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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年12月31日(火)
年末のご挨拶/すみアワード“あるこのつれづれ野球日記”編


 こんばんわ。あるこです。
 2002年も今日で最後。ほんまに早いものです。

 今年は、応援している東山高校がまさかまさかの甲子園出場を果しました。京都大会での日々、多くの人におめでとうメールや書き込みを頂戴したこと、そして、甲子園での試合。今でも夢かと思うときがあります。

 では、今年が私にとっていい年だったかと言えばそうではありません。大きな不幸に襲われたわけでも、ケガしたわけでも、病気になったわけでもないのに、気持ちがどんよりしていた日が多かったです。

 自分の非力さを嘆き、またそれを嘆く自分がいて。袋小路をさまよっているような1年でした。

 嵐はいつか去るように、すっごく無責任ですが、今、来年はいい年になるようなそんなほのかな期待を抱いています。

 この野球日記も2年目を終えようとしています。ここまで続くとは思わなかったとは言いませんが、ここまでスタイルが変わるとは思いませんでした。でも、私的にはいい感じです(自画自賛かいっ!)。とはいえ、まだまだ満足しているわけではないですよ。

 野球日記の可能性は無限大です。
 読者のみなさま、メールで感想を書いてくださったみなさま、1年間ありがとうございました。2003年がみなさまにとって幸多き1年となりますよう。そして、来年も“つれづれ野球日記”におつきあいくだされば、これ幸いです。

 
       ☆ ☆ ☆

 すみちゃんに、この1年の日記のベスト5を選んでもらいました。
 
☆あるこの野球つれづれ日記2002ベスト5☆

第5位  紫の糸(11月11日)
奇跡的な出来事の話。神様ってやっぱりいるんだ、と
思わされた。

第4位  愛犬シロと高校野球の日日(4月28日)
愛犬と高校野球を結びつけ、時の流れの切なさと
儚さを感じた。でもそれでいて心が温まった。

第3位  杜の都の解放区(5月19日、20日)
仙台まで行った行動力に脱帽。
あまり知られていない高校野球の一面を覗けて
得した気分になった。

第2位  松井秀喜選手のメジャー行きを祝うシリーズ◆船曄璽爛薀鵐ード〜
      (10月19日)
これもある種奇跡的な出来事の話。
野球が、スポーツが好きな人はどこかでつながってると思った。
そして、おじいさんの今を知りたくなった。

第1位  走りたい!と思った(11月2日)
傑作。
読んでいて、胸がスーッと気持ちよくなった。
その時の情景が浮かんできて、小説を読んでいる気分になれた。

<次点>
最後の最後のまで「紫の糸」とどっちにしようか迷った日記。
3月31日付けの「ツーアウトの背中」。
あるこさん独特の視点。普通じゃなかなかわからない。

☆タイトル賞☆
車窓野球
返球速(5月18日)
感動のタイミング(5月25日)
ゲーム前の柑橘系
アンテナ主義(9月5日)

☆審査員特別賞☆
「Dear・・・」、「はじめての”ひがしやま”」(8月13,15,16日)
一連の甲子園・東山観戦記。

今まで読んだことないスタイルの観戦記。
一緒に観戦しに行った気分になれた。



2002年12月30日(月)
紫の坊さん


 Jリーグ・京都パープルサンガが、来年1月1日に行われる天皇杯サッカーの決勝戦に進出。

 今から数年前、Jリーグが始まってまもなく、京都駅前のあるアバンティー(地元民しか知らんて)の地下入り口で、「京都にJリーグチームを」を呼びかけている団体があった。署名を集めていたようだが、私は「何じゃそら」と足早に店に入った。

 だから、今更、「我が地元のパープルサンガも大きくなったなあ。さ、応援しよ。優勝してくれ〜」などという都合のいいことを言う気は更々ないが、一時はJ2落ちし、低迷をきわめていただけに、ファンの喜びもひとしおなのではないかと思う。いや、本職Jリーグで優勝する方が嬉しいのかな。

 そういや、夏の京都大会が行われる西京極球場と、パープルサンガの本拠地日京極サッカー場(??)はすぐお隣。大会中、J!のデーゲームか何かがあって、試合を終えた選手がスタンドからサッカー場をのぞき込んでいたのを見たことがある。



2002年12月29日(日)
木枯らしに抱かれて/誰ですか女/スタイルを貫く


 『木枯らしに抱かれて』

 昼イチにともきちと待ち合わせ、今年最後の東山の練習を見に、山科グランドへ。ところが、すでにグランドには人っこ一人おらず。どうやら練習は終わっていたもよう。防寒のため、靴下を2重にはいた上、お父さんのパッチ顔負けの分厚いスパッツに、ババシャツにセーターを重ね、その上、4,000円もした私が持っている中で最高値のコートを羽織ってきたというのに。もう終わりかよ。♪せ〜つ〜な〜い 片想い あなたは気付かない〜 フュルルルル〜 山科盆地に吹く冷たい風が身にしみるぅ。

 とりあえず。
 ともきちさんに倣って、グランドに礼!「ありがとうございました!」
 よいお年を!


 『誰ですか女』

 追っかけの歴史は恥の歴史でもある。スコアをつけていたころ、誰彼かまわず人に、「あの選手は誰ですか?」と訊いて回っていた時期がある。何回見ても覚えられない私だが、父兄さんは親切に答えてくれた。

 しかし、今思えばなかなか滑稽だったなと思う。きっと陰で「誰ですかの人」とか思われていたんだろうな。あんたこそ、“誰ですか”って感じやろな(笑)。

 
 『スタイルを貫く』

 テツandトモというお笑いコンビがいる。ギターを弾いて歌う人と、日常生活でよくあることをボケのして踊っている人の2人。今日、若手漫才の日本一を決めるM−1グランプリという大会があったが、そこで初めて見たコンビだった。

 個人的な見解としては、“まあまあおもろいかな”程度だが、審査員が「これを漫才というのはどうなんだろう」「君らはここに出るべきじゃないよ」(いい意味でだそうですが)という言葉を浴びせたいわゆる異色のコンビ。

 確かに、そのスタイルは漫才とはいえないかもしれない。でも、人を笑わせたいという思いは同じはず。でも、それで日本一(もしくは賞金1,000万円)を目指すには漫才というスタイルで挑むしかないという現状。

