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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2003年02月28日(金)
言えないんだよねえ…


 昨日、仕事中、曲げてた腰を上げたら、グキッという衝撃が走った。プチギックリ腰みたいな。やばっ。元々腰痛持ち。14の時、呼吸をしても痛いギックリ腰を経験して以来、ギクッといくと用心するようになった。帰宅後、即湿布。明日は重いものを持たないようにしよう。ところが…。

 現場には機材を持って入る。機械が入ったカバン、PC、その他細かい物が雑多にはいったかご、そしてプリンター。もちろん、一番重いのがプリンター。ああ、プリンターは勘弁願いたいなあ。そう思っていたが、トランクから荷物を取り出していると、流れ的に私がプリンターを持たねばならないチックな雰囲気。しゃあない、腰に細心の注意を払って持ち上げた。案外大丈夫だった。でも、油断はならない。

 予感的中。店前でてこずり、予想以上の長時間、プリンターを持って待機するはめに。まだ大丈夫。ギクッときてないな。大丈夫やな、もってくれよ。心の中で独り言。そんなとき。

 「代わろうか?」先輩男性クルーの声。ラッキー、助かる♪

 でも、実際口から出たのは、「いいです。大丈夫ですから」。すると、彼はちょっと気にしながらも、「そっか、わかった」とそれ以上、プリンターのことには触れなかった。

 やっぱり、言えないんだよ。下っ端だし。「腰痛めてるんで」と言えば、多分、他の人が持ってくれるだろうし、万が一、本格的に痛めて仕事が出来ない状態になったら、返ってその方が迷惑がかかる。わかってるのに、「大丈夫やろ、大丈夫やろ」とつい無理をしてしまう…。



2003年02月27日(木)
あのとき、何を言っていたの?


 ピッチャーがマウンドを降りた。いや、降板したわけではない。

 2年前、夏の京都大会でのこと。3点リードで迎えた7回裏、東山高校のエースはそれまで危なげのないピッチングを展開していた。この回も二者連続三振に斬って取ったが、その後センター前ヒットでランナーを出してしまった。次のバッターは0−2からショートゴロ。ところが、それをショートの選手がこぼしてしまう。電光掲示板の「E」の赤いランプがともった。

 そのとき、彼はマウンドを降り、ショートの選手に歩み寄ったのだ。ショートの選手の肩をポンポンとたたきながら、何か話していた。ショートの選手は、すまなそうにうなだれていた。すると、彼はもう一度肩を叩き、顔色をうかがった。そのあと、再びマウンドに戻った。初めて見る光景だった。時計で刻んでいる時間以上に長く感じた。

 2年生からベンチ入りし、公式戦、練習試合等何度となくその投球は見ていたが、このとき、私の中で彼はこれまで見たことのないピッチャーに変わっていた。
 
 風の便りで、大学でも野球を続けていると聞く。いつか話が出来る機会があれば、あのとき何を言っていたのか、何故わざわざマウンドを降りてまで声をかけたのか訊いてみたい。



2003年02月26日(水)
つれづれ早見表〜初めてご覧の方へ〜


 ようこそ、『あるこのつれづれ野球日記』へ!
 
 当日記は私あるこが日々野球に関することを書いています。ちょっとでも興味を持ってくださった方に、的を絞って、日記も読んでいただければと思い、ジャンル別に分けてみました。どうぞご利用くださいませ。

<東山関連> つれづれ野球日記の原点。東山高校野球部の試合や練習を見て書いています。

2001年
1/2〜20
2/1〜12
9/2,15,16,23,24
11/12

2002年
3/26
4/2,21,27
5/1
6/23,30
7/18,21,24,26〜29
8/2,5,7,13〜16,27
9/28
10/13
11/2,11,15,16
12/2,3,16,22,23,28,29

2003年
1/10,25 

<高校野球関連> 試合観戦記よりエッセイ的なものが多いですが…

2001年
4/4
7/17,20
8/1,6,9
9/8,9,18,19,22,29
10/7〜9,11
11/5,13,18,21,23,27
12/13,17,18,28

2002年
1/1,5,8,9,15,27,31
2/1,10,16,18〜20,23
3/4〜6,8,9,14〜17,23〜25,27,29,31
4/1,4,6,7,10,14〜16,23,28
5/2,11,13,15,18〜20,26,31
6/1,4〜6,9,26,27,29
7/1,3,5,8,9,11〜17,19,22,23
8/1,9〜11,17〜20,23〜25
9/1,2,8,16,20,21,23,25,26
10/4〜6,12,17,26,29
11/27,28
12/9,24

2003年
1/12,14,24,26,29,30
2/14,22

<その他アマチュア野球> 大学、社会人、少年野球etc

2001年
9/20 10/27 11/28 12/3 

2002年
4/11 5/16 6/14〜17 9/14 10/15 11/18

<プロ野球> 主に阪神♪

2001年
4/6,11,14
9/21,26,28
10/1,2,5,22,23,25,26
11/3,17,20,30
12/1,5,9,20,26

2002年
1/10,30
2/7,11,12,24,28
4/17,24,25,29,30
5/3,4,17,24,28,29
8/28,29
9/24,29
10/18,19,24
11/29
12/4,15,18

2003年
1/20,21
2/16,17

<読書感想文>

2002年 2/17 3/10 5/5,21,30 6/10 8/31

<ともきち> 滋賀在住、あるこ史上最強の友人。
基本的に東山絡みに日記には大概出てきます

2001年 10/28 12/19
2002年 3/21 9/13,19 10/31 12/8

<相方> 兵庫県在住、説教上戸の26歳。いちお、彼氏です(*^_^*)。

2001年 11/25 12/2,4
2002年 1/3,28 7/10 10/30
2003年 2/6,12



2003年02月25日(火)
京都府亀岡市民/1億人


 京都市のお隣・亀岡市は、善人の町である。今日はそんな話。

 高校時代、恋多きともきちが、京都学園大学の野球部員を好きになった。“思い立ったら即人をつき合わせて行動”の彼女は、私をキャンパスのある亀岡に拉致した。京都駅から嵯峨野山陰線に乗り、亀岡駅に到着。ところが、その地点で二人の全財産は帰りの交通費(約400円)がギリギリ出るくらいしかない。郊外、山の近くにあるキャンパスまでただひたすら歩いた。ところが予想以上に遠く、歩いても歩いても人っ子一人いない車道が続いた。

 「喉、渇いた」。どちらかともなく言った。でも、ジュースを買うお金もない。足取りが重くなる。そんな中、道路沿いに民家を見つけた。平屋で古びた家だった。「水もらおう」。ともきちが言った。普段なら、人様ん家で水をもらうなんて、時代劇の世界じゃあるまいしと思ったんだろうけど、これを逃したら一生飲み物にありつけない。それくらい切羽詰まっていた。

 こういうときに役立つともきち。さっさとチャイムを鳴らし、出てきたおばさんに事情を説明した。おばさんは、何の警戒心もなく、「それはかわいそうに」と家から水をくんで飲ませてくれた。この地点で、亀岡市100ポイントアップ。おばちゃん、ありがとう。ナイトスクープに応募することもちょっと考えたけど(笑)。

