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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年01月31日(木)
センバツ出場校発表、その陰で…


 今日、ファンの間では待望の「センバツ大会出場校」が発表された。長らく「甲子園大会」に背を向けていた私にとっては、それほど心動かされるものではないのだが、やはりここから「野球シーズン」が始めるのだと思う。
 
 毎年、この時期になると、10年近く前、姉が電話で「東山、センバツ出るよ〜」と知らせてくれたときの感激がよみがえる。

 だが、このセンバツ大会の選考は、何かと文句や言いがかりのでるものだと相場は決まっている。実際、当の選手とは関係ないとわかっていながらも、「なんでぇ?」と思わず目をむくような選考結果も一度や二度ではない。

 だが、そんな文句を言うのも、もう疲れた。今年から、やめ。好きにしてください。そして、選ばれた高校は甲子園を楽しんでください。私はもう高校野球にムキになるのはやめます。

 それでもやっぱり最後に一言だけ。
 
 大人気ないし、「今更何を」と言われるかもしれない。それに、当該校にも申し訳なく思うのだが、これで最後なので、敢えて言わせていただく。

 「去年の21世紀枠。やはり町野高校を選んで欲しかった!」

 今日、当HPの掲示板にいただいた書き込みにもあったが、町野高校は今春で廃校になる。皮肉にも、そのとき、甲子園はセンバツ大会で盛り上がっている頃だ。

 21世紀の始まりと一つの高校の歴史の終わり。こう言っては不謹慎だが、何ともノスタルチックな響きだと思う。

 21世紀枠が特別枠ならば、こういう学校に花道を添えることも悪いことではなかっただろうと思う。

 実力がなかった?
 それなら、なんで「県大会ベスト8以上」なんていう中途半端な規定を設けたの?それに、地方大会で優勝したような学校でも、甲子園では大差で負け、それこそ「試合にならない」場合だってザラにある。甲子園ってそういうところだし、野球ってわからない。だから面白いんじゃないの?

 っと、やはりムキになってしまった。今更言っても、ただの戯言。当の選手たちはとうの昔に気持ちの切り替えをしていることだろうし。


 最近、「歯磨き粉の味がするから、飲むなんてあり得ない」と思っていたウイスキーにハマっている。以前は大嫌いだった独特の匂いも今では心地いい。

 当初は、ウイスキーとジンジャエールの割合は1:9だったが、今は3:7にまでなっている。酒全般において早飲みな私だが、ことにウイスキーに関しては、そうそうペースを上げて飲むことができない。

 こういう心の隅にやりきれなさを抱えているときは、チビチビ飲めるウイスキーに限る。このまま、いい感じで睡眠に入って、2月は憂鬱を吹き飛ばした状態でむかえたいなあ、と思う。



2002年01月30日(水)
手のひらの憂鬱

 たとえば、熱があるとか、足を骨折したとかであれば、仕事や学校を休むことができる。

 むろん、社会に出たら、それですら「自己管理」の範ちゅうにされてしまうのだが、病む終えずの「欠勤」になりうる。

 私はこの26年間、大きな病気をしたことはないが、「健康体ですっ!」という体であった期間はごくわずかしかない。学校に行くのもしんどい、会社に行っても全く仕事にならない。でも、それは欠席や欠勤理由にはなれない代物。

 たとえば、小児ぜんそく、たとえば、目いぼ(目の回りにできるおでき)、慢性鼻炎、偏頭痛、生理痛、何故か突然低音が聞こえなくなる原因不明の病気(すぐ治ったけど)、アレルギー性結膜炎、じんましん、自律神経失調症…。

 経験された方はよくおわかりだと思うが、ほんまにたまらない。社会に出てからは、ひどい時は休むようにしたが、まだ親の監視内にあった学生時代はそうもいかず、本当にしんどかった。

 最近、すごく憂鬱なのは何故かなあと考えてみた。
 ニュースで聞いた不景気の話、一向に減らない体重と自分の意志の弱さに対する自己嫌悪。次の仕事は割に合わない上、駅から遠い、ああ行きたくない。ずっと書けずにいる友人からの手紙の返信。

 そして、最大の憂鬱は私の手のひらにある。
 今、私の手のひらは荒れずさんだ砂漠状態で、とても人に見せれる代物ではない。

 もう10年近くつきあっているこの憂鬱は、アレルギー皮膚炎の一種であるとも言われているが、実は原因不明の「現代人病」。洗剤やクリーム、紙や繊維に弱く、手のひらがかゆくなるのに始まり、かきすぎると汁みたいなのが出て、落ち着くと皮が張るのだが、それは、魚の鱗のようにボロボロと剥がれていく。そして、またかゆくなり…の繰り返し。

 有効な特効薬みたいなものは、今のところない。1ヶ月ほどで治った人もいるが、周囲にいる同じ病気を抱える人間の大半は長年それで苦しんでいる。

 病院を何度か変わった。治りかけたこともあれば、かえって悪化したことある。また、はなから治療を拒否した皮膚科医もいた。

 多くの人は「クリームを塗ればいい」とか「洗剤を使わないで」とか「水にさわるときは、綿手袋の上にゴム手袋をして」とか、口当たりのいいことを言う。

 でも、本当にひどいときはクリームを塗ったらかえってかゆみは増すし、手洗いいや入浴は毎日ついてまわる。手袋を使っての日常生活はかなり億劫だ。(ちなみに今、右手に綿手袋をして、キーを打っています。だいぶ慣れました)

 またひどいときは空気に触れるだけでも染みたり痛かったりするので、外出の際にも綿手袋をする。他意のない友人知人は「どうしたん?なんでそんな手袋してんの?」と聞く。悪気はないのは分かっているが、「やかましい、ほっとけや」と心の中で毒づく自分がいてイヤになる。こういう事態になったときは、もう本当に鬱のまっただ中にいる。

 作業ひとつするにも、手のひらが気になる、かゆくならないか、商品に血や皮がついては大変だ。クリームはいつつけようか、手がすべるから今は無理だな。そういう仕事に関係ないことにしか頭が回らなくなるときもある。

 手を洗うのが億劫、顔を洗うのもコンタクトを換えるのも、頭や体を洗うのも、今の私にとっては、大作業であり、戦いである。


 しかし、そんなときにふと思い出す一人の野球選手がいる。その人の名前は、庄司智久さんという。

 庄司智久さんは、1972年、和歌山・新宮高校からドラフト3位で巨人に入団。第二の松本(青い稲妻と呼ばれた巨人きっての俊足選手)と期待された。イースタンリーグでは三冠王に盗塁王を獲るなど活躍したが、一軍では出場機会がほとんどなく、ロッテに移籍してから、活躍した選手だ。

 しかし、そんな庄司さん、オールスターに出場するなど華やかな活躍をし、「さあ、これから」というときに、手の皮膚がむけるという原因不明の病気に襲われている。

 バットを持つことはもとより、日常動作にも支障をきたすほどひどいものだったとある雑誌の特集で読んだ。ひどいときは、Yシャツのボタンをはめおえたら、シャツが血だらけになっていたという。

 そんな中で野球をする。相当大変だったと思う。そして、長年、何を施しても効果がなかったが、ある日オロナインを塗ると嘘みたいに治ったという(この話を読んで、私もオロナインを試したが、ダメだった)。しかし、そのときにはすでに体のピークは過ぎており、これといった成績を残せないまま引退せざるおえなかったとか。

 症状の重さも病気の種類も全く違うのだが、手のひらに苦しめられた庄司さんのその当時の心境、ほんのかけらではあるけれど、私はわかる。

 私は庄司さんの現役時代を知らない。でも、友人知人に八つ当たりしそうになるほど自分がいらだっているとき、ふと庄司さんの存在を思う。

 この長いプロ野球の歴史の中にはシャツを血だらけにしても、野球を続けた選手がいる。今の私にはまだ見つからないが、手のひらがじゅくじゅくであっても、荒れきった砂漠になっても、続けていこうと思うこと、きっとあるはずだ。

 投げやりになりそうなとき、彼の存在だけが私を落ち着かせることができる。原因不明の病気と闘っていたときの彼のプレーをこの目で見ていたかったな、と今にして思う。

 私も手のひらの憂鬱と闘おう。それしか道がないことだし。


追伸:世の中にはアレルギーやアトピーによる皮膚炎で苦しんでいる方は大勢いらっしゃり、私はその中では比較的症状の軽い方だと思う。薬の副作用をわかっても飲まざるおえない人、病気の悪化で家から一歩も出れない人、退職・転職を余儀なくされる人、食べ物を制限されている人…。みな、笑顔を見せているけれど、心の中では不安や苦しみや苛立ちを抱えておられることだと思う。症状のひどい友人が、「私は子供を産まない。こんな苦しみは自分だけで充分。だから、私の血を残すべきではない」と言っていたことが強烈に心に残っている。安易に「そんなことないって」とは言えなかった。



2002年01月29日(火)
野球日常語?!


 ニュースを聞いて憂鬱になった。

 2001年の失業率が、史上最悪の約6%に昇るのだという。「なんや、94%の人が、がんばってるんやな」と思ってしまったりするのだが、実は、「流行は、全体の3%の人によって生み出されるものである」という事実を基にすれば、この6%という数字は驚異的である。

 さて、6%の1人である私。未だ定職を決めかねている。景気が悪いというが、実は選ばなければ、まだ働く口はある。しかし、どうしても色々こだわってしまう。いや、こだわるのは、自分がやっていけるかどうか自信がないということでもある。

 学校を出て、もう6回ほど仕事が変わっている。自分を信じられるわけがない。「今度はがんばる」「ほんまかいな」。自問自答を繰り返す。やりたい仕事などと悠長なことを言っている場合ではないのかもしれない。でも、「じゃあ、やれることをしよう」と動けない自分がもどかしい。

 景気の悪化ばかり伝えるニュースは、私の胃袋にセメントを流し込んだような重苦しさだけを残した。

 ニュースでは、大手有名企業の決算報告が入ってきた。どこも芳しくない。東芝の決算を報告したえらいさんがこう言った。

「今どきの企業では、4番バッターでバンバンホームランを打つようなところはない。今あるだけのもので、ヒットをつないでバントでランナーを進める。会社はそれでなんとか生き残ろうとしている」

 こんなところで、野球用語が使われていることに、新鮮な驚きを感じた。

 しかし、ふと「あと20年30年後も野球用語は日常で使われ続けることが出来るのだろうか」と思った。

 今年はサッカーワールドカップが開催される。そして、これからもサッカーが盛り上がることが予想される。前述のコメント、あと2,30年後にはどうなっているのだろう。

「今どきの企業では、エースストライカーのロングシュートなんでありえない。今あるものだけで、ドリブルでボールをつなぎ、ペナルティーキックを確実にものにして、生き残ろうとしている。なんとかイエローカードやレッドカードが出さないように、ただ、それだけだよ」

