初日 最新 目次 MAIL HOME


あるこのつれづれ野球日記
あるこ
MAIL
HOME

2004年01月31日(土)
長老とティータイム


 今日は、昼から長老とともきちの3人で、京都駅近くにあるホテルでお茶した。長老(名付け親(これも)相方)は、元プロ野球選手で、社会人、高校野球の監督を経て、今は大学野球に携わっているいわゆる関係者だ。縁あって、食事やお茶をする機会があり、野球の話とかをちょくちょくうかがっている。ま、真剣に答えてくれないときがほとんどだけど(苦笑)。

 でも、今日、話をしていて、思った。私たちとこの人の組み合わせにおいて、野球の話はそれほど必要ないんじゃないか、と。野球は彼の中では仕事だ。だから、私たちには仕事以外のことを求められているような気がする。いつもは、「何か話さなくちゃ」と前のめりになっていて、周りが見えてなかったけど、今日はちょっと引いて、長老の様子を見ていたら、ともきちの仕事のことをよく聞いていた。興味があるらしい。「残業はないの?」「今はどんな感じ?」「お昼はどこで食べるの?」などなど。私たちからしたらありきたりのことだけど、私たちの年代の女性となかなか接する機会がない長老にとっては、興味のある話なんだろう。

 実は、長老と会う前にもともきちと喫茶店にいた。そのとき、ともきちが、「いろんなことに執着しなくなった」と言った(ただし、服飾品は別)。ああ、そういや私もそうだあと思った。このところの私は、野球界に対して、引きの態度を取っている。いろんなことで腹立ったり、怒らなくなった。だから、楽になった。でも、これはともきちも言ってたんだけど、本気ということから遠ざかっていることとイコールなんじゃないかという不安もある。本気は結構しんどいけど、少なくとも本気で好きにならなきゃ、本気で好きになってもらえない。そんな気がして。

 関係ない話だけど、長老に、「君ら、相変わらず独り身か?」と聞かれた。誰も、「いない」とは言ってないぞ。なんでそうなる?長老に限らず、私の知ってる「おじさま」は、みんな、私には彼氏がいないという前提の元、話をしている。もう訂正のしようがないのでほっといているけど、私ってそんなに男の匂いしないのかな?くんくん。犬の匂いはする。



2004年01月30日(金)
丹波町立蒲生野中学校グランドの朝 Part3 +@


 今日は、北部棚卸し大会最終日で、舞鶴方面へ。道中、すっかりおなじみに(勝手に)なった蒲生野中学校グランドをチェック。今日は、昨日よりさらに多い部員がグランドに集まっていた。寒さは一昨日より昨日、昨日より今日の方がマシ。寒さの柔らかさ(といっても寒い)に比例してグランドにいる部員の数が増えた…。

 今日もプチノック。昨日と違うのは、外野にも部員がいたこと、マウンドに立ってる子はユニフォームではなく、学校指定だと思われるエメラルドグリーンのジャージを着ていたことだ。あとは、グランドの隅で柔軟体操をしている部員が2,3人いた。その服装のバラバラさがなんかいいなあと思った。

 3日連続で、しかもオフに野球部員を見ることが出来た。今までどんなにがんばっても(?)見ることが出来なかったのに、不思議でしょうがない。


 〜センバツのこと〜

 今日、センバツ出場校の発表だったんですね。友人の応援校は当落線上にいて、残念ながら、選考から漏れてしまいました。友人自身も結果に対しては、「仕方ない」と頭ではわかっているようですが、やはり一応援者としてはショックで、『放心状態です』というメールが送られていた。正直、かける言葉がなく、困った。これは、私にも彼女にもどうすることもできないことだから。

 ふと思ったんだけど、夏の甲子園は“勝ち取る”もので、春の甲子園は“選んでいただく”ものなんですね。ざくっと言えば、対等と主従ですわ。なんか、ヤだな。高○連の自己顕示欲を満たすための選考としか思えへんわ、などと思う私をお許しください。

 こんなこと書くと誤解されやすいのですが、選ばれたチームや選手に対して、他意はありません。大舞台でおもいっきり暴れてくださいね。



2004年01月29日(木)
丹波町立蒲生野中学校グランドの朝 Part2


 今日は、“あなたの笑顔を応援する町”野田川町のスーパーで棚卸し。道中にある9号線沿いの丹波町立蒲生野中学校グランド前を通過したのが、午前8時15分頃。昨日は雪の中遠投をしている野球部員を見かけた。

 今日は、雪もすっかり解け、グランドに土の色も見える中、3人の部員が、ピッチャー、ノッカー、野手のポジションの散り、プチノックをしていた。見た限り、和やかな雰囲気だったので、自主練習なのかもしれない。朝練してるんだろうか。この中学校は野球が盛んなのかもしれない。

 そういえば、朝練を見るなんて初めての経験だ。そもそも私の野球観戦の軸・東山には朝練がないと聞いた。だから、朝練を意識することがあまりなかった。短い時間、朝の1分は1時間にも相当する時間価値、「あと5分でいいから、寝かせて〜」の心境、着替えや道具準備の手間…。考え出すと、朝練は大変そうだ。時間も長くないし、授業も待っている。放課後にする練習と同じペース配分でやると、授業中はえらいことになるはずで。

 でも、グランドにいる選手たちから、そんな怠さは伝わってこなかった。



2004年01月28日(水)
寒い場所で育った子は。


 府北部へ行くには、西京区の沓掛から京都縦貫道に乗り、丹波町に出、国道9号線をひた走るのが主ルートだ。その道中に、中学校のグランドがある。北部に出かけるときは、グランドに野球部員はいないかいつもチェックするのだが、これまで一度もお目にかかれたことがない。おまけに今日は、グランドに雪が積もっており、視界すらはっきりしない有様だったので、絶対ありえないと思っていた。ところが。

 雪のグランドもいいもんだなどと思いながら、その景色をいつもより軽く流していたら、人影に気付いた。練習用の白いユニフォームが、雪に紛れてよくわからなかったが、群青色の光沢素材のジャンバーのおかげで、目にとまった。グローブを手にしていたので、間違いなく野球部員だ。

 白い景色の中には、2人の部員がいた。一人がグローブから取り出したボールを投げた。その距離からして、キャッチボールというよりも遠投。背中しか見えなかったその部員は、肩が抜けるんじゃないかというくらい、思い切りボールを投げていた。ボールは雪の白に混じり、よくわからなかった。

 こんな寒い中で、全力の遠投かいな。ウォーミングアップとかちゃんとしたの?肩、壊すよ。

 でも、もう一度彼の後ろ姿を見たとき、ふと、「寒い場所で育った子は、寒い場所で野球をしても壊れないように作られているのかもしれない」などと楽観的に思う自分がいた。



2004年01月27日(火)
メディアの向こうにファンがいる


 夜、イチローとヤンキース・松井のトーク番組があったので、見ていた。番組は2人だけのトークで進んでいた。それが心地よかった。

 印象に残ったのは、イチローの『メディアの向こうのファンがいる』という言葉。なるほど。確かに私たちは、選手や試合の情報をマスコミを通してでしか知ることができない。たとえ、それが本当であろうがそうでなかろうが。

 でも、その言葉は私をちょっと悲しくさせた。球場では、選手と同じ空気を吸えるのに、実際の距離感は遠いということだと思ったから。

 きっと、イチローは、向こうにいるファンを意識して、言葉を選んで話しているんだと思う。

 そういや、彼は松井に、「なんでそんなにマスコミの好意的に応じられるの?」みたいなことを何度も聞いていた。でも、松井の答えは定まってなくて、むしろ当惑していたようも思えた。それはきっと松井にとってごく自然なことだからなのかもしれない。当たり前にあるものの理由付けは難しい。でも、しきりに質問するそんなイチローをかわいく思えた。



2004年01月26日(月)
人間“あるこ”を読んでください。


 最近、お笑い雑誌にハマっている。私が読んでいるのは、「お笑いtyphoon!」。高校野球雑誌でいうと、報知高校野球かな?ちなみに、甲子園の星系は「お笑いポポロ」だと思うのですが、いかがなものでしょう?

