嗚呼!米国駐在員。
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2004年11月30日(火) なんでサラリーマンは仕事が定時で終わらないんだろうか

早いもので明日から12月。
12月といえば日本にいた時は忘年会の連続で、毎日のように2次会、3次会と大変だった。取引関係が希薄になってきた客先でも、上司が「去年まで忘年会やってて今年から急に誘わないのはマズイかなあ。」とか言って、結局無駄な飲み会が多かった。若造の自分には全く面白くもなんともなかったな。

アメリカではそんな世界とは全く無縁でとても気楽でいい。
パーティのようなものはあるけれども、キレイさっぱり9時には終了。だらだら2次会、3次会、というのがないのはとてもいい。


今日は某金融機関が訪ねてきて雑談。
日本の本社は残業代未払いの問題やらで抜き打ち検査が入って大変だ、という話で盛り上がる。

うちの本社もタイムカード(もちろんコンピュータ)に導入したけど、退出時間を過ぎているのにパソコンの使用実績があった、とかで厳しく指摘されたと聞いた。 慌てて会社側は、「仕事じゃなくて個人的に使用」と回答したというけど、会社のパソコンを私用化するのはおかしい、という指摘を逆にされてしまったらしい。

こうして、一番兵隊となって働かねばならない若手が労働時間を制限されている。
たとえ朝早く来ても、定時直前にしかパソコンの電源を入れられない。帰りは定時でハイさよなら。社内にいるのは朝も晩もオヤジ管理職ばかりになってしまうというのが笑える。日本は偉くなるほど働かないから、社内は異様な光景だろうな。

たまに日本の本社に電話をすると、若手はみんな一様に「時間がないから仕事が捌ききれない」という。

面白い現象だな、と思った。アメリカ人は、うちの社内も取引先も見事に定時で仕事を切り上げる。それなのに、仕事が捌ききれない、などということもなさそうで、うまく回っているように見える。

こうして考えると、良く言えば日本人はやっぱり仕事が丁寧なんだろう、と思う。
世界でも、それがある部分では一定の評価を得ているのは事実だ。しかし、不必要に丁寧すぎることも多い。アメリカ人と仕事をしているとそう感じる事もある。

時間をかけた丁寧な対応 − 敬語の存在しないアメリカ社会では、そもそも、それ自体が評価されることはほとんどないような気がする。

また、日本人は自分も含めてなのだが、長い時間仕事をする事(職場にいる事)に満足する傾向も強いのかもしれない。悪く言えば、だらだら、と。 意味のない会議、意味のない打ち合わせ。

対して米国企業の管理職。仕事時間は圧倒的に日本の管理職より少ない。しかし、ここぞという場面での集中力と仕事をまとめあげる力は、日本人にはとても真似出来ないくらいのものがある。実にメリハリが利いているのである。管理職たるもの、こうあってほしい、自分もこうでありたい、と思うのである。


日本のサラリーマンは、用事があるか、もしくは強制的に帰れ、と言われなければ帰れないようなところがどこかある。 監督署の時間外賃金未払いの取り締まり - これをきっかけに、サラリーマンの労働観や仕事のスタイルも変わっていくといいと思うのだけど、深く根付いた習慣を捨て去るのはまあ無理だろう。

9時5時でピタッと仕事は終わりで後は自分の時間に切り替える、これは誰もが望んでいることなのにそれがなかなか出来ないのは何故なんだろうか。


2004年11月29日(月) クリスマスへの浮かれ気分

Thanksgivingがらみの4連休の後の出社。
案の定日本からのメールがたまっていたけど、取引先のアメリカ人も連続休暇を取っている人も多くタイムリーに投げかけられた懸案事項に回答できない。

例年、このThanksgivingからクリスマスにかけてはもうすっかりVACATIONムードが蔓延してしまい、仕事の進みが確かに遅くなる。

しかしこのアメリカの浮かれ気分モード、実は大好きだ。

頑張って働いてきたんだ、1年に一度くらいそんな時期があったっていいだろう、そう思う。

この感覚は、日本の連休とはちょっと違う。
正月やお盆はどことなく雰囲気はどんよりしているし、ゴールデンウィークは短い間にあそこもここも行かなきゃ、という感じで実にせわしない感じがする。

一方、アメリカのクリスマスは大イベントだ。とにかく明るく楽しいイベントだ。しかも、12月25日当日だけではなく、その日までをいかに楽しく過ごすか、という長いイベントだ。

アメリカ人はクリスマスカードやプレゼントを10月ごろから綿密に計画を練ると聞く。サンクスギビングが終わると、一斉にクリスマスの飾り付けが本格化してくる。こんな自分でさえ、クリスマスライトで飾られた家々を見ると心がわくわくしてくる。みんな、家族や友人、大事な人と過ごす時間を大切にする。そうした時間を最高に楽しんでいるのが分かる。

だから、普段は気難しい顔している人も、この時期はとても穏やかになる。
こちらも仕事の手を緩めて、アメリカの雰囲気に浸る。せっかくアメリカに居るんだから、今年は思いっきり浸りたい。


2004年11月27日(土) 視力矯正手術の結果

15年間以上もお世話になったコンタクトレンズもメガネも無しでこうしてパソコンに向かっている。まさに、今日から別世界が始まった、というと大げさのようだが本人にしてみれば大げさではないほどの感動である。

昨日は予定通り視力矯正のオペが終了。まあオペというほどのものではなかったが。

THANKSGIVING後の大セールでごったがえす客先を尻目に、午後2時にLASIKへ。
この医者は全米でも5本の指に入る大型ショッピングセンターの中心にある。

簡単に眼球の検査をして、とにかく1週間は目を触るなこするな、と念押しされてリラクゼーションルームへ。小鳥のさえずりが流れる真っ暗なこの部屋で、薬を一粒もらって飲む。よく分からないけど、リラックス出来て術後に眠れる錠剤のようだ。大型チェアーで寝そべっていると隣には黒人の中学生らしき女の子が親に連れられてやってくる。客(患者)はひっきりなし。日本ではまだまだでも、ここアメリカではかなり一般的な手術である。現に、今回の予約もまるで歯医者の予約をするかのように簡単であった。

15分位たったころ、「さあ、行きますよ」と看護婦が呼びに来た。

手術室は、モールを歩く買い物客からも見えるようにガラス張り。
「カーテン閉めるか?」と医者に言われて「閉めてください」と言う。横になって熊のぬいぐるみを看護婦に渡される。何をこんなもん!?と言う余裕もなく受け取る。

「とにかく目の前の赤いライトを見つめていて」

それだけ言われると、後はなすがまま。
点眼麻酔くらいはあったのかもしれないけど、特にこれといった痛み止めも何もなしなので、意識ははっきり。医者がダイレクトに目玉をいじくっているのが感じられる。
角膜を取ったような瞬間はもう真っ暗で何も見えない。そしてくっつけた瞬間にまた見える。とにかく、なすがままである。気がつけば熊を握り締めていた。