 1杯の水で元気百倍になった私たちは、京都学園大学のキャンパスに到着。坂の多いところで、またもへたりかけたが、制服を着ていることが幸いし、教務の人から願書(受験しなくてごめんね♪)とテレフォンカードをもらった。

 そのテレフォンカードを使って、市内にいる友人に電話した。事情を話すと、「バスがあるから、乗りいや。そのあとのお金?貸してあげるしいいよ」。という神の声。電話をしたのはともきちだったので、具体的な内容ははっきり覚えてないが、とにかくそんな感じだった。「ありがとう、ほんま、ありがとう!」、受話越しに何度も頭を下げた。バスに乗ると、水を請うてまで必死に歩いた道はものの10分で通過。私らって…。

 駅で友人と落ち合い、大金・1000円(1人)を貸してもらった。私たちにとっては、5万にも10万にも値する価値があった。彼女と別れたあと、「せっかくだから」と、駅前の店でうどんを食べた。五臓六腑に染み渡る味だった。

 あれから10年。もう財布に中に400円しかない状態で、出かけたりはしないだろう。でも、親切にしてくれた亀岡の人の印象が色褪せることはない。その後、仕事の関係で亀岡の現場に行くが、働いている人の印象はやっぱりいい。町のますますの発展をお祈りします…。




2003年02月24日(月)
ある夏の恐怖体験?!


 「こないだ、あいつ、部活帰りにドトールコーヒーで女の子と一緒にいるの、見たわ。デレデレしやがって、ったく」

 東山のOB父兄さんからそんな話を聞いたのは、ある年の夏の大会の試合後。その日の試合は、思いの外苦戦を強いられ、「何してんねん」の声もきかれた。あいつというのは、その試合に出ていたレギュラー選手。ほんまにもうっ。その父兄さんと一緒にため息をついてしまった。

 さて、次の試合も苦戦を強いられた。チャンスにバッターボックスに立っていたのは、件のドトール君。日曜日の試合、客が多くガヤガヤしていたのをいいことに、「ドトールで女とコーヒー飲んでデレデレしてた○○君、打てー!!」などとヤジってみた(※よい子はマネしちゃダメッ)。すると、「コーヒーどうですか?」の声。父兄さんが持ってきてくださった。「ありがとうございます。いただきま…」

 ドトール君のお母さんや…。
 肝が冷たい。肝で釘が打てる〜。

 もしかして、聞いてました、今の聞こえてました??そんな私の切実な問いかけの目などどこ吹く風、ドトール君母はただニコニコしているだけ。こわいよ〜、こわいよ〜。コーヒーの味がわからない。カフェインが痛い。

 ニコニコする母に、見事チャンスにタイムリーを打った息子…。器が違うっ。冷汗と恥ずかしさで上昇した体温のアンバラスにただおろおろするだけだった。ごめんなさい。もう言いません〜(T_T)。



2003年02月23日(日)
あるこ、結婚式に出席する。


 大学時代のツレの結婚式に出た。とてもいい結婚式で、二人の人柄が出てるというか。ホンマ、呼んでくれてありがとうって感じ。でも、男友達の結婚式は変に気を遣ってしまう。新婦さんがそんなに器の小さい人だとは思えないけど、やっぱりね…。

 相手の女性は予想通り、私たちとは正反対のタイプだった。毎日彼にお弁当を届けてあげるようなほんまに女らしい人。でも、芯は強そうで、彼がぞっこんって感じだった。別にコンプレックスとかはない。地方から上京してきて、あか抜けない田舎の兄ちゃんだったころの彼を知っている身としては、「こんなええ嫁さんもろうて、母さん感激やわあ」みたいな。

 会場はフレンチレストラン。アンチキノコ系とエビアレルギーの友人は、「食べれるもんない…」と途方に暮れていた。私もフレンチを食したことはなかったので、かなり警戒したけど、思ったよりいけた。で、一生縁がないであろうと思われたキャビアとフォアグラデビューを果たしました(ありがと〜。Mくん!)。

 感想。
 フォアグラ→肉っ 
 キャビア→酸い〜
 高級品≠美味
 評価:食べ物と認めてあげてもよくってよ。野球で言うと、きわどいコースで四球、みたいな。

 場所を移した2次会では、恒例のクイズ。新郎新婦のなれそめにまつわるクイズで、うちのチームは2位。景品をもらった。開けてみると歯ブラシセットだった。カフェオーレとか梅とかカレーとか…。式がもうちょっと早くあったら、そのままみのるさんにあげたのに(苦笑)。

 で、お約束の“チュ〜”もあったわけさ。でも、男友達の生チュ〜シーンを見るのはなんだかなあ…(*^_^*)。みんな一生懸命カメラ撮ってたけど、それ、どうすんねんろ。それだけやなくて、入場シーンとかケーキ入刀とかも撮ってる人いるけど、焼き増しでもして2人にあげるのかな?でも、式のオプショナルにちゃんと写真撮影も入ってるし、自分らが持ってるカメラよりいいもので腕もたつ人が撮るやから、あげる必要ないやん。あのシーンだけはいつ見ても首を傾げてしまう。

 会の半ば、明らかに雰囲気を違う人が、しずしずと入ってきた。頭はきれいに剃られていて、まとっているのは法衣。僧如さんだった。すごい、新郎が仏教科出身(それも得度済み!)なだけあるわ。後にも先にもお坊さんが出席している2次会に出くわすことはないだろう(いや、あるかな?)

 一つ気になったのが、新婦のご両親から預かった手紙を司会者が読む感動のシーンのときに、後ろの連中が大きな声で家の家賃や税金の話してたこと。ツレによると、「酔っぱらってた」らしいんだけど、こういうときはしんみりと聴き入ろうよ。結婚式の主役は誰や思ってんの。すごく不愉快だった。私が新婦だったら、跳び蹴りしてつまみ出す(-_-)。

 3次会のカラオケを辞退して、ツレん家になだれこんだ。今日式をあげた彼は、学生時代のツレ7人の中で最初の既婚者となったわけだが、実はみんなの間では最初に行くのは私だろうと言ってたらしい。ごめんね、期待裏切って♪

 今日こそ野球には縁のない一日だと思っていたら、帰り通った商店街でイチロー、松井(ゴジラの方)、松坂というベタに有名な選手の似顔絵を発見。松坂はどう見ても江夏にしか見えなかった…。



2003年02月22日(土)
どっひゃ〜ん!


