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2003年11月30日(日)
雪のグランド、いいねえ / どこまでいっても片想い


『雪のグランド、いいねえ』

 今日は夕方からともきっちゃんとおデー。清水寺のライトアップを見に行った。京都駅前のバスターミナルにはもんのすごい人だったので、私たちの十八番“テクシー”で行くことに。30分強で到着。平地アスファルトには強い私たち。その後の坂や階段の方が堪えた。せっかくの“いとをかし”をカメラ付き携帯で費やしてしまい、ちょっと自分を反省。早く潔いカメラを持たない旅人になりたい。紅葉自体は、ともきち曰く、「今年はあまり色づきはよくない」らしい。人がごったがえしていて、いつもならイライラするのだが、今日は穏やかな気持ちで晩秋を楽しむことが出来た。

 そのあと、またまた歩いて、三条方面へ向かった。寺町から御池へ向かう道で雰囲気のいい居酒屋を見つけたので、そこに入った。酒がよく回り、ごはんもおいしかったので、いい気分♪(この界隈、やみつきになりそう)帰り、コンビニで念願のミルクセーキと新しいJR時刻表を入手してご機嫌♪

 実はいきしな、年末年始にも青春18切符が売り出されているのを知った。でも、「冬やしなあ」とたいして関心を持たなかった。ところが、それをともきちに言うと、「雪のグランド、いいねえ」。…ホンマ、いいかもしれない。私はにんまり。このところ、練習を見ることやグランドに選手がいることにちょっとこだわりすぎていた気がする。反省反省。大規模な旅は出来ないけど、ちっちゃな旅で、グランドを見に行こう。原点に戻るんだ。


『どこまでいっても片想い』

 ともきちと飲んで、いろんなことを話した。私は狭い日常を生きているので、いつも同じような話ばかりして申し訳ないなと思いつつ、今日も同じようなことを話してしまった。やっぱり、野球の話。

 もし、若い女の子が、私と同じようなおっかけを始めるとしたら、私は「やめときぃ。ほどほどにしいや」と言うと思う。

 私の言葉をともきちも否定しなかった。結局、どこまでいっても片想いなんだ。もちろん、それが一般論だとは思わない。中には両思いになる人もいるだろうし、片想いは片想いと割り切って楽しめる人もいるはずだ。私自身もそれでいいと思ってたし、今もどうこうなりたいと思わない。けど、時々強烈なむなしさに襲われる。何も今のチームが悪いわけではない。それは私たちの心の問題。

 出会えたことにはものすごく感謝している。でも。一生応援を続けるものだと信じて疑わなかったその気持ちが、今揺らぎ始めている。



2003年11月29日(土)
野球選手の表現力


 テレビで、フィギアスケートを見ていた。バレーボールと同様、フィギアも普通に好き。伊藤みどりさんが出てたころは、テレビにくぎづけ。トリプルアクセルの成功にハラハラドキドキしてたっけ?

 フィギアスケートは、技術の他に表現力も問われる競技。なんとも思わずに見ていたけど、そんな競技はそう多くはない。野球でも、ピッチャーのポーカーフェイスや笑顔を絶やさないことが求められるけど、それが直接点数に響くわけでない。「あのランナーコーチの笑顔が高校生らしくてさわやかだから、テイクワンベース」とか言われたら、たまったもんじゃないし(苦笑)。

 やっぱり野球の場合、無我夢中の中にふと出た表情や仕草が何よりの魅力。それは、選手の本性を見るのに似てて、なかなか楽しい。



2003年11月28日(金)
消えてしまった美しい光景

 ノックのとき、ノッカーである監督の背後にいる選手が、ボールを軽くトスして、監督の手のひらに収まるシーンが好きだった。選手の手から離れ、監督の手に渡るまでのほんの短い間、空中にあるボールを中心に選手と監督の後ろ姿を写真に収めようとやっきになっていた時期もあった。滅多にボールを取りこぼすことがなく、それは手早く行われる。驚いた。なんか芸術だなって思えた。

 でも、いつからかそんな光景を目にすることがなくなった。ボールは宙に浮くことなく、選手の手から監督の手へきちんきちんと渡される。確かに、あれじゃあ危険だし、横着しているような感も否めない。高校野球のカラーからして、今の方法を用いるのはごく自然な話。

 美しいものが正しいとは限らない。でも、消えてしまうのは、少し惜しいなあと思う。



2003年11月27日(木)
断片を拾う


 ある高校のグランドで練習を見ていた。ブルペンで投げ込む投手を指導者がじっと見ていた。そして、指導者が投手に話しかけた。「おまえ、(腰椎)分離症とかあるの?」。投手は指導者の言葉の意味が飲み込まなかったようで、ノーリアクションだった。すると、指導者は言葉をかえた。「ひげ、剃ってんのか?」。投手はちょっと答えにくそうだった。恥ずかしかったのかもしれない。でも、指導者からの質問だ。ごまかすわけにはいかない。近くない距離で見ていたので、彼の声は聞こえなかったが、仕草で「はい」と言ったのがわかった。指導者はうなづいていた。そして、投手は再び投げ込みを始めた。

 なんでヒゲ?一瞬、そう思ったけど、すぐに合点がいった。以前読んだ雑誌に、「本格的なトレーニングはヒゲが生えそろってから」という専門家の言葉があったのだ。ああ、やっぱりそうなんだ。現場を見てそう感じることが出来たのが嬉しかった。もし、その雑誌を読んでいなかったら、「この人、何言ってんの?」で終わってしまっていたかもしれないから。本、読んでてよかった。

 何もこのときに限らず、グランドや球場でそういう実感に出会えるときがある。たとえば、雑誌のインタビューとかで、「いつも選手にはこんなことを言っている」と言っていた監督のその通りの言葉をグランドや球場で聴けたときは、サスペンスドラマで言うところの、証拠を見つけたような爽快な気分にもなる。やっぱり、ホントなんだ。(もちろん、その逆もあるんだけど)

 雑誌や本や人の話は、私に存在を教えてくれる。そして、球場やグランドにはその断片が落ちている。最近、そんなことを思う。



2003年11月26日(水)
電柱デビュー


 歩いていて電柱にぶつかるなんてネタ以外の何物でもないと思ってたけど、私、今日、ついにやっちまいました。夜道を歩きながらメールしてたんですよ。そしたら、ゴンゆう音がしまして、イタッと思って、顔を上げると、目の前に電柱が。はず。側を自転車が通る音がしてましたし、多分2,3人には目撃されてます。こういうとき、ツレがいたら、つっこんでくれて笑いになるのですが、一人だとどうしようもない。つとめて冷静に装えた自分を褒め称えて、気休め。

 でも、歩いているうちに、鼻や膝がジンジン痛んくるし、めがね(私、ド近眼です。レンズとかもたいがい取り寄せですわ)が衝撃でゆがしまって、かっこわるいったらありゃしない。思った以上に動揺していて、目と鼻の先にあるめがね屋を素通りしてしまいました。

 こういうときって、人は2つに分かれません?絶対人に言わない人と、言いふらしてしまいたくなる人と。私は後者なので、帰宅早々母に言いました。ガハハと豪快に笑い飛ばしてくれれば本望なのに、「何してんねんさ、あんた。鼻がゆがんだらどないすんねん。気ぃつけえや」と叱られて、ブルー。でもって、めがねのレンズにヒビが入ってるのが発覚して、さらにブルー。