 スポーツ(主に野球)を書きたい。けど、私の書く文章はスポーツライターのスタイルではない。そんなもどかしさの中にいる私に彼らの存在にはすごく響くものがあった。

 彼らはこの先も人を笑わせるために、今のスタイルを貫いていくのだろうか。たとえ、それが“あんなの、漫才ではない”と言われても。私も私のスタイルでいいや。初めて、そう思えた気がする。



2002年12月28日(土)
周辺視ナッシング


 いきなりですが、私には周辺視というものがありません。

 昨日も、仕事で車の誘導を仰せつかったのですが、後ろばかりに気を取られ、横の放置自転車に、ガシャン、その何とも言えない音で初めて気付くという有様。ドライバー、ブチギレ。“何のために後ろ見てんの!”。

 え〜ん、そんなん言われたって、後ろに人から来る人のことしか頭になかってんもん。だって、“後ろ見て”って言ったやん。…などととても言えない私は、ただ体を縮こませるだけ。結局、他の人が車を降りて、“オラーイ、オラーイ”とやることに。

 ところが、これも今日初めてのことではなく、一月前にも誘導に失敗。“ゴン”というまで車が壁にぶつかるのに気付かなかった。だから、そもそも私に誘導させるのが間違いなわけで。もし、この先今の仕事を辞めることがあれば、十中八九これが原因…。それくらいイヤで死にそうです。来年なんてこなくていいや。

 ともかく、犠牲者が出る前に、“危険、誘導をさせないでください”というプラカードを私に持たせるべきだと思う。

 話が変わって、今日も東山の練習を見に行きました。ランナーを置いたバックホームの練習をしていました。打球の位置、ランナーの数、足の速さ、味方野手のポジション、点差やイニング…いろんなことを考え、あちこちを見て、プレーをしなければならないようです。

 「周りをちゃんと見ろや〜」。これが、この練習で一番多く飛んだ檄です。毎日こんな練習を重ねている彼らは、車の誘導くらいきちんと出来るんだろうな。ちょっと劣等感に苛まされたひとときでした。




2002年12月27日(金)
“好き”という名のフィルター


 11月から2週間に一度、“スポーツライター塾”に通っている。ひとえに“スポーツを書きたい”といえど、それぞれ書きたいスポーツは違う。今のところは、書きたいスポーツ=好きなスポーツと考えても間違いないと思う。私と同じ野球が好きな人(むしろ少数派です)、サッカーが好きな人、ラグビー、バスケット、またジャンルではなく女性選手について書きたいんだという人もいる。

 4回の講義を終えて、私の心境がちょっと変わってきた。今までは、野球が好きな人の話をたくさん聞きたいと思っていた。でも、ここに来て、野球以外のスポーツが好きな人の話に興味がある。いや、私個人が野球から気持ちが冷めてしまったわけではない。ただ、私が野球が好きなのと同じように、他の人はそれぞれのスポーツを好きなんだ。そういう単純な事実に気が付いたから。

 この間は、サッカーが好きな女性に話を聞いた。特定チームを熱心に応援し、追いかけている。そういう意味では、スタイルが私とすごく似ている。(でも、さすがにそれだけのために石垣島に行くなんて、私には無理。世の中、上には上がいる…)

 彼女との話は楽しかったが、申し訳ないけどそれで私がサッカーに詳しくなったわけではない。ただ、彼女の思いというフィルターを通したサッカーは魅力があるなあと思った。

 今度、機会があれば、ラグビーやバスケットの人にも話を聞いてみよう。



2002年12月26日(木)
ホワイトアフタークリスマスに思う


 今朝、京都では雪が降っていました。北部は大雪だったようで、うちの職場でも北部に行っているチームは早くも事故っていました。でも、今日の私の現場は市内。ドライバーは運転のうまい人で“安心安心♪”でした。

 道中、窓から外を眺めていました。小さな小さな紙切れのような雪が斜め30°くらいの角度で地上に降り立つように降っている。そんな中を、赤いグランドコートを着た野球少年が2〜3人走っていました。近くにグランドがあったので、おそらくそこで練習しているのでしょう。

 雪と野球少年、なんてマッチする組合せなんだろう!思わず感激しました。ふと雪の舞うグランドで練習を見たくなりました。その中でノックでもしていれば絵になるんでしょうけど(でも、寒いときのノックはケガ人続出しそうだし、イヤだなあ)、私が見たいのはグランドをただひたすら走っている選手たち。白いユニフォーム、グランドコートの深くて柔らかな輪郭のシワ、そろった足並み、吐き出される白い息。“ファイト”の声が寒空に響く。きっと雪と高校球児も素敵にマッチするんだろうな。

 我らが東山の練習、年内は29日まで(多分)。今年は最後まで足を運んでみよう。冬が楽しみ。新しい野球の見方ができそう。ありがとう、2002年!



2002年12月25日(水)
辞めませんか?


 追っかけ生活の中で、応援を辞めるように言われたことが今までで3回ある。OB父兄さんと知らん人から来たメールとお世話になっているグランド近所の喫茶店のマスター。2番目の人の意図はわからないが、残りの2人に悪気はなく、単純に私の将来を気にかけてくださっているんだと思う。それはそれで嬉しい。

 でも、思う。
 この人たちは、何でそんなこと言うのだろうって。
 それを言って私が素直に応えると思っているんだろうか。
 そんなんだったら、今まで追っかけは続いていないよ。
 それか、私が追っかけしていることが、自分の中で何らかのストレスになっているんだろうか。

 別に不快だとは思わない。ただ申し訳なく思う。「はい、わかりました」と言いたいけど、言えないから。そして、それが相手を傷つけてしまうし。だって、自分の言ったことを拒否されたら、多かれ少なかれ傷つくし、不快になるじゃないですか。

 今、そのマスターからメールが来ました。私は27ですが、マスターは27歳で父親になったそうです。周りに既婚者が少ないのであまり実感しませんが、私も2人くらい子供がいてもおかしくない歳。

 でも、だからこそ、ここまで追っかけを続けられる環境と縁に感謝したいという思いもあるんですよ。今私が19かそこらだったら、練習も見に行かないだろし、試合もいい加減に見てたでしょう。それに日記を書くほど、一つ一つの現象を感じ取ることももなかったように思います。ふ〜ん、そうなんだ。それだけでいろんなことを見過ごしていたに違いありません。