 今日は、春季京都大会の1次戦組合せ抽選会があったようです。早いもので、すでに一部がネットで発表されてたりします。で、我らが東山の対戦相手の情報も入手して参りました。他のカードも知りたい方は、『立命館宇治高校硬式野球部』の公式サイトをご覧ください。市部の組合せが書いてありました。


 さてさて。

 東山、今季初の公式戦(うふっ♪)の対戦相手は、城陽高校です。情報が全くありません。ま、春なんてそんなものですから、0を楽しみます。で、で、で、もし勝ったら、なななんと、あの愛すべき天敵・京都外大西高が待ってます。えげつのうごさいます。京都大会ベスト4のチームですよ。ピッチャーとか見てますが、すごいです。どうして打てというのですか。

 でも、昨年の経験を経て、対戦相手とか環境とかそんなのが問題なんじゃなく、選手が生きる舞台、試合があるということのありがたさをかみしめています。勝つとか負けるとかそんなのはホンマに二の次で。「試合がしたい」。監督からも、父兄さんからも、選手からも、そんな切望の声を耳にしていただけに、この春は幸せ一杯で迎えれられそうです。

 まずは城陽戦。そして、出来れば次の京都外大西戦も見たいなあ。相手からしたら、東山の情報はおそらく0でしょう。面白い試合になるんじゃないかな?個人的には、両チームに母校(中学)出身の選手もいるので、先輩後輩対決にも注目です。

 春よ来い、は〜やく来いっと♪



2003年02月21日(金)
ライター塾最終回in白木屋三鷹駅北口店


 今日は11月から通っていたライター塾の最終回。とはいえ、塾自体は仕事で行けない。だから、せめて講義後の恒例の飲み会だけでも…。というわけで、夜7時に帰社後、8時前に新幹線に飛び乗り、11時過ぎに塾生のたまり場、白木屋三鷹駅北口店の到着。私にとっての講義はここから♪

 この日は、提出した課題を先生に寸評してもらうのが講義内容だったらしい。でも、私は休んでしまったので、訊けずしまい。その代わり、アシスタントの人がいろいろ話してくれた。

 私はこの間取材に行ったラグビーの試合後に見たひとこまを書いたのだけど、その文章での見解が2人(アシスタントの人は2人います)で分かれたと言われた。それは私の書き込みが足りないということでもあるのだろうけど、自分の文章を読んでもらえるだけでもありがたいのに、ましてやそれにたいして見解を持ち、話しあってもらえたなんて、書き手にとってはハッピーこの上ないこと♪でも、やっぱし、まだまだ甘く、欠点はみっちり指摘されたんだけど(沈)。

 今、私に必要なのは、自分の思いを書こうとか自分らしさを出そうとしなくても、自分というものが出てくるということを体感(実感)することらしい。それをふまえると、記事を書くことやコメントをとってくることも無駄ではないかもしれない。私は自分にこだわり過ぎているし、自分に逃げている。今、日記に書いている文章、楽しいし、好きだけど、これでは人からお金はもらえない。もっとも、お金が全てだとも思わないけど。一度しかない人生。いや二回あっても、私はこの道をもう少し進んでみようと思う。

 私にとってライター塾は、追いつめられ、辱めに苦しんだ場所であり、また闇の中から差した一筋に光だった。先生に教わったことはもちろん、同じような志を持った人に会い、話を聞けたのも良かった。全員とは無理だろうけど、何人かとは今後も良き仲間(ちょっとくさいね(^^;))でいたいなあと思う。

 今、第二回の塾生を募集していますが、もし、ここをご覧の方で、受講されるという方がいらっしゃれば、どうぞ、積極的に発言してください。そして、たくさん行き詰まり、たくさん顔から火が出るような恥ずかしさを経験してください。その数だけ、見えてくることがありますから。

 塾か終わったあと、朝までお世話になった白木屋ともしばしのお別れ。お店の方、いつも朝までダラダラすんません。注文がバラバラですんません。メンバーの中に、酔っぱらったらアメリカ人もどきのしゃべりでバイトに女の子を困らせるヤツがいてすんません、でも、値段のわりに味も悪くないので、またお世話になりますm(_ _)m。



2003年02月20日(木)
行ってきます…多分。

 ここ2,3日の疲労がドッと来て、一日中頭が回らないままでした。生きているとそうではないの境目を彷徨っていたような。う〜ん、多分、棚卸しみたいなことをしていたはずなのですが…。

 さて、明日は仕事終了後に東京に向かう予定です。明日中に着けば、万々歳でしょう。ま、我が社名物の“拉致”(昼間の仕事が終わって、会社に向かっていると思ったら、違う現場にいたという事態)に遭わなければ、の話ですが。これは、神と上司に祈るしかないでしょう。

 明後日は、午前中に帰宅し、昼イチで髪の毛をきれいきれいしてもらい(ついでに頭の中もクリアーにできませんかね?)に行きます。日曜日は、ツレの結婚式です。今日、式に着ていく服を試着したのですが、着る服、着る服、入らなかったり、不格好だったりで、久々にデブであることに鬱状態になりました…。月曜日は、社員一同がイヤがる現場が待っています。

 そんなこんなで、日記の更新が保証出来ない日が続きそうです。いつもすみません…。それでは、おやすみなさい。

 



2003年02月19日(水)
どうなんだろう


 こんなん言うのは何ですが、最近スポーツノンフィクション(野球もの)を読んでいません。意図的に避けているのかもしれません。また読んだとしても、あまり感動しなくなりました。これも意図的に避けているのかもしれません。すぐ文句言ってしまう。「いいんじゃない?でもね」、みたいな。ヤな女。でも、一度感動すると、くどいほどする。

 文章を書いている人って、多かれ少なかれ、人には書けない何かが自分に書けると思っているんじゃないかな?だって、人の文章でおなか一杯になってたら、自分で書こうとか思わないような気がする。

 プロの人はどうなんだろう。
 そういや、以前、小関順二さん@泥酔中は「ボクは自分の(文章)しか読まないから」と言ってたような。同じ野球小僧さんに日記をリンクしているシマジョーさんは、「勉強になるから」と有名無名に拘わらずいろんな文章を読んでいるとのこと。愚問だった。スタイルなんて人それぞれ。

 たとえば、夏の甲子園とかあるじゃないですか。
 いい試合があると、感動するじゃないですか。でも、現役の球児、あるいは引退したての=甲子園の夢叶わなかった球児たちがどういう思いで見てるのかな、あるいは見てないのかなって考えてしまいます。特に、優勝候補と言われるチームにいたり、抜群のセンスがあってプロから注目されていたり、甲子園を当然のものとして意識できるほどの力がある選手…。やっぱり、人の野球じゃおなか一杯にはならないような気がする。あそこには自分がいたはずなのに。自分だったら、もっといいプレーが出来てたかもしれない…。そんな思いがあっても不思議じゃない気がする。ま、これも人それぞれなんでしょうけど。



2003年02月18日(火)
つれづれ静電気日記


 日々是棚卸し。明るくさわやかに拘束時間17時間が続いています。こんばんわ、あるこです。

 夏場に“コンビニには虫が多い”と日記に書きましたが、冬、悩まされるのは静電気です。チェックシールを貼るたびに、ビリッ。あうっ。って感じです。私はどうやら静電気と相性がいいらしく、車とか至るところでビリビリきてます。

 どうやら、店の商品がおいてある棚っていうヤツはすごい帯電しているらしいです。ひどい時は商品を触っただけで、ビリっときます。私の指先から何ボルト?時間が経つと、ちゃんと感電した音まで耳に入ってきます。


《緊急命令》

店の棚は至急ゴム製にせよ。
プラステックのようなゴムの開発を急ぐ。
(あと、全ての棚に前に引き出せる取っ手みたいなんつけといて〜)

 もうカウントするのがこわあてこわあて。いつもコンビニとかで数えてる静電気防止リング、生まれて初めてその必要性を思い知りました。みなさんもスーパー等で買い物をされるときは、気をつけてくださいね。
 