 プライベートで出かけるときは、使い捨てコンタクトをしているのですが、仕事場にはめがねで行きます。使い捨てコンタクトを毎日使うとお金がかかるし、使い捨てではないソフトコンタクトはアレルギーのためドクターストップがかかっています。ハードレンズがベストなんですが、お店はすごく埃っぽくて、目に埃が入って仕事になりません。(いつも鼻がぐずぐずいってしんどいです)

 翌日、早速めがね屋さんへ行きました。店のおばちゃんは、レンズを見て、「これくらいだったらまだ大丈夫。でもひどくなったら取り替えてな」と言いました。昔、常時めがね時代はこんなこと一度だってなかったのに。コンタクトのもとあぐらをかいてしまってたのかな。気になったので、レンズの値段を聞きました。購入はもう数年前だったので、忘れてしまったのです。おばちゃんは、「これ、高いのだからねえ」と言いながら、調べてくれました。2万円。片方で。高っ。

 そういえば、こないだNさんがバット1本2万円って言ってたっけ?そしたら、私はバット2本ぶらさげて仕事してるってことになるんだな(笑)。



2003年11月25日(火)
校門巡りをする人がいる


 連休最終日もついに家から一歩も出ずに過ごした私。何時間もPC前にへばりついて、ひたすら最寄駅調べ。今、九州ツアーのプラン練り直しと、北海道ツアーのプランを立てています。今までは行きたい学校を調べ、それを中心にルートをたてていたのですが、ちょっと視点を変えてみました。公共交通機関で行く旅なんだから、公共交通機関を中心にして行く学校を選んでみたらどうだろうと。ロケーション主義にもなって、どこかの雑誌の企画とかぶりそうで怖いのですが、身の丈にあった旅をするなら、やはり駅近の学校を中心に行くべきでしょう。

 そのため、あちこちの学校のHPをさまよい、最寄り駅を調べていました。ところが、HPをもうけていない学校もあります。検索をかけると、おもしろいサイトにぶち当たりました。その名も、「高校へ行こう〜全国校門巡りの旅〜」(近日、リンクの交渉をしたいと思います)。グランドへ行く私もたいがいだけど、上手(うわて)がいたって感じ。以前、「ベンチウォーマー」さんで、全国名門校巡りと称して、甲子園に出たことのある学校を正門の写真付きで紹介するコーナーがありましたが、このサイトは日本全国の高校の校門がランダムに載っている(ただし、サイトの主旨により公立高校のみ)。しかも、交通手段もきちんと書かれており、簡単な学校紹介まで。とても助かりました。世の中、ホンマにいろんな人がいます。

 サイトの中で、管理人さんは、「高校も地域による個性がある」と書かれています。グランドもそうなんですよねえ。私はまだ80程度ですが、その人はすでに350程度の学校を回っておられます。プロフィールに野球観戦も好きと書かれているのですが、何故かグランドについては触れておられません。興味がないのでしょうか?もったいないです…。



2003年11月24日(月)
♪オフがまたく〜る〜


 高校野球、対外試合もおそらく今日で最後だったのではないでしょうか?ぼちぼち期末テスト前。そして、おとづれる冬。オフですな。

 実は、私、オフが来るのが怖い。去年のオフ、何をしてたか思い出せない。日記を書いているにもかかわらず、思い出せない。休みにどこへ行って何をしたらいいかわからない。私の遊びは、乗り物に乗るか野球観戦か酒しかないし。話せすことも野球のことくらいで。野球が趣味でないツレと会っても、話すことがなくて困ってしまう。出かけるときも、行く場所や食事も相手に任せきってしまう意志薄弱ぶり。野球のこと以外どうでもいいらしい。でも、野球ほど自分でどうもできないことはないんだけど。

 今日は4連休の3日目(25日も休みです)。土曜日はNさんとドーム観戦したが、昨日と今日は家でゴロゴロ。経済的でいいんだけど、この時間でもっと何かすべきやろともう一人の私がはっぱをかける。でも、冬は寒くてアグレッシブになれない。ま、こんなこと言うヤツは、夏は暑くてアグレッシブになれないと言うんだけど。オフの週末はゴロゴロ三昧かもしれない。

 夜になってようやく目が覚め、JR時刻表とノート、鉛筆で遊んでいた。ああ、日本大地図が欲しい。



2003年11月23日(日)
関係ない話 その8 「お〜い、ニッポン!」


 今日は、とことん京都府!

 長らくお待たせ、NHKの「お〜い、ニッポン」シリーズ、遂に京都登場。(あ〜あ、1000人のメッセージ、出たかったのにぃ)

 「はん、山科なんて出ねえよ」とやさぐれて寝ていたら、おかんに起こされた。見ると、なななななんと、前の職場が出てるぢゃないか。飛び起きましたね。町屋風の建物で、今までロケ地の依頼はたくさんあったけど、断ってきたと聞いてた。ま、他ならぬ京都をフューチャリングする番組だ。断るわけにはいかなかったんだろう。

 大きな声では言えないが、円満退職ではなかったため、多少苦い思いもあったが、それ以上にここで経験させてもらったことは大きく、辛かったことも嬉しいかったことも今までのどの職場より多かったので、思い入れはある。

 社長がテレビに出て、レポーターを案内していた。あの部屋も、この商品も、全部、全部、ぜぇ〜んぶ見たことある。さわったことある。それだけに、楽屋裏の想像できてしまう。部屋の掃除やディスプレー作業や、関係者への接茶やなんやかんや…。でも、ちらっと映った社員には見覚えがなかった。辞めてからもう2年半が経つ。元々、人の出入りの多い会社だったし、仕方ない。

 レポートを受け、ゲストが色々コメントしてたのを、苦笑いしながら聞いていた。当時と今では変わっていることもあるだろけど、裏を知っているだけに、「そんな大げさな」「ホンマのところ、…やで」などとつっこみをいれたくなる自分がいた。なんかむずがゆかった。

 でも、ノンフィクション(小説ではそうだけど)って、その対象人物や団体に身近に接している人が読むと、苦笑いしてしまうんだろうね。どんなにがんばっても、がんばっても、作者と彼らのギャップである“苦笑い”が「0」になることはない。影でどこをどういう風に笑われているのだろう。そんなことを考えると、文章を書くのは怖い。でも、止められない。



2003年11月22日(土)
Nさんとドーム観戦


 今日は尼崎のNさんからの誘いで、社会人野球日本選手権大会を見に、大阪ドームへ行った。もう今季の野球観戦はおしまいとあきらめていたので、感激した。野球の神様は私を見捨てなかったのか!いやいや、見捨てずにいてくれたのは、Nさんです。感謝、感謝。試合の詳細は、シマジョーさんの野球日記(11/23付)でどうぞ。そんな感じの試合でした。

 社会人野球でプレーしている選手は大体私と同世代くらい。そのため、電光掲示板に並ぶ名前に懐かしいのもあり、こみあげてくるものがあった。あのときの選手を生で見れるなんて〜(トヨタの水谷選手を、未だ東邦の水谷くんと言う私って…)。その上、昨年神宮で見た選手が早速登場しているのもうれしい。東京ガスの先発・安達投手は、大学時代我が母校を負かした投手だが、今度は応援してしまった。(トヨタの応援スタンドは、バレーボールのW杯の続きのようでした)

 第二試合から見たのだが、試合直前、東京ガスの内海投手がブルペンで軽くキャッチボールをしていたとき、前の席の人たちが、試合そっちのけで彼にカメラを向けていたのは、なかなか笑えた。(内海投手の母校・敦賀気比の選手が観戦にきていた。あとでみどりさんに報告しなければ)