 だから、やっぱり今の答えは、「No」。
 移ろい過ぎる時の中で、いつかは卒業式を迎えるだろうけど。



2002年12月24日(火)
今では立派な社会人


 向かいに住んでる1つ年上の男性は、高校入学後、1ヶ月で野球を辞めた。上下関係がキツかったのか、練習が厳しかったのか明確な原因はわからない。彼の母親は、「ユニフォームとか道具とかばっちりそろえたのに。高かったんやで」と嘆いていた。その後、彼は高校を中退。水道関係の仕事をしている。28になった今でも、一度も辞めることなく、ずっと真面目に同じ会社につとめている。

 近所の八百屋さんの息子さんは、地元の名門校に野球で入学。しかし最初のGWが明けたことには退部し、不良への道(本人曰く)をまっしぐら。警察にお世話になったのは一度や二度ではなかったという。会ったときは高校を出て数年が経っていたけど、元ヤンキーだなと一目でわかる雰囲気を持っていた。でも、怖くはなかった。すでにそのころには社会に出て、職を持ち、年末や盆など仕事がないときは、家業を手伝っていた。

 野球部で3年間鍛えられた選手は、社会に出てもその経験は役に立つと言われている。でも、その逆説が成立するとは限らない。




2002年12月23日(月)
拡声器が消えた。


 「声を出せ」と言われたって、具体的に何て言っていいかわからない。“おー”とか“ぎゃー”とか“びーびー”とか言うわけにはいかず、何らかの意味のある言葉じゃないといけないはず。

 だから、練習中のグランドで、「声を出せ」の一言で、いとも簡単に言葉を発している選手らを見ると、「この子らはすごい。うちとは住む世界が違う人らや」などと思ってしまう。もっとも大半の選手が小さい事から野球をやっているので、自然と身に付いたことなんだろう。でも、私なら間違いなく、迷うし、戸惑う。

 一つのエラー。「ドンマイ、ドンマイ」と声を掛けたら、他の選手はみな「しっかりせえや」だった。たいしたことないけど、疎外されたような、自分の見当違いが恥ずかしいような…。考えすぎかな。

 今日、東山グランドに練習を見に行った。監督がこれまで手にしていた白い拡声器が消えていた。監督はベンチにいる。向こうでファーストの選手がボールをこぼす。すると、側で素振りをしていた選手に、「もっと前で捕れって」と言う。素振りをしていた選手は、それを「もっと前で捕れって!」と叫んでファーストの選手に伝えていた。監督さんにどういう意図があるかわからないが、声のかけ方、それがわかっていく。そんな指導のような気がする。



2002年12月22日(日)
祈・tohzan甲子園出場!


 年賀状に追われる時期がやってきました。ですが、職場での人間関係が希薄な私は、書く枚数が少なくて幸いです。最近はPCで挿絵もプリントできるようになり、絵が描けない私にとっては天国のようなありがたさです。

 一番最初に書くのは、やはりともきちさんです。これも長年の習慣でしょうか(12/8付日記:「上下関係」を参照してください)。高校1年から年賀状を出し始め、今まで必ず書いている一言があります。それがタイトルでもある“祈・tohzan甲子園出場!”。はがきの下に紫のペンで書いています。

 おそらく最初は真面目に、東山が甲子園に出ることを願って、神社の絵馬に書くような感覚だったんでしょう。でも、段々甲子園という言葉が重く遠くなっていく現実。普通なら恥ずかしくてよう書かないのですが、何故か書いてましたねえ。

 今思うと、それは無意識的なものだったのでしょう。“祈・tohzan甲子園出場!”という言葉の意味なんてもはや頭になく、呪文あるいは枕詞のような位置づけになっていたのです。

 今年の年賀状にももちろんそう書きました。でも、それを思い出したのは、この季節。“祈り”が通じた夏は、そんなこと忘れていました。

 でも、今年はさすがに意識してしまいそうです。書こうかな、どうしようかな。



2002年12月21日(土)
脳内アルコールフィーバー♪(食事中の方はご遠慮ください)

 久しぶりに酔っぱらいました。もはや無意識の世界で酒を飲み、側にいたすみちゃん(すみさんから昇格)にしばく・蹴るその他暴行。一方で、私のHNの由来を勝手に「アルコールの“あるこ”だよ」などと説明する輩(笑)がいるも、千鳥足の私には何の説得力もない。もういいです、それで…。どうせ、これが私の本当の姿です。

 そんなこんなで、7:10東京発のバスを乗り逃し、チケットも買い直し。全財産6,000円から5,700円をしょっぴかれ、3時間50分の待ちぼうけ。300円で何が出来るわけでもなく(東京は怖いところやで〜)、時間つぶしに駅の回りを徘徊することにした。1周25分かける3。力尽きた。

 念願のバスに乗る頃にはすでに雨。バスの揺れとともに、脳内のアルコールたちが“待ってました!”とばかりにスパークする。黒い服着たちっちゃいラッパーたち5、6人が、“hey、yo”とか言ってる。頭グデングデン。

 足柄サービスエリアでリバースを試みるも、10分の時間配分に自信がなく、あえなく断念。バスが出発すると今度は胃袋の中でクソガキが暴れてる。こら、人の胃袋を何やと思ってんねん。鼻垂れて笑ってんな、今は21世紀やで。お前ら覚えとけ、今に追い出したる。浜名湖サービスエリアまでは待てん。車内1FのWCへいざゆかんや〜、燃え立つ大地へ、さあ、八木裕がぁ〜 勝利を目指して〜

 …すんません。いい年なので、もう飲み過ぎたりしません。こんな私ですが、来年もよろしくお願いします。



2002年12月20日(金)
20分の快感


 夏から応募させてもらっているS-move「スポーツライター新人賞」の表彰式に行ってきました。ありがたいことに、監督賞という賞を頂戴しました。文章で賞をもらうのは、随分久しぶりです。拍手をしてくださった会場のみなさまや応募作の原点であるこの日記の読者のみなさま、そして、秋ごろから愚痴の多くなった私を叱咤激励してくれた友人知人に感謝の気持ちで一杯です。ネット上からではありますが、“ありがとうございます”。