「ちょっとした音とにおいがしますよ」と(もちろん英語で)先生が言った後、レーザーで処置をしてやや焦げ臭い匂い。

それ以外は、先生と看護婦は自分の目玉をいじくりながら常に世間話。不思議なことに、不謹慎な!などとは思わずに、患者で横たわっている自分はとても安心した。ああ、問題なくうまくいっているんだ、と。意識はあるのに目が見えないからとても不安になるのは確かだけど、おかしな事にはなっていないんだな、と気が休まった。もしかしたら、あえてこういう世間話をして患者を安心させているのかもしれない。

わずか5,6分で右目が終了。そして左目も同様の処置をして終了。わずか10分ちょっとくらい。

「終わりました。Congratulation!!出てっていいですよ。」看護婦が言う。目を開けるとまだぼんやりしているけど、Congratulation!というからにはうまくいったんだろう、と思う。医者と記念撮影をして終了。実にあっけない。

家に戻って指示通りに爆睡。というよりも目が疲れて寝るしかない。昨日はいまひとつぼんやりしていたけど、今朝起きて視界くっきり。何だか狐につつまれたようなもんである。
この先1週間は目薬を続けたり、こすらないように注意しなくてはならないけど、早くも出来栄え(?)には満足。

目が良くなると世界が変わるといいけど、視界だけでなくいろんなものをこの際に変えていきたい。よくばりか.


2004年11月26日(金) いざ視力矯正。

今日はいよいよ視力矯正の手術。
術前よりこれから1週間は目に気を使わねばならないので、少々憂鬱である。

処方が済んだらすぐに眠ったほうがいいので、今朝は早く起きて睡眠不足で望むはずだったが、9時間も寝てしまった。これからジムに行って少々身体を疲れさせてから、向かう予定。

という訳で、しばらくお休みします。


2004年11月25日(木) Thanksgiving / 「座頭市」 / KILL BILL Vol.1

今日は11月の第四木曜日。THANKSGIVING DAYで祭日。
朝目が覚めると、夜中中降り続いた雪が積もっている。手際よく除雪車やらが来てくれて助かる。我が家は雪かきを契約しているので、玄関前の通路もガレージ前も明け方にきれいに雪かきがされている。

朝からスポーツジムへ。今日はほとんどのレストランやお店が休みになる。ジムも午前中だけなので結構混雑。
いつも思うんだけど、今通っているジムって圧倒的にオヤジ比率が高い。若者が意外に少ない気がする。健康に気を使う世代が通う場所なのだろうか。まあ、オヤジっていっても100ポンドのバーベルを軽々上げてしまう人ばかりなので、貧相というイメージから程遠いのだが。

午後は家でDVD鑑賞。
中国の露店で買ってきたDVD。もちろん複製品。一枚1ドルくらいだったので、失敗してもいいや、と思って買ったのだけど、画質も音質も十分なレベルであり驚いた。
そして失敗したなあ、と思った。こんなに良いものならば、もっと買っておけばよかったから。店には名作から最新作まであったし、邦画も多かった。中国の技術、恐るべし。適当に8枚くらい買ってきたのだけど、これだったら30枚位買って持って来るべきだったな。アメリカのDVDは確かに安いけど、13ドル払うとなれば迷うけど1ドルだったら見てもいいな、と思う映画は山ほどある。
違法ソフトを見るという良心の呵責は全く無し。

とりあえず気楽に見れる2作品からスタートした。

「座頭市」
もともと日本から取り寄せしようと思っていた(商品代だけで4000円)が1ドルでゲット!
デビュー作以来見続けている北野映画の大ファンだから、先入観バリバリで見た。エンターテイメントとお笑いとかっこよさと美しさ。やってくれたな、ビートたけし!という感じ。たけしの好きな最後のタップダンス。ガダルカナルタカもいい味を出していた。随所に北野映画独特のカット割り。文句なし100点。


「KILL BILL Vol. 1」
アメリカでは話題になった映画だけど、日本ではどうだったのだろうか。

監督の日本へのこだわりが心地よい。
おかしな日本語も、日本を舞台にしたそのものも、不自然極まりないけども許せてしまう。銃の一切出てこないチャンバラシーンの連続も娯楽映画としてはいい。遊び感覚一杯の映画だけど、感性がないと見てても面白くないかもしれない。
ネットで日本人が書いたこの映画の批評も見ると、日本を馬鹿にしている、とか、飛行機に刀を持ち込むのはおかしい、とか、ヤクザが戦っているのに警察が来ないのはおかしい、とか、やたらとあら捜ししているようなものが目立つけど、そういう人っていうのは一生こういう映画を楽しめないんだろうな。可哀想なことだ。
かくいう自分も、この映画を見ていて忘れかけていたものが戻ってきた気がする。

そうそう、布袋寅泰の楽曲「Battle Without Honor Or Humanity」(邦題「新・仁義なき戦い」)が、この映画のテーマ曲。このサウンド、とてもカッコいい。車の中でも、気持ちを奮い立たせたい時によくこのCDをかける。アメリカでは高級自動車のジャガーのCMにも使われている。布袋ファンの自分としては、この曲が映画で使われただけで満足。

Vol.2も購入済み。もちろん1ドル。


2004年11月24日(水) 日産、操業停止

午後から大雪。嫌な季節が始まった。除雪車が登場しても、雪は次から次へと降ってきて道路に積もりっぱなし。
帰宅の運転が憂鬱だなあ。

日産が鋼材の調達難で操業を停止するという。
自然災害や自己の影響ではなく生産停止というのは、日本自動車産業の歴史でも極めて異例の事だ。
調達コストをぎりぎりまで削減したゴーン改革が裏目に出た。1999年の日産リバイラルプラン。自動車鋼板では、調達先を5社から3社に絞り込んだ。部品メーカーなどはかなり露骨に取引先を絞り込んだ。

いや、絞り込んだ、と言えば聞こえはいいが、つまりは調達先を切ってきた。
どんなに長年の取引関係があっても、日産の要求が呑めない仕入れ先は容赦なくばっさり切ってきた。日産に頼ってきた業者は泣いた。その為に廃業に追い込まれた企業も多い。そのドラスティックなやり方は、日本人でないゴーンだからこそ可能だったのかもしれない。

そのおかげで日産の業績はV字回復。
当時826億円の利益が2003年は8200億円になったのだから、経営者としてのゴーンの手腕は評価されるべきだろう。

ところが、おもわぬ事態が発生した。昨年来続いてきた鋼材のひっ迫で、肝心なモノが手に入らない。自動車メーカーといえども、当然であるが材料が手に入らなければ自動車は作れないのである。そんな、当たり前の事の重要性を今は痛いほど感じているのではないだろうか。

