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あるこのつれづれ野球日記
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2003年12月31日(水)
記憶力のすごさ


 今日は大晦日。我が姉妹には儀式が存在する。いつから始めたのかさだかではないけれど、ストーブの前で、♪おおみそか、おおみそかっと歌いながら、お互いの腕をからめるもの。アホとちゃうか。ところが、2人も年ごろになり、デートやつきあいや何やで、大晦日に顔を合わせることも少なくなった。今年、久しぶりに大晦日の朝に顔を合わせた。私は誤って姉に、「“おおみそか”しよ〜」と言ってしまった。病気みたいなハイテンションだ。ところが姉もあっさり了承。誰も何も言わないのに、記憶が一瞬にしてよみがえった。不思議だ。もう何年も脳裏の奥にしまわれたままの儀式だったはずなのに。

 記憶の不思議さと言えば、姉がこんな話をしてくれた。
 姉の友達はバツイチで女の子(3歳)が一人いるのだが、この子供がよく家に遊びに来る。私はたまにしか会わないので、覚えていないんじゃないかと思っていたけど。こないだ姉とその友人、そして子供の3人でごはんを食べていたとき、姉の携帯を見た子供が、「これ、まりちゃんにもらったん?」と言ったらしい。びっくりした。姉の携帯には、私とおそろいの携帯クリーナーがついているのだ。少し前、私はその子の写真を携帯で撮ったことがあるのだけど、そのときに私の携帯クリーナーのことを記憶していたのだろうか。でも、名前は、ほんの数回、犬をしつけるようなノリで、「この人、まりちゃん」って言ってた程度である。彼女の日常生活で私がしめる割合なんて、ほとんどないはずなのに。記憶力っておそろしい。でも、嬉しい♪

 そんなことをふまえた姉は、「子供は、大人なら気にもとめないようなことをすごく覚えているから驚く」と言う。ともすれば、球場でちょろちょろ走っている子供に話を聞けば、おもしろいものが書けるかもしれない。それが無理でも、昔球場をちょろちょろしていた子供だった人に思い出話を聞くことなら出来るかも?私?私は残念ながら、子供のころに野球を見に行った記憶はほとんどない。でも、“ない”からこそ、“あること”の貴さがわかる。来年は、卑屈にならない自分でいよう。

※これで今年の日記は終わりです。一年間、ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。



2003年12月30日(火)
入場行進を見てみよう

 深夜、何げなくテレビを見ていると、全国高校サッカー選手権大会の開会式の録画中継がやっていた。高校野球以外の入場行進を見たことはない。どんな感じなんだろうと思って、見てみることにした。

 高校野球よりかは絶対ソフトやで、ぜぇ〜たいって思ってたらホンマにその通りだった。足を高くあげて、イッチ、ニッ、イッチ、ニッと歩く堅苦しさはほとんどのチームになかった。入場行進というより、顔見せみたいな感じ。

 歩きながら、各地の名産物や旗を手に掲げるチームがいくつかあった。青森ならリンゴ、香川はオリーブの葉等々。ちなみに、山梨は小さなワインの瓶を持ってた。飲むなよ(笑)。アナウンスでも、「高校生なので、ワインは飲めませんが、勝利の美酒には酔いたいものです」と言っていた。

 また、手を振りながらニコニコして歩くチーム。胸に手をあてたり、指で何かを表したり、独自のリズム踊りのようなものをしているチームもあった。ちなみに徳島県代表は阿波踊りです。彩り鮮やかで、華やかなユニフォームを着た今どきの高校生のそれは、あまりのもギャップがあって、楽しかった。

 テレビで入場行進を見るメリットはアナウンサーによるチーム情報だと思ってた。それは、それまで見ていた高校野球の入場行進が一つのスタイルで統制されているため(決して悪いとは言わないけど)かもしれない。でも、今日は選手たちのパフォーマンスを見るのに忙しく、アナウンサーの言葉はほとんど耳に入ってこなかった。

 ずっと入場行進を見ていて、高校野球とのある共通点に気づいた。それは、以前に比べて、“ズボンの裾が長くなったこと”。野球では、ストッキングが昔ほど見えていないし、サッカーでは以前は選手の太股が半分くらい見えてうたが、今は膝から少し上が見える程度になっている。2つとも、端から見たらだらしなく見えなくもない。でも、それがプレーするにおいて、よりよいスタイルとされているんだろう。時代は変わるよ。年もとるし、年の瀬だし。



2003年12月29日(月)
このハマり方、やばい…(汗)


 夜行バスで一睡のできなかったにもかかわらず、家に帰ると、即行ビデオデッキに向かった。最初は、全部を見るつもりが、気づくと同じコンビのネタを何度も何度も見直している自分がいた。家族の集まる一階の居間で見ていたため、おかんが「さっきから、同じのばっかり見てるやん。あきひんの?」と言ってきたので、ちょっと恥ずかしいなと思い、他のコンビのネタも見ることにしたけど、さすがに1日20回ほど見てたらアホやわな(笑)。

 同じコンビというのは、昨日の日記で書いた気になるコンビのこと。今回のはそれほどおもしろくないとは思うけど、見ればみるほどどんどんはまっていった。でも、ビデオを見ているときの私は笑っていない。実際、「おもしろくない」という意見もあり、「ま、そうだろうな」とは思う。でも、好きなんだ。

 なんていうのかな?
 このコンビを見る前は、ネタの内容や動き、声の大きさなど目につきやすいもので笑っていた。でも、このコンビからは表情や仕草、口調や、言葉の語尾、間合いにもおもしろさを見つけることができた。たとえば、ちょっと長めのボケってあるじゃないですか。その間のつっこみの目線や表情や。すごくうまいというか、考えてるというか。それに気づくと、本ネタで人よりたくさんのおもしろさを感じているように思う。だから、何度も何度もビデオを見直すことで、笑いの伏線探しを楽しむことができる。

 ゲラゲラ声をあげて笑うことが、笑いのすべてじゃないのかもしれない。でも、やっている芸人さんはあくまで爆笑を目指しがんばっているのだと思うので、私が彼らに惹かれた理由は彼らにとっては褒め言葉ではない。(今回コンビ名を伏せているのもそのため)

 このハマり方は、やばい。野球における東山のようなニュアンスがありまくりだ。高校野球なら、「強くなくても応援したい!」は通用するけど、漫才の場合、「おもしろいから笑う、応援する」でないと、その芸人さんのためにもよくない。だから、人から「おもしろいコンビ?」と聞かれてもこのコンビの名前は出さないと思う。

 したくないことがある。どんなに好きなコンビでも、たいしておもしろくないのに場の雰囲気で何となく笑ったり、自分の感じた以上に笑うことだ。本当はハハハ程度にしか笑えないネタで、ガハハと笑ったり、手を叩いたりするオーバーアクションは、その芸人さんを盛り上げているようで、実はそうではないと思う。笑いに対してストレートな反応をする。それが、ファンが芸人に尽くせる一番の誠意だと思う。



2003年12月28日(日)
楽に笑いたい


 今日は、若手漫才師の日本一を決める「M−1グランプリ2003」をスタジオ観戦した。スタジオはすごく小さい。司会をするタレントも審査員も、出場する漫才師もすごく近い距離にいる。大学時代、若手芸人のイベントを見ている。そのとき思ったのは、テレビで見るより、生で見た方が笑う回数が多いということ。だから、今日もたくさん笑えるものだと期待していた。

 ところが、M−1は違った。自身の進退をかけて挑むコンビもいるほど、緊迫感の漂う大会だ。300人も入れないほどの小さなスタジオ。あわやつばが飛んできそうなほど近い距離。テレビでは映しきれない顔の凹凸や、服のしわの深さ。額を流れる汗。見ている私の方が、緊迫感に押しつぶされた。この人たち、がんばっているんだ…。そう思うと、体に力は入って、笑うどころではなくなってしまった。頭の中で、冷静に、「これ、おもしろいんだろうな」と思っていたりした。でも、おもしろい→笑うという作業が自分の中でうまくいかなかった。

 生で見ると、緊迫感が伝わる。野球を生で見ることの魅力の一つはそれだ。野球は、がんばっていることが美学になるもの。だから、緊迫感で体が縛られていても野球を堪能することが出来る。でも、漫才は違うんだなあ、少なくとも私の場合は。