 私は弱虫で、だから、人から“いいよ”と言ってもらえないと何も出来ないヤツです。(もちろん、反論や批判の中にも“いいよ”的な意味合いのある場合もあるので、一様にホイホイして欲しいというわけではありませんが)だから、今回の受賞も一つの“いいよ”の形だと受け止めてます。純粋に嬉しいです。

 受賞作は、0−3と追い込まれたピッチャーが、一か八かで“あとはボールに訊いてくれ!”とばかりに投げ込んだくそボールです。バッターが振ってくれたからストライクになった。それが正直な感想です。だから、“これは精魂込めて書いた力作です!”といった気合いの入ったものでは決してなかったです。むしろ、わからんところはそのまま白紙にして提出したテスト用紙と言った感じでしょうか。

 帰りのバスの待ち時間、東京駅周辺をぐるぐる徘徊していました。受賞の際に貰った記念のボールの重さを右手にかみしめながら。時々、立ち止まって、“2002 スポーツライター新人賞”と書かれたちょっと丸みを帯びた字をじっと見つめていました。ずっと触っていると、白球が手あかで白球ではなくなっていきます。

 時は確実に流れています。“賞をもらった”という事実との戦いが始まったのです。

 以前見たTVのドキュメンタリー番組で、ロシアの元レスリング選手がこんなことを言っていました。「試合に勝ったことの喜びに浸れるのは、せいぜい20分程度。それからは次の試合のことを考えてる」



2002年12月19日(木)
ピッチャーを見習わねば


 今日、仕事をしてると、爪が裂けていた。感覚としてはきっつい深爪って感じ。爪の白い部分とピンクの部分の境目から、血がにじみ出ていた。痛いよ〜、痛いよ〜。心の中で呪文のようにつぶやきながら、1日を終えた。

 爪は大事にせねばと思う。ここ2,3年、冬になると爪が裂けやすくなっている、随分弱ってきた。偏食ではあるが、カルシウムはきっちり摂っているはずなのに。生まれたとき、爪をキレイにつんでくれた産婦人科の看護婦さん、ごめんなさい。今や見るも無惨な爪になってしまいました。私は当たり前過ぎて、大切なことに気付かなかったんです。

 今や右手の小指、左手の中指は舗装不完全な道路のようにデコボコしています。マニキュアなんて天敵です。ネイルサロンも鬼門です。私の爪の行く末、想像だに恐ろしいです。



2002年12月18日(水)
どらごんずわ〜るど


 今日の仕事場で、気合いの入ったドラゴンズワールドと遭遇した。すでに何度か書いているが、私の仕事は棚卸し。主にコンビニに出向くのだが、機材をお店のバックヤードに置かせてもらう。今日の店は、バックヤードと事務所が一緒になっているようで、店の人の作業机や私物もおいてあった。

 ふと壁に目をやると、99年にドラゴンズが優勝した際の記念ペナントが。側にはメガフォン、もうかなり黒くなっている優勝記念のタオルハンカチ、星野さんの似顔絵に、「夢」と書かれた色紙…。とにかくあっちこっちがドラゴンズなのだ。未知の世界に遭遇したような戸惑いがあった。もしこれがタイガースグッズとかだったら、別に何も思わない。この関西にこんなに熱心はドラゴンズファンがいて、そしてそれに遭遇出来たことに、ただ驚いた。

 そういや、店の人、制服着ずにドラゴンズのジャケット着てた人いたなあ。



2002年12月17日(火)
怨憎会苦


 プロ野球における選手起用には、監督の好き嫌いによる影響が多かれ少なかれあるという。そういう話になるたびに、「そんな大人げないこと言いなや。仕事やろ。それも夢を与える仕事やっちゅーのに」とため息をつかずにはいられないのだが、好き嫌いで動いているのは、当然プロ野球だけではない。

 今日の仕事、何度仮病を使おうかと考えた。イヤでイヤでしょうがない。家を出るとき、胸が痛いし、おなかもキューっと締め付けられるような感覚があった。それは、一緒に仕事をする人に原因がある。苦手なのだ。私も一応大人なので、自分にとってイヤな人がイコール悪い人ではないことくらい分かっている。実際、その人の長所も言える。でも、だからと言って、好きにはなれない。それで、“苦手”という言葉を使った。

 ああ、長い一日だった。もうイヤだ。来年もこんな思いをするのはたくさんだ。会社に戻ったあと、来月のシフト表に、「あの店(苦手な人と一緒になる)には入れないでください」と追記して提出した。

 金輪際、私は、「選手を好き嫌いで使うな」と監督に文句が言えない…。



2002年12月16日(月)
監督の“目”


 土曜日のこと。買い物帰りにふらりと東山グランドに立ち寄ったら、練習が始まるところだった。ランニング、ウォーミングアップ、キャッチボール。テキパキ行動に大きくはっきりした声。いつもと変わらないいい光景。そう思った。

 ところが、である。

 ベンチ前にみんなが集まって、監督が話を始めた。「12月に入ってから、なんか良くない、雰囲気が。11月はもっと違ってたぞ」と言う。

 ??
 何が違うっていうの?

 いつもは選手を諭すような穏やかな口調が、今日はちょっと鋭かった。その後続く監督の話に、選手は普段通りの「ハイッ」と歯切れのいい声で応えていた。

 変化って、いつも見ている人より時々見ている人の方が気付く。けど、監督さんは誰より近くそして長く選手を見ているはず。それなのに、いつもと変わらないはずの中から、選手の微妙な変化を見抜く。恐るべし精密さ。

 そういえば、監督さんはこんなことを言ってたっけ?
 「最近、みんな自分の世界に入り込んでる。野球は個人競技じゃない」

 う〜ん、私は男に生まれ変わっても、やっぱり野球は無理だな(苦笑)。



2002年12月15日(日)
敵視すると、敵に似る。


 『サンデープロジェクト』だったかな?世界情勢を討論していたときに、ある評論家から、こんな言葉が出てきた。「敵視すると、敵に似るっていうでしょ」。

 きゃん。それって、阪神のこと?
 阪神は、アンチ巨人の第一人者的存在。けれど、冷静に見たら、やってること、結構巨人と似ている。しかも、巨人は成功しているけど、阪神は…。トホホホ。ああ、来季はどんな運命をたどるの、あの球団。それでも、ついて行くんだけど(苦笑)。