 そういや、学生時代旅行で行った北京は中国4千年が誇る静電気の都市。北京ダックと双璧の名(迷?)物に指定してもいいくらい。何持ってもビリビリきて、ホテルの部屋を出るたびに、友人と「ドアあけてよ」「自分がしてよ」の繰り返し。

 そういや、何年後かの北京でオリンピックがあるんだな。静電気に対する対策とか立ててるんかな?野球はどうなんだろう?…あ、夏だから関係ないのか。こんなところで、野球は冬のスポーツではないんだと実感。



2003年02月17日(月)
安芸のオバちゃん


 安芸キャンプには、多くの阪神ファンがつめかける。その大半の人が、交通手段として車を使っている。駐車場に行くまでに渋滞が出来る。2年前安芸キャンプに行ったとき、、車の窓越しに地元民らしきおばちゃんに声を掛けられたことがある。

 「どっから来てはるの」(高知弁か何かのはずなんだけど、うまく思い出せない)と訊かれたので、相方は得意満面に「西宮ですわ」というと、オバちゃんは「まあ、遠くかか来はったのね。熱心やね」と絵に描いたような褒め言葉を口にした。相方がまんざらでもない顔をし、私は地元の人とコミュニケーションがとれたことが新鮮で嬉しかった。

 でも、よく見てみるとそのオバちゃん、その前の車にも、またその前の車にも同じことを訊いて回ってる。やられたぁーって感じ。相方の得意満面も、私の自己満足も、すべてお見通しかもしれない。オバちゃんを驚かせるとこちらが思っていたが、実はオバちゃんは、そんな私たちの“自分は熱心な虎キチなんだ”と思いたい人の欲求を満たしてくれていたのだ。

 あのオバちゃん、今年も出没してるのかな?



2003年02月16日(日)
28歳


 パラレルワールドでの私は、今頃高知市内で一杯やっていることでしょう。こんばんわ、あるこです。

 「ZONE」、見てました。
 マスターリーグに登板する尾崎投手が特集されていました。尾崎さんは、28歳という若さでプロ野球を引退しました。速球派であったが故の故障だったとTVで言っていました。第二の人生は奥さんが切り盛りするお店のお手伝いから始まりました。尾崎さんは今58歳。引退して30年後、ようやく野球に戻ることが出来たと言います。

 私、今年の8月で28歳になります。
 尾崎さんはこの年で一つの人生を終えました。その間に苦しみ、喜び、哀しみ…多くの経験を積み、いろんな感情と共にすごしてこられたことでしょう。私はまだ第一の人生ですら始めていません。大人になったら、スタートラインは自分で引かねばなりません。



2003年02月15日(土)
本日は閉店、あるこ本舗


 今日は、2003年ベスト3に燦然と輝くであろうほど最悪な日でした。だから、日記はお休みです。すみません。「わ、更新されてる」と思ってアクセスしてくださった方、こんな感じで、申し訳ありません。今日は1日あやまりすぎて、日本語忘れそうです…。

 ☆あるこ杯2003年2月15日賞受賞者☆

○姉→テツandトモのCDを買ってくれた
○ともきち→私が電話で闘っている1時間、居酒屋で1人ぼっち待ちぼうけに耐えてくれた。
 
 ああ、ありがとふ。涙が目にしみるよ…





2003年02月14日(金)
ばれんたいん〜消し去りたい記憶〜


 バレンタインですね。
 甘いモノが嫌いなモテる男性と、単にモテない男性と、今日が課題提出締め切り日の私にとっては、13日の金曜日級にイヤな日です。

 さて、そんな私ですが、若い頃は浅はかな行為に出ました。それは、お気に入りの高校球児の住所を調べ上げ、(最悪、学校に)チョコレートプラスプレゼントを送りつけたんですね。はた迷惑もほどほどにしなはれ。若いからといって許されることとそうでないことがあります。学校に送ったヤツは本人に渡っていないことを、不幸にして家に届いてしまったモノは本人の記憶から私の名前が抹消されていることを切に祈るだけです。

 そうそう。高校生の恋と言えば、昔塾の教え子から相談を受けたことがあります。「つきあっている人がいるんだけど、別れようと思って。で、最後に“今までありがとう”の意味を込めて何かプレゼントを贈りたいと思ってるんやけど、何がいい?」

 年甲斐もなく、“この女、しばきたい!”と思い、腰の後でぐっと拳を握りしめてしまいました。私は、「何もしないことが一番のプレゼント」と言いましたが、わかってなかったっぽいです。そんなレベルの女子高生に男がいて、何故私にはいないのか(当時はフリー)と世の中の理不尽を恨んだっけ?



2003年02月13日(木)
ご縁がなかったのね。


 昔、プロ野球のファンサークルみたいなのに入ってた。とにかく交友関係を広げ、いろんなことを訊きたい知りたいと好奇心一杯だった頃のことだ。私はそこで文通友達を見つけたり、情報を得たり、いろんなファンの存在を知った。このサークルでずっと活動していくんだと思ってた。

 ところが、入会半年くらいで一抹の不信感抱いてしまうことになる。主催者さんは、新会員をたくさん増やしたいと現会員の人から特定球団や選手のファンクラブの名簿などを送って欲しいと言い始め、会員はそれに応じ始めた。

 会員を増やすことはおおいに賛成だったんだけど…。
 私は大学卒業後、教育関係の会社で一瞬だけ(?)営業をしていた。事務のお姉さんから担当地区に住んでる人の住所、家族構成が書かれたカードを貰って、インターフォンを鳴らすのだけど。これって完全にプライバシーの…。

 なんか、会員の増やし方がこれと似ているようですごくイヤだった。これは趣味のサークルでないの?ダイレクトメールが送られてきたとき、その人は絶対このサークルに不信感抱くよ。私がお世話になってるサークルがそんな風に思われるのはいややわ。

 今思ったら出過ぎた行動だったかもしれない。主催者の方に手紙を書いた。「会員が増えるのは嬉しいのですが、いきなりダイレクトメールを送られた人にはいい印象持ってもらえないのではないでしょうか?新会員も大事ですが、現会員がもっと満足するような活動も大事にして欲しい」と。

 するとすぐ返事がきた。
 大人の方だから、たとえ、私の言うことなんぞ訊かなくても、「ご意見ありがとうございました。」的な社交辞令でもよこしてきたのだと思ったら、「何が気にいらないのか。ボクの考えがわかってもらえなくて心外だ」的な内容が切々と綴られていた。

 腹立つっていうより、「人間としてちっちゃいなあ」とちょっと軽蔑に近い感情を抱いてしまった。後になって、いくら会員とはいえ主催者の方針に干渉するのはどうかなと思い直したのですが、その当時はその当時なりに懸命だった。ま、ホンネはサークルのイメージというより、そのサークルに入ってる自分のイメージが気になってしようがなかったのだけど(苦笑)。

 それからまもなく、そのサークルを退会した。
 のちに訊いた話。
 「私が○○選手のファンだと言ったら、その選手の写真、ごっつい高値で売りつけてきたんだよ。ひどい話よね」