 あと、周りの人が笑っていると、妙に冷静になる自分がいた。「あ、みんな笑ってはる」、みたいな。観覧(観戦?)前、心配だったのは、他の観客と自分の笑いのズレ。みんなが静まりかえっているところで、自分一人が笑ってしまったら恥ずかしいなという気持ちなのだが、これも緊迫感となって体を縛り付けていたのかもしれない。

 あと、会場の空気についていけなかった。大会の序盤は空気が重かった。漫才にあるまじき厳粛さが漂っていた。ところが、中盤、一組のコンビが絶大な笑いを取ってから、雰囲気ががらっと変わった。審査も甘いような気がした。客も安心して笑うようになった。「えっ、えっ、ここで笑ってもいいんや。ここでも?ここでもぉ〜?」、イケイケドンドンになった会場にただただ戸惑うだけだった。

 ついていけなかった理由で明確なことがある。それは、好きなコンビの出来がイマイチだったこと。だから、その先のネタはよその国で行われているイベントのような遠さを感じた。他の国の言葉でどう笑えと、みたいな。やばいよね。これは、夏の大会で東山が負けて、大会自体が一気に色あせてしまう私の高校野球の見方と似通っている。

 2戦目のためにネタを温存していたのか、やったネタは弱いものだったように思う。本来のネタをやって、ベストな状態でやって、ダメだったらしゃあないなと思えなくもないけど、違うしなあ。はがゆい。実際、大会終了後、記念撮影の際、すごく暗い表情をしていた。目線がどこを見ているのかわからない。相当ショックだったんだろうな。それは自分たちに対する悔しさなのか、はたまた審査員に認めてもらえなかったことに対する悔しさなのかははよくわからない。でも、個人的には前者だと思う。(漫才師の暗い表情はタブーだと思うけど、この大会に関してはOKにしないとしゃあないとこあるね)

 帰りの夜行バスの中で、ずっとそのことを考えていた。私が考えても仕方ないのだけど、来年こそはいい結果を!そう願うけど、1年がものすごく長く感じた。同行した姉は特にひいきのチームもなく、大会を精一杯楽しんでテンションも高かった。疲れているはずなのに、2人とも眠れなかった。夜中、姉が小声で、「寝れへん。ずっとM−1のことばかり考えてた」と言ったので、「私も同じ」と答えた。家に帰って、録っておいたビデオでM−1を見直したいと思った。早く楽に笑いたい。



2003年12月27日(土)
シャンパンの泡には幸福の女神が住んでいる。


 ともきちとは2回目の忘年会です。お気に入りの駅前の居酒屋で語りました。ここ1,2年、ヘドロトークが続いていますが、ともきちの方には希望の光がさしてきたようです。邪魔しないようにせんとあかんなあと思いながら、生中を飲んでました。

 例年、この時期になると、「来年の今頃は何しているんやろ」とどちらからとなく言います。2,3年前まではなんだかんだ夢あることを言っていましたが、このところは、「さあ、来年もまた同じこと言ってるんちゃう?」の繰り返しです。ああ、イヤだ。でも、どうしてもやる気が出ないお年頃♪

 社会人になったら、入学や卒業などの節目がありません。節目は全部自分で決めます。学校出てから、私はまだ節目を迎えていません。心のどこから、節目を決めるのが怖いんでしょうか?

 今の私に言えること。
 来年の今頃は、生きてたら29歳になってる。

 幸せって何じゃい。とりあえず、20代いっぱいはこんな感じでウダウダ過ごしてやろうかな。



2003年12月26日(金)
オジさんってば、なんでそうなんだろ

 今日の「はなまるカフェ」のゲストは、TIM。もう有名な話ですが、レッド吉田は、東山高校野球部OB。以前もらった百年史には、歴代OBの名簿が載っているのですが(悪用しませんよ〜)、素で現住所(東京都某区)が書いてあり、驚いた。ちなみに岡島投手は実家の住所でした。
 
 そんなレッド吉田にまつわる話。02夏の甲子園、帰りのバスの中、側にいたおじさんの話。「あの、レッド吉田っていうヤツ?今日、アルプススタンドに来てたんや。ワシ、すぐ後ろにいてんけど、周りに子供たちがたかって、うるさいし、試合見えへんし。だから、“おい、見えへんやんけっ!”って怒鳴ってやったんや」。そう言ってオジさんが自慢げに笑った。悪いのはレッドやなくて、子供なのでは?

 もう一発、オジさん話。98年夏、甲子園で準優勝した京都成章高校のエース・古岡投手が、その年の秋、後輩が出る秋季大会を見に某グランドへやってきた。ネット裏に席があるので、彼は腰掛けようと中に入ろうとしたらしい。でも、そこは本部席。関係者以外立ち入り禁止。ワヤワヤした人(京都成章の試合が高校のグランドであると会場が狭くなる。25へぇ)の中では、張り紙も見づらい。そこで、側にいたオジさん、「だから、ワシ、“そこは本部席じゃ、入んな!”って叱ってやった。あわてて、出ていったよ」。そのあと、カカカと自慢笑い。

 なんなんでしょうね?有名な人を叱ることで、自分が優位に立てたような、はたまた交流を持てたような気分になるんでしょうか?怒っているはずなのにちっとも不愉快そうではないその現象、おもしろいです。



2003年12月25日(木)
病的母校調査員


 私、学校って嫌いなはずなんですが、人の出身校、調べるの大好きなんですよ。露骨に高校名がわかるのもいいのですが、ちょっとしたヒントから自分で調べ上げるのもなかなかの快感なんですよね〜。で、わかったら、その学校に野球部があったら、大会の成績はどうだったか調べます。無益な行為ですが。

 今は、Mー1に出る芸人さんの母校調査してます。(名付けて、つれづれ“Mー1”野球日記?!)深夜のネット調査で、スピードワゴンと千鳥の母校を突き止めました。スピードワゴンの母校は、2人の出てる東海地方のテレビ番組のHPで知りましたが、千鳥の場合は、番組内にちりばめられたヒントを元に検索しました。

<ヒント>
1,コンビ名の由来は、2人の母校の隣の高校の名前から。
2,出身地は共に岡山県。
3,ボケ担当の大悟の出身地は、北木島。高校では野球部(番組では、野球で高校へ行ったと言っていたが、野球では補欠だったらしい)
4,つっこみ担当のノブの出身地は、岡山県後月郡
5,制服はブレザー。女の子は小さな赤いリボンを付けている。

 これらから導き出した私の答えは、笠岡商業高校。

<ヒントの解明>
1,コンビ名の由来は、2人の母校の隣の高校の名前から。
(隣の笠岡高校は、学園祭など様々なものに、千鳥という名前がついている)。※“千鳥”で検索したところ、たいがいのコンビならそのコンビのファンサイトが出るのに、ここの場合、それは全く出てこず、一番最初にあったのが、笠岡高校だった。
2,出身地は共に岡山県。
(笠岡商業は、岡山県笠岡市にある)
3,ボケ担当の大悟の出身地は、北木島。高校では野球部。
(笠岡商業のHPを見て、北木中学校出身の生徒がいること、専用の野球場があることから、野球部に力を入れていることがわかる)
4,つっこみ担当のノブの出身地は、岡山県後月郡
(地理的関係から、笠岡商業高校通学可能範囲?ダメでも寮があるっ)
5,制服はブレザー。女の子は小さな赤いリボンを付けている。
(HPで制服を見ると、そうだった)
 
 正解を知る術をまだ見つけていないので、推測の域を超えていませんが。

 他は、敗者復活での勝ち上がりが期待されるハリガネロックのユウキロックの母校は大阪・渋谷高校。年齢的なことを考えると、高校3年の夏に野球部は甲子園に出ている。スタンドで応援とかしてたのかな?いいや、そんなタイプじゃないなあ、絶対(笑)。



2003年12月24日(水)
クリスマスプレゼント


 このごろ、コンビニに棚卸しに行くと、ガキが多くて困ります。こないだは幼い兄弟が来てて、「今、おもちゃ買ったら、サンタさんがプレゼントくれへんで」とお姉ちゃんが弟に言ってました(その地点で、サンタはおかんとおとんやと気づけ、幼な子よ)。サンタなんておらへんから、とっととどいてんかと思う私でした(笑)。

 今日はイブ。イブの夕方に町中のコンビニで棚卸しするなんて、「おかしいんちゃうか」ってハリガネロック風にユニゾンツッコミしたい…。それも一番ハードな立ち読みパラダイスの本を一人でカウントする羽目になり、泣きそうでした。こういうときにくさい屁をこくといいんだろうなあなどと思いながら、人を殺す気でカウントに取りかかりました。