2002年12月14日(土)
今日は、山科義士まつり


 今朝、眼科へ行くために駅前を通りかかると、沿道に人が集まっており、道路の真ん中では警察が車を誘導していました。今日は、山科義士まつりの日。写真好きの父は朝早くから出かけていました。

 『山科義士まつり』は、大石内蔵助良雄が、浅野家取り潰しの後、お家再興の運動や吉良上野介討ち入りを決意する間、京都・山科の地に隠棲した史実にちなみ、大石内蔵助良雄をしのび、昭和49年から始められました。(ネットサイト『山科義士まつり』(http://web.kyoto-inet.or.jp/people/gishisai/)より)

 年末になると放送される『忠臣蔵』と言うと、おわかりになられるでしょう。ま、赤穂浪士というだけあって、ニュースで取り上げられるのはたいてい赤穂での義士まつりなんですが、地元民なので、こっちの義士まつりの方に思い入れがありますね。小学校のとき、縁あって父が赤穂浪士の格好をして行列に参加をしていたのも一因でしょうけど。

 そういえば、夏の甲子園を観戦するために、阪神電車に乗っていると、偶然当時の栃木県代表だった佐野日大高校の引率教員の方が側にいました。何かのきっかけでお話させてもらったのですが、そのときに、住まいを聞かれました。「京都の山科っていうところです」。どうせわかりっこないと適当に言ったのですが、「ああ、あの大石神社のあるところでしょ」と言われて驚きました。市内の人にすら、「え、山科?どこそれ?京都なん?」と言われるため、遠く離れた栃木の人からこんなリアクションが返ってきたのは新鮮な驚きでした。



2002年12月13日(金)
人のがんばりを伝える記事


 私は、人のがんばりを伝えるタイプではないと思う。苦労知らずだし、根気もないし、努力とかもしない。こんなんでよう30年近く生きてこれたなあと思うし、これからがなんだか怖い。

 人のがんばりを伝えられるのは、やっぱりがんばったことのある人でないといけないんじゃないかな。仕事中、ふとそんなことを思った。(そんなんだから、昨日みたいなミスするんやろな)

 人のがんばりを伝える記事。昔は素直に読めた。私もがんばらなきゃと思えた。でも、今は、同じ記事を読んでも、がんばれない自分、がんばるとは何かが未だわからないでいる自分、そんな自分を受け入れられずにいる自分に、ダメダメの×印をつけることしかできない。バカバカバカァ〜と自分にげんこつ。

 
 



2002年12月12日(木)
データヲクリアシマスカ?


 実言うと、今日のことはあまり書きたくない。だから、タイトルのように頭の中のデータをクリアしたい。

 野球には“一球の恐ろしさを知る”という言葉があるが、今日、私は“1個の恐ろしさ”を知った。1個しかない商品を2個と打ち込んでしまったのだ。私の目には確かに2つあるように見えたのだが、データ上、1個しかないはずの品物だった。

 店のオーナーはカンカンだった。たかが1個で、という考え方もある。実際、ミスは修正すれば直る。しかし、1個も数えることが出来ないのか、とも考えられる。この店のオーナーは後者だった。私に成り代わって上司が怒鳴られる。「1個も数えられない子になんか来ていらんわ。メンバー変えてもう一度やり直して!」すごい剣幕だった。身の置き所がなかった。怒るなら、私を怒って。その方がずっと楽。時間は恐ろしいほどゆっくり流れる。

 凹んだ。それは、お店に対してではなく、一緒に仕事をしていた人に対して。また、これからの自分の身の置き所について。元々、そんなに好きな仕事じゃない。適性もないし、やる気もない。今日でなくても、いつかきっとこうなっていただろう。私はミスを引きずるタイプだ。未だに5,6年前にコンビニで客に怒鳴られ、モノを投げつけられたことを思うといたたまれなくなる。気持ちを切り替えて。わかってる。でも、出来ない。だから、また落ち込む。そういや、複数の父兄さんから、「選手は自分のしたエラーは案外引きずっているものだ」という話を聞いたことがある。悪いけど、ちょっと安心した。

 ああ、やっぱり機械になりたい。
 《データヲクリアシマスカ?》
 迷わず、「Y」キーを押す。
 きれいさっぱり忘れたい。



2002年12月11日(水)
学生時代、仏教を専攻してました。


 ほんまに偶然の巡り合わせで、大学時代は仏教を専攻した。仏教と言えば、「葬式・お坊さん・お経」というイメージしかなかった私も、4年間でそうではないということだけは分かった。なんやようわからんサンスクリット語も、過剰な単位で取得した宗教科教員免許も、結局、就職には役に立たなかったが、我ながら面白い学科を選んだものだと思っている。

 今でもそうなのだが、「仏教を専攻しています」と言うと、「尼さんになるの?」と言われるのはまだいいにしても、「そんなん勉強して何になるの」とか、「宗教って、今、いろいろあるからなあ」と眉をひそめられるのは正直不快だった。

 でも、海外ではこの仏教にハクがつく。学生時代、長期休暇を使ってアジア方面へ旅行に行った。私が旅したタイやミャンマーは宗教が身近にある国で、寺とかに行けば、現地の人とちょっとしたコミュニケーションを取ることが出来た。自己紹介をするときに、「I major in Buddhism」と言うと、相手の顔がパッと晴れ渡り、一層親しみを持って接してくれるようになった。先生には、学校に来て欲しいと言われ、現地の高校の校長先生にお目にかかったり、ごはんをよばれたり、同じく仏教の勉強をしている学生の部屋に招かれ、偶然ゼミで使っていた文献の英訳版を発見して驚いたり…。それらの経験を経て、「仏教をきちんと知りたいな」と思うようになっていた。国際化社会に必要なのは、英語だ、コンピューターだって言うけど、最後には宗教なんじゃないかな。漠然と、いや、それより確信に近い気持ちでそう思った。

 ところが、帰国すれば、その気持ちも段々萎え、社会に出て苦戦しているうちに、そんな気持ちなどどこかに置き忘れていた。職探しであちこちの会社で面接をする。履歴書の「仏教学科」の文字に対する面接官の反応は決して良くはない。ハハン、君ら海外ではどれだけ宗教が身近にあるか知らんな。などと強がってみても、「あ〜あ、もっと就職に結びつく学科に行けば良かったなあ」と思っていた。