 そっか、あそこはサークルじゃなかったんだ。
 みなさん、くれぐれもお気をつけくださいませ。



2003年02月12日(水)
ミッフィーちゃん


 ミッフィーちゃん大好き♪
 今日仕事で行った現場は雑貨屋。そこにミッフィーがあったのさ。「ワシにさせろ」と熱い目線を上司に送ったが、かなわず、トーマス三昧になってしまった。年末に見た笑い飯のネタが頭によぎったかなんかった。もっとカウントがうまくなって、今度こそミッフィーちゃんのエリアをやらせてもらおう。

 出会いは7年ほど前、何気に目にしたティッシュの箱に書かれていた風船を手にしたミッフィーに取り憑かれた。以来、我が家にはミッフィーグッズが増え続けている。ぬいぐるみは大小合わせて10個以上あるし、今では友人が誕生日プレゼントでミッフィーグッズをくれるようになった(ありがたや)。

 以前は、教育TVで午後4時10分から5分間、『ブルーナの絵本』というアニメがあった。当時は、地元のパン屋で昼の12時から夕方4時までバイトをしていたので、4時になった瞬間、マッハ級で着替え、放送開始直前に家にすべりこんでいた。毎日熱心に見ていたが、ミッフィーちゃんが出てくるのは週1回。息きらして死にそうになって帰ってきたときに、スナッフィーや消防士が出てくると、彼らには悪いけど、拍子抜けしてしまった。

 なんやろね、あの無表情なうさぎの何にどう惹かれるんだろう。でも、不思議なんやけど、見ている本人の心を映すというか。その人が悲しいと悲しい表情に見えるし、嬉しいとうれしい表情に見える。簡単に書かれているように見えるけど、作者のブルーナさんは1つの絵を仕上げるのに1日かけるのだという。

 で、ミッフィーには2種類あるの、ご存じですか?耳のとがっていて、顔がおむすびみたいになってるのと、耳がまんまるくて、顔も丸いのと。私の好みは後者で、私が認定している(何様)ミッフィーも後者のみです。ま、好みの問題ですが。

 でも、もっとこだわりがあるのが、我が相方です。あれは普通じゃないです。梅田のキティーランドミッフィーコーナーに2時間もいる26歳男(独身)を私は他に知りません(さすがの私も30分以上はしんどい)。店の中にはカップルも少なくないですが、その中で彼氏につき合わされているのは私だけのはず。間違いない。

 そのこだわりとは。
 先日京都駅ビルにブルーナ展を見に行った帰り、ミッフィーのオリジナルぬいぐるみがワゴン売りされていたのですが、そこの前で延々30分。1つ1つを品定めしてました。目と目の距離を測っていたり、汚れを気にしたり、耳の傾き具合を気にしたり…。その横を他の客はすっと手を出し、さっさとレジへ向かいます。どれも同じ種類のぬいぐるみ。一体、何が違うというのでしょう。どうこだわっているのでしょう。でも、言われてみると、微妙に違うんです。この人、グローブやバットを作らせたらさぞいい職人になったことでしょう。惜しいことをしました…。

 そうそう、魔女ミッフィーちゃんはグッズ化すべきです。

 それでは、また。




2003年02月11日(火)
野球少年よぉ〜


 どれくらいの知名度があるかわからないが、例年、京都市内の小学生を対象にした“大文字駅伝”という大会が行われる。歴史は17回とそこそこある。各区の予選を勝ち抜いた50校プラス混成チームの計51チームが京都の風情のある町並みを走る。

 今夜、その録画中継があり、何故か家族4人ではまった。こんな現象、74回大会の帝京ー尽誠学園戦以来だ。ブラウン管の中の子供たちは、フォームもペースもめちゃくちゃ。でも、懸命に走っていた。私はこの子らの倍以上生きて一体何やってるんだろうなどとちょっと思った。

 それはともかく、放送中、アナウンサーが、注目のランナーを紹介していった。ランナーの大半がマラソン以外の何らかのスポーツをしているようだ。○○くんは、サッカーなんとか選抜に選ばれた。××さんは、シンクロナイトスイミング大会で全国4位の実績。他にラグビーやアメフト、(女子)ソフトボールをしている子なんていうのもいた。

 ところが、何故か何故か、“野球をしている”といって紹介された子はいなかった。それだけ運動神経にいい子が野球をすることがなくなったのか、いたとしてもアナウンサーが紹介するほどの実績はないのか、それとも野球ばかりに没頭さねばならない環境があり、小学校の取り組みに参加できないのか。どれにしろ、野球の未来がちょっと心配…。



2003年02月10日(月)
長い一日〜その日1日は30時間だった〜執筆編 (食)


 <お断り>

 タイトルの(食)印は、「食事中に人は読めない方がいいよ」という記号です。今後も頻出の可能性があるので、よろしくご了承ください。(あと、(18)とか)


 今日(2/9)は3つの戦いを強いられました。1つは、試合後のインタビューの聞き取り、もう一つは翌日0時までという記事の提出締め切り、最後は“にもかかわらず夜10時に襲ってきた強烈な腹痛”。ああ、神様!

 教訓:取材および執筆日に、思いきり湿気た頭痛薬を飲めない。

 トイレで格闘体制に。でも原稿の締め切りのことがあったのは、最初の15分だけ。そのうち、脂汗の選手入場。のろのろと額を行進。痛い、痛い、出るんやったら、はよ出たらええやん。こんなとき、スポーツは助けてくれないんだね。支えにもなんないよ。私の悩みなんてたあいのないもんだわ。嗚呼、壮大な自然よりも偉大な腹痛よ。

 1時間後、ようやく症状が落ち着き、居間のこたつへ移動。おかんに、「あんた、顔白いよ」と言われ、再び症状悪化。こたつでうんうん唸る。そんな最中でも念のために、「今、何時?」と訊く私。ああ、健気。でも、原稿が白紙に近い(夜10時まで放置しとくなよ)状態からあと9分で書けるはずもなく。あきらめる。チン。

 ようやく復活したのは、日付も変わった2/10午前1時半。でも、私のなかでは2/9はまだ終わらない。早速PCと向かい合うも、解読不可能な自分の字に挫折。すみちゃんんとこの掲示板で現実逃避。ああ、バカバカ。バカと書いてあること読む。

 教訓:インタビューメモはすぐに清書しよう。(あと、メモは見開き。右半分を残しておいた方が、清書ははかどるアルね)

 ま、苦戦しながらインタビューを起こしていたのですが、思いました。たとえ全部聞き取れたとしても、自分が本当にわかっている(あるいは吟味、消化)していることしか、書けないんですね。それがちょっと歯がゆかったです。でも、インタビューを聞き取るのは楽しかったです。

 ま、スターティングメンバーとかは紙の丸写しだったのでラクだったのですが、問題は観戦記。終わってました。書けない、わからない、あり得ない。でも、書かなきゃいけない。この日、生まれた初めて編集者の必要性と偉大さを痛感。あとは事務所のOさんとかOさんとかがなんとかしてくれるべ。編集者の手は魔法のステッキ。ちちんぷいぷいのぷいっ、「記事になぁ〜れ」。

 
 てな感じで、取材から真の意味で解放されたのは、朝6時前でした。いやはや、予想を上回る大苦戦。これがプロなら、もう二度と仕事来ませんね。ふっ。とはいえ、取材行けて良かったです。

