにコンタクトとってるのかとか、手の動き以外にも見たいところはあるのです。鳥越さんは演奏中の表情も豊かなのでその辺りも見たいし。田中さん(Tab)と大儀見さん(Perc)のインプロ部分に、Cbのボディを叩いて参加したりもするので、その連携も見たいしー!

聴く側の都合はともかく演奏はすごく格好よかった!ゾクゾクした!いつもそうだが!実際のところ演者からするとどうだったんだろう。吉田くん(1st Vl)、青弦さん(Vc)とアイコンタクトが多かったように感じました。と言えば、ストリングスカルテットの四人は演奏中の笑顔が増えましたねー。なんだろ、緊張感は勿論あるけど、必死感が薄れた。キリキリしつつも余裕がある。リズムに対するリテラシーが揃ってきていると言うか…上手い下手、じゃなくて、感覚がと言う意味で。「(結成して)もう8年?だっけ?」と菊地さんが仰ってましたが、第二期のこのメンバーになってからは何年だっけ。一期と二期ではまた違ういきものみたいになってるからなあ。新譜の制作にかかるそうなので、これからの展開もとても楽しみです。

ゲストボーカルは林正子さん(Sop)と、SIMI LABよりOMSB & DyyPRIDE(Rap, Poetry Reading)。スリリングな「行列」と新たなレパートリーとなりつつある「カラヴァッジオ」、よかったー。菊地さんもかわいがってる感じだし、アンコールで出てきたふたりを正子さんが「ほら、前に出なさい!」みたく背中を押しやって挨拶させてるし、SIMI LABの面々はなんかもー甥っ子姪っ子枠みたいになっててかわいい。ファミリーぽくて微笑ましい。この辺り、「若い衆」だった菊地さんがもはや年長さんの位置に立ってるんだよなーとしみじみしたりします(えらそう)DCPRGが若手編成になったときにも思ったけど。本人弟枠、末っ子鬼っ子枠の自覚ってあったように思うんですよ。でも自分が「若い衆」の面倒見るようになって、それをちゃんと引き受けてるんだな、えらいなーと思ったりしました(笑)。あたりまえっちゃああたりまえなんだけど、実際それを引き受けるのってところにはジャズメンの「義」を感じます。

アンコールは久々の「プラザ・レアル」。『JAZZ WEEK TOKYO 2013』24日に出演したウェイン・ショーターは「ORBITS」を演奏していました。

その他メモ。

・青弦さん、譜面を忘れて一時退場?言及なしのとこがまたいい
・「生まれたときからエースで四番」大儀見元
・まだら



2013年03月24日(日)
『ひかりごけ』、ロシアの話

山の手事情社『ひかりごけ』@文化学院 講堂

1944年に実際に起こった人食事件をもとにした、武田泰淳の短編小説『ひかりごけ』。Wikipediaによると「刑法には食人についての規定がないため死体損壊事件として処理され、食人の是非については裁判では問われなかった」ひかりごけ事件ですが、小説では生き残った船長が裁判で人食について追及される場面があります。

賑やかな通りを曲がるとちょっとした森のような空気。雰囲気のある文化学院の門をくぐると、あのブキミなフライヤー(秀逸!)を掲げたスタッフさんが立っている。講堂は13階にあるとのこと。13と言う数字にこれから観る作品への暗示を感じつつ、足音が響くエントランスを抜け、エレベーターを乗り継ぎ(直通がない)入場口へ。ドアを抜けると、そこは講堂の二階席にあたる場所だった。イントレが組まれ、二階席目線の正面に“四畳半”の舞台。かなりの高さだ。通常の講堂フロアは奈落にあたる。事前にアナウンスされていた“空中舞台”とはこういうことだったのか…初見は現場がいいな、と言う思いがあったので、連日稽古場日誌が更新されていたFacebookは読まないでおいたのだ。毎回山の手の照明を手掛けている関口裕二さんが、今回舞台美術も担当したとのこと。“四畳半”に置かれたキューブ状の装置と演者の衣裳は白を基調としたもの。

この美術の意味は、開演すると即了解出来る。そして話が進む毎にひしひしと恐怖の実感が増していく。開場時点で役者は舞台上にいる。舞台周辺には階段等なかったので、梯子か何かで登ったあとそれは外されてしまったのだろう。柵もストッパーもない。吹雪で身動き出来ない閉鎖空間がありありと立ち上がる。ここを出られるのは救助が来たときか、或いは死ぬときだ。案の定船長以外の三人は、遺体となって次々に転落していく。内容に集中しつつも「高所恐怖症の役者さんだったらさぞや…」等と思う。しかも死んだらすぐ落ちるのではなく、実際の状況通り生存者のすぐ傍に「凍り付いた死体」として一幕ラスト迄転がったままなのだ。それを横に「食べるか、食べないか」言い争う(と言っても皆衰弱しているので、やりとりは静かだ)生き残りたち。時間経過を表すための演者移動はところどころあるが、いちばん最初に死んだ五助役の山本さんは、腕を空中にあげたままのポーズで微動だにせず長時間を過ごす。相当キツかったのではないだろうか。山の手の役者陣の鍛錬に改めて恐れ入る。

「食べるか、食べないか」には、それぞれの理由がある。人間の肉を食べるなんて、とか、仲間を食べるなんて、と言うこととは少し違う。八蔵は「五助と約束したから食べない」、船長は「天皇陛下のためにもここで犬死には許されない」。真実は所謂“薮の中”で、生き残った船長しか知り得ない。観客はその“薮の中”に立ち会うことが許されている。極限状況に置かれた人間がどのような信念を持つか、信念等まるで役に立たないか、ひたすら想像し乍ら観ていくことになる。

休憩なしと言うことだったが、一幕が終わった時点で移動を知らされる。誘導され、用意されている椅子に座る。目を上げると、さっき迄自分がいた二階席が正面にある。二幕の客席は講堂の舞台上だった。舞台の上からフロアにいる演者を見下ろすことになり、視点が変わる。法廷劇が始まる。被告は船長。最初に死んだ五助が検事、五助を食べることを拒否して次に死んだ八蔵が裁判長。五助を食べ、その後錯乱して外へ出て行き船長に殺された(とされる)西川が弁護人となっている。検事の発言に反応して照明が当てられたり、拍手やどよめきの音が鳴らされたりして、白い布が掛けられた二階席が傍聴席に見立てられていることが判る。検事は何故五助を食べたのかを問う。船長は「ひとを食べたことがあるか、自分がひとに食べられたことがある」者と話したいと言う。ひとがひとを裁くことの矛盾、何に命を預けるか、と言う信仰的な問いがずしりと目の前に転がる。

ひかりごけの“光の輪”の表現がちょっと惜しかったです。綺麗な緑色の照明オペがピンスポ状でちょっと我に返った(苦笑)。講堂の機構上あれが限界だったのかな。会場配布の『演出ノート』に、この光の輪について興味深い新解釈が書かれていたので、もうちょっと繊細な表現で観たかったです。しかしそれ以外はすごく好きだったなー。美術も衣裳も、演者の在り方も。他では観られない山の手メソッドも。

個人的にはこの手の作品と言うと、ウルグアイ空軍機571便遭難事故をモチーフとした野田秀樹『二万七千光年の旅』が思い出されます。ちょっと視点をずらすと清水玲子の傑作『22XX』も。命を「いただく」こと。食べることは命を受け継ぐこと。

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よだん。

・前日シエナの帰りに千鳥ヶ淵の桜見に行って靖国神社にも寄ったのでいろいろ考えちゃいましたよ……

・安田さんは相変わらずダンディであった(毎回言うてる)。幕間率先して観客を誘導しておりました

・今『レニングラード封鎖』って本を読んでるんですが、人為的に起こされた飢饉の地獄っぷりに震撼しているさなか『ひかりごけ』観たもんだからもー、もー(泣)ごはんだいじ

・おかしい…もっとロシアのかわいい雑貨とか、ロシアのおいしい料理やお菓子について詳しくなりたいのに!なんで飢饉とか恐怖政治について調べてるんだ!