 そんな私も、回り道をしたが、最近ようやく仏教関連の本を読むようになった。それは子供でも読めるような初心者向けのモノだし、また信仰などという言葉とは遠い位置にいる。でも、お経とか写経とか出来たらかっこいいなと思うし、遠い将来、お遍路さんとかになって四国八十八所を巡りたい。あ〜あ、大学では特定の単位を取れば、得度が出来たんだから、同じ資格ならそっちにしておけば良かったなあ。

 そうそう、学生時代、「高校野球の社会学」という本を読んで、高校野球には宗教的な要素があるといったことが書かれていた。それを見て、「よっしゃ、卒論は“仏教と高校野球”に決まりや!」などと思っていたが、あまりの資料の少なさにあえなく挫折をしたことをふと思い出した…。



2002年12月10日(火)
九州か東北か

 給料日、銀行で少ない金を下ろして、美容院へ直行。「多い・太い・くせ毛」というどうしようない髪の毛三重苦に悩む私の心のオアシス・縮毛矯正をしてもらう。諭吉さん2枚ほど飛ぶ(泣)。

 隣りでカットしてもらっていた女子大生らしき子が担当の美容師と話をしていた。彼女の実家は九州で、一度青春18切符で実家まで帰ってみたけど、エラくてもうイヤだと言っていた。そんな会話を聞いて、ふと、来春に東日本一周したいとこの日記に書いていたことを思いだし、ヘドロな脳裏に一つ“♪”マークが出現した。

 だが、しかし。
 ただ今、貯金3万ン千円。平均月収8万(!)。どうやって10日も旅に出る金を貯めれるというのだろう。最悪4/1出発としても、あと4ヵ月しかあらへんやん。そんな不安が横切らないと言えば嘘になるけど、旅行の計画は楽しいし、強く願えばなんとかなるような気がしてきた(んな無責任な…)。

 私の最終目標は、日本一周。でも、青春18切符を使ってとなると限られてくる。来春のおでかけ最終候補地は、九州一周or東北一周。 

 九州なら、日田三隅や熊本工業、佐賀商業、佐世保実業とか行ってみたい。あと意味無く国東半島に惹かれる。焼酎の二階堂はなんぼほどおいしいか本場で確かめたい(んな金の余裕はない)。道中で尾道商業や広島商業へ行くのもアリ。佐賀に友人がいるので、1泊浮く(おい)。あと、彼女(佐賀の友人)に唐津市の高校を制するように言われているので、あと2校巡らねばならない。気候的にも夏はタイフーンの通り道だから、行くなら春の方がいいんだろうね。ただ今年行ったばかりだしなあ。

 東北なら道中から悦に入る。加賀、長岡向陵、新潟明訓、新発田農業、酒田南、東海大山形、金足農業、深浦と巡り、津軽半島で折り返して、岩手で元球児さんに会う(勝手に決めんな)。ただ東北の冬を知らないので、“4月でもまだ雪が”とか“練習は室内で”とかだったら行っても寂し過ぎるし。

 う〜ん、現実離れした贅沢な悩みだ。最大の悩みは資金繰りなのになあ(自爆)。




2002年12月09日(月)
誰やねん挨拶


 『誰やねん挨拶』
 ベンチウォーマー管理人・こちらでさんがコラム内で使用してた言葉。野球部員が、(相手が)誰かわからないけどとりあえず挨拶をしとかなと思い、挨拶をすること。私がされる挨拶は、100%これ。

 高校野球部員は、練習中に私たち第三者の前では隙を見せない。だから、誰もがさわやか好青年に映ってしまって戸惑うし、挨拶されると悪い気もしない。でも、ある日、その誰やねん挨拶の隙間を見てしまった。

 秋のこと。友人2人で某高校の練習を見ていた。来るのが遅かったのか、練習自体はすでに終わっていて、グランドにはトンボを手にした部員10数人が散らばっていた。こんなときに見ているのがよほど異様なのか、観客席のゴミを拾っていたショートカットの女子マネージャーが私たちに頭を下げた。その口は、「こんにちわ」と言っていたが、ちょっと距離があったので、声までは聞こえなかった。寒いなか、ご苦労さん。背を向けて歩き出した女子マネージャーに心の中でメッセージを送った。…と、ここまでは良かった。

 ところが、彼女、それとなく私たちの方をチラチラ見たあと、首を傾げていたのだ。「うち、挨拶したにはしたけど、あれ、誰やねんろ。見たことないなあ」ってところだろうか。そんな彼女を見て微笑ましくなったと同時に、気を遣わせて悪いねえと思った。

 グランドで野球を見ていて透明人間のなりたいと思うのは、こういうときだ。もし、私が野球部員およびマネージャーだったら、私みたいな人がグランドにいると、どうしていいかわからないもの。

 このごろ、東山のグランドに行くと、選手が私たちにも挨拶をしてくれるようになった。実はこの11年間、一度だってなかった現象。(ともきち曰く、「うちらも年取ったっていうことや」)嬉しいというより、正直戸惑っている。新監督になって、一番最初に取り組んだのが「声を出すこと」だという。その中に挨拶も入っているのだろう。

 でも、やっぱり「なんか悪いなあ」って思う。どう対応していいかわからないから。社会的未熟児だし(笑)。その声、もったいない。どこか別のところで使いなよなどと思ってしまう。ま、最も挨拶は誰のためでもなく、自分のためにするんだけどね。
 



2002年12月08日(日)
上下関係


 ともきちと飲みに行き、ホロ酔い(泥酔時でも)になると、東山の校歌や選手の応援歌を歌ったりする。最近の選手のはそれほど覚えていないが、90年代前半のはわりと覚えていた。かけ声やハモリも暗黙の了解で役割分担されている。これも長年の鍛錬の代物である。

 高校時代の学校の帰り道は、ともきち教官による校歌やおよび応援歌の試験会場と化していた。当時私の東山熱は微熱にも満たず、応援歌なんぞイチイチ覚えていなかった。だから、放課後が怖かった。

 女子高生が「友人2人と追っかけやってます」と言うと、2人でキャキャ言いながら楽しくやっているんだろうとイメージされるだろうが、当時の私とともきちの間にはれっきとした上下関係が存在していた。もちろん、上はともきち、下は私。

