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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2003年01月31日(金)
お年寄りに席を譲ることとスポーツライティングの類似性?!


 電車やバスで、お年寄りに席を譲るのが、嫌いです。いや、苦手というか、抵抗があるんです。一番身近な年寄りがろくでもないヤツだというのもあるのですが、お年寄りに席を譲ることによって、「いいことをした」と思ってしまう自分がイヤなのかもしれませんが。そもそもそう思うようになった発端に、こんな出来事がありました。

 小学2年のとき、遠足に行きました。そのとき帰りの電車で、何を思ってか、大々的に“お年寄りに席を譲ろう大会”が開催されたのです。座っていた子が次々に側にいるお年寄りに「どうぞ」と言って席を立ち出しました。すると、ただ座っている子がそわそわし出し、お年寄りを目で探して、早く席を譲らねばと焦るわけです。

 ちょっと、いやかなり度が過ぎたかもしれません。隣の車両から年輩の男性の怒鳴り声が聞こえてきました。「ワシはまだ若いっ!年寄り扱いするんじゃないっ」。勇気あるクラスメートが隣の車両を覗きこんで、「50歳くらいの中年のおっさんや」と耳打ちしてくれました。怖かったです。怒鳴られた当人は、チビッていたりしたかもしれません。みんな一斉にシュンとなり、それ以降誰も席を譲ろうとはしませんでした。

 当時は、「せっかく席を譲ってあげたのに、怒られたんじゃアホらしい」というのがみんなの世論でした。それも一理アリです。でも、私は何故か冷静でした。「ああ、席を譲ることが必ずしもいいことだとは限らないんだ」。中学を出て、高校に入ってから通学等で電車に乗る機会が増えましたが、そのことが頭にひっかかって、車内で側にお年寄りがいるとすごい葛藤が脳みその中で展開されます。

 まず、お年寄りというのは基準は?
 小学生だったあのころは、50代は充分お年寄りでした。でも、今となっては、席を譲るという意味でのお年寄りではないように思います。(今思えば、あのとき、とっても失礼なことをしたんだなと思う)となれば、60代以降なのですが、うちの父は60代ですが、全然そんな気配はありません。要するに見かけで決めるしかしょうがないんです。腰は曲がっていたり、髪の毛が真っ白だったり、杖ついてたり…。ああ、「立ってるの、しんどそうやな」という印象を受けた人、それが電車で席を譲るときにおけるお年寄りということにしておこう。そんな感じです。

 でも、その「立ってるの、しんどそう」というのもあくまでこちらの憶測に過ぎないことが大半で、実際、「どうぞ」と席を譲ると、「けっこうです」とやんわり断られる場合も少なくありません。また、逆にシートに座っているこちらを舐め回すような目で見て、「近どきの若いものは云々」と当て付けのようにぶつぶつ言うジジイもいました。臓器移植意思表示カードじゃないけど、車内で席を必要とするかしないか、目に見えるもので表示しといて欲しいとすら思ってしまいます。

 要はするに、わからないんです。席を譲って欲しいと願っている人、出来れば譲って欲しいけど無理には言わないという人、ホンマに立っても大丈夫なタフな人、プライドが許さない人、素直に腰掛ける人…。
 お年寄りの辛さを疑似体験できるグッズがあるという。でも、彼らが歩んできた人生経験を疑似体験することはできない。

 今日、ライター塾を受講した中ですごく印象に残った言葉がある。
 「自分がわからないことを、自分の経験や自分のわかる知識でもって書こうとする」。この言葉に、私が車内で抱えているストレスや葛藤から解放されるヒントが隠されているかもしれない。

 



2003年01月30日(木)
スーパーで見かけた高校球児


 雪の現場第二日目。車はどんどん北へ、山へ向かって進む。道路には雪。道は白い。滑る滑る滑るぅ〜!受験生がいたらはったおされるほど磨き上げられたアイスバーン。峠に入ると、道路の両脇からいっせいに水が放射されていた。道の雪を溶かすと同時に、車の洗車もしてくれる。除雪車が往来し、脇道にはどっさり雪の山、坂道を平気でチャリ通学する頬を赤くした地元の中学生…。街全体が白く覆われたその光景は、まさに“まんが日本むかしばなし”の世界だった。

 そんな町中にあるスーパーが今日に舞台。1階建ての比較的小規模な昭和型の店舗。長靴を履いた地元民がぞろぞろと買い物に訪れていた。

 カウント中、ふと手を止めて外を見ていると、時が止まっていた…というのはもちろん過剰表現で。でも、時が止まって見えた。それは、朝から淡々と降り続ける雪が止まって見えたからだ。窓ガラスの向こうの景色という絵があるとして、それに1つ1つが大きな粒状の雪が霜降り柄になっているような感じ。気持ち悪きれい。そんな感じの光景。もちろん、よくよく見ていると、雪が右に左にゆらゆら揺れながら、ゆっくりゆっくり地面に向かっていた。風のほとんど吹かない昼下がりだった。雪は“降る”というより、“降りてくる”というイメージだなと思った。
 
 そんな光景も見える窓際には雑誌が売っている。小学生くらいの女の子や、仕事がお休みで今起きてきましたみたいな格好をしたおじさんが各々目当ても本に没頭していた(カウントするときには迷惑なんだなあ)。そんな列の横に、同じような仕草をした直方体バックに制服姿に丸坊主の…そう、高校野球部員がいたんです。近くに高校があるらしく、他にも制服姿の学生はいたのですが、いやあ、新鮮でした。

 私の乏しい想像力では、高校球児がスーパーにいるというのは考え難いんですよ。コンビニにたむろする子たちに見慣れてしまったんでしょう。スーパーって、子供連れのおかあさんや老夫婦が来るというイメージからどうしても抜けきれないんです。私が高校生だった時分、何故かスーパーに入るのが恥ずかしかったというのもあるのですが。

 現場は小さな街です。コンビニなどもちろんありません。だから、彼らにとってはここがコンビニ的存在なんでしょう。



2003年01月29日(水)
雪の駅舎

 生憎の雪のため、車では時間がかかりすぎるとのことで、私を含めた3人だけが、現場から電車で会社まで戻った。一歩外に出ると、寒い、冷たい、痛い、同じ京都とは思えない空気が体に突き刺さる。私は風を避けるため、駅の待合い室に入った。同じような主旨の人たちが、頭上の時計を見ながら時間をやり過ごしている。数個あったベンチにはすでに人がいて座れない。

 10分、20分。ドアの側で出入りする人をじっと見ていると、地元の高校生らしき子が2人駆け込んできた。傘がなかったのか、肩や頭には雪が。目を凝らして見てみると、その一つ一つはとても大きく、結晶まで見えてきそうだ。首もとを見ると、最近の学校で多く見られるちょっと明るすぎるあの色のジャージの襟元が顔を覗かせていた。もしかして、下に着込んでいるのかな。いくら若いっていたった寒いもんは寒いもんな。いつも高校生を見ていて、ブレザーだけで寒くないんかなと思っていたが、ようやく謎が解けた。

 2人のうちの一人は、直方体の大きなバックを肩から掛けていて、頭はちょっと丸坊主の名残を残すスポーツ刈り。野球部員のようだ。

 肩や頭につもった雪のことなどお構いなく、中にあるコンビニのおばちゃんに開口一番、「肉まん。ひとつ」。その後ろ姿が印象的だった。

 まもなく私は電車に乗るためにその待合室を後にしたのだが、このあと2人は口をほくほくさせながら肉まんをほおばるんだろうな。その姿が目に浮かぶ。高校生に限らないけど、男の子が食べ物にパクついている姿って好き。なんかかわいいやん。

 ああ、神様、どうして私に絵を描く才能をくれなかったの?あの光景、絵にしたかった。何の着飾りもない素朴な地方都市の駅舎に、申し訳程度に土産物をそろえてあるコンビニ。ロケーションもバッチリやったのに。

 追伸:結局、後で車で帰った人の方が会社に着くのが早かった。そんな殺生な〜。



2003年01月28日(火)
何が嬉しくて朝4時半に起きなければならないのだろう


 明日のことである。

 明日明後日は、京都の上の方で働く。北部、というより上の方という言葉がぴったりくる。逆算すると、始発から2番目の電車に乗らねばならず、起床は4時半。えげつない。寝ん方がええんとちゃうか。

 行くなら、仕事なんかではなく、1泊してじっくり堪能したいような場所。どうせ、峰山高校とか謁見する余裕もなく、あわただしく移動なんやろな。次の日も休みやったら、直帰扱いにしてもらって1泊して、久々に野球旅するのになあ。

 推定拘束時間17時間。推定実労時間6時間。す・て・き。とにかくきばるしかない。これが終わったら、久しぶりのライター塾だ。塾というより、その後の飲み会が(自主規制)、天下一品の吉祥寺店が(自主規制)。

 



