++るうの独り言++
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2004年05月30日(日) ストレスの吐き捨て場

私はコーヒーが好きである。

・・・なにをいまさら。

んがしかしである。
月に何回かはコーヒーを飲みたくない、と思う日もある。

友人の家で、おいしい冷茶をだされたとき(彼女はお茶をいれるのが上手)、
「コーヒーの方がいい?」と聞かれて
「いんやー、とんでもない。こっちをいただきますぅ」
と私がいうと、別の友人が、
「コーヒーが好きなんじゃなかったっけ?」とかいう。
こういう場面こういう時は、コーヒーより断然彼女の冷茶の方が好きだ。
むしろ、コーヒーなんぞださないで、と思う。コーヒーなんかいらーん、と思う。
しかしながらそういう私を見ただれかが、
「コーヒー好きってもさほど、ってわけじゃないのね」
とかいうと、むっとする。

・・・この私の気持ちわかってくれるひと〜。*しーん*

「コーヒーが好き」って言葉に出すと、それは100%だと思われる。
言葉に残されたことはなにがなんでもいついかなる時でもそうだ、と思われる。
ところが人間てのは感情や気分に揺らぎが有る。
「コーヒー好き」と書いた人間が、ある時コーヒーを選択せずに他の飲み物を飲んでたりすると、「なんだ、ちがうんじゃん」「うそつきー」とか思われたりする。
困ったもんなのである。

しかし、その人間のゆらぎと、言葉の完璧さとにうまく折り合いをつけて高めると、文学という芸術になる。
「人間の揺らぎを100%みごとにとらえた言葉」ができる。感動する。
それはとてもすばらしいものである。

さああて、である。
そういう能力のない自分は、揺らぐ自分の心表現しようとして、いつまで冗長で注釈だらけの文章をかきつらねるのか、と思うとうんざりもする。

・・・だけど、書くことでストレス発散してるのはたしかで、
それをやめろといわれるのはちょっと辛い。
ここで書いてるんだからー、ということでまたしばらく自分をあまやかしときますかね。ごめんなさい。<誰にあやまってるんだ?




◆昔の今日の記事
2002年05月30日(木) 吐き出す


2004年05月27日(木) 歴史観

メールにて。

「カッパピアは閉園してしまったのをごぞんじですか? 記事を拝見しましたが、デッドリンクになっています。直したほうがいいと思いますが」

・・・直しません〜。ヾ(・・;)


「知らないかもしれませんが、ディズニーランドはチケットが大幅に変わっています。入場券だけというのはもうありません。記事を訂正したほうがいいと思います」

・・・訂正しませ〜ん。

「袖すりあうもたしょうの縁、というのは、他生が正しいです。どれか分からない時は辞書で確認したほうがいいですよ」

・・・┐( ̄ヘ ̄)┌

「健康ランドの○○はとっくに閉鎖になっています。記事を削除して下さい」

・・・ ┐(´ー`)┌

「独り言ですけど、××は△△と書くんじゃないですか? 字が間違ってます。直した方がいいと思います」

・・・┐(-。ー;)┌


こういった内容のメールがよく届く(届いていた)。
んで、“2月事件”である。(勝手に自分の中でそう名付けた)

そうか、と思った。
こういう感覚をもって我がHPを見ている人が結構いるのか、と。

カッパピアに行って楽しかったのも、そのころHPが存在したのも、
『群馬という海なし県の子どもたちを哀れんだ観音様が涙を流しました。それがカッパピアのプールになったのです』というありがたい話も知っているのだ。

その事実を、“今閉園になって存在しない”からという理由で削除したり訂正したりしろと?
なかったことにしろと?

ほー。

これがもしかすると、大方の日本人の歴史観かもしれない。
目の前の事実しかみていない。
そこに到達するまでの過程(=歴史)は気にもとめない。
だからその事実があったときの、人々の感情や思いは無視。無いも同然。
今の自分の都合や感情を基準として、その時の人々の気持ちを判断する。
正しいのは『自分』。そうでない物は切り捨て、差別!(暴言)

ほーーーー。

漢字が間違ってるのは事実だ。(私はよくやる)
んが、独り言のこのページである。
これは勢いこんで書いたなとか、かなりかっかしてるんだなとか、感情的になってるなとか、十分に判断できるわけで、
ある時は、「わざとやってるな。ニヤ」ともおもってもらいたいわけで、
私もあとで読みかえして、よっぽどわけわからん、という時以外は気がついても訂正しない。その時の感情と後の感情では微妙にくいちがうからだ。
「そのとき」の自分をとっておきたいからだ。

そういうことを、汲み取ってくださる、ありがたい訪問者がほとんどだが、
それでこんなに長く続けられて来たわけなんだが、
6年の我が家の歴史を・・・ひいては他人や日本や各国の歴史をないがしろにする人間が目立つようになってきていることをちょっと憂う。
そして彼ら(彼女ら)に自覚がないのもとても気になるのだ。