・いや、流れは把握してる…『チャイルド44』に出てくるウクライナ飢饉について調べているうちに何故か飢饉繋がりでレニングラード包囲戦について調べ始めてしまったんだ

・しかしこの『レニングラード封鎖』、白水社のメルマガ購読してなかったら知らないで済んだ筈だ(いやどうか)。白水社のメルマガを購読し始めたきっかけは、岸田戯曲賞についてのアナウンスを知りたかったからだ。なんだかんだで繋がっているのだ(泣)

・とは言うもののロシアのかわいい雑貨やロシアのかわいいお菓子もこつこつチェックしています。こないだ初めてのマイマトリョーシカがウチにきたー。さとうあいさん作の『トラネコマトリョーシカ 赤い花 3ピース』。吉祥寺のギャラリーで一目惚れ、その後名古屋のロシア雑貨店に売りに出されているのを知ってウチに来てもらいました、うふー。通販伝票に店長さん直筆のご挨拶やマトについてのコメントが書かれていて感動。またおかいものしたいー

・ちなみにこのロシア雑貨店はリャビーナと言います。『ぬくもり雑貨いっぱいのロシアへ』(面白い楽しいかわいい!写真も満載)の著者、花井景子さんのお店です

・そんでロシアンチョコ!アリョンカの六角形包装チョコがとうとうウチに来た!こちらは大阪からの旅

・てか東京にロシアものを扱っているお店ってないのだろうか。輸入雑貨店にちょこっとあったりはするけど、ロシア専門店は阿佐ヶ谷の一軒しか知らない…ここは食材やお菓子は扱ってないようだし

・前半と後半で空気が違い過ぎますね…別頁に書けばよかったかしらんこれ……



2013年03月23日(土)
シエナ・ウインド・オーケストラ 吹奏楽名曲ヒットパレード

シエナ・ウインド・オーケストラ 吹奏楽名曲ヒットパレード@文京シビックホール 大ホール

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P. デュカス『ラ・ペリ』のファンファーレ

■吹奏楽コンクール課題曲集
岩井直溥『復興への序曲「夢の明日に」』(2013年)
福田洋介『吹奏楽のための「風之舞」』(2004年)
真島俊夫『五月の風』(1997年)
齋藤高順『行進曲「オーバー・ザ・ギャラクシー」』(1980年)
東海林修『ディスコ・キッド』(1977年)

■真島俊夫のアレンジパラダイス
A. ニューマン『20世紀FOX ファンファーレ』
J. ウィリアムズ『「スター・ウォーズ」メイン・タイトル』
久石譲『ジブリ・メドレー』
C. コリア『スペイン』
すぎやまこういち『吹奏楽による「ドラゴンクエスト」より』
(全て真島俊夫編曲)

■共演ステージ
和泉宏隆(真島俊夫編曲)『宝島』
V. マッコイ(岩井直溥編曲)『アフリカン・シンフォニー』

J.P. スーザ『星条旗よ永遠なれ』

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タイトル通り吹奏楽の真髄聴かせたれなヒットパレード、むちゃ楽しかった……。冒頭の『ラ・ペリ』のファンファーレからもうアガりましたよ、これ!これ知ってる!聴いたことある!どこで?何で!?おーもーいーだーせーなーいーーー!!!吹奏楽ってこういうの多いんだよ…1984年のロサンゼルスオリンピックで使われてたあのファンファーレも「ロス五輪のファンファーレ」としてしか認識してなかったし(今日調べた…ジョン・ウィリアムズがロス五輪のために作曲したオリジナル「オリンピック・テーマ&ファンファーレ(Olympic Fanfare and Theme)」だそうです。てかジョン・ウィリアムズて映画音楽の大家ではないか)。当時金管の先輩(当方吹奏楽部)がすっごい練習してたわー、披露する場もないのに。なつかしいわー。と言う世代です。しかしこのファンファーレ、数あるオリンピックのファンファーレで群を抜いて格好いい+認知度高いですよね。

話戻してって『ラ・ペリ』のファンファーレ、どこで聴いたんだろ…あーもーむっちゃ気になる。

そして課題曲集。知ってる年代のはありませんでしたが、作曲者プロフィールを見て真島俊夫さんが『波の見える風景』の作曲者であることを知る。これが本格的デビュー曲らしい。はーなつかしい!ここの世代です!これ、Bだった!むっちゃ好きだった!これかA『オーバーチュア・5リングス』をやりたかったんだけど楽器編成がどうにも無理で諦めたんだか先生が無理っつったんだかで…あれ、CかD、どっちをやったんだっけか……。AかBをやりた過ぎて実際に演奏したものを忘れている。あ、余談ですがちょっと前、twitterのTLに5リングスがどうこうって流れてきたのを思い出したぞ。5リングスは確かティンパニ6音使いで、ペダル式だったら曲中チューニング早替えで4台あればなんとかなるんだけど、ウチの部は貧乏で手回し式の4台しかなかったからやりたくても出来なかったんだ(泣)。同様にチューブラーベルなんてなかったのでヴィブラフォンを金属マレットで叩いたり、オーボエはフルート、ファゴットはサックスでやってましたよね……『波の見える風景』はチューブラーベルのパートがあった、確か。な、なつかしい……。そんなこんなでいろいろしみじみ。

真島さんと福田さんのトークがちょっとあったんたけど、委嘱されなくても公募の課題曲にも応募する、と言ってました。名が知られている作曲家も応募してくるので、審査は作家名を伏せて行われるそうです。課題曲を作る際のポイントは、課題曲だけに何度演奏してもやりきった感じがしない、課題が浮き上がる内容にすることだそうです。簡単過ぎると練習から本番迄の間に飽きちゃいますしね。

その真島さんは吹奏楽編曲家の第一人者でもあります。今回の特集でその手腕を堪能。『20世紀FOX ファンファーレ』から間髪入れず『「スター・ウォーズ」メイン・タイトル』が演奏されたときの多幸感と言ったらなかった。あのスネア、金管!吹奏楽アンサンブルの素晴らしさよ…鳥肌ぶわぶわ立ちましたわ。すごかったのは『スペイン』、Tpソロが有り得ない高音。確か原曲ではピアノがやるところ…「すんごい高いんですけどねー、でも吹奏楽でやるからこそTpで」と真島さん(笑)。あんな高音出すTp初めて聴いた…ソロを終えた砂川さん、ガッツポーズしてました。いーやー格好よかったー!!!えーこれ録音盤ないのかな、めちゃよかったですよ。

