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あるこのつれづれ野球日記
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2004年09月30日(木)
賞品としてのキリンラガービールのこと


 初めてビールを飲んだのは、多分7歳のときです。夕飯時、大人組はビールを飲んでいたのが、父がおもしろがって、私や姉に、「泡飲めや、泡」と言ってきました。ビール自体には興味なかったのですが、泡は子どもの好奇心をそそります。父からコップをもらって、上澄みをズルズル。横で母や、「泡だけやで泡だけ」と心配そうに私が飲むのを見守っていました。今思ったら、未成年でも泡だけなら飲んでもいいなんていう法律はありません。父は一体何がしたかったのでしょう。それでも、味なんてちっともわからなかったけど、泡飲みは楽しかったです。

 まだ小学校のとき、一度、黄色い部分も飲んでしまったことがあります。どういう経緯でそういうことになったのかはわからないのですが。飲むと、頭がグルングルン回りました。それがビールの気持ちいいところだとも知らずに、部屋で寝転がって、グルングルンがおさまるのを待ちました。次の日、風邪を引きました。子どもがビールを飲んだらいけないのは、風邪をひくからかと思いました。私は大人になっても、きっとビールは飲まないだろうと思いました。風邪をひくのはイヤです。

 本格的なビールデビューは18歳のときです。すでに大学が内定していました。夜、親がビールを飲むとき、私たち子どもをずっと寄せつかなかった親がある日、「あんたも飲むか?」と言ってきたのです。びっくりしました。「大学に入ったら、飲み会も一杯あるしな。慣れとかなあかん」と言って父が笑いました。大丈夫だろうか。こくりと一口。苦いけど、悪くない。まだおいしいとまでは思わなかったのですが、背伸びしたい年頃。母が、お盆にビールとおつまみを載せて居間に来るときは、いつもそこにいるようにしました。

 酔っぱらうことにあこがれていました。ビールは、のどごしと酔ったときのフラフラ感のためにあると思っていました。長い人生、酔っぱらうことを知ることも必要などと思い、大学4年間は精一杯酔っぱらおうと決意しました。社会人になったら出来ないだろうと、漠然とでもわかっていたんでしょうね。記憶をなくしたり、鴨川で暴れたり、コンタクトを落とすこと10数回。バイトの店長の電車で寝ゲロしたり、目が覚めたら知らない人の家にいたり、その他ここにはとても書けないことを繰り返して、大学卒業間際に、ようやく酔っぱらうためではなく、味わうためにビールを飲みたいと思うようになりました。「酔っぱらい経由社会人へ」プロジェクトは見事成功。というわけです。

 キリンが好きですね。淡麗生。発泡酒が出る前はキリンラガーでした。キリンラガーと言えば、甲子園の阪神戦の途中で観客の中から、「ラガーカップル」(?)たるものが選ばれます。賞品はもちろんビールなんですが。選ばれるカップルを見ているとたいていさわやかで女がかわいいので、私には100回生まれ変わっても縁がありそうにないのですが、前、一度老夫婦が選ばれていたので、ナイスと思いました。

 そうそう、賞品とかでよく○○1年分ってあるじゃないですか。あれって、どれくらいなんだろうって思ったことありませんか?以前、母は賞品でキリンラガービール1年分をもらったことがあります(しかも、ちょうど「ビールはもうやめよう」と思ってたころに)。玄関にはケースの山。私の身長より高かったです。350mlが15ケース。1ケース24本だから、計360本。5日は休肝日?!



2004年09月29日(水)
痛い、痛い、痛い


 試合を見ていて、デッドボールを受けたバッターを見て、思わず「痛っ」と言ってしまうことがあります。選手に痛さがあるのなら、私たち観客にも痛さがあります。

 昔、甲子園の外野席で阪神戦を見たあと、父が「ケツが痛い。ケツが痛い」と言っていました。私は、阪神の攻撃のときは立っているので、それほど感じなかったのですが。父の甲子園の思い出は、「ケツが痛い」の一点です。

 先日、西京極のネット裏上段で試合を見ていたら、一緒に見ていた人が、「首、痛くない?」と聞いてきました。首?いきなり何の話題だろ?と思ったのですが、その人はグランドと座っている席の高低差で首に負担がかかっていたようです。普段は、もう少し前で見るとのこと。私は上段で見るのが当たり前になっているので、なんだか新鮮だなあと思いました。ということは、同じ席にいても視界が違うということになり、当然試合の印象も違ってくるということになります。

 他にも、鳴り物が嫌いな人は、うるさいから「耳が痛い」と言います。試合展開が寒くて、ビールを飲み過ぎて頭痛いとかもありますね。ちなみに、私の野球場での主な痛みは、胃と下腹。やっぱ、夏の大会は体に悪いや。



2004年09月28日(火)
相方、YahooBBへ行く


 相方が昨日、YahooBBで行われれた最後のオリックスー近鉄戦を見に行ったのだが、撮った写真を送ってくれた。元々は阪急ブレーブスのファン。球団名が変わっても、95年のオリックスの優勝を見ようと連日グリーンスタジアム似通っていた(そして、見事4連敗)。そういう流れからいくと、昨日もごく自然な話で。でも、平日だし誰もつきあってくれる人がいなかったようで、一人で行っていた。

 相方曰く、最後ということで相当盛り上がったのだが、どちらかというと近鉄ファンの方が熱かったとのこと。ファンの性質もあるのかもしれないけど、合併後親となるのがオリックスということもあるのかな?いや。ないかな?写真にはそんなファンのいるスタンドが映っていた。そして、最後のページにどかんと相方の顔が。ギョッ。何かと思ったら、先着2000人が試合後球場に入って写真が撮れるという企画があったのだ。最初は一緒に写真を撮るのはダメだったのだけど、実際行ったらOKだったという。サインももらえたみたい。選手が数人にわかれて、10のブロックを作り、客も同様にグループを作り、職員に「あなたはAブロックね」みたいな感じで連れていかれる。選択の余地はない。相方が連れて行かれたブロックには谷中がいたのかな?阪神時代はお世話になりました。写真には相方を中心に数人のオリックスの選手が並んでいたのだが。その格好がまた笑える。相方、やたら偉そうなのだ。足を肩幅に広げ、手を後ろで組んで、口をつむんでいる。さながら、相方とその部下たちみたいな感じ。プロ野球選手とこんな風に写真撮ってるヤツ、初めて見たわ。「何なん、あのポーズ」って聞いたら、「だって、わきあいあいとする必要もないやろし、ナメられたらあかんやろ」。何やねん、ケンカ売ってるんかいな。張り合う必要性がわからない。ま、変に恭しくされても、リアクションに困るやろな、きっと。



2004年09月27日(月)
開会式と最後尾の選手

 今日は、北部棚卸しシリーズ第一日目。9号線から、京都縦貫道路に入った。縦貫道に入り口の側に京都成章高校があり、途中の坂道を自転車で上る野球部員を何人か見かけた。丸坊主の頭をタオルで拭きながら自転車を漕いでる子を連続で二人見た。失礼ながら、ちょっとしたコメディーを見ているような気分になった。みんな一緒に来ているイメージがあるのだが、ちょっと感覚が空いて、一人ずつ。車が進むにつれて、前にいる選手をどんどん追い越して行った。成章球児が一人、成章球児が二人…。zzz。