ゴーンのもと、日産は材料の調達先を絞りに絞り込んだ。
その限られたわずかな調達先のキャパは現在パンパンで日産の数量増という要求に答えられない。日産は慌てて過去の調達先にも材料調達の御願いをしたに違いないのだけど、過去に「切られた」取引先が、ただでさえ仕事が舞い込んで忙しいこんな御時世に、自分をばっさり捨てた昔の主人に戻るはずもない。

所詮、「ざまあみろ、日産」 と陰でほくそえんでいるに違いない。

こうなると、商売というものはやはり持ちつ持たれつだな、と感じる。特に日本では大事だ。ただ、こうした環境というのは歴史上前例のない事態なので、さすがのゴーンもここまでは読めなかっただろう。

絶好調な自動車販売の中で、今回の操業停止により日産がその流れに乗り遅れないように、と思う。


2004年11月23日(火) 携帯ボイスメッセージの落とし穴

今朝出社前に携帯を見ると、ボイスメッセージが入っていた。メッセージの時間を見るとなんと深夜の3時半。

不思議に思って聞いてみると、"You have 16 new messages."という自動音声。慌ててListenボタンを押す。
一番古いのは何と15日前のもの。それから延々とこの2週間に吹き込まれたボイスメッセージが16件再生された。

聞くたびにゾッとした。これは非常にマズイ。

内容は仕事上の大事な案件ばかりだ。
どうりで、取引先とうまく話が噛み合わなかったりした事があったり、突然「どうして電話くれないのですか!」などと言われたりした訳だ。

メールと一緒でボイスメッセージも確かに一方通行ではあるのだけど、メッセージを送った人は相手が聞いているものだと思い込んでいるからなあ。

中には電話をくれ、と3回もメッセージに入れた人がいた。こちらは何も電話していない。向こうは、何て無礼な奴だ、と思っているに違いない。

「いや〜、1週間前のメッセージ、今日聞きました。」
そんなこと言っても誰が信じるかっての。

こんな事なら留守電設定しない方がマシだよな。メールなら、事務所にいなかったから見ていない、ですむのだろうけど、携帯はそういう訳にもいかないし。

一体何が原因だろうか。携帯会社のどこかの基地にボスメッセージが溜まっていて、一気にそれが呼び出されたのだろうか。確かに出張が多かったとはいえ、こんな信用ならない電話会社の携帯はもう使えない。

くたばれ、Sprint社!


2004年11月22日(月) 上海でキムタクを見た

12日振りの出社。
デスクの上は嵐の後。効率よく片づけをして優先順位を決めて仕事を処理していく。淡々と処理していく。救いは明日(今日か)、日本が祝日という事で1日時間が稼げることか。それにしても、いつものようにアメリカ人に囲まれて仕事をしていると、つい数日前まで中国の喧騒の中にいたことがまるで夢のように感じる。


そうそう、上海でキムタクを見た。ほぼ、彼に間違いないと思う。
それは先週のこと、仕事が終わって現地のスタッフに夕食のリクエストをする。

「上海蟹が食べてみたい。高くてもいいからとにかく上品でうまい所を連れて行ってくれ!」

「一軒知っていますが、そこはおそらく中国人しかいませんよ。 日本人、いないけどいいの?」

「没問題!」

という事で、予約をして上品なビルの最上階のいかにも高級そうなレストランに入る。なるほど、ほとんど中国の人ばかりだ。店員には英語も日本語も通じない。

目の前に上海蟹に悪戦苦闘していると、入り口から日本人らしき人が5〜6人店に入ってきた。男女とも、どうみても“業界人”っていう格好と顔である。どんな雰囲気か説明しろ、と言われると困るのだけど、とにかく業界人っぽい。ぼんやり眺めていると、一番最後に黒の革ジャンを来たイケメンが入ってきた。

あれ?どっかで見たことあるな。キムタクに似ているな!?

背は小さかったけど、顔は浅黒いが嫌味もなくてカッコいい。妙な雰囲気も醸し出している。
トイレを装い、何度も彼の座ったテーブルを前後して確認したが、もう間違いない。キムタクだ! 客先を背にして上海の夜景を望める位置に座っていた。

別にファンでもなかったのだけど、確かにあの甘いマスクは30を越えたオヤジでも感心するほどの美しさ。日本人もいないし回りに気がついている人はいないようだった。

そう思うとこちらも何故か緊張した。本人にとても喋りかける勇気もなくその場を後にしたのだが、その晩にホテルで見た中国のテレビでキムタクの特集がされていたので、本当に何かのキャンペーンかなんかで中国入りしていたのは間違いない、のだろうか?

それにしてもカッコよかった。あの笑顔は反則である。でも、キムタクってあんなに背が小さかったのかな?
自分もあんな顔に産まれれば、人生変わったのかもしれないなあ、なんて思ってみたりする。← 考えるだけアホである。


2004年11月21日(日) BIG3凋落 - 自動車を買い替えた理由とは

雇用者33万人、自動車最大手のアメリカGM。
今年1〜9月の売上高は1416億ドルで前年比3%増、純利益は8%増の30億ドルを誇る。
野望あるアメリカ人の学生は、まず米国大統領になることに憧れる。それが不可能と分かった時点で次にGMの最高経営責任者を目指すと言う。

「GMにとってもいいことは米国にとってもいいことだ。」〜こんな言葉が昔から存在するほど、GMの動向は自動車業界のみならず、米国経済に大きな影響を与えるのである。その意味で、リチャード・ワゴナー会長件CEOは、まさに米国経済の大統領である。

しかし、快進撃を続けたGMも、7〜9月の決算では北米自動車事業が赤字転落、明らかに陰りが出てきたのである。いや、GMだけでなく、フォードも赤字転落。明らかに勢いが落ちてきている。


最大の理由と言われるのは原油価格の高騰。バレル30ドルから50ドル台まで上がるとは、誰が想像していたであろうか。

それでもワグナー会長は強気の発言を繰り返す。
「消費者はパニックになっていない。ピックアップトラックやSUVから小型車に乗り換える動きも無い。自動車需要が大きく崩れた訳ではない。米国経済は今年も来年も成長する。」

本当かよ!?