「共演ステージ」は初の試み。シエナではプログラム最後に『星条旗よ永遠なれ』を楽器持参の観客と合奏するのが恒例ですが、今回リハーサルから複数の曲を一般公募者と共演すると言うもの。抽選になる程の応募数だったそうです。何人かインタヴューされてましたが、中学生から五十代、秋田からこの演奏のためにやって来たひとも。「志望高校に合格したご褒美にとお母さんが応募してくれてて」なんてお嬢さんもいらっしゃいましたよ。よかったねえ。この時点でステージぎゅうぎゅう、しかし人数多いとやっぱ管の迫力がすごい。

指揮者はシエナ初登場、小松長生さんでした。いいキャラクターでパフォーマンスにも華がある。『星条旗〜』での演奏者入り乱れには若干面喰らっていたようでしたが(苦笑)指揮棒を持ってきたちっちゃい子を指揮台の上に載せてあげたりしてて微笑ましかったです。



2013年03月20日(水)
『マシーン日記』

東京芸術劇場リニューアル記念『マシーン日記』@東京芸術劇場 シアターイースト

いやはや、やっぱ傑作…あんまり簡単に使える言葉じゃないけどやっぱり松尾さんて天才だと思う……。

クローズドな空間で起こる悲喜劇。噴き出してみないと外部の者には判らない出来事、渦中のひとの精神状態。そこに足を踏み込んだ外部、つまり第三者に示されるのは結果なので、「何故?」がある。しかし過程が明らかになったとしても、そこに理解は得られるだろうか。理解があろうが起こることは起こる。「あれ、おかしいぞ?」は外部とのコミュニケーション時に必要なもので、膨張していく内部には必要ないものだ。渦中にいるひとたちは、そこが居心地がいいからついついいてしまうのか、そこ以外でやっていける(生き残れる)か判らない恐怖心からか、そこでしか自分の存在価値を感じられないのか、内部圧がどんどん高くなる場所にい続ける。しかし、最後には外部に出て行く。

昨年の『ヒッキー・ソトニデテミターノ』を観ていたことがちょっとしたヒントになった。コミュニケーションを求めて求めて、それはどこ迄行ってもディスコミュニケーションで、それでも外に出て行く。“果て”は外部にある。外部には、法律に代表される、他者同士が共存していくためのルールがある。内部のルールと外部のルールは違う。そこで彼らはまた難儀する。自分と言う異物、他者と言う異物が共生する日常を生きる。ずるずるべったり、仕方ないよと神さまに言い訳し乍ら、自分を見ている誰かを騙くらかし乍ら。

そこに『オズの魔法使い』のモチーフを持ってくるなんて、松尾さん以外の誰が考えようか。サチコの素足は目に見えない銀色の靴を履いている。踵を三度鳴らす。魔法はどこへでも連れて行ってくれる。虹の彼方へ。ライオンも案山子も、ブリキの木こりもいる。もーこの四人のヴィジュアルが揃ったときは、笑い乍ら泣いたもんね。そしてとにかくホンがすごいので、松尾さんの演出家としてのすごさって一見判りづらいんだけど、今回「役者にああいう演技をつけられる」人間を操作する力をも思い知らされた感じです。これもある種神の手。

そしてその掌の上で、神さまを騙くらかそうと七転八倒する役者たち。そう、このせめぎ合いが演劇の醍醐味ですよ!作家が描いたヴィジョン外のものも舞台上に現れる、一方的には成り得ない関係。新キャスト、すごくよかった!オクイさんが圧倒的。アキトシはどうしようもなく不器用で、問題と答えは解っているのにそれをひとに伝える式を持ち得ない。どうしよう、こんな筈じゃないのに、こうなる筈なのに、と泣いている自分のなかの自分があの目の奥に顔を出す。パントマイムやダンス等の身体表現もキレッキレでした。杏ちゃんのサチコにももうひとりの自分がいる。彼女の身体には日に日に傷や痣が増えていくけれど、暴力行為は直接舞台上には出てこない。その「見えない部分」を表現するための二面性みたいなものを感じました。ミチオは登場人物のなかでは(なかでは、ね…)比較的マトモに見える役だけど、少路くんはそのマトモがクズだと言う痛さをヒヒヒとほくそ笑み乍ら見せつけてくる。眼前に鏡を突きつけられているかのよう。そしてリエさんの“マシーン”には随所に血が通う瞬間がある、その血流に愛情としか言いようのないものを感じる。格好いい!

とにかく激しいので全員怪我なく千秋楽を迎えられますように…ってもう誰か怪我してそうだがなあ。せめて最小限の怪我で終えられますように!

余談。

・工場の装置がぐるりと回り、脚を斬られちゃったミチオが舞台上に姿を現した瞬間、隣席の男性が「あらら…」とぽつり。つられて笑ってもうた。芝居中に喋らないで!ここはお茶の間ではありません!って注意あるけど、ときと場合によってはいいもんだなと思いました(笑)

・観劇してからと言うもの、脳内でマイコーのスムースクリミナルがかかりっぱなしです。タスケテ
・同様に「スパイダーマン!スパイダーマン!」「リンパ流したいっす!リンパ流したいっす!」が耳から離れん。タスケテ

・途中蛍光灯のひもの先についてたドラえもんが上の方にひっかかっちゃったんだけど、それを芝居し乍らさりげなく棒でつついて元に戻そうとしてたリエさんかわいかった。結局とれなくて、転換のときになおしてたみたい



2013年03月16日(土)
『探偵〜哀しきチェイサー2 雨だれの挽歌』

音楽劇『探偵〜哀しきチェイサー2 雨だれの挽歌』@紀伊國屋ホール

作・演出マキノノゾミ、音楽coba、振付南流石の音楽劇。座長はジュリー!以下ネタバレあります。

M.O.P.の『黒いハンカチーフ』路線つまり『スティング』なのですが、最初のクライマックスが種明かしされたときの客席のどよめきがすごかった。笑顔でやられた!騙された!ってな観客の一体感、こういうのを肌で感じられる舞台っていいな、楽しい。「野太い声の赤い髪の女」と言う情報から秘書の仕業かなと思わせておいて実はああだった、と言うミスリードもお見事。『スティング』知ってるひとはあーあれかーと思うし、『黒いハンカチーフ』観てるひとはあーあの路線ね、と野球賭博を仕掛ける辺りから気付いてニヤニヤする訳ですが、最後のもうひと波乱が物語に華を添えます。これがあるのとないのでは印象が大きく変わる、甘くも苦いドラマ運び。『黒いハンカチーフ』ではも少し苦みが優しかったかな。