2003年01月27日(月)
プロアマ問題でふと思い出した、校則のめっさ厳しい地元女子校のこと


 元プロ選手の父親が、現役高校球児の息子に野球を教えることができない。球界のプローアマ間を簡単にいい表すとこんな感じになるだろう。へぇんなのと思うが、このテの問題は何も球界に限ったことではない。

 今はどうかわからないが、私立高校、特に女子校の校則は厳しい。私の母校もそこそこ厳しかったが、上には上がいるもので、こんな校則のある女子校があった。

 『町中で異性と一緒にいると停学処分』
 これだけなら、まあ、厳しい中でも並なのだが、但し書きがえげつない。「たとえ、親、兄弟であっても不可」。ま、見つかったときに、のうのうと「弟です」とか「兄です」と言ってごまかす生徒がいることを見越しているのだろうが、聞いたときは突拍子過ぎて吹き出してしまった。嘘やん。

 男と町中歩くだけでは子供はできまへんがな。規則は破るためにある。知ってる子がここに通っていたけど、バリバリ彼氏いたっけ?学校側もこれで生徒の風紀を完全に取り締まれるとは思っちゃいなかったはずだ。でも、何か対策を立ててないといけない。困ったときの保険みたいな感じで。

 高野連の人とプロ野球コミッショナーが対談をしたらしい。そのことで、プロアマ問題を久しぶりに思い出したのだが、これと根本が似ているような気がする。

 ちなみに、この学校、今では共学。『町中を異性と一緒にいると停学処分』が今でも生きてたらおもしろいんだけど。



2003年01月26日(日)
応援曲よ、誇りを抱け


 きわめて個人的な意見ですが、巷で耳にする音楽と野球の応援で使う音楽はやっぱり違っていて欲しいと思っています。私はモー娘。とかわりと聴くし、好きだけど、だからといって、応援曲として使って欲しいとは思わないんですよ。

 おそらく100%オリジナルというわけではないのでしょうけど、その学校独特の応援曲とかって好きですね。有名なところでは、智弁のヤツ(アフリカン何とか??)とか。最近聞けなくて残念だけど、星稜のチャンスと時の曲とか。個人的には、平安の“お〜お〜お〜お〜おおお〜(かっとばせ〜○○)”ってのがお気にですが。

 野球は、“非日常の世界”。私の中にはそういう思いがあって、だから、音楽もそこでしか聴けないものでないと、なんだかなあと思ってしまう。(そういや、プロ野球の応援曲ってほっとんどオリジナルですね)モー娘のCDはレンタル出来ますが、智弁や星稜の応援曲じゃそうはいきませんから。

 あ、でも、“狙い撃ち”とか“サウスポー”って、元流行曲なんですよね。“タッチ”もそうかな。でもでも、今の高校生、この曲がまだ普通に音楽だった頃、生まれてなかったんじゃないかな?だから、あれはもう野球応援曲でええやん。となると、毎年のように表れては消える応援で起用された流行の曲の中には、10年20年経ったら、野球応援曲化という素敵な進歩(?)を遂げてくれるものもあるかもしれない。
 



2003年01月25日(土)
あのさあ、君ら寒くないの?

 
 精神的に調子が良くないので、「今日は熱があるので休みます」などと勤務先に電話する。こういう行為をズル休みというのでしょうか。こんばんわ、あるこです。

 表面上、“前日夜から発熱し、依然下がらない”私は、久しぶりにともきちと東山のグランドに足を運びました。ラッキーなことに練習の真っ最中。挟殺プレーの練習をしていました。すでにかなり見慣れた光景ですが、去年の終わりころから、1つ1つのプレーに選手個々から言葉が出るようになりました。“ナイス判断!いいよ、いいよ”というねぎらいの言葉もあれば、“もっとベース寄りでランナーを追いつめな”などという具体的な注文まで。みんなが同じことを言っていない、それこそ自分の言葉で自分の気付いたことや思ったことを言っている。そういう印象を受けました。

 さて、しばらくすると、冷たい風が体に染み、地面からじわじわと冷気が足元を通じて体にせり上がってきます。さむぅ〜ってな具合で、私もともきちの落ち着きなく、体を小刻みに震わせたり、ポケットの中に入れている手を擦り合わせたりします。

 ところが、グランドにいる選手は、寒さなんてどこ吹く風とばかり。選手は動いているから。そう思ったのですが、よくよくグランドを見ると、動いていない選手、わりといるんですね。ノックの順番を待っている野手、ノッカーにボールを渡している選手などか、条件的には私たちと一緒、いや私たちのように分厚いコートを着ていない分、もっとキツいはずなのに、微動だにせず、まっすぐに立っています。“ブルッと震える”のブの字すら見受けられません。

 当然、「寒い」なんていう言葉も出なければ、寒そうな顔すらしていません。よほど練習に集中しているのか、鍛えられているから本当に寒いと感じていないのか、それとも、実はアンダーシャツやソックスはごっつ分厚くて出来ていて暖かいのか…。不思議で不思議でしようがありません。



2003年01月24日(金)
眼科助手は見た


 いわゆる高校球児の涙の多くは、球場内もしくはその周りで見ることができる。でも、たとえば、練習中のグランドだったり、部室内だったり、自分の部屋だったり…。そういうところで流す涙もある。今日は、そんな話。

 まだ高校生だったころ、私は週1回ダンス教室に通っていた。レッスン後、どういう流れでそこにいたったかわからないが、話題はまもなく始まる高校野球についてだった。私は素知らぬ振りで柔軟体操をしながら、耳だけはしっかりその話題を捕らえていた。レッスン生の眼科助手をしている女性が話し始めた。

 あれ、コンタクトって大変やね。
 こないだ高校生が来て、目の調子が悪いって言うから診てみたら、コンタクトが汚れていて、目にばい菌が入ってて。その子、野球部員だったから、練習中もコンタクトはめてたみたいで、土で汚れた手とかで、目触ったりしてたんやろね。
 結局、しばらくコンタクトはしちゃいけないって言われて。その子、「もうすぐ夏の大会だから。自分、3年やから最後の大会だから、絶対出たい!」って言うんだけど、やっぱり無理で。すると、その子、その場でボロボロ泣き出して。もう、なんか辛くて見てられへんかったわ。
 私は野球よくわからないけど、眼鏡とかでは危ないからいつも通りのプレーとか出来ないんかな?とにかく泣いててさ。

 その場がシーンとなったのをよく覚えてる。今、冷静になれば、コンタクト出来ないくらいで夏の大会に出れないと決まったわけではないのだろうけど、高校生くらいの男の子が泣き出すのは相当なこと。今回聞いたのは眼科での話だったけど、おそらく全国の病院には彼のように涙をこぼした高校球児はいくらでもいるんだろう。それはきっと私たちが球場で見るより、辛い涙に違いない。
 



2003年01月21日(火)
春先、甲子園球場外野席にわいてたレベル0バカ者学生どもの話。てめえら反省しろ編

 今思い出してもストレスのたまる胸くそ悪い出来事がある。

 星野阪神が好調だった春先のある休日、相方と2人で甲子園に足を運んだ。確か首位あたりにいた頃だと思う。当然、球場は混み合っていた。時間とともに客がどんどん増え、球場の誘導員が「席をつめて、お一人でも多くの方が座れるように〜」という例の呼びかけを始めた。

 私と相方は、いつもの宴会モード全開でシート5、6席使って荷物や食べ物を置いていた(一部、「あんたらがレベル0なんじゃ」という説も…)。「やばっ」と思い、荷物をコンパクトにしたが、それでも諦めきれず、半分の3シートは荷物および飲食物様を座れらせておいた。盲点だったのか、後から来た客に「席、あいてますか?」を言われることなく、試合の序盤を終了。

 しかし、世の中そうは甘くなく、ついに「席あいてますか?」の声。若い兄ちゃんだった。みなりからして学生だろう。私のすぐ近くが誘導員によって数席空いていたので、冷静な相方は「そこの席で足りひんのか?」と一言。

 すると学生は、ちょっとむっとしていた。当然、「どうぞ」と言ってくれると思っっていたのが見てとれた。相方は見かけ穏やかそうに見えるけど、わりと頑固なところがある。なめんなよって感じ。ふと学生の後ろを見ると、仲間らしき子が数人彼の背後で様子をうかがっていた。中には女の子の姿も。ははん、そういうことか。最上段ではないけど、スタンドの上の方。ここ、わりといい席やもんな。

 依然冷静に譲らない相方。「何人おるんや?今そこに7席空いているやろ?あと席はあといくついるんや?」。学生は舌打ちしそうな表情になっていたが、何とかこらえて、人数を数えた。そのあと、手で「2」のジェスチャーをした。相方は、「2つやな。2つでええねんな」と確認をとって、私たちは止む終えず席を2つあけた。

 やれやれ、これで解決…と思いきや。耳元で学生の声。
 「座われへんのやけど」。

 ああ〜ん?
 女やからってなめとんか。
 2つって言った(示した)やん。確認とったやろ?
 それか何?自分、10未満の引き算もできひんの?