昨日、ヒマにまかせて何軒か自動車屋を巡って唖然とした。
燃費の悪いピックアップトラックやSUVの中古市場の価格がどんどん落ちている。客は燃費のいい日本車を求めて買い替えを急いでいる。これから冬になって、上昇してきた暖房費の負担がただでさえ気になる季節が続くので、この傾向は止まらないようだ。

消費者は敏感だ。ガソリンスタンドの店で売られるLOTTERY(宝クジ)の売上げが落ち込んでいるのだって、高騰するガソリン代を支払った上でクジなんて買う気持ちの余裕がなくなっているからだろうに。

昨日のこと。かくいう自分も、実は衝動的に愛用の米国車トラックを売って、ここでは外車であるトヨタカムリを買ってしまった

憧れて買った自分のトラックは半年前までは人気があったモデルだったのだけど、今や「新車でも店頭で5000ドル引き、それでも売れない。」という事で買いたたかれた。燃費が悪いのが明らかに敬遠されているという。それでも、これから来年にかけては更に一層のマーケット冷え込みが予想されると思ったので早めに手を打った。

一方で、トヨタ、ホンダを初めとする日本車ディーラーは強気一辺倒であった。黙っていても次から次へと客が押し寄せてくるから、たまらない。新車を買ったトヨタなんてコーヒー1つ出やしない。喉が渇いたといっても、裏に自動販売機がある、と面倒臭そうに指をさされるだけ。買い手として強気の価格交渉をしたら、机をたたいて「もうたくさんだ!」とどなれらる始末。

それでも、その場で新車を引き取り自宅まで運転して驚いた。燃費は街乗り平均でガロン30マイル(リッター12キロ)。トラックがガロン10くらいだったから燃費は約3倍に伸びている。これは経済的に大きい。車を買い替えて良かったと思った。色々調べてみたけど、燃費効率、安全、故障率。デザインや排気量の好みを除けば全てがやっぱり米国車は日本車に及ばない。

これはアメリカのガソリン価格のサイト。ガソリンがこれだけ高騰してきて先の見えない中、自分のように米車から日本車に乗り換える単純な消費者というのは、これからも増えてくるに違いない。

どうする? 米国経済の大統領さん。


2004年11月20日(土) 上海のホテルどたばた劇

帰国日の昨晩は午後10時過ぎにたまらず爆睡。案の定、土曜日の今朝は朝6時に目が覚めてしまった。時差ぼけを直すには、これから夜まで眠らずに耐えねばならない。とは言っても、外は寒いし雨の予報。家でのんびりしていると、どうしたって眠くなるよなあ。


今回の出張で一番参ったのはホテルである。
毎日世界中から観光客とビジネスマンが押し寄せる上海。上海のホテルの部屋を確保する事が難しいというのは有名だ。

当然ながら出張前に予約はしておくのだけど、いつも同じホテルが確保できるとは限らない。今回は上海で合計5泊したのだけど、チェックインしたホテルが6つという何とも奇妙なことになってしまった。

まずはケチの付き始めは上海到着初日の11日。
これは12日の日記に記載したけど、とてもホテルとは言えないようなまるでボロアパート。フロントでもめた末にお粗末で汚いスイートにまわされた。まあ、その日は寝るだけだったので我慢したけど、6千元($75)はどう見ても割りに合わない。もちろん、インターネットなんてもんはない。

地方から戻った13日。これは予約したホテルE。振り返ればこれが唯一すんなりいったケースであった。

その後、大連から戻った16日。上海の空港で、予定のホテルJに電話を入れて道順を確認する。その際に念のため、と思って自分の予約の確認をすると、あなたの名前は予約がない、と抜かす。
こちとら2日前に電話して予約の確認もしているし、予約確認書まである。対応した小姐に厳しく問い詰めると、電話は担当マネジャーの男性が変わった。

「あなたの予約は確かに入っていましたが、昨日キャンセルの電話が入ったのでキャンセル処理しました。もう、今週は部屋がありません。」

「何やて!?」

その後、散々やりとりをしたけど、結論はその日の部屋は全く無いのでどうしようもない、と向こうは譲らない。一体、本人確認もせずに勝手に部屋をキャンセルするとはどういう事だろうか。これが5つ星ホテルだから参ってしまう。

実はこのホテル、今回会うことになっていた日本からの取引先の要望に合わせて同じホテルにしたもの。面談やら会食やらで、ホテルが違うと実に不便なのだ。

空港で合流した現法の現地スタッフに事情を説明。
慌ててその場で契約ホテルに片っ端から電話をしてもらう。が、上海のホテルで当日の空き部屋を探すほど困難な事はない。が、とにかく寝る場所を確保しなくちゃならない。
30分ほど電話をあちこちかけてもらって、唯一部屋があったのは、外資系高級ホテル。1泊250ドルあまりだけどやむをえない。パスポート番号とクレジットカード番号を連絡して予約完了。
商談を終えて、ホテルでチェックイン、しようとしたのだが、

「名前がありません..」
「!」

同行した現地スタッフが必死の形相でフロントに食いつく。
もうこちらはどうにでもなれや、とソファーに座って展開を見守る。

最後は黒服マネジャーが登場して、 「お部屋を用意いたします。」
最初からそう言えって。


翌17日。
商談の移動中にホテル探し。唯一予約できた中級ホテルSに行くと、ベルボーイが荷物を持ってホテルを出て建物の裏に歩いていく。訳も分からずついていくとそこはボロ屋敷のホテルZ。江戸川乱歩の小説にでてくる洋館という言葉がぴったりの古い建物だ。
とてもフロントとは言えないような場所で事情を聞くと、その中級ホテルSの同じグループホテルだそうだ。とにかく鍵をもらって部屋に入るとそこはハリーポッター。

居るだけで恐怖の館。しかもネットもビジネスセンターもないから仕事も出来ない。電話もダイヤル式。たまらず、元々入る予定だったホテルSに電話を入れて、「ホテルZではなく、元々ホテルSで予約をしてたんだ。何で違うホテルなんだ?」と伝えてごり押しで部屋を取る。

その後フロントに向かい、チェックインキャンセルを申し出る。散々ここでもごねられたけど、聞く耳持たずに荷物をまとめて後にする。

そこでホテルSにチェックイン。
ここでもネットが接続出来ない。FAXも受け取れない。何故か国際電話も通じない。でも、しょうがないのだと諦める。

夕刻になって、もともとの宿泊予定だったホテルJに、日本の取引先をピックアップに向かう。キレイなホテルだ。宿泊値段はほとんど変わらないのに、今の自分がいるホテルSとの違いを考えるとたまらない。おまけに、ここは自分が予約して泊まるはずだったホテルだ。何だか腑に落ちない。

たまらず、フロントで年配の黒服を捉まえる。

「予約したのに勝手にキャンセルってどういうこと? 誰がキャンセルしたか教えてください。私は本人ですけど、一切そんな事はしていない。」

黒服は一旦奥に引っ込んだ。
そして、10分ほどして戻ってきて黒服は仰々しく言う。

あなたの為にお部屋を確保します。ただし、本日は20部屋以上オーバーブッキングですので、すぐにチェックインして下さい。」

これまた何だかおかしな説明だけど、今後を考えるにこのホテルに入ったほうがよい。すぐにチェックイン。
そして慌ててタクシーでホテルSに戻って荷物をまとめてチェックアウト。宿泊料も半額取られたけどやむをえない。


こうして上海ホテルのどたばた劇は終わった。
ビジネスマンとしては大失格である。ホテルの心配なんかしていたら仕事になりゃしない。しかし、何かの手違いだろうけど勝手に予約がキャンセルされるという今回の展開ばかりは予想できなかった。