 今、社会人では木のバットを使っている。そのため、バットが折れるシーンをよく見かけた。今日見たホームランとバットが折れた本数が同じだった(横でNさんが、「1本2万円…」とつぶやくので、不景気の昨今を生々しく感じ取ってしまった)

 第三試合は三塁側日本新薬スタンドで観戦していたのだが、7:3の割合で、チアガールを見ていた。そのため、Nさんが「今のポジションは…」「このピッチャーは…」と野球らしい話をしてくれているのに、「え」と魂の抜けたような返事を何度してしまったことか。すみません。観戦のパートナーとしては役不足だったかもしれません…。でも、ここのチアは一見の価値ありです。レパートリーが多く、ダンスもキマッてた。また、本来なら応援団員がするかけ声や歌も彼女たちの担当で、なかなか新鮮。(本日の応援セット

 最後は一死三塁で、バッターは浅い内野ファウルフライ。サードランナーが走り、ホームでタッチアウトのダブルプレーでゲームセット。あっけないというか、驚いたというか。でも、何故サードランナーは走ったのだろう。ダグアウトの少し後方くらい。実際草野球でプレーするNさんは良く見る光景だと言うが、私はこんな浅いところからホームを狙うシーンを見たことがない。ランナーの足が速かったのかもしれないし、思い切って突っ込むことによってエラーの誘発を狙ったのかもしれない。でも、もうちょっと落ち着いていれば、どうなってたかわからないかったような気がする。

 ところで、社会人のトーナメント表を見ていると、試合開始が3時間おきになっている。高校野球は2時間半だ。以前の社会人野球なら、打撃戦が多いので、3時間取るのも不思議ではないと思ったのだが、今は木のバットである。なんでだだろうと思っていたが、実際今日2試合観戦して、その所要時間が2時間半と3時間だった。特に第三試合は長く感じた。投手の間合いがすごく長かった。「集中力が切れて、ふと意識が途切れるときがある」とはNさん。

 試合終了は8時半。それから梅田に出て、Nさんとごはん。関東から関西に来ているNさんは、大学野球の盛り上がりのなさ(特に関西)を気に掛けていて、「こうしすればいいんじゃないかな?」という提案や「母校のためなら、ポスター貼りとかするよ」という志を話してくれた。なかなかおもしろい提案で、大学野球を夜に見れたら風流でいいだろうなあと思った。


★あるこの覚え書き〜日本新薬応援歌歌詞〜★

行くぞ ぼくらのエース 宇宙の果てに(○○←選手名)
かっせ○○ 目指すは日本一
××(相手チーム名)なんかは怖くない
一発 OK ○○
燃えろ ファイトだ 進撃(追撃?)だ
かっせ ○○




2003年11月21日(金)
私は、邪魔者?


 人ん家に入るときは、“おじゃまします”と言う。年齢が上がるにつれ、それは“失礼します”にとってかわることが多くなるが、基本形はやはり、“おじゃまします”。漢字に直すと、“お邪魔します”。最近、この漢字をしみじみ実感する。ああ、私がここにいるのは邪魔なんだな、と。

 たとえば、学生時代、教育実習を受ける際、先生からはっきり言われた。「君たちは、大切な生徒の勉強時間を邪魔するんだからね。そこらへんを心得て取り組んで欲しい」と。それまで、“生徒に教えるんだ”と意欲満々だった実習生のテンションが下がるのが、目に見えてわかった。でも、それは事実である。

 たとえば、開店中の店で棚卸しをするときもそう。お客さんや店員さんが売り場をいるため、カウントしながらも、人の気配には神経を張り巡らせ、必要とあらば、カウントを中断して、その場を離れる。そして、人がいなくなったら戻るのだが、ずっとその場に居座る人や、私が動きと客の動きが同じになってしまい、どこにいても邪魔になってしまうという惨めな事態を生むこともある。

 今日なんかひどくて、はよカウントしなあかん日配コーナーに頻繁に立ち止まる人人人、狙ったかのように私がカウントしている場所ばかりクリーナーで掃除するバイト店員やポケ菓子コーナーにいる買い物しているのかいちゃついてるのかわからんバカップルのせいで仕事が進まなくて、イライラする。邪魔じゃ、われぇ〜!とわめきたくなるのだが、何を隠そう、邪魔なのはこの私。精神的に滅入っるときに棚卸しをすると、ちょっと生きているのがイヤになる。

 グランドへ行くときも、事務所で許可を取っている場合は、誰かしらに挨拶して帰るようにしている。「今日はありがとうございました。お邪魔しました」が主なセリフだが、あまりのマッチングに我ながら感嘆する。はっきり言って、練習場に突然来る知らない人は邪魔者だもんね。しかも事務所で許可を取ったとなると、挨拶程度はしないといけないと思う人もいるだろうし。あ〜あ、もっと人から歓迎される趣味を持ちたいなあ。この趣味を持っている限り、一生、邪魔者意識から抜け出せないような気がする。
 
 邪魔で思い出したけど、オリックスの川越投手は、小学校1年生のころ、地元の野球チームの練習に参加していたのだが、そのとき、上級生から、「チビ、じゃま」と言われ、一人壁あてをしていたのだという(川越投手が甲子園に出たとき、雑誌に書いてあった)。今や一プロ野球選手の彼にも、「邪魔」と言われる時代があったなんて、信じられない気がするけど、人は「邪魔」を乗り越えて、大きくなっていくものかもしれない。



2003年11月20日(木)
今年は阪神、来春は熊毛南?


 今日は、相方くんと飲みに行きました。相方くんの頭ん中は選手同様、すでに来季に切り替わっていました。スタンドの大半が指定席になることに対して、「ふらりと見に行けへんようになるなあ」と不満も洩らしていましたが、それより“いかにしてチケットを取るか”に心を砕いているようです。私は、彼の爪の垢を煎じて飲むべきですね。

 さて、そんな相方くんの阪神話で必ずと言っていいくらい登場するのが、おはようパーソナリティ・道上洋三氏。熱心な阪神ファンで、私が持っている85年V当時の六甲おろしのテープで、歌っているのが、この道上氏。

 さて、その道上氏の母校・山口県熊毛南高校が秋季大会で大健闘。中国大会ではベスト8で負けたようですが、21世紀枠の推薦校に選ばれているため、まだ選抜出場の夢は残されています。今年は阪神、来年は母校が甲子園となれば、“スポーツの話題”もますますおもしろくなりそうですが、相方くんからこんな提案が。「山口でOP戦があったら、見に行って、ついでに熊毛南にも行って、「行ってきました〜」って(はがきに)書けば、まず確実に読んでもらえるで」。早速、今から熊毛南高校はどこにあるのか、調べてみます。

 こんな感じで、私は生き長らえています…。



2003年11月19日(水)
トリビアの泉と目的意識


 相方くんは、仕事が早く終わると、帰宅後「トリビアの泉」を見ている。その相方くんが、番組でやってたおもしろい野球トリビアを教えてくれた。…横浜の古木は、小学校の卒業文集に、『行きたくない球団は、大洋とロッテです』を書いている。見事、今週の金の脳。横浜と大洋が同一球団か否かはおいといて、なるほどこれは明日使えるムダな知識だ。(で、早速、日記のネタに使う私)