 目が覚めたら、天橋立。今日はここら辺をうろうろ。最初に行った店では、カウントが終わったあと、女性店員さんと少し話をした。腰に大きな計算機のようなものをぶら下げて一心不乱にカタカタいわせている姿に最初は驚いたらしい。「きっとピアノもうまいんだろうなって思って」と言われた。度肝を抜かれた。棚卸しは、音符を読めなくても出来ますよ〜。やっぱり自分以外の人はおもしろい。違うということはおもしろい。出会う人全員がおもしろいと思える自分になれたら、人生幸せだろうなあ。

 駅前の定食屋が定休日でガッカリ。お昼は、マクドだった。トレイの下に敷いてある紙にはマクドが主催している少年野球大会のトーナメント表があった。下にはカラー写真。中でも開会式で並んでる子供達を後ろから撮ってるのが印象に残った。後ろ3人が全く同じ角度で上半身を歪ませて前を見ていたり、キョロキョロしていたり、後の子供にちょっかいを出していたり…。その集中力なさがかわいらしかった。テレビでよく映る前方の子供たちは硬い表情。だから生で開会式を見るときは、後方の選手に注目する。少年野球ほどでもないけど、高校野球でももぞもぞと足踏みしていたり、キョロキョロしている選手もいる。昔、東山がセンバツに出た時、開会式を見たが、そのときも後の選手がそんな感じだった。楽しんでいたら、長いお偉方の挨拶もあっという間だった。



2004年09月26日(日)
思わぬ人と野球観戦


 京滋(癪なので、単語登録した。一発変換、万歳!)リーグを見に、西京極へ。何やかんや言いながら、今日がデビュー戦(?)。東山OBや全国的には知られていないけど、京都の高校野球で活躍した選手が見れる。今日も、電光掲示板には懐かしい名前が並んでいた。これが無料だなんて、あまりにもおいしい。そして、力身くんは、やっぱりすごい。

 一人で、行ったのではない。金曜日に、2,3年前お世話になった東山の野球部員のお母さんから、お誘いのメールがきたのだ。もうずいぶん連絡を取っていなかったし、私のことなんか忘れてはるやと思ってたので、嬉しかった。即、「行きます!」。「なんか無理矢理連れてきたみたいで、ごめんなあ」と言われたが、こういう機会がなければ京滋リーグを見ることもなかったかもしれない。感謝、感謝。

 早めに入って、お昼ご飯を食べながらの観戦&トーク。お互いの近況や、高校時代の“今だから話せる”こと、そして野球部で裏方の仕事をがんばっている息子さんのこと…。知らなかったなあと思った話は、背番号のこと。大会中はずっとつけているものだと思っていたが、実は、試合が終わるごとにはずして監督さんに返し、またもらってきて縫っていたという。大会が終盤になるとそのスパンがどんどん短くなるので、お母さんたちは大変だったんだろうな。

 日程を教えてもらったので、また行く予定。佛教大VS学園戦は私的にはリーグ1の熱いカードだ。どやささんにも会えるかな?

 
 



2004年09月25日(土)
学校のポスター


 知人からメールをもらった。東山の学校案内のポスターが新バージョンになっていたとのこと。コピーは、「修学旅行でわざわざ見に来るほどの場所で、僕は、まいにち勉強しています」。確かに、周辺には南禅寺や永観堂があり、雰囲気もいい。他府県のファンでも、東山の名前を知ってもらっているのは、この立地条件もあるのかもしれない。

 私はそのポスターを観たことないのだけど、こないだオープンキャンパスの案内ポスターを見た。来春から制服変わるみたいだけど、共学になるとは書いていなかった。ほっ。野球部入部希望者は、そのあとバスで山科グラウンドへ来るはずだ。その日にグラウンドにいたら、未来の東山球児に会えるんだね。ふふっ。

 余談だけど、京都駅にある京都学園の広告板(?)のコピーは、「沢村栄治を育んだ京都学園」でした。う〜む。



2004年09月24日(金)
ユニフォーム×ユニフォーム


 言うまでもなく、制服のこと。人生29年、いろんな制服を着ました。幼稚園、中学校、高校、部活動や習い事、アルバイト先…。幼稚園のときは、丸襟のブラウスに紺色のスカート、中学のときは標準服と呼ばれていたブレザー。上下紺。地味。かわいい制服を着たいと進学した女子校に期待したが、ブー。冬は丸襟にワンピースのようなスカート。夏は開襟ブラウスに変な青色のスカート。部活&習い事はダンス。学校では黒のレオタード(もしくは学校指定のジャージ)にピンクのトーシューズ。ダンス教室では緑(!)のレオタードに白のトーシューズ。わたしゃ、は虫類か。卒業後のアルバイトのユニフォームは、エプロン姿か作業服。呉服屋にいたときはなんか東南アジアの普段服みたいなのを着てました。あんなんでよう烏丸の町中歩けたわ。

 リボンとかネクタイにあこがれてたんですよ。不器用でちょうちょ結びをマスターしたのも中学に入ってからというのに。でも、縁がなくて。その上、小学校のとき、「あいつ(私のこと)がセーラー服着るんやて。気持ち悪〜」と言われたことがありした。私、中学受験したんですね。何故か私がどこの中学校を受けたかも知られていて、その中学がセーラー服だったんですよ。「受かったら、セーラー服かぁ」ってちょっと楽しみだったのですが、結局落ちて。でも、何故か周りは私が受かったものだと勘違いしてて、話が飛躍してました。受かったのならまだしも、落ちて上にそんなん言われて、ホンマ不愉快でした。そんなイヤな思い出もあるものの、やっぱりリボン・ネクタイは経験したかったですね。

 と、書いてて、気付いた。今の制服、リボンや。紺のシャツに黒いズボン、そして男性はネクタイ、女性は赤いリボンをつける。リボンと言っても、長方形のキレを首に回して、端と端を止める簡単なもの。私の中のリボンをつけるというイメージからは遠い(ま、不器用な私にはうってつけだけどね)。だから、長年の夢が叶ったことをずっと実感できずにいた。

 高校球児の大半が幼い頃から野球を始めていて、複数のユニフォーム着用の経験を持っているはず。学校やチームのネームバリュー以外の次元で、「あのユニフォーム、好き」とか「あれは、ださい」とか言っているのかな?あと、「ずっとローマ字やったのに、高校に入って初めて漢字になった」とか、「縦縞が着たいのに、縁がないわあ」とか、「少年野球では赤、中学ではブルー、高校は緑。なんかカラフルなんばっかり」とか、考えたりするんだろうか?私やったら、絶対思ってしまうな。



2004年09月23日(木)
M−1甲子園


 おかんが、「あんた、夕方にM−1甲子園っていうのがあるで。見るか?」と言って新聞のテレビ欄を見せてくれた。M−1甲子園は、高校生版M−1グランプリ。今年は第二回目。テレビ中継があるとは知らなかった。

 優勝は、大谷高校(京都)のツインクル。さすがは島田紳助の後輩。結成1ヶ月とは思えないネタの完成度、演じる自然さもプロ顔負け。トップの出番だったんだけど、初めてM−1甲子園を見た私は、「今どきの高校生って、ここまでうまいの?すっげ〜」とたまげてしまった。結果的には、他のコンビに比べたら頭ひとつ、いやふたつぐらい抜けてたって感じかな。甲子園というだけあって、エンディングは校歌斉唱。野球より漫才で先に校歌を聴くことになった。今はちょっと結果が出ていないけど、大谷は京都の強豪校のひとつ。でも、何故か甲子園出場経験はない(はず)。京都大会決勝で涙を飲んだ回数がすごく多い印象がある。

