++るうの独り言++
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2004年06月12日(土) 名前

名前につかえる漢字が増えたそうな。
んで、その中に 癌だの呪だのそんな字が入ってるもんだから
その事に関してけっこううるさい。

「名前漢字に入れるな」と言う訳だろうが
名前に使える字というのは「常用漢字」+「名前漢字」なわけで
そしたら、殺だって死だって有りなわけよ。

親の考えにまかせるべき。
理性とかモラルの問題では無く、愛情の問題。
十か月お腹の中で育んできた子につけられる名前とそうでない名前がある。
それを理解しない父親が先走って馬鹿な考えを起こすかもしれないが、そしたらそれはドメスティックバイオレンスだ。

そもそもそういう字をつかわなくったって
「もう女の子はたくさん。打ち止めにしたい」ってんで留(とめ)という名がつけられたり、女の子ばっかり続くので4人めの子にどう見ても男名前をつけたとか、あぐりっていうのも有名だし、そんな失礼(笑)な命名は昔からあったわけで、いまさらねえ〜。

それよか、ちょっと思ったんだが
わたしは昔から親に
「ほんとは瑠璃子にしたかったんだが、その当時名前漢字で許可されてなかったんだ」と何度いわれたことやら。
友人は
「桔梗という名前をつけたかったのに、だめで、きょう子にした。お前のその名前には桔梗の花のような、という意味が含まれてる」と言われたそうな。

そういう人かなりいるだろう。
今回の改正で(今までもそうだけど)、なんで〜って悔しい思いした人おおいんじゃないか?
癌だの怨だの言う前に
「ほんとはこの漢字(この名前)にしたかったのにぃぃぃ」という場合の救済措置はないんかな、と思ったのさ。
制限とっちゃどーかね。
自由に好きな名前つけられるようになったら、幾分でも少子化に歯止めがかかるかもしれないぞ。(わっはっはっは)

・・・とはいえ、私は瑠璃子に直したくはない。
蓮見瑠璃子 なんて、ぎょうぎょうしくって、ねえ?
それに画数が多くて書くのがめんどいもーん ヾ(・・;)
 




◆昔の今日の記事
2003年06月12日(木) カメラ付き携帯


2004年06月08日(火) きたー

*2ちゃんねるかなんかでそんな顔文字があったな*

我がまっちゃんの定時報告「ソフトウエアのアップデイトのおしらせ。
「るうちゃんー。“Security Update 2004-06-07”がきましたよー。これは絶対アップデイトしてくださいましー」

きた〜♪ これよこれよ、これなのよ。
これでサファリもつかえるようになるかしら。

んだけどねー、
ここ1か月ばかりネスケをつかってて、
サファリの重大な(?)欠陥を発見してしまった。

わたしのmy herb garden blog は ネット上でhtmlとかcssとかいじくってすきなようにカスタマイズするんだけど、
それをサファリでやるとおかしなことになることを発見。
記号(?)や文字(?)がかってに変わってるようなのだ。

おんなじことをネスケでやると問題ない。

うううむ。IEは使わないことに決めたので、
主を「サファリ」にして、書き込みとかなにか弄る時はネスケにしようかしら。それもめんどいなあ〜。ぶつぶつぶつ。




◆昔の今日の記事


2004年06月07日(月) 懐かしの昭和

今、『昭和』がスポットライトを浴びてるんだそうで。

考えてみれば平成に入ってもう16年、
若者のほとんどが昭和をしらないんだな。
(幼稚園時代までは昭和だったという人々もそんなときの記憶はないも同然なわけだから)

ちょうど私が大正浪漫だの明治村だのにきゃーきゃーいうのと似ているかもしれない。
わたし、タイムマシンがつかえるのなら、即、生芥川に会いにいくもの。

で、
その『昭和』に改めてスポットを当てたのが、50〜60歳ぐらいの人々なんだって。
「おれたちが過ごした昭和はこんなにすてきだったんだ!」ということらしい。

それ聞いて、また私のひねくれ虫がつぶやいたのだわよ。

「その年の人たちってさー、時代が昭和だったときは、その昭和と言う時代を、自分が生きていたその環境をもっとも嫌悪していたひとたちじゃーん」

私は幼かったが(ちょっとうそ)、ちゃんと見てたぞ。

「こんな時代、とか、こんな大人なんて、と、その時代とそこに生きていた人々を嫌っていつも傍観しバカにしてた人々が、今その時代を『素敵だったんだよ』というのか?」

反省なのか? 嘘つきなのか? 機をみるに敏なのか? 金のためなら手段をえらばないのか?(暴言の数々)