 今年のクリスマスプレゼントは、素直さとやる気とよく通る鼻の穴がいいなあと思っていたのですが、届いたのは、M−1グランプリ決勝観戦無料ご招待の案内。現実的な物のなかで一番喜ばしいプレゼントです。サンタさん、サンタさん、ヘイヘイヘイッ!てなわけで、28日は、お姉と東京へ行き、伝説を見守りたいと思います。

 漫才と言えば、野球ネタが出てくると、なんだか気恥ずかしくなって目をそらす自分がいます。見ている人、みんながみんな野球知ってるわけではないし、嫌いな人もいるはず。なのに、そんなんして大丈夫なん?とくだらない心配をして困ってしまうんです。私的には嬉しいのですが。



2003年12月23日(火)
鎖国体制姉妹


 最近、自分のサイト以外の野球サイトを見ないようにしている。それは決してつまらないからではなく、むしろその逆だから。普通の精神状態なら、勉強になるのだけど、今の自分にはその魅力が負担にしかならないと判断した結果だ。見なかったものは、ないものと一緒。対象物がなければ、自分の負担もちょっとは減る。気休めや逃避かもしれない。でも、後ずさりするくらいなら、一歩でも進める可能性に賭けた方がいいと考えた。でも、悲しいかな。何かの拍子に一番見たくないものを見てしまう。今までの努力は何じゃい、ああ。

 そんなことを我が血を分けた姉もしている。こないだの日記で書いたが、姉はヤワラちゃんの結婚に過剰反応している。中継なんて絶対見ないと言っていたのだが、実際は、お風呂に入るために居間を取ったとき、親が中継を見ていた。目に入ってしまったのが、一番見たくなかった。長さ10センチのドレスの裾を引きずっての谷バージンロードを歩くシーン。痛すぎる…。姉は、吠える。「私はな、自分で言い出したのか、テレビの人にそそのかされたのかは知らんけど、あんなことを「はい、やります」と言ったヤワラちゃんが許せへんのや。なんかイメージがやあ」。その後、風呂に入った姉は、居間からのテレビの音をかき消すために、大声で、「あっほらしい。くらだんわ。何考えてんねん」とぶつくさわめいていた。するとおかんから、「子供みたいにムキになりなさんな」と叱られた。最悪。でも、拒否反応は興味の一部である。その後、「本人ら出演のなれそめドラマはアホちゃうかって思った」とか、「でもヤワラちゃんの手紙はよかった。私んときも(いつ?)使おうっと」などと話が続いた。自分と姉が似ているとは思ってなかったけど、こんなイヤなところが似てるんやなあ。お互い無駄な苦労をしている。

 そんな私だが、ネットからは離れられない。今はお笑い系のサイトをよく見ている。M−1関係や芸人さんの情報を集めたり、芸人さんの公式サイトで本人の文章を読んだり。例年、オフの自分は何をしているのか忘れるのだけど、オフに入ってようやく思い出した。漫才にかまけているのだ。過剰に漫才熱。今日も朝からレンタルしてきたハリガネロックのイベントビデオと過去のM−1グランプリのDVDを見ていた。ネタを見て、おもしろければたた笑う。裏話を聞いて、「プロになるってかっこいいな」と感嘆する。私は芸人になる気も、芸人のことを書く気もない。でも、彼らの生き方にすごくあこがれている。

 今日もある芸人さんのサイトへ言って、彼が書いた文章を読んでいた。彼らは文章でご飯を食べているわけではないから、うまいかどうかはわからない。でも、短いシンプルな文の中に自分の言いたいことがきちんと書かれている。私は、「あなたも○○しませんか?」とか「○○してはいかがでしょう?」という押しつけ系文体が大嫌いなのだが、一つの道で確かな結果を残している彼の文章にはすごく説得力があり、惹きつけられた。思わずプリントアウトしてしまった。知人が、「野球以外のサイトも見るといいですよ。勉強になるよ」と言っていたが、ホントにそう思う。私が凹んでいるのは、そういうことを知るために仕組まれたものかもしれない。私はいつ野球に戻れるのだろう。



2003年12月22日(月)
小さな不思議


 通勤時、駅まで歩きます。少し遅い時間帯だと、駅の裏の山の中にある地元公立高校の通学ラッシュとかちあいます。彼らはテクテク歩く私を、颯爽と自転車で追い越していきます。よく見るのは、サッカー部の子です。2日に1回は見ます。目立つ色のカバンなので、一目でわかります。

 ところが、今まで一度も野球部員を見たことがありません。この高校に野球部がないわけではありません。普通に京都大会に参加していて、大体2年に1回は緒戦を突破しています。大会前にもらう選手名鑑を見ていても、うちの母校(中学)出身で近所の子がいた年もあります。早朝練習をしているとしても、私の通勤時間より早いとは考えられません(早いときは5時台の電車に乗ります)。野球部員ってカバンや髪型で目立つじゃないですか。それに一応野球ファンですから、そこんとこは敏感になってるし、見落としているとは思えません。ほんま、なんでなんでしょ。

 不思議と言えば、これは人から言われて気づいたのですが、野球部グッズって、いつからあんなに充実しているのでしょうか?昔は父兄さんがおそろいのシャツや帽子を作ったり、選手が高校名が入ったオリジナルのカバンを持っているチームなんて少なかったように思います。あとアンダーシャツに文字を入れたり、マネージャーがおそろいのウインドーブレーカーやジャージを着ていたり…。見慣れた光景だけど、よくよく思い出すと、昔はこんなんじゃなかった。普通の公立へ行っても夜間照明や野球部専用バスがあったりする。世の中は不景気だというのに、どんどん金をかけていく。時代を逆行しているのは、何もプロ野球選手の年俸だけじゃない。野球そのものが、そんな感じなんだと思いますが、いかがなものでしょう?



2003年12月21日(日)
女とペットで紀州路グランド巡りの旅


 今日は、18きっぷを使って、相方くんと紀州路へ。シーズン中はともかく、ついにオフになってもグランド巡りにつきあわされる相方くんって…。

☆耐久高校☆

 来春の選抜21世紀枠推薦校のひとつ。JR湯浅駅から徒歩10分程度の住宅街の中にある。駅から同校へ向かうとき、湯浅小、湯浅中があった。高校になって急に耐久になるの、なんでだろう。

 わずかながら選抜出場の可能性があるので、練習しているかもと思ったが、グランドにはひとっこ一人いなかった。私たちは校内に入らず、細い脇道を通って、グランドを眺めることに。

 灰色のフェンスに「飛球注意」というプレートをいくつか見つけた。フェンスはグランド内にもあり、さらに外側のフェンスには薄い緑色のシートが貼り付けてあって、グランド内は見にくかった。最初は、「よそ者を受け入れない体勢なんや」と思った。でも、よくよく周りを見ると、人がやっとすれ違える程度の細い道の向こう側には民家が建ち並んでいる。距離はかなり近い。ボールが民家を直撃しないように細心の注意を払っているのだと気づいた。フェンスだけでは、隙間をボールが通り抜けてしまう可能性がある。緑色のシートはそれを防ぐためのものなんだろう。

 民家の途切れた、センター後方には緑色のシートのない箇所があり、グランドを見ることができた。グランドはフェンスで二つに区切られていて、奥を野球部が使っている。この区切りに特別な意味があるのかと思ったが、端っこにはサッカーのゴールポストがあったので、野球部専用ではないようだ。内野に黒土のないごく普通の茶色の土。ダグアウトは、屋根付き。一塁側には真っ赤なコカコーラのベンチ。側にトレーニングで使うダンベルがおいてあった。三塁側は青や白のベンチで、背もたれの部分には飲料メーカーの名前が書いてあるはずなのだが、目が悪いのでよくわからなかった。

 よくわからなかったと言えば、このグランドには不思議に思うことが2つあった。 

 1つは、レフト後方に設置されているスコアボード。見てみると、延長13回まで記録できる。試合を行う普通の球場でも延長11回くらいしかない。ましてや、グランドで行われる試合では、延長戦をすることなどまずないはず。それか、和歌山の高校野球ではグランドでも公式戦をするのだろうか。はて。

 2つ目は、三塁側ダグアウトにあった“enjoy play メジャー”の文字。enjoy playはわかる。メジャーって?“目指せ甲子園”系のものはよく見るが、メジャーなんて初めてだ。普通に考えると、メジャーリーグのメジャーだろう。夢がでっかくってこと?その文字、私は千羽鶴で書かれているように見えたけど、相方くんは「横断幕やろ?」と言う。どっちがホンマだろう。