 もう一つの京都組は、鳥羽高校のぼうズ。名前の通り、二人とも坊主。だから、思わず、全部員の名前が書いてある今年の京都大会のパンフレットで名前を探してしまったが、2人はバドミントン部。坊主=野球部という浅はかな図が私の中にはまだある。実は、ここ決勝進出を決めていた別のコンビは出場辞退したための、言葉は悪いが繰り上げ出場。もし、この大会に野球部員が出てたら、出場辞退しなあかんのやろなとふと思った。賞金が出るお金絡みだし、前に某バラエティーに出た野球部が何らかの処分を受けていたから。そういや、うちの母校も厳しくて、高校生クイズに出た子が無期停学になった。似た主旨であるこの番組も無理だろうな。だから、辞退したコンビにはそういう事情があったのかもしれない。

 ラストに登場したのは、札幌珠丘高校のダイブレイク。主催放送局放映地域の都合で、オーディション会場が西日本にしかなかったのだが、はるばる大阪に乗り込んで、激戦を勝ち上がった。ネタは、尾崎豊の「15の夜」の替え歌で、三十路OLの悲哀を歌ったもの。♪盗んだ急須でお茶をくむ〜 下手すると、女性の反感を買いそうなものだが、会場はかなりウケていた。ネタが始まって思い出したのだが、実は先日行ったM−1の札幌予選で彼らを見ている。1回戦を突破していたので、力あるのだと思ってたけど、やっぱりそうだったか。なんか「うち、この子ら見たで〜」と人に言って歩きたい気分だった。アレと似ている。練習試合や地方大会でたまたま見たチームが甲子園に出場したのを知ったとき。もしくは注目されていなかったけど、高校時代に見てた選手がプロで活躍したとき。そういや、収録日は8月22日だったので、冒頭で「ぶっちゃけ、駒大苫小牧の応援に来たんですよ」と言っていて、タイムリーだなあと思っていたが、ネタが終わったあとに司会者と審査員が立て続けに、「頭のごちゃごちゃしたんはいらん」と言っていた。そこまで言うことかなあ?

 印象に残ったのは、審査員オール巨人氏の言葉。「これからは、東北や北海道の人間の漫才の時代がきますよ。あのしゃべり方がすごく聞きやすいんです」。最近は漫才も大阪弁や標準語だけではなくいろんなお国言葉が飛び交うようになったけど、まだまだ「大阪か東京か」という風潮がある。この大会もなんとか全国規模で開催されることがなり(遠方の高校生に大阪はやっぱり遠い。私も高校時代は和歌山である試合ですら行けなかった)、そして、本物のM−1にも日本各地のコンビが出てくる(決して、地方枠を作るのではなく)。そんな時代が来ると楽しいなあと思う。



2004年09月22日(水)
トラウマ


 人から、「教えてください」と言われるのが重くなったのはいつからだろう。自分のことを聞かれるのはいいのだが、自分以外のこと。野球なら、「京都の学校ってどこがどうですか?」「練習試合の日程を教えてください」とかいうあたり。どうって言われても、それは自分の感性だし、日程は変更の可能性ある。たとえその気がなくても、間違ったことを教えて相手を困らせるのはイヤだし、間違ったことを教えた自分もかっこわるくてイヤだ。

 ことの発端を思い出した。
 ある掲示板で、「太陽が丘球場への行き方を教えてください」と書いてあったので、「私は駅から遠いのでタクシーで行っています」と書いた。すると、あとで別の人の書込が。「私はタクシーなんか使わずにバスで行きます。バスは…」。なんかね、腹立ったというか、凹んだというか、恥ずかしいというか。

 タクシーなんか使わずにという言葉が、私への全否定に思えたんですよ。死のうかな。「なんか」って。私が悪いこと言ってるならともかく、なんで他人の言葉をわざわざ否定するかな?「バスで行く方法もありますよ」でいいやんけ。。そうさ、私、金持ちやし。と、ホントはそんなことないのに、相手にそう言った気になった気を紛らわせた。バスとタクシー。どっちが正しいかなんていう答えはない。でも、私は、自分と違う答えを出してくた人がいると、どうしても自分が間違っていると思いこんでしまう。今でもときどきそのことを思い出して、ブルーになる。もう人には何も教えない。自分が人様に役立つなんでありえない。だから、せめて足を引っ張らないように。そうして、世間一般的には思いやりのない人間になりつつある。
 
 でも、悪いのは、「タクシーなんか…」の書き込みをした人ではなく、勝手に思いこんでる私。なにかが、ちょっとおかしい。でもでも、やっぱり言葉は人を傷つけるときもあるんだ。もしその人が、「私は誰も傷つけたことないわ♪」とのうのうと生きてたら、それはそれで癪だ。機会があったら、償えとか反省して欲しいとまでは言わないけど、自分の言葉で傷ついた私のことを知ったもらいたい。そして、私もきっと誰かを傷つけている。常にそういう懸念は持っていたいと思う。



2004年09月21日(火)
ウォーターボーイズザファーストを見て思ったこと


 今日が最終回のドラマ「ウォーターボーイズ2」に先だって、夏に行われた男子高校生を対象にしたシンクロの全国大会「ウォーターボーイズザファースト」の模様が放送された。計8チームで争われた大会は、水泳の名門校からそれまで何もしていなかったごく普通の高校生まで、顔ぶれは多彩。ドラマに負けないパフォーマンスが披露された。そんな中、大会を制したのは三重の鈴鹿高専。技はもちろんパフォーマンスが面白かった。ジャンプするときに、思いのポーズをきめた。コマネチしたり、投げキッスしたり。テーマのきもクール(気持ち悪いけど、クールに)が見事にハマッていた。また、それだけではなく、やぐらを回ししたり、水陸同時演技や、天才ジャンパーと呼ばれる選手の3メーターくらいのジャンプを決めるシーンを最後に持ってくるプログラムで、技術の高さもしっかり証明していた。完成度が群をぬいていたように思った。夏。高校生。全国大会。何でこんなに見入ってしまうのだろう。

 でも、一つ不満に思ったことがある。それは、よくあることなんだけど、チーム全体や特定個人のエピソードの焦点を当て、ドラマ仕立てにしてしまっていること。それも悪くないけど、限られた放送時間、中には演技をカットされてしまった学校もあり、それって、どうなんだろうと思った。

 そんな思いにかられたのにはきっかけがある。1年少し前、知人の野球ファンの男性と飲みに行ったとき、彼がこんなことを言っていた。「選手の裏話とかどうでもいいんだよ。親がいないとかそういうことより、その選手はどんな球を投げるか、どんなバッティングをするかに興味があるんだよ」。私はどうして、選手の野球以外の面を知りたいと思う。家族はどんな人?友達の前ではどういう顔をするのか?これまでどういう出来事を経験してきたのか。だから、特別番組や試合中にアナウンサーが話すエピソード、雑誌や新聞の欄外記事が大好きだ。でも、それがあまりに前に出るのってどうなんだろう?彼の話をきいてそう思い直した。

 大会前に母親は亡くなった選手がいたが、番組があまりにもクローズアップしすぎるから、肝心な演技が脇役になっていたような気さえした。そんなエピソード聞いたら、「よくがんばったね」としか言いようないじゃないか。「う〜ん、イマイチ」という感想を持つことを遠回しで禁止さえているよう思える。試合後、「天国にいるお母さんに向かって、メッセージはありますか?」みたいなことをインタビューしていたが、それってスポーツ選手に対するインタビュー?男子シンクロはまだまだメジャーではないから、そういうエピソード的なものを見せて人を惹きつけなければいけないのかもしれない。でも、私はもっと演技が見たかったし、やっぱり演技優先で放送して欲しかったなあ。