で、思ったのよ。
「昭和という時代を嫌悪した人間が、今度は平成16年という今を嫌悪しているわけだ」と。
そんな信用ならない人間のはかりごとや世迷い言に惑わされるもんか。

連中、結局、今を直視できない。今に全力投球できない、今の自分が肯定できない、今がある歴史を語れない、ユートピアがどこかにあると、幸せの青い鳥を探し求めてまだ気付かない面々。
かわいそうだなあ、と。

娘といっしょに「りぼんの騎士」が歌えたり、ひょっこりひょうたんじまみたり、サンダーバードの映画を見にいく幸せもある。
どこかで書いたけど
私は赤いソノシートもしってるし、DVDに録画もできる(←先週できるようになった)
切符が分厚かったのもしってるし、スイカの便利さも毎日体験中。
麻婆豆腐を1から作る事もできるし、素を利用するよさも知ってる。
結核が不治の病だったのも知ってるし、産褥で多くの母子が亡くなったのも知ってるし・・・・

私も子どもに向かって「昔は好かった」と、婆臭い自慢話をするにはするが、その時も、今も存分に謳歌している。
なによりも、日本という国のこの時代に生きているという、3億円の宝くじにあたったようなどきどきするほどの幸運をかみしめている。

それを伝えるため、その幸せを分けるためになら
『昭和ミュージアム』も結構だろう。

が、
今はよくない昔はよかったというだけの、なんの将来性も希望もあたえないような施設なんぞ、必要ないね〜。ふん。




◆昔の今日の記事


2004年06月06日(日) ネットだけのせいでもあるまい

ハンドルネームつかって
親が関与できにくい世界へいって

・・・学校に来るパソコン講師の中には、『自由に好きなように。大人よりキミたちの方が能力があるんだから』とか詐欺師まがいの言葉で子どもをおだてあげ、反大人、反社会をこそっと教え、ネットの世界へのいいとこだけ見せてその世界に送り込んで、私の仕事期間はこれでおしまいです、あとのことはしりません、はいさよなら〜、という奴がいるそうだが、今回の事件、そういう連中にも大いに責任がある、と思ってる。
そういうやつを派遣せざるをえなくなった環境にも嫌悪する。

...ちゃんと大学で、教員養成課程にIT教育という科目をくみこめっ!!

だからそこでトラブルにあったとき
前にも書いたけど、言葉だけの世界って、本能や潜在意識の世界だから、ものすごくどろどろしてて激しくて生々しいんだが、
そういう中で自分を守ったり戦ったりするには余りにも幼いのに、
守る親や大人が関与できなくなってるから、
そんな世界で自由に遊ばせるというのが、いかに危険なことかわかりそうなもんだ。

それが原因の一つ。

それともう一つ。
これは某所では『ツレション現象』とか呼ばれるもの(笑)
90%の女性が小中高時代に、仲良しのお友達と休み時間に誘いあってトイレにいった経験をおもちだろう。
今大人になって考えると
「トイレにいかない?」とは一緒の人に言わないことに気付いた。
「私、ちょっとトイレにいってくる」である。

仲良しになると、いつでもいっしょ、なのだ。
学校でも一緒
帰ってからも一緒
塾も一緒
部活も一緒
見るテレビも一緒
好きなタレントも一緒

それで安心するのだろう。

意見が食い違うととたんに険悪なムードになる。
(西城秀樹より野口五郎がいいといって絶交した二人を知っている)
お互いはお互いを認めあうというか、ほとんど同化しているのだ

そういう心理になる時期がある。
そうしながら、じょじょに違いを認識し、傷付いたり傷つけたりそんなことをくりかえしながら、
今度は「違い」を楽しむようになっていく。

これがうまくできないと
悲惨ないじめ、差別、相手の存在の排除・・・

そうでなくても人間同士の生のふれあいがすくない昨今の子どもたち。
同化してたはずの、いわばもう一人の自分から、自分を否定されたような気がしたんだろうな。

・・・・
ねえ。もっと見ようよ、せめて自分の子どもたちをさ。
母として社会人として人間として、とかなんとかかっこいい姿したいのはわかるけどさ、
ぼろぼろに母親だけやってたっていいじゃない。
それが「かっこわるい」とかいうやつにはいわしとけばいい。
大抵そういうこというやつは、さっきのパソコン講師みたいな連中なんだからさ。

他のことに気をまわしてる場合じゃないなあ、とほんとに思うんだ、この頃。




◆昔の今日の記事
2003年06月06日(金) (^o^)
2002年06月06日(木) あんず


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