 日記の頭に、第2回ライター塾のお知らせを載せていて、「いいなあ、野球の取材」などと書いていますが、私はラグビーで良かったです。いや、ラグビーが良かったですね。マジで。ゼロの状態で見れたから。野球だと下手に自分にこだわって、生半可を極めた知識とかが取材の邪魔になっていたかもしれませんから。基本は自己ちゅーな文章を書くのが好きですが、機会があればこういう取材にも行って勉強したいなと思いました。
 



2003年02月09日(日)
長い一日〜その日1日は30時間だった〜実地取材編


 ラグビーの取材(=インタビューを聞き取る&試合結果が書かれた紙を持って帰ってくる)をしに、近鉄花園ラグビー場まで行って参りました。ライター塾のカリキュラムの一貫です。他の人は事務所のアシスタントの人と同行だったのですが、私は1人でした。ドシロウトのために、事務所は動きません。花園で手配してもらったことだけでもありがたく思わないといけません。

 “放置プレイや、放置プレイや”などと思いながら、関係者出入り口で受付をすませ、首から「報道」プレスをぶらさげ(のっけからヒモがほどけ、縁起でもない素敵な予感(^^;))、あたりをあっちへふらふらこっちへふらふら〜。端からみたらさぞ浮いてたことでしょう。ハハハハハ。(けど、地力でインタビュールームと試合のメンバー表などが入っているトレイを見つけた時、自分を“よしよし”してあげたくなりました)

 でもね、1人で良かったと思いました。いや、負け惜しみとかでもなんでもなく。だって、同行者いたら、スタンドの最前列で芝生の匂いをくんくんとか出来ないじゃないですか。そう。匂いをかぐことができたんですよ。選手たちが戦いを挑むその場所の。前日は雨が降っていたので、湿ったような感じでちょっと鼻につきました。それが新鮮でした。野球で芝の匂いをかげることって、まずないですから。私の場合。

 というわけで、今回は“匂い”をキーワードにしようと思いました。受付けをすませ、フィールド(っていうの??)の入り口付近まで進んだとき、ツンと消毒液に匂いがしました。試合終了後、同じ場所にいくと、その消毒液の匂いは控え目で、選手から漂う土と芝生の匂いがしました。不思議と汗の匂いとかは感じなかったですね。

 当日は、ゴールポール(??)の真後ろで見ていました。見にくいのは分かっていたのですが、インタビュールームとの距離を考えると、あまり遠くにいると、インタビュー開始に間に合わない可能性とかありそうだったので。私以外の報道の人は多分、記者席にいたはずです。記者席は、受付の側にあったエレベーターで5階まで行ったところにありました。席はガラガラだったのですが、横に○○新聞とか○○スポーツとか書いてあったので、座ってはいけないんだなと悟りました。ナイター中継で映る空席のネット裏年間指定席みた〜い。それでもしばらく居座って記者席からの景色を眺めていました。

 感想。
 「TVゲームの画面やん」。
 終わり。

 さて、インタビューです。
 インタビューは、大学のゼミで使うような小さな部屋で行われました。椅子が7,8脚用意されてましたが、実際に腰かけていたのは、2,3人でした。集まったのは10数人。インタビューは負けたチームから行われました。選手や監督は、思ったより明確に答えていました。でも、やっぱり語尾が聞き取りにくいですね。それなのに、それなのに、そんなときに限って…。
 
 マスコミのみなさんへ。
 インタビュー中に豪快にメモのページをめくったり、遅れてきたのに思いっきり音を立ててドアを閉めたりするのはやめてください。

 そんなわけで、聞きそびれた(すんません>塾の主催者さん)言葉があって、ちらっっと隣の人のメモを見たら、思いっきり牽制されました。こわいよぅ。

 当日は2試合みましたが、1試合前のインタビューが終わったら、もうすでに次の試合が始まっていて、肝心なところを見逃しました。近い将来、スポーツマスコミの重要性が世に認められ、こういう大会には2人で行って、1人1試合制で書けるようになればいいなと思いました。

 こぼれ話。
 関東学院大学の北川キャプテンは、なかなかの男前でした♪

(執筆編に続く)



2003年02月07日(金)
スポーツは科学?!(-_-)


 2/5付日記に引き続き。『コーチ論』から。

 この本は、野球を中心としたスポーツトレーニングの常識の嘘を暴き、最新のトレーニング理論を紹介している作品。それ故に、根性論的なことが極力否定されているが、文中に、『スポーツは科学』というタイトルがある。

 決して、この本を、作者を、考え方を否定批判するわけじゃないけど(独断と偏見って最初に書かれたら何も言えない…)、なんか、この言葉がどうしてもどうしてもひっかかってしばらくページを進めることができなかった。う〜ん、スポーツのトレーニングは科学なんだろうけど、スポーツは科学じゃないよ。私なんかに何がわかるって言われればそれまでなんだけど、どんな人にも自分とは関係ないところで何か譲れないことってあると思う。

 だって。
 インターネットで世界中の人と交流が出来ることに対する感動と、ひいきチームが9回逆転サヨナラ満塁ホームランを打ったときの感動って違いませんか?



2003年02月06日(木)
夜中、酔っぱらいの相方に叱られました


 我が相方は、説教上戸である。ともきちと3人で飲みに行くと、気付いたら説教タイム、ワンマンショー。ま、ともきちがそれをおもしろがってくれる器のでかい人間だからよかったものの、ちょっとハラハラします。

 そんな相方から、夜中(ついさっき)電話がかかってきました。もちろん酔ってます。実は私、昨日あたりから風邪気味で、今日も帰宅するなり、ご飯食って、薬飲んで寝込んでいました。でも、酔っぱらいの辞書に“相手の事情を考慮する”なんていう言葉はありません。相方はおかまいなく話し始めました。

 話題は、私が通っているライター塾のことになりました。で、「今度は、日程が変更して行けそうにないわ」と言ったのです。「あ、そう」と流してくれるのかと思ったら、急に怒り出しました。

 「そんなん何とかせいっ!仕事がナンボやねん。自分の代わりなんていくらでもおる。自分はいつもそうやん。最後の最後で投げ出して。これまでしてきたことがみんなパーやん。今は東京(ライター塾)が大事やねん」

 予想だにしなかったリアクションに面食らいました。確かにその通りなんですね。でも、会社の繁忙期にシフト変更(それも×が増える)を何回も出すことの心地悪さ、こんなに×したら仕事がもらえないという不安、給料明細の数字が5桁しかないときの愕然とした気持ち、月終わりになると親に「お金貸して」というみじめさ…。ここに来て怖じけづいたんです。やっぱし、負けそうになりますよ。目先の金より、将来の可能性。理屈としてはわかりますが、でも、目先の金を切実に思うときもあったりします。

 「会社員なんて所詮コマやねん。ましてや、自分は登録社員やろ?ええように使われているだけやん。じゃあ、こっちもええように使ったれよ。融通が利くのがメリットって自分言ってたやん。それいかさへんのやったら、もっとワリのいい仕事があるやろに…」
 