2004年09月20日(月)
時間帯ではなく、内容の問題です。


 夜中3時39分にメールがきた。
 その日は、4時過ぎに起きる予定だったので、意識レベルでは起きていたのだが、びっくりした。日記の読者さんだった。読者がここから送るメールは携帯に転送されるようになっている。一刻も早くメールを見たいからだ。内容がまたナイスだった。「東山が試合をやってるときにめっちゃかっこいい音楽があったんですけど、あれはなんていう曲ですか?」。一気に目が覚め、即返信をした。私の場合、迷惑だなあと思うには、電話もメールも時間帯ではない。内容だ。たとえば、これが、「今日、彼氏が髪の毛切るなってうるさくて〜」とかいうもんなら、睡眠時間を奪った罪で逮捕したいくらい腹がたつ。知らん、切れや。

 でも、人に聞いて欲しいっていう気持ちはわかる。そういうときは、時間帯はもちろん、その人が聞く気になる工夫が欲しい。私も関西人のはしくれなので、興味のない話ならおもしろく話してもらって、ツッコミを入れることができて、会話に参加しているような実感が欲しい。そうでないとメリットない。お金くれ。うちの職場にそういう子がいて、仕事の移動中に前でおもしろいフリートークが展開されているのに、横でくだらない彼氏話や聞いてもいないこだわり話をされると辛い。私が聞きたいのはあっち〜。嫌いではない子だけに、キツイことも言えないし、最近はそんなことでモヤモヤしている。

 逆に言えば、興味のある話ならおもしろ演出はいらない。夜中でもOK。なんて自分勝手。余談だけど、学生時代、就職した先輩から夜中2時に、「職場、辛い」っていう電話がかかってきたことがある。携帯電話の会社にいたのだが、そんなん言ってきて、数日後に「電話、契約して」って言われた。まだPHSだったので、いいきっかけではあったけど、長編の脅迫やなあって思った記憶がある。おまけに先輩、それからすぐ会社辞めた。なんじゃ、そら。



2004年09月19日(日)
グダグダの和歌山遠征


 遠征2日目。昨日、「明日はどこいくの〜」と相方が聞いてきたので、車でしか行けない場所をあれこれ考えて日高中津にした。

 ところが、思った以上に苦戦。学校とグラウンドは別の場所にあるらしい。私は、右手にネットが見えたのでそこだと思ったが、相方は途中で、「日高中津高校グラウンド」という看板を見つけ、逆の左に曲がった。かなり狭い道の途中に日高中津高校はあったが、野球部のグランドはなかった。看板があったので、「ここやって!」と相方がいうが、中庭を少し広くした程度のグラウンドで野球が出来るわけない。それに、昔雑誌で見た同校のグラウンドはすごく広かった。さらに奥に道が続いていたが、せまくて、大型バスが通るのは困難。やっぱり、私の言ってた、右側のネットがグラウンドなんやって。納得しきれていない相方に無理無理右に曲がってもらった。ところが行けども行けどもグラウンドの気配はない。ふと、上を見ると、さっきは右に見えたはずのネットが左に見えてた。何、それ。「ごめん、やっぱ左やった…」。相方は、ついにご機嫌ナナメに。渋々、また左に曲がってはくれたが、山の麓で車を止め、むっつり。

 仕方ないので、プチ登山した。幸い、舗装されていたから歩きやすかった。またカーブごとに車は1台くらい止めれるスペースがあった。数分歩くと、グランドに出た。練習していた。2階建ての建物があり、野球部のバスも止まっていて。そして、片隅に甲子園出場を記念した石碑。グランドのフェンス側には、ベンチがそれとなしにおいてあった。ギャラリーも見えるのだろうか。眼下には緑とこじんまりと集まった民家があり、ときときパーンという猟銃が響いていた。

 帰りは、普段ならラジオのナイター中継を聴いているが、今日はスト決行のため、お休み。日本のプロ野球を考えるという特集が組まれていた。地域密着の是非について議論していたときがあり、その間中ずっと、「地域密着って、いうけど、それって地元応援の強制にならんか?よそにいいチームがあったら応援したいやろ?でも、地域密着なんていうのがあったら、入れへんやん。よそもんは、所詮よそもんなんか?地元大事の究極のマイナス作用が戦争やと思うねんかあ」と延々に語っていたが、相方は生返事すらしてくれなかった。うざかったんだろうな。それでなくても、昨日今日とハードやのに、ナビ間違えで振り回された上、訳のわからんうんちく聞かされて…。文句は、父に言ってください。残念ながら、私娘なんですわ。もうコリゴリだろうに、出た言葉は、「明日どこ行くの〜」。ついに、テンションが壊れてしまったようだ。もうやめとかんと、ホンマ修羅場になる。やんわりと断った。

 そうそう、ナビ間違えの原因は、カーブの手前で建物を見たことにある。カーブがあると、そのカーブが左なら、右にあるものが左に、右カーブなら、左にあるものは右に見えてしまうのだ。ね、そうですよね??



2004年09月18日(土)
山陰、駆け足グラウンド巡り


 プロ野球スト決行の日、私は山陰日日帰りドライブに行った。鳥取の境港で昼ご飯を食べたあと、境高校、境港工業高校、米子東高校、島根に入って、開星高校、安来高校と駆け足で回った。ドライバー相方に、感謝感謝。

 境高校のグランドでは、ペンキの剥げたバックバックスクリーンが印象に残った。私が行ったときは、休憩時間が終わったのか、部員がポツリポツリとグラウンドに向かっていた。

 今日行った中で唯一練習を見れたのは、開星高校。山の上に学校の裏がグラウンド。学校に入りづらかったので、脇道を上ったら、トレーニングルームらしき建物のある場所に出て、グランド全体を上から見渡す事が出来た。ただし、高低差が相当あるので、声や選手の表情などはよくわからなかった。グランド周りには、「常在戦場」「めざせ日本一」と書かれた看板が立てられていた。

 安来高校は、知らない学校だが、たまたま通りかかって、一目惚れした。山陰道と側道沿いにあり、小さい山を切り開いて作られたのか、ネット裏後方には黄土色の山肌が見える。もちろん、周りに建物はない。道路とグラウンドの間はくさむら。フェンスがないので、視界良好。手作りの「島根県立安来高等学校野球場」の文字も味があっていい。アジだなあと思ったのは、センター後方に2,3メーターくらいの木が数本植えてあって、それがまるでバックスクリーンのように見えたこと。意図して作られたのか、偶然か。今日は境高校と合わせて、バックスクリーンに魅せられたグラウンド訪問となった。球場並のグラウンドを持つ学校でも、バックスクリーンがあるところはそうそうない。

 そうそう、今日のカルチャーショックは、米子のガソリンスタンド。セルフと店員に入れてもらう普通のシステムを併設しているガソリンスタンドがあるのだけどが、セルフはリッター当たり112円、普通の場合は120円でした。知らないですす〜と入ったのが店員のいるレーンだった。少し高くつくだろうと思ったけど、まさかリッター当たりで8円も違うとは。恐るべし人件費。そんなに時給がいいのか?「二度と米子でガソリンを入れません」By相方。なんか、騙された気分…。



2004年09月17日(金)
シリーズ「本が出来るまで」 編集部へ引き継ぎ


 費用を3回に分けて払う方法を取ってる。一括はとても無理だし、ローンは利子がもったいない。3回なら1回の負担額も気休め程度には少ないし、利子もつかないん。で、その1回目は契約金振り込みは、締め切りだった先月の30日。当日ギリギリに振り込んた。