 笑いながらも思ったのは、やっぱ夢を叶える人は目標を明確に持っているなあということ。行きたくない球団を書いているということは、おそらく行きたい球団も書いているわけで、なんか漠然と『プロ野球選手になりたい』というより遙かに具体的だ。もしかしたかしたら、ホームラン何本打って、年俸いくらもらうということろまで考えてたかもしれない。具体性があると、行動も取りやすい。

 私の趣味は空想で、今となっては妄想という言葉はお似合いなのだけど、ある一人の野球選手を想像上で作り上げ、彼に具体性をつけて遊んでいる。名前(必死になって、漢和辞典まで使う)や家族構成、住んでる場所(向きになって地図帳を参照する)、友達やライバル、歩んできた人生や、性格や、ポジションや、野球に於ける実績や、辛かった出来事、嬉しかった出来事、そのとき彼が取った行動、そして、顔つきや制服や、ユニフォームや通学路や好きな食べ物や…これが最果てまで続く。作ったプロローグに従って、小説ともドキュメンタリーともつかない文章を書く。一人の架空選手にルーズリーフを20枚くらい使うこともあり、我ながら驚く。でも、これだけは、恥ずかしくて人様の公開できない。

 これがあくまで妄想の具体性であって、残念ながら目標ではない。思えば、私には具体的な目標がない。自分の書いた文章が署名入りで雑誌に載ったり、本になったりする場面が全く浮かばないのだ。ダメだ、こりゃ。



2003年11月18日(火)
北海道♪北海道♪


 11月は、閑散期。仕事が少なく、今週も3日勤務で、しかもそのうちの2日は半日仕事。そんなときこそ、アグレッシブに活動すべきなのに、もうお金も気力もつきて、毎日眠たいんです。ああ、このまま無駄に生きていくんだろうなあと生意気にも将来に対する漠然として不安などを持ってみて、鬱々してみたり。

 今日もそんな感じで1日が過ぎようとしていたのですが、きっかけは、机の上のおいてあったJR時刻表でした。何げなくペラペラめくっていると、急に北海道に行きたくなりました。もう来春の九州プランは練ったので、来夏の話です。

 私が食い入るように時刻表を見ていると、側にはあのジャイアニズムひろしが。いつのまにか、my北海道プランに口を挟みます。「稚内?あかん、ここら辺は何もない。日本人はすぐ端っこに行きたがる。悪い癖や」君は、稚内市民を敵に回す気ですか?「女満別で降りて、ふらっと高校のグランド行こうや。」一緒に行く気ですか?なんで、女満別なんっすか。油断してたら、勝手にプランを立てられそうで怖い。土壇場で裏切られた隠岐の屈辱を私は忘れていないぞよ。1人で行ったんねん〜♪う〜ん、一人旅史上初の1週間くらいはいたいなあ。どこの高校行こ。(注:学校は観光スポットではありません)

 今まで、何度こんな感じで立ち直ってきたんだろう。旅の計画を思いつくと、とたんに元気になる。長生きせなと思う。



2003年11月17日(月)
一度でいいから、ボールを数えたい


 今の仕事を始めて、1年ちょっとすぎました。ようやく時給が10円上がりました。思えば、いろんな場所に棚卸しに行ったものです。定番のコンビニにスーパー、本屋や文房具、ペットショップにCD屋、キャラクターグッズ店もありました。あとはデータを打ち込みだけの仕事もしましたっけ。そんな中、たまに飛び込んでくるのが、いわゆるブティック系の洋服屋さん。商品1つ1つが高いので随分神経を使います。今日はそんなお高い服屋さん第3回目にして、初めての紳士服店へ行ってきました。

 カウント方法は、スキャナーでバーコートをピッと通す方式です。数は少ないのですが、凝ったディスプレーがなされているので、一度いらうと戻せません(汗)。私は、マネキン人形に着せてある服のカウントをするように言われました。人の形をしているだけに、なんかいきなりさわるのは何だと思い、「失礼しまぁ〜す」と言いつつ、まずはネクタイのバーコードを探すことに。

 マネキンに着せてあったのは、ネクタイ、シャツ、スーツにコート、靴でした。でも、私も女です。なんか男性の体に触っているようで、気恥ずかしかったです。ネクタイ、シャツ、スーツの上が終わり、ズボンのバーコードを探します。でも、探しても探してもないんです。なんか場所が場所だけに、みだらな感じがしてイヤですねえ。通りかがりの人の視線も気になるし。ああ、違うのよ、これ、仕事なんやからね。と心の中で一生懸命言い訳しながら、額には冷や汗。でも、よく考えると、スーツは上下セットで、上着にバーコードがあるので、ズボンにはついていません。バカ。そんなんやから、市長&ともきちに、「あるこさん、欲求不満なんっすか?」とか言われるんだ(実話)。でも、スーツ姿の男って、そそりませんか?(自爆!)

 そんなこんなで、今日は所要時間のわりに疲れました。カウント後の商品整理も苦手です。服をたたむ習慣のない女をこんなとこによこしてはいけません。

 そういや、まだスポーツ用品店での棚卸しの経験がありません。こないだ高校のグランドへ行き、カラーボールがいくつも転がっているのを見て、ふとそんなことを思いました。職場のベテランさんはアイカウントが出来ます。目の前にある、あのボールがいくつあるのかも数えられるんだろうなあ。などと思いながら、練習を見ていました。



2003年11月16日(日)
ここは、広域避難所です。


 今季最後の練習試合を見に、久しぶりに山科グランドへ。1試合前は勝ち。(3試合目は、家でサスペンスドラマ見ているうちに終わったと思われ…)あまりに久しぶりのため、勘が戻るまでにちょっと時間がかかった。今日は3年生もグランドに来ていた。練習用ユニフォームで汗を流していたので、進路もすでに決まったのだろう。

 1試合目の対戦相手は、地元の高校だが、小柄と言われている東山よりもさらに小柄な子が多かった。で、そんな子たちがベンチ前に張られているネットに手を掛けながら、一生懸命グランドにいるチームメイトに声をかけている仕草なんか見せられたらもうかわいくて、かわいくて…。相手校ファンにこんなこと思われているようじゃ、チームの迫力としてはダメなんだろうけど、母性本能をくすぐるチームだった。(って、私に母性本能があるのか否かはおいといて)

 さて、今日は珍しいギャラリーがやってきた。試合の終盤、何を思ってか幟を掲げた団体がひっきりなしにやってきたのだ。どうやら、今日は地元の防災関連行事があったようだ。このグランドは、付近町民の広域避難所に指定されている。何かあったとき、ここら辺の人は聖域・山科グランドの土を踏むことになる。どうか、何事もありませんように。

 試合終了後、複数の団体が同時にやってきて、付近はごった返した。さながら、秋季大会緒戦、対京都成章戦って感じの雰囲気だ。成章戦は異様に人が多く思う。父兄さんがようけ来るからかもしれない。

追伸:今日いただいたコーヒー、いつになくおいしかった。歴史に残る味だった。



2003年11月15日(土)
ともきち、東京の夜


 ともきち、東京へ行って参りました!
 職場の後輩と2人、夜の六本木に繰り出し、ホテルのあるバーへ行き、目線から始まる恋を体感してきた。それは、彼女が心酔している作家山田詠美さんの小説の中の世界。