 ここで負けたら女がすたる。ワシはすでに酒が入っとるんじゃ。

私:「え、2つ空けたやろ?それでええんちゃうの」。
学生:「だってそこ空いているやん」
私:「だっても何も、自分らは2つで事が足りるんやろ?」
学生:「詰めたらええ話やんか、詰めたら」
 
 カチーン!!
 後から来といて何その態度!!

 学生は自分で捨てセリフが決まったと思い込んだらしく、側にいる女の子に風船の膨らませ方を教えたり、センスのたいしてよくないヤジを飛ばした「イキな阪神ファン」の姿の自分をアピールし始めた。

 アホちゃうか。アホちゃうか、アホとちゃうか??次こっち向いたらしばいたる、しばいたる〜。そのそばにいるこ洒落た女の前で恥かかせたるぅ〜〜!!

 それに、何気にじわじわこっちにずれてきとるやん。そうはさせるか、メガフォンで境界線、それでもダメなら、我がの肉弾攻撃や。体脂肪何%あると思ってんねん。デブをなめんなよ。ひょろ学生なんてお呼びやない。女の前やからってかっこつけやがって、そうはさせるか。グランド内での戦いをよそに、学生とのなわばり争いに熱くなってしまった。不覚だ…。

 確かにさ、混み合った場内で人数分以上のシートを取っているうちらも悪いわさ。でもな、席を譲ってもらって当然という図々しい態度、ふてぶてしい言葉遣い、それが人にものを頼む態度かい?それにセンスのないヤジ。あきまへんで。だいたい、試合の中盤なんかに来て、普通に席に座れると思うこと自体おかしいで、なんかわいているんちゃう?女の子に偉そうに阪神ファンのあるべき姿を見せてたくらいやから、初めてやないんやろし〜。女の子かて、迷惑やと思うで。要は、前売り買うとか、球場入り状態を事前に調べて、こんな事態にならんようにするべきであって(わしらは開門前から並んでた)、センスの悪いヤジを飛ばして、羨望を媚びるなんて勘違いもいいところ。私は「若いから」って許せるほど心の広い人間やないから言うけど。
 
 ああ、今書いてるうちにまた怒りがこみ上げてきた。ま、結局は、7回以降、空席が出来たから、「あっちの方が見やすいで」とこれみよがしに言った去っていったのだけれど。ちなみに、3人ほどいた女の子は、その場に残っていました。とほほやね。



2003年01月20日(月)
甲子園球場で道徳教育するなんて無茶ですって!

 春先、甲子園球場に足を運んだ。まだプレーボールの時間にはほど遠く、グランドでは相手チームがバッティング練習をしていて、観客もまばら。ライトスタンドからは、応援団が練習しているトランペットの音がかすかに聞こえた。

 お気にのレフトスタンド最上段を確保し、すっかり安心しきった私は早くも1杯目の缶ビールのプルトップを引いた。ぷは〜っ。試合前の一杯もうまいっ。

 すると、少し離れた場所から年輩の男性の声が聞こえてきた。「足のせちゃいけないだよ。そこは人が座るところなんだよ」。

 はっとして声の方を見ると、おじいさんと孫らしき2人がいた。どうやら、孫が空いてるシートの足をかけようとしていたのをおじいさんが注意していたようだ。その足はまさに“よちよち歩き”という言葉がぴったりと当てはまる。まだ幼稚園にも行っていなさそうだ。孫はおじいさんの言うことがよくわからなかったのか、きょとんとしていた。おじいさんは冷静に、「足を乗せるんだったら、くつを脱ぎなさい。後で来た人が困るだろ?」と諭した。結局、孫はシートに足を乗せるのをやめ、アスファルトの上でその足をもてあましていた。

 私はドキッとして自分の足下を見た。もし孫がこっちを見ていて、「だって、あの人もやってるよ」とか言ったら、おじいさんはどういう反応をしただろう。「人は人、自分は自分」なんて言葉がわかる年齢でもなさそうだし、かと言って「あれは悪い見本だよ」とか言われると、ちょっと辛い。ああ、孫が私に気付いてなくてホントによかった。心底そう思った。

 そんなことで神経すり減らすくらいだったら、シートに土足を乗せるの止めといたらいいのに、これがまた止められない。やっぱ楽やし、人いないからいいじゃ〜ん。なんて楽な方に流されている自分がいる。

 シートの上に土足を乗せるのはよろしくない。それくらいわかってる。もし、私が子供の母親だったら、そう教えなければならない。でも、そのとききっと周りには私のような客がいる。それだけじゃない。捜せば捜すほど、教育的によろしくない客はわんさかいる。家の中に潜んでいるごきぶり並みにいる。そんな状況の中では、どうしていいかわからない。「シートに土足を乗せてはいけません」「ゴミはゴミ箱に捨てなさい」。こっちが一生懸命諭しても、「だって、あの人もやってるじゃないか」の一言で秒殺されてしまう。子供を説得させる自信などとてもじゃなけど湧いてこない。家族で阪神戦を見にいく。夢だったけど、ちょっと考えてしまう。




2003年01月19日(日)
幸せの詩


 休日出勤の朝、やけに空いてる道路を見て、物言えぬ敗北感を感じるの、なんでだろう。こんばんわ、あるこです。というわけで、今日は日曜にも拘わらず出勤。そのまま“土曜日までノンストップ〜”なんです。どこで壊れるか、こうご期待(?)。

 仕事帰りに、ともきちとデートしました。歩くの大好きやさぐれコンビの話題は、「何に対して情緒を感じるのか」に及びました。情緒。う〜ん、古くさいけど、風流な響き♪

 そこで気付いたこと。私、自然に対して情緒とか感じないタイプのようです。ともきちの言葉を借りると、「自然は神様が造ったもの。だから、すごくて当然。自分たちでは作れないのが癪に触る」となる。

 だから、私の情緒の対象は“人のよって作られたもの”。たとえば、今歩いてる町並みとか。ともきちには、そこまでしか言っていない。でも、せっかくだから、その続きを書いてみようと思います。


 『幸せの詩』  作詞:あるこ 作曲者:募集中


 たとえば 
 砂糖を入れずに飲むコーヒーの苦みの心地よさ
 それを味わえる自分だったり

 たとえば
 読みかけの文庫本がすっぽりおさまる
 安物ロングコートの大きなのポケットだったり

 たとえば
 山一つ超えると
 旅情的になれる地元の町並みだったり

 今日が終わって明日がくる
 当たり前の日常を
 素直に受け入れる自分に
 きっといいことあるよと言ってあげたくなる

 全てのマイナス感情を背負い込んでいたのは
 そんなに昔の事じゃない
 でもどうしてそんな自分だったのか
 よく覚えていない
 でも いつか
 どうして今の自分だったのか
 わからなくなる日も来るはずで
 “成長”なんてイージーな言葉はいらない

 だけど 大切にしたい 幸せの詩


 たとえば
 お気にの女友達から 突然の
 “今晩、会えないかな?”のメールだったり

 たとえば
 そんな彼女を待つために入った
 心地いい喫茶店の窓際から見える人通りだったり

 たとえば
 憧れの作家の大好きな世界に触れ
 自分のこれからに想いを馳せることだったり

 恥ずかしさや情けなさは
 月日が経てば 素敵な話のタネ
 照れくさそうに微笑みあう愛すべき存在になる

 あと1回?
 あと100回?
 わからないけど
 大切なのは数ではなく 出来ること

 全てのマイナス感情を背負い込んでいたのは
 そんなに昔の事じゃない
 でもどうしてそんな自分だったのか
 よく覚えていない
 でも いつか
 どうして今の自分だったのか
 わからなくなる日も来るはずで
 “進歩”という言葉に戸惑う

 だから 大切にしたい 幸せの詩
 

 そんな幸福アイテムに包まれてる
 だからこそ
 球音が響くあの場所も
 特別ではない幸せを運んでくれる



2003年01月18日(土)
職業副作用の話?


 仕事とは、ある一定の動作および行動を続けることだと思います。そしてそれによって、偏った体(および心?)の動きをするため、起こるのが職業病。野球選手の故障なんてのも、ここに入れていいでしょうか(余談ですが、野球選手の保険ってめっちゃ高いんでしょうねえ。以前建築関係の仕事をしていたツレの保険料に高さにはびっくりした〜)。というわけで、今日は私が経験した職業副作用の話。ただし、ごく基本的な“目・肩・腰”に関しては省略していますご了承ください。

 コンビニ→『あかぎれ』?
 早朝には、おでんの什器を洗う仕事がありました。冬の早朝だってのに、お湯が出ませんでした。

 ラーメン屋→『ねぎくさい』
 家に帰ると、「あんた、ねぎ臭い」と言われました。でも、月日が経つにつれ、本人どころか家族にすら感覚がなくなってきました。おそるべしねぎの洗脳力!