 ところが、それから出版社からの連絡がぱったりと来なくなった。一応信用はしているけど、不安になる。だまされたんちゃうか?日記でシリーズにしてるのに、これがオチじゃ笑うに笑えない。

 で、半月たった昨日、ようやく出版社から手紙がきた。よかった、騙されたわけじゃないのね(でも、不安になるので、せめて振り込んだお金が届いたかどうかだけでも、連絡が欲しかったっす)。これからお世話になるのは、編集者さん。わりと熱心に出版をすすめてくれた営業さんとはお別れ。これって、ちょっと不安になる。営業さんは私の文章に何かしらに魅力を感じてくれてたのだろうけど、編集者がそうとは限らない。やっぱり、文章に何らかの興味を持ってくれてる人と作業を進めていきたいなと思うけど、人を選べる立場じゃないしな。あの営業さんが編集できればよかったのになあと少し思う。昔、塾で営業をしていたとき、同期の男性が契約を取ったが、その後、彼が教えるのではないと知った親御さんが契約を保留したいと言ってきたことがある。人柄に惚れての契約にはそういう危うさもあるんだなあと思ったけど、その親御さんの気持ち、わからないでもない。

 その編集者が今日、電話をくれた。声からして若い男性といった感じ。挨拶はそこそこにいきなり段取りの話になった。今は編集で文章を再読して、校正に入っているという。その間に私がすることは、イラストを書ける人を捜すことと、あと知人に写真の提供をお願いし、具体的にどの写真にするかを決めること。もたもたしてたら、発売日が延びるのではないかと不安で、「1,2週間以内には決めますんで」と言ったら、「遅くても10月一杯で間に合いますので、焦らず納得いくまでやってください。あとで後悔するより、土台でゆっくり丁寧に時間をかけた方がいいです」とアドバイスしてもらった。

 写真の提供に関しては了承をもらっているが、イラストはまだ描いてもらう人すら決まっていない。絵を頼める人は一人しかいない。中学時代の友人で、芸大を出ている。中学時代に当時書いていた小説にイラストを入れてもらったことがあるが、数年前に絵本を作りたいから絵を描いてとお願いしたが、仕事が忙しいからと断られている。イラストを向こうに発注すると数万単位の追加料金がかかるっていうし、何とか彼女にOKしてもらえるようにがんばろう。



2004年09月16日(木)
他人の夢の中で、裸踊りをしているような感覚。


 困るなあと思うのは、他人の夢の中で登場している自分が何をしているのかということ。こればっかりは、自分でどうこうできるものでもないし。

 ま、たとえば、誰かの夢の中で私が裸踊りをしていたとする。じゃ、その人の頭の中にはそう幻像がこびりついているはずで。たとえば、それが友達や家族などだったら、「昨日、あんたが裸踊りしている夢みたで〜」とキャキャキャッと笑っておしまいだ。でも、それは中途半端に面識のある人だったとしたら。たとえば、中学時代あまり話をしなかったクラスメートや、近所のおじさん、友達の彼氏、職場で隣の部署の上司等々。こっちにその事実が伝わるわけでもないし、でも、その人の脳裏にはその幻像があるわけで。逆に、私が夢の中で裸踊りをしている人を見ても、そうだと思うし。

 こんなことを思ったのは、昨日人からもらったメールがきっかけだ。その内容は、「掲示板でなんであんなこと書いたんですか」。びっくりした。あんなもこんなも、書いてないから知らない。どうやら、どっかのサイトで私になりすました人が、(メールをくれた人曰く)「妄想のちんけな文章」を書き散らしているそうだ。やれやれ。その人に、それは私ではないことを伝えたら、わかってくれたのだが、その書き込みを見て、それは私だと思っている人がどれだけいるのか。想像しただけでも恐ろしい。ただ、ネットを始めた当時に比べると、そういう面では鍛えられているので、ダメージはない。でも、私の知らないところで、マイナスイメージのキャラが動いているのは困ったものだと思う。書いたのは私ではないと伝えることは出来るだろうけど、第一印象は消えないからなあ。



2004年09月15日(水)
あれから1年。


 久しぶりの甲子園。今日は、ライトスタンド49段。つまり最上段での観戦。背もたれになるものがあり、堂々のスタンディング応援が出来る。上から下を見下ろす心地よさも手伝ってか、高校野球でもここに座るのは至難の業。快適な観戦だったが、1つ難を言えば、後ろのスペースがあまりなかったこと。これまで経験した最上段には人一人が三角座り出来るくらいの広さがあった。だから、ここはすべてそういうものだと思っていたが、甘かった。49段という快適スペースにもレベルの上下がある。勉強になった。次の49段観戦は、30日。今度はスペースバッチリの場所だといいなあ。
 
 幸い、5人分のチケットを持っていながら、実際に来たのは4人だったので、席一つ分がテーブルになった。私は好奇心、相方は経済を考えて、ついにパック焼酎デビュー。水と氷、味付けのポッカ100レモンを買って、計1,000円強。マドラーは、食料を買ったスーパーで余分にもらった割り箸を使用。地球環境の敵。飲み屋で出てくる焼酎は薄いので、濃く濃くしてやった。そして、レモンもバンバン入れてやった。すっぱかった。次は、ライム液と炭酸も買って、自分チューハイを作りたいなあとこれからの観戦に思いを馳せた。

 試合は、2−0で、勝ち。完封勝ちの試合なんて、何年ぶりだろう。これで今シーズンの観戦成績は2勝3敗。5割目指して(低い目標設定やなあ)がんばろう。というか、試合をするのは選手なんだけど。

 帰り。優勝したのが去年の今日だったことを思い出した。ていうか、なんで忘れてんねん。



2004年09月14日(火)
グラム単位の違和感


 今日の現場は、初めて行くコンビニだった。出発時間までのわずかな間に、専用端末の操作方法を教えてもらった。片手で持てるもので、普段使っているのより少し大きいくらい。社員さんだったので、かなりわかりやすく教えてもらえた。それでも、間違ったら修正できなので、最初からやり直さないといけないと聞かされ、ビクビクした。

 いざカウントを始めると、手の感触が似ている故に、つい普段のキーポジションで押してしまい、何度もビービーとエラー音を鳴らしてしまった。慣れないなりにも、どうにか大きなミスなしで終わることが出来たが、元々在庫量の割に人数が少ない上、リーダーの経験も浅いため、終わったのは夜7時過ぎ。普通は遅くても6時には終わる仕事なので、とんでもないことなっていた。初めての現場でずっと緊張していたが、終盤は集中力がなくなり、オープンケースやパンのコーナーをウロウロして、帰りに何を買うか選んでいた。違うコンビニは新鮮でいい。

 家に帰ったら9時半。遅い夕飯を食べ、一息ついたら、腕が思いっきり筋肉痛になっていることに気付いた。めっちゃダルい。手を持ち上げるとプルプル震えてる。なんだろ。アレか。今日触った端末。普段使ってるのより、少し重かったもんな。すげー、わずかな違いに体が敏感になってる。バットの重さに神経を使う野球選手の感覚ってこんな感じなのかな?いや、ただ筋肉がなまってるだけ、か。そうだろな。

 帰り、近江八幡駅でこんなのを見た。何故、今ここに?!