その「苦み」は、南野陽子さんの力に依るところが大きかったです。そうしないと女性が生き延びられなかった時代背景、残酷な偶然によって過去と対峙しなければならなくなったときの決断。夫と子供を無惨に殺された(と言っていいと思う)憎しみを二重に隠し、男たちを手玉にとる女性を鮮明に演じていました。あの声も強くていい。したたかだと言うにはあまりにも過酷な彼女のこれ迄の数年間、そしてこれからの、死ぬ迄の長い時間。秘密を見抜いたジュリーとの最後の会話の粋なこと、そして苦いこと。昭和三十四年の神戸元町、柔らかく愛嬌のあるお国言葉で語られる彼女の人生は胸に迫り、彼女がこれから穏やかな暮らしを送れるようにと強く祈らずにはいられない。舞台上の、実在しない人物にこれだけの思いを起こさせる力がありました。

そんで、ジュリー!ジュリーって言っちゃうよねー!人生初ジュリーの生歌聴けてヒデキカンゲキ(まちがい)、あの声だったよ…ギフト、ギフトな声。随分恰幅よくなってカポネかって感じでしたがいやいや強きをくじき弱きを助ける素敵な陰ある人物でした。そんでまたお国言葉がいい。いろんなことを諦めているようでいて、笑顔と強面の裏で涙を流すひとに気付く敏感さがあり、手を貸さずにはいられない。あの柔らかい口調でぽつりぽつりと語られる言葉と、一転力強く唄われる「雨だれの挽歌」、引き込まれました。歌声ですっかり世界が出来てしまう。

と言えば生ナンノも初であった。唄いだしはちょっと緊張したが(こっちが)、いやいやごめんなさいもう歌手としてもベテランですものね。ナンノのあの声で、舞台での歌。よかったよう。最近舞台で観る機会の多い“ビジネスウーマン”(て言葉があったんですね)東風万智子さんや、ジュリーを見守るママ小椋あずきさん、声を活かした“少年探偵”小飯塚貴世江さんらの女優陣が皆素敵。勿論男優陣も格好よかった!当時を再現した衣裳もよかったです。

「2」と言うことなので、ほぼレギュラーメンバーなのかな。独立して観てもとても楽しめたので、次があったらまた観に行きたいな。



2013年03月15日(金)
『水の音』

水曜日の『鈴木勝秀(suzukatz.)-130313/ウエアハウス』@SARAVAH Tokyoは後程ー。

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『水の音』@エコー劇場

日本劇団協議会『日本の演劇人を育てるプロジェクト』の『「日本の劇」戯曲賞2012』最優秀賞受賞作品、ナガイヒデミの処女長編戯曲。ドラマドクターとして土田英生が戯曲の弱い部分に直しを施し上演台本を完成させたようです。演出は劇団民藝の丹野郁弓、出演は小須田康人、近江谷太朗、津田真澄。四国、澪村で育った幼馴染み三人が久し振りに集まる。「もう半世紀生きている」男女の傷跡、孤独、秘めた思い。以下ネタバレあります。

死者、恋愛、宗教、事故等扱われる情報が多く、端々に唐突さはあるのですが、いきいきとした台詞のやりとりでそれらがどんどん区画整理されていきます。このテンポのよい会話に引き込まれるうち、過去彼らに何が起こり、どのような影を落としているか見えてくる。川の事故で死んだ敦志の姉のエピソードと、敦志、楓太、奈津が“仲間”だった水泳部。そのふたつを繋ぐ、学校の立派なプール。登場人物たちを結びつけるものとして、そして敦志に内在する姉の象徴として、タイトルにも使われている水と言うモチーフが、美しさと畏怖を伴い印象的に描き出されます。

その“水”、演出でも実に効果的に使われていました。半地下を思わせる敦志の店の窓から見える雨だれも美しかったのですが、終盤店の床に音もなく本水が流れ込んできているのに気付き驚く。そこにあるべきではないものが突然目に入ったときの衝撃は忘れ難い。いや、やられた。静かに嵩を増していく水に、敦志は身体を委ねていく。水に、死に魅入られたかのような敦志の姿の美しさには思わず息を呑みました。舞台縁にはストッパーがあり、勿論客席側に水が流れ込んでこないようになっていたのですが、最前列にビニールシートと注意書きが配られていたことは終演後気付きました。

敦志を演じたのは小須田さん。いやもうね、小須田さん好きなひとは是非観に行くといい…そんな筈はないのにまるであて書き?と思ってしまうような面と、普段あまり見られない…と言うか、見せないようにしているのであろう部分……の両面観られます。見せないようにしてるってのはこちらの勝手な思い込みですし、実際役者さんですからそう見せることも自在な訳ですが、それにしても……。抑え、隠して、最後の最後に溢れ出た感情が恋愛感情って、小須田さんの役では非常に珍しくかつ貴重ではなかろうか。色気のある役者さんですが、それを前面に出したことってなかなかないのでは……。

と奥歯にものが挟まったような物言いですが、具体的なことを言うと私小須田さんのキスシーンて多分初めて観た。『ソープオペラ』でもハグだけだったと記憶している。『ビューティフル・サンデイ』ではどうだったっけか…そもそも第三舞台でキスシーンと言うものはなかったし……いや最終公演『深呼吸する惑星』で大高さんと山下さんのキスシーンはあったが、あれはコメディ演出として受け取りましてですねええはい。そしてこの劇場、段差が結構あって非常に視界のいい座席配置で、しかも二列目だと役者さんの目線と丁度同じ高さだったもんですからしてしかも結構近距離でもうどれだけ私がわああああああ!!!!と(心のなかで)叫んだか察してほしい。はあはあはあ、この狼狽を誰かと分かち合いたい。いや別にキスシーンて珍しくないけど、小須田さん…小須田さんがですよ?しかも直球のラブシーンですよ!?無表情で舞台を見詰める私の心のなかがどんだけ動揺していたか誰かわかって……。

しかしとてもいいシーンであった。半世紀も生きてきて、ずっと秘めておくつもりだった思いをさらけ出してしまったふたり。傷を舐めあうことになるかも知れない、それでも踏み出してしまう。水と戯れていた若い時代を思い返すかのような、言葉通りの美しい濡れ場に映りました。

ドラマドクターがどのように戯曲を手直ししたかは判りませんが、当日配布のリーフレットに「女性(の作者)だからこそ生身の自分(女)をさらけ出すことがためらわれ、女性がいまひとつ描き切れていなかった。土田さんはそこの部分を引き出した」と書かれていました。劇中奈津が思いを爆発させる台詞があるのですが、そこかな。その台詞を受けた敦志と楓太の言葉によって、男女の感情を抜きにした“仲間”が実はお互いの意識を基盤として維持されていたことが明かされる。数十年後の理解は戻らない時間の重みを感じさせる。印象的なシーンでした。この機微、年齢を重ねるとより実感が強い。大人の舞台。じわりと心に残る作品でした。

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・それにしても小須田さんは人魚の肉喰った族だなとしみじみ。最初観たときから殆ど姿形の印象変わらん……
・“マスター”と言うと大高さんだろうと思ってしまう第三舞台病
・しかしエプロン姿でコーヒーを淹れる小須田さん素敵でしたよ

・近江谷さんはあっちの女にフラフラこっちの女にフラフラと言うおいしい役であった(笑)が、こういうある意味幸福な役を悪びれずに表現するって難しいですよね。ちょっとのさじ加減でいや〜な役になってしまうところ、愛すべき人物をつくりだしていていました