 ジャズの生演奏が流れるそのバーは、年齢層がぐっと高く、ドレスアップされた外国人が客層の大半を占める場所。日本人の若い女の子なんていない。この日のために、彼女は彼女なりに精一杯のおしゃれをしたはずなんだけど、あとで、「背伸びは、所詮背伸びでしかない」と振り返ってくれた。でも、ずっとあこがれた世界。思い切って、入ってみることにした。

 彼女が後輩を2人で、ピアノの側にテーブルで飲んでいると、演奏していた黒人の男性ピアニストが彼女をじっと見つめてきたのだ。詠美さんの小説には、目線から始まる恋の話がとても多い。彼女は、感激した。本の中にしかない世界が今、目の前の現実をしてある。でも、じっと見つめられることに慣れていない彼女は、目線を受け止められる器がない。その後、演奏が終わるたびに彼女のテーブルに来て、話をした。もちろん、英語。わかったの?と聞くと、「聞き取りは大体、口説き英語やから。でも、話せへんかった」と答えてくれた。

 結局、「演奏が終わったら踊りに行こう」という彼の誘いを断ってしまう。やはり、知らない人に付いていくのは怖い。話を聞いていると、彼女自身、その黒人男性そのものに恋をしたわけではなく、ずっとあこがれていた世界に足を踏み入れることができた感激の方が大きかったようだ。一つの夢がかなったという見方が正しいんだと思う。

 ともきちと口説いた彼の真意は知らない。もちろん、彼女がかわいいというのもあるのだが、背伸びしてバーに入ってきた彼女に対する歓迎の意もあったのではないだろうか。ぼくたちの世界へようこそ。みたいな。その場をわきまえない客にはきっとそんなことはしない。彼女は、この場に受け入れられたんだと思う。そりゃ、まだまだ追いつけないところがあるのかもしれないけど、そこにとけ込める素質はあるんだと思う。

 彼女はすっかり浮かれてる。私も彼女ほどではないが、詠美さん心酔者なので、身近な友達が、あの世界を体感したことが嬉しかったし、なんだか誇らしかった。

 市長にそんな話をすると、「お二人は、なんで友達なんっすか?」と言われる。確かに、どこに共通点があるのだろうと思われても仕方ない。でも、根の部分で一緒だと思ってる。自分があこがれた世界を信じ、期待と不安の中、そこに足を踏み入れる。そして、目の前に広がる現実に触れる。そんな贅沢な時間の過ごし方が好き。それは、ホテルのバーでも、高校のグランドでも、同じこと。



2003年11月14日(金)
佐野さんで始まった女子バレー


 ここ一週間ほど、我が家では逆転現象が起っていた。テレビで野球とバレーボールのワールドカップがほぼ同時に放送されていたのだが、野球にチャンネルがあわせてあると、「バレーボールに替えて」と言うのだ。この私が、である。

 バレーボールは、普通に好きだ。(野球は尋常になく好きで、それは嫌いにも似ている)テレビでやっていれば見るが、わざわざ会場に足を運んだり、文章を書こうというまでの気概はない。でも、それだけ素直な気持ちで見ることが出来るので、純粋に「スポーツっていいなあ」と思う。

 今回のめりこんだそもそものきっかけは、リベロ・佐野優子さんの存在にある。他のメンバーと違うユニフォームを着、小柄。ヤイコ似でイヤミのないかわいらしさもある。ネットで調べると、なんと北嵯峨高校OB(ただし、出身は大阪高槻)。親近感が沸いた。他の選手のインタビューで、リベロはアタッカーにスパイクを打つ場所のアドバイスもしていると知った。リベロってすごい存在かも。

 私の注目は、スパイクの瞬間より、サーブレシーブの瞬間。佐野さんが拾ったボールは、絶対決めてもらわな困るっ。頼むで。などと妙に感情的に一人で熱くなってしまった。

 そして、佐野さんから周りが見えてきた。なんか、今回の全日本女子、かわいい選手、そろってません?かわいいというより、チャーミングかな?みんな、自分の魅力を最大限に出しているって感じ。そりゃ、バレーボールに顔は関係ないけど、がんばっている選手や夢中になってる選手って、顔に出る。いい顔になる。

 ただどんなスポーツにもすがすがしくないしがらみがあるわけで、佐野さんの所属は現在「日本バレーボール協会」になっている。Vリーグの東レアローズから移籍同意書を出してもらえないので、Vリーグでのプレーが出来ない状態らしいのだ。この大会が終わったら、彼女はどうなるのだろう。そんな背景を知ると、ますますオリンピックへ行けたらいいのにという思いが強くなった。
 
 でも、こないだTSUTAYAでnewsのCD探している自分は、さすがにヤバいと思った(苦笑)。



2003年11月13日(木)
“待”


 今年の漢字たるものがある。これは例年、一般公募で今年を象徴する漢字を一文字考えてもらい、その中から選ばれるわけだが、どういうわけか、母が意欲的で、「応募すんねんけど、何がいい?」と訊いてきた。私は全く準備が出来ていなかったので、その場で固まってしまった。はて、今年、一体何があったかしらん?

 次の日、早くも「決まったで」と言って、応募はがきを手にして母がいた。「何にしたん?」と私は聞いた。はがきには、「待」に人文字が。はて。何を待つのだろ。景気回復を?救世主となる国のリーダーを? 母は答えた。「まだ帰ってこれない拉致被害者の帰国を待つっていう意味や」。なるほどな。私は、やはり自分のことしか見えていないようだ。反省、反省。

 そんな中、姉がやってきた。母は、姉にも今年の漢字に応募することを言っていたらしく、「決まったで」と一言。姉は、「なんや、“虎”か?」。あ、ここに上手(うわて)がいる…

 



2003年11月12日(水)
ジャイアニズム


 私は読みかけの本をそこらへんにポンと置いてくクセがあり、よく「おかあさん、ここにおいてあった本、知らん?」などという事態に陥るのだが、気づくと、その本が父の書斎に置いてあるということもたまにある。

 今もそんな感じで、父は私が買ってきた本に勝手に夢中になっている。最初は、「これ、ちょっと読ませてな」とわりと謙虚なのだが、段々内容にのめり込むとともに、彼から所有権という概念が消えていく。もうすぐ読み終わるっていうころになると、「これ、もうすぐ読み終わるし、終わったら、売りに出そうな」などとのたまうのでびっくらこいてしまう。おっさん、それ、ワシの本や。まったく、油断のすきもありゃしない。

 ちなみに母は、「お母さんにも読ませて」と言うので、貸すと返ってこない。おかあさん、『松本の遺書』と『痩せるくせをつける100の方法』を返してください。そして、覚えてないけど、まだ何冊かあるはずで。

 今、父に読ませている本は、『魔術師(完全版)』という本で、故三原脩氏のことが書かれた本だ。元々三原氏と西鉄ライオンズという存在に興味のあった私には、ちょっとくどかったけど、読み応えのある一冊だった。そして、また当時はそれほど野球に興味のなかった父も、稲尾氏の存在が強烈だったらしく、本も中盤、稲尾氏が出てくる辺りから読み始めている。父は言う。「中西はともかく(おいおい)、稲尾や豊田はかわいい顔してたわ」。そんな言葉を聞いたあとに、それまで見向きもしなかった裏表紙になっている西鉄時代の2人の写真を見ると、かわいく思えたから不思議だ。



2003年11月11日(火)
情報と見解の取り扱いには、やはり注意が必要なわけで


 友人からメールが来た。近畿大会で上位進出を果てしている某高校を是非神宮で見てみたとのこと。遠く首都圏の地で、試合も見れないのに、注目してくれているのだ。うれしいことじゃないっすか。私は、そのチームについて知ってる限りを書いて、彼に返信することにした。『少数精鋭で、智弁和歌山のようなチームになりますよ』