 はい。ごもっともです。ごもっともです。何も言うことありません…。
 ここでようやく冷静になれました。今まで、仕事よりもやりたいこと優先で生きてきました。そんな私を見ている相方にとっては、今の私の考えは理解しかねて当然かもしれません。相方自身は、毎日家と会社の往復という生活が続いています。そして、そこから抜け出せない事情や現実が彼にはあります。今、私の目指している目標は、もう自分1人のモノではないのかもしれない。ふとそう思いました。

 どうなるかわからないけど、明日、勇気を出して21日のシフトに「×」をつけに行こう…。



2003年02月05日(水)
日陰の部分をどうするか


 『コーチ論』(織田淳太郎著・光文社新書)という本を読んでいる。そこから一部抜粋。

 『(京都大学)アメフト部でもう一つ驚いたのが、一年生が最も大切にされるということでした。一年生はまずアメフトを好きになることから始めなければならないという方針です。アメフトのおもしろさをトレーニングの中で徹底的に教えられ、雑用は一切与えられない(以下略)』


 雑用を下級生にさせないという考えにはさして驚かなかったが、その理由が「その競技を好きになるため」というのは、ちょっと心に響いた。


 そういや、私の姉が大学時代弓道部に入っていた。経験はなかったが、「なんかかっこいいかなと思って」というたわいもないきっかけだったが、姉は熱心に取り組んでいた。ところが、姉を待ちかまえていたのは雑用雑用の日々。チーム自体強いことはなかったが、下級生=雑用係という図式はあったようだ。毎週末、重い道具を持って、朝早く出かけ、夜遅く帰ってきた。大学1年生、多くの学生が受験から解放され、遊びやバイトに明け暮れている。それでも姉は文句一つ言わずがんばっていた。上級生になったら部員数の関係で自動的に試合に出れるんだみたいなことを言っていた。

 ところが。学校の方針が変わる。弓道部を強化することになったのだ。秋頃だったと思う。高校で弓道も有力選手を推薦で取ることが決まった。姉は、「試合には出れなくなるなあ」とちょっと残念そうだったが、クラブを辞めるとは言わなかった。

 2回生になったある日、姉はクラブに行かなくなった。急にアホらしくなったのだという。一年のときは、雑用に明け暮れ、いざ上級生になっても、試合には出れない。力がないから仕方ないのだろうけど、でも、もし、一年時に雑用ばかりではなく、弓道に親しむ機会がもっとあれば、うまい下級生が入ってきても、試合に出れなくても、「アホらしくなる」ことはなかったのではないかと思う。

 我が家と弓道は無縁だ。そんな中ささいな理由だけど、姉が弓道に興味を持った。弓道にとっては、弓道人口を増やすチャンスだった。これは野球にだって、起こっている。その競技以外の事で、その競技から離れてしまう人がいる。そして、その競技自体を嫌いになってしまうこともある。私がもしその競技(弓道なら弓道、野球なら野球)だったら、「違うんやって、誤解やから、ねえ、ねえちょっとだけでも話聞いてよ〜」と泣きそうになってるかもしれない。悲しがな、スポーツは言葉を持たない。



2003年02月04日(火)
男の子に生まれ変わっても、やっぱり野球選手にはなれそうにない

 男に生まれたら野球をやりたい。

 野球ファンの女性の大半が一度は抱く夢。実際、私も野球選手に憧れていた時期はありました。でも、ずっと野球を見てきて、すこしづつすこ〜しづつだけどわかることもあって、すると、やっぱり私が私である以上、男であろうと、野球選手とか野球部の所属するとかはあり得ないだろうなと思うようになってきました。

それを顕著に感じるのは、仕事をしているときです。何も今の仕事だけではなく、過去に経験してきたすべての仕事で言えることなんですが…。人によって言うことが違うんですよ。全然違えばいいのですが、中途半端に違う。

 新人が覚えるの仕事は、基本的に一番最初に教えてもらった人の言った方法によるものです。ところが、時が経つにつれ、他の人と関わるようになります。すると、教えられた通りやっていたら、注意される。「こうした方がいいんちゃう?」とかいうのはいいとして、「なんでそんなやり方するの!」みたいな言い方する人とかいるんですよ。

 もう、何がどうなってんの。って思いながら、そのときは渋々とその人のやり方に従う。能率とかどんでもいい、その人の言う通りしないといけない。そんな強迫概念があります。だから、○○さんのときはこういう仕方、××さんの場合はこういうやり方、という風に人によって変えてしまう有様。きっと私は大物にはなれないでしょう。ある人が言います。「自分は何でも先走りすぎやから、こっちが指示するまで待ってて」。またある人が言います。「こっちが何か言ってからやるのは仕事やない。自分に何が出来るか考えろ」。そんな2人と一緒に仕事をする日なんて、分裂しそうです。

 そうそう、上下関係もイヤですね。対先輩はともかく、対後輩も。上の人が違うことを言うものだから、下の子にどれを教えていいかわからない。また、どこらへんから教えるべきかも迷う。算数で言えば、九九からなのか、連立方程式からなのかとか…。

 昔、ラーメン屋でのバイトでこんな経験があります。
 新しい子が入ってきたので、私が教育係に任命されました(おいおい、店長、見る目ないよ)。

 食器を洗浄機に入れるためときのセットの仕方を教えていました。高校のグランドにはバットを入れるために瓶ビールを入れるケースが使われていますが、アレの底だけ切ったようなトレーにコップや皿を入れるんです。基本的にはバットが一個入る箇所に1つの食器なのですが、効率を図るために、小皿だけは2つ入れていました。新人にのその通り教えると、側にヌシ的なおばさんがやってきて。「だめだめぇ、こんなの」と言って、小皿の配置を変えてしまったのです。そして、新人の子に一言。「お皿はね、こうして1個づつ洗わなあかんのや」。

 う〜ん、私、さらし者?!
 だって、教育係は私やし、小皿のやり方かて、そのおばさんから教わったのに〜。これじゃあ、新人の子が戸惑うし、私の言うことに不信感持つやん。どないしてくれんの〜?

 でも、でも、おばさんかて人間や。心境や考えが変わることもありうるわけで。だから、おばんさんをののしるわけにもいかず…。ああ、ストレス、ストレス。

 だから、野球なんてダメな気がします。教え方って、絶対違うと思うんですよ、指導者によって。やっぱり、その都度その都度言われた通りして、潰されてしまうのが関の山。イチローや野茂に代表されるような一流選手は、指導者がどうであれ、自分の理論を貫いた成功者ですが、私にはちょっと無理そうです。あと、トレーニングとかがしんどいと、「ほんまに効果あるんかいな」とかすぐ疑心暗鬼になるんですよ。ま、だからダイエットにも失敗し続けているのですが。



2003年02月03日(月)
みどりの窓口で吠えてたオバハンのこと

 アホか思いましてね、このオバハン。
 
 ちょっと前の話なんですが、ライター塾に行くための新幹線とバスの切符を手配するために、地元の駅の緑の窓口で並んでたんですよ。地元の駅はそないに大きくないので、受付窓口が1つしかなくて、帰宅ラッシュどきはわりと列が出来てて大変なんです。ところが、その日はわりと空いていて、前に一人しかいなかった。これはラッキー♪と思って、並びました。前にいるのは、4,5歳くらいの子供を手に引いたお母さんですわ。いや、あの風貌はオバハンやね。世のお母さん方に失礼やから、訂正しとくけど。