 とかいう風に変わっているのだはないだろうか。

 いや、そうなるならないはさておき、そんな長いこと不景気が続いてもらっては困るのだが。



2002年01月28日(月)
GO!GO!加古川線(野球日記はどないしたん編)


 今日は、相方を道連れに「ちっちゃな旅」に出た。今月頭にその存在を知り、密かに心ときめかせてきたJR加古川線に乗る、ただそれだけの旅だ。

 午前中に加古川に着き、昼から加古川線乗車のプランを立てた。昼ごはんを食べようと、「加古川にもある」という情報を仕入れたので、「天下一品(ラーメン屋)」を探して、2時間ほど加古川市内を彷徨った。

 しかし、ついに見つからず。疲労困憊した私たちが至ったのは、駅前のマクド。「ここまで来てマクドかい」っとも思ったが、そんなことかまってられないほど疲れていて、空腹だった。おいしかった。(加古川名物「かつめし」という選択又もあったのだが)

 電車に乗る前に飲み物でも買い込もうと、コンビニに向かっていたら、頭上で「ベチャ」という音がし、何かが落ちた。とっても、とっても、イヤな予感がする…。

「じぶん、鳩にフン落とされてんで〜。もろヒットや、べったりついてる」

 相方は愉快に笑ったが、当の本人は笑うの笑えない。

 あーもう、最悪〜。昨日、美容院行ってきたばかりやのに〜。あほぉ〜。

 言いしれぬ恥ずかしさと腹立たしさで、その場で取り乱してしまった。しまった、不覚をとった…。「ウンがついてるってことやん」相方は、苦し紛れのフォローを入れ、私のご機嫌を伺った。

 発車10分前の加古川線はもうすでに満員。「ぶらり旅」はのっけから当てが外れる。車両は一両。色は、緑とエメラルドグリーンの合いの子といった感じ。当HPのMENUページのコンテンツの色が、それにものすごく近い。感じのいい色だ。

 加古川〜厄神までは、市内の景色の続きといった感じで、別段「ローカル線」を感じさせるものはなかった。満員の車内も、ここを過ぎて若干余裕が出てきた。

 市場駅を過ぎたころから、いわゆる田舎の光景に入っていく。運賃も上がっていく。このころにようやく座席があき、腰掛けることが出来た。

 粟生(あお)駅は、他の鉄道との乗り換え駅。他の駅とくらべて駅舎らしかった。真横で、北条鉄道という一両編成の電車連絡待ちをしていた。こののどかな光景の中にあって、紫色の浮き具合が何ともいえない。でも、「ごっつ乗ってみたい」と私の好奇心がそそられ代物だった。荒野の中を勢いよく走り去っていった。

 川合西駅から、大量の小学生が乗り込んできた。彼らのランドセルには、定期が入っていたので、地元の小学生だろう。こんな幼いころから通学定期とは、ご苦労様、だ。

 しかし、私は子供嫌いだ。車内がまた混み合うことはもとより、あの子供独特の声が耳についてかなわない。その上座っていた私と相方の間のわずかな隙間に割り込んでくる。「負けてなるものか」、私は太股で彼女を牽制した。彼女は粘っていたが、やがて諦めて別の場所に行ってしまった。若いんやから、一駅くらい立っときなはれ。

 クソガキ…あっと、小学生たちは次の青野ヶ原駅で降りた。だが、彼らは自分のペースでのろのろと出ていく。電車の発車時間のこととか考えちゃいない。ま、こういう町じゃ当たり前のことなんだろうな。私はよそ者だし、いちいち口を挟む必要もない。

 嵐が去ったあと、隣の女子高生2人が、教科書や参考書を広げておもむろに勉強を始めた。使い古されたカバンの中には、某有名私立大学の赤本が顔を覗かせていた。受かっても、ここからじゃ下宿だろうな。石川に行ったときも思ったが、田舎の女子高生って、なんか好きだな。

 社町駅で、今までで最高人数に人が降り、乗客は、両手で足りるほどの人数になった。窓際の席に移動した。いよいよこれからが思い描いていた、「ローカル電車の旅」だ。

 電車は、西脇市駅で、15分の停車。複線であり、今までの駅で最大規模の駅舎だった。西脇といえば、「駅伝の西脇工業」。この町があの強さを生んでいるのかと思うとちょっと感動。しかし、15分の待ち時間は長かった。

 終点「谷川」まではあと少し、地元のおっちゃんとおばちゃんの世間話をBGMに車窓から見える景色を楽しんでいた。(それにしても、日本へそ公園って、どこにあるのだろう。確かに駅は存在しているのだけれど)

 約1時間40分の旅。谷川駅の時刻表を見てびっくり!電車が1日9本しかない。時間にルーズな私は、おそらくここでは暮らしていけない。その上、線路点検が何かで第4土曜日はそのうちの4〜5本が運行取りやめなのだとか。なんという!

 帰りは、福知山線と嵯峨野山陰線経由で京都へ。今日の私と野球につながりといえば、その福知山線の車窓で福知山成美高校を見かけたくらいだ。寮があんねんなあ。窓には野球部のユニフォームがかかっている部屋もあった。

 観光したわけでも、特別な感激があったわけでもない。でも、それなりに楽しかった。見知らぬ町の日常は非日常になりうる。そう気付くと、ローカル線の旅はやめられない。


追伸:鳩にフンを落とされ運をつけ、今週のラッキカラーの車両の電車に乗ったにも関わらず、別段いいことは起こらなかった。



2002年01月27日(日)
ある高校球児への手紙


 今日、ともきちと2人して、ある野球関係者とお食事をする機会に恵まれた。縁あって、もう4、5年のつきあいになる。

 年齢の割に体格がよく、姿勢もいいので、お若く見える。独特のオーラみたいなのがあり、男性としても充分魅力を感じる方だ。最近、年輩の男性の渋さにものすごく惹かれる。

 学生時分は、手の届かない方だったので、今のこの状況が信じられない。人生捨てたもんじゃないな、とつくづく思う。

 今日も野球の話、仕事の話、世の中の話…。たくさんお話することができた。そんな中、ある高校球児の話が出てきた。

 私は、彼のプレーをずっと見ていたが、面識はない。


拝啓。
寒さが益々厳しくなる今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか?

さて、本日、あなたの大学進学が内定したことをとある人から、聞きました。
とても嬉しく思います。

夏が終わり、野球に見切りをつけた他の部員たちが次々進学を決めて行く中、皮肉にも「大学で野球をしたい」というあなただけが、進路が決まらずにいましたね。

俊足と守備範囲の広さで下級生からレギュラーとして活躍したあなたは、新チームではキャプテンに選ばれました。

チーム結成当初は、ホームランを打つなど活躍をしましたが、春から次第に結果が出なくなって、苦しんでいたと思います。

私はそんなあなたを見て、ベストな状態で試合に臨むことがいかに難しいかを知りました。

キャプテンということで、チームの不振の責任を背負い、いろんなプレッシャーがのしかっかっていたことだと思います。

日々の練習に加え、帰宅後も走り込みをしていたと聞きました。

色々思うことがあったかもしれませんが、それでも、「3年間ここで野球をやれてよかった」と言い切るあなたには、頭が下がる思います。

他のみんなが、「野球は高校まで」という中、モチベーションを保つのは相当大変だったと思います。私だったら、きっと流されてしまうことでしょう。

最後の夏、あなた自身も、またチーム全体もいい結果が出せずに終わりました。
涙一つ見せないチームメートを見て、正直、あなたがどう思っていたか、ものすごく気になります。

余談ですが、相手校にちゃんと千羽鶴、渡せましたか?(笑)

とにかく、安心しました。
これで、あなたの進路が決まらなかったら、世間の理不尽を恨んでいたことでしょう。

まだ本試験があるので、安心は出来ませんが、「あの子はまじめだし、野球もしっかりやってくれるやろ」と関係者は言っていますよ。

「やっぱり野球が好きだから、野球を続けたい。そして、将来は野球の指導者になりたい」

あなたのそんな夢を陰ながら応援したいです。

「がんばれ」という言葉は嫌いです。

大学での4年間は、「さらに野球が好きになる4年間」になるように。
ただそう願うだけです。

ある名将の受け売りですが。

来月頭から、練習が始まるのだとか。
風邪がはやっているので、ご自愛ください。

2002,1,27  あるこ



2002年01月26日(土)
完全休養


 朝、布団からなかなか出れず、気付いたら昼になっていた。12日ぶりのお休み。パーっと遊びにでも行こうかと思ったが、そんな元気、とてもない。ああ、体の衰えは隠せないものだ。明日は、大切な約束があるので、今日はゆっくり休もう。

 そうそう、最近ジムに行っているのですが、トレーニングというのは寝る前にやるのが効果的らしいですね。なぜなら、人間が寝ている間に筋肉は作られるからだとか。

 今、全国の野球選手の多くは、春以降に備えてウエートトレーニングに励んでいることでしょう。どうぞ、鍛えたあとはたっぷり睡眠をとってくださいね。

 では、私、鍛えていませんが、もうひと眠りします。

 お休みなさい。zzz…。



2002年01月25日(金)
もの切なさ(兼〜つれづれお仕事日記最終回〜)


 <はじめに>

 先日、女子駅伝を取り上げた日記を書きました。その文中に「女子駅伝は盛り上がっているのに、何故男子駅伝は盛り上がらないのだろう」と言った主旨のことを書いたのですが、これはあくまで私の主観に過ぎません。私自身が京都の人間なので、地元開催という特別な雰囲気にいるから「盛り上がっている」と思っています。ですが、広島の方なら、男子駅伝が地元で開催なので、私と逆の立場に立たれることになります。

 常日ごろ、「自分が見たこと思ったことを一般論化するのは辞めよう」と意識しているのですが、まだまだ甘いです。

 ご指摘くださったhさん、誠にありがとうございました。
 
 では、本日記への方へ…。


 11連チャンを含む半月のバイトもいよいよ今日で最終日。最後くらい化粧とかしてばっちり決めたかったのだが、相変わらず時間ギリギリ家を出た出たため、すっぴんのまま…。

 前日、風邪薬を飲み用心したのが功を奏してか、鼻水もだいぶおさまり、そのところ苦しみ続けていた眠気もなかった。

 今日は、ここ数日に比べてだいぶ仕事があり、時間が経つのが早く感じた。朝方ややこしい仕事が舞い込んできたときは、疲れからかさすがにみんなとげとげしかった。しかし、昼前にはもう落ち着いていた。

 この半月間でずいぶん数字を数えてきたため、「数えボケ」を起こして、30以上の数が数えられなくなっていた。

 たいていは、100単位の数を数えるのだが、30以上数えていると、途中で意識がどこか別のところに行ってしまい、指だけが動いている状態となる。
「あれ?今、なんぼやったっけ?」。再び、一からやり直し。