 写真も好きなんですが、やっぱりインタビュー内容がね、いいんですよ。ベタですが、芸人さんが自分のしているお笑いについて話している内容には興味があります。私はネタはもとより、その芸人さんの考えてることや生き方にもあこがれるタイプで、いいなと思うことは自分なりにアレンジして取り込もうとしています。文章を書くんだから、文章のプロから学ぶべきで、もちろんそこでも感銘を受けることはあるのですが、最近はもっぱら芸人さんですね。

 さて、雑誌の中で印象的な記事がありました。それは、私の好きなコンビの記事なんですが、「機嫌が悪いときはネタ中にもそれを出していく」というんですよ。ちょっと、いや、かなりカルチャーショックでした。取材者も言っているのですが、それを乗り越えて夢を与えるのが芸人なわけで。いや、芸人だけじゃない。ラーメン屋でアルバイトしているときも、家や学校で何かあって機嫌が悪くても、一歩店に入ったら顔に出すなって言われました。それを、それを、“出していく”とはまあ。

 それを受けて、このコンビはコメントはこう。「芸人としてではなく、人間として見てもらいたいんですよ」「だから、僕自身を好きになってもらわないと」。なんか、めっちゃかっこいい〜。顔じゃないよ、言ってることが。これだよ、これ!そう思いました。こんなん言うには何ですが、なんか自分の言いたいことを代弁してもらったような気がしました。きっと、この日記、野球を扱うものとしてではなく、私を扱うものとして見てもらいたいんだ。だから、私自身を好きになってもらわないと、こんなの読めないですよ(笑)。ま、私の場合は独りよがりですが、彼らは自分を出して金銭を得、世に出て多くの人に支持されている。すごいなあ。うらやましいなあ。今度生まれ変わったら、芸人になりたいなあ。こういう記事を読むと、あきらめたはずの物書きという仕事を「目指すべきなかあ」と思い直してしまいます。こういう生き方、したいもんなあ。

 ちょっと話がそれましたが。なんか、これを読んで、このコンビのネタがおもしろくなくても、表情や仕草を楽しんで何度も見ている理由がわかった気がしました。あ〜、すっきり。ただ、これは1年ほど前のインタビュー記事なので、今では考えは変わっているかもしれません。でも、人間真の部分なんてそうそう変わらないだろうから。

 そんなわけで、機嫌が表情に出るピッチャーが好きな私です。ポーカーフェイスも大事だけど、みんなみんなそれじゃ、なんだかねえ。

 印象に残っているピッチャーがいます。
 数年前、小松高校が甲子園に出ました。緒戦で新湊高校に逆転負けしたのですが、そのときのエースが確か竹田くんという名前だったと思います。終盤(多分最終回)まだリードしていて、余裕があったのですが、段々追い上げられ、いよいよ同点に追いつかれました。彼の表情がみるみる変わり、テレビで見ていても額から脂汗のような物が流れているのがわかりました。横で見ていた父は、「このピッチャー、完全に冷静さを失ってるで」と言いました。そのとき、私は何故かこうおもったんです。そりゃ、そうやろ。冷静さも失うで、この状況では。

 結局、彼がマウンドを降り、ライトへ。守備位置についた彼からは脂汗は消え、「何があったの?」みたいな顔をしていました。でも、ちょっと棘のある表情でした。悔しいのか、意地を張っているのか、はたまた別の思いがあったのか、真意は本人にしかわかりません。後日雑誌で、ライトの守備位置にいたときに座り込んでいたことで批判の声があがっていたと読んだ。私はそれをリアルタイムでは見ていないが、彼ならあり得なくはないなと思った。

 この子こそ、高校生らしいんじゃないかって思いました。高校生はまだ子供です。動揺もすれば、戸惑うこともあるし、かっとなることだってあります。ピッチャーとしてではなく、一人の高校生としての彼を私たちに見せてくれたような気がしました。ま、彼の場合、見せたのではなく、見せてしまったのでしょうけど。



2004年01月25日(日)
似てる


 今日、生まれて初めて、野球選手に似ていると言われた。

 昨日の夜行で帰ってきて、3時間ほどの仮眠後、相方くんと梅田で遊んでいた。最初は映画にでも行こうかと思っていが、何せ初めての試み。休日の映画館事情なんぞ知らずに飛び込み、そのババゴミ具合に入り口でビビってしまった。結局、映画を見ることはなく、梅田でウダウダ。

 睡眠時間3時間。眠かった。だから、酒飲んでるときなんかも、舟こいでて…。そんな私の寝顔を見た相方くんが、「自分の寝顔、松坂大輔みたいやな」とポツリ。「君がいつダイスケの寝顔を見てん!」というつっこみは、このさいおいといて、「野球選手に似ている」という言葉が、私自身にふってくるとは思わなかったので、びっくりした。

 でも、松坂大輔ってことは、顔がパンパンになっているってことで、それは顔がデカいってことで…。髪型変えてすっきりしたけど、顔がデカく見えるのは難儀やなあ。

 って、これ、下書きの素日記で書いてたんだよね。わかっていて、同じことを2回書くのはなんか恥辱プレイみたいだね(苦笑)。



2004年01月23日(金)
私の夢。


 夢の話でもしましょうか?

 私の夢は、カラーです。最近は、夢の中で、ほっぺたをつねり、「あれ?痛くない。これ、夢なんや」と認識するとこも出来るようになりました。あと、大人になってからは出てこないのですが、夢の中帝国というのがあって、当時自分が通っていた学校の地下などにある奇妙なスペースなのです。最初は追われていたり、迷ったりしているのですが、回数を重ねると、抜け道などがわかってくるようになりました。どきどき、それがリアルの存在するんじゃないかという妄想にとらわれるときもありました。今、よく見る夢は、誰かに追われている夢、約束の時間にどうあがいても待ち合わせ場所にたどり着けない夢、あと別のバイトや塾に通っていて、ずっと忘れていて、「あちゃー!」と思う夢、間違えて男子トイレに入ってしまって、「どうしよう、どうしよう」とトイレの中で震えている夢などです。

 ところで、今日見た夢は、久々にリアルでした。野球絡みです(だから日記に書くのですが)。近所に高校のグランドがありました。現実的には、家から徒歩5分程度の小学校のグランドがある場所ですが、見事に黒土が敷き詰められた立派なグランドです。私は何故か車を運転していて、勇気出して、路駐し、グランドに行きました。グランドにはスタンドがあり、たくさんの父兄さんが試合を見ておられました。とりあえず写真を撮ろうとあちこちうろうろしてました。ところが、網フェンスがすごくて、グランドがちっとも写りません。でも、目で見ると網は視界には入ってきません。不思議です。

 はて、どこの高校のグランドだろう?こんな近所にあったら、気付くなずなのに、いつのまに出来たんだろうと思いました。それなら、試合に出ているチームのユニフォームを見たらわかるかもと思い、再びグランドに注目。ところが、違うユニフォームがウジャウジャ。ダメだこりゃ。そんなユニフォーム集団の中に、東山を発見!え、こんな時期に練習試合があるなんて聞いてへんで。今は対外試合禁止期間中である現実は、夢の中なのでふっとんでいました。すると、お世話になっている父兄さんが私に気付いてくれました。その父兄さんは、「こんにちわ〜。ごめんね、住所書いた紙、なくしてしまって、連絡できなくて…」と申し訳なさそうな顔をしていました。そうか、私なんてそんなもんなんや、普段のやりとりは電話でしかしていないにもかかわらず、ブルーになりました。