 別にともきちは先輩面していたり、私をパシらせていたわけではない。ただ、校歌も応援歌もともきちに覚えされられたし、「○○くんの応援歌は!」と言われ、歌えないととんでもないことになるような不安に襲われたのだ。試合中、うっかり相手校の応援にノッてしまった日には、「何してんの」とピチャリ。それは彼女の熱い情熱の証でもあったのだけれど、本人が思っている以上に怖かった〜。ある意味、高校のクラブよりも体育会系だった。よく辞めないで応援していたと思う。いや、“辞められなかった”が正解かもしれない。

 応援に際して暗黙のルールがあった。大体こんな感じだったと記憶している。

 1,攻撃時は必ず立って応援。(ポジションは応援団も真後ろ。通路席)
 2,校歌、各選手の応援曲、および歌詞の暗記は基本。もちろん、歌う。
 3,試合中に私語はしない。(ただし、ともきちさんはしてたぞ?!でも、逆らえない…(T_T))
 4,試合中の飲食は厳禁(ただし、父兄さんから頂戴する飲み物は可)。→20歳のとき、試合終了後、私が医務室行きになって以来廃止。
 5,うっかり相手校の応援口ずさんだり、リズムを取ったりしない。
 6,応援は内野席で。日陰にあるところなどもってのほか。
 7,父兄さんの前ではしおらしく。死んでも“地”を出さない。



2002年12月06日(金)
スポーツライター塾第三日目〜300字の言い訳出来ない世界〜


 今日の課題は取材。2人1組になって、お互いがお互いを取材し、それを300字程度でまとめるというもの。それを人に読んでもらい感想を聞き、取材した本人にも読んでもらう。

 これまでなら、課題が終わったあと、感想を書かされるのですが、今回は「敢えて書いてもらいません」とのこと。ちくしょ〜、楽になりてえ〜。というのが私の心境。

 書くことは自分を解放する、楽にすることでもあります。よく私がウジウジ日記を書くのはそのためかもしれません。参考書を買っただけで勉強した気分になれる。私はそんな受験生でしたので、イヤなことも辛いことも書いただけでそのときは克服できた気分になってしまいます。だからホントは、今日の感想すごく書きたいのですが、やめときます。

 ただこれだけは書けるかなと思うのは、記事は言い訳出来ない世界なんだということです。今回、私は原稿をうまく書けませんでした。だから、相手に「ごめんなさい」と謝ることは出来ます。でも、どうでしょう。それをしたら、相手に自分が悪いと思わせることになるような気がしません?私の考え過ぎでしょうか?でも、謝るくらいならいい原稿書けよというのがホントだし、またそんな文章を読まされてしまった読者に一人一人頭を下げるのは不可能な話です。

追伸:「3ヵ年計画」のその後
講座が終わったあと、飲みに行きました。そこで、先日日記にあった3ヶ年計画の話をしました。ところが、スポーツの現場で働く人の言葉はシビアで、実際ああいうスタイルの取材は厳しいんじゃないかとのこと。それを聞いて腹立ったり、凹んだりはしませんでした。素直に、「あ、そうなんだ」と思いました。それに、具体的な質問をヒシバシされ、どんどん答えに詰まっていく自分もいましたし。あれだけ堅い決心だったはずなのに、今もろくも崩れかけています。やっぱり、私にはインタビュー取材は時期早尚なようです。これからはもっと自分の器をわきまえていきます。



2002年12月05日(木)
自分の才能

 『自分の才能は人のために使うもの』。
 その一文に、ハッとした。今、読んでいる瀬戸内寂聴氏の『痛快!仏教塾』の中の一文だ。

 才能なんて何かの天才に付随する言葉であり、自分には関係ないと思っていた。自分にはこれと言った取り柄はない。でも、そう思うことすら自意識過剰であり、通知簿ではないけれど、自分の中で一番出来ることというものあるはずだ。どっかで聞いた唄ではないけれど、それを人と比べてどうこう言うから話がややこしくなる(でも、止められない)。

 では、私の通知簿の中で一番数値が高い(マシ)なのは何だろうと考えたとき、やはり文章を書くことだと思う。前にも書いたが、私は“人のため”という言葉を信じていないため、当然、文章も自分のために書いている。

 書きたいことが書けたら幸せだし、書きたいことが見つかれば嬉しくなる。人から反応が返ってきたら、生きてて良かったとすら思う。もちろん逆もある(今はその状態)。プロともなれば、それで食べていける。自分に利益がある。私はこういううわべのことしか見ていなかったので、才能はやっぱりその人本人のためにあると思っていた。
 
 文の中からにじみ出ている瀬戸内氏の人柄に感化されたのかもしれないが、“人のため”ということを考えてみた。それは、私が文章を書くことで、あるいは私の文章を読むことで、誰かが何らかのプラス感情を持ってくれることなんじゃないかな。具体的に言うと、「私は私でいいんだ」と思ってもらえること。きっとそれは私も思いたいことなんだろう。今は野球関連を書いているが、この目的のためなら、いつでも鞍替えする。そういう心構えはある。

 最近、私の注目はどんどん表舞台から遠ざかっていく。目に止まるにはたいがい、無名校の選手、試合に出れない選手、野球が続けられなかった選手…だ。今までは自分があまのじゃくだからかと思っていた。でも、それは違う。無名校の選手でも、皆が皆に惹かれる訳ではないし、試合に出れない選手をひとまとめに語る気はない。やっぱり、“彼だから”惹かれるのだ。果てしなく広いネット世界の片隅でささやくように彼らのことを書いている。“あなたには人を惹きつける才能があるんだよ”。行間にそういう思いを込めているつもりなのだけれど。



2002年12月04日(水)
アルプススタンドの使い方

 
 少し前、元プロ野球選手だったという年輩の男性にお話を伺ったことがある。その人は、阪神の捕手として約2年間籍を置いていた。今から半世紀以上前の話である。

 印象に残った話の一つ。話がキャンプに及んでときの答えだ。

 「昔は、甲子園で自主練してたんや。今みたいに贅沢にどっか遠くへ行ったりすることはなかった。アルプススタンドのあの細かい階段を上り下りして足腰を鍛えたもんや。2月で寒かったなあ、すごく」