◆昔の今日の記事


2004年05月24日(月) 有料版

ここを有料永久版に変えようかしばし真剣に悩んだ(^^ゞ 
・・・検索機能ほしいよぉぉ。

2002年の9月19日だった。

蓮池さんや地村さんの嬉しそうな記者会見みてて、涙がでそうになった。
よかったー。
(実は 生まれた時にこっそり日本名をつけていた、という話を聞いて泣いちゃったんだ)

今回、この笑顔のために小泉さんは北朝鮮にいったんだ、って言ってもいいぐらいだ。
与党の慎重論派や家族会の意向とかを尊重してたら、またご家族の帰国はのびのびになっただろう。
「2週間ほど旅行にいってくる」としか言わないまま、1年7か月がたってしまって、子どもたちや親の心情を考えると胸が痛くなる。

この笑顔には
どんな誹謗中傷も非難もバッシングもゴミみたいなもんだ。
『予想された最悪の結果』だって? あの笑顔が?
民主党はどんどんしょうもない政党になるし。
よかった。
いってよかった。

さて、どんどんことを運んでちょうだい。
国交正常化にむけて。
休んでる暇はないのよ。
自由に人々が行き来できるようになれば、悲劇は起きにくい。
政府や国の調査が信用できないというのなら、自分で探しにもいけるんだ。

がんばろう。
日本人それぞれが、今できる事を、一生懸命に。
「私たちは日本人だ。北朝鮮人じゃない」という思いをもっている人たちに
失礼な事や彼らを失望させるようなことがあってはならない。


「私は何もできない」とか「だから日本は」とか「日本はしょうもない国だ」とか傍観を決め込む奴が1番最低だろうな。
かっこつけていろんなこといってるけど、耳を塞ごうと思う。
・・・テレビのつけっぱなし厳禁ね(笑)




◆昔の今日の記事


2004年05月19日(水) サファリとむりやり別れさせられる(涙)

えんげひかさんちにいったら
http://www.itmedia.co.jp/pcupdate/articles/0405/18/news012.html
こんな記事をみつけてしまった。

ああん。サファリとっても気にいってるのになあ。
でもネットは自己防衛、次小関人・・・自己責任。

しぶしぶ、寝助に戻す。
べつにいいんだけどね。いままでそうだったんだから。

で、サファリにかえてからじぇんじぇんいじくってないので、ブックマークとか時代遅れのばっかり。
朝から「しくしく」いいながら設定を変える。
メールもMac標準装備のでなくて、寝助にくっついてるのに変える。

さて、ってんでここに文句を書こうとおもったら
うわーん、ユーザー番号とパスワードがぁぁぁ。

しくしくしく。

もう変えないっ。
私は寝助ユーザーに徹するっ。 ふんふんのふんっ!

ああああ、それにしてもネスケは
起動&反応がおそいっ、広告がうっとうしいっ! <八つ当たり。




◆昔の今日の記事
2003年05月19日(月) 説明文は書かないぞ(^-^; 


2004年05月16日(日) オリジナルだあああ?

「このサイトのレシピは市販の商品を使った管理人のオリジナルレシピです。無断転載禁止。管理人まで連絡のこと」

お弁当の献立に困って検索かけてたら、こんな表記に出会う。
んで、どれどれと覗いたら、なんのことはない、昔からお母さんたちが作って来た様々な普通のおかずが並んでるだけである。
卵焼きにいろんなものをいれたり、ハスのはさみ揚げや変わり春巻きなんぞ、あんたが気が付く前にいろんな人がさんざんやっとるわいっ!!
それを、『オリジナル』などと銘打つ神経の太さ! 
こういうずうずうしい人がいるんだな、とあきれて却って笑ってしまった。

「私は料理が上手なんだぞ。ひらめきがいいんだぞ」といいたいのだろうが、先輩お母さん方に失礼にも程が有る。思い上がりも甚だしい。
こういう人が作ったお弁当はおしつけがましくて美味しくないんだよ。(、と決めつける)

独身男性諸君、お気をつけあそばせ。(はっはっはっは)

るうおかーさんのおべんとは、真似しても無断転載でもなにしてもいいです。でもそのかわり、そっちのお弁当の献立おしえてくだはいーー(泣く)


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Q.料理のレシピに著作権はありますか?

ありません。アイディアは著作権法で保護されません。レシピを記述した文章が創作的な場合はその文章に著作権が発生しますが、調理法は誰が真似してもかまいません。

http://homepage2.nifty.com/hebicyan/main/cho.html
逮捕されない著作権法
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2004年05月13日(木) 裏と表

キャンプで1番気にするのは
「水や地面を汚すこと」で
きちんとした下水装置等整ってない場所で、家庭と同様に洗剤だの、なんだの使うのが嫌。
化粧おとしのクリームすら流すんじゃない! とか思ってしまうので、キャンプに厚化粧してくる奴とは友達になりたくない。
川で、脂ぎった焼き肉の鉄板を洗う奴もいて、ぞっとした。
さすがにこれは口を挟んだが。