 妙な夢ですな。ま、夢なんて大概妙なもんですが。



2004年01月22日(木)
野球と吉野家と私

 私の牛丼デビューは、吉野家だった。伏見稲荷駅のそばにある店で、高校1年のとき、当時の友人・ともきちとゆりの3人で、学校帰りに偶然見つけた。誰からともなく、「おなかすいた〜」と言い、行動派のともきち&ゆりに引きずり込まれて店に入った。当時の私にはまだ女の子の部分が残っていて、牛丼屋に入るなんて恥ずかしいと思っていた。もちろん、しるだくなんていう言葉も知らず、「しるが全然入ってへん。ぼったくりや(当時450円くらいした)」と思っていた。忘れらないのは、食べるのが遅いともきちの丼ばちを見たゆりが、「食べれへんのやったら、もらうで」と言って、牛肉だけ、かさらっていったことだ。ともきち、唖然。あのときの表情、忘れられへんわ〜。その吉野家から牛丼が消える…。

 そんなわけで今話題の吉野家だが、読者のブブスケさんが、自分の母校の野球部員は近く(と書きましたが、実際は隣の駅前だそうで、決して近いわけではないそうです。私の聞き間違いですね。すみません)の吉野家の牛丼をよく食べていたという話を聞いた。今でもそうなのかはわからないそうだが、買い物へ行く下級生の事情も変わってくるだろう。そういや、以前、公式戦を終えたチームが球場で次の試合を見ながら、集団で吉野家ランチをしている現場に遭遇したことがある。いいのか、牛丼で!スポーツ選手の大事な食事だそ!(あと、地元の名門某H高校(決して東山ではない)の部員が食べてたメロンパンもかなりカルチャーショック)

 また、練習試合を見に、北陽高校のグランドへ行ったときのお昼が吉野家だった。別名・陸の孤島(だって地元の人が言ってたんだも〜ん)のため、他に食べ物屋がなかったのだ。小さな店内が両校の父兄さんでごった返す壮絶な光景だった。余談だが、トイレもここですませた。グランドのトイレは行きづらい…(あるこ杯『第1回輝けグランドクリーントイレ大賞』→神奈川県・平塚学園)。



2004年01月21日(水)
♪人は過ちを繰り返す〜


 今しているのは、書類の不備がないかチェックするする仕事です。人のミスを見つけるイヤな仕事です。でも、性格が少々悪い私は、ある種の快感になっていたりするのですが(苦笑)。

 ミスには奇跡がある。
 これを21世紀の哲学にしたいです(うちの普段の職場では、ぶっとんだミスをする新人を陰で“ミラクル”と呼んでいるらしい)。極度の緊張のためか、自分の名前や性別を間違っている人や、今日なんか封筒から万札出てきて度肝ぬかれましたよ。ほんま、普通の頭では考えられないようなミスを普通の人がやってのけているのです。これを奇跡と呼ばす何と呼ぶ?「ミスはしないように」と言うけれど、人生80年、ミスがあって然るべきモノだと考えて生きていったようが良さそうですね。

 うちの会社でも、ちょっとミスするとキャンキャン怒る人がいます。何度も日記のご登場ねがっているBさんなんですが、「なんで間違うの」が口癖です。理由は「だって間違ったんだもん、仕方ないじゃん」ですよ。あとね、「わからないことがあったら聞いて」とか言いますやん。あれも微妙。だって、ミスする人の中には、わからないことがわからない人もいます(私のその類)から。私には到底縁がないけど、もし人の上に立って仕事をする機会があれば、ここら辺をふまえようと思っています。

 かく言う私は、ミスミスです。(おわかりですよね?最初のミスは未婚女性の英語、後のミスは…)読者の方なら、私の誤字脱字のひどさにお気づきだと思います。一度、大校正大会でも開催しようかと思っているのですが、いざ直そうと原文を読み返すと、何故か訂正箇所が目に入ってきません。現実から目をそらしているのでしょうか?佛教の授業で、自分の見ている世界は真実の世界ではないと聞いたことがあります。見えるものが見えないのも、そういう理由からでしょうか?

 あと、ミスミスの特徴は同じ失敗を繰り返すことです。昨年末、自分の部屋を掃除する際、何から手をつけていいかわからないほどあれずさんだ自分の部屋の愕然。タイトルの♪人は過ちを繰り返す〜の唄を何度も何度もリピートし、03年の現実逃避おさめをしました。そうですね、野球部の練習見ていても、多くの学校で、指導者が声を荒げているのは、「エラーが出たあと、どうしたらいいか、考えろ」と言ったことです。



2004年01月20日(火)
仕事2時間、おしゃべり5時間


 今日も一日ヒマでした、仕事が。9時から10時半まで待機。10時半から11時半まで仕事。11時半から12時45分(普段は12時半。余りにすることがなかったので)まで昼休み。12時45分から1時15分まで仕事。1時15分から3時まで待機。3時から3時15分まで休憩。3時15分から4時15分まで待機。4時15分から4時45分まで仕事。4時45分から5時まで後かたづけ。…ええんか、こんなんで給料もらって。

 存分にあった待機時間のおかげで、グループ(3人一組の作業です)の人とも仲良くなれた。話題はこんな感じ。着物→母校→お笑い→結婚→好きな男性タイプそして、阪神優勝。85年の優勝当時大阪の中学生だった女性が、こんな話をしてくれた。担任の先生が大の阪神ファンで、優勝した次の日、「阪神ファンは廊下に出ろっ!」と言って、名乗り出た10数人の生徒とともに万歳三唱をしたらしい。彼女は野球にそれほど興味はないけど、そのときのことを今もよく覚えているという。大阪は怖い町や。

 そういや、昼休み、滅多にかかってこない父から電話があった。何かと思ったら、「佐々木、マリナーズ辞めるんやって。日本に帰ってくるんや」だと。そんな急ぐことかぁ?で、私にどうせえと。




2004年01月19日(月)
中高一貫校の部活における奇妙な人間関係

 
 中学野球の情報が一昔に比べると、俄然よく入ってくるようになった。その中で強豪と呼ばれる学校には私立中学も多い。それも上が強い星稜や明徳義塾や桐蔭学園や。そのまま上の高校に進学して、甲子園やプロを目指す選手も少なくないだろう。ただ、高校野球のカラー上、中学生と高校生が一緒に練習することはない。せっかくの一貫校なんだから、その特性を生かして、中学生が意欲的にかつ、より効率よく野球がうまくなる方法を高校生を見て、見つけることができるかもしれないのに。

 ただ、中高一貫校で、中学と高校が一緒に部活をやると、人間関係がちょっと妙なことになる。実は私の母校(高校)、幼稚園から短大まであるいわゆるエスカレーター式(いちお、試験はあるけど)の学校。私は高校から入学し、ダンス部に入った。部活は中学1年から高校2年(うちは高校2年で引退)まで合同でやる。

 そこで、だ。中学3年生と外部から入学してきた高校1年生の私、部活の中ではどっちが立場が上?もちろん、年齢では私なんだけど、部の在籍歴は、こっちが1年、あっちは3年。ダンスド素人の私に対して、ダンス歴3年の後輩。やりづらかったよ(汗)。あと、同級生で下から来た人は、私たち(高校から部に入った3人)の扱いに困ってたみたい。同級生だからと言って慣れならしく出来る空気もなかったし、かといって敬語を使うのもなんか変。立場的には中学3.5年、もしくは高校0.5年生って感じかな?だから、一番仲良くしてたのは、同じ新入部員の中学1年生の子たちだった。