・津田さんのさっぱりした物言い、“仲間”を印象づけるのに効果的で気持ちがよかった。それが瓦解して本音をぶわっと放つときの落差が衝撃的でもあり、女性として共感もし。これを虚勢と思うか照れの裏返しと思うかでも解釈が分かれますが、男女の押し引き(敢えて駆け引きとは言わない)の複雑なとこですよね。心に刺さりました

・エコー劇場初めて行きました。いいハコ!テアトルエコーのホームだったんですね。納谷悟朗さんについて何かあるかな…と思ったけど、劇場と事務所の入口は別だったので判らなかった。お別れの会はこちらで開かれるんですよね



2013年03月13日(水)
『鈴木勝秀(suzukatz.)-130313/ウエアハウス』

『鈴木勝秀(suzukatz.)-130313/ウエアハウス』@SARAVAH Tokyo

配役はサトウトオル=田口トモロヲ、トミヤマショウジ=ヨシダ朝、ピアニスト(=演奏)前嶋康明。テキストはこちらからダウンロード出来ます

トモロヲさんもヨシダさんも過去の『ウエアハウス』シリーズ(リストはこちら)に出演していますが、この組み合わせは初めてですね。伝えやすいので『動物園物語』をなぞって言うと、トオル=ジェリー、ショウジ=ピーターになります。ちなみにトモロヲさんは1993年、中島陽典さんとのユニットCroMagnonで『動物園物語』にインスパイアされた『ZOO』と言う公演を打ち、ジェリーに当たる人物を演じていました……って、さっき『ZOO』を検索していたら、2003年に中島さんが再びピーターを演じた『動物園物語』があったと言う記録を発見。しまった知らなかった!ああ観たかったよううう。

さまざまな形態で何度も繰り返し上演されている『ウエアハウス』。上演が繰り返されるうち、ふたりの登場人物像がだんだん溶け合ってきているようにも感じます。もはやどちらがどちらだか。ある意味命の、人生のリレー。

さてこのスズカツさんのサラヴァシリーズについては、ここんとこレポートと言うより妄想を書くようになっているので(いつもか?)具体的なことは後半に。ぐぐっとスクロールしてください(笑)。

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レイ・ハラカミが亡くなったのは一昨年の夏フェスシーズンまっさかりの頃だった。そういうタイミングもあって、縁のあるアーティストたちは出演したフェスで、さまざまな形でハラカミくんを悼んだ。矢野さんはyanokamiで出演が決まっていたフェスで演奏を続けた。そのyanokamiが出演するサマソニ前夜に起こったこと。

twitterのログを見ていたらあるツイートが目に飛び込んできた。RSRでまりん(と未だに言ってしまう…砂原良徳)がハラカミくんの曲を完コピしている!続いていくつもRTが飛ばされてきた。agraphくんのツイートが的確にその状況を知らせていた。

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@agraph 砂原さんがRSRライブでハラカミさんのjoyをカバーしました。オリジナルからのサンプリング無し、88使用せず、という環境下での完コピ。映像は高谷さんからお借りしたオリジナルでした。 http://twitpic.com/65fdtv
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その後agraphくんも「unexpected situations」をカヴァーしていたなあ。

これの何が『ウエアハウス』と関係あるねんとお思いでしょう(笑)。しかし自分は、トモロヲさんとヨシダさんのやりとりを聴き乍ら、このことを思い出していました。「オリジナルからのサンプリング無し、88使用せず」。

ハラカミくんの機材はMac OS 9とローランドSC-88proがメイン。「あの機材を使っているからこその音」と言われることもあり、本人もこのMacが動かなくなったらもう…なんて冗談めかして言っていた。ところがまりんは、ハラカミくんの「JOY」を耳コピし、違う機材で完コピしたのだ。「あの機材を使っているからこそ」を無効にする。ハラカミくんはこのインタヴューにもある通り「(同じ機材を)使い続けることで想像力が伸びていくモノだ」と言っている。まりんは自分の使っている機材に想像力を宿らせたのだ。

扱うひとの器官と想像力によって変貌し続けるもの。逆説的ではあるが、違うものも、同じものも生み出せる。

翌朝、まりんからのメッセージがRTされてきた。『完コピされるのが嫌なら長生きすること』。またもや逆説的。まりんらしい追悼の仕方だった。

てなことを、まりんがリマスタリングしたDE DE MOUSE『tide of stars -Ultimate Edition』を聴き乍らつらつら考えていた一週間。今朝(書いてるのは19日)TVでサカナクションによってハラカミくんの曲が紹介されたと知ってにんまりしている。曲は残る、音は残る。こうやって繋がっていけ、続いていけ。

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・役者がふたり、音楽家がひとり。『ウエアハウス』の初演を思い出すメンバー構成でした。ヴァイオリンとエレクトロニクス、ピアノと言う楽器の違いも興味深く
・音楽と音効がピアノで奏でられ、音響でホワイトノイズが張り巡らされる
・いぬの声もピアノ!かわゆい(その後可哀相なことになる訳だが)
・トモロヲさんがピアノに近付いていって前嶋さんとノイズ連弾、いぬを黙らせる=音を止める。わーん

・今回のホンは、一昨年の演劇集団円とのコラボ『ウエアハウス[circle]』をふたり用にリライトしたものとのこと
・[circle]ではふたりの年齢設定が『動物園物語』とは逆転しているところや、ジェリーに当たる人物にこどもがいない理由が「結婚が遅かったから」になっていた
・過去の『ウエアハウス』では「妻には子宮がない」ためこどもがいない、と言う台詞があり、[circle]でそれを削除したことも興味深かった
・それが今回「子宮がない」が復活し、なおかつ「結婚が遅かったから」になっていた
・こういう細々した違いが興味深く面白い。演者の年齢(見た目含)から喚起されるものも多い

・しかしトモロヲさんは塚本監督言うところの「博多人形のような肌」を持つ年齢不詳さんですからもう訳がわかりませんね(笑)いや実際の年齢知ってるけどホント若々しーよね……
・年齢や生活環境の違うふたりが根底に通じるものを抱えている。今回の出演者、世代的にはほぼ同じくらいなんだけど、その同じ世代でも細分化されてきて、いくらでも違うしいくらでも同じ。と言うところが面白い
・トモロヲさんの「突っ込んだ話はこれから☆です!」て言い回しに大ウケ。他にもちょっとしたトーンやアクセントの違いで笑いを呼んでいた

・と言えばヨシダさんの「たすけてくださーい」がよかったなあ、沁みた。恐怖と緊張のあまり喉が絞まって声が出ない感じがまざまざと。ああ、きっと誰も気付かない、誰も来ない。助けてくれるひとはいない
・ヨシダさんの声でギンズバーグ聴けて嬉しかった!堪能した!

・かめ大好きだし飼ってたこともあるのでかめをディスるのは許さねえ
・あーかめかわいい!