 そのチームは抜群の実力がありながら、何故かここというときに弱く、もう何回も大舞台を目前に破れていた。でも、今度はまず間違いなく来春の選抜には出場できるだろう。まさに“悲願”という言葉の似合うチームだ。私が智弁和歌山をたとえに出したのは、同校はずっと(甲子園の)緒戦を突破出来ずに苦しんだあと、1勝したのをきっかけに、翌春の選抜ではなんと初優勝を果たしているからだ。私は、このチームは、そういう停滞を大きなバネにして羽ばたくんじゃないかという思っている。それを伝えたかった。

 ところが、彼はその智弁和歌山がお嫌いだったらしく、『智弁和歌山?じゃ、いいや』とのこと。

 なんか悪いことしたなあって思った。それはあくまで私の思うところにすぎず、正しいという保証は何一つない。もしそんなことを彼に吹き込まなかったら、機会があったとき、彼は素直な気持ちでそのチームを見ることが出来たのに。

 地元だから、何かたくさんのことを伝えなければいけないと思ったのかもしれない。地元にはそういうプレッシャーがある。でも、私が地元の高校野球を、チームをなんぼほど知っているというのだろう。長年応援している東山のことですら、人に話せるほどの情報量を持っていないというのに…。あ〜あ、事実だけを伝えればよかった。



2003年11月10日(月)
オレンジカードとストラップ


 電車の旅をすると、車内でオレンジカードが売られている。これまで、オレンジカードを買う人を一度も見たことがない。今やJスルーカードどころかICOCA(首都圏で言えば、SUICA。切符のプリぺートカードみたいなもん)の時代である。「今どき、オレンジカードを買う人なんておらんのとちゃうか」などと思っていた。

 先週末、待ち合わせの敦賀へ向かうため、特急電車に乗っていた。普段なら、社内放送で知らせる程度にオレンジカード販売だが、この日は週末。観光客を狙って、年輩の車掌さんがサンプルを持って、車内を歩いていて。「オレンジカード、いかがですか?」

 すると、前席の4人組のおばさんが興味を持った。今乗っている「雷鳥」の車両がプリントされているバージョンだった。そそられると言えば、そそられるシュミレーションだ。車掌さん、懸命にアピールを始める。「見せて、見せて」。おばさんたちの反応も上々だ。そして、「1枚いくら?」とカバンの中から財布を出す仕草。ついにお買い上げかっ。私は、初めてのオレンジカード購入現場を押えようと、読みかけの本を閉じた。

 ところが、さすがおばさん、用心深い。「これ、このまま改札を通れるの?」。おばさんの中では、オレンジカードもJスルーカードも一緒くちゃになっている。車掌さんは、静かに、「これは、切符を買うためのものなので、直接改札を通れないんですよ」と答えた。おばさんたちのテンションは目に見えて下がった。「なんだ、じゃあ、いいわ」「そんなのめどくさいだけよね?」と言って、出しかけの財布をしまった。あ〜あ、ダメか。

 そんな中、おばさんの一人が言った。「なんで、改札を通れるようにしないんだろう。ねえ?」。車掌さんの人の良さを気に入っていたらしく、「せっかく勧めてくれたんだから、買いたいんだけどねえ。でも、あなたが悪いわけじゃないから」という同情が混じっていたように見受けた。車掌さんは、仕方ないと販売をあきらめたのか、サンプルをしまい、おばさんたちに説明した。「この電車が走っている北陸では、Jスルーカードが使えないんですよ。だから、オレンジカードにしているんです」。

 ここで、起死回生。
 「ああ、そうなの?」。おばさんは妙に納得して、しまいかけてた財布を出し、「それじゃあ、1枚くださる?」。「それじゃあ」の「それ」って、どれ?吉本新喜劇だったら、間違いなくこけなければならないシーンだ。車掌さん、逆転サヨナラ満塁ホームラン!珍しい買い物客もいるもんだ。

 って、私も某高校のグランドで、グランド開設一周年オリジナルストラップたるものを1,000円で買うというおかしな行為に走り、しかも、無くしたりしているので、人のこと言えない(苦笑)。



2003年11月09日(日)
ファウルボールの至福


 グランドで練習を見ていると、ときおりそばにファウルボールが転がってきます。一般人ができるたった1つのグランドとつながる方法。それが、このファウルボールを拾うことだと私は思っています。すごく捕りに行きたい衝動に駆られるのですが、ボール拾いも練習のうち。干渉してはいけない領域だと思い、手にしたことはありません。そして、ボール拾いの選手がすぐさまやってきて、ボールを見つけ、持って帰っていきます。

 昨日、星稜高校のグランドへ行きました。フリーバッティングの練習が始まりました。私たちは三塁側ダグアウト横のベンチに座って見ていました。すると、ボールが1つ、フェンスを越えて、私たちの後ろに落ちました。いつも通り、「さわってみたい」という衝動を抑えて、練習を見ていました。ところが、待てど待てど、ボールを拾いに来る部員が現れません。辺りを見渡しました。みな、それぞれに仕事で手一杯。誰もファウルボールにかまっちゃいません。

 昨日の日記にも書きましたが、星稜のグランドは整然としていました。無造作に落ちてるボールがそれを乱すような気がしました。周りをキョロキョロして人の目が自分に向いていないことを確認すると、自分にGOサインを出し、小走りでボールの落ちてる場所まで移動しました。ほんの数メートルの距離です。指先だけでつまんでボールを持ち上げ、すばやくベンチ前へ戻りました。ほんのり土のついたボールの感触を指先に覚え込ませ、背伸びをして、フェンスの上から垂直にボールを落としました。コロコロ転がって、部員に気づかれては大変。神経を遣いました。グランド内では何事もなく、練習が続いています。誰も私がファウルボールを拾ったことに気づいていません。気づかれないことはなかったのと同じ。私は練習の邪魔をしていないんだ。自分にそう言い聞かせました。

 すると、グランドとつながることが出来た感激が指先がらよみがえってきました。それにしても。もっと強く握りしめてもよかったのに、なんで指先だけで持っていたんだろう。



2003年11月07日(金)
雨のグランドを愛せる器


 私のお気に入りサイトのひとつ、おりんさんのある日の日記(『だるまの目通信』内『泣きたいときに書く野球日記』7/25付)にこう書いてありました。『グラウンドに雨が降る様子を眺めるのが大好きでした。』

 私もそこそこのグランド好きを自認していたのですが、さすがに雨のグランドを眺めるようなことがありません。まず出かける前に雨が降っていたら、グランドには行かないし、最近では「雨が降りそう」というだけでも行かなかったりします。雨が降ると練習が出来なくなるので、「ちっ、雨かよ」(なんでここだけ標準語?)と舌打ちして、終わりです。ま、そこに選手がいれば別なんですが。

 でも、元々雨を見るのが好きなので、ひょっとしたら雨のグランドも好きになれるかもしれません。見方を変えると、グランドへ行くのが、野球が、もっと楽しくなるかなぁ?