2004年09月13日(月)
プリオ


 スタンドの応援団が、声援を送るとき、選手の名前を呼ぶ。たいていは、名字か下の名前だ。でも、ニックネームなのか、たまにおもしろいのがある。こないだ見た試合では、「ぴかちゅう」という声が聞こえてきた。ぴかちゅう、って。最初は、“ひかる”を自分が聞き間違えてるのだと思っていた。ところが、横にいた試合を終えたばかりの部員たちが、声のするスタンドを指さして、「ぴかちゅうやって」「ほら、“そ〜れ、ぴかちゅう”って言ってる」。確信した。何故か、ちょっと知りたい…。

 そういや昔、東山の応援で、「プリオ」というのがあった。最初は、“くにお”かなと思ったけど、本人の名前はそれと似ても似つかないものだったし、実際応援団が持っているボードにも、「プリオ」と書いてあった。全くをもって、謎だったが、数年後、当時のOBから、「あれは、あいつのお尻がプリンとしてるからや」と聞かされた。わ、わかるわけない(笑)。(チャーミングなケツだったというわけね)

 さて、そんなプリオくんをチームメートたちは、「お前のファンがいる」とそそのかしていた。彼は、そうとう気合いを入れたがんばってたらしいのだが、大会前か途中かに、実は嘘だとバラした。彼はがっかりしていたというが、なんで途中でバラすのさ。その気合いが甲子園に連れてってくれたかもしれないのに。



2004年09月12日(日)
車の多さとか、試合展開とか。


 今日は、現チーム初の公式戦を見に、西高のグラウンドへ相方の車で行った。多少は予想していたが、車の多さが尋常でなく、グラウンド近くの道路には観戦にきた車の長い列。その上、救急車や近所の土建会社のトラックが入ってくるときも。運営の西高部員や平安の関係者が頑張っていたが、ついに警官出動。交通整理にあたっていた。「こんなん初めてやぞ」とは相方。恐るべし、平安。

 30分強待って通されたのは、グラウンド下にある土建屋の敷地。舗装されていない砂利道路になるだけ車を突っ込む。一番奥に入るはめになり、早くもテンションが下がった。これでどんな試合になっても、終わるまで帰れない。くだらん試合したら承知しないからっ(笑)。

 その試合もまた壮絶な展開になった。序盤5点をリードされ、「あちゃー!」と思っていたら、終盤に逆転。そして、ホームランも飛び出し、10−5。今度は平安が逆の立場になった。流れは完全の東山だし、平安も元気がないように思えたが、終盤、一気に10−9に追い上げられる。しばらくはふんばっていた東山だが、8回表に逆転を許し、結局10−15。点差は序盤と変わらない5点。「(02年夏の)甲子園を思い出したわ」とは相方。ま、前回はコールド負けだったらしいので、1回でも逆転して、点差も前回より縮んでいたからよかった、かな??敗者戦はいいシステムだけど、2回も負けるのはあまり気分がいいもんじゃないなあ。

 今日見ていた場所は、真下にブルペンがあった。ピッチャーのボールを受けるキャッチャーの声が良く聞こえた。前から興味のあった“ブルペンで投球練習している選手たちはどれくらい試合展開にどれくらい関心があるのか”を見ることが出来た。私が思う以上に、選手は試合展開を気にしているようだ。出ている選手に聞こえるように声をかけたり、ときには独り言のように言っていたり。ピッチャーがピンチを抑えたときや、チャンスでヒットが出たときは小さなガッツポーズも出ていた。また逆に、エラーや四死球が出たときの歯がゆさやイライラもよく伝わってきた。

 勉強になったのは、マウンド上でピッチャーが投げるときと同じタイミングで、ブルペンのピッチャーが投げてはいけないということ。ピッチャーが投球モーションに入ったときに、大きな声を出したり、鳴り物をしてはいけないことは大会プログラムに書いてあるので知っているけど、これは初めてだった。でも、意味あいは同じだろう。今日ブルペンにいたキャッチャーもそのことを知らなかったのか、ピッチャーに「(マウンドにいる)ピッチャーが投げてるときは、投げたらあかんで」と声をかけていた。

 余談だが、試合中、運営の西高部員が、観客のいる場所で、落とし物や移動が必要な車のナンバーを伝え歩いていた。放送が使えないのかないかは知らないけど、随分大変な作業だ。観客からは、「車種は何?」の声も出た。スラスラ答える部員もいれば、口ごもる部員もいた。大会が行われるような設備のあるグラウンドの部員は、車種も知っておかなければならない。やっぱり、高校球児は楽じゃないな。



2004年09月11日(土)
こんばんは@札幌→伊丹

まだ現実感がないのですが、伊丹空港に着きました。今日は、開拓使麦酒博物館へ行った後、Mー1グランプリ予選の札幌会場を見に行きました。そして、大通公園、テレビ塔界隈をぶらぶら。修学旅行中と思われる東山生徒を見かけけました。時計台を見てたら、時間となり、空港行きの電車に。バイバイ北海道(^O^)


2004年09月10日(金)
こんばんは@旭川→札幌

あるこです。今日は旭川と札幌で、秋季大会を計2.5試合見ました。スタルヒン球場のトイレと円山球場のカラスが今日のビックリBIG2です。そして、スープカレーデビューして、今この旅最後の宿に向かっています。なんか過去も今もそして未来もずっと北海道を旅しているような気がして、「帰る」という言葉があまりピンときません。でも、明日は札幌観光、そして日常に帰ります…


2004年09月09日(木)
こんばんは@網走

あるこです。今日は網走観光。駅で居合わせた韓国から来たという女の子と行動を共にしました。え、言葉は?大丈夫。彼女、ばりばり日本語ができるので。心置きなく関西弁で話しました。博物館網走監獄、流氷博物館、サンゴ草を見に行きました。今、宿のある旭川へ向かう電車に乗っています。横の彼女は爆睡してます。残りわずかな北海道。明日は久しぶりに野球に戻る予定です。


2004年09月08日(水)
こんばんは@釧路

今日は阿寒湖に行ってきました。アイヌコタンを観光したあと、かわはぎの天ぷらが山盛りのかわはぎ丼(おかげで胃が痛い…)を食べました。うまかった。その後、マリモを見るために遊覧船に乗り込むも、強風なため、途中で引き返す羽目に。シクシク…。仕方ないので、町をうろうろ。手湯や足湯(蛾の死体が浮いてた!ので、即撤収)し、おとんに絵葉書を書いてたら帰りのバスの出発時間。なんか疲れたので、周辺散策もそこそこにホテルに戻ってきました。明日も早いしね。明日は網走観光をして、旭川まで戻る移動日です。旅も終盤。長かったような短かったような…


2004年09月07日(火)
こんばんは@中標津

あるこです。今日はホテルで洗濯して、六花亭で買ったパイを食べてから、出発。午後1時前に釧路に着きました。和商市場で勝手丼を食べ、家に送る鮭を選びました。その後、バスに揺られて2時間強、中標津高校のグラウンドへ。熱い80分を過ごしました。今は釧路に移動中。明日は台風の中、阿寒湖へ突入。久しぶりに野球なしの日になりそうです。


2004年09月06日(月)
こんばんは@帯広

札幌から旭川、富良野線を経由して、昼過ぎに帯広に着きました。駅に着いてまず食べたのが、豚丼。分厚くて柔らかい豚肉に感動っ。「これぞ豚肉っ!」って感じでした。お腹一杯になったあとは、帯広競馬場内にある馬の資料館で、人と馬の歴史を勉強。その足で、競馬場内を観察。そして、帯広三条高校のグラウンドへ。熱い50分を過ごしました。今日は雨。しばらく天気が悪いみたいです…。明日は出発が遅いので、ゆっくりしようと思います。六花亭のお菓子でも食べようかな?次は釧路です。


2004年09月05日(日)
こんばんは@苫小牧・鵡川

今日は移動兼野球の日。駒大苫小牧では、優勝旗&グラウンドを拝見。フィーバーにまみれたあと、鵡川高校のグラウンドを見学し、近くの寿司屋のおっちゃんとトーク。とうもろこしをもらった。今は宿のある札幌に移動中。みそラーメン食べるぞっ!