・“いぬの長ゼリ”をピーターに当たる人物が語るラストシーン、好きなんだー
・実際『ウエアハウス』において、『動物園物語』の“いぬの長ゼリ”は減りつつある。もはやあの長ゼリがなくなっても『ウエアハウス』だなーってとこに行きつつあるんだな
・やがてジェリーに当たる人物、ピーターに当たる人物、と言う説明も出来なくなるんだろう

・ホンの表紙、今回ポストカードにもなっていたアートワークのマテリアルが多分『教授』の宣美で使われていたTVの写真を加工したものだったり、前嶋さんの音楽「ウエアハウスのテーマ」が教授の「トニー滝谷」(あー!)であったり、前嶋さんの「100歳の少年と12通の手紙」であったりと、ここにも溶けてる感じ。いずれどれがどの作品だったか曖昧になっていくかもな
・それは自分の記憶力の問題かも知れないが(笑)
・ん、ややこしくなってるな。『教授』は先月上演されたスズカツさんの舞台、教授は坂本龍一
・既に溶けつつある、自分の脳が



2013年03月10日(日)
『ジャンゴ 繋がれざる者』

『ジャンゴ 繋がれざる者』@新宿ピカデリー スクリーン6

タランティーノのマカロニ・ウエスタン!あーもう大好き。何から書けばいいの〜。以下ネタバレあります。

タランティーノの、と言うところがミソで、ジャンル映画(今回はマカロニ・ウエスタン)への知識と愛情がありったけぶっ込まれています。そしてここだいじ、面白い映画は元ネタが判らなくても面白い。元ネタは後で知ればいいのです。終わってからのパンフ熟読、サントラ鑑賞等復習も楽しい。このシーンにはこんな背景が、あの台詞にはこんな意味があったんだ。作品自体を楽しみ乍ら、ジャンル映画の歴史も知ることが出来る。タランティーノは自分の大好きな映画を、自分の作品に折り込んで紹介する。映画って楽しいよ、このジャンルも、あのジャンルも。元ネタも是非観てみてね。映画鑑賞は一大イヴェント!映画は人生!そんな思いが詰め込まれてる。

そして映画だからこそのフリーダム、リアリティ追求とかなんぼのもんじゃい。時代考証に関しての大ボラは清々しい程です。この辺り『イングロリアス・バスターズ』から磨きがかかっています。その状況下で登場人物の“ほんとう”が光る。南北戦争の二年前にダイナマイトがあったら、ジャンゴのような、シュルツのような人物がいたら。その対面に実際にいたであろうキャンディのような、スティーヴンのような人物と、善良な差別主義者―例えばキャンディの姉ララ・リー―を置く。当時の「あたりまえ」、黒人奴隷がヒトではなくモノであった時代、アメリカの恥部を徹底的に描写する。

そこに絶妙に挿入されるヴァイオレンスとユーモア。映画のまえでは偽善をはがせる。映画の登場人物に対してなら、思う存分憎んでもいいのだ。ジャンゴの復讐劇は、現実に起こりえなかったことだからこそ悲しく爽快なのです。キャンディの蛮行に歯ぎしりし、ララ姉さんの最期に爆笑しました。大ボラのなかで生きる人間の真実に、「ねーよ!」と笑い乍らも涙する…このバランス感覚はタランティーノ作品ならでは。ちなみにタラちゃんが爆発するところは反射で笑ったわ…あの役おいしい(笑)。

時系列のシャッフルっぷりも健在で、ヴェルディ「レクイエム 怒りの日」をBGMにちょーかっこよく登場したKKK前身団体のシーンをぶった切った直後に、出発前被っているマスクで揉めてたゆるゆるシーンを置くと言うコントな脱臼っぷり。反面、見えない未来が破滅を呼ぶ―キャンディへの深読みがブルームヒルダ奪還計画に綻びを生む―やるせなさ。そうそう、前述のKKKゆるゆる話とキャンディの骨相学講座の対比も冴えてたなー。片やダラダラ無駄話、片やみるみる高まる緊張感。“幸運の手配書”の行方や、ジャンゴがシュルツの遺体にかけた言葉“Auf Wiedersehen(アウフ ヴィーダーゼーエン)”等、グっとくる場面も絶妙!極めつけは『ジークフリート』ですよ。白馬に乗ったジークフリート!この!タラ!ロマンティストめが!てかタラちゃんてナードなふりしてギークだもんね、絶対モテ男だよね〜あーにくい、あーだいすき!

だんだん話が逸れてきた。きりがないのであとはおぼえがき。

・サントラ!サントラ!サントラ!
・ジークフリートとブリュンヒルトと言うと『銀河英雄伝説』を思い出すクラスタです……
・歯医者馬車のデザインかわいい!
・馬かわいい!最初シュルツさんがつれてたお辞儀する馬も、最後ジャンゴが乗ってた脚芸披露する白馬も、賢くてかわいい!
・ちなみに白馬トニーはジェイミー・フォックスのホントの愛馬で、チータと言う名前だそうです。かわいいかわいい(訂正:「ジャンゴの相棒“トニー”」てなってるから白馬じゃなくて旅のとき乗ってた方ですね、失礼しました)

・『イングロリアス〜』でケーキ(と言うかシュトゥルーデル)を嬉々として食べていたクリストフ・ヴァルツが、今回ホワイトケーキいらないって言ったのにニヤニヤ。『イングロリアス〜』でも白いケーキ(クリームを載せて!)だったよね。“ユダヤ・ハンター”から人種差別、奴隷制度を嫌悪する賞金稼ぎに。ドイツ人もニッコリですな
・ジャンゴと出会ったことによって段々人間味が出てきて、その結果感情を抑えることが出来なくなって命を落とすことになるシュルツ。ほろり
・シュルツの遺体をそっとなでて、“Auf Wiedersehen”と声を掛けるジャンゴのシーンではほろほろほろりですよ。なんか眠ってるいぬをなでるみたいな感じでね……
・シュルツさんもふもふのいぬっぽかったもんね(笑)最初に着てたコートもかわいかったな〜
・そしてジャンゴを演じたジェイミーはつぶらな黒目がしばいぬのようであった。かわいいかわいい
・とか言ってますがジェイミーちょーかっこよかった!ガンアクションも馬乗りこなしっぷりも!あのサングラスも!
・そうそうケリー・ワシントンめちゃかわいかった…ラストの耳塞ぐ仕草と表情、むちゃキュート!