 ところが、並べど並べど我が順番は回って来ず。一体何をモタモタしているんやろと思うて、オバハンの声を耳立てて聞いてみたんですわ。するとなんか起こってたんです。相手している色白の若い眼鏡の兄ちゃんは、一生懸命オバハンが何を言いたいのか把握しようとがんばっています。

 どうやら、オバハンは大阪までに往復券が券売機で売っていたことが、気にくわないようです。兄ちゃんが、「京都までの往復を買っていただいて、あとは乗り越し精算していただいて…」と懸命に説明してました。でも、オバハン、それが余計に気に食わなかったらしい。

 「そんなん、京都までに往復券なんて何の意味もないわ!大阪まではなかったら私が困るのっ、損するのっ」

 野暮ったい割烹着と白髪の覗く頭、横にはネギが頭を覗かせている買い物袋。そのオバハン、横顔をみたけど、どうみても大阪にいるようなドギツイオバハンとは風情が違う。この人、家でヤなことあったんやろな。それで、穏やかそうな兄ちゃんに八つ当たりしているんや。何してんねん、JR。強面のおっさん出してこいや!後ろに客おんねん、そんな訳わからんの、さっさと処理しておくれやす。

 ちょっと急いでるんですが。
 後ろからそう言おうと思ったまさにそのとき、「大阪までの往復、ちゃんと作っておいてくださいねっ。ったく」と舌打ちして、長いワンマンショーが幕を閉じた。んなこと、一駅員の兄ちゃんに言ってもしゃあないがな、その足でJR本社とかにいきなはれ。行けるもんなら。

 兄ちゃんは最後までムッとした表情一つ見せず、オバハンに一礼した。さすがに「ありがとうございました」は言わなかったけど。そして、「大変お待たせして申し訳ないです」と笑顔で、私の差し出して指定席購入券を手に取った。えらいなあ、兄ちゃんは。でも、腹たたへんのかいな。

 最後にこの場を借りてオバハンに言っおく。うちが言うのは何やけど、あんた世間知らずやわ。山科ー大阪間の往復券なんてあったら、損に決まってんねん。山科大阪間は、片道820円や。ところが、山科ー京都間、京都ー大阪間という形で買うと、片道720円や。あとな、昼間に使える券とかあるねんか、チケット屋や金券ショップっていう店もあるねんけど、知ってるかな?下手したら、山科ー大阪間500円ちょいで行けるんやで。せやから、不便ではあっても、損ではないわけ。Do you understand?

        ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 この話をわざわざ野球日記で書いた。その意味は、読者のみなさまなら分かってくださるはずです。
 



2003年02月02日(日)
甲子園球場が禁煙になります。


 なんていうのは、みなさんとっくにご存じなわけで。
 私の周りには喫煙しない人、あるいは嫌煙家が多いので、この流れが大いに受け入れられています。私も別に悪いことではないと思います。

 今日、相方と会っていてその話になったんですよ。相方は喫煙者です(昔は吸わなかったのに〜(泣))。で、虎キチの喫煙者代表としてインタビューを試みました。

 「あれは、自分的にどうなん?外野席でたばこ吸えへんのやで。吸うときはイチイチ下の降りなあかんのやで。めんどくさいなあ?」

 すると。「別にええんとちゃう」という素っ気ない答え。
 なんや、喫煙者の熱き主張とか期待してたのに、つまんないの。でも、そのあとすぐ。「でも、言う通りするヤツおるんかな」。フフフッ、やっぱり抵抗しているやん。

 ところが、相方くんよ。
 君も言ってたけど、応援団が実行すれば、みんなすんなり言うこと聞くんだよ。阪神ファンのイメージって、話しても無駄、ルール無視みたいなとこあるけど、真弓ダンスも、ウエーブも、紙吹雪もいともあっさり消え去ったしね。そういえば、昔、メガフォンをスタンドから投げてた先輩が、応援団の囲まれたことがあったっけ?確かに良くないことを注意するのはいいけど、そこまでするのはちょっとって思った。でも、来季からはたばこ吸ってる人を囲んだりするのかな?某応援団。気ぃつけてや。

 でも、年々禁止事項が増えていくと思いません?ファンってそんなにモラルないんでしょうか?…ないんでしょうねえ。とほほ。そのうち、甲子園球場飲酒禁止とかになるかもしれない。いややなあ、そうしたら阪神戦への足も遠のくわあ。





2003年02月01日(土)
筋肉のこと


 元横綱・貴乃花関がその若さで引退せざる終えなかったことの一因に、故障があるという。で、その故障を防ぐには、やはりウエイトトレーニングが必要。というのが、今の世論らしい。

 ところが、それに異議を呈する流れもあるようで。相撲とはしこなどに代表されるパワーだけではない技が魅力の競技(スポーツというにはちょっと抵抗あるんです)。だから、みながみなウエイトトレーニングをし、パワーが全てという風潮になったら、本来の相撲の魅力や本当の姿が見失われるのではという懸念もあるみたい。それに、バーベルを持ち上げることと相撲での動作はあきらかに違う。相撲には相撲で使う筋肉を鍛える方法がある。バーベルを何百キロ持ち上げることが出来たって、しこが踏めなければ相撲は出来ない。

 こういう話を聞いていて、ふと昔通っていたダンス教室での練習を思い出した。ダンス教室のレッスン時間は30分。しかし、その後に15分ほど、クーリングダウンを含めた自主練習の時間があった。各々が課題に取り組むのだが、基本的な練習にジャンプがあった。膝をバネのように使い、頭のてっぺんを糸で引っ張られているように精一杯真上に飛ぶ。そのとき、つま先はピンを立っていなければならない。これを初めは50回。次は100回…と段々増えていく。野球でいう素振りみたいな感覚で思っていただければいい。

 その後、ダンスで必要な動作の練習になるのだが、私にはどうしても克服出来ない1つの課題があった。バレイやダンスが終わるとき、踊り子が姿勢を低くして、片足を後ろに伸ばし、スカートの裾を持って、腰から上でぺこりと礼をするアレとよく似た動作。その後ろに引く足を左右交互に変え続けるというもの。これは、後ろに引いてない方の足にかなりの負担かかり、どうしてもバランスを崩してしまうのだ。やってもやっても進歩がなかったので、段々、「そや、これは足を鍛えなできひんのや。それやったら、ジャンプでええやん」と先生の目を盗んで、勝手にジャンプ練習に切り替えていた。

 ところが、ある日、それがバレた。
 「何しているの、ジャンプはもう終わったじゃない」(この教室、みんな地元民やのに、何故か標準語やった…)。案の定、注意の声。でも、私も負けずに言い返した。
 「だって、アレなんぼやっても出来ないから…」
 「出来ないからやるんでしょう。あの動作をマスターするにはあの動作で体を鍛えるしかないの。実際、踊るときにジャンプなんてすることないでしょ。本番で使う動作はアレなのよ。わかるでしょ」
 …何も言い返せなかった。
 実践動作から逃げていた私が、結果的にどうなったかは言うまでもない。