 あ、そうそう。プロの世界も似てるんだよね。高卒で入団した選手、大卒で入団した選手、社会人で入団した選手、あと中退や浪人やメジャー挑戦や…いろんな経歴を持って入団してくる選手の年齢はマチマチだ。20歳のプロ入り2年目と29歳のルーキー、どっちが先輩?芸人の世界では、年齢ではなく芸歴がモノを言うと聞いたことがある。野球界は年齢だったかな?はっきりしたことはわからない。



2004年01月18日(日)
あるこのスペシャルジュース


 テレビに石井和久が出ていて、豚のショウガ焼き弁当を食べていた。これは、高校時代に食べていた弁当で思い出の味だという。ご飯が見えないくらいのっているジューシーな豚肉。私も好きなんだよねえ。あーあ、おなか空いた。

 彼は、それを昼ではなく、朝に食べてしまったと言った。いわゆる早弁、である。でも、全部食べるわけではない。朝に食べるのは7割。残りの3割は、食堂のご飯が気に入らないものだったときのための保険。笑ってしまった。でも、高校時代の私も似たようなものだった。

 高校時代は、常におなかが空いていた。いちお、クラブしてたんです。スポーツの。朝ご飯をきちんと食べていたにもかかわらず、3時間目までに空腹のマックス。2,3時目の間の休み時間にはお弁当の大半をさらえてしまい、昼は購買部へ走る。我が母校、私学だというのに食堂がなかったのだ。ワハハハハハ。購買部にはパンやジュースや簡単なデザート類が売っている。でも、それではおなかにたまらない。授業が終わり、部活へ行く前にまた購買部へ寄る。あまりに頻繁に来るからなのか、購買部のおばちゃんが部活の後輩のお母さんだからなのか、顔を覚えられてしまった。

 そこで、私は図に乗って、いろんな注文をつけた。パンやプリンヨーグルトを取り置きしてもらったり、希望のパンを入荷してもらったり。そして、グレープフルーツジュースを温めるという好奇心にもつきあってもらった。人と違うことをしたいお年頃だったんですね。そんな私だから、クラスから浮いてたんだけど。でも、温かいグレープフルーツジュースが特別である証拠にようで妙に嬉しかった(「誰かの特別になるって、素敵なことだよ」byともきちのツレ・ケイちゃんの名言)。そして、単純においしかった。“あのすばらしい味よ、もう一度”と願うけど、その機会は自分で缶ウォーマーを買わない訪れそうにない。



2004年01月17日(土)
ここは野球日記だけど、やっぱり今日書くことはこれ。


 阪神大震災から9年です。もう9年、まだ9年。人によってそれぞれ年月の流れ方があります。きっと私たちの知らないところではまだ震災の傷跡に苦しむ人がいるはず。でも、我が家ではとうとう震災の日にちが曖昧になるという事態が発生。まだ9年も経っていないのに。あのとき、テレビを見て呆けたショック、「今日のことは一生忘れない」と思っていたのに。何年経っても、ババアになっても、あわただしい日々が続いても、1年のうち、せめて今日だけはあのときのことを思う自分でいたい。

 そういや、震災後まもなく、友人と名古屋へ行った。最終日、地元のマンガ喫茶(なんで行ったんだろう?)のマスターと話をした。私たちが京都から来ていると聞くと、「京都で起ったら良かったんだよ、地震は。観光にわけのわからないお金取ったりするところ、全部つぶしちゃえばいいんだよ」(※京都は震度5でした。念のため)。びっくりした。京都の悪口をモロに言う人は初めてだったというのもあるけど、それ以上に遠くに離れている人の震災の受け止めた方の軽さに。私と友人は精一杯のひきつり笑いをして、店を出た。それ以来、マンガ喫茶には足を運んでいない。



2004年01月16日(金)
何を数えますか?


 今は休んでる棚卸の方は忙しいようで、先輩は「毎日数えて寝るだけの生活なんてイヤ」と嘆いていました。でも、私の今の仕事も数を数える(合わせる)のが最重要な仕事で、明日もまた数を数えてきます。来週の水曜日くらいに数えすぎによるカウントボケを起こし、30以上の数を数えるのか困難になるでしょう。そういう意味では、私も「数えて寝る」だけの生活から解放されてはいません。

 同じ“数える”でも今の仕事の方が断然楽です。紙だし、50以上の数字はないし、埃はかぶらないし。もっとも、終盤からプリントを何百枚単位で揃える仕事が待ってるので、それがちょっと億劫だけど(理由は過去日記(02,1,23)を参照)。普段数えるものは、アイスだったり、明らかに埃色の缶詰だったりします。自転車を数えることあれば、チロルチョコを数えるときもあります。ポケ菓子はしんどいですね。間違えてもたいした値段にならないのに、間違えてはいけない(当たり前だけど)上、間違えやすい。商品が小さいから棚の下に落ちてしまう。作業の途中で落ちると、落ちた商品は数えたか数えていないかわからなくなり、100個単位である小さいサラミや10円ガムなんかだと泣きたくなります。

 そういえば、職業である“数える”ことと野球を絡めた日記をほとんど書いていないことに気付きました。野球で数えるものって何でしょう?ボールカウント、アウトカウント、あとは…もうネタが尽きた。はやっ。

 あ、そうそう。練習試合で相手校が帰るとき、チームが持ってきていたボールが全部きちんとあるか数えていました。なんか新鮮な光景でよく覚えていますね。きちんと整備されたグランドやきれいに揃えられたバット、トンボなどを見て、「物がきちんとおいてあるのも、高校野球の心やなあ(誰やねん、ワシ)」などと思うことはあるですが、また違う角度から改めてそれを痛感させられました。



2004年01月15日(木)
今朝、左手に金属バットを持った中学生とすれ違った。


 9時5時という麗しの一般社会人生活も3日目。家を出るのは8時ちょっと過ぎなんですが、登校する地元中学生とすれ違う時間帯なんですね。今日のびっくり中学生大賞は、左手に銀色の金属バットを持った男子中学生!ま、少年野球帰りの子供がバットケースを肩に掛けているのはよく見かけるのですが、彼が持っていたのは、裸のまんのそれ。目をむいてしまいました。今、私にとって世界で一番怒らせてはいけないのは彼だ。そう肝に命じ、何事もなくすれ違い終えました。

 それからふと思いました。そういや、部活帰りの高校球児が、バットを持ってるのを見た記憶がない。でも、「夜は家で素振りしている」だの、「試合前はバットを抱いて寝ている」といったエピソードを聞いたことがある。ということは、グランドに1本、家に1本バットがあるということだろうか?あと、ダグアウト側に突き刺さっているバットたち、アレは学校のものなんだろうか?それとも個人のものなんだろうか?その混合なんだろうか?個人のバットは試合でも使えるのか、そうではないのか?などなど、バット絡みの謎がとめどなく溢れてきました。

 余談ですが、以前、三重県の四日市工業のグランドを見に行ったとき、ネット裏に使い古されたバット達のお墓がありました。普段見ることのない光景だったので、息をのんでしまいました。彼らはこれまでどういう人生(物生?)を歩み、そしてこれからどこへ行くのだろう。そんなことを考えていた記憶があります。

 野球を知るということは、単にルールや作戦、試合の楽しみ方だけにとどまらず、こういう物のサイクルを知っておくことでもあるんじゃないか。そんなことを思う今日この頃です。



2004年01月14日(水)
今日の日記はこれでいいや(汗)


 こんばんは。あるこです。

 今私は、一昨年去年に続いて、大学の事務の仕事をしています。今日がその2日目です。昼休みが終わったとき、隣の人に「お昼何食べたんですか?」と聞かれたので、「そこ(近くにある)で、牛丼」って言ったらヒカれました。ホンマは天一のこってりです。どうせつくなら、「モスバーガーで、ライスバーガーきんぴら」級のデカい嘘でないといかんかったわけさ。でも、一人ですっと出ていくからって、食事の心配される筋合いはないわあ。っていうか、なんでみんな昨日顔を合わせたばかりの人と、自然に食事を一緒にできるの。そっちの方が不思議。他の人が終わるのを待って、「食事行きませんか?」って、「キスしよう」って言うのと同じくらい恥ずかしいわ。