・と言う訳でヴァルツが『イングロリアス〜』から連続でオスカーをとりましたが、助演と言うならレオナルド・ディカプリオもサミュエル・L・ジャクソンもすごかったよ……
・ディカプリオの雄叫び最高!このひとの激昂演技だいすき
・おねえちゃーん!会いたかったよー!て雄叫びもアホの子満開でよかったわ
・そーなのよ極悪非道でアホの子なのに妙な魅力があるのよ。マナーや、客人に対しての非礼に厳しかったりしてさ。こういうかわいげがおっかなかったわ
・割れたグラスが刺さって流血後のアドリブにも唸った。むちゃ長回しだったよね。ストップかけなかったタラちゃんも流石(ってかとめられないよねああいう芝居されたら)

・サミュエルの化けっぷりがまた…しばらく気付かなかったもん。声聴いててん?ん?てなって。あの外見を作ったのがまず見事(笑)
・で、また複雑な人物なんですよね。スティーヴンとキャンディの関係は『風と共に去りぬ』におけるスカーレットとマミーのようでした

・そしてジョナ・ヒル(『マネーボール』のピートくん)が出てたってわからんかった!ダイエットしたの!?
・クリス・ペンの後継者だわと秘かに思っていた愛すべきおデブちゃんが…なんてことだ。画像検索したらなんかイケメンになってた。ショックだ(え)
・と言えば、女ガンマンみたいなひとが妙に印象深く撮られてるなと思ったらゾーイ・ベルだったんだーーー!!!
・なんか他にも見せ場あったけどカットされたらしい…み、観たかった……
・ゾーイ『ヘンゼル&グレーテル』にも出てるんだよなー魔女役で。あーあー

・それにしても『ゼロ・ダーク・サーティ』も観たばかりだからと言うのもあるが、こういう作品がヒットして賞レースにも顔を出す辺り、アメリカのいいところですな。『ジャンゴ〜』の脚本はオスカーとったしね……
・日本にそういう日は来るだろうか
・と言えば邦題がめちゃよい。日本のいいとこ



2013年03月04日(月)
BÉJART BALLET LAUSANNE JAPAN TOUR 2013

モーリス・ベジャール没後5年 記念シリーズ3『BÉJART BALLET LAUSANNE JAPAN TOUR 2013』@東京文化会館 大ホール

モーリス・ベジャール・バレエ団来日公演、Aプロ『ディオニソス組曲』『シンコペ』『ボレロ』(プログラム順)。ジル・ロマンとジュリアン・ファヴロー参加のアフタートークもありました。『ボレロ』目当てで行ったのですが、『ディオニソス組曲』『シンコペ』がむちゃむちゃよかった!勿論『ボレロ』もむちゃむちゃ素晴らしかった!男性ダンサーのボレロ観たの久々だったので燃えたわー(萌えたではなく)。ベジャールさんとこのバレエ団は肉感的なダンサーで構成されていて、それが魅力的。体重の軽さではなく、筋力による力強く美しい滞空を見せる。健康な肉体に官能が宿る、身体に体温が灯るさまが見られる。

1984年初演の大作『ディオニソス』は、当時80人程いた20世紀バレエ団によるダイナミックな群舞が見所だったそうです。今回上演された『ディオニソス組曲』はハジダキスによる楽曲とギリシャの伝統音楽のシーンを中心に再構成したもの。BBL少数精鋭による機動力が活かされている印象です。タさん曰く「BBLは団員が少ない分働きものが多い」(笑)。タベルナ(ギリシャの酒場)の客たちが話に花を咲かせているうちにダンスが始まる。神話の世界へ場面は移り、ディオニソス=バッカスの祭典へと展開していく。「ワインが、音楽が、太陽が、海が、そしてわれらの神々が必要なのだ。神々はわれらと共にいる。どの村にも、どのタベルナにも、どのダンスのなかにも!」

この辺り、先週観た『オイディプス王』の当日配布リーフレットに山形治江さんが書かれていた「演劇の起源」を思い出しました。以下抜粋。

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酒に酔った村人たちが即興の歌舞に興じていた。どんな即興歌にも、必ず酒神バッコスへの感謝と称賛の言葉が添えられた。すると突然、それまで歌舞の先導役を務めていた男が集団から一歩離れ、こう叫んだ。「私はバッコス!はるばるアジアの地からやってきた!」陶酔のあまり、神になりきってしまったのである。この「なりきり男」の出現で、座はさらに盛り上がった。「よくおいでなさった!」「なぜここへ?」「どうやってアジアから?」なにしろ酔っぱらいはノリがいい。たちまち男は神として遇され、あちこちから質問が乱れ飛ぶ。男も神としてそれに応じた……。
この男こそ最初の「俳優(=応答する者)」であり、彼を取り巻く群衆は「コロス(=合唱舞踊団)」と呼ばれるようになった。
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後半は男性ダンサーの面目躍如。アフタートーク司会の佐藤友紀さんが「男性ダンサーに非常に人気がある、小林十市さんや首藤康之さんにベジャールの作品で何を踊りたい?と訊くとディオニソス!と返ってくる」と言うコメントにジルが「ストリートダンス、ヒップホップな側面もあるからね」と答えていました。半円に陣取った男たちが手拍子を打ち、歓声をあげる。やがてふたりが中央へ歩み出てダンスバトルが始まる。躍動感溢れる熱狂的なダンス、ダンス、ダンス!踊る喜び、身体が、心臓が脈打つ喜び―生きる歓喜が迸るシーン。日本人ダンサー、大貫真幹さんのソロ格好よかったー。『ボレロ』では那須野圭右さんがリズム最前で踊っていて、やっぱり目が行ってしまいます。現在BBLには研究生含め四人の日本人が在籍しています。

美術は横尾忠則、衣裳はジャンニ・ヴェルサーチ。横尾さんが『ディオニソス』初演時描いた絵が、今回の舞台でも使われました。パンフレットに当時の思い出を寄稿していた横尾さんが「ベジャールもジョルジュ・ドンもヴェルサーチも3人共すでに鬼籍の人となって、この場にいないことが何よりも残念でならない」と書かれていました。

『シンコペ』はジルの振付。音楽用語でおなじみのシンコペーション。医学用語では卒倒、気絶、心臓停止。心臓が停止したとき、脳では何が起こっている?シティ・パーカッションによるひとなつこい音楽、愛嬌のあるリズムに乗って踊るチャーミングなダンサーたち。ギロチンで斬られた首は地面に落ちる感触を自覚出来るのだろうか?と言う言葉を思い出しました。それは夢か、幻覚か。そのまま死に連れていかれるか、生に引き戻されるか。ソファに座ってTVにかじりつき?な青年がソファに呑み込まれる場面、走査線を思わせるスクリーンの隙間から無数の手が出て来る場面、何故か『ビデオドローム』や『トワイライトゾーン』の口がない女の子迄芋ヅル式に連想してしまいヒー!となった……怖い!全然関係ないこの3つ!なんでこうなる!

それはともかく別日に『ボレロ』を踊るエリザベット・ロスがシャネルのスーツを思わせる50年代的なファッションに身を包み、ソファの青年についたり離れたり構ってあげたり寄り添ってあげたりなダンスがとてもかわいかったな。貫禄ある美しいダンスなのにかわいいの。照明付きの帽子もかわいかった(この帽子込みでシャネルみたーいて思った)。ぽっ、っと光が灯り、ぽっ、っと消える。命のスイッチみたい。身長順に綺麗に並んだ群舞は、システマティックな構図を感じさせ乍ら愛嬌もある。LEDのような照明は真夜中の病院のよう。なのに何故か暖かみを感じる。あの色、なんて言えばいいんだろう、ブルーグレーみたいな……夜の病院は怖いけど、必ず誰かが起きて働いている。そこからくる安心感みたいなものかな。今後レパートリーになってほしいー。背景を知りたい、また観たいと思わせられる作品でした。ジルがアフタートークで解説してくれるかなと思っていたんだけど「『シンコペ』については明日話します」だって、ガーン。