☆箕島☆

 湯浅から箕島までは電車で3駅。再び電車に乗り込んだ。車窓からは、段々畑が見える。かなり高い位置まで開拓されており、あそこで毎日作業をしていたら、ものすごい足腰になるんだろうなと思った。そして、目の前には身をたくさんつけたみかんの木々。すると、車内に柑橘系の香りが漂ってきた。これが、窓の向こうのみかんの香りならノスタルジックでいいのだけど、実際は後ろにいた大量のみかんを持ち込んでむしゃむしゃ食べているおばちゃんの仕業だった。

 駅からグランドまでは徒歩で10分弱。グランドには声が響いていた。私たちが到着したときには、ちょうどノックが終わり、素振りの練習が始まった。素振りは、個人で練習するものというイメージが強いため、皆がグランド内で大きな輪になって行われるそれはカルチャーショックですらあった。1人が、「いーち、にーぃ」ってな具合に声をかけ、それを合図にバットを振るのだが、タイミングはみんなバラバラ。自分のタイミングを大事にしているようだ。指導者はゆっくりとグランドを周り、一人一人のフォームをチェックし、ときには声をかける。同行者の相方くんによると、号令は右回りか左回りかで10おきに交代しているようだ。全員が終わると、大体400になる。

 学校の裏の川に沿って作られている道路からはグランドが一望できる。そこで練習を見ていたのだが、グランドは狭いと思った。片隅に「84」と書かれたプレートがあったので、これがグランドの規模だと思っていいはず。でも、夜間照明があり、屋根付き観戦用のスタンドもあった。当日は、2,3人の父兄さんが腰かけて練習を見ていた。グランドの狭さに比べると、スタンドのスペースは広い。遠目からだけど、その錆び方に年月を感じた。私の見ていた場所からはスタンドの裏側が見てた。そこにはたくさんの木材が詰め込まれていた。寒い冬でも、練習は続くようだ。

☆帰りの電車で☆

 帰りは、和歌山線経由で大阪に戻った。二両編成。大きな駅以外では、一番前のドアしか開かない。私たちは後ろの車両にいたのだが、ある駅でドタドタと地元の高校生が乗り込んできた。どうやら練習帰りの野球部員のようだ。電車はガラガラで、彼らがゆったり座れるスペースもある。カバンをボンと床の上におくと、リラックスタイムが始まった。おしゃべりする子もいれば、黙々と携帯メールを打つ子もいた。 

 電車に揺られていると、2,3個先の駅でまた練習帰りの高校生が乗り込んできた。別の高校の野球部員。彼らもさっきの部員たちと同じようにこちらの車両にやってくるようだ。ところが、視線の先に先着の野球部員を捕えた彼らは、「やばっ」と言いたげな表情を見せて、足を止めた。そして、空いていた近くのシートに座り、車両間のドアを閉めた。なんか生々しい学校間関係を垣間見てしまったなあと思い、関係ないのに何故か苦笑いする自分がいた。 



2003年12月20日(土)
吹雪く大津で、「ラビット関根じゃなくてぇ」と壊れるともきちと一緒に。

 今朝起きたら、雪降ってました。なんか笑っちゃいました。そんな中、夕方からともきちと大津にちゃんこ鍋を食べに行きました。お気にのお店です。たらふく食って、店を出ると、外は吹雪いてすごいことになってました。そんな中、私たち、テクテク歩いて20分程度、浜大津アーカス内のカラオケへ。でも、この冷えが堪え、2人ともトイレに駆け込んで、変な脂汗を流しました。帰りは歩いて大津駅まで戻りました。ともきちは、コインロッカーに預けておいた「私より大事な」2万5千円もするラビットファーのカバンを大事そうに抱きかかえて帰って行きました。私の価値は2万5千円以下です。きっと吹雪く中、コートを貸さなかったことを根に持っているのでしょう。でも、「女のおしゃれは痩せ我慢」って言ってませんでしたっけ?

 こんなんのどこが野球日記やねんと思われるので、書いておきますね。今日行ったカラオケボックスの店内に赤星の2年前のサイン色紙が飾ってありました。ずっげー、プレミア。でも、何故にこの店に赤星のサインがあるのだろう?

 実は今日の約束は先週末、思いあまった私がしたもの。すごく凹んでいたので、話を聞いてもらおうと思ったのだが、何故かともきちの顔を見ると、すうっと言葉が引いていった。何かを話すより、何も話さないでもいいのはすごく心を楽にするんだと知った。



2003年12月19日(金)
独断と偏見の「2003好ゲームベスト5」


 今年私が見た77の試合のうち、公式戦のみを対象としたランキングです。試合は皆平等に存在しているという私の考え方からすると、ランク付けは矛盾するのですが、こういう形式で、そのゲームの存在を人に知ってもらうのもいいかな?

 傾向としては、“初物は多い”ことがあげられます(そして、相も変わらず延長戦に弱い…)。ファーストインプレッションって大事なんですね。

 第5位 7/22 高校野球京都大会 東山 4−3 立命館 (延長12回)

 緊迫したいいゲームではあったのだけど、「もう少しなんとかなったんちゃうか?」という気持ちがどうしても消せず、ランキングをあげることができなかった。

 第4位 10/19 福井県高校野球1年生大会 敦賀 10x−9 金津 (延長11回サヨナラ)

 初めて見た1年生大会は、壮絶な乱戦。精神力のすごさを見せつけられた。

 第3位 5/4 福井県高校野球春季大会 福井商業 4x−3 敦賀気比 (延長10回サヨナラ)

 第2位 9/15 プロ野球 阪神 3x−2 広島 (9回サヨナラ)

 9回まで雰囲気的に勝てるとは思えなかっただけに、最後ゾクゾクした。優勝に王手がかかった試合でもあったけど、140分の1としてもいいゲームだった。相方くん、すでにこの地点で泣いてたらしい(見たかった…)

 第1位 8/24 福井県少年野球 敦賀北ジェットストリーム 1−0 松原ぼっくりーず

 初の少年野球観戦。レベルの高さ、引き締まった内容にただひたすらカルチャーショック。今年はするまでもないかと思っていたベストゲームランキングも、このおかげでやる気になれた。



2003年12月18日(木)
リフォームはやめて。


 時期的にずれた話ですみません。阪神の片岡選手の「リフォームはやめて欲しい」事件(?)について。

 私は初めてそれを知ったのは、9月15日のことだ。相方くん曰く。「未だの♪リフォームって歌ってるヤツがおるけど、あれ、片岡はイヤがってて、やめてくれって言ってんねん。ライト(スタンド)では、違うこと言ってるはずやで。なんて言ってるんやろ」

 なんでもっと早く言ってくれへんかってんさ。うちも♪リ〜フォーム〜って言ってたわ。バカにしてるやろ、バカにしているやろぉ〜?!

 結局未だに新バージョンの歌詞がわからずにいるが、内容には対して期待していない。私個人はあの歌詞、おもしろいから好きだった。別に「おまえの母ちゃん、で〜べ〜そ〜」とか言ってるわけじゃないんだから、応援の歌詞にイチャンモンつけるなんで器がないなあと思った。けど、本人がイヤって言ってるのだから仕方ない。人には集中出来るリズムとそうでないリズムがあるらしく、もし、そのメカニズムにあった応援が出来たなら、応援者も立派な参加者もしくはサポーターとなれる。逆に片岡選手のように心によくない意味でひっかかるものは、選手の足を引っ張っている可能性もないとは言えない。

 真意は違うと思うが、あの歌詞、「実家に檜風呂が作れるほどの金で阪神に入ってきたんやから、ちょっとやそっとの結果じゃ納得せんで」という皮肉が込められているように思えてならないんだけど…。



2003年12月17日(水)
今日の仕事場、宇治ロード


 今日は、仕事で宇治方面へ行った。帰りは道路が渋滞し、景色は必要以上にゆっくり流れていた。

 私は京都の人間だが、宇治市民ではないので、宇治の地名はあまり知らない。ところが、何気なく道路標識を見ていると、見覚えのある地名があった。あ、ここ、昔読んでた高校野球雑誌の記事に載っていた場所だ。近くの学校のグランドで遊んでいた幼い子供が風か何かであおられて落ちてきたネットの下敷きになって亡くなったという痛ましい事故が起きていた。もう10年以上も前。もし、その子が生きていたら、高校生くらい。ひょっとしたらここら辺の高校で野球をしていたかもしれない。家族の人、とくにおばあちゃんはこの10数年をどういう思いで過ごしているのだろう。そして、私は何故そのことを突然思い出したのだろう…。

 物思いにふける私にお構いなく、車はのろのろと進む。すると、夜間照明独特のきつい白色の光が差し込んできた。光の方を見ると、グランドがあった。煌々と照る明かりの中、白いユニフォーム達がいた。その白さには夜間照明とは違うまばゆさがあった。練習しているんだ…。場所と規模からして、ここは多分立命館宇治高校グランド。来春の選抜出場はほぼ決定的。取り組み姿勢も違うだろう。でも、微妙なラインにいる高校はどうしているのだろう。調整方法が難しいと聞いたことがある。
 



2003年12月16日(火)
どこかにユニフォーム干してませんか?