 そんな仕事が終わった後、美容院へ行きました。前々から気になってた後ろ髪をすっきりさせたら、ヘルメット頭みたいになりました。トホホ。でも、私は機能美第一主義なのでいいんです(「髪の3つのこだわり」〃鮃美機能美8沈美)。

 そんな一日だったので、今日の日記のネタはまだ思い浮かびません。とりあえず、今日あったことを書いてみました。

 そういえば、オフなのにアクセスが多いなあと思ったら、こないだ「野球小僧」が発売したんですね。新規読者様獲得のチャンス。明日からは、本格的な野球日記を書こう(嘘です。すみません…)。



2004年01月13日(火)
ムカつく居酒屋


 梅田の東通り商店街内にある居酒屋で胸くそ悪い思いをした。「いらっしゃい!いらっしゃいっ!」って威勢よく呼び込みをしているから、入ってみたら、「今満員なので、そこの椅子に掛けてお待ちください」だと。ナメとんか。だったらなんで呼び込みやってんねん。なんか、好きでもない女を「他の男に取られるくらいなら、自分がセックスしておこう」っていう節操のない男みたいでイヤやわ。客の飼い殺しか。飼い殺しゆうたら、某球団や。どことは言わんけど。でも、そんなことしてるのは決してプロだけではないようだ。高校野球でも水面化ではそんな感じだとかそうではないとか。お金のこともだけど、裏でそういうことが蔓延するのは、どんなにあがいても終わらないような気がしてきた。

 そんな素敵な思考を展開させてくれた居酒屋、それはまた癪なことにおいしいんだわ。雰囲気、いいんだわ。学生が騒がしいチェーン店でもなく、お金持ちしか行けないような敷居の高さもない。私たちがちょっと背伸びして大人になれる魚がおいしい和風の居酒屋。悔しい。魅力があれば、どんな悪条件でも我慢できてしまう。でも、魅力がなくなったらおしまいだからね。



2004年01月12日(月)
いちゃもんをつける人(+ABCお笑い新人グランプリのこと、ちょっと言わせて)


 相方くんから電話がかかってこなかったので、ABCお笑い新人グランプリを見ていた。すると、母が「何、この花。ごちゃごちゃしてて、汚いわあ」と口を挟んできた。我が家で母だけはそうでないと信じていたのに、最近、母はテレビを見て、いちゃもんをつけるようになった。「なんやあの花の生け方、センスないわあ」。そんなおかげで、ちっとも目がいかなかった、スタジオの花の存在に気付くことが出来たのだけど。

 母がフラワーアレンジメントを習い始めて、2年になる。お稽古の日は、台所で花を生け直す母の姿がある。花はただ生ければいいわけではなく、色合いや全体の形も整っていないといけないようだ。家の飾ってある母がお稽古で生けてきた花を何げなく「それ、きれいやん」って言っても、母は「こんなん、全然あかんわ」と言う。

 ちょっと何かをかじると、対象物の欠点を口にしたくなるのだろうか。というか、誰かに自分の知識あるいは見解を分け与えたいのかもしれない。そういや、球場やグランドに大量発生しているじいさま連中は、たいてい文句を言ってるなあ(その次に多いのが、自分の自慢話)。耳に入るとストレスたまる。でも私も、口にはしないけど、結構文句っぽいかも?人の振り見て我が振り直せだ。

 そんな母に、意地悪な質問をした。「おかあさんの口からは、「あかん」しか聞いたことないけど、テレビのセットの花ってプロがやってるんちゃうん?」すると、「“ごきげんよう”のはきれいにしてあるわ。“(探偵)ナイトスクープ”とかはあかんな」とのこと。


 〜ABCお笑い新人グランプリのこと〜

 こんなに熱心に新人グランプリを見たのはいつ以来だろう。今年は思いのほか面白いネタが多かったように思う。 

 今日エントリーされていた中に、ヘッドライトというコンビがいる。Mー1のDVDには敗者復活戦に出たコンビのネタもおさめられているのだが、そこで初めて彼らに出会った。気に入った。若手漫才らしからぬテンションの低さに、簡潔なショートコント。だから、今日テレビで見れるのを楽しみにしていたのだが、何かの因縁かコンビ2人とも龍大のOB!お気にのコンビが母校出身だなんて、嬉しいじゃないですか。テレビに向かって思わず、「せんぱぁ〜い」(元ネタ→ヘッドライト)と言ってしまいましたよ。おもしろいから、是非降誕会(OBにしかわかんねねえ)あたりに凱旋漫才でもして欲しい。先輩、がんばってバンバンテレビに出てくださいね(って、面識もないもないけど)。

 あともう一組。審査員特別賞をもらった安田大サーカスの声の高い人(クロちゃん?)を朝方の地下鉄御堂筋線梅田駅で見たことがある。私と姉は、M−1グランプリを観覧後、夜行バスで大阪まで戻ったのだが、そのバスツアー1号車(私たちは4号車)には敗者復活戦に出た芸人が乗っていたらしい。バスが着いた難波から梅田に向かうために、地下鉄に乗っていたのだが、彼らも乗っていたらしい。「おつかれさまでしたー!」とカラオケの女声のような脳天に響く高音を聞き、振り返ると、彼が他の芸人仲間に深々と頭をさげてるじゃないですか。「あれ、安田大サーカスちゃうか?」と言ったのは姉で、私は“いややなあ、朝っぱらからおかしな人に遭遇するのは”と思っていました。ごめんなさい。見ているだけ私たちでも夜行バスはしんどいのに、仕事とはいえ、ハードだな若手芸人は。
 



2004年01月11日(日)
出不精=デブ症?!


 外に出ようと思ってたけど、結局服も着替えず一日家でねまきの休日。私にはそういう日がわりと頻繁にあります。イメージ的には休みの度に出歩いているような感じに思われがちなんですが、そうでもないんですよ。っていうか、そうであるときとそうでないときの差が激しいだけかもしれませんが。

 今日も、よしもとのライブへ行こうと思い立ったのですが、夜からなので、昼までダラダラしてたら、「夜10時に難波出て、一人で家に帰るために、わざわざ化粧するのはめんどくさいなあ。地下鉄御堂筋線は短いようで長いし、JRまでの移動はやたら遠いし〜」などと思い、結局は行けずじまいです。

 オフになってからも、1人で近距離の高校のグランドへ行こうと頭では思っていて、前日の夜までそのつもりで、電車の乗り換えも調べるのですが、当日午前11時までに動かなかったら、一日はもうアウトですね。ソレが証拠にこの頃のグランド訪問は相方くん同伴です。

 なんでこんなヤツになってしまったんだろう。私はいつから出不精になってしまったのだろう。そういや、初めて“出不精”という言葉を聞いたとき、“デブ症”だと思いこみ、「なんや、デブは病気なんかい!胸くそ悪い」と思いました。でも、私の場合、出不精はデブ症から来ているようです。

 外に出るための最大の難関は、服を着替えること。服を着替える=現実を思い知る=おデブな自分と対面するという公式が成り立ち、気が重くなるのです。このズボン、前はもうちょっと余裕があったような気がするんやけど…などと思うのが怖くて、自然と洋服ダンスから足が遠ざかる自分がいます。そんなに気にしているなら、間食や酒を止めればいいのに…。