アフタートークでの「『ボレロ』の解釈についてドンは“祈り”、ギエムは“人生そのもの、愛”と答えていたがあなたは?」との問いに、まずベジャールの振付に忠実に踊ることを意識する、そしてリズムの青年たちとの関係性を重視する、と前置きしたうえで、“死の尊重”と答えていたジュリアン。確かに彼の踊りは死の色濃いものでした。指摘されていたけど終盤「ハッ!」と言う声をあげた。リズムを、あるいは自分を鼓舞するため?「いやあ、とにかく必死なので、今際の際の叫び声のようなものです(笑)意識してなかった」と茶目っ気たっぷりに答えていたけど、「生まれた瞬間からひとは死へと向かっていく。生きることは死に近付いていくこと」とも言っていた。リズムに呑み込まれるメロディは、命を踊りに差し出している。踊る度に死に、そして生き返る。腕、脚が長く、掌が大きい男性ダンサーが『ボレロ』を踊る姿は大鷲のよう。そのヴィジュアルからも火の鳥を連想しました。

そしてそうそう、リズムとの関係性!今回チームって感じがすごくしたー。メロディをゲストに迎えるのとはまた違う、チームのボレロ。カーテンコールで舞台上のダンサーたちがあげた雄叫び、円卓から降りるジュリアンを笑顔で迎えるリズムの面々。いいチームだなーって。BBLには数年ボレロを踊る男性ダンサーが不在だったそうで、士気も高まっていたのだと思います。またひとつ、心に刻まれる『ボレロ』を観ることが出来ました。

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ジルとジュリアンのコメントは記憶で起こしたのでそのままではありません。アフタートークはYouTubeに全編アップされているので、正確なニュアンスはこちらで是非。司会進行は佐藤友紀さん、通訳は岡見さえさん。




2013年03月01日(金)
『マクベス』

『マクベス』@世田谷パブリックシアター

野村萬斎演出、主演による『マクベス』。初演は見逃しておりますが、今回ワールドツアー敢行に伴い新演出、とのことです。

出演者は五人。どうやるのん…と思っていたら、マクベス夫妻vs三人の魔女と言う図式で、マクベス夫妻以外の登場人物は全て魔女が演じると言う趣向。この構造がめちゃ怖い!そりゃ抗えんわと言うかどんだけ予言に逆らおうとしても無理な訳ですよ、だって相対峙するのが皆魔女なんだものー、魔女が予言通りにマクベスたちを誘導しているようなものだものー。しかしこうすると「運命には逆らえない」と言う図式が非常にハッキリして面白い。「もうちょっと考えんかい」「なんで悪い方悪い方を選択するんだ、気付きなさいよ」とハラハライライラすることも多い(笑)シェイクスピア作品ですが、この構成だと「観客は登場人物が道を踏み外していることを知っている=けどどうにも出来ない、何もしない=神の視点」を自覚しやすくなるんですね。90分と言うスピード感溢れる構成に非常にマッチしていました。

展開上意訳も多くなるわけですが、なかでもマクダフの出生については初めて聴いた訳でインパクトありました。「マクダフは女からではなく、死体と言うゴミから生まれた」。おなじみ河合祥一郎氏による訳です。演出プランに宇宙ゴミ(デブリ)をイメージさせるモチーフがあり、人間もゴミだと言う解釈です。森羅万象のなかで明日のことを考えるのは人間だけ。明日のために日々進歩し、それらはゴミを生む。マクベス夫妻vs三人の魔女は、人間vs森羅万象へと拡がります。
(追記:その後紀伊國屋書店新宿本店であるだけの戯曲チェックしてみたが(流石の演劇関連書籍充実っぷり、『マクベス』だけで7種くらいあった)、やっぱこういう訳は初めてのようですね。そもそも原文にない言葉が出ているし。しかしこの意訳、これ迄え〜それっていまいち納得出来ん、ってな「女から生まれていない」と言うところが緩和されると言うか、死んじゃえば性別も年齢も関係ないモノ=ゴミだもんね〜と納得してしまう部分がありました。最初聴いたときは「なんで帝王切開だと女から生まれたことにならないの?」って腑に落ちなかったもんで…あの時代は帝王切開された母親は必ず死に至るから、と説明されてもん〜とか思ってたので)

能舞台を連想させる舞台割。舞台上に三間四方の箱形舞台が置いてあり、御簾を降ろすことで舞台転換が行われる。それは茶室にも誂えられ、魔女たちは円窓から人間の右往左往を覗き見笑う。四季を際立たせた美術も素晴らしかった。紙吹雪が色味によって桜になり、紅葉になり、雪になります。マクベスの成り上がり〜転落の速度がより意識される。戦争の場面は基本萬斎さんのみの舞で、流れる血は赤い糸、敵の動きは幕で表現されます。動く森〜終幕の場面は鳥肌もの。幕は向かって来るバーナムの森にも、マクダフ軍にも、津波にすら見える。マクベスは幕に呑み込まれる。あっと言う間に、いとも簡単に命は消える。波はやがて凪となり、その上に魔女たちが立つ。人間はいかにちいさくはかない存在か。そのはかない存在が、限られた時間で懸命に生きる姿に、静かに胸を締め付けられました。二階席で全景を見渡せてよかった。

あと音響が面白かったです、SePTみたいなぐるりな客席だとめちゃ栄えるつくりになってました。スピーカー近くの席だったので、音の臨場感がすごくありました。和テイストの衣裳も、素を活かした髪やメイクも美しかった。根に持つタイプなので未だに憶えているが、ジョナサン・ケント演出、萬斎さん主演の『ハムレット』って宣美のヘアメイクのがぜんっぜんよかったと思うの!舞台のあのウィッグは変だったと思うの!

それにしても萬斎さんのこの発想。「そういうふうになっている」達観っぷりは恐れ入ります。同時に惑いもある。ずっと考え続けていく。先日『オデッサの階段』で、狂言師と言う職業を継いでいくことについてのコメント(裕基くんに「何で僕が狂言やんなきゃいけないの」と訊かれて「僕も分かんない」、でも「やらなきゃいけないんだ」。)を聴いたばかりと言うこともあり、いろいろ思うところがありました。運命は決まっている、変えることが出来ない。そのなかでどう生きていくか。目先のことに惑わされてわちゃわちゃした気分のときに観ると反省しますわ、己のちいささに。やっぱいろんな意味でおおきいひとの仕事を目撃するってだいじだわ……。

そしてシェイクスピアものを観る度に思うが、最初蜷川さんの演出で観ておくと「どういう話かちゃんと頭に入る」「しかもカットされてない」「そして茶化さない、揚げ足をとらない」ので、その後いろんな翻案ものを観ても置いていかれず観られるし、現代口語訳ではない台詞を脳内咀嚼せずとも理解出来る。で、やっぱり蜷川さんてすごいなあと思う。

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■ところで
現物持っているひとは知ってると思うがこれのチラシ、折り目がついてるんですよね。当日迄何度も折り紙してみたけどどうにも形にならず何なん?と思っていたら、劇場ロビーに正解が置いてありました(笑)「こう折ってみてくださいね」だって。帰宅してその見本を参考にし乍ら改めて折ってみたけどこれが難しい、見本がなかったら出来ないわ……。