今後、同様の問題が起きたら?
まずはホテルに向かえばいい、と分かった。ホテル側も、宿泊しようとする目の前の客を相手に、部屋が無いから帰ってください、などとは言わない。予備の部屋を用意しているものである。ただし、これが通用するのはそこそこのレベルのホテルに限る。中級以下のホテルは、もう何が起きてもおかしくない。


2004年11月19日(金) アメリカ帰国

本日午後7時に無事に上海よりアメリカに帰国。
この数日はかなり睡眠不足だったので、機内でもよく眠れた。といってもやはり15時間というフライトは厳しいものがある。
広大な土地、淡々としたハイウェイ。いつもの光景が戻ってきた。

帰国便の乗客はほとんどが出張帰りらしきアメリカ人。
着陸した瞬間、ほっと安堵のため息と拍手が起きる。中国出張、彼らは相当ストレスたまっていたようだな。機内でも乗客同士、あちこちで中国での体験談を語り合う光景が見られた。

かくいう自分の周りにも、色々と信じられない出来事が起きて本当に参ったような出来事もあった。しばらくは日記ネタにも困らないだろうな。
いつきても平穏無事に終わらぬ中国なんだけど、それでもやっぱり楽しいのである。

とりあえず今日は寝よ。


2004年11月16日(火) 中国での出来事いろいろ / 策に溺れた

現在夜中の1時半。
連日の移動と会食と会議の連続でくたくた。簡単に出来事をざっくり羅列しておこう。

上海から大連に飛んで2日滞在。
その間ホテルでネットが接続できず。電話をしてその旨伝えると、次から次へと立ち代りホテルの従業員がどんどん部屋に入ってパソコンをいじるのだが、何も変わらない。こちとらパンツいっしょでベッドに寝そべっているというのに、パソコンを囲んで3人の従業員があれやこれやと言い合うは、電話はかけだすわで、自分の部屋と言うのに居心地が悪いことこの上無し。最後には黒服の大御所と見られる従業員が登場。何やら画面に打ち込んでいるのが気になって覗き込むと、パソコンの設定そのものを中国モードに替えていたので慌ててやめさした。


夜はぼんやりと久しぶりにNHKのBS放送を見る。
若手俳優(袴田?)の司会の音楽映画情報番組。こういっては何だが、司会のあまりにもそつない、つまり中身のない進行振りが実に違和感を感じる。やたらに「すごいですねえ」という言葉を連発して、ゲストにあまりに迎合したしゃべりがしらじらしい。まあ、若者を対象にした番組だからこれでもいいと考えた製作者側の意図はあるのだろうけど、ちょっとあんまりではないか。と、久しぶりの日本の放送を見たのに何だか文句を言いたくなってしまう。でも、日本のテレビは当たり前だけど見ていて緊張しなくていい。やっぱりいいなあ。


大連のホテルのそばの足裏マッサージ専門店には、夕食後に2日連続で通った。
ここの店は従業員教育がしっかりされているようで、とても腕がよくて気持ちいい。昨晩、マッサージを受けていると、トントンと肩をたたかれる。振り向いてその女の子の顔を見て思い出した。ああ、3ヶ月前に出張で来たときにマッサージしてくれた子だ。自分の凝っているツボをピタリピタリとあてて、これまで受けたマッサージでも最高の部類の心地よさだったので、確かチップをあげたんだった。ついついアメリカの習慣で渡したのだけど、中国でチップなんて渡す客なんかいないだろうから覚えられていたんだな。
その子は、何で私を指名しないのよ、と言っているのだろうか、こちらに向かってさかんに自分の胸についた番号を連呼していた。
料金は1時間近くで36元!(500円弱) JAL推奨店、と書いてあったので、試しにJALカードを出すと30元になった。やめられまへん。
それにしても、足のツボを押されて、胃が悪い、とか、腰が悪い、とか眼が悪い、なんていわれると、どれも心当たりがあるのが困ったもんだ。


でも中国ってのは車に乗ってぼんやり外を眺めているだけで、何かほっとするような国だ。街行く人も、誰もが幸せそうに見える。 買い物かえりだろうか、小さな子供とその両親が1台の自転車に乗っている光景、学校帰りの小学生が買い食いをしている光景。生命力を感じる。
普段は人っ子1人として道に歩いていないアメリカで生活していると、こうして人が外にあふれてるという光景が本当に新鮮である。


中国の田舎に行ったときのホテルの朝食で、よく見る風景。
出張だろうか、白人が1人でコーヒーを飲んでしなびた食パンをかじっている風景。この世の終わり、という言葉があるけど、まさにそんな表情なんだなあ。英語なんか全く通じないしインターネットも出来ないホテル。あまりにも欧米と違うのだけど、なんでこんなところにわざわざ迷い込んでしまったのだろうか、不思議になる。


今日は、策を弄して策に溺れた。よそ行きの商談をしてしまった。
大事な人を傷つけたかもしれない。仕事上の事だけど、実に後味悪し。 


ああ、支離滅裂。 早よ寝よ。


2004年11月14日(日) 中国4日目 思うこと

毎度のことだけど、上海の「日本化」には驚く。そのスピードがまだまだ加速しているような気がする。
日本人向けの雑誌も多いし日本食レストランもあちこちにある。ローソンもそこらへんにあるし、日本語を話す人も多い。

日本からはビザも要らずに飛行機で数時間の距離の大都会。
日本のビジネスマンからすれば、国内移動の延長という感覚じゃないだろうか。だからこそ、上海に来る日本人は、海外にいるという意識は希薄になってしまい無意識のうちに日本的な発想をしてしまうのではないかと思う。こんな事が日本人が中国で直面する多くのトラブルにもつながる気がする。

といいながらも、日本文化のかけらもないアメリカの田舎に住んでいると、日本飯屋に苦労しないというのはうらやましいなあ。日本飯の中でも、今日は味噌ラーメン、明日はローソンのおにぎりって、選択権があるってのは、異国にいながら贅沢や!(ひがみ半分)

昨晩は、ふらりとホテルの裏の日本食居酒屋に行った。
食べ放題飲み放題で160元(2000円)。店に入るなりずらりと揃った小姐が「いらっしゃいませー」と大声で叫ぶので、少々気恥ずかしい。
久しぶりに生ビールを。うまい。3杯飲む。食事もお造り、揚げ物、串焼き盛り合わせ、寿司、と食べまくった。
担当の女の子が2人、じっと後ろで立っている。何か仕事を与えないと悪いと思ってしまい、慌てて食事を平らげてしまった。彼女らはどうみても10代の女の子、出身は安徽省と言っていた。西武の松坂によく似ていたな。


それにしても、上海で見る日本人のオヤジは実に偉そうで鼻につく。
特にレストランでウェイトレスを呼ぶときに、「パンパン」って手を叩くのはどうかと思うけど、これは中国の習慣なんだろうか。
女性同伴でもレディーファーストも何もあったもんじゃない。なんか下品なんだよなあ。アメリカではどんなくたびれたオヤジでも、女性を大事にする。最初はわざとらしいなあ、とも思ったのだけど、下品な日本のはげオヤジとは比較しては失礼だな。