 パン屋→『やけど』
 焼きたてのパンを運んでいたため、危険一杯。あわてて運ぼうとして、鉄板に肘がふれ、“ジュッ”。思い出すだけでエグい…。あちこちでジュジュやっていたので、夏になっても腕を出せませんでした(シクシク)。

 居酒屋→『一人称は“わし”』
 忙しい現場。お客さんにはそれなりの言葉を使わねばならない反動で、女性が多かったにも拘わらず、店員同士のやりとりは男。たまに日記で“ワシ”とか言いますが、すべてこのバイトのせいです…。

 呉服屋→『皮膚がめちゃくちゃに』
 繊維は手の油分を奪います。その上、やたら洗い物や掃除の多い会社だったので、水分、洗剤を頻繁に使用せざるをえない状況。未だに治らない掌およびその周辺『かゆい→じゅくじゅく→砂漠状態→かゆい』の悪循環地獄。

 棚卸し→『膝の角質がえらいことに…』
 店内の低いところにある商品は、膝をついた状態でカウントします。ある日自分の膝を見てみると、膝小僧が二つ×2、計4つあった。…ギャァ〜〜〜〜〜!

 現職→『さかづめ』
 紙を扱う仕事。素早さが求められるため、紙も多少荒く扱います。そのとき、紙の端と爪の根元の肉が知らぬ間に触れ続けており、気付くとさかづめパラダイスに…。



2003年01月17日(金)
8度目の1,17


 兵庫県内の高校のグランドに足を運ぶと、すこぶるきれいな校舎を目にする。駅前のちょっとした専門店街みたいに近未来的なのだ。実はこれも震災を彷彿させる物だと思う。震災の爪痕といえば、何かが壊れたり、崩れたりしているというイメージがあるが、新品の校舎、その不自然な新しさは、まだ壊れる時期ではないのに壊れてしまったが故に作られたものだから。もし、震災は起こらなかったら、私が目にした校舎も違うものだったかもしれない。そう思うとやっぱり8年経った今でも、忘れてはいけないことなんだ。

 1995年1月17日は、大学の後期試験の初日だったが、事態を重く見た学校側は試験日を延期を決定した(当時、兵庫県内で高校3年生をしていた相方は、「3学期がなくなった」と言っていた)。学校まで来てしまった私は、人影まばらな校舎の地下で、コピーを取っていた。とそのとき、ガガガガガっと余震に襲われた。危うい地盤にただおろおろするだけだった。幸い揺れはすぐ止まったが、「もしも今すごい地震が来たら、私、この場所で生き埋めにされるんや」。そう思うと、足がガクガク震えた。

 4月ごろだったか、クラスの男の子が、「死亡者の数が5000に届くっていうときはさすがに興奮した」などと不届きなことを口走っていた。彼は震源から遠い大阪の町に住んでいた。「そんな不謹慎なこと言うなんて、被災者の人の気持ちも考えたら?」、そう言うべきだったのに、言えなかった。確かに私も、言いようのないショックに襲われたし、怖いし、亡くなられた人のことを思うといたたまれない。でも、彼が口走った興奮が、私の心のどこか奥の方にもあったのかもしれない。自分が自分で怖いのだけど、現場に居合わせていない私は、本当の震災の恐ろしさがわからない。実際、兵庫に住む友人から「部屋に閉じこめられた」とか「水の配給で、タンクを運んだ」とかいう話も聞いたし、「今、いとこの家にお世話になっている」という電話ももらった。でも、数字だけが一人歩きする死亡者数にリアルさを感じられずにいた。一つの事故災害で4桁に及ぶ人が亡くなる。それは、戦争を知らない私が初めて遭遇する事態。それだけ、平和な世の中で生きさせてもらっているということにもなる。

 他の日記作家さんが書かれている今日付けの日記を読ませてもらたったが、多くの方がこのことに触れている。中でも、関西の方(あるいは関西に住んでいたことのある方)多かった。あれから8年、まだ私たちの中で色褪せていない出来事なんだ。そう信じたい。



2003年01月16日(木)
ちょっと注目、はたきの導入


 コンビニは埃っぽい。今は休んでいますが、棚卸しの仕事をしてそう痛感しています。以前にもここで書きましたが、ものの30分ほどカウントをしただけで、指先は真っ黒になる店すらあります。この仕事を始めて、人生で最大級にウエットティッシュにお世話になっています。それでか、今年からはたきを持って行くことになった現場もあります。

 その決定による従業員の反応は、「そんなん店のすることやろ」。そりゃそうです。でも、汚れた手で商品を扱ってクレームを受けるのはウチの会社だし、得意先に「店内の埃をなんとかしてください」とは言いづらい。

 私はこのはたき持参現場の担当ではないのでわからないが、このシステムを目にしたときの店の反応を見てみたいと思う。「ここまでしてくれるんだ、よう気のつく会社やな」と思うか、「業者にここまでさせるなんて、みっともない。もっと店員を教育せねば」と思うかでは雲泥の差。(あるいは、「うちが汚いって言いたいんかいな、あてつけよって」と思うか(^^;))

 そういや、元高校球児からこんな話を聞いたことがある。試合が終わると、グランド整備ってあるじゃないですか。たとえば、他校のグランドに練習試合に行ったとき、試合が終わると「グランドを使わせてもらったのだから、整備をするのが礼儀だから、やりなさい」という指導者の教えものと、トンボを借りて、グランドに出る。ところが、その他校の部員は、「遠くから来てもらっているのに、グランド整備をさせるなんてとんでもない。自分たちのグランドなんだから、整備は自分たちでやれ」となる。

 そして、試合終了後のグランドではこんな会話が繰り広げられる。

 「グランド整備、手伝いますから」
 「いえ、ウチでやるんで」
 「そうは言われても、やらないと監督が…」
 「いや、ホンマ、勘弁してください。手伝ってもらうと、こっちが監督に叱られるんで…」
 
 アベコベな話。でも、これくらいの緊張感が、コンビニ側にあればいいのになと思う今日このごろ。



2003年01月15日(水)
カントリー・サイド

 中学2年のとき、アメリカはオレゴン州に10日間ほどホームステイをしていた。いつだったか、ステイ先のクリスさんにドライブに連れて行ってもらった。郊外を延々と走った。そこにははっと息を飲む景色があった。見渡す限り、草原、草原、草原。車はかなりの速度で走っているはずなのに、緑が途切れることはない。

 後々になって、人にこのときのことをよく話す。「あの光景見ていると、自分が小さく思えた。自然ってすごいなあ。勉強とか成績とかがすごくちっぽけに思えた。人生観が変わったわ」と。

 でも、自然のすごさとか人生観とかは、後からこじつけた付加的なもので、そのときは、「うわ、草原が、続いている、続いてるぅ〜」。頭の中にはそれだけしかなかった。

 「This is countryside」。助手席で呆けたように景色に見入る私の耳にクリスさんの声が入ってきた。

 帰ってから、辞書を引いてみたが、中学2年生程度が使うチャチな英和辞典には載っていなかった。チッと舌打ちはしたけれど、正直、ホッとした。

  
 このことを最近ふと思い出した。実は、今の心境とダブるものがある。今、私は、やる気があるわけでも、やる気がないわけでもない、不思議な心境でいる。朝起きて、ごはんを食べて、仕事に行き、家に帰ってくつろぐ。何の力みのない日々を送っている。今の職場がいいせいもあるが、何気ない日常って案外幸せなんだなあなどと思っている。私にとっては、あの日のオレゴンの草原と帰宅途中の街並みに大きな違いはない。



2003年01月14日(火)
もぎり球児の夏

 
 チゲ鍋うどんはまずかった…。こんばんわ、あるこです。久しぶりに真面目に野球ものを書いて見ようと思います。では、2002年7月梅雨が明けきらない京都にタイムトリップ〜♪


 バックネット裏にも屋根がない小さな地方球場に、またポツリポツリと雨が降り出した。昼過ぎなのに、空は暗い。このところ不安定な天候が続いているにもかかわらず、何の対策も講じていなかった私は傘すら持っていない。愛用の緑のリュックが段々深い色に変わっていく。頭のてっぺんから、頭皮を伝って、生ぬるくなった雨水がつぅーっと額を滑り降りる。

 雨宿りする場所ならある。地元高校の部員が球場入り口でチケットのもぎりをしているのだが、そこにはテントが張られているのだ。畳一畳分くらいのスペース。午前中は、雨が降り出すとそこで雨宿りをさせてもらった。試合中、人の行き来ないのをいいことに、白いユニフォームを着たもぎりの野球部員たちは素の高校生に戻って、たわいもないおしゃべりに花を咲かせていた。「勉強嫌いな人、手ぇ挙げて〜」、「今日、終わったら、練習あるの?」、「お弁当、何が入ってるんやろ」。たまに客がくれば、「こんっちわ」と応対するも、恥ずかしいのかダルいのか知らないが、深夜のコンビニによくいる愛想の悪いバイトの兄ちゃんを彷彿させるものがあった。気が抜けると高校球児もこんなもんか。安堵感と小さな失望感が入り交じった。