2004年01月10日(土)
ぶっかけうどん


 明後日、たぶん相方くんと遊びに行きます。どこに行こうかと考えていました。そうや、こないだは赤星の母校に行ったから今度は星野(元)監督の母校に行けばいいんや。そう思いつきました。星野監督の母校は、岡山は倉敷商業。今ではすっかり名前を聞かなくなりましたが、甲子園の常連校の一つです。

 話はがらっと代わって、私は人に勧められる飲食店をほとんど持っていません。たいていは友人任せになります。自分がおいしいと思って勧めた場所でも相手に合うかなんてわからないし、そのときの相手の反応を見るんも辛いから。だから、人とごはんを食べに行くのは得意ではありません。相方くんともずいぶん長い間、食べる場所に迷って、険悪な雰囲気になるという事態を繰り返してきました。ま、そんな悩みも天一のおかげで今やほぼ解決しているのですが。

 大学時代、そんな私が企画した倉敷旅行へ友人5人と行きました。在来線の旅だったので、朝はよから電車に揺られた一行は倉敷についたころにはすっかり腹ぺこ。何食べようか。どこ行こうか。口々に言うものの、なかなか場所が決まりません。そんなとき、『ぶっかけうどん』という看板を発見しました。辺りは建物が密集しているような場所だったので、他のメンバーは気付きませんでした。

 じゃあ、なんで私が気づいたのか。それが、出だしで話した倉敷商業と関係があります。92年夏、倉敷商業高校は岡山県代表として甲子園に出ています。所詮で愛知の東邦に負けたのですが、そのときのエース・瀬口投手が私の中でブレイク。大会後の雑誌でプロフィールを暗記するほど読みまくっていました。そんな瀬口投手が好きな食べ物としてあげていたのが、ぶっかっけうどん。瀬口くんの好物って、どんなんだろう。

 「あそこに入ろう」。私は一人店に向かって歩き出しました。すると、みんなついてきてくれました。店内はうどん屋さんというより、マクドのようなファーストフード店のイメージでした。ああ、これなら学校帰りに来れるなと思いました。私自身は好き嫌いが多いため、具の種類の豊富さが返って煩わしかったのですがが、変わったもの好きにツレ面々の反応は上々。険悪になりかけた空気も穏やかになり、いい旅のスタートが切れました。瀬口投手に感謝感謝です。



2004年01月09日(金)
個性は身体に宿る


 漫才の季節を(勝手に)迎え、同じコンビの同じネタを何度も見る機会に恵まれています。19,20の頃に一度、私は自身の第一次漫才ブームを迎えたのですが、その当時と今では大きな違いがあります。それは、同じネタでも同じだと思わなくなったことです。

 確かに、「またこのネタ?」と思うこともあります。でも、微妙な言葉の遣い回しや入れるタイミング(頭から入るのか、オチとした使うのかとか)、あと芸人さん自身の醸し出す雰囲気も違い、それはそれでいい意味でも悪い意味でも味わいがあります。その「同じネタ」に違いを見つけるのも楽しみ方のひとつかもなんて思っています。

 こういう楽しみ方が出来るようになったのも、Mー1で出会った今ハマってるコンビのおかげ(表情が豊かで、演技力に定評がある)で、そのコンビの魅力に気づいたのは、きっと野球で同じチーム、同じ大会をずっと見ていたからかもしれないと思う次第ですが。

 その好きなコンビ、嬉しいことに年末年始はテレビにでまくって、ネタを披露していました。年末に番組では、M−1での不振をふっきったのか、すごくはじけていて、ノッテるなと感じました。このときのネタが、一番笑えます。でも、年始に見た番組では表情が冴えなく、なんかせかされてやっているかのように思えました。細かな演技力が魅力のコンビだけに、あれだけ見た人には彼らの魅力が伝わらないんじゃないかなと一人自意識過剰な心配をしてしまいました。忙しくて疲れていたのか、それとも自分たちのしたいネタが出来なかったのか。ネタを作っている方の表情が特に良くなかったので、ひょっとしたら、テレビのスタッフ側から言われたネタを言われた構成でやらされ、自分たちが納得できていないのかもしれないなと思いました。(関係ないけど、文章の世界でもそんなことがあるみたい)売れていくのは嬉しいけど、こういうしがらみでつぶされないかとこれまた心配。

 私は、このコンビを今までにない漫才をしていると思って惚れました。でも、いろんなコンビを見ていると、似たようなネタ、似ような構成の漫才が少なくないことに気付きました。それなら、もっとうまいコンビがやればもっとおもしろくなるのかと言えば、決してそうではないと思う。ネタがかぶっていても、芸風が似ていても、誰でもないその人を選ぶということは、その人の顔や体つきや雰囲気を選んでいるわけで。野球でもそう。すべての人が一番強いチームや一番力のある選手が好きなわけではない。それと同じ。

 個性は身体に宿る。
 ベストセラー『バカの壁』という本にそう書いてありました。読んだときはイマイチピンとこなかったけど、「ああ、こういうことなんだ」と今にして思います。



2004年01月08日(木)
過呼吸症候群


 テレビで競泳の萩原智子選手の特集をやっていた。彼女は過呼吸の症状に苦しんで、1年ほど競技から離れていたとのこと。私もたまに息苦しくなるときがあるが、過呼吸はもっと症状がきつく、体がけいれんするのだという。この症状を持っている人は出かけるときにビニール袋を携帯して、発作が出たときに対応するのだと聞いた。

 そういや、ある高校のグランドへ行ったとき、練習中に過呼吸の発作に襲われた選手がいた。私が初めて生で見た過呼吸の症状だった。心臓の鼓動は大きくなっていくばかり。ところが、仕事が終わり、側で雑談していた女子マネージャーは、すばやく動いた。監督が「ビニール袋持ってこい」と言った。どうやら、その子の発作は初めてではないようで、対応は冷静ですばやかった。彼は、ダグアウトの中でしばらく休んでいた。

 練習は、厳しい。過呼吸はプレッシャーやストレスから発生するものだと聞いたが、それでも彼は野球にくらいついているんだと思うと、なんかたまらなくなった。そして、それを知っていても、特別扱いをするでもなく、手をゆるめることもない練習を課する指導者もすごいなと思った。



2004年01月07日(水)
最初の一歩の大事さ


 新年早々日記をためこんでしまったあるこです。こんばんは。すみません。もう5日ほど日記がたまってしまっています。書くことは頭にあって、PCに向かうのですが、何故か書けずに電源を落とす毎日が続いています。PCしようと思ったら、親が使っていたり、ちょっと寄り道したサイトにハマってしまったり、眠くなったり、頭が痛くなったり(今日はコレ)というのもあるのですが、ベストなコンディションでもダメなときもあります。

 3年近くこういうことをしてきて思うのは、『書き出しの一文ってホンマに大事やな』ということです。これが浮かばない限り、頭の中でどんなにいいネタを持っていても、陽の目を見ることがありません。あと、最初の一文は誰よりも自分自身がしっくりこないと、最後には自分の気持ちからどんどんかけ離れた文章になってしまいます。最近は、途中でいきづまり、「こりゃ、いかん」と気づくようになったのですが。

 今私の頭の中には未更新日記の最初の一文がまだ見つかっていない状態です。ホントに書けるんだろうか。何度かあるこういう時期はいつも不安です。最初の一文なんて一生見つからないんじゃないかと思ってしまいます。1/2〜6の最初に一文はどんなものになるのでしょうか?それは明日以降の私のみ知ること。

 野球でも、最初の一歩が大事だといいます。ボールをさばけるか、進塁出来るかは、その一歩にかかっていると言っても過言ではないでしょう。数字にしたら0コンマの世界。でも、それが試合の明暗をも分けてしまうことがある。
 