 明日明後日は、金沢へ行きます。天気、よくないようです。雨のグランドをしげしげと眺めてみたいと思います。



2003年11月06日(木)
あるこの半日旅 〜奈良・斑鳩編〜 


 なるだけ早く、斑鳩高校に行こうと思っていた。それも単にグランドを見るだけではなく、きちんと練習を見るために。

 その発端は、今夏の東北方面への旅にさかのぼる。
 初日、新潟・柏崎高校のグランドで練習を見せてもらったのだが、そのときに監督さんと女子マネージャーの両方から、何の意図もなく、「斑鳩高校には行かれましたか?」と訊かれた。斑鳩高校は、柏崎高校は選抜に出場したときの対戦相手だ。単純にそれだけが理由かと思っていたのだが、それはちょっと違った。

 すでにご存じの通り、柏崎高校は21世紀枠での出場校だ。同校の選出にはいろんな論議を呼んでおり、ネット上での批判中傷もあり、それは監督さんもご存じだった。試合は2−1で斑鳩高校が勝ったのだが、そのときに斑鳩高校の監督が、マスコミを通して、「(柏崎高校は)まぐれで出場したわけではない。力のあるチーム」というコメントを出したという。それを話してくれたときの監督の表情がすごく印象的だった。安堵したような、それでいて、誇らしげに見えた。目線は、グランドにあった。一番認めて欲しい人に、認めてもらったんだ。それでいいんじゃないか。私はそう思った。私個人は21世紀枠に好意的ではないが、こういう風に個々とは別問題である。そういうことにも気づかせてもらった。そんなわけで、斑鳩高校が気になる存在になった。

 法隆寺駅に到着したのは、午後2時。練習開始は大体4時くらいと見込んで、余った時間で法隆寺へ行くことにした。仏像とかには興味ないが、寺の雰囲気は好きだ。散策しているだけでも十分楽しい。曇り空に平日だったが、修学旅行生や観光客がいて、思いの外賑わっていた。良心のほんのかけらが、「拝観した方がええんとちゃうん?」と囁いたが、拝観料の1,000円に度肝抜かれ、良心のかけらくん、撤収。外から、五重塔を眺めて、「秋やのぅ〜」と自販機で買った爽健美茶を一口。紅葉もいい感じ。近くにある観光案内所によって、斑鳩の名所を映像で散策し、パネルで五重塔の作り方や、法隆寺改修時の現場を撮ったビデオを鑑賞した。

 もうぼちぼちやろと斑鳩高校へ向かった。道路が狭く、すれ違う車におびえながら路肩を歩いた。途中で勇気を出して道路の渡ったのだが、その直後、カンカンカンカンカンというアルミっぽい音がして振り向くと、大型トラックが歩道に突っ込んでいた。衝撃の事故現場だった。あと1分移動が遅かったら、うち、死んでたかもなあ。

 拝観料も払ってないのに、神のご加護があったようだ。ありがたし。約20分かけて、富雄川沿いにある斑鳩高校に到着。川沿いの道路は広く、歩道からグランドを眺めることが出来た。前述したが、今日は天気がよくなく、グランドには水たまりもあった。野球部員はグランドの端っこでウォーミングアップをしていた。手前ではサッカー部が、キャッチボールならぬ、キャッチヘディングをしていた。

 普通にグランドを見るだけなら十分な距離感。でも、今回は練習を見ることが目的である。学校へいざ。事務室へ行き、練習見学のお願いをすると、部長先生が応対してくださった。多少は予想していたが、グランド状態がよくないため、今日はノックやバッティング練習などは出来ないでしょうとのこと。一瞬、テンションが下がったが、「それでもよろしければ、どうぞ」と言われたので行くことにした。グランドに降りたって確認したいことがあったのだ。

 体育館の横を抜けるとグランドにたどり着けるわけだが、途中、弓を射る生徒がいた。弓を引き、しばしの沈黙。動きが止まる。あのシャンとした雰囲気、好きだ。見とれていたら、生徒の放った矢は的を射ず、灰色の砂にドスッと当たって落ちた。邪魔したかな。そういや、ここは弓道も強いはずだ。姉が学生時代弓道部にいたとき、下級生が弓道推薦で入部していきたが、出身校が斑鳩だったと聞いたことがある。

 グランドに着いて真っ先にしたこと。それは五重塔探し。以前見た雑誌に、『レフト後方に五重塔が見える』と書いてあったのだ。結果は、「えっ、どこにあんの?見えへんって!」。天気がよくなかったからかもしれない。

 ネット裏で、グランドを見ていると、女子マネージャーに「こんにちは、監督さんに用事ですか?」と聞かれた。私は首を振って、練習を見せてもらっていることを話した。色黒で、ソフトボールでもやってそうなスポーティーな雰囲気の女の子で、何故かニコニコしていた。間もなく、彼女からお茶をいただいた。やっぱりニコニコしていた。私にお茶を渡したあとは、もう一人のマネージャーと一緒にダグアウトの近くで何か作業をしていた。私は湯飲みを返しに行くついでに何をしているか見てみることにした。水筒みたいな容器が10個か20個くらい並んでいて、中にはクリーム色の液体が入っていた。「何を作ってるんですか?」と聞くと、「プロテインです」という答えが返ってきた。容器のふたには部員の名前が書いてあるようだ。それから間もなく、ネット裏に戻って練習を見ていると、「失礼しま〜す」という声が聞こえたので、振り向くと、彼女たちはすでに制服に着替えていた。グランドの前でぺこりをお辞儀をすると、門の方向へ向かって歩き出した。女子マネが途中で帰るのを見たのは、初めてだ。チームの方針なのか、校舎内で作業があるのかよくわからないが、外はすでに真っ暗だったし、周辺道路は交通量の割に狭い。危ないと言ったら、危ない。

 グランドではトスバッティング、ブルペンでは投球練習が行われた。ネット裏にはカーテンみたいな網が二重に設置されており、それにとってより多くの部員が練習出来るようになっている。水色にケースにはカラフルなテープで巻かれた色とりどりのボールが入っている。部員が打ち込めば打ち込むほど、グランドには色で満ちていく。そこで、右手ボールをあげるときに、関係のない左手も何故か逆方向へあげてしまうクセのある部員を見つけた。ボールをあげるときの彼に両手は、まさしくプチバレリーナ。あ、この子、きっとはさみ持ったら、口も一緒に動くタイプやで、などと思ってほほえましく見ていた。けど、いざバッティングとなると、小柄なわりになかなか鋭いスイングをしていて、驚いた。

 ずっとブルペンにいた監督が、ネット裏に。少し話しをした。柏崎高校の監督の名前を出すと、監督の口がちょっと滑らかになった気がした。でも、「鈴木(柏崎高監督)の知り合いですか?」と聞かれ、否定はしたけど、なんか詐欺を働いたかのような後味の悪さが残った。会話は唐突に終わる。近畿大会の話をしているときに、監督の声がふいにグランドに向かった。「おい、右肩入るの、早いんじゃないか?」監督は見ていないようで、見ている。私にとっては不思議な人種だ。改めてそう思った。


☆金払うのがもったい無くて、外から撮影した法隆寺





2003年11月05日(水)
ツーショット写真


 ある年の夏、マウンドにあがってたった1球を投げただけで試合を終わらせてしまった2年生ピッチャーがいた。

 予想外の大差をつけられた終盤、急遽彼はマウンドにあがった。エースは、のちにプロに進む好投手で、当時も注目されていた。そのため、彼の出番は公式戦初だったはず。ところが、第一球は物の見事にフェンスオーバー。規定より、コールドゲームが成立してした。