 まだ巡り会っていない光景がある。それはベランダに干してある風になびくユニフォーム。電車の窓側で私が追いかけているのは、グランドや野球少年だけではない。だから、到底グランドがありそうにない住宅街でもベランダからは目を離すことができない。

 車窓で遭遇するグランドや選手の数を思うと、ユニフォームにもすぐに会えると思っていたが、そうは問屋が卸さないようだ。「あ、ユニフォーム!」と思っても、よく見ると工事現場の作業着(なんで間違えんねん)だったり。

 なんで出会えないんだろう。あれは、部屋干しするものなんですかねえ?



2003年12月15日(月)
関係ない話 その10 「花嫁修業」

 このオフは、花嫁修業をしようかと思います(そこっ、笑わない!)。別に結婚するわけでもなく、単に家事を覚えていこうというだけの話なんですが。

 思うところあって、半月ほど前から、皿洗いがマイブームです。ご飯が済んだら、母の腰があがる前に台所の流しに急ぎます。冷蔵庫の横にある母専用のコンポに編集した自分用にテープを入れ、曲を聴きながら、スポンジでキュキュキュキュッ。なんか楽しいんですよ♪でもって、「ありがとう」とか「ごくろうさん」と人から言われるとすごいイヤで、普通に流してくれるとすごく嬉しくなります。当たり前のことを楽しく出来ている自分が好きなんですね。ワッハハハー。2,3日前から手の皮膚の調子が悪いので、控えていますが、何らか対策を立てて、また流しに復活したいと思います。

 こないだは、母からまつり縫いを教わりました。「針の穴に糸が通せへん」と言うとがっかりされました。とりあえずクリアしたので、次はズボンのゴム入れらしいです。我が家にはデブが多く、たるむきったズボンがようけあります。存分に練習ができそうです。

 他は、アイロンとか洗濯とかきちんと出来るようになりたいです。あと、みそ汁を作れる女になりたいですね。料理で男を釣ろうとは思いませんが、自分がみそ汁大好きなので。

 家事っておもしろそうというのが最近の私です。ま、日常的になったら、すぐにさじを投げてしまう。それも自分なんでしょうけど(笑)。



2003年12月14日(日)
滋賀県の車窓から


 窓際の席に座ると、つい高校のグランドや球場、草野球やキャッチボールをしている人を探してしまいます。今日もそんな感じで草野球をしている兄ちゃんたちを見つけました。ほとんどがユニクロ系の私服を着ていたのですが、1人だけ、阪神の応援用ユニフォームを着ている兄ちゃんがいて、やけに目立っていました。背中には「25」か「28」の文字。こんな人、初めて見ました。やっぱり、今年阪神は(リーグ)優勝したんですね。




2003年12月13日(土)
関係ない話 その9 「スポーツライターに必要なものは。」


 素直さと明るさ、だそうです。
 
 ないな。
 明るさは何とかなるにしても、素直さがよぉ。どこにあるの?いくらで買えるの?何色?♪教えて〜、おじい〜さん〜

 ま、これが単にスポーツライターにだけ必要なものならば、「いいよ、私はスポーツライターにはならないから。お尻ペンペン♪」で済むのだけど、残念ながら、仕事や家事などを担う社会の一員であるためには、大事な要素だ。

 今日は、ずっと応募していた『スポーツライター新人賞』の表彰式へ行ってきました。最も私は賞の対象外ではっきり言って“関係ない”。他の応募者は誰一人来ませんでした。以前はそんなオンリーワンな自分に満更でもなかったのですが、今はほんま、恥ずかしい、情けない、ごめんなさいって感じ。バカですね。正直、かなり堪えました、精神的に(それゆえ、主催者の人には変な気を遣わせて、悪いことをした)。悔しいとかうらやましいとかいう感情を持てたらまだよかったのだけど、残念ながらそういう感情は起きませんでした。

 式が終わったあと、パーティーがありました。食べるもの食べて、元とってさっさと帰ろうと思ってたのに、受賞者と歓談している自分がいました。吐きそうなくらいみじめでした。その人たちは、やっぱり素直なんです。「自分が賞を取れるなんて思ってなかったから、今日は“誰が賞をもらうんだろう〜”とワクワクしてた」と言う人がいました。普段なら、“ウソこけ!すっとこどっこい!”と思うのですが、その人の表情を見ていると、ホンマにそう思ってるようです。取り繕った謙虚さは顔に出ます。きっと素直さは神様からの贈り物なんでしょう。サンタさん、クリスマスには素直さをください。

 一番辛かったのは、そんな人たちから自分のことを言われたとき。今までなら、自分の文章のことを言って欲しいと思ってたのに、今日は「お願いやから、ほっといて欲しい」と思った。でも、そんなときに限って…。彼らに悪気はないのはよくわかってる。でも、気を遣ってくれてるだけなのか、正直な気持ちなのかはよくわからない。

 久しぶりに塾時代のメンバーに会えたのは良かったけど、やっぱり距離を感じた。仲間として接するには遠く、他人にはなりきれない。何だかんだ言っても私は、途中で逃げた人間だ。地理的条件や金銭的なハンデもあるけど、それはただの言い訳にすぎない。



2003年12月12日(金)
野球用語って、物騒で、やらしくありませんか?


 どこかの本で、「野球に使われている言葉は物騒なものが多い」とあった。確かに、「殺」とか「死」とか「盗」とか、怖い怖い〜。サッカーには、サドンデスという言葉があったけど、これが突然死を意味するので良くないと、Vゴール(多分)という言葉に変わった。日本野球は、高校野球を筆頭に礼儀やフェアーさを重んじるスポーツ。なのに、未だ「殺」「死」「盗」などの物騒な用語が改められずにいるのは、よく考えると不思議な現象だ。

 あと、野球絡みの言葉って、ほんのり下ネタ系だと思いませんか?野球がより人々の身近にあった証でもあるのだろうけど。「球の出し入れ」とかいう表現は勘弁して欲しいっす。って、こんなこと書くから、人から「欲求不満とちゃうんか?」って言われるんだけど、ご心配なく。



2003年12月11日(木)
生き方探求チャレンジ体験


 美容院へ行くと、背広を着たおじさんが、店員さんに感謝状を渡していた。28年生きていて、生感謝状を見たのは初めてだった。小柄でか細い店員さんの白い腕を眺めながら、「どう見ても人命救助じゃなさそうだしなあ(感謝状=人命救助という想像力の乏しさが悲しい…)。何で感謝状なんだろ」。そして、カットをしてもらっているときに、話を切り出した。

 店員さんの話によると、先月頭、地元の中学生が社会勉強のために3日間ほど来て仕事をしていたらしい。調べてみると、これは生き方探求チャレンジ体験という学校のカリキュラムの一つ。スーパーやカーショップ(牧場もあったらしい!)などに行って、仕事の現場を体感することによって、将来の進路の選択を促すものらしい。友人あたりは、「店に中学生がいるのを見たことがある」と言うが、私はまだその場面に遭遇していない。学校側が方々の店や会社に交渉をして生徒を預かってもらえるところを探すのだが、私の行っている美容院のオーナーさんがそれを引き受けたのだ。

 店に来てたのは、2人の男子中学生。9:30出勤の16:00上がり。あくまで体験なので、賃金は発生しない。期間中は学校に行く必要がなく、仕事が終わったら直接家に帰る。仕事と言ってもアルバイト経験すらない子供に何が出来るわけでもなく、声かけや床掃除などをしてもらっていたとのこと。「あの年頃の子と接する機会なんてなかなかないですから。何話していいかわからなくて困りましたけど、新鮮でよかったですよ」とは店長さん。特に若い男性スタッフがあれこれ面倒を見てかわいがっていたらしい。最終日に、「ごくろうさま」という意味をかねて、カットをしてあげたらしい。感謝状は、生徒を預かってくれたお礼。