2004年11月13日(土) 中国 昼飯の支払い

あっという間に3日目。
朝から大雨。日本と同じような天候が、なんとなく安心感を覚えるのも不思議だ。

今年3回目の中国。少しは慣れてきたのか、たいていの事は驚いたり頭にきたりという事がなくなってきているのを感じる。

ただ、どこまでが個人の性格によるものなのか、どこまでが中国の習慣なのか、迷うような出来事にもまだ遭遇する。

昨日はJIANG YINという、上海から車で3時間ばかりの街に行った。うちの上海事務所の現地スタッフが同行してくれた。現地に早めに到着、昼飯を食おうということになって、運転手のオヤジ含む3人でホテルのレストランに入る。現地スタッフは、メニューを片手にあれやこれやと頼みまくる。テーブルには、これが昼飯か、と思うほどの豪華な料理が並ぶ。アルコールがない以外は、ここまでは中国ではいつもの事だ。

さて会計。
現地スタッフは自分より少しだけ若い。まあ状況から行けば、ゲストとはいえ自分が出そうと思ったが、ウェイトレスが持ってきた請求書を現地スタッフが取る。そのまま、部屋番号を書き込んだ。ああ、ご馳走してくれるのか、と思う。

スタッフは運転手と、田舎のくせに料金が高い、と文句を言っていたので、
「悪いな。ここは俺が持ったのに。」と言うと、
「問題ない(没問題!)よ。お前の部屋番号を書いておいたから。」とのうのうと言う。

支払いは元々自分でしようと思ったからそれはいいのだが、何だか馬鹿にされたような感じであった。それとも、中国では当たり前の流れなのだろうか。いや、どう考えてもこのスタッフの常識の問題だと思うのだけど、違うかな。

まあ、ちょっとした事なのだけど、彼らはやりたいようにやっているだけだ、そういうものだ、と思うようにしている。こっちも相手に何かを押し付けるようなことはせずとも、適度に自分のやりたいようにやるようにしている。これでちょうどいいくらいだ。

所詮、日本のサラリーマンがやりたいようにやるっていっても、彼らにとっては全く大した事がないのだろうけど。


2004年11月12日(金) 中国到着!

昨晩の夜7時に上海着。覚悟していたとはいえ、エコノミーでの15時間のフライトはきつかった。まあ毎度のことだが。救いだったのは、空席が目立ったことで、自分の両隣は誰もいなかったのでかなり楽に過ごせた。

乗客は中国人、アメリカ人、半分半分くらいか。アメリカ人はほとんどがビジネス目的のオッサンばかりだが、中国人は家族連れが目立つ。結構目に付くのが、中国人の小姐にアメリカ人の旦那(恋人?)というカップル。さながら中国の実家に男が顔見せに行く、といったところだろうか。でもその逆のパターン(中国人の男にアメリカ人の女性というカップル)は見たことがないな。

並み居る白タクの誘いを振り切って正規タクシーにたどりつき、ホテルまで40分。くたくたになってチェックインしようとしたら、予約がない、とぬかす。部屋は空いているのか、と聞くと、空いている、というので、じゃあそこ取ってくれ、と言うのだが、予約がないからダメだ、と言う。訳が分からない。
予約を頼んだ上海事務所の中国人スタッフに電話すると、対応していたホテルの姉ちゃんが電話をよこせ、と奪い取って勝手に話を進めてしまった。姉ちゃんは、シングルではなく予約はデラックススイートになっていました、と言う。こちとら寝るだけなので、ベッド1つで十分なのだが、もうあれこれとやりあう気力もなくカギを受け取る。この間30分。

部屋は無駄に広いし、インターネットも接続不可能。最悪だ。
外に出て近所のレストランでビールとチャーハンで夕食。その後にお決まりの足裏マッサージと全身マッサージで旅の疲れを取る。90分で90元(1300円)。すっかり気持ちよくて熟睡。

あっという間に1日目が終わった。
そうそう、アメリカで使っている携帯電話がそのまま中国でもつかえるのはとても便利である。中国に降り立った瞬間、日付も時間も中国時間を表示する。不思議と言えば不思議なのだけど、当然と言えば当然か。確か日本の携帯は海外ではつかえないはずだったと思うけど。


現在、4時間のミーティングを終わってホテルで休息中。
今日もこれからうまい飯食って足裏マッサージが楽しみ


2004年11月09日(火) 中国からのドタキャン

現在夜の10時半前。久しぶりに遅くまで事務所に残っている。
2日間社内を空けていた事に加えて、明日からの出張の準備が大詰めだ。

中国の出張はいつも直前でバタバタする。
その多くは現地の訪問先が、自分の都合で勝手にスケジュールを変更してしまうからだ。

中には、明らかに意図的に出発直前に変更を言ってくるところもある。いろんな事情で、こちらが「招かざる客」であるのだが、でも訪問を断ることが出来ないという微妙なケースがこれに当たる。(そんなケースあるんかいな、と言われても結構あるんですな、これが。)

今回も、つい先ほど、
「その日はどうしても駄目だ。この日に変えてくれ。」
と言ってきた。こちらにとっては今回の出張で外すことが出来ない重要な相手からの連絡だ。変えてくれ、と指定した日が図ったように自分の帰国予定日の翌日。

うまくやったもんだ。
こちらに気を使いながらもうまく断ろうとしている。

JAPANESE BUSINESSMAN をなめてもらっては困るよ。
まずはそしらぬ顔で相手には変更を了解する。

同時に、すぐにUNITEDに連絡をして、チケットの変更を申し出る。格安チケットだから変更が出来るかどうか、キャンセル代金がいくらかかるのかは明日まで分からないが、そんなことを気にしていては商売は出来ない。

そういえば、確か前回も帰国日を直前で変更したなあ。

そしてまた現地に行ったら行ったで予想もつかない事態が起こるんだろうな。
これもまた、アジアと商売をする楽しみでもある。
決まりきったアメリカの契約社会の中で一見スマートな仕事をしていると、こんなぐちゃぐちゃが刺激的でもあり、自分をやる気にさせるのだ。



2004年11月08日(月) 日米ゆとりの感じ方

今日は飛行機で片道3時間のボストンへ日帰り出張。
3時間のフライトといえば東京-台湾を往復した感じか。

時間的には、東京から大阪の日帰り出張ということになるかな。それでも、日本で経験した新幹線の往復よりも疲れない気がする。何故だろう。

ボストンについてからは、すんなりと空港そばのレンタカーを借りて商談先まで2時間のドライブ。
先日までワールドシリーズで熱戦を繰り広げたレッドソックスの本拠地、FAYWAY STUDIUMを横目に、すっかり終わりかけの紅葉にかこまれたガラガラのハイウェイを80マイルで飛ばす。