 彼のことが気になった。新チームになると、彼はキャッチャーにコンバートされていた。試合を見るにつれて気づいた。彼はすごく気が強く、気性も激しい。練習試合で、ホームに還ってきたとき、ヘルメットの上から相手キャッチャーにタッチされたのが気にくわなかったのか、相手捕手をにらみつけ、拳を握りしめた。あわや乱闘?高校野球にあるまじき空気があたりに充満した。幸い、大事に至る前に審判が止めに入ったので、ことなきをえた。

 ああ、こんな子だったんだ。私は打たれて落ち込むけなげな下級生をイメージしていたので、軽いショックを受けた。でも、ちょっと気が楽になった。きっとあのときも、腹が立ってしょうがなかったんだろうね。落ち込む選手の姿を見るのはちょっと切ない。でも、悔しがる選手の姿を見ると応援したくなる。

 キャッチャーとして挑んだ最後の夏は、甲子園まであと1勝をいう決勝戦まで残った。結果負けてしまったのだが、試合終了後の球場前に今まで見たことのない顔をしている彼を見つけた。

 和やかな空気の中、チームーメイトにツーショット写真を撮ってもらっていた。ユニフォーム姿だったと記憶している。彼女は特別かわいいわけでもない至って普通の子だったが、2人は顔を寄せ合って笑っていた。特に彼の方は今にとろけそうな顔で、悪く言えばしまりがなかった。もう高校球児に恋する歳ではなかったけど、それでも異性である以上、彼女の存在はテンションを下げるには十分な要素だ。でも、そのときは不思議と、「ええやん、別に」と自分の中にいるもう一人の自分をなだめていた。

 夏の終わりの形は、誰でもなく選手が作るもの。自由でなければ。
 そんな言葉がふと脳裏に浮かんだ。



2003年11月04日(火)
悔いばかり残る


 すごく心打たれる話があった。

 学校の先生をしているその人は、こんな話をしてくれた。

 ある夏、その人は教え子の出ている夏の大会を見に行った。雨の中、グランドもぬかるんでいて、決して“ベストな状態”で挑めたゲームではなかった。教え子の出ているチームは負けた。試合後、何も言わずに帰ろうと思ったらしいのだが、その人の同行者が「せっかくだから、何か話してきたら?」と言うので、思い切って選手のところへ行ってみた。

 2人の教え子がいる。1人はレギュラー、試合にも出ていた。もう一人は控えで試合には出れなかった。その人は、試合にでれなかった選手のところへ行って、話をした。すると、その子は、「あいつ(レギュラーで試合に出てた子)のところにも行ってやって」と言った。その人はびっくりしたが、それが彼の希望であるならと、レギュラーの子の場所へ行った。そのときに、そのレギュラーだった子は「悔いばかり残ってる」といった主旨の言葉を口にしたという。
 
 どうだろう。もし、相手はその人でなければ、そんな言葉、出ただろうか。その話を聞いたとき、雨の降る決して明るくない空と、どろどろのユニフォームと、球場の片隅にいた2人の姿を思った。自分でもびっくりするくらい、脳裏に風景が浮かんだ。私も遠巻きでいいから、その場にいたかったと思った。

 この話を聞いたとき、「日記に書きたい!」と思った。でも、どうしても出来なかった。それは、文章の主人公を誰でもなく、“言葉”に置こうと考えていたからだ。私は、その言葉、「悔いばかり残ってる」の語尾をきちんと聞き取れなかった。「悔いばっかり残るよ」だったのか、「悔いばかり残りますよ」だっから、はたまた方言や訛りが混じっていたのか…。ニュアンスは自分の中では聞き取っているが、人に伝えるにはもっときちんとしたものでないと。ノンフィクションの話を書くときは、登場人物の言葉の語尾を書ききることってすごく大事だ。それが、文章の根本をなすんじゃないかなと思う。



2003年11月03日(月)
恨めし…のIショット


 近畿地方はあいにくの雨、そんな中、ともきっちゃんは、コートを買いに神戸まで出かけた。「お気にのカフェでお茶してから帰るつもり」というメールをもらった。1人でお茶を楽しむ女性はかっこいい。そんな女を友達にもててうれしい。

 そして、昼に再びメールが入る。今日は、阪神の優勝パレードの日。私は知らなかったのだが、御堂筋だけではなく、元町でもあったようで、たまたま神戸にいた彼女はそこに巻き込まれてしまったのだ。野球に興味がないが友達思い(?)の彼女は、「何かしらのネタにはなるやろ」とパレードの野次馬に加わってくれた。従って、夕方のニュースの「人出は40万人」の中には彼女もいる。私がいるのはわからなくもないが、意外や意外だ。

 そして、しばらくして、メールが来た。「これは誰?」と書かれたそのメールは画像付き。やりよんのぅ。ところが、ここで難関が。私とともきちの使っている携帯の会社が違うのだ。私はボーダフォンで、ともきちはドコモだ。画像のある場所にアクセスをかけたが、見ることができなかった。neの後に7を入れる方法でもう1回送り直してもらってもよかったのだが、あれをメールで指示するのはわりかしややこしい。結局、今度会ったときに見せてもらうことにした。一体誰が映っているんだろう?



2003年11月02日(日)
1番・ピッチャー、“ユウヤ”くん


 ふらっと出かけた出雲の地で、野球観戦をすることになった。対戦カードは、出雲ー三刀屋。終盤まで0−0というしまった試合で、先制したのは出雲。ふらふら〜とあがった打球はレフトフェンスを越えて、黄金色の芝生の上に落ちた。一塁側出雲高校スタンドが沸いた。しかし、次の回、送球エラーであっけなく同点においつかれる。結局はその後、動揺することなく、長打を絡めて3点を追加した出雲が勝利を収めたのだが、印象に残った選手がいる。

 出雲高校のその子は背番号「1」をつけ、打順は1番。身長は決して高いとは言えない。内野にいても全然違和感のないような体格だった。名前は、イケウチかイケブチかよく聞き取れなかったので、ベンチやスタンドの声に従って“ユウヤ”くんと呼ばせてもらおう。

 さてこの“ユウヤ”くん、ピッチャーとしてはピンチにはしっかり三振を取った。「今日のユウヤ、いいなあ」という後ろの観客の声が聞こえた。落ちる球みたいなのが有効のようで、相手バッターの空振りが不格好に見え、でもそれが単純に投球を爽快に見せた。

 そんな彼、7回に塁に出たあと、(私の記憶では)2球連続の盗塁をやってのけた。さすがにホームスチールまでは無理だったみたいだが、横にいた父兄さんが、「さっすが、ユウヤや!」とご機嫌だった。これぞ、1番・ピッチャーの面目躍如!でも、大丈夫かいな、7回という一番しんどいイニングにそんなんして。次以降の投球に影響しなかったらいいんだけど…。うれしい反面、心配にもなった。

 案の定というか何というか、8回表、ボール球が目立った。1点入ったが、これは野手のエラーによるもの。最終回も結果的には1点を入れられたが、二連続三振を奪うなど、自分の仕事はしっかりしていたように思う。

 あの子、よかったなあ。
 球場から離れれば離れるほど、その思いが強くなった。



※帰宅後ネットで、色々調べてみました。
“ユウヤ”くんの本名は、池渕裕也。1年夏からショートでレギュラー。おそらく今秋もショートで試合に出ていたではないかと思う。出雲高校は、今夏、3回戦で浜田商業に延長14回で逆転サヨナラ負けという壮絶な試合を繰り広げている。