2004年09月04日(土)
こんばんは@函館

今日は充実した一日でした。朝イチで五稜郭公園へ行き、昼は地元の魚屋でイカのおさしみを食べ、午後はバスで念願の知内高校グラウンドへ。目的地が近づくにつれ、緊張で胸が気持ち悪くなったのは久しぶり。夜は、ホテルの横で2日越しでくどい勧誘をされたおじさんの店でカニ丼。予感してたけど、雰囲気おざなり、店員の若い姉ちゃんの接客に不安不満…。でも気分を切り替えて、名物函館山夜景を鑑賞。初めに見たときは、マジで「宝石みたい!」と思った。帰りに寄ったコンビニで、北海道はおでんをみそで食べるのを知り、店の人にすすめられるがままに購入。夜食。今回の旅では、よく食べてる気がする。要注意だ。明日は、室蘭を経由して、苫小牧方面へ。駒苫フィーバー謁見となりますでしょうか。


2004年09月03日(金)
3日目:小樽→函館


今日は、移動日。まずは、旭川から札幌へ。岩見沢を過ぎたあたりから、人が混み始め、スーツケースをどかっとおいて、前のシートに足を伸ばすなんていう悠長なことができなくなってしまった。小さくなって過ごす。札幌はさすが都会。関西で鍛えた席取りダッシュもかなわず、立ちっぱなし。途中で、隣で立ってたおばさんが「はい」と言ってのど飴をくれた。それから、おばさんはイヤフォンをはめ、楽譜を広げ、一人の世界に入ってしまたので、会話があるわけでもなく。今までに経験したこともない不思議な旅のふれあいだった。札幌市内を抜けると、海が見えてきた。廃止になった駅があるようで、途中で土で固めてできたようなホームらしきものが見えた。

 9時過ぎに小樽の着き、次の電車は12時半少し前に出発する。3時間弱の滞在時間。駅から坂を下って、数分小樽運河へ向かった。道路の下にあって、イメージとはかなり違っていた。写真なら絵はがきやガイドブックには及ばない。どうしようかな?と思っていると、ランプの手入れをする業者さんがいたので、1枚撮らせてもらった。これがきっかけで、今回の旅では、風景の中に日常を営んでいる人を入れる写真と撮ることにハマッた。運河をブラブラしたあとは、博物館で銭湯の歴史を勉強。地元の人から募った銭湯のエピソードも読めて、なかなか楽しかった。それからは、電車の時間もあるので、駅へ向かいながら、ダラダラ買い食い。ほっき貝のバター焼き、めちゃうまかった!

 そして、再び電車の旅に戻った。ここからが長い!待ち合わせ時間も長い!函館に着いたらすっかり夜。ホテルにチェックインして、さっそく函館ラーメンへ。ガイドブックを見ると。どこも店じまいは早いようだ。どうしようと思っていたら、駅前で移動ラーメン屋がちょうど開店準備をしていた。「函館バスラーメン」と書いてあった。買い物をして、戻って来ると、すでにお客さんがいや。「いらっしゃい!」と出迎えてくれたのは、店主ではなく、ビールでできあがったお客さん。店の人は店内のざわざわで客に気付かないようだ。店内はバスを改造した店。カウンターとテーブル席。全体が朱色で統一されているが、窓を覆っている格子状の木が竹の色だった。10人も入れば満員になってしまう。とりあえず、塩ラーメンとビールを頼んだ。出てきたラーメンのスープは、ほとんど透明って言ってもいい。水みたいなんはイヤやでと思ったが、色の割にはしっかり味がついていて、それでいてあっさり。おいしかった。今日は野球はなし。うまいもんの日でした。



2004年09月02日(木)
2日目:旭川

 
 今日は、宗谷本線で一気に旭川まで移動。朝6時半。稚内駅に着いた。ホームは2つ。平地の駅で、壁などは白い。至ってシンプルだが、駅の随所に最北端の駅をアピールする看板や置物があった。地図で空想していた最北端の駅に今立っているんだなあとしみじみ。昨日は暗くてよくわからなかったのだけど、ホームの端にコスモスが咲いていた。そういや、昨日道のあちこちで花を見かけたが、あじさいやらたんぽぽやらひまわりやら…。季節概念を見失いそうだ。

 電車は、黙々と進む。景色が、本州のソレとやっぱり違う。まず、田圃がない。とうきび畑や、牧場がのどかに車窓を通り過ぎていく。景色をたっぷり楽しもうと思っていたのに、30分もしないうちに、zzz…。名寄で1時間強の待ち合わせ。時間をつぶすのが下手な私は近くのスーパーへ。西條というスーパーなのだが、これって西武や西友と同系列?でも、知らない街のスーパーは楽しい。同じものがあったらあったで、「うわ、こんなところにも地元と同じものがある〜」と感動し、違うものがあったらあったらで、「さすが○○(行った場所)やなあ」と思う。ようするにおめでたいだけ。結局は大きいサイズの服屋さんで時間の大半を過ごしてしまった。そういや、春に九州に行ったときも同じことをしていたっけ?

 名寄を過ぎると、田圃が目立ち始めた。米の北限はここらみたいだな。途中から乗ってきたおじいさんと話した。ここらは、上川盆地と言って、いい米が取れる場所だという。でも、車窓から見てもわかったが、何も植えていないで放置している場所もあった。おじいさんは、「米があまる時代だからさ。作らないでおくと、政府からお金が出るんだよ。変な話だね」と言った。旅先でこんな接し方をしてくる人の多くが、その人自身が旅行好きである。例に漏れず、このおじいさんも定年になってからの20ン年間で国内や海外を巡っていたという。京都にも来たことがあるそうだ。季節とエリアで分けたコースをいくつか作って、短い滞在期間で複数回行くのが、いい旅の方法だと教えてくれた。でも、もう80を過ぎてしまって、連れて行ってくれるツアーがなくなったという。質素でいいから、旅は若いうちにたくさんしておくんだよ。おじさんはそういって、旭川の1個手前の駅で降りた。

 さて、旭川。お腹がすいた。名物、旭川ラーメンを食べに行った。ガイドブックの地図が古かったのか、目印になる店が見つからず、場所の割に見つけるのに時間がかかった。午後2時というごはんどきとはかなり関係ない時間にもかかわらず、店内はにぎやかだった。醤油ラーメンだから、ちょっと和辛いのかなと思ったいたが、すごく香ばしさが前面に出ていた。とうもろこしか何かを焼くと、ちょっと焦げ目が出たりするけど、あそこの部分はそのまま味になったような感じ。イメージとは違ったけど、おいしかった。

 お腹がふくれたので、観光開始。三浦綾子文学館へ行こうと、バスに乗ったが、逆方向へ数繊D卜な乗り間違え。仕方なので、タクシーを使った。「三浦綾子記念館へ」というと、「アヤコ記念館ね。若い女の人が珍しいね」という運転手の返事。アヤコ記念館?地元ではそう呼ぶんだあ、などとのんきなことを思って車に揺られていると、着いたのはアイヌ記念館。すげえ、聞き間違えだ。再び、三浦綾子記念館へ。タクシー代、大幅ロス。これからは横着せずに、人に聞こう。教訓。
 