 初めて聞く話だった。今は温暖化で気温もいくぶんか上がったいるので、当時の2月は今よりもっともっと寒かっただろう。

 この話を聞いて以来、プロ野球のキャンプの歴史を知りたいなと思っているが、未だにめぼしい文献を探し当てられずにいる。



2002年12月03日(火)
“すれ違い”の自意識過剰


 昨日に続いて、高校球児づいています。
 今朝、仕事で現場に向かう車窓から、信号待ちをしている東山球児を見たんです!かなり近距離だったので、顔もはっきり見えたのですが、残念ながら誰君とまではわかりませんでした。私もまだまだやな。

 私の家は、野球部が主に練習をしている山科グランドからどう遠くないところであるため、東山の部員をわりと見かけます。駅のホームに降り立ったときに、ドアの前にいたり、通勤の際同じ車両にいたり、道ですれ違ったり…。

 別に自慢しているわけじゃないんです。ちっとも嬉しくないんです。下手に目線が合ったりしたらどうしていいかわからなくて、困ってしまうんです。はい、自意識過剰です(苦笑)。でも、地元を歩いているときは気が抜けないんです。

 早朝人通りの少ない道で気分よく鼻歌を歌っていたら、後ろから通学途中の東山の部員に自転車で追い越されたり、「近くだからいいや」とスッピンボサボサ頭でほわ〜んとアホみたいな顔して本屋に向かっていると、ランニングをしている彼らとすれ違ったりして、心臓が止まりそうになります。それは、例年何故か冬に遭遇します。もうぼちぼちやばいです。美容院にでも行っておこうかな(バカ?)。



2002年12月02日(月)
コンビニで見かけた高校球児

 
 仕事柄、頻繁にコンビニに行きます(そこで見た人間模様は、後日機会があれは日記のネタに…)。今日も京都府下のコンビニを2店舗回りました。現場が有名校の近くだったら、「野球部の子が買い物に来るかも(^^)」なんて思っているんですが、いつも空回りです。最も、練習帰りの野球部員に会えるような時間帯まで店にいたのでは、その仕事は相当もたついているということになり、アルバイター・あることしては決して幸福な状況にあるとは言えないのですが。

 ところが、今日、この仕事をしていて初めて、店内で高校球児を見かけたんです〜。某K高校の部員でした(注:有名校ではありません)。仕事、完全に上の空。マシーン、ナチュラルフリーズ状態。時間帯は学校終わってちょっとしてからっていうところでしょうか。今の時期、クラブないんでしょうかね?謎ですが、それはともかく。昼間っから、“♪”って感じです。単純ですね、私。

 そうそう、数年前、コンビニでバイトしていたとき、東山の野球部員相手にレジを打ったことがあります。その日は、昼前から試合で、私もバイト(早朝でした)が終わったら、球場に向かう予定でした。

 “時間よ進め〜”などと思いながら、レジカウンターに立っていると、店の真ん前に東山のバスが止まりました。“お、東山バスや、なんでこんなところに止まってるんやろ?”。すると、一人の部員が出てきて、店に入ってきました。

 「いらっしゃいませえへ〜」。声、完全にイッてました。えらい事態です。レジには私しかいません。どうしよう、どうしよう。顔、知られてるかもしれんし、何か言った方がいいんかな?

 “おはようございます”?
 アホか、相手高校生やで。

 じゃ、“おはよ〜”?
 ツレじゃあるまいし。
 
 う〜ん、“今日、試合?”
 見りゃわかる。

 “がんばりぃや”
 って、あんたは近所のオバハンか。

 あ〜、も〜、このわからん距離感は何!頭をかきむしりたくなった。
 
 緊張と戸惑いとワクワクと…。もう心臓バクバクです。でも、時間が待ってくれません。彼は私の前、というよりレジにやってきました。

 ところが、そんな私の思いは一気に吹き飛ぶことなります。
 彼は、レジの前に立つなり、手にしていた商品をポンを放り投げるよう私に差し出しました。スポーツ新聞やら、500mlの麦茶やらが、カウンター上を滑り、こちら側の床に落ちそうな勢い。

 なっにぃ〜、こいつ感じ悪ぅ〜!バカにしとるんか。今までのドキドキを返しやがれ!一瞬、店員の立場を忘れ、カチンと来ましたが、その後はつとめて冷静を装い、愛想よく、「ありがとうございましたぁ〜」などと立ち去る彼の背中を見送ったりしました。東山バスはその後、すぐ発車。彼の朝ご飯購入。ただそれだけで停車していたのでしょうか?恐るべし、Tくん!

 高校球児がさわやかだなんて、絶対嘘だ。もう期待しねえ。そう心に誓った春の朝。

追伸:そんな彼も、数年後にはお父さんと一緒に母校の試合を観戦し、うちわやお茶をお父さんに持ってきてあげるという素敵な“好青年”になっていて、驚きました。人って、変わるものですね。



2002年12月01日(日)
3ヶ年計画


 今、吐きそうなくらい強烈に知りたいと思う選手がいます。イコール、吐きそうなくらい強烈に書きたい選手がいる、ということです。

 その選手、今は高校生です。高校生が苦手な私が、“彼となら話してみたい。話せる!”とすら思っています。自分で言うのも何ですが、ものすご〜く珍しいことです。

 消極的、奥手(マジです…)、気弱、受け身、他力本願の私が、今、緩やかにそんな目的に向かって動き始めています。頭の中では構想もかたまりつつあります。コネもツテもない私なので、ものすご〜く危うい計画ではありますが、やってみようと思っています。今のところは(^^;)。

 ただ構想上、原稿が仕上がるのは2004年夏以降です。そのとき、私は29歳になっています。この原稿がうまく仕上がったら、もう野球を書くことを完全燃焼できるような気がしますし、生まれて初めてとも言える自信がつくように思います。そんな風に考えたとき、ふと“30歳になったら結婚しよう”と思いました。

 独身最後の3年間を“彼”に費やしてみようと思います。計画では、彼と話をするのは、2004年夏です。今、私は勝手に抱えているコンプレックスのため、人の目すらまともに見れない状態です。それではダメです。もっと堂々と前を向いていられるような人になっていないと、若い男の子と面と向かって話なんて出来ないです。目標は2004年夏!逆算して、今出来ることは何か。まずやってみよう。