2004年01月06日(火)
どうでもいい奇跡


 やる気を探して三千里。こんにちは、あるこです。

 この頃つくづく思うことがあります。私が野球好きになったのは、かなり奇跡的ではないかと。特に高校野球。高校野球やその周りのものには、私の嫌いな要素があまりにも多いから。

 まず、努力根性義理人情が嫌い。それに体育会系の雰囲気や連帯責任も嫌い。わけわからんこという組織も嫌い。うんちく、嫌い。学校、嫌い。先生、嫌い。若い女の子、苦手。「誰よりも野球が好きだから」という言葉が嫌い。なんでおまえにわかんねん。小学校のときにいじめられていた子はたいてい少年野球をやっていた。だから、野球部系の子が嫌い。

 でも、地名が好き、旅が好き、プロフィール好き、エピソード好き。私が高校野球に出会ったのは、15のとき。10代の頃は今に比べた感受性が特に豊かだった。何事にも敏感に反応する。それに世の中のからくりをよく知らないため、与えられたものを正直に信じきっていた。やっぱりマスコミに騙されたんだな。



2004年01月05日(月)
野球とビデオと私。

 年末のM−1以来、どっぷりお笑いにハマッているあるこです。こんばんは。すきあらば、ビデオで何度も特定コンビのネタを見る毎日です。

 野球と漫才。私が好きなもののうちの2つだが、楽しみ方に大きな違いがある。それは、ビデオ。漫才はビデオで何度も何度も見る。見ればみるほど、ハマッていく。ところが、野球のビデオって見ない。いや、それ以前に録らなくなった。ビデオで見直せば、球場ではわからない選手の表情や、詳しい解説、思わぬエピソードなどが聴けて楽しいのに。「展開のわかってる試合をもう一度見てもなあ」と思ってしまいます。でも、野球は筋書きのないドラマ。展開がわかっているといえば、むしろ漫才の方が当てはまるわけで。

 いつからこんな風になったかを考えてみると、やっぱり絡むは東山。応援当初、夏の京都大会の中継は4回戦からあったのだが、必ず録画していた。ところが、2,3年経って気づいたことがある。それは、私がビデオを撮った次の試合でほぼ100%負けているということ。選手に負けず劣らずジンクスを気にすファンがいるが、私もその一味なので、それ以降試合の録画を止めた。すると、不思議と試合のビデオに執着する自分がいなくなり、そのうち、「熱闘甲子園」や夏直前に地元TV局である出場校紹介のコーナーにもさほど興味を持たなくなった。

 高校野球のビデオに熱かった時代は、91,92年。センバツ&選手権大会のハイライト番組の全日程、甲子園への道、想い出甲子園、そして、お姉が好きだった大阪桐蔭の試合…。当時は、今漫才を何度も見ているような感覚で見ていた。その数40本。今も部屋の片隅、50センチ四方の段ボールに詰め込まれておいてある。イチローの高校時代とかもある。自分で言うのは何だけど、なかなかプレミアものである。

 ただ、難儀なことに、テープはすべてベータ対応。10代の方、ベータってご存じですか?今やDVDの時代なので、もう化石級の言葉かもしれませんが、昔VHSに対抗して作られたビデオデッキです。テープはVHSより一回り小さく、コンパクトなので、これからの主流はこれだろうと父が張り切って買ったのですが、ベータは時代の頂点を迎えることなく、姿を消してしまいました。でもって、見るものがあるのに、ある日ワンマン父がベータのデッキを捨ててしまって…。通りすがりの電気屋に「ベータのビデオをVHSにダビングします」と書かれていたので、気にはしているが、未だ足が向いていない。実は、めんどくさがり。もしくは、過去のビデオをもう必要としていない自分がいるのかも?

 ビデオでブルーなことを思い出した。

 ある年、東山の練習試合前、時間があったので、当時よくしてくれた父兄さんとお話した。その選手には当時中学生だった弟がいたのだが、その子は兄が出ていた夏の大会の試合をテープがすり切れるんじゃないかと思うほど見ていたのだという。そんな子が東山に来てくれたら!ところが、父兄さんは言った。「お兄ちゃんと同じ高校へ行くのは抵抗あるみたい」。その気持ちもよくわかるだけに複雑だったけど、心密かに東山のユニフォームを着たその子を見れることを楽しみにしていた。

 数年後、人づてで、その子が他の有力校への進学を決めたと聞いた。東山は当時、弱かったので、その子にとってはそれが正解だったのかもしれないが、一ファンである私はかなり凹んだ。それから間もなく、秋季大会の行われている球場で、その父兄さんと再会した。「弟も応援してやってね」と言われたけど、返事が出来なかった。私はあくまで東山のファン。その子にも活躍して欲しいけど、甲子園の切符はただ1つ。多くても春の2つだ。八方美人なことは言えない。私と父兄さんの間できまずい空気が流れた。「私は、東山のファン、なんで」そう言うのが精一杯だった。今なら、そこらへんもうまくかわせるようになったが、当時は不器用だった。

 それから、その父兄さんとは一度も会っていない。その子は今現役の高校球児。新聞やネットで名前を聞くたび、あのときのことを思い出して、恥ずかしさや後悔やいろんなマイナス要素で自分がドロドロになりそうな感覚に襲われる。



2004年01月04日(日)
年賀状ブルース


 24のとき、呉服問屋を辞めてから、年賀状を出すことに縁がない。ごめんやけど、喪中万歳派だ。だって、年賀状ってなんかブルーになるでしょ。めんどくさがり、絵を描くセンスがない、字が下手な私には拷問以外の何物でもなく。長年会っていないにする近況報告なんぞないしなあ。あってもせいぜい、“また転職しました”“また内蔵脂肪が増えました”くらいだもんなあ。それに最近は、ネットで知り合う人の割合がドンドン増え、メアドは知っていても住所を知らない人がザラにいる。もう年賀メールでいいんじゃないか。そして、5年もするとそれですらめんどくさがる自分がいるんだろうな。

 そんな私にも年賀状をくれる人がいる。その節はありがとうございます(でも、未だに返事書いてないや)。でも、3通のうち2通が“結婚しました”“新しい家族が増えました”“子供がこんなに大きくなりました”といった類ももので、ちょっと困ってしまう。ま、ごくごく仲のいい友達だったらいいんだけど、何年も連絡とっていないのに突然くる年賀状は、どう考えても自分が結婚したことを知らせたいだけだと思う。“遊びに来てね”と言われてもどうしていいかわからない。交通費払ってくれ。ひまつぶしとのろけか愚痴かわからん話に延々つきあわされるのが関の山だから、日当もくれ。

 あと、昔の職場の人や今は連絡すら取っていない学生時代の薄い友人からの“また会いたですね”の一言にも困ってしまう。ほんまにそんなん思ってるんかいな。会って何を話せと。でも、さすがにこの年になると、“おもちのたべすぎに注意”という言葉を書いてくる人がいなくなり、それは嬉しい。あと、クロスワードが書かれた年賀状を送ってくる人がいる。誰とは言わないけど、市長。“今年は簡単ですよ”って言ってたけど、またわからんかった。ストレスたまるぅ〜(笑)。

 そんな私だけど、郵便局での年末年始のバイトは大好きだった。私が担当していた地区には某プロ野球選手の実家があったらしく、ファンや関係者から手紙がわんさか来てたっけ?守秘義務のある仕事で内容は見てはいけないんだけど、それはそれでねえ…。



2004年01月03日(土)
ブスのトラウマ

 野球選手のサインやグッズ、ツーショット写真といった類もものには興味がない。2回ほど人からもらったことがあったが、その人の気持ちを頂戴するという意味でもらった。でも、それも今いずこ?って感じで。(新年早々、恩知らずな内容が続くなあ)