 でも、道を間違えたおかげで、新たな目的地が見つかった。今日のグラウンド訪問校は旭川北に決定。すぐ隣はスタルヒン球場だし、好都合。ちなみにバス停は「北高前」。どうやら、スタルヒン球場よりも先に旭川北高校があったようだ。北海道のグラウンドの土はどうかなという思いが、旅行前からあった。昨日今日と目にした学校を見る限り、黒い。子どもの頃土を水に濡らして泥遊びをしていたが、そんな色に近い。そして、芝生まである。北海道、豪華や!高校のグラウンドも果たしてそうなのだろうか?昨日行った稚内大谷は球場だったので、実質今日は初めて学校内グラウンドを見ることになる。

 旭川北高校のグラウンドは期待を裏切らない、黒い土に芝生もバッチリ。一目見てから、事務室に練習見学の許可をもらいに行ったら、机の上に「甲子園」と書かれた小豆色に紙袋が置いてあった。甲子園球場で買い物をしたときにもらう袋だ。中身はペナントらしい。タイムリーな現場に居合わせたものだ。「練習を見せてみせてもらってもいいですか?」というと、「どうぞ、打球に気をつけてください」と言われた。確かに実際グラウンドに行って、ライト後方で見ていると、ファールとか飛んできそうでヒヤヒヤした。野球部の他にはサッカー部やテニス部が活動していたが、フェンスで区切られていて、棲み分けが明確だ。野球部は一番奥の一角を使っている。私が見たグラウンドはグラウンドのごく端に輪郭を書く程度に芝生が生えているものだったが、ここは、外野がまるまる芝生になっている。野手の足下にしろつめ草やタンポポが生えていたりする。形はごく普通のグラウンドで、決して広いとは言えないが、雰囲気は古きよく球場。ええ環境やなあと思った。ライト横にはビニールハウス。更に置くに進むとベンチやネット裏があるが、タイミングを逃してしまった。寒くなってきたので、30分ほどで撤収。

 三浦綾子文学館から旭川駅へ戻る途中、旭川商業高校のグラウンドを見た。黒土と芝生の色が鮮やかでスコアボードもある。側を流れるは忠別川。とってもときめいたが、車の中だったので、道もよくわからない。断念。

 夜は、近くの地酒レストランへ行った。一人で行ける雰囲気じゃなくて、ちょっと辛かったが、料理はおいしかった。



2004年09月01日(水)
1日目:稚内


 初の北海道。最北端まで一気に飛んだ。飛行機の窓から見る景色は、完全に異国。晴れていたので、視界良好。草原きれい。空港からバスに乗って市街地へ。当日は、台風の16号の終わりかけ。奄美大島→地元→北海道と、この頃の私は台風を追いかけているのかようだ。風がきつく、一山単位で揺れる草。木が多い山の景色に慣れている私には、ちょっとした驚きだった。そして、海。台風の影響か、間にの先っぽ陸に近い部分が泥っぽい色になっていた。喜界島で見たほどではないが、波もきつい。

 最初の訪問地は、宗谷岬。地元の人に、「宗谷岬に行きたいのですが、どのバスに乗ればいいのですか?」と聞くと、「大岬はねえ」と言って教えてくれたが、大岬と宗谷岬が同じものなのかどうかわからないから不安だった。地元ではそう呼んでいるのかな?バスで隣り合わせたおばちゃんが、「今日はしけてるねえ。台風だからね。こんな天気じゃ、昆布も取れないんだよ」と教えてくれた。泥色なんていってすみません。昆布色ですね。海を見ていると、所々で昆布が打ち上げられていた。降りる停留所は、「宗谷岬」。地元に人が降りる駅は、「宗谷」。紛らわしいけど、案内があるので大丈夫。

 平日だし、9月だし、人はそれほどいないだろうと侮っていたけど、昼ご飯を食べた食堂では席を探すのに苦労した。有名な店なのか、サインがたくさん飾ってあった。「最北端ラーメン」「最北端カレー」などメニューには、最北端という文字が目立つ。ここらで取れた魚介類が入っているみたいだけど、やたら高い。カレーは900円ほどした。メインはラーメンで、ホタテやカニなどがふんだんに入っている豪華なもの(1300円くらい)。殻関係がめんどくさかったのと、いくらが嫌いなのでパスしたけど、これを食べてる人が全体の7割くらいいた。ただ私の座ったテーブルは、大きな蝿がようけいてやっかいだった。ここは東南アジアかっ!

 腹ごしらえをしたところで、メインの最北端の地のモニュメント前へ。数人の旅行者が写真を撮っていた。うろうろしたかったが、なんせ風がすごい。飛ばさせそうだった。良く揺れる波にもめげずに毛繕いをする鳥を見てから、再びバス停へ。滞在時間30分弱。まもなく、大型バスで団体さんが押し掛けてきた。帰りのバスでは、眠ってしまった。

 再び市街地に戻って、今度は稚内大谷高校へ。街の景色を見ながら、てくてく歩き。途中で、オツというか雰囲気のある野球場を見つけた。緑のペンキで塗られた木片で囲まれていて、規模は小さめ。それでも、ネット裏やスコアボード、ベンチやスタンドがあった。グラウンドは端から端までみっちり黒土。周りに茂っていた木は、風に吹かれて白い葉裏を見せていた。風が吹いていないと別の木だと思うくらい葉の表裏の色が違う。

 駅前から20分ほど歩いた。緩やかな坂を上って、学校が見えてきたころ、学校とは反対の方向から、カキーン!と聞こえてきた。音の方向にも向かった。すると、古い球場があった。地図と照らし合わせてみると、おそらく稚内市営球場だと思うが、野球部はそこで練習していた。私は、ネット裏の石段に腰掛けた。グラウンドでは、フリーバッティング、続けて連係プレイの練習が行われていた。そして、ピッチャー陣が球場の周りを走っていた。私の前も通り過ぎていった。しばらくすると、レフト後方でストレッチ。グラウンドで野手の練習を見ていた指導者が突然、「足をもっときちんと伸ばせ」と叫んだ。選手は、それが自分たちに向けられた言葉だと理解するのに、少し時間がかかった。指導者の視野の広さにはいつも驚かされる。球場には、近所のおじさんが犬の散歩に来ていたり、学校帰りの小学生が通り抜けの道として使っていた。でも、段々日も暮れ始め、風もきつくなってきた。寒い。周りには民家があって、僻地というわけでもないのに、なんかとんでもなく遠く孤立した場所に来てしまったような感覚に襲われた。帰り道はあるんだろうか、みたいな。それは、野球を見るときに感じる疎外感とはまた違う感情だった。

 知らない街なので、暗くなるまでに帰ろうと、6時過ぎにグラウンドを後にした。いきしな見かけた球場では、少年野球の練習が行われていた。私が足を止めたときに、ちょうど照明灯がついた。オレンジ色だった。グラウンドの中には、男の子だけではなく、女の子もいた。指導者がどんな言葉を使うのか興味があったので、少し練習をのぞいたみた。言葉は、高校生のそれとほとんど変わりなかった。もっと子どもに合わせた言葉を選ぶと思っていたのだけど。

 南稚内駅から電車に乗った。すでに人はいなかった。夏だというのにストーブがあった。ドアを開けて駅のホームに出ると、駅員さんがいた。乗車位置を教えてくれた。終点の稚内駅から徒歩3分程度で今日の宿がある。夕ご飯を食べるのを忘れていた。散歩がてらに駅前のコンビニへ。道路標識や商店街のアーケードには、記号のような言葉が書かれていた。アイヌ語かな?(後日、ロシア語だと知る)思えば遠くに来たもんだ。