 これは、私だけではなく、一緒に仕事をしているパートナーも同様だった。人には、数を数える回数に限度があるのだろうか。思った以上に仕事がはかどらなかった。

 最後に晩餐ならぬ、最後の昼食は、昨日とまったく同じものにした。鯖の塩焼き、もっと早い時期に出会いたかったよぅ。

 使っていたプリペードカードの残金の払い戻しをした。最後に、構内のコンビニで、紅茶と家のお土産に学校オリジナルグッズを購入。まんまと学校側の戦略にはまってしまった。
 ああ、ほんまに今日で終わりだなと思ったのは、派遣会社の担当の人が挨拶に来たり、23日付の日記で「むかつくわぁ」と思った職員が「ありがとうございました」と言ってきたときだ。

 「ああ、終わりなんだね、もう」
 パートナーの既婚女性が、私に話しかけた。「そうですね」答えた。

 思えば、最後に3日間は、特に長く辛かった。人は減り、仕事は減り、緊張感も集中力もなくなるなか、職員に嫌味を言われるし…。でも、終わってみればあっと言う間だった。

 10日から始まったこのバイト。たった半月だったが、もう2〜3ヶ月いるような錯覚に襲われた。バイトの人ともそれほど関わりを持たなかった私だが、今にして思えば、良い人ばかりで恵まれていた。

 最初は、「この人たちとは合わないし、興味もないわ」と思っていたが、いざ別れるとなると少し淋しい。この忙しい時期をともに闘った戦友でもある。言葉はそれほど交わさなかったので、相手のことはほとんど知らないが、妙な仲間意識を感じてしまった。おそらく、もう一度会える人はそれほどいないだろう。人の出会いとは、摩訶不思議。

 仕事が終わるとなれば、普通、爽快感や安心感が伴うはずだ。しかし、私が感じたのは、前述したような「もの切なさ」だった。二度と戻らない過ぎゆく時への哀愁…。

 これと似た感情を覚えるのが、高校野球を見ているときだ。

 高校時代は、夏の甲子園大会のベスト8以降になると、胸にぽっかり穴が開いたような気分になった。世間では、クライマックスなのだが、私にとっては「あと3日で夢のような時間が終わってしまう…」となってしまうのだ。

 応援するチームが出来、甲子園への道の遠さを実感するようになると、今度は甲子園大会が始まった頃にはもう「もの切なく」なる。

 そして、最近では、夏の予選大会前。最後の練習試合が終わったころにはたまらなくなるのだ。どんなにあがいても、遅くとも8月下旬には、このチームは見れなくなる。それが辛い。そして、夏の大会は大舞台だから、選手や父兄さんとの距離が遠くなるのも、ちょっと淋しい…かな?!

 



2002年01月24日(木)
体調、最悪です…。(おまけつき)

 
「野球日記作家に100の質問@あるこ」

1,あなたのハンドルネームを教えてください。

あるこ。

2,その由来は何ですか?
話すと長いというか、非常にめんどくさいので、勘弁してください。

3,野球日記のタイトルを教えてください。

「あるこのつれづれ野球日記」

4,その由来は何ですか?

つれづれ野球日記だけなら、ありふれているので、自分のハンドルネームを付け加えた。もう少し熟考すべきだった…。

5,ボツタイトル名があれば、教えてください。

なし。

6,どこの日記スペースを借りていますか?

今は「えんぴつ」。
2001年9月までは、「スクスク」。
悪いけど、断然、今の方がいい。

7,野球日記歴を教えてください。

もうすぐ10ヶ月。

8,野球日記デビュー年月日を教えてください。

2001年3月31日(中途半端やなあ)

9,また、どんなタイトルですか?

「ジンセイ」

10,あなたの日記は、「です・ます」調?それとも、「である」調?

ごっちゃ混ぜ。

11,野球日記を始めたきっかけを教えてください。

野球について書きたかったから。
ライターになりたかったから(見てくれた人から、オファーがあるかもしれないとか、当時は甘い考えを持っていた)。
文章力を磨きたかったから。

12,野球日記をつけていて、「よかった」と思うことを教えてください。

メールや掲示板で「日記、読んでます」と言われたとき。

13.逆に憂鬱になったことを教えてください。

日記を書いて、さて更新しようろ思ったとき、何かの拍子で、書いたものがすべて消えてしまったとき…。
(考えるだけでぞっとする)

14,野球日記を書くにおいて、心がけていることを教えてください。

自分の見たもの・考えたことを一般論化しない。
書くことを楽しむこと。
指摘は言い訳をせず、耳を傾けること。
(ただし、おっしゃる通りするかしないかはこちらの判断)

15,ファンメールをもらったことはありますか?

あります。
やっぱり嬉しいですよ♪

16,1日の平均アクセス数を教えてください。
 
30〜50。
1回、何かの拍子で100を超えたことがある。
びっくりした。

17.そのアクセス数や投票数は、やはり気になりますか?

気になります。

18,野球日記を辞めたいと思ったことはありますか?

ないですが、何度かお休みしました。
かなり凹んだので。

19,差し障りなければ、その理由を教えてください。(ない方は、その理由を)

私は野球日記バカなので、野球日記をとると何も残りません。

20,今まで自分が書いた中で、一番気に入っている日記を一つ挙げてください。

2001年11月2日「想い出皇子山球場」

21,好きな分野は?

高校野球、旅日記。野球の周りにあるもの。

22,苦手な分野は?

長嶋さん関係(クレーム等が厳しいので、かなり神経を使います。正直、もう書くことはないでしょう)

12球団戦力分析(ニュースも新聞も雑誌も見ないので、よくわかりません)

技術系

23,こんな人に自分の野球日記を読んでもらいたい。

ほんの少しでもいいから、「私」という人間に興味のある方。

24,こんな人には読んでもらいたくない。

相方。

25,好きな野球日記のタイプは?

選手やチーム、そして野球に対する愛情を感じ取れるもの。
作者の人柄が見えるもの。

26,苦手な野球日記のタイプは?

選手やチーム、そして野球に対する愛情を感じられないもの。
文体がえらそうなもの。

27,好きなライターまたは作家の名前を教えてください。

故山際淳司氏、ツルシカズヒコ氏、安倍昌彦氏(野球関係)

28,会ってみたい野球日記作家はいますか?

「1字違い〜野球日記」の金子真仁さん。

29、もしいれば、その方にメッセージを。

就職活動、がんばってください!

30,読者の方に会ってみたいと思いますか?

掲示板の常連さんや、よくメールを頂戴してある程度知っている方には会ってみたいです。

31,ファンメールと掲示板の書き込み、日記の感想をいただくなら、どちらが嬉しい?

どちらも嬉しいですが、どうしてもどっちかを選ばねばならないなら、ファンメールでしょう。

32,ネタがないときはどうしていますか?

発狂する。
(開き直って、関係ないことを書くか、飛ばす)

33,野球日記なのに、野球以外のことを書くのは邪道だと思いますか?

思わない。
自分がやっているから。

34,自分の書いた日記に対して、反論やクレームを受けたことはありますか?

あります。
掲示板でかなりの文字数のヤツを…。
前述した長嶋さん関連ですね。

ですが、本当に貴重なご指摘でしたし、今の私があるのもその方のおかげでしょう。
でも、掲示板で公にやられるのはさすがに凹みました、
これからはメールでお願いいたします…。


35,逆に人様の日記に反論やクレームを付けたことはありますか?

あります。
本人に直接ではなく、自分の日記の中で、まわりくどく。
イヤな女っすね。

36,アクセスアップのために、心がけていることを教えてください。

野球小僧さんのHPにリンクしている。

37,巡回する野球日記の数は?

8〜10。

38,こんな野球日記を見てみたいと思うのは、どんな野球日記ですか?

少年野球に関する日記。
社会人野球に関する日記。
30代以降の女性の書く野球日記。

39,もし、あなたの野球日記は雑誌等に掲載されるとしたら、どこに掲載されたいですか?具体的な雑誌名を挙げてお答えください。

甲子園の星。
報知高校野球。

40,また、その理由も教えてください。

10代の女性が自分の日記を見てどう思うか、こわいけど、知りたい。あと、堅苦しくないので、彼女たちにも見てもらえるのではないかなと…。

高校野球専門誌だから。

41,もし、あなたの日記が本になるとしたら、誰にイラストを描いてもらいたいですか(具体名があがらない場合は、どんな感じの絵を描いて欲しいというオファーの形をとってください)

宮崎駿さんのアニメに出てくるようなヤツ(図々しいなあ、コイツ)。

42,「野球日記作家」という呼び名をどう思われますか?

照れくさい。

43,あなたの野球ファン歴を教えてください。

12年。

44,あなたが野球を見るきっかけを教えてください。

テレビで見ていた高校野球で、投げていたピッチャーがたまたま当時スキだった男の子と同じ名前だった。

45,好きな野球にジャンル(高校・大学。プロなど)を教えてください。

高校・プロ・社会人(クラブ)
見たことないけど、興味があるのは、マイナーリーグと台湾・韓国野球、少年野球。

46,あなたの思う野球史上最高の名言(迷言可)を教えてください。

「強いチームが勝つのではなく、勝ったチームが強い」
「選手は育てるのではなく、育つのだ」
「文武は両道ではなく、平等でなければならない」

47,あなたの思う野球史上最高の名シーンを教えてください?

新庄の敬遠サヨナラ打!

48,子供に野球をさせたいですか?

させます。

49,野球が見れなくなったら、どうしますか?

どうしよう…。

50,野球以外の趣味を教えてください。

旅行・読書・音楽鑑賞・酒

51,今、一番注目しているチームは?(高校)※複数回答不可。以下同じ。

東山高校

52,今、一番注目しているチームは?(大学)

龍谷大学

53,今、一番注目しているチームは?(社会人)

全播磨硬式野球団。

54,今、一番注目しているチームは?(プロ)

阪神タイガース

55,今、一番注目しているチームは?(海外)

特になし。

56,今、一番注目している選手は?(高校)

メジャーどころでは、報徳学園・大谷智久投手

57,今、一番注目している選手は?(大学)

龍谷大学・杉山直久投手

58,今、一番注目している選手は?(社会人)

所属チームは忘れたけど、元七尾工業の森大輔投手

59,今、一番注目している選手は?(プロ)

オリックス・橋本泰由投手。

60,今、一番注目している選手は?(海外)※複数回答不可は、ここまで。

?(移籍先はどこ?)・新庄選手

61,自分を野球選手に例えたら、どこを守り、何番を打ち、どんなプレーをする選手だと思う?

7番・ファースト・地味

62,その理由は?

性格があまり積極的ではないから。
「なんであいつが(レギュラーなん)?」と陰で言われているような。きっと。

63,もし自分がプロ野球選手なら、どこの球団に入りたい?