 原因はブスのトラウマなんですよ。10年前、ともきちと2人で、夏の甲子園大会の開会式リハーサルと開会式を見に行きました。目当ては選手の写真です。球場回りにたむろするいわゆる“追っかけギャル(死語?)”です。そのとき録った写真は、当サイトでもご覧になれますが、それはおいといて。そのとき、知り合った2人組の女の子と行動を共にしました。一人はロングヘアーで清楚なお嬢様タイプ、もう一人はちょっと大人しくて申し訳ないけどかわいいとは言えないタイプの子でした。私は後者の子と気がありました。2人になったとき、「あの子がかわいいから、なんか辛い」とうち明けてくれて、さらに親近感を持った。その子が傷つくことがなければいいんだけどと思っていた。

 そんな2人がある高校の部員に「写真撮らせてください」とお願いしました。結果は書くのもブルーなほど明暗が分かれました。そこの部員。お嬢さんタイプの子にはニコニコ対応して、ポーズをとったり、いろいろ話しかけていましたが、かわいいとは言えない子(別にとびっきりのぶさいくでもない)のときは急にしらけ、露骨にイヤそうな顔をして、その場を去ったのだと言います。なんかその話を聞いて、気持ちが一気に冷めてしまったのを覚えています。もし、ともきちと私が行っていても、そうなっただろうなあと。高校球児も所詮男なんだなって。かわいい子とそうでない子を差別する私が大嫌いな人種のクラスの男子と一緒なんだな。そう思うと、サインや写真がバカバカしくなりました。今では、コンプレックス故に引きずった暗い雰囲気もその一因なんだろうなって思えるし、“若い子はそんなもんだ”と割り切って、気に入った選手を注目しているのですが、その分、昔ほど熱くなれません。(今でもその高校名覚えてるぞぉ。そんなだから、いつまで経っても甲子園で勝てないだ。ブスの祟りじゃぁ〜)

 今の私は若手の漫才にハマッているが、ここでも似た経験をしている。数年前、某コンビが営業で大阪市内のゲームセンターに来ていた。たまたま居合わせたので見ていたら、ゲームに参加するハメになり、勝ったので一緒にプリクラを撮ることになった。当時は大阪でブレイクしていたコンビだったので、「ラッキ〜♪」と思ったのだが、いざ撮影となると、彼らはとてもうざそうで、とっとと移動してしまいました。隣では高校生くらいのかわいい女の子が待っていました。その子には「こういうポーズしようや」「どっから来たん?」などとニコニコ話しかけてるじゃないですか!心の中で“死ね”と毒づきましたが、悔しいけどテレビで見る彼らの漫才はそれでもなお面白かった。

 そんなもんだと思うしかないんだなあ。



2004年01月02日(金)
初詣 in 愛知県


 今年の初詣は、名古屋の熱田神宮です。なんでかというと、青春18切符が1枚余っていたからです。同行者の相方くんには素で金を払ってもらいましたが、とりあえず行ってきました。名古屋に着くと、相方くんが「みゃーみゃーの国や、みゃーみゃーの国や」とうるさかったです(笑)。

 そんな相方くん、名古屋でいろんなカルチャーショックを発見し、はしゃいでいました。そのうちの一つ。昼ごはんは天下一品熱田店で摂ったのですが、店内にはドラゴンズの選手にサインがズラッとならんでいたお国柄を忍ばせていた。そこにゴメス選手の名前がありました。相方くんはそれに過剰反応し、「ゴメスが天一に来た〜。こってり食べたんやろか〜。ゴメス、ゴメス〜」。私たちのおつきあいはこのままでいいんだろうか?熱田神宮から名古屋駅まで歩いたのだが、道中の大半を“みゃーみゃーの国のカルチャーショックBEST1”を決めることに費やしてたような…。相方くんのBEST1は言うまでもなく、ゴメスなわけで。

 その熱田神宮の前に行ったのが、大府高校。我らがレッドスターの母校。優勝、ありがとう。グランド詣です。郊外にある同行。近くには明らかに高校生を対象としている飲食店が3店ほどポツンと建っていました。正門前のバス停の名前は、保健所前。なんでやん。保健所、どこにあんねん。

 グランドは当然静まりかえっていた。裏を流れる川沿いの道路からグランドを眺めていると、フェンスで出来たドアが少し相手いたので、雑草の茂った急な斜面を下って、ちょっとお邪魔してみた。ネット裏には野球部OBの名前が書かれたプレートが埋め込まれた掲示板があった。相方くんと2人でどっちが先に赤星を見つけられるか競争した(あとで、槙原の名前を探すの忘れてたことに気づく)。赤星に対する知識は私の方が上だった。「赤星って何年卒業?」と聞いてくる相方。私は余裕ぶっこいて「君と同じやから平成6年度」。すると、「あ、見つけた…」。負けた。童話「うざぎとかめ」のウサギ状態だ。そんな私はうざぎ年だ。ウイナー相方くん曰く、「よう盗まれたり、落書きされたりせんと残ってるなあ」。ま、ここ、愛知県だし。

 グランド自体は決して広いとは言えないが、黒土が敷き詰められ、一三塁両サイドにダグアウトもきちんとある。ダグアウトは屋根付きだが、白いパイプが基礎になっていて、そこに緑のシートが張って作られている。普通の屋根つきダグアウトよりも高さが低く、そんなことがないんだろうけど、背の高い選手は背中を丸めて入らないといけないようか感じがした。ダグアウト内にあるベンチは、プールサイドにありそうな真っ白なもの。

 そして、グランドの片隅に石碑があった。表には何か言葉が刻み込まれており、裏には甲子園出場に絡む選手名とかが書かれているはずだが、よく見えなかった。その石碑は石で囲まれているのだが、その周りにはスポンジなどグランド整備に関する備品がおいてあった。

 一番印象に残ったのが、バックネット横にあった3つのドラム缶。年期の入り方が3つとも違って、何故かそれに味があるなあと思った。何枚も何枚も写真を撮ってしまった。あと、ここには目を引く派手な色はなかった。だから、入り口に落ちてた椿の花のピンクをすごくよく覚えている。

 帰り、グランド最後方にある体育庫(?)の屋根の上に硬式ボールがのっかっているのを相方くんが見つけた。すっげーな、ここまで飛ばす選手がいるのか。そりゃ、激戦愛知で勝ち抜くだけのことあるわ。私は単純にそう感心したが、横に相方くんは「さあ〜?誰かのいたずらちゃう?」だってさ。



2004年01月01日(木)
私が“トリビアの泉”を見ない理由(わけ)


☆新年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします☆

 
 電車の中で窓の外を見ていると、寒い中、草野球を楽しむ人を見かける。草野球をしている人の中には、見るよりやる方が好きだという人が少なくない。子供もしかりで、甲子園大会の中継そっちのけで、近所の公園でキャッチボールをしてたりする。この感覚がずっとわからなかったのだが、今日、ちょっとわかった気がする。

 今日も特番でやっていたのだが、トリビアの泉という人気番組がある。無駄が大好きな私が飛びつかないはずがない。ところが、最近は見ていない。飽きたわけではない。それが証拠に次の日に見ていた人に、「昨日のトリビア、何言ってた?」と聞く。

 じゃあ、なんで見なくなったのか。それがまさに“見るよりやる方が好き”の感覚なのだ。私はスタジオのゲストがボタンを押すのを見ているのではなく、実際、私もあそこでボタンを押してみたいのだ。でも、到底自分はその席には座れない。だから、見ない。ま、そんな感じ。(思うんだけど、みんな、ボタンの押しが甘いね。補足トリビアをもっと前に出していかないと) 

 こないだお台場に行ったとき、トリビアのボタンが売っていて、買うのをかなり迷った。でも、一時的なことだし、テレビの前でボタン構えて見ているのもなんだかむなしいかもと思ってやめた。大人になったものだ(笑い)。