 けれど、席を立てずにいた。目の前で、高校生が熱戦を繰り広げている。すごい投手がいるわけでも、派手な試合でもなかった。でも、私はのめり込んでいた。このままずぶ濡れになってもいい。この試合を見届けるんだ。誰に頼まれたわけでもないのに、妙な使命感に燃えた。雨は変わらぬペースで降り続けた。

 長い試合が終わった。感動より先に脱力感に襲われた。気持ちが落ち着くと、急に寒気に襲われた。あわてて、入り口近くのテントに駆け込んだ。腕についたしずくを払っていると、観客が続々と出てきた。ダレダレモードだったもぎりの部員たちも、姿勢を正した。

 負けたチームの父兄さんや応援団が出てきた。手には大きな太鼓やみんなに配ったジュースが入っていたであろう発泡スチロールの箱。ややうつむき加減、赤い目をしている。もぎりの部員たちは、「ありがとうございました」と棒読み口調で言う。見送られる父兄さんや応援団は、「お疲れさまです」「ありがとうございました」と返し、テントをくぐり抜け、球場を後にしていく。

 子供に、チームメイトに、託した夢がついさっき終わった。そんな精神状態の中で、出る言葉に驚いた。でも、そう言いたい気持ち、わからないでもない。負けたこと、夏が終わったこと、夢が終わったこと。悲しいし、辛いし、悔しいかもしれない。でも、素晴らしい試合だった。だからこそ、その周りにいる人や物、景色にすら感謝の言葉を口にしたくなる。全てを許せる心の広さというか、澄み切った青空というか、ゼロに帰った気持ちというか…。

 ところが、もっと驚いたことがあった。気付くと、もぎり部員の一人が、「ありがとうございました」「ありがとうございました」と明瞭な言葉で、出ていく観客一人一人に頭を下げていたのだ。気持ちは伝わる。人を動かすんだなあ。体の絞り切れていない、ポッチャリした彼の背中を見ながらそう思った。

 気付くと、雨はあがっていた。




2003年01月13日(月)
吠えよ、うどん狂!


 うどんが好きです。大好きです。“1年365日うどんだけを食べ続ける”伝説とか達成出来る自信があります。遠征に行くと、必ず病的なまでにうどんが食べたくなります。ああ、魅惑の白麺に、神秘的なつゆの色、香り、味わい…!ビバうどん文化!きっと私は香川県に生まれるべき人間だったのでしょう。讃岐うどん絶品です!(香川に行ったら、朝昼晩とうどんにしてやる)
 
 でも、うどんにうるさいわけではないです。「うどんは讃岐でないといかん」とか、「うどんの食べ方はこうでないと」なんていう気は更々ないです。もちろん、讃岐うどんは大好きですが、スーパーで積まれている1個88円の鍋焼きうどんも大好きです。たまごをつけて食べればごちそうです。(ちなみに、たまごは潰す派です)

 ただ、インスタントのうどんがダメですね。ラーメンなら全然OKなのですが。いや、食べれないとかインスタントをバカにしているわけではないのですが、どうもしっくり来ないんですよ。麺がね、明らかに違いませんか?最近は、生麺とかも出ているようなのですが、どうもスープとしっくりこない。ちゃんと絡み合っていないように思うんですよ。だから、ちょっと値が張っても、店に入るか、アルミに入った鍋焼きうどんを買うようにしています。

 11日から、棚卸しのバイトをしばらくお休みして別のバイトをしています。事前説明会のときに、近くにうどん屋を発見しました。入ってみると、リーズナブル(280円〜)で、一品が出し巻き、鯖煮付け、げそを泣けるほど私好み。職場の人間関係を振り切ってまで、昼休みのチャイムの瞬間、部屋を飛び出し、一人その店に向かいます。

 一昨日は、出し巻きセットでわかめうどんにしました。うどん自体はそんなに絶品というわけでもないけど、値段のわりには味はいいし、ボリュームもある。あと、麺は中くらいの太さでちょっと柔らかめですね。

 単調な仕事が続きます。「今日、何うどん食べようかな」。それが、目下の私の楽しみです。ちなみに、明日は密かにチゲ鍋うどんを狙っています。

 



2003年01月12日(日)
ない、ないっ!


 今日は、夕方からともきち&相方の3人で新年会。酒をおいしく飲み、ともきちの天然が炸裂したあとは、一路カラオケになだれ込んだ。

 ま、最近の歌も一通りは歌いますが、ともきちと一緒の場合、どうしても甲子園ソングを歌いたくなります。『甲子園への道』や『熱闘甲子園』のテーマ曲、はたまた『びわこハイライト』(高校野球滋賀大会のハイライト番組)の挿入歌まで。

 ところが、この甲子園ソング。メジャーなアーチストが起用されることは多くないため、カラオケにもそうそう入っていません。一時期はかなりいい感じにまできていたのですが、最近、また遠のいていきました。だって、今夏の『熱闘甲子園』のテーマ曲「終わらない夏」が入っていませんから。(我那覇美奈って、他の甲子園ソングアーチストに比べたら、そこそこ名前は売れてると思うんだけど)それに、数年前の『熱闘甲子園』のテーマ曲で、今も根強い支持のある『Dear…』がいつのまにか消えてしまいました。あれって、一度入ったらもう無くならないものだと思っていたので、たかをくくってしまってしばらく歌っていなかったんですよ。私の愚か者ぉ〜。

教訓:現存する数少ないカラオケで歌える甲子園ソングは、世に残していくために、もっと歌わねば。

 というわけで。

 ☆独断と偏見!“どうしても歌いたい!カラオケ業者さん、お願い、この歌を入れて”リスト☆

『瞬間』(西浦達雄)、『YES』(鈴里真帆)、『金網越しのBlueSky』(大塚純子)、『たった一度の物語』(鈴木彩子)、『青春』(斉藤由貴)、『マイフレンド』(松田樹里亜)、『BASEBALL』(田中秀典)、『Dear…』(TSUNAMI)、『dreamy−dreamer』(LU−NA←CD自体が絶版)、『SailAway』(鈴里真帆)、『10年たっても』(近藤奈々)、そういや、『YELL〜16番目の夏〜』(井上晶己)もあまり見ないような…



2003年01月11日(土)
別人・ふくらはぎに乾杯♪


 仕事帰り、衝動的にマッサージ屋に飛び込んだ。慢性的にふくらはぎがダルイ。今では、ダルイを通り越し、触ると痛くなってきた。25分2,000円の足だけ集中マッサージ。低所得者である私でもなんとか月イチは通えそうなものだが、夏に行って以来、足が遠のいていた。8月末、勇気出して予約の電話を入れて行ったものの、「強めにお願いします」の一言が言えず、だるさは取れず、ストレスをためて帰ってきたという苦い思い出がある。以来、「今度行くときは、絶対“強めでお願いします!ふくらはぎを重点的に”と言うぞ」と堅く心に誓っていた。

 さあ、ついに決戦の日。担当になったのは、若い兄ちゃん。これなら強力なのが期待できる。ごくりとツバを飲み込み、いざゆかん。「強めにしてください。あと、ふくらはぎがだるいんで、すごく」。気合いの割にうわずった声。でも、兄ちゃんは分かってくれた。「ふくらはぎを強く。重点的にすればいいんですね」。嗚呼、神様がここにいる…。

 まずは、私的にはどうでもいい太股の周りから。前回来たときもふくらはぎは終盤だった。それでか前回は過剰に期待してしまったのかもしれない。ところが、今回は事前の注文が功を奏してか、中盤ですでにふくらはぎマッサージ開始。う〜ん、そこそこ。わかってるやん、兄ちゃん。そら、プロやもんな。ふくらはぎを押してもらう。この日を毎日どれだけ夢見ていたことか。ん?で、でも、ちょっと痛い(>_<)。いや、ここで「もう少し弱く」などと口にしたら負け。そしたら、夏の痛恨のふにゃふにゃマッサージの再現が待っている。それはイヤだ。アテテテテ。くぅ〜、そこ骨ちゃうか。あ〜、勘弁して、勘弁して。でも、じっと我慢、耐えろ、耐えるんだ〜。

 ピピピピピ。
 25分、終了タイマーが鳴り、兄ちゃんは去っていった。起きあがって、ホッと一息着くと、膝から下に何とも言えない開放感が。え、気持ちいい!