セ・リーグなら、ヤクルトか広島。(ピッチャーなら中日)
パ・リーグなら、オリックスか西武。

64,背番号は何番が欲しい?

野手なら、「2」「5」「32」「56」。
投手なら、「25」「34」。

65,どんな応援歌がいいですか?

現存する中でなら、桧山か赤星のテーマ。今は幻となった関川(現中日)のテーマも捨てがたい。

66,もし、自分が歴代プロ野球選手になれるとしたら、誰になりたいですか?※複数回答不可

西武・橋本武広投手。

67,もし、自分が高校球児なら、どこの高校に進学したい?

東山。
もしくは、高鍬監督のいる加賀高校。

68,どんな活躍をしたい?

やっぱり甲子園には出たい。
目立たなくてもいいから、あとで「あのときのあいつの働きが大きかった」と言われるような選手でありたい。
ポジションは内野。打順は2番か6番。

69,あなたの「野球界、こんなもの入らないベスト3」を教えてください。

1.逆指名(今も自由獲得枠?)2,複数年契約 3,文武両道を讃える風潮

70,あなたの「野球界、こういうものが必要だベスト3」を教えてください。

1,クラブチームの充実 2,ユニフォームを着なくてもいい少年野球チーム 3,お金の上手な使い方

71,好きな野球関連番組を教えてください。(複数回答可)

「プロ野球とは何だ?」
「90年代前半の想い出甲子園」
「90年代前半の熱闘甲子園」
「93年以前のドラフト会議テレビ中継」

72,あなたの「心に残る野球マンガ」ナンバーワンは?

まだ、出会っていないと思う。

73,あなたの心に残る野球マンガ関連登場人物を教えてください。(複数回答可)

「タッチ」の新田さん。
「やったろうじゃん」の喜多条監督、加納くん、マネジャーの関さん、浅井くん。
「田宮が来る」のキャッチャー・高橋くん。
「隠し球ガンさん(コミック版)」の木暮選手、守山スカウト。

74,あなたに「心に残る野球本」ナンバーワンは?

「スカウト」

75,あなたの「心に残る野球関連音楽」ナンバーワンは?

「Hold Your Last Chance」

76,応援が日本一だと思うプロ野球団は?

オリックスブルーウェーブ

77,印象に残った高校野球の応援を教えてください。(複数回答可)

応援している東山は基本として、93年春の姫路工業・95年夏の洛星・98年夏の京都成章・01年夏の平安高校・花咲徳栄等

78,もし、あなたが高野連会長に就任したら、真っ先にやりたいことを教えてください。

21世紀枠の撤廃。(2001年だけでええやん)

79,好きな球場(あるいはドーム)を教えてください。

甲子園球場

80,その理由は?

阪神の本拠地だから。ビールがおいしいから。

81,ここはちょっと勘弁して欲しいと思う球場(あるいはドームは?)を教えてください。

某Nドーム。

82,その理由は?

勝率が悪い。見にくい。高い。でも、弁当はおいしかった。

83,欲しい野球グッズはありますか?

中日や広島ファンがメガフォンに貼っている、選手のかわいい似顔絵シールの阪神バージョン。

84,球場内のお気に入りスポットはどこですか?

甲子園球場のレフト最上段。

85,球場名物(食べ物)のオススメを教えてください。

甲子園の焼き鳥。

86,自分に好きなチームや選手をけなす人をどう思いますか?

人それぞれだから仕方ないけど、根拠のない噂話はイヤですね。

87,自分の嫌いなあるいは苦手なチームや選手を応援する人をどう思いますか?

ならだけ、耳にいれないように、目に触れないように。
平常心を失うかもしれないから。

88,野球に関する取材をするとしたら、取り上げたい人物名(具体名がない場合は、どういうことをしている人か)、またはチーム名(具体名がない場合は、どういうチームか)を教えてください。

高校野球の審判。
府内の某F高校監督。

89、その内容を教えてください。

新人(若手)審判奮闘記。
南米で野球を教えられていらしたという経験と、今、南米から来ている高校野球の選手がにわかに注目を浴びているので、そこから何かを導きだしてみたい。

90,今、球界で一番興味のあるニュースは?

中国プロ野球設立。

91,あなたの野球日記の特徴を一言で。

自分コラム野球風味。

92,あなたの野球日記の今後の課題は?

誤字脱字を減らす。
もっと多くの試合を見る。
もっと人にふれあう。

93,野球日記を書くにおいての、恩人は誰ですか?

友人・ともきち

94,その方に一言メッセージを。

愛してるよ♪

95,もし、今後、野球日記を辞めるとしたら、どういう理由が考えらえますか?

父の機嫌を損ねて、パソコンを使わせてもらえなくなったとき。
野球に興味がなくなったとき。
野球を書くことに興味がなくなったとき。
文章を書くことが楽しくなくなったとき。

96,野球日記における目下の目標を聞かせてください。

アクセス数が全てではないと分かっているけれど、とりあえず10000アクセス突破。

97,野球日記で得た教訓とは?

やっぱり、私は書くことが好きなんだ。

98,あなたにとって野球日記とは何ですか?

修行の場。自己表現の場。

99,同じ日記作家の方々に一言。

お互いがんばりましょう。

100,最後に読者の方々に一言お願いします。

いつも拙文を御覧いただき、誠にありがとうございます。
みなさまの存在が私の宝物の一つです。

 どうも、お疲れさまでした。




 〜つれづれお仕事日記13〜

 午前9時、仕事を始めた途端、鼻水とくしゃみの応酬。そういえば、関節も痛いような…。仕事にならない。ま、自分とは26年間つきあってきているからなんてことないのだけれど、周りの人間は、そばで鼻水ズルズルいわせたり、くしゃみをされたら、うっとおしいと思う。これやったら、眠い方がまだマシ?!

 昼休みを使って、近所の薬局に行って、薬を購入。店のおばちゃんと世間話に花が咲き、年を感じる。

 症状は一時的には収まったが、3時のコーヒー休憩(勝手にそう呼んでいる)のときには、またズルズル。食事後に購入した箱ティッシュが大いに役に立つ。

 11人になってから、毎日、時間が経つのが遅く感じる。することがないってしんどい。4時ごろ、久しぶりに以前していた書類のチェックをしたが、勘がずいぶん衰えていた、たった3日のブランクなのに…。(私はバレリーナか(^_^;))

 しかし、不思議なことに、5時(定時)になり、部屋を出た途端、はなみず・くしゃみなど、どこ吹く風。現金なもんだ。さすが、私の体(^_^;)。

 でも、家に帰ったら、全身がだるくなり、こたつから一歩も動けなかった。やっぱり、しんどい。そりゃそうや、10日連続やもんな。ようがんばってるなあ、私。とえりあえず、あと一日!

追伸:今日の昼ごはんは、ごはんM、鯖の塩焼き、ほうれん草、豚肉とこんにゃくをごま風味にあえたもの、みそ汁だ。頭がまったく働かなかったので、取りあえず目の前にあるものを取ったような格好になったが、鯖の塩焼きはなかなか良かった。



2002年01月23日(水)
「教える」のはとても難しい、という話。(兼〜つれづれお仕事日記12〜)


 バイト12日目にして、初めて「むっかつくわぁ〜」という感情を持った。現地担当職員の男性だ。見かけは若くてあどけない顔をしているくせに、不機嫌だし(今、忙しいから)、なんか人を小馬鹿にしたような物の言い方をする。

 仕事内容が変われど、相変わらず数を数える日々。今日は、薄っぺらい書類を「300枚用意してくれ」と言われたので、地道に数を数えていた。その書類は本当に薄く、数えにくかった。しかし、時間も人の数にも余裕があったので、間違わないように数えようと、ペースを少し落としていた。

 すると、問題の職員がやってきて、「そんな1枚1枚数えてたら、日が暮れるで。せやから、こうやて数えたら早いで」と言って、私の手から書類を取り上げた。

 職員が教えてくれたのは、「銀行員のお札数え」式。手首あたりをちょっと動かすだけで、紙の束が、生き物のように扇状に規則正しく並ぶ。不器用で指の太い私にとって、それは手品に近い。

 「こうして、2,4,6…と数えていたら早いやろ」
 世の中にそんな便利で素敵な数え方があるくらい分かってますって。それが出来ないから、苦戦してるんでしょうに。

 しかし、ここでは明らかに私の立場の方が低いし、癪だけどこれを機会に覚えてみようと見よう見マネでやってみた。

 すると、「ああ、もう、そうじゃなくて。ここ、右は動かさないで」、「左は固定しながら、細かく動かすんや」。腹の底に「こいつ、覚え悪いな」と書いてある。その口調の端々にイライラが見えた。こっちもイライラしてきた。

 「もういいから、自分の出来るようにしぃや。時間はかかるやろけど」
 職員は、嫌味を一つ吐き捨て、姿を消した。

 カチンときた。教えられないなら、最初から教えるなよなあと、己の不器用さを棚に上げて思った。これじゃあ、時間の無駄やないかいっ。

 カリカリすると余計に仕事がはかどらない。その上、他のバイトに人が私の横で、その見事な「銀行員のお札の数え方」方式を見せ、私が数えた100の束を「これ、103ある」「こっちは97」と、声を上げた。人のいない静かな部屋に、「数もろくに数えられない女」というレッテルが響き渡った。

 ますます、イライラする。いつもなら、「やっぱり、私って不器用やなあ」と凹むのだが、今回は違う。いよいよキレかかる。何もそんな大声で言わんでええやん。ちょっと「銀行員のお札の数え方」が出来るからってさ。ただのあてつけだ。

 そんな劣等感を煽った彼女らは、平気で私に「そこで食べてるんで、良かったら、一緒にどうですか?」と食堂で声をかけてきたが、「食えるかいっ」と思い、ここは体裁良く断った。ごはんSとサラダと1品もの…のようなメニューの中に、カツ丼とほうれん草とみそ汁なんて並べられるかいっ。

 帰り、また電車を逃すし、今日の私は空回りばかりだ。一度ダレた気持ちは、なかなか元に戻らない。


 とかく、教えることは難しい。

 私は、絵が描ける人を無条件で尊敬する。なぜならば、私は絵を描くのが大の苦手だ。第一、「絵を描く」なんてあり得ないと思っている。

 中学のとき、年に1回、校外に出ての写生大会があった。どうしても書けないので、小さい頃から絵描き教室に通っていて、絵が上手い友人に聞いてみた。

「どうしたら、絵って書けるの?」

 すると、友人はさらりとこう言ってのけた。

「え?見たまま描いたらいいちゃう?」

 え?見たままだって?
 私が我が耳を疑った。

 見たままってあんた、この世の中は「縦・横・高さ」の3次元世界で、白い画用紙は「縦・横」の2次元世界だ。何をどうしたら、見たまま描けるのか。

 むろん、友人の言葉に他意はない。きっと「硬いことを考えず思い切り描けばいいんちゃう?」と言いたかったのだろう。

 でも、私はそういう結論に達した地点で、絵を描くなどという不可能なことに時間を費やすよりも、他のことをしていた方がこれからにおいて役に立つと、「描く」ことを完全に放棄した。