 生徒はみな希望通りの仕事に就けたかと言えば、決してそうではないようだ。店で預かっていた中学生は、サッカー部員で「サッカー選手になりたい」と言っていたと聞いた。ま、パープルサンガが中学生預かってくれるとは思えないしな。きっと、野球部員で「プロ野球選手やメジャーリーガーになりたい」という子もどこかで違う業種の体験をしていたのだろう。

 スポーツ選手は、普通の仕事とはちょっと違う意味合いがあるように思う。でも、意識の高い子は、もうすでに「スポーツでご飯を食べていくんだ」と思ってるはず。そういう子にとっては、スーパーや美容院と同じ線上にプロスポーツ選手があるんだろうな。



2003年12月10日(水)
校歌と私


 昨日にひきつづいて、校歌の話。

 いつからなんでしょう?甲子園大会を始めとする試合で、やたらめったら校歌が流れるようになったのは。試合前、2回、7回、そして勝ったチームは試合後。5回にも流れてたような…。試合に負けたチームの校歌が一度も流れないのはかわいそうだからという配慮なんでしょうけど、ちょっとくどすぎません?勝負は現実です。校歌を何度も流しているのって、一種の学校宣伝ではありませんこと?こんなんだから、高校野球が学校の宣伝や町おこしに使われるんやわと思う。ま、私には関係ないことだけど、「校歌を歌うこと=試合に勝つこと」の図式を信じていたので、ちょっと物切ない気分です。

 高校野球を見ていて、いろんな校歌を聞いてきました。甲子園常連校の校歌とかは、ザビをおぼえていたりします。私だけではなく、多くのファンの方がそうだと思います。印象に残っているのは、広陵と尽誠学園、PL。幼いころは、♪池田、池田模範(漢字に自信なし)堂でおなじみのムヒの歌は、池田高校の校歌の替え歌だとまじめに思っていました。サビの♪池高、池高〜を知ったのはごく最近です(汗)。

 ところが、一般的に「自分の母校の校歌は?」と聞かれて、愛着を示す人はあまりいません。「歌ったことない」とか「知らん」とか「そんなんあったっけ?」と素知らぬ顔をする人が主流です。愛校心がないことを示すのは、一種のかっこうよさであるかのように。うちの姉も、「さあ、ダラダラした音楽やったし、覚えてへんし、思い入れもないわ」と言ってました。とすれば、私が母校以上に覚えていて、今携帯の着信音にしている東山校歌も、野球興味のない東山OBにとっては、ぷぅみたいなもんなんだろうなと思いました。不思議な話です。命の歌やっちゅーに。

 私は、小学校から大学までの出身校の校歌を大体覚えています。別に校歌フェチでも何でもありませんが。中学校入学当初、音楽の授業で校歌の歌詞暗記テストがありました。うちの母校は近くにインターチェンジがあるが故(おかげで、公立なのに夏はクーラー♪)、ラブホテルが集中しているという非常に恵まれた環境のもとにあったのですが、当然替え歌も存在していました。歌い始めが、♪暁の光の中に〜だったのですが、学校のすぐ側に「あかつき」というホテルがありました。ほんま、笑えます。クラスの男子が、♪あかつきのホテルの中で今目覚む隣の女〜とか歌ってました。若気の至りですね。

 高校の校歌は、さすが女子校。歌詞に「乙女」の文字が。私に歌わせたら犯罪です。音階が必要以上に高く、声の低い私には辛かったです。共学になったらどうするのでしょう?ま、昔っから小規模校(高校の募集人数が50人くらい)だったので、共学にしてまで生徒を集める必要はないんでしょうけど。あと、これはほんとにびっくりしたのですが、歌い出しが平安高校と同じ♪紫におう〜なんです。
 



2003年12月09日(火)
黄色と黒の縦縞の糸?!


 きょうびの携帯サイトには、校歌の着信音がダウンロード出来るところがあるんですねえ。先日、読者のブブスケさんに教えてももらって、おったまびっくりですよ。サイト名は、Melody i−land(http://melody.vis.ne.jp。ただし、docomo&vodafoneのみ)ダウンロードは、ウェブ通信料のみでできます。私の電話番号およびメアドをご存じの方は、着信音を東山学園校歌にしていただければ嬉しくです♪

 …と、話がちょっとそれましたが、早速、東山の校歌をダウンロード。その後、市長ラブな学校の校歌もダウンロードし、彼の着信音に設定。その後、市長にも連絡。感激したらしく、電話までもらう。それから、甲子園出場校で聞き覚えのある高校を探し出し、「ああ、これこれ!」と言ってみたり、「あ、思い違いやった」とつぶやいてみたりして随分楽しむことが出来た。

 しばらくは、校歌のコーナーしか見てなかったのだが、今日、ようやく他のコーナーも見始めた。そして、阪神の選手別ヒッティングマーチを発見。阪神の歌は、ありそうでなかなかないんですよねえ。喜びいさんで、ブブスケさんにメールをしようと思ってたら、そのブブスケさんからメールが。『以前、教えたサイトからヒッティングマーチをダウンロードすることができました』とのこと。テ、テレパシーや!

 私も、ちょうど今見つけたことを伝えた。そして、ブブスケさんの着信音は誰のヒッティングマーチがいいか聞いた。ところが、「しばらく考えさせてください」という答え。ま、いっかと思って、再びサイトをいじっていると、彼の母校の校歌を発見。甲子園にも出たことのある学校なんですが、「ま、返事がくるまでこれにしとこ」と思いダウンロードし、着信音の設定したその直後、またもやブブスケさんからメールが。今度は何?『さしつかえなければ、母校の校歌がいいのですが』。どうやら、彼も今しがた見つけた模様。一度とならず、二度までも…!

 その驚きをメールにしたところ、『きっと、黄色と黒の縦縞の糸で結ばれてるんですよ』。そっか、結ばれてたんや…。

 ただ、市長とブブスケさんの着信音の区別ほとんどつかないのが、ちょっと困ったもの。校歌って、どこも同じように聞こえるし(苦笑)。



2003年12月08日(月)
これが高校野球だったらドラマチックなんだけど。


 実は、この日記12月9日に更新してます。昨日は力つきてとても日記なんぞ書ける気力がなかったんですよ。仕事ですわ。

 ここんとこ、週3回とか2回とか半日とかいうぬるい日々が続いていた(おかげで給料がエラいことに。もう忘年会は出来ない…)のだが、今週はきっちり月から金。しかも精神的にきつい店やきつい人パラダイス。中でも昨日の店は、“いわくつき四店王”の別名を持つ問題店。シフト表を見た人が、「(夜の)8時までには帰れるかなあ?」と言うほど、時間がかかる。すごい神経質な店で、大雑把な私が何故行くことになったのかわからない。

 ほぼ一年前、これまた“いわくつき四店王”である別の店で大チョンボをしでかしたのを思い出した。店の人から名指しで、「もう(棚卸しに)来ないで欲しい」と言われているし、実際それ以降行っていない。普通に客としての買い物にも行っていない。かなり凹んで、今でも思い出すといたたまれなくなる。

 無責任な一ファンとして、高校野球にドラマチックな設定を思い描いている。その究極は、下級生のときに自分のミスでチームが負け、試行錯誤の末、翌年同じような場面を乗り越えるというもの。

 昨日の私は、まさにその設定だった。でも、自分の場合はちっともドラマチックではなく、ただ「勘弁してくれよぉ」と思うだけだった。日常はなかなかドラマチックにはならない。とすれば、当の選手も自分の置かれた状況をドラマチックになんぞ思わないんだろうな。

 さて、実際行ってみると、これと言った注意をされることなく、神経質に応じた仕事が出来たように思う。8時を覚悟してたが、6時前には店を出れた。自分では何の進歩もない1年だと思うけど、身に付いてることもあるんだなと思った。1年前のミスは取り戻せないけど、昨日を乗り切ったことで、ちょっと気持ちが楽になった。でも、今週は“いわくつき予備軍”があと3つも…。