 さっきまでは、一瞬の気持ちよさのあとはひたすら「痛い、痛い」だったが、終わって見ると、すごく気持ちいい。店を出てからも、「なんや、ごっつ気持ちええわあ」と独り言を言ってしまう自分がいた。

 なんやろう、この快感。生まれて初めて、マッサージで“気持ちいい”と思えた。痛かった兄ちゃんのプッシュが、ふくらはぎに蔓延していた“だるさ”という名の毒をおできの膿みを出すように押し出してくれたような感じ。この快感は止められまへんわ。このためなら、またふくらはぎだるくなってもええわと思う。今度はもっとひどくなるまでほっといてたら、もっとすごい快感を得られるのだろうか。そんなことを考えてみた。

 スポーツ選手が苦しい練習をする気持ちが、なんとなくわかったように思う。
 



2003年01月10日(金)
遅ればせながら、山さん、おつかれさまでした


 すでに日記で触れましたが、東山高校の監督はすでに代わっています。あまりに突然のことで何がなんだかわからないまま、秋を終えたのですが、ようやく落ち着いてきました。

 前監督・山崎智史監督に関しては、『熱闘甲子園』で特集されていました。選手も、“山さん”と呼んでいるようでしたが、実際私の周りでもほとんどの人がそう呼んでいました。ただ、私個人は一度も口にしたことはありません。でも、もう時効ということで、お許し願います。

 東山のOBに山さんのことを聞くと、“良く言えば熱血漢、悪く言えば暑苦しい人”という答えが返ってきましたが、その表情で悪く思っていなことがはっきりわかりました。監督から退部勧告された選手を集めて励ましたり、阪神大震災の際は“いてもたってもいられへんのや”と選手を引き連れて現地に食料を調達しに行ったこともあるとのこと。

 選手の父兄さんより若い山さん、就任当初は結果が出ずにしんどそうでした。年齢に似合わない貫禄のある体格が、日に日に風船に空気が抜けるように縮まっていくのが、端から見てもわかりました。

 1年、2年、山さん采配を見せてもらって“??”と思うことも正直ありました。でも、段々、山さんがどういう野球をしたいのか、選手とどうかかわって行きたいのかがわかってきた気がします。

 2000年の練習試合では、バントバントの攻撃で7点差をひっくり返した大逆転ゲームがありました。あのとき、一人、「これぞ、山崎野球の真骨頂や」と震えていました。

 そして、今年の夏。京都大会の準々決勝、準決勝の采配には泣きそうになりましたよ。3年前の準優勝の経験をきちんと活かしておられるなあとしみじみしました。今年のチーム、山さんだから、いや、山さんでなければ甲子園にも導けなかったでしょう。

 OBから聞いていた“熱い性格”、まさか21世紀の高校生に通じるとは思いませんでした。気付いたら、応援生活の中で、一番長く見せてもらったのが山崎采配でした。自分で考え、自分たちでやる野球。ベンチ入りメンバーをフルに使う野球。私は好きでした。ミラクル、綱渡り、おもちゃ箱。そんなスリリングでファンタスチックな試合はもう見れないかもしれませんね。
 
 でも、今の監督さんが繰り広げようとする野球も好きです。今は新たな気持ちで応援をしています。山さんも新しい舞台でがんばってください。ご健闘をお祈りします。


追伸:今夏、舞鶴球場に試合を見に行ったのですが、入り口付近ですれ違ったときに、声をかけてくださったのにはびっくりしました。まさか顔を覚えてくださっているとは思っていなかったので。

 



2003年01月09日(木)
やっぱりトイレについて語りたいっ!


 今日は、トイレトークでもしよかと思います。というわけで、下記の条件に当てはまる方は、この先の立ち入りはご遠慮願います。

/事中および食事前の方
▲▲鵐船肇ぅ譟△よびトイレをどうしても愛せない方
作者・あるこに過剰な妄想を抱いている方(早く幻滅されることをオススメします)


 仕事で、コンビニに頻繁に足を運びます。コンビニなんてみな同じとか言いますやん。確かに、同じなんでしょうけど、よくよく観察すると違いますよ〜。たとえば、トイレ。これ一つで、その店の客に対する接し方がわかったりします。

 最近出来た店のトイレはめっさきれい。ハンドタオルとか、熱風で水分を飛ばすヤツがついてたりする。百貨店なら当たり前でも、コンビニだと何故か恐縮してしまう。「当店のトイレをご利用くださってありがとうございます。またのご利用をお待ちしております」なんていう張り紙を見つけた時は、「え、ここ有料?」と目をむいてしまった。そこまで、媚びんでええやんか。トイレはあくまで副産物。商品を買う際の関係式は「客>店」だけど、トイレ利用に関しては、「客≦店」でしょ。人ごとながら、「そこまでせんでええよ」とちょっと心配になる。

 逆に、あからさまに客を信頼していないトイレもある。入った途端、挑戦的な張り紙が貼ってあるのだ。「トイレ内の清掃にご協力願います」なんていうのはいい方で、「たばこの吸い殻を捨てるな」とか「トイレットペーパーの無駄使いをするな」などサービス業ではありえない言葉が書き殴られている店もあった。そういう店は、私らが仕事中にトイレを借りるときも、いい顔をしない。ま、それも客もモラルのなさの積み重ねなんだろう。心の閉さざる終えなかったお店側もかわいそうだなと思う。

 繁華街の中にあるコンビニは、基本的にトイレの使用は警察の指導でお断りとなっている。だから、私も事前に店の場所がそういう所にあるとわかっていれば、朝から、なるだけ水分を摂らないように心がけています(よっ、プロ意識?!←爆)。

 コンビニ店内で仕事をしていて何が困るかって言えば、客が「トイレ借りていいですか?」と言ってくるとき。たとえば、その店がトイレ使用禁止だったり、鍵つきトイレだったりすると(その都度、店員さんが開ける)、私が「どうぞ」と言っても使えない。でも、レジが混んでて、店員さんが手一杯。ああ、どうしよう、どうしよう〜。そういう事態を何度か経験しているので、すっごくトラウマです。

 そうそう、トイレの鍵。ウルトラマンの角をひっくり返したようなヤツを縦や横にするのは、全然かまわないのですが、あのドアノブの真ん中にあるイボみたいなヤツ。あれがダメです。未だにかけ方がわかりません。鍵をかけても、閉めてもいない気がして落ち着きませんし、実際本当に閉まってなくて、知らないおっちゃんにドア開けられて、「キャッ(*^_^*)」なんていうことが一度や二度ではありませんから(トホホ)。あのイボみたいな鍵は、勘弁して欲しいですねえ。

 友人ともきちは、トイレにうるさいです。外出の際も、ホテルのトイレにしか入りません。側に公衆トイレがあっても、徒歩1時間もかかるホテルにあるトイレを選びます。執念の膀胱です。私はともきちほどこだわりはないのですが、公衆トイレでは、一番奥にあるであろう洋式を目指して一目散。我が家のトレイが10数年前から洋式なので、もう和式トイレに座る際のバランスの取り方とかに自信がなくなってきているんですよ。あと、海外に行った際のドアのないトイレは辛かったですねえ。みんな同じものが付いているって言うけど…違うかもしれんやん。

 そういや、神宮球場バックネット裏のトイレも落ち着かないですねえ。だって、女子トイレのすぐ側に選手のロッカールームがあって、試合後にインタビューとかしているんんですよ。ま、トイレ行く振りして、話を聞くという大胆な行動にも出れるのですが、問題が選手!彼ら、女子トイレの前にのうのうとたむろしているんです。そこからは用をすませた女性が手を洗っているところや、ドアの開け閉めとか見えるんですよ、多分。行きにくいじゃないか。ちょっとは気を遣ってぇ〜。それか何?ワシらを女性として見てないってことかい?そら、君らの彼女とくらべるとどうってことないかもしれんけど。うちらかて“レディーやっちゅーねん"!(異論反論は受付けません)神宮球場がいつ作られたか知りませんが、当時はまだ女性の社会進出が進んでいなかったんでしょう。そうとしか思えませんって、あの構造は。リフォームの近藤さん、何とかしてください。




2003年01月08日(水)
2003年度の個人的な注目事項(あるこver.)

 
 エース@如月さんの野球日記に倣って、今年度の私の注目事項を書きます。(エース@如月さんありがとうです♪)

☆注目のあの投手、大学デビューはいつ?!(これじゃ、まるっきりエース@如月さんのマネじゃないか(苦笑))

 日記にも書いた某投手が、大学で野球を続けることが決まったという情報を入手。進学先は、野球の強い大学なので、ベンチ入りできれば、神宮での登板の可能?!野球観戦は東山が最優先の私ですが、可能な限り大学野球も見ていきたいなあと思います。え、誰のことかって?…今は内緒ということでご勘弁を。

☆2003年、東山の春。

 やっぱし、公式戦、見たいですねえ。その前に、春の遠征、どこに行くんだろう。出来れば、行ったことないところに行きたいなあ(って、また行く気か、お前は)。

☆龍大の注目選手。

 杉山・植両投手が抜ける今季、厳しい戦いが予想されますが、野手は去年を経験している選手が多いので、やっぱり今年も応援します。で、今年はちょっとはマシな観戦記を書きたいものです。でも、一番の注目はやはり我らが東山OB・山下選手。今年で最後だし、一度でいいから試合に出てるのを見たいんだけどなあ。
 
☆気になるあの球場

 思い出の皇子山球場、今季はリニューアルして使われることでしょう。どんな感じになっているのかなあ。これで、滋賀の高校野球が私的には戻ってくる。(やっぱ、彦根は遠い)

☆気になるあの高校

 青森・深浦高校、夏の大会での白星なるか?!当時の監督さんが昨年春から他校に転任され、もうあのころを知る人はいなくなったのですが、それでも気になります。

☆新入部員をチェック!