万事が実に快適でストレスのたまりようがない。同じ出張でも、ごみごみした駅で並んで待たされて、そして満員で圧迫感のある新幹線で移動するのとは違いすぎる。

日本の方が給与水準だって高いし会社の福利厚生も充実していて、一見恵まれているのだけど、今ひとつ生活にゆとりとか豊かさは感じられないといわれる。

きっと、こんな環境の違いが、アメリカとの豊かさの感じ方の差となっているのかもしれないな。



2004年11月07日(日) タイガーウッズの苦しみ

午前中はジムに行って筋トレとヨガで久しぶりに身体をリフレッシュ。その後、中国に持っていくお土産を買いに近所のショッピングモールに出向く。すっかり店はTHANKS GIVINGとクリスマスムード一色でどこも大勢の買い物客で賑わっている。なんだかんだといっても、アメリカも景気いいんだなあ、と感じる。

帰ってから、PGAのTOUR CHAMPIONSHIPをTV観戦。
注目は、2日目、3日目と64、65で回り、2位に4打差をつけて最終日を迎えたタイガーウッズ。昨日もTVで見ていたのだが、あの強いウッズが復活してきた感があって、そのまま最終日でもぶっちぎって優勝する事を楽しみにしてTVをつける。

場面は13番ホールでかろうじてトップだが、4打差をつけていたはずのグーセンに追いつかれており、ウッズも1打落としている。

その後、例のごとく淡々とした表情でグーセンがバーディを奪うのに対して、ウッズはなかなかスコアを伸ばせない。
ウッズは結婚後初めてのラウンド。何とか結婚に花を添えたい、何が何でも絶対に勝ちたい、という気合が画面を通じてありありと窺える。今年はたったの1勝。どうしても勝ちが欲しい、ともがくウッズの険しい表情を見て、やばいんじゃないかなあ、なんて思っていたら、16番、17番という大事な場面での連続ボギーで勝負あり。

どうしてもウッズに勝って欲しかったのに、残念だったな。気合だけで勝てるものでもなし。ゴルフは難しい。
気合むき出しのタイガーに対して、優勝したグーセンの表情の変わらないことには恐れ入った。35歳にしてあの貫禄。プロでも一緒に回ると嫌な相手だろう。

思うんだけど、ウッズのピークは過ぎたという説は、割と当たっているのかもしれない。
たまたま20才そこそこでゴルフのピークが来てしまっただけ。スイングがどうだの、コーチだったブッチハーモンとの決別がどうだの、ナイキとのクラブ契約がどうだの、スーパースターゆえに不調の原因をいろいろ言われているのだけど、単にピークが過ぎただけなのかもしれない。

普通に見れば、賞金ランク4位、獲得賞金も500万ドル越えているわけで、別に悪くないじゃないか、という見方も出来るけど、如何せん過去の強さが際立っているから、普通の活躍では周囲は納得してくれない。

次のピークを作るのには、それこそもがき苦しまないといけないかもしれない。これだけ華のあってギャラリーをひきつける選手はいない。いくらビジェイ・シンが今期9勝のぶっちぎり、ワールドランク1位といっても、ビジェイは暗いし華やかさがなさすぎる。

やっぱりウッズだ。
あの強いウッズがいつの日か戻ってきてくれることを期待している。


あ、そうだった。
日本の滋賀で行われたLPGA TOUR(ミズノクラシック)では、アニカソレンスタムが4連覇。強すぎる。で、何で日本の女王、不動が出てないんじゃ! 


2004年11月06日(土) 中国出張へ

来週の10日より中国出張が決まった。わずか3日前の事である。

取引先にて12日の午後から行われるミーティングに参加する為に、10日の朝のフライトに乗らねばならない。いつもは電話やメールで気軽にやりとりしていても、こうしてみると改めてはるかな距離を感じざるを得ない。

上海まで14時間のフライト。本来はビジネスクラスで行きたいのだけど、会社もこんな若造にビジネスを許可してくれる訳もなく、当然エコノミー席。もっともわが社の米国法人の規定は、どの役職からビジネス可とかそんな規定はないのだが、こちらも初めからビジネスで行かせてくれなどと頼んでもいない。2日前にUNITEDでチケットを予約したのだが、料金はたったの820ドル。これって、日本から中国行くのとあまり変わらないのではないかな。その代わり中国で6日滞在しないといけないが、もともと1週間くらい行く予定だったので問題はない。
5月に行った時は2400ドルほどだったから、約3分の一である。いくら需給バランスがあるといっても、そんなに今は閑散期なのかねえ。

14時間のフライトを考えると確かに憂鬱なのだが、営業なんていうのは直接話をしなければどうしようもない局面がある。メールや電話でのフラストレーションを解決するには、直接FACE TO FACEで意見をぶつけあうのが一番いい。

かくいう私は日本企業の米国駐在員として、アメリカ企業の客の為に中国の会社から買い付けをするのであるが、中国の人から見るとこうした立場というのはいつも不思議がられる。
アメリカ人にとってまだまだ中国というのはよく分からない国、というイメージも強いようで、商売をするのに不安が多いようだ。我々からすれば商機あり、という訳である.



2004年11月05日(金) 何があったか?今日は予定外の更新。

今日は予定外の更新だ。
昨日の日記を読んでもらえた方であれば、何があったのか?と思われるであろう。

朝10時半に予定通りレーシックへ。
40分あまりに渡る検査を行い、目は全く問題なし、の結論が出た。さあ、手術である。

その前に膨大な誓約書だのなんだのにサインをさせられる。その中には、レーザー室の手術光景を公開してもいいか、テレビモニターで術中の目をアップにして公開してもいいか、という項目があった。そんなものは望まないので当然「NO」にしたのだが、結構な割合で公開している人が多いのには驚く。
ここはショッピングモールの中の一角にあり、前を通る買い物客がガラスの中の手術光景や、眼球がクローズアップされた大型スクリーンが外から見えるようになっている。それだけ、視力矯正手術は安心で信頼できるもんだ、ということを強調する狙いもあるのだろうが、やっぱりそんなものはギャラリーにお見せするものではないと思うんだけど。

その後、何度も繰り返し質問の機会が与えられ、丁寧に説明も繰り返してくれた。
気をつける点は、手術後はすぐに帰宅して数時間眠ること、1週間は目をこすらないこと、シャワーの際には目に水が入らぬように注意すること、直射日光は避けること。

そこで別室のリラックスルームに連れて行かれ、薬を飲む。まあ精神安定剤というか、緊張を解く薬のようだ。数時間後の睡眠効果もあるらしい。
その薬を飲んだ。後は15分たてばいよいよ手術。10分くらいのんびりしていた頃だろうか。ここまではすこぶる順調であった。

そして 「Are you ready? レーザールームに行きましょうか。」という段になって、なんとそのリラックスルームに突然、迎えに来た嫁が現れた。

「駐車場に止めた車が全く動かない....」

一瞬何のことか分からなかったけど、咄嗟に考えた。車が動かなければ帰れない。とても手術後の目が朦朧としている中で、いつ来るかも分からない修理工場を呼んであれこれやりあう気はなかった。 先生たちには申し訳なかったが、本当に土壇場で手術は仕切りなおしを願い出て、レーシックを後にした。