2003年12月07日(日)
似て非なるもの / 壊れかけの忘年会


『似て非なるもの』

 駅へ向かう途中、「オーオー」という叫び声がした。どっかで野球部員が練習しているのかしらんと思うくらいそれは野球部系の声出しだった。でも、ここは通い慣れた道。地理的にグランドなんてあるわけない場所。そうや、通りの向こう側にはガソリンスタンドがある。そこの兄ちゃんたちの声だ。

 いつも思う。ガソリンスタンド内で誘導している兄ちゃんの叫び声が、高校球児の練習中の声に似ている。グランドを探しているとき、何度惑わされたか。あと、遠くから見たゴルフ場とグランドはよく似ている。ま、何度もだまされたので、最近はネットだけ見ても、「油断するな。ゴルフ場かもしれんで」という冷静さを持ち合わせるようになった。

 関係ないけど、東山と京都学園の制服&野球部バッグは微妙に似ている。駅でよく見かけるのは学園の子なんだけど、その都度冷汗をかく。私には、学習能力というものが備わっていないようだ。


『壊れかけの忘年会』

 今日は、この日記の主要登場人物で、このところ自分の出てくる日記しか読んでくれなくなった(てめえら…)ともきち&相方と忘年会。

 飲み屋で最初に交わした二人の会話。

 ともきち(以下と):旅行行ったとき、単独行動で六本木のホテルに行ってん♪
 相方(以下相):おれら天一探すのに必死やったわ
 と:みんなドレスアップしててすごかったわあ♪
 相:周り見ると阪神のユニフォーム来たヤツらばっかりやったわ
 と:黒人のピアニストに、「What’s your name?」って聞かれてん♪
 相:(店員の兄ちゃんに)「今日、阪神どうでした?」って聞かれてん
 と:ドキドキしたわあ♪
 相:こいつ(私のこと)、ズボンのケツの部分破れてユニフォームのまま帰ってきよってん。おかしかったわぁ
 と:帰り、東京タワー見ながら歩いてん。きれいやったん♪
 相:1時間かけてテクテク歩いて、天一行って、あまりに疲れたから帰りはタクシーや。ホテルに戻ったらバタンキューや。

 君ら、ちぃったあ、かみあっておくれよ…。
 



2003年12月06日(土)
ファインプレー 〜あるこの場合〜


 アルバイト史上の最高のファインプレーは、大学時代に働いてたラーメン屋で、一度に12人の客の注文を1人で聞いたことだと思う。

 ある日、スタジオ帰りらしいバンドの兄ちゃんがわらわらと店内に入ってきて。1人、2人、3人、4人…合計12人。なんじゃこら、ラーメン屋に入る人数やないやろ。アルバイトはみんな、その場で固まってしまった。12人がカウンターにずら〜と並んだ。何を頼もうかとがやがや言っている。黒の革ジャン系に色とりどりの髪の毛の人が目の前にずらっと並んでいるのは壮絶な光景だった。

 さて。誰が注文を取るの?
 1人は無言で後ずさりし、もう1人は「あるこさん、お願いします」と道をあける始末。ま、こう見えてもこの中では一番のベテランだ。行くしかないな。私はカウンターの端から順に注文を聞いていった。大体、餃子定食、唐揚げ定食、ラーメン大のいずれかだったが、それはさらにラーメンの量、味、麺の堅さ、ネギの有無、ライスの量、漬け物の有無などの“お客様のこだわり”で分化される。中には、「餃子定食あっさりでコーンラーメンにして」とかいう要求をしてくる人がいたが、リーダーらしい人が、「そんなん言うたら姉ちゃんややこしなるやろ」と一言。ラーメンのトッピングだけは免除された。嬉しいような、悔しいような。

 厨房へ行って、無事注文を伝えることが出来たときは、仕事をやり遂げた充実感が体を満たしていた。たかがラーメン屋の注文聞き。でも、仕事は仕事だ。

 最初12人がわやわや来たときはどうなるかと思った。それまですぐにパニックになり多くの失敗をしてきた私(接客には向かないと思われ)だが、自分でも驚くくらい冷静だった。注文の紙を3枚か4枚に分け、注文記入の欄もこだわりなどを書き入れることを予想し、正の文字の傍線を短めにした。そして、お客さんに注文確認。それは普段していることと大きく変わらない。

 そんな私が言えること。
 最近、他人の目を引く華やかで派手なファインプレーは本当のファインプレーではないというけれど、そのファインプレーもやはり基本が出来てないと出来ないもの。だから、ファインプレーにホントもウソもない。



2003年12月05日(金)
嗚呼、高校野球。ユニフォームフィギアコレクション


 今、うちの職場は玩具菓子ブーム。バスのフィギアをコレクションしている人やアニメキャラクター系を集める人、懐メロCDにはまっている人などいろいろ。私も以前は「こげぱん」系コレクションに夢中になっていました。コンビニにはところ狭しと多種多様な商品が並んでいます。値段は、ちょっと高め。仕事柄コンビニに行きますが、スーツ着たOLやおじさんが商品を手にレジへ向かうのをしばしば見かけます。今や玩具菓子は、子供よりむしろ大人を対象にしているような気がします。

 私としては今は、店内に熱くなれるものはないが、こんなんあったらおもしろいんちゃうかと思うものがあります。それは、指導者が決めた先発メンバーに「好ましくない」といういちゃもんをつけるような組織が上にあるので実現は不可能なんでしょうが、「高校野球部ユニフォームフィギア」です。甲子園を沸かせたチームのユニフォームを着たフィギア球児くんが入っているという代物。大人を対象にするので、値段は300円から500円と高めに。でも、その分、物は精巧に作ってもらう。そのチームが繰り広げた名ゲームについて簡単な説明が書かれたものも中に入れておきます。

 コストを考えると、10種類くらいが限界かな。学校の選択に悩むが、購買層である20代中盤から30代の人が10代のとき強くて今もそこそこ名前の通る高校がいいのではないでしょうか?なるだけ地域性を考慮して(どっかで聞いたことあるセリフだな)。仮に次のように暫定しておきましょうか。東北、横浜、星稜、PL、智弁和歌山(個人的には平安。もっと個人的には東山(^^))、松山商業(池田も捨てがたし)、明徳義塾(星稜があるので複雑だけど)、広陵、沖縄水産、+シークレット1校。で、シークレットのオチは奈良智弁。「一緒やがなっ!」と突っ込んでみる(これ、東海系でもできる)。あと、プレミア企画では、PLのユニフォームを着た清原や桑田、星稜のユニフォームを着た松井フィギア。松井の場合、もちろんにきびは忘れずに。これをコアラのマーチにおける眉毛有りコアラの入っている割合で入れておく。

 これ書いてて思いついたのが、高校野球応援CDコレクション。今は懐メロで、次はアニメソングが出るのですが、その次あたりにいかがでしょうか(笑)?

 でもね。地元スーパーの「おめでとうセール」すら出来なくなっている現実。じゃあ、なんで校名入りペナントとかのグッズは売っていいんでしょうね。特例かな?



2003年12月04日(木)
男の子は腸が弱い 


 ある日、練習試合の前に選手が父兄さんの集まる場所にやって来た。私のすぐ目の前にいた女性が彼の母親らしい。彼はお母さんに向かって無言で手を差し出した。無言というのは正確ではないかもしれない。口は動いていた。でも、近くにいたのに、言葉は聞こえてこなかった。その手のひらは、“わかってるやろ、はよしてくれや”とせかさんばかりに上下に動いていた。

 ところが、そんな彼におかまいなく、お母さんはあっけらかんと、「正露丸やろ」。お母さんは、おもむろにカバンの中をさぐり、彼に小さい瓶を手渡した。あれは糖衣錠だな。彼は素っ気なくそれを受け取ると、素早くズボンの後ろポケットに忍ばせた。恥ずかしがってやんの。私はじぃ〜とその動作を見ておいてあげた(笑)。彼は小走りでグランドに戻った。まだ彼の背中が小さくないうちから、周りのお母さんたちが、「男の子は腸が弱いからねえ」とささやきあっていた。

 そして、試合が始まった。彼はいつもの守備位置についていた。後ろポケットに正露丸を入れて、試合に挑んでる男の子。いつもよりちょっと余計目に「がんばれよ〜」と思った。