 それからは、美術の課題で「描く」ことがあると、家族や友人に、「手伝ってもらう」などという甘っちょろいものではなく、丸々やってもらった。高校では、芸術科目は音楽と決められており、学校で「絵を描く」ということもなくなった。もちろん、日常生活においても故意に避けるので、そういうことはまずない。

 世の中は、未だ「学歴社会」と言われ、勉強の出来不出来が大きな影響を及ぼすが、これがもし、「芸術社会」で、絵が描ける描けないが基準であったなら、私の人生はどうなっていただろう。ぞっとする。

 絵が描ける人というのは、当たり前ながら「絵は描けるもの」という固定概念があると思う。そりゃ、アイデアが浮かばないとかスランプとかはあると思う。でも、根底には「描ける」ということがあるはずだ。

 そんな彼らが、「絵は描けないもの」という概念を持っている私のような人間、取り扱うのは正直言って困ると思う。教えるのは、相当難しいんじゃないかな。

 きっと俗にいう「勉強の出来ない子」には、そういう子が少なくないんだと思う。そして、それは、恋愛や音楽、語学にもいえることだろう。

 そう、野球にだって。


 すみません。
 今日はかなりジメジメした日記になりました。
 機嫌の悪いときや疲れているとき、凹んでいるときには日記を書いてはいけないのかもしれませんね。


追伸:この「教えることはとても難しい、という話」は、後日、パート2をやります。今度は、反対の立場、「教える」立場から書いてみたいと思います。過去にこういう日記があったことを頭のかたすみに置いていただければ、次の日記もより楽しんでいただけるのではないでしょうか?



2002年01月22日(火)
catchball

 昨年末、栗山司さんの野球日記の中で、「いつもキャッチボールが教えてくれた〜55の言葉で読むその不思議な力〜」(佐藤倫朗著・東洋経済新聞社)という本が紹介されていた。興味惹かれ、読んでみたら、これがまたすごく良かった。

 一言で言えば、「キャッチボールコラム集」。有名無名にかかわらず、様々や人のキャッチボールに対する思い出や感じたことが書かれている。

 文頭に「野球から独立したキャッチボールというものがある」と書かれている。確かに、そうかもしれない。キャッチボールは、勝ち負けのない「スポーツ」だ。

 しかし、残念ながら、私にはキャッチボールをしたという記憶は皆無だ。強いて言えば、大学時代、野球サークルのマネジャーをしていたときに、部員さんにボールの投げ方を教えてもらったときにしたくらいだろうか。「自分、ピッチングマシーンみたいな投げ方するなあ」と言われ、それっきりやっていない。

 それでも、「芝生のある大きな運動公園で、彼氏とキャッチボールをする」というのが、ささやかではあるが、大きな私の夢だ。また、子供が出来たら、旦那と3人でキャッチボールをしたいな、と思う。


 そんな私だが、もしかして、今していることが「キャッチボールなのではないか」と思うことがある。それが、この「野球日記」だ。ただし、それは今まで書いてきたキャッチボールとはちょっと違う。
 
 雑誌や本などで文章を書くライターや作家と呼ばれる人が、プロ野球で活躍する野球のピッチャーであるならば、今の私の立場は、近所の公園で父親にただ力任せのボールを投げ込む野球少年だ。

 どういうことか。

 プロ野球選手のピッチャーには、速い球を投げること以外にもいろんな事が要求される。コントロール・変化球・フィールディング・球種をばれないようにするためにフォームの矯正、野手からの信頼感…。今、本格派速球投手が少なくなったと言われているが、野球が複雑になった以上、病む終えない。

 そういう立場が、プロのライターや作家と呼ばれる方にダブるのだ。彼らの中で、「ただ書きたいことを書ける」人は一体どれくらいいるのだろう。あまりいないのではないかと思う。締め切り、文字制限、テーマ、読者のニーズ、売り上げ、取材制限、予算…。

 今の私は、倫理に触れない限り、好きなことを好きなだけ書ける。もちろん、取材などは出来ないし、それで生活のために働かねばならないのだが、それはそれで悪くないなと思う。

 そんな私は、「読者」という見えないキャッチャーが構える大きなキャッチャーミットに向かって、ただ力任せにボールを投げている。コントロールも何もあったものではない。

 でも、今のところ、私はそんなキャッチボールが大好きだ。やっぱり、(自分なりではあるが)速球を投げ込むのは気持ちいい。

 厳密に言えば、キャッチボールではないのかもしれない。でも、思いを投げて、思いを返してくださる方がいる限り、それは「キャッチボール」なんだ。私はそう考えている。

 読者の方が構える広いキャッチャーミットに、もう少しだけ甘えさせてください。


 日記スペースを借りている「えんぴつ」には、投票機能が付いており、読者のみなさんに気に入った日記に投票していただくことが出来るシステムになっている。そして、各ジャンル(私の場合は、スポーツに属しています)別にランキングが発表されている。

 今まで、私も参加していた。自分以外の人が自分の書くものをどう評価してくださっているかを知りたかったからだ。

 ありがたいことに、このスペースで日記を書くようになって、2ヶ月ほどしてから除々に票を入れていただくようになった。それは、すごく嬉しかったし、励みにもなった。

 しかし、昨日、その投票ランキングからの引退を決めた。キャッチボールのキャッチャーからの数少ない「返球」の証なのに…。

 何故かふいに「もう辞めよう」と思った。私は別に競争するために、日記を書いているわけではない。でも、ランキングを見るとどうしても意識してしまうのだ。

 票を戴いている皆さんには、勝手なことをして、申し訳なく思っていますが、みなさんから頂戴した1票1票は、私の心の中でこれからもずっと大切にしていきます。

 文面ではありますが、「誠にありがとうございました」。そして、今後ともよろしくお願いいたします。


 
 〜つれづれお仕事日記10〜

 今、職場には21人のスタッフがいるのだが、明日からは半減されて11人になる。ということは、残りの10人が今日で「お仕事最終日」だ。

 ピークを過ぎ、仕事がぐっと減った。また、今日で終わり組の「やった〜、これで仕事から解放される〜」という気のゆるみが全体に伝染してしまい、仕事場はいつになくだらけた雰囲気になっていた。

 いい年した大人の集まりなのに、何度か「もう少し静かにしてください」と注意されてしまう始末。

 私は、話す元気などなかった。眠かった。前日、3時まで起きていたことが、間違いなくその原因だ。ひたすらコーヒーとフリスクで脳みその奮起を促したが、まるでダメ。その上、不定期に舞い込む単純作業。「寝るな」という方が酷だ。時間の流れが異様に遅く感じた。

 後半3時間は、延々封筒の中身チェック。開封するときに、取り忘れた物がないかをチェックするのだが、もう既に人を変え視線を変え、何度となくやっているはずなのに、出るわ出るわ忘れ物…。

 私たちはチェックをする仕事をしているのに、こんなことって…。小さいころ、「大人は完全なる人間」だと思ってきた。でも、そんなことありゃしない。

 今日は、カツ丼を食べようと決めていたが、いざ食堂で注文する段階になって、口から出た言葉は、「天丼、ください」。カロリーが、30ほど少ないのだ。あとは、ほうれん草に、みそ汁。

 丼のご飯がネバネバしており、まん中で固まっていたので、うまく卵と絡ませて食べることが出来なかった。また、卵の白身がまだ液体状態で、それは、昔よく食べさせられた「卵かけご飯」を彷彿させた。私は、あまりスキじゃない。

 グループの人とようやく少し親しくなって、相手も私のことをちゃんと固有名詞で呼んでくれるようになったのに、気付いたらもうお別れだ。

 帰り、ダッシュで電車に乗ろうとするも、目の前でドアが閉まり、屈辱の10分待ち。ここ数ヶ月感じたことのなかったような物言えぬイライラが、足元からせり上がってきた。駅売店で買ったカロリーメイトをヤケ食いしたら、ちょっとは気が収まった。何も、電車乗り逃した位でここまでイライラせんでもいいのに。

 やっぱ、疲れてるんやろな、私。

 



2002年01月21日(月)
午前7時30分 我が家の食卓


 バイトを初めて10日が経つ。かすかにながらゴールが見えてきた。

 起床は、6時45分。起きて最初にすることは、ネットチェック。最近、深夜に掲示板の書き込みやメールを戴くので、それを見るため。簡単なものなら、その地点でレスつけをする。部屋が暖まってきたら、服を着替える。そして、朝食を食べるために台所の食卓につくのは、7時半ごろだ。

 いつもなら、一人で冷蔵庫のなかを詮索し、適当な物を胃袋に詰めていくのだが、今日は、母が昨日の夕飯の残りでご飯をつくってくれていた。ごはんに焼き魚とはなかなか粋だ。

 すると、そこに父がやってくる。父は「パンがいい〜」と言うので、母は食パン1斤をおもむろにトースターに入れた。

 そこに我が家の愛犬「シロ」が寝ぼけ眼でやってきた。うちでは犬を朝晩は家に入れている。母が「夜中一人(!)ではかわいそう」と言って、それ以来、シロはふとんの上で睡眠を取っている。

 今日は、何故か野球の話になった。

 「石井(ヤクルト)は、(メジャー入り)決まったんか?」とか、「星野さんはそうなんやろ」「ま、最下位ではないやろ」とか。

 そんなとき、少し離れた場所からこちらの様子をうかがっていたシロを見て、父親が言った。

「おうっ、お前、阪神優勝したら、縦縞にせなあかんな」

 母は、笑ったが、実はこれ、毎年恒例なのだ。
 確か、野村氏が阪神の監督に就任した年から。

 シロは名前にごとく毛の白い犬だ。彼の背中を見ながら、縦縞化したときを想像してみる。そのまま、散歩したら地元のちょっとした名物犬くらいにはなれるかな(笑)。でも、犬には犬の社会があるんだろうし、当の本人(!)にとってはえらいいい迷惑な話だろうが、できれば、秋には「シロ縦縞バージョン」をお披露目したいなあ。


〜つれづれお仕事日記10〜

 今している仕事を簡単に言えば、「数を数える」仕事なのかもしれない。一日のうち、何分の一かは数を数えている自分にふと気付く。

 今日は、新しい作業に入ったので、飽きがこないためか、眠くなることはなかった。

 今まであまり話したことのないグループの人とも昨日の昼食をきっかけに話すようになった。多くが既婚者であるが、その中に一人に私と似た立場の人がいる。「次の仕事を探さねばならばい」人だ。