 秋、東山山科グランドには練習を見学する中学生の姿がちらほらありました。その中で、強烈に印象に残る子がいました。見た感じですが、センスありそうで、野球を良く知っていそう。果たして、彼は来てくれるのでしょうか?名前は覚えているので、春になったらチェックしてみます。

☆行け行け嶺南

 今、私の中で熱い福井県嶺南地方の野球。注目選手に大半が2年生ともあり、今年だけではなく、来年も楽しみ。秋は振るわなかったので、春と夏は巻き返しを期待したいものです。

☆単純に阪神。

 今年の阪神はどないなるんだろう。例年のごとく、あまり期待してません。あまり強すぎると、球場でストレスを煽る観客でごった返すので、心境ちょっと複雑。でも、面白い試合をたくさん見たいなあ。



2003年01月07日(火)
ただいま出勤前

 あるこです、こんにちわ。今お昼の2時半頃です。あと1時間もすると、出勤タイム。おそらく帰宅後は日付が変っていることでしょう。

 というわけで、今日と明日の日記は更新が滞る可能性大です。事前にお詫びをいたします。特に明日は、翌日の朝7時台の出勤というちょっとハードな日程になっています。

 野球がオフなのもあって(言い訳すんなよ)、最近またうんちく系日記が増えてきています。すみません。ホンマはいきいき野球日記を書きたいんですが、頭がついてきてくれません(泣)。

 そうそう、以前書いた春休み旅行。東北は日本海側がまだグランド使用が厳しそうという情報を頂戴したため、夏以降に回すことにしました。で、ここに来て四国が浮上しています。九州は去年も行きましたし、巡るありがたみを堪能するにはもう少し月日があった方がいいのでは?と思いまして。それに、徳島駅前においしい寿司屋があるとか聞いたし、讃岐うどんが恋しいし、JRには高知商業前という駅があるし(最近、出てこないなあ、高知商業…)、まだ行ったことない愛媛県にも行きたい。面積を考えても、4〜5日で回れそうだし、経済的にはちょっとは楽かなあと。

 というわけで、ちょっと時間をもてあましたので、日記を更新していました。おつきあい、ありがとうございます。移動時間が長いようなので、車窓で見えない景色を眺めながら、四国旅行の計画でもたてようと思います。

 では、行ってまいります。



2003年01月06日(月)
諸行無常

 別に嘘をついているわけではないのですが、日記を書いたあと、その文章に対する反論が自分の中で起きるときがあります。

 たとえば、昨日の日記。人と違う道を行くことが自分だみたいなことを書いているのですが、「おい、それはちゃうで」とたった一夜にして思っています。だったら書かなきゃいい。そういう考えもあるでしょう。削除したら?心の中で悪魔の誘惑が。でも、今年の私は変るんです!恥ずかしいけど、削除しないでおいときます。だって、それは書かなきゃ気付かなかったことだから。

 諸行無常という言葉があります。全ての物事は、ひとときでも同じであることはなく、つねに変り続けているという意味なのですが、とすれば、文章を書き上げた地点で、私の考えが変り始めていても何らおかしいことはないんですね。

 幼い頃の私は、姉と違うことをするのが自分だと思ってそうしてきたのですが、人と違うことをすること=自分ではないわけで。結局それは、その人を基準にして動いているに過ぎず、最終的には自分がないということになります。だから、今、私は自分の進むべき道が分からず、自信がなく、おろおろしているでしょう。

 自分があるということは、それは多数派であろうが少数派であろうが、「自分はこれがやりたい」「これが好きなんだ」と堂々と言えることだと思います。残念ながら、今の私にはそこまでの根性はありません。でも、そうありたいと願うし、きっとそうなってみせます。

 …と書いてところで、今日の夜中あたりにまた“自己反論”してるんだろうな。ま、彼女とも上手につきあっていこう。




2003年01月05日(日)
自己顕示欲


 昔どっかのTVで、『プロ野球選手として成功する人は“弟型”が多い』と言っていた。弟型、つまり上に兄か姉などの兄弟がいる人のことで、中でも兄を持っている人の割合が多いのだとか。事実、選手名鑑とかを見ていても、兄のいる選手は多い。有名どころでは、イチローやヤンキースの松井選手もその部類。実はこれ、野球やスポーツだけではなく、芸能芸術面でも当てはまるのだとか。

 私には年子の姉がいる。つまり、2人姉妹の下、妹型。タイプ的には弟型と同じになる。物心ついた頃から、「私は姉と違う人間であらねばならない」と思っていた。何言ってんの、お姉ちゃんと自分は違うに決まってるやん。そう思われるかもしれない。しかし、それは甘い。年齢差一つ、それも同性。同じ服を着せられ、似たような体格。でも、つねに道の先には姉がいる。

 たとえば、姉が幼稚園に入る。初めて子供を外に出す親の戸惑い、初めての制服、先生、教室、友達出来るだろうか、いい子でいてくれるだろうか。親にも姉にもいろんな思いがあったことだろう。そして、翌年、私が幼稚園に入る。「また入学式か、去年はこんな感じやったし、今年はもう少し余裕もっていくか」てな具合になる。これがちょっとでも年齢が相手いれば、幼稚園事情も変っているだろうし、私自身も諦めがつく。親は、2人とも平等に扱っていると言うし、実際そうだと思う。でも、その余裕が子供心ながらに寂しかった。(もちろん、妹のメリットもわかっているし、しっかり堪能しているが)

 強迫概念だった。姉と同じことをしていては、自分はいないも同然なんだと。だから、姉が髪の毛を伸ばして女の子らしい格好をしていれば、私は男の子ほどの短い髪にし、近所の子を引き連れて遊ぶガキ大将的な存在を目指した。カメラで姉がすましていれば、私は思いきりおどけたポーズを取った(だから、小さい頃の写真は一生見たくない。恥ずかしいもん)。姉が「赤が好きだ」と言えば、私は「赤なんか嫌い、青が好きだ」と口にした。髪型とか、ポーズとか好きな色とか、自分の好みなんていう存在は頭にない。とにかく、姉と違えばいい。姉と反対であればあるほど、安心して、さらに上を目指した。姉が嫌いだったわけではない。ただ自分が存在していたかった。それだけだった。

 別に愛情に飢えていたわけではない。自分で言うのは何だが、両親にはかわいがってもらったと思っている。でも、何故か親や周囲の気を引くために、何らかの形で目立とう、人とは違う自分でいようと思った。それがいいことであろうと、悪いことであろうとあまり関係なかった気がする。

 以前にも一度日記で書いたが、小学校1年のとき、先生に作文を褒められ、「これだ、これが生きる道なんだ!」とちょっと大げさながら、そういう衝撃を覚えた。今も時々、自暴自棄になり、悪いことをして人の気を引きたいなあという誘惑に駆られるときもある。でも、そんな心にブレーキをかけてくれるのは、このときの衝撃だ。幸い、姉は文章を書かない。

 だから、私は分かる気がする。きっと彼らは意識無意識にかかわらず、スポーツや芸術芸能に身を投じることによって、自分の存在確かめているんだ、と。きっと好きだだけじゃやれないよ、ああいうことって。


 今、私のタンスには赤系統の服がいくつかあり、髪の毛も伸ばしている、もちろんカメラの前でアホみたいなポーズを取ることもなくなった。でも、違う方向へ行こうとする癖は一生治らない気がする。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。
 



2003年01月04日(土)
どないやねん、応援のタイミング


 この時期、何をするでもなく、おこた(こたつ)でぬくぬくしながら、高校サッカーとかラグビーを見る。スポーツにおける位置づけがスタンド応援席である私。当然、応援の音が耳に入ってくる。どんな曲を使ってるんだろうと興味津々で聞いていたが、なんてことない。タッチや闘魂コール、♪オ〜オオオ〜でおなじみ(?)の智弁系サウンドなど高校野球でもおなじみのテーマ曲だった。

 で、思うんですが、あの応援ってどういうタイミングでしているんでしょうねえ?野球なら攻撃と守備が明確だから、応援もすんなり出来るんですが、サッカーやラグビーって、いつ攻守が入れ替わるかわからないじゃないですか(…ですよね??)。それとも、そのいつ替わるかわからない攻守も応援の人たちはしっかり見ていて、機敏に反応しているんでしょうか?それなら本気ですごいと思うんですが。

 でも、6月にW杯を観戦する人(サポーターと呼ぶのには抵抗がある…)たちをブラウン管越しに見ていたのですが、彼らは常に、オールウェーズ、何時も、終始、「オ〜オオオ〜…」と叫んではったような気がします。

 となると、サッカーでは攻守関係なく応援をするのでしょうか?応援という言葉を考えると、選手が攻撃するときも守るときもがんばっているわけです。とすれば、応援も攻撃するときも守るときもやっていてOKなんですよね?むしろ、野球が特殊??いやいや、高校サッカーではいつもいつも応援の声が聞こえていたわけでもなかった。ラグビーだったそう。ということは、W杯が特殊??