んだもんで、なるべく食器類も網も現地では洗わない。
使い捨て食器つかったり、最終日は汚れたまま新聞紙にくるんで家にもってくる。

これで水の汚染は防げたかな、と思うんだが
結局は自己満足。

そもそも、あんなところでテントはること事態、汚染の大本なんだ(^^ゞ 
だから私は、「自然環境に気をつかってます」なんてはずかしくって言えない。
綺麗な流れに空き缶を放りなげる神経がいやなんで、
あるニュースで、観光客が捨てた空き缶に、小魚が巣を作ってたということを聞いて、苦笑したことがあった。
・・・そういうもんであろう。

家庭でも、ゴミをシンクにためない、ということをするために
そして広告紙の有効利用との名目で
せっせと広告紙で箱を折り、そこに捨てるが、
たしかにこれで我が家から流れる水は多少きれいだろうが、
そのために、ごみは「生ゴミ」だけだったのが、「生ゴミ+広告紙」になって増えたわけで、
どっちのリスクが大きいのか、考えてはいない。

結局はこれも自己満足。

光が当たれば陰ができる。
こっちが良ければあっちが悪くなる。
ものには必ず裏表があり、
いや、2面だけでなく、3面も4面もあるわけで、
いろんな見方や、いろんな可能性を認識しなければ本質を見誤る。

自己満足は別に問題じゃない。おおいに結構。
ただ、これを論拠に正論をふりかざし始めると
・・・それは『偽善』だ。

と思うのは、またまた私だけか。(^^ゞ 

「いーじゃん、言いたい奴は言わしとけば。近寄らなきゃいいんでしょ? ほっときなよー」

はい。




◆昔の今日の記事
2002年05月13日(月) 新聞紙


2004年05月12日(水) 労働節休み(5/6〜5/12)

仕事の関係で、ずらしてとった労働節休みはたったの1週間で、
移動日抜かすと5日しかなかった。しくしく。

でもたのしかったー♪
えへへへへ。にゃ〜(=´∇`=)
ビデオチャットにずいぶん救われていはいるけれど
やっぱり「体温」っていいなあ、と。

さて。
次の帰国を楽しみに、こっちもがんばりましょう。




◆昔の今日の記事
2002年05月12日(日) 風のなかのすばる〜


2004年05月02日(日) 盛人式

・・・字間違いではない。そういう言葉があるそうな。
成人式は20歳の対象だが、盛人式は50歳が対象。

ふ〜ん。

20歳の成人式御乱交 ヾ(- -;) を憂いた中高年が、
「親世代の自分たちが20歳の若者に人生のお手本を示し、50歳という年令を節目に今までの人生を見つめ直し、これからの人生を考えるきっかけにしたい」
ということなんだそうな。

ふ〜ん。

親の不行届きを、こうやって償うのか、などといぢわるーな感想をもったりもするが、
一部の地域だけでなく、全国的に注目されており、各地で盛り上がってるそうな。式の内容も充実しており参加者もとても楽しく過ごしたとのこと。

ふ〜ん。

でね。
こりゃ、ついに、若者は見捨てられつつあるんじゃないか? などと思ったのであった。
「日本社会に何の貢献もしようとしない」「将来への期待や展望が何も無い」「努力しない」
それでいて、「日本が悪い」などと他に責任転嫁し続けて、権利だけ主張する若者に、
子どもに甘い日本の大人たちも、さすがに我慢の限界に来てるのじゃないか、と思った。
『もう、いい。おれたちはまだ元気で十分動ける。しょうもない若者なんかに期待はしない』
とかね。
少子化時代だもんねー。数が少ないから戦力としてあてにならなくなってくるってことだもんねー。

とはいえ。

若者(子ども)たちに、その勘違いを、じっくりしっかり諭してやるような
片目つぶりつつ、勉強&修行させてやるような
そんな社会環境がないのは、問題。
そういうことで、日本に居場所がなくなった若者が、自分の技量能力を勘違いしたまま、海外に出て、結局またあっちこっちに大迷惑かけて戻ってくるという状況がこれからも起こるだろう。(笑)

とはいいつつ。

とくに、過酷な競争社会の現実では、昔のようにのんびりそんなことやってられないのもたしか。一人を0からのんびり育てたりすれば、会社全体が傾く。そもそもそんなことをする義理は組織にはない。
会社や組織が、人材を取捨選択するのは、十分に分かる。ある程度希望にあった人材を求めるのは当然。
最低でも「挨拶ができて、元気でしゃべれて行動できる」若者が必要で(笑)、そうでない人間が弾かれてもしょうがないとも思う。

ふ〜む。

結局この高齢社会日本では、若者を育てる、ということができるのは
「家庭」だけかもしれない。
そりゃ、当然なんだけどさ(^^ゞ これからはことにしっかり見つめ直さねばならないと思う。
今までのんきに、「学校におまかせしまーす、地域におまかせしまーす」と
他人任せにしてきた親の因果が子に酬い、という時代がついに来ちゃったか、と
怖くなったのだ。

・・・いやはや。
ラジオから流れて来た一言に、朝からいろいろ考えちゃったなあ。




◆昔の今日の記事


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