 その人も私と同じ、正社員はちょっと…という人だったので、ほっとした。

 前職を退職した理由は「疲れた」からだ。具体的に「何に」疲れたのかは未だによく分からないままだが、休みたいと思った。

 思えば、半年以上、ずいぶん長い間休んだ。
 今、ようやく「働きたい」と思う自分がいる。

 でも、「生活のために」と考えると、まだ気持ちが萎えるのが正直なところだ。だから、今はそういうことは置いといて、「経験をする」ということのために、仕事に取り組んでみたいと思う。なんて、甘いかな。

 以前、ある方に「(文章を書くにおいて)あなたは仕事を持っていた方がいい」といった旨のアドバイスを頂戴した。今、それに本当の意味で納得出来る。

 人生、万事がネタ探し (あるこ)

追伸:今日のお昼は、きつねうどんとほうれん草とさんまの竜田揚げです。魚、最高!でも、わかめにソースとポン酢が混ざったのは最高にまずかった。
 余談だが、生協食堂に「鍋焼きうどん」がないことにかなりのダメージを受けた…。



2002年01月20日(日)
世界一のパフェ

 
 まだ、自分HPを持っていなかった頃は、今以上に熱心に掲示板に書き込みをしていた。画面を通じて、瞬時にたくさんの人とコミュニケーション出来るのは、ただ楽しかった。
 
 ある日、テレビで見たロッテ・渡辺俊介投手の投球フォームにおったまげた。すごく興味をそそられる選手だった。早速、その日の掲示板に、「ロッテの渡辺投手って、すごいですね。アンダーハンドピッチャーってあまりいないので、早く(一軍に上がって)活躍して欲しい」といった内容だったと思う。

 次の日、その書き込みにレスがついていた。喜びいさんで見てみたら‥。

 今でも思い出すだけでムカムカくるので、簡単に内容のさわりだけ。

 >あれですごいとか言ってもらったら困る。昔の山田久志とかはもっとすごかった。(技術的な説明が延々→略)だから、あれで満足することしか出来ないのはかわいそう。

 何様?って思った。

 山田久志氏を始め、昔のプロ野球選手には偉大なアンダーハンドピッチャーがいたことは、知識として頭にある。でも、私にとって、彼らは「歴史上の人物」なのだ。
 
 貴方が「渡辺俊介より、山田久志」と思っていただくのは結構。ただ、「昔は良かった」を今の野球しかしらないこちらに強制するのはどうだろう。その傲慢知己な書き込みぶりに、まるで「昔の方がいいと思いなさい」と命令されているようで、とても不愉快だった。

 ちなみに、投球の際、地面と手との間隔は、往年の山田氏より、今の渡辺投手の方がはるかに狭い(5センチ!)のだと聞いた。


 今日は、仕事を終えてから、ともきちと駅前で飲んだ。久しぶりな上、連続労働でかなり疲れているはすなのに、こういう時だけは元気が湧いてくる。

 ひとしきり食べたあと、ともきちがふと一言。
「な、世界一のパフェ、食べに行こっか」
 満場一致(?)で、喫茶店行きが決定した(ああ、体に悪そう…)。

 私たちの「世界一のパフェ」とは、リプトンの「いちごのクリームチーズサヴァイヨンパフェ(たしかそんな感じの名前だったと思う)」をことを指す。もう、2,3年ほど前、ともきちに勧められて二人で食べた。めっちゃ上手かった。

 贅沢に使った甘さ控えめの生クリームに、アイスも口あたりがいい。また、底までぎっしり詰まっているクリームチーズは、何とも言えない快感にもつながった。私はクリームチーズといった類のものは苦手なのだが、これだけはそんな私でも超花丸級だ。

 一時は、2人で会うたびにリプトンに通った。
 しばらくして、サヴァイヨンパフェ自体はメニューからなくなったが、それに近いものは常にメニューにあり、100%とは言わないが、それなりに満足感を得ることができた。だから、今日もそんな感じで足を運んでみた。

 今回もまた、メニューは変わっていた。しかし、今までそれほど期待を裏切られたことはなかったので、気にせずに注文した。

 最初は「おいしい」「おいしい」と言っていた私たちも、胃袋に収まった量と比例して、テンションが下がっていった。首をかしげ、「あれ?」、渋い顔して、「なんかごまかされているような気がするなあ」。最後の木苺ソース(と思われるもの)が絡まったスポンジケーキで、私の堪忍袋の緒が切れ、ついに最後の一口は残してしまった。

 もう、いちごのクリームチーズサヴァイヨンパフェの面影を求めることは出来ないのかもしれない。そのとき、そう悟った。それは、二度と帰らない青春時代というものに少し似ている。

 胃が重く、食べ終わってからもしばらく店を出ることは出来なかった。
 「あーあ、サヴァイヨンパフェが食べたいなあ」「もう一度復活しいひんかなあ」と2人して、もう帰らない世界一のパフェを思った。

 しかし、その後、ふとこう考えたのだ。

 もし、私が世界一のパフェと出会っていなかったら、今食べたこのパフェが「世界一のパフェ」に成り得たのかもしれない。

 頭の中の「なるほど豆電球」が、パッと点った。

 
 私は今日、このパフェを食べたことによって、掲示板に不愉快なレスをよこしたヤツの立場に立ったのだ。

 そっか、ヤツにはヤツの悲しみがあったんだ。


 

 

 

 
〜つれづれお仕事日記9〜

 今日は日曜日。休日出勤をするときは、「ああ、自分ってがんばってるなあ」とナルシスト系になって、自分を奮い立たせないと、尋常な状態で仕事ができない。

 そんな辛うじて保っている精神状態なのに、勤務先の最寄り駅に着いた瞬間、クソ中学生が、大声で「おはよ〜」「「今日、○○してきた?」とか、しょーもないことを大声で話していた。

 側にいる人に聞こえりゃいいんやから、そんなばかでかい声出さんでもええやん…。それと前をダラダラ歩くな、通行の邪魔!

 気の弱い私はそんなことも言えずに、中学生の後をついて行くような格好で階段を登っていった。

 今日は日曜日。食堂はお休み。そんな時に限って、昼休みは12時から。当然、どこの飲食店もダダ混み。お昼(ごはん)求めて、町をさまよっていると、同じチームの残りの3人と偶然会った。勤務9日目にして初めて、食事をご一緒させていただいた。犬の話、正月のお雑煮の話など、それなりに盛り上がったが、やはり時間がもったいないなあと感じた。

 今日は、残業なしの5時退社だった。久しぶり♪



2002年01月19日(土)
とっても恋する“べ〜すぼ〜る”2


 学生時代、同じゼミにいた女性が、ぽつりとこうつぶやき、ため息をついた。彼女は、少し前に4年近くつきあっていた恋人と別れたばかりだった。

「新しい恋ってゆったってなあ…。
 出会って、相手のことを知っていって、ドキドキしたり、切なくなったり、デートしたり…。そんな過程を踏んでいかなあかんのかと思うと、なんかめんどくさいわぁ…」

 むろん、実際新しい恋に落ちたら、めんどくさいなどとは思わないのだろうが、彼女の心境、今なら分かる。

 恋愛してつきあうことって、二人だけの習慣を作っていく作業なのかもしれない。相手の呼び名、行きつけの店、二人だけに通じる言葉やシグナル…。恋人たちは、時間をかけて「二人の世界」というものを作り上げていく。男性の場合はどうかわからないが、そういう習慣に触れているときが、どんな高級な贈り物(なんてもらったことないけれど)をもらうよりも幸せを感じるときでもある。少なくとも、私はそうだ。
 
 
 先日、テレビで女子駅伝を見ていた。そのときに色々な疑問や興味が湧いてきた。都会である東京や神奈川は何故それほど強くないのか、また京都はどうして強いのか。主催地だから、強化をしているのかもしれないのだが。また「ふるさと選手」のシステムもイマイチよくわからない。それに、同様の男子駅伝もあるのに、何故女子駅伝だけ華やかに取り上げられるのだろう。

 でも、その興味はあくまで興味で終わってしまう。答えを探すために、駅伝関連のサイトに行ったり、他の大会を見てみたいとは思わないのだ。

 今、私はこうして野球日記を書かせていただいている。しかし、野球に関してはまだまだ知らないことが多いし、また今知っていることや思うことでも、ここに至るまでにずいぶん時間がかかった。

 昔、国語の宿題で言葉の意味を辞書で調べるというのがあった。ちょっと難しい言葉は、普通の国語辞典では出てこないので、父の書斎に行って、枕にできそうなほど分厚い「広辞苑」を開いた。しかし、言葉は見つかっても、それを説明する言葉に意味の分からないものがあったりした。

 野球においてわからないことは、実はそんな感じであることが多い。たとえば初めて野球を見る人に「ホームラン」を説明するためには、ピッチャーのことやフェンスの存在や得点制度も加えて教えなければならない。

 先に、「時間がかかる」と言ったのには、そうい理由がある。でも、好きだったら、それも苦にならない。

 そして、時間とともに野球観というものが形成されいていく。まどろっこしい言葉を使ってしまったが、それは、どのチームを応援しているとか、どういうプレーをする選手が好きかとか、そんな感じのことだ。そして、それは、野球と自分の関係でもある。

 ふと、それは、恋人たちが作り上げていく習慣に似ているなと思った。 

 世間から見たらたかが知れている私の野球観だけど、それでも10年以上かけて作ってきたものだ。そう簡単には手放せない。


 駅伝に抱いていた興味を具体的に解決する行動を起こせない私だから、前述したように、新しい恋人との恋愛過程をめんどくさがっていた当時の彼女の心境がわかる。

 好きでいることって、結構エネルギーを使う。


〜つれづれお仕事日記8〜

 勤務してちょうど一週間。仕事も追い返し地点だ。

 書類はどんどん来る。さらにスピードアップを要求される。焦って、ミスが重なる。私もそうだし、周りのみんなそうだ。でも、山場の週末までらしい。今はその言葉を信じていたい。

 長い間休んでばかりいたのに、もう「休みたい」と思う。

 土曜日、やはり食堂はすいていた。

 今日は、昨日の教訓をふまえて、控えめに購入。
 またまたほうれん草と鰯の唐揚げと豚肉の野菜炒めにご飯。緑は史上最多の0.9。健康っていいね。鰯の唐揚げはかなりおいしかった。

 気分転換に外に出たら、近所に「天一」(ラーメンのチェーン店「天下一品」)の存在が発覚。
 
 東は岐阜、西は広島までの津津浦々約50店を巡った「天一マニア」としては抑えておかねばならない。データでは、大学付近の天一は「当たり」なのだが…。

 明日も出勤♪
 



2002年01月18日(金)
とっても恋する“べ〜すぼ〜る”(一部加筆訂正済みVer.)