2003年12月03日(水)
姉29歳、独身。


 私の携帯のサブディスプレーは藤本くん。それを姉に見せたら、「結婚したヤツなんか興味ないわ」とご機嫌ナナメ。ワシの携帯やねんから、ええやんけ。

 そんな具合なので、昨日の谷選手とヤワラちゃんの結婚発表の報道にも、「そんなん興味ない。聞きたくない」とテレビ画面から目をそらし、首を振った。私はおもしろがって、「披露宴の中継もあるで〜」と言うと、「見いひん、ぜっっっっっっったい見いひん。」。予想通りのリアクション。「そうなんや。ほな、ビデオに撮って、めざまし代わりに見せたげるわ」などと悪ノリしてしまった。

 私は必要以上に人と自分を比べてくよくよしたり怒ったりしてしまうのだが、姉も血を分けた姉妹。「なんで私より○○(自主規制)なヤワラちゃんが結婚できて、私ができひんねん。しかも、うち、1つ年上やで」などと何のこっちゃわからないことを言っている。何言ってんねん。ヤワラちゃんは柔道がんばってるけど、あんた、何もがんばってへんやん。とは口が裂けても言えなかったけど。

 そして、その夜、姉がしたたかに復讐に出た。
 隣の部屋から姉が「高校野球のやってるで」と私を呼んだ。見ると、ニュースステーションのコーナーで2人の高校球児に密着したレポートが。ドラフト会議で近鉄に指名された柳ヶ浦の選手のインタビュー。臼杵の海に、高校のグランド、次々と画面に映る。あ〜あ、現地行くまでのお楽しみにしていたのにぃ。そんな殺生な…。

 よっしゃ、こうなったら、ヤワラちゃんの結婚披露宴、録画決定や。



2003年12月02日(火)
ハッピとメガフォンでどこまで行ける?


 甲子園球場で、はりきってユニフォームやハッピを身にまとい、メガフォンを叩いている人たちも、球場をあとにすると、自転車で行ける距離である地元の人以外は、どこかでそれをしまうことになる。球場を出てすぐしまうのは味気ない。かといって家までそのまま帰るのは恥ずかしい。一体、どこまでそのままの姿でいれるのだろうと考えることがある。

 私はそれを“応援デッドライン”と名付けた。これは、“全体ライン”と“個人ライン”に分けられる。全体ラインが甲子園から遠ければ遠いほど、阪神が強いという目安になる。星野阪神になってからは、京都の地下鉄で電車を待つメガフォンを手にした学生やユニフォーム姿のカップルが大阪のホテル街に入っていくのを見かけたことがある。9/15に一緒に観戦していた人が、ユニフォームにヘルメット、ハッピ姿で、「今日はこのまま家(京都市内)まで帰るわぁ」と言ってたときは、阪神もついにここまできたかという感慨がわき起こった。90年代後半、万年最下位の頃は、甲子園駅前ですら黄色を見つけだすことは難しかったのだ。

 個人ラインが自宅に寄れば寄るほど、その人の愛すべきアホぶりが伺え、それは目指すべき一種のかっこ良さでもある。しかもその時期がチームが低迷しているときであればあるほど、だ。私個人のデッドラインは阪神梅田駅。がんばってた頃でもJR京都駅まで。観戦する際は、かさばるメガフォンの収納にいつも頭を悩ませている。

 でも、やっぱりにいるんだ。どこまでも行ける人は。
 私の最寄り駅はJR京都駅から一つ東の駅だ。もう甲子園の気配なんぞかけらもない場所。そんな場所で、数年前、甲子園帰りの少年が改札から出てくるのを見かけた。蛍光の黄色の長ハッピに、阪神のロゴの入ったかばん。はちまきもしていた。すっげー、この兄ちゃん。しげしげ眺めていると、ハッピの隅に誰かの直筆サインが書かれていうのに気づいた。サインには無頓着な私だが、横に書き添えてあった数字で誰かわかった。橋本大祐という選手で、確かピッチャーだったはず。当時は入団して間なしで、まだファームのいたはずだ。この兄ちゃん、やっぱすげえ。改めてそう思った。

 橋本選手は今はもういない。あの兄ちゃんは、今誰を応援しているのだろう。9月15日は何をしてたのだろう。地元にいるのに未だに会えないまま、いたずらに月日ばかりが過ぎていく。



2003年12月01日(月)
幼い日の記憶 / お茶VSお茶 


『幼い日の記憶』

 今日、昼寝してて目が覚めたら、おとんとおかんが昔のビデオを見ていた。こんな大人になってしまうとは知る由もなかった娘の幼き日々を懐かしんでいた。勘弁して欲しい。私はこういうの、苦手だ。防災訓練のときに赤いバケツを頭からかぶって喜んでる自分を誰が見たいと思うのか…(頭の足らん子供やったんやなあと思ふ)。というわけで、PCルームへ移動。日記を更新しようと思う。

 さて、幼い日々といえば、無駄によく覚えていることがいろいろある。小学校のとき、いとこの子が家に泊まりにきた。昼間は楽しく遊んでいたのに、晩ご飯あたりから元気がなくなった。せっかくおかんが作ったオムライス。ケチャップで名前まで書いてあげてたのに、それをぐちゃぐちゃにするだけで、口をつけようともしない。おかんとお姉は心配した。結局、その子はホームシックであったことが判明し、急遽彼女のお母さんに電話して迎えにきてもらって一件落着。でも、私はなんかムカついた。そんな彼女は優等生で、来春で大学院を出る。同棲中の彼氏(親公認!)もいて、「結婚する」と言ってるらしい。やっぱりムカつく(苦笑)。

 また、よくわからない記憶もある。これも小学校のとき、友達と通っていた幼稚園に遊びに行った。そのとき、今の私くらいの女の人が、木陰に1人佇んでいた。何故か話しをした。彼女はもうすぐ結婚するのだという。けど、浮かない顔をしていた。結婚するのに、なんで嬉しくないんだろう。まだマリッジブルーという言葉を知らなかった私は不思議に思った。次会う約束もした。でも、約束の日、私は幼稚園に行かなかった。誰かから「知らない人と会わない方がいい。そんなん気持ち悪い」と言われたからだ。あの人は、約束の場所にいたのだろうか。よくわからないけど、多分いなかったと思う。

 なぜか幼いころの野球の記憶もある。何度もここに書いてるが、私が野球を見始めたのは中学3年のときで、それまでは野球と縁がなかった。でも、それは100%真実ではない。実は、近所で野球をしている声が聞こえたら、何故かいてもたってもいられずに外に出ていった。そして、よせてもらうのだが、運動音痴の上、練習もしていなかったから、当然下手くそ。そのうち、「おまえ、どうせ三振やろ」と相手にしてもらえなくなった。それでも野球の声が聞こえると、外に出た。気づくと何故か家の玄関にはプラスティックで出来たおもちゃのバットがあった。私自身、ねだった記憶はないのだが、その姿は今でも思い出すことが出来る。確かオレンジ、巨人色だった。野球自体を楽しいとは思わなかった。多分、みんなが騒いでいる中、取り残されるのがイヤだったんだろう。


『お茶VSお茶』

 こないだ職場の新人さんと話をした。仕事場が滋賀の甲賀方面だったので、「ここって忍者の町ですよね?伊賀はどこにあるんでしょう?」と聞かれた。伊賀は確か三重のはず。

 そんな話をしてると、「滋賀代表と三重代表で“忍者の郷”対決やなあ」などと支離滅裂なことを思った。今なら近江vs三重海星かな?でも、この妄想の発信源は相方くん。昔どこかへドライブに行ったとき、「梅の町」という看板が出てたのだが、「それやったら南部と試合せねあかんやん。梅対決」と言っていたのだ。おもろい妄想にはのるしかない。その後、みかん対決(愛媛vs和歌山→松山商業vs智弁和歌山)や学生の街対決(西宮市vs京都市→報徳vs平安)などと考えていった。それ以来、同じものをウリにしている都市を2つ知ると、つい高校野球の組み合わせカードを考えるクセがついてしまった。

 そういう意味で、お茶対決は京都vs静岡だ。東山vs御殿場西、京都西vs桐陽は実在する対戦カードだが、純粋にお茶の産地をつきつめて考えると、静岡vs立命館宇治あたりが無難か。

 そういや、中学時代、友人に会うために静岡まで行ったことがある。そのとき、母が手みやげに持たせてきくれたのが、茶団子。なんでやねん。いやはや、当時、静岡がお茶で有名って知らなかったんですよ(ちゃんと社会の勉強してたんか〜)でもって、帰りしな、友達がくれたおみやげも茶団子。お互いがお互いに対して、「やる気か、こら」って感じの。以来、彼女から連絡はない…。