 今年は野球以外の競技にも足を運ぼうと考えているのですが、応援の雰囲気に戸惑っておどろどするのが目に見えてきました…。




2003年01月03日(金)
関係あれへんがな/我が相方へ


 『関係あれへんがな』

 ラグビー、割と好きかもしれません。地元代表の伏見工業(ご存じ、あの『スクールウォーズ』のモデル校)が強いからかもしれませんが。でも、やはり野球ほどの思い入れはありません。

 私が野球を好きになったのは、ある一人の投手がきっかけでした。その投手に注目したのは単純に当時好きだった男の子と同じ名字だったという理由なのですが、そういうささやかな共通点って、実はスポーツを好きになるにおいて大切な要素だったりします。ところが、ラグビーではまだそういう人物と巡り会っていません。

 でも、今日、そのささやかな兆候になりそうな選手を見つけました。伏見工業高校背番号「10」細川選手。ペナルティーキックとかトライのあとの得点を狙うときにボールを蹴っています。(このポジション、なんていうんだろう)出身中学が一緒なのです。って、面識もなにもないのですが、やっぱり気になったりします。母校には数年前からラグビー部があります。私の在学中にはありませんでしたが、もしかしたら彼はそこでやっていたかもしれませんし。

 ところが、そのキックがなかなか決まりません。父が「なんやこの10番、下手くそやなあ」とほざきます。「うっさいわっ、あんな角度があったら、失敗もするわな」(マジでえげつない角度でした)とムキになって反論。パスをこぼしてしまうシーンでまた父が「おい10番、ボール見とるんか?」とお茶の間ヤジ。「サイン違いかもしれんやん、自分、ラグビーの何を知ってんねん」(お前こそ何を知ってる)ワシの後輩をむやみにけなすんじゃない!

 一人で熱くなっていると、解説者の声、「細川はぁ、京都大会が済んでからキックに精彩を欠いていますが」。あ〜ん、やっぱり調子悪いの?というわけで、今、細川君が気になります。準決勝こそ、いい結果が出ますように。


 『我が相方へ』

 あなたの相方は、ただいまネタがなくて苦しんでいます。確かちょうど1年前、京都駅前の酔心(B1F)で、島美人(焼酎)を飲みながら、景気よく「特別寄稿する」とおっしゃっていましたが、あれから一向に原稿があがってきません。はやくしさらしてください。よろしくお願いします。



2003年01月02日(木)
ピアノ


 我が家のPCルームの片隅にはピアノがある。私が小学校にあがる少し前にやってきた。今では父の書類置き場と化している。鍵盤はもう何年も叩かれていない。調律すらしてもらっていない。♪ピアノ売ってちょうだい〜のCMでおなじみのタケモトピアノとかに売ってしまえばいいのに、暗黙の了解のようにそこにあり続ける。

 これはある親子の失敗物語である。

 姉とピアノの出会いは、彼女が小学1年のとき。元々幼稚園の園内で行われていたオルガン教室で音楽と出会っていた姉。楽しそうにしているのを見たのか、母が近所のピアノ教室に通うのを勧め、我が家にピアノがやってきた。1980年代、一般的な少女が通る道である。

 ピアノ教室には私も通った。姉と違い、「ちょっとは女の子らしいことをして欲しい」という母の願いのもと、半ば強制的に通わされた。しかし、おけいこが終わった後、同じ教室に通っていた男の子とけんかをしたり、「ピアノなんて嫌い!」と鍵盤をたたきつけて先生を困らせ、結局音階も読めないまま辞めてしまった。

 そんな私とは対照的に、姉は真面目にこつこつ教室に通った。自分の部屋でマンガを読んでいると、下から姉が弾くピアノの音が耳に入ってきた。身びいきかもしれないが、姉はうまかった。中学2年の発表会では、最後になればなるほどうまいというプログラムで最後から3番目にいた。

 姉に他意はなかったはず。ただピアノが好きで、毎日楽しく弾いていられればよかったのかもしれない。ところが、誰に勧められたのか、音楽科の高校を受けようということになった。個性を伸ばしてやろうという父の親心だったのかもしれない。というわけで、本格的に見てもらうことになった。

 結果。「才能ない。もうピアノなんか止めて、受験勉強しろ。大学に行かないい会社に入れへんから、大学のある高校にしろ。」。父の一言で姉からピアノが取り上げられてしまった。音楽科を受けるような人は、幼い頃から本格的に稽古をしており、中学3年という時期はあまりにも遅すぎる。また、手が小さい(私もです)たも、本格的にピアノをやるにはネック。先生はそう判断をくだしたようだ。

 当時の剣幕を今でもよく覚えている。前述したが、姉は別に自分から音楽科のある高校に行きたいとは言っていない。それを父は勝手に持ち上げ、人からちょっと何か言われただけで、勝手にたたきつけるように底に落とす。残酷なおっさんやなと思った。

 その後、姉は大学のある女子校に通い、そのまま上の大学に進学した。その後就職するも1年で退職。2,3回職につくも、今は無職。家事手伝いという身分である。今ではピアノに向かうこともほとんどない。もしも、あのときの父の一言がなければ姉の人生はもっと違うものになっていたのではないか。ずっとそう思い、父を責めていたが、最近ちょっと考えが変わった。

 野球を見てきて、親のサポートの持つ効力を思い知った。多少強引にでも親が引っ張っていかねばならないときもある。マスコミで表に出るのはその成功例が大半なわけで、姉の場合それがたまたま失敗したにすぎない。

 姉は自分から積極的にグイグイ物事に取り組むタイプではない。だからこそ強くひっぱってやる存在が必要だったともいえる。また、非情な一言も、私は決していいとは思わないが、ピアノを犠牲にして受験に取り組んだからこそ、大学のある高校に受かったとも言える。

 それに、あのときピアノを止めることがなくても、いつか止めてたかもしれない。就職活動の辛さ、仕事に忙しさ、恋人とのデート。その要因はいくらも考えられる。残酷なようだけど、なるようになったと思うしかしょうがないのかもしれない。

 でも、それでも、休みの日やヒマなときに、自然とピアノと向き合う姉であった欲しかったなどと勝手なことを思う。イヤなことも辛いこともちょっとは、紛れたただろうに。四畳半の狭い部屋。私がカタカタ叩くキーの音と姉が奏でる優しいメロディーが競いあうでも、ハモるでもなく、ただ響いている。そんな光景を想像してしまう。自分のことではないのに、姉のこと、別に好きでもないのに、心が痛む。

 肝心な姉は、そのことについて何一つ話さない。


追伸:妹(笑)の失敗物語は、2002年2月3日付日記を参照ください。
 



2003年01月01日(水)
新年のご挨拶/恐怖の指定席


 別に来なくてもいいのに、2003年が来ました。
 明けましておめでとうございます。

 なんでしょうね。今、ごっつい力が抜けているんですわ。いい意味でならいいのですが、ちょっと抜けすぎで。ま、こんな感じで2003年はがんばっていこうかと(←やや詐欺傾向?!)思います。

 正月は、ヒマです。家にいても、出かけても太るだけなので、仕事ください(ただし、棚卸しとかイヤ)。そのかわり、7月下旬にお休みください。日本社会、もっと柔軟にいきましょうや。

 というわけで、今年の目標は、「愚痴日記を書かない(仕事関連は書くっ!!)」でいこうと思います。

 今年もよろしくお願いいたします。
 
 
 『恐怖の指定席』

 電車やバスでは多少金をつもうがなるだけ指定席(窓側に座りたいがために)を取る私ですが、球場では極力自由席に座るようにします。だって、指定席って怖くありません??よほど観客が少ない場合はともかく、そこそこ人がいる場合、決められた席に“座らねばならない”んですよ。

 私がよく行く球場の一つに甲子園(もう一つは、西京極)があるのですが、阪神戦ではライトが全席指定になります。高校野球とかでライトにいると、たま〜に照明灯を支える柱で球場が全くと言っていいほど見えない席があるんです。ということは、指定になった場合、高い金払って、ここに座らねばならない人も出てくるってことですよね??!

 阪神戦って、試合より騒いだり酒飲むのがメインの私でも、試合を見ないのと、見えないのでは意味が違います。指定席がハズレだと、ほんまテンション下がります。どんなにすばらし試合でも、“あのときの席、最悪やったなあ”と100%のいい思い出にする自信、ありませんもん。

 だから、指定は怖いんですよ。う〜ん、あの柱、ちょっと考えて欲しかったなあ。