 この歳になって、ようやく気付いたことがある。
 それは、「スピードアップというのは、単に“動作を早くする”ことではない、ということだ。

 今までの私は、「早くしよう、早くしよう」と思うあまり、それが焦りにつながり、細かいミスを繰り返していた。せっかく人より多く仕事量をこなしても、落としたり、無くしたり、忘れたりして、それに手間どい結局能率は同じ、いやそれ以下だったりする。

 「焦らずに丁寧にやれ」。
 母親に始まり、多くの人にそう言われ続けてきた。でも、丁寧にしていたら、仕事ははかどらないわけで…。

 そんな訳で、私は「自分は仕事に適していない人間だ」と思いこんできた。

 しかし、今回の仕事をされてもらって、ふと冒頭の一文に気付いたのだ。今している仕事は、大量の書類を開封し、不備がないか確認する作業だ。

 短期バイトのため、経験者は皆無。作業にスピードアップに方法は、自分で見つけださねばならない。

 そこで、周りの人の仕事ぶりを偵察。「いいな、使える」と思ったものはどんどん取り入れていった。そうすると、ちょっとずつ能率が上がってきたのだ。

 そっか。動作に無駄をなくすことがスピードアップにつながるのか!

 それから私は、仕事において、どこで作業が滞り、自分の無駄な動作は何かを考えるようになった。そして、今日、他人の技術を盗んだわけでも何でもなく、自分で、最大の無駄を打開する方法を見つけたのだ。すごく感動した。口語体に直すと、「めっちゃ嬉しいっちゅーねん」。

 仕事の喜びって、人からもらうのではなく、自分で見出すものなのかもしれない。


 野球の技術たるものを知らない私だけど、もしかしたら、ピッチャーが速い球を投げようとするときも、同じようなことが言えるのではないかなと思う。

 いわゆる速球派と呼ばれる人のピッチングフォームを見ても、何から何まで早くしているわけではない。むしろ、振りかぶる(最近、こういうピッチャー、減ったように思うのは気のせいでしょうか?)ときや足を上げてモーションを起こすときは、むしろ時間がゆっくり流れているようにすら思える。
 
 私は、「野球って、神秘やなあ」と思う。

 誰が投球フォームたるものを考え出したのだろう。それに体のどの部分をどういう風に使ったら速い球が投げれるだなんてどうして分かるのだろう。それは、きっと、何千、何万もの人々が、更に野球が上手くなりたいと願い、無駄をなくしてきたその集大成なんだ。

 ひじのたたみ方とか、膝の使い方とか、インパクトとか、頭かこんがらがってパニック状態になる。今まで何度か技術を書いた文章を読み、野球に対する理解を深めようとしたが、いつも挫折して終わってしまう。

 最近では、イチローや野茂が人とちょっと違ったフォームで大成しているが、私はフォームを見て選手をあれこれ批評するより、どうしてそんなフォームが誕生したかに興味がある。


 某芸能人の受け売りなのだが、私の相方は何かあると決まってこう言う。

「恋愛は、その人を知らないからするものなんや。もっともっと知りたいと思うから、つきあうんやろ?」

 もしかして、野球もそうなのかもしれない。


〜つれづれお仕事日記7(6は欠番)〜

 今日は、今までの2倍の速度で働いた。だから、2倍の仕事量をこなしたということになる。やればできる。そして、何故か今日は、眠くなかった。やはり、本日記にも書いたが、無駄を打開する方法を見つけたことが大きい。

 今日は、いつもより2分早いお昼休みとなった。たった2分で食堂はびっくりするほどすいていた。初めて一品ものを頼むゆとりがあった。

 チキン南蛮と(いつもの)ほうれん草とだし巻き卵と豚汁とご飯(もちろんM)。張り切りすぎて、ちょっと取りすぎてしまったか。でも、家ではこれプラスご飯もう一膳くらいは食べるし…。

 だし薪は冷たくて、食べるのに苦戦したが、チキン南蛮は軟らかくておいしかった。明日は土曜日。先週のデータからいくと、食堂はすいているはず。一品料理でせめてみよう。

追伸:今日の日記は、テーマのごとく無駄に余る昼休みを使って下書きしました。




2002年01月17日(木)
この日を忘れないために 1・17

 
 あの悲劇は、7年前の今日、起きた。

 当初は、「きつい地震やったなあ」程度の認識しかなかったが、時間が経つにつれ、事態の重大さを痛感した。

 当日は、大学の後期テストの初日だった。余震におびえながら、電車に乗り、学校に向かった。学校は、案の定というかなんというか、とにかく休みで、テスト期間は順延となった。

 帰宅してからはテレビに張り付いていた。長い間、ブラウン管には、神戸の町が燃えていく姿が映し出されていた。私は微動だにせず、その状況を見守っていた。言葉も出なかった。

「戦争、みたいやな」 
 姉がポツリとつぶやいた。

 CMも芸能スキャンダルも平和だからこそだ。こうなるくらいなら、その類のことでイライラしていた方がよほどマシだと思った。

 震災関連の中継やニュースは長らく続いた。
 あの日、阪神・淡路にいた様々な人々のドキュメントをテレビを通じて知った。

 ある10代の女の子は、大のKinkiKidsファンで、大阪の厚生年金会館で行われたコンサートに行ったその2日後に震災にあって亡くなったのだという。

 実は、そのコンサートには私も行っていた。当時アルバイトをしていた塾の生徒に「保護者代わり」を頼まれて、ついて行ったのだ。あのとき、同じ場所にいた子が、こんな大災害に巻き込まれて命を落としている…。顔も名前の知らない赤の他人ではあるけれど、そんなささやかな共通項が私にショックを促した。

 新聞で報告される死者数はどんどん増えていく。数字の大きさだけが先走りし、事があまりに重すぎて、どれだけ重いかわからなくなっていた。

 今日、常連さんが掲示板に書き込んでくださっているのですが、「非常時こそ、その人の本性が出る」ものだと痛感しました。

 遠くから、学校を休学してボランティアをする青年もいれば、崩壊した建物を前に記念撮影をする人もいる…。ものすごく大きな意味で、「世の中には色々な人がいるんだ」ということも痛感しました。

 震災後初のセンバツ大会は、賛否両論がありました。「こんなときだからこそ、町を元気づけるために甲子園で!」という人と、「そんなことより、甲子園球場に仮設住宅を建てたらどれだけ多くの人が助かるか」という人と。

 当時の私は、それでも甲子園大会をして欲しいと思いました。

 でも、今なら選手には申し訳ないけれど、「甲子園球場に仮設住宅を」の立場を取ります。あんな寒い中、家もなく、長い間避難生活やテント生活を強いられていた方々は、どれだけ辛く苦しかったことでしょう。「もしも自分だったら…」と思うとぞっとする。

 それから、何度となく兵庫方面に足を運んでいるが、ずいぶん長い間、町から仮設住宅の姿は消えなかった。(いや、今でもあるのかもしれない)


 あれから、7年…。
 実は、私、朝から仕事が終わって帰宅しネットを開けるまで、「阪神大震災」のことが全く頭にありませんでした。

 あんなにいろんなことを考え、言葉に出来ないショックを受けた衝撃的な出来事だったのに、たった7年で日常に波に押し流されてしまうものなのか。それが、私という「非被災者」である人間なのか。

 この日を忘れてはいけないと思う。

 当時は、心臓がバクバクして、またいつあの大地震があるかわからないと私ですらしばらく眠れない日々が続いた。

 今では、町もきれいになり、人々もにぎわいや落ち着きを取り戻しているように見える。でも、多くの人が、震災の傷跡はまだ癒えていないという。

 本当も意味での復興は、いったいどういうものなのか。そして、いつになったら訪れるのだろう。

 その時、神戸はどういう町になっていて、世の中はどうなっているのだろう。少しでも、かすかにでもいいから、穏やかで暮らしやすい世の中であって欲しい。



2002年01月16日(水)
〜つれづれお仕事(もとい昼食)日記5〜


  ごめんなさい。

 いきなりでありますが、今日は、約1ヶ月半ぶりに野球日記を飛ばします。思うところがあり、書く気にはなれないのです。

 
 今、時計は1時を指しています。夜中です。慣れたこともあり、ここのところ寝るのが遅くなり、職場であくびをこらえる日が続いています。今日も、ようけ見落としをやらかし、パートナーに迷惑をかけました、眠いとダメです。何も出来ませんね。

 それにしても、職場の人たち、仲良くなるの、早すぎます。バイト5日目なのに、もう「おつかれ〜♪」とか行って手ぇ振ったりしています。

 スタートは同じなずなのに、私以外の人は知らない間に「みな友達」っていう感じになっています。きっと私の知らない間に「秘密決起集会」でもあったんやろな。

 既婚の方が多い上、いわゆる「良い人」の集まり。なんで、私が採用されたのかわからない。

 前述したが、私はミスが多い。これは、ある種の才能だと思う。丁寧に作業しようと思ったら、背中がぞくぞくっとして、寒気みたいな感じで震えてしまう。だから、私は、作業は早いがミスも多い。

 パートナーの既婚女性、最初はとろかったのだが、このごろはスピードも私とそう変わらない上、ミスはない(!)。それどころか、私のミスまで見つけてくれる素敵な方だ。なんか、人生に負けた気分。童話「うさぎとカメ」のうさぎの気持ちがよくわかる…。

 ま、どうがんばっても完璧はありえない私なので、マイペースでやろうと思います。人のミス見つけて、優越感を感じる人もいるようだし。必要悪、必要悪。

 お昼は、カツ丼。いつも混んでる丼コーナーが、今日は閑古鳥が鳴いていた。カツ丼は、思ったよりボリュームがあった。タマゴに素直さんがなかったのが若干の不満だが、それでもまあおいしかった。やみつきになるかも??