車はバッテリー上がりだったが、修理が来るのに案の定時間もかかったし、外は珍しく晴天だったので手術後でなくてよかった。

また、実は来週は出張が重なっており、飛行機に乗っても全く影響はない、と言われていたのだが、目のことだけになんとなく嫌な気分ではあったので、まあ仕切りなおしでよかったかもしれない、と好意的に考えることにする。

家に帰って我慢できずに爆睡3時間。薬の効果はあった訳だが、何とも意味の無い眠りであった。 

なかなか世の中を明るく見させてくれないなあ。


2004年11月04日(木) 明日は手術

この数日はアクセス数が普段の倍近くになっていた。

この日記を何人かの方にリンクして頂いたおかげである。うれしい限り。
普段は気にもしていないのだけど、アクセス数が増えるということはなかなかいい気分だな。

それでも、お粗末な文章だったので何か申し訳ないような。やばい事書いたっけな、と慌てて文章を読み返したりしてしまうのであった。


明日はいよいよ視力矯正手術
術後は目を安静にしていないといけないので、テレビも新聞も本もパソコンも見ないつもり。
となれば、何すりゃいいんだろう。何もする事ないよな。困ったな。


結果は如何に? 明後日に報告します。


2004年11月03日(水) やっぱりブッシュだったか

ブッシュの勝利宣言。
意外とあっさりした結末であった。テキサスの客に電話をしておめでとう、と言うと、「Im VERY HAPPY!」とうれしそうに言った。


今回の選挙でブッシュを支持した、うちの会社内で最も頭の切れる米人スタッフのRに聞いてみた。

「共和党は、ひらたくいえば、“自己責任で生きていけ、政府に頼るな。年金も期待せずに必要あれば自分で貯めろ。”というような方針がはっきりしているから、多くのアメリカ人の生き方には合っているんではないかな。もっとも、お国に頼りたい低所得層は逆に民主党よりなんだけど。

戦争? 誰もがイラクの攻撃なんかやめちまえ、って思っているよ。当たり前だ。でも、戦争や軍隊なんていうのは自分とは別世界の話。自分だけの事、自分の生活を考えれば、やっぱり共和党のブッシュだ。ケリーは戦争反対ばかりで、一般国民の生活という観点でははっきりした主張もないしな。」


アメリカ以外の国から見た場合、大統領選の焦点はイラク戦争であったはずなのだけど、投票権を持った張本人の多くはそんなもんは自分達とは別世界の話、というところに全てが集約されていたと思う。

アメリカの一般人は、所詮が素朴で人のいいイナカモノなのであって、この選挙によって世界を引っ張る超大国の指導者を決めるという意識、それによって地球上の人類に対する責任を負う、なんていう意識はこれっぽっちもない人が多いのだろう。


今回の選挙で、アメリカという国と国民について、色んなことが勉強になった。

そして、アメリカ国民だけが得る事の出来る、大統領選挙に参加できる権利というのは素晴らしいと思った。



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2004年11月02日(火) 「日本人はみんなブッシュ支持だろ」

今日は大統領選挙投票日。
取引先には電話のついでに投票に言ったか聞いてみる。ほとんどの人が、就業後に行くつもり、と言っていたけど、どこの投票所も長蛇の列なんだよなあ、とぼやいていた。
意外にも大統領選挙の投票は原始的。州ごとに投票方法も違うし、世界が注目する大きな選挙の割には頼りない。


普段はお堅い話なんかしないうちの会社のスタッフにも聞いてみた。

「ブッシュって海外でも人気あると思う?」

「当たり前じゃないか。日本だってそうだろ。日本人はみんなブッシュ派だって、新聞に書いてあったぞ。名前は知らないけど日本のトップがブッシュ支持なんだから国民もそうなんだろ。」

どうやら小泉首相が熱烈なブッシュ派ということを受けて、日本人全体がひとくくりにされて理解されているようだ。

君達、日系企業で働きながらそんな大きな誤解しないでくれよ、と思ったけど、やっぱりアメリカ人の日本に対する印象はそんなものなのかもしれないな、と思った。

アメリカから見れば日本は小さな小さな島国。日本の首脳の意見には国民のほとんどが同意すると考えたのは、不思議ではないかも。もしくは、社長の意見にろくにモノが言えずに部下が同意して従ってしまう、我が企業で働いているからこその意見なのかもしれない。ははは。って笑い事じゃないか。


2004年11月01日(月) ブッシュと感じる理由

いよいよ明日に迫った大統領選挙。

事務所のアメリカ人にどちらの候補に投票するか聞いてみたが、驚くことに全員の答えが一緒だった。  

「ブッシュに決まっているだろ」
新聞でもテレビでも、我がイリノイ州はケリーで決まりと報道されているし、それは間違いないのかもしれないが、やはりブッシュを支持する人がこうも多いとは驚きである。まあ、うちの会社という狭い世界での話しだけど。

まあ、うちのスタッフに言わせれば、ブッシュとケリーがどちらが当選するか、ということよりも、「投票日は会社が休みになるかどうか」の方が関心が強いようだ。
聞いたところ学校は休みになるし、今朝の新聞は約30%の企業が休暇または就業時間内での投票を認めている。うちの会社は特別にそんな制度を作っていないけど、みんな朝から投票に行くと行っていた。どうせ午前中は誰も出てこないに違いないな。

自分の狭い認識だけでいうと、大方のアメリカ人はこんな感じではないであろうか。
パスポートも持っておらず、ろくに新聞も読んでいないアメリカ人は予想外に多い。こちらでテレビ番組や新聞を見ていても、アジアやヨーロッパのニュースなんかとても少ない。アメリカが世界からどう思われようと、関心が低いのだ。そもそも、アメリカを取り巻く海外ではブッシュの評判がここまで悪い、と認識している人がどれだけいるのだろうか。要は、素朴で朴訥な田舎モノがアメリカには多いと思う。「まあ、ええやん。大統領代えなくったって。」

そんな中、ビンラディンのメッセージがどう影響するか、などとCNNではやっているが、こんなおじさんやおばちゃんは、ビンラディンなんか関係ない気がしてならないが違うだろうか。


もし自分に投票権があるならば、‘もうブッシュは遠慮したい’という気持ちがあるから、ケリー支持。でもこうした意見(=ケリーがいいのではなくブッシュが嫌)は結構多いと感じるな。ケリーの決め手がないというか。

なんとなくであるけど、接戦の末にブッシュ再選、という路線がやはり強い気がしてならない。

日本も注目しているんだろうな、米大統領選。
誰が大統領になるかは、誰が日本の総理大臣になるか、よりもはるかに日本にとって影響強いからな。


Kyosuke