2002年01月15日(火)
タクシードライバーと私

 学校を出てから、タクシーに乗ることが多くなった。職場でイヤなことがあったり、訳もなく淋しくなったりするときは、気分転換に駅からタクシーで家に帰るときがある。時々、姉に「あんた、お金の使い方間違ってるわ」と言われるが、はっきりいってほっといて欲しい。

 そして、野球を見に行くときも駅から球場もしくはグランドに行くときはお世話になっている。やはり見知らぬ土地で、時間を効率よく使うためにはタクシーは必須だ思う。

 今日は、私が出会ったタクシードライバーの話でもひとつ。


 私の中で一番古い「タクシーに乗った」記憶は、8歳のときにさかのぼる。

 当時、年末年始を使って帰省していた岡山在住の伯母を京都駅まで見送るのにタクシーを使った。

 陽気なドライバーのおじさんは、私になぞなぞを出してくれた。
「2つ100円のりんごを2つ買うといくらになるでしょう?」
 
 私は、「2つ100円のりんごが2つ」の言葉に頭がこんがらがった。当時小学2年生だった私が、単純な言葉のあやがわからないまま、車は目的地の京都駅八条口に到着した。おじさんは、「答えは今度乗ったときに教えてあげるわ」と言った。
 
 今度なんてありゃしない。でも、私は「わかった」と言って、おじさんに手を振った。

 2つ100円のりんごを2つ買ったら100円である。なんで、こんな単純なことがわからなかったのだろう。

 「探偵ナイトスクープ」にでもハガキを出して探してもらおうかしらん。


 悔しい思いをしたのは、学生時代に行った中国での話。人が日本人であることをいいことに散々遠回りして、わけのわからんところでおろした上、「これはお札が汚いから使えない」と新札を要求するも、そのボロ札は「使えないからいいだろ?」と返してくれなかった。でも、わたしたちには反論する語学力がない。屈辱に紛れて、見知らぬ土地と格闘した。

 後で、関西弁でまくしたてると効果的であることが発覚。これから、個人旅行でアジアに行かれる方は、参考までに。


 私が今まで出会ったタクシードライバーの傾向を見ると、野球好きと元呉服屋さんが多い。呉服屋さんはともかく、野球好きというのは、乗客の私に多少話を合わせてくれているのかもしれない。でも、ダメな人は全く無反応で、終始、黙ったまま車だけが走っているときもある。

 夏の大会期間中に、「球場まで」と言うと、ほぼ100%「どこの高校を見に行かはるんですか?」と聞かれる。あるドライバーは、この年センバツに出場した鳥羽高校の選手を乗せたことを嬉しそうに話してくれた。「いや、どんなすごい子らかと思ったけど、みんな今時の高校生やね。でも、礼儀正しくていい子やったよ」。

 有名高校球児をタクシーに乗せたというエピソードはわりとよく聞く。どこまで本当かよくわからないけど(^_^;)。

 また、あるドライバーは、「ぼくも仕事の空き時間を使って、高校野球、見に行くわ。いや、試合やなくて、ブラバンの演奏を聴きに。あれは、いいよ。中にはコンクールで金賞とかとっているすごいところもあるし。いいよ。ゆっくり聴いているのも」と話してくれた。

 練習試合を見に行くために、グランドまでタクシーを使うときはちょっと辛い。「先生ですか?」とか「誰か知っている人が出てるんですか?」とか聞かれるからだ。ただのファンじゃあかんのかいっ!

 あーあ、高校生の頃なら、「誰のファンなん?」程度のノリも期待できたのだけれど。


 あと、途中でメーターを止めてもらったことも何度かある。

 岐阜県内の高校のグランドに行ったときは、電車の接続が悪いため、タクシーで町に出ることにしたのだが、そのとき、「大垣までいくらくらいで行きますか?」と聞いてみた。

 すると、「3000〜4000円くらいかなあ?車の混み具合によるけど」という答えだったのだが、車の予想以上に込んでいた、市内に入るまでにメーターが4000円に達していた。

 しかし、ドライバーのおっちゃんは、ここでメーターを降ろしてくれた。事前に4000円という上限を言ってしまった手前、そうするしかなかったのかもしれない。ちょっと得した気分だった。

 またある日は、宮津球場で行われる第一試合を見ることを衝動的に決め、朝5時に流しのタクシーを捕まえて京都駅に向かった。

 30代後半くらいのドライバーだったのだが、こんな早い時間帯に女一人でタクシーに乗ることがよほど不思議だったのだろう。「これからどっか行かれるんです…よね?」と不安気に聞いてきた。

 私は正直に「高校野球を見に行くんです」と言った。すると、ドライバーは、「こんな早い時間から試合やってるんっすか?」と目を丸くしていたので、「いや、宮津球場の第一試合を見に行くんで、この時間帯に出ないと間に合わないんですよ」と答えた。

 ドライバーは、「ひやー、そりゃすごい」と、私の妙な気合いをくみ取ってくれたのか話が盛り上がった。たわいもない話だったので今は内容こそ覚えていないが、最後に「いい試合になるといいですね」と一言。

 その心遣いと、駅に入る前の交差点でメーターを降ろしてもらえてのは嬉しかった。(ドライバーさんによると、車庫入り前に客を拾えただけでもラッキーだから、とか)

 一昨年、応援していたチームが夏の大会に負けたときも、帰りはタクシーを使った。一人で観戦していて初めての敗戦だったし、電車には勝った相手校の応援団もいる。そんななか乗ってられるかいな。

 西京極駅前の乗り場に止まっていたタクシーの後部席に乗り込んだ。会社を抜け出してきたので一刻も早く会社に戻らないといけない。「烏丸御池までお願いします」

 この時期、日焼けした姉ちゃんが乗り込んでくれば、球場帰りだ。ドライバーもプロだからそれくらいのことはわかる。「試合はどうでした?」。おじさんの一言に、私は思いのたけを話した。

「もー。聞いてくださいよ。負けたんですよー。もう悔しいっていうか残念っていうか、やってられませんわぁ。もう、私の夏は終わりですわ」

 夏が終わったそのときの独特のむなしさ。分かち合える人がいないのは正直しんどかった。どうせ一生会わない人だからと、矛先をドライバーに向けた(今、思えばかわいそうなドライバーさん…)。

 ドライバーのおっちゃんは、苦笑いをしながらも、話を聞いてくれた。そして、彼の知り合いの息子さんが私の応援している高校の野球部のOBであることが発覚。単純に話が盛り上がった。最後は、何がどうなったかわからないけれど、「阪神、がんばらなあかんで」。

 1年で一番切ない時間が少し癒された気がした。
 
 話の中で、私が室町で働いていることを知ったドライバーさんは、烏丸御池でメータを降ろし、それから細い路地に入ってくれた。渋滞が激しく、メーターがあがることも心配して、事前に目的地を側におる大通りの「烏丸御池」にしていたのだが…。

 ドライバーさんは、最後に、「ま、元気出して、がんばりぃや。いつか行けるって、甲子園」と言って、笑った。いつかそのときが来たら、もう一度会いたい。


 〜つれづれお仕事日記4〜

 生憎の天気(京都南部→終日「雨」)で、マクド行きは中止。その上、食堂がババ混み。最悪。

 仕方ないので、一番すいているラーメンコーナーで、野菜入り塩ラーメンを購入。レシートに印刷されている栄養表示の緑が、これまでで最高の「0.6」。ちょっとご機嫌になっていたら、目の前にアベックが座り、おもむろに食事を始めた。いいとこ大学のさわやかカップル。食事が、一気にまずくなった。なんか不愉快(-_-)。

 そろそろ仕事がピークに達する見込みで、上の人はてんてこまいだ。私たちも新しい作業をいくつか任されることになった。飽きなくていい。

 土曜日みたいな長時間残業を覚悟していたが、6時まででいいとのこと。ちょっとうれしい♪

 最近、ミスが多くなってきた。早くも慣れによる気のゆるみか?

 昼間、食堂で見かけたカツ丼がおいしそうだった。

 



2002年01月14日(月)
多分、野球日記…


 今日、目が覚めたら、11時半だった。せっかくの休みなのに、すごく損した気分。

 11時50分に朝ごはん、12時半に昼ごはんを食べた。

 昼からは、ひたすら漫才番組を見続けていた。

 「ABCお笑い新人グランプリ」で審査員が、「若い子の笑いの基準がわからない」みたいなことを言っていたので、笑いが世代を越えるのは難しいんだなと思った。私は、今の若手の漫才の方が笑える。そういや、野球でも「昔はよかった」などというおっちゃんはごまんといるな。

 また、今日、初めて落語を最初から最後まで聞いた。

 最近、落語がにわかにブームらしい。でも、どうも私には理解できない世界だった。でも、今日見た落語は面白かった。おそらくそれは、落語にありがちな昔話ではなく、芸人さん本人の話だったからだと思う。

 日記でもそうだ。私は、その人が見える内容がすごく好きだ。初めて野球に触れた時の話、好きな選手の話など、自分の経験したことや思ったことを表現している文章は、不思議と生き生きしている。羽を伸ばしきっているような感じがして、読んでいても安心感がある。

 前述した「ABCお笑い新人グランプリお笑い新人グランプリ」の審査基準は、「七色変化球より150キロのストレート」だと審査委員長が言った。野球って、こんなところにもしっかり根付いているんだな。

 野球も漫才も、直球で勝負できる速球本格派が求められているのに、それが存在しがたい環境になってきている。



2002年01月13日(日)
(野球日記なのに何故か)女子駅伝の話

 今季、野球以外のスポーツを初めてきちんと見た。女子駅伝である。

 まず、京都チーム優勝、おめでとう♪

 今年も優勝候補にあがっていたが、序盤でまごついた。でも、それが私をテレビにかぎりつかせた要因でもあった。

 結局、4区で3位に躍り出たあと、後半は1位。いわゆる一人旅状態が続き、6年ぶりの優勝を果たした。

 優勝の最大の功労者である4区の選手も5区の選手も、明らかに「それで、ほんまに走れるの?」というフォームだったのだが、それでも速かった。やはり人にはそれぞれ自分にあうフォームというものを持っているんだと思った。

 野球でもそうだ。あのイチローも、若いころは振り子打法を直さないがために、試合に出してもらえなかったという冷遇時代があったという。もし、前述の2選手がそんな指導者も元にいたら、今日の京都チームの優勝はなかったかもしれない。ちょっと飛躍論だけど。

 
 この全日本女子駅伝は、非常にいい要素をいくつも取り込んでいると思う。

 まず、中学生、高校生、大学生、実業団選手等の多世代の選手(一部、高校生以上の選手がいないチームもあったが)が一つのチームで走るということ。

 普段接することが出来ない年齢層の人とコミュニケーションを取ることは、いろんなことを吸収できるチャンスだ。それは、中学生でも実業団選手でも同じだろう。また、中学生という比較的若い世代で大舞台を経験させることは、そのスポーツでも課題にあげられる「若手育成」を意識していると思われる。

 テレビ中継においては、各区間あるいはゴール地点を全チームが通過するまできちんと中継していたこと、また、レースの展開が変わってときは、なによりもそれを優先したこと、解説もあくまでマラソンや選手の話からそれなかったことがよかった。

 野球中継を見ていると、しばしば「それ、今、この試合と関係ないやん」ということばかり話していて、試合そのものが取り残されているときもあり、ストレスがたまる。

 あと、各都道府県チームの通過順位がテロップに出るときに、実況アナウンサーが、「さて、あなたの応援する都道府県の順位はいかがでしょう」という表現をしていたことが印象的だった。

 世の中にはふるさとがない人やわからない人、なんらかの事情でふるさとを愛せない人もいる。また、プロ野球のように選手やチーム力で応援するチームを選ぶ人もいるからだ。

 これが、もし野球の中継だったら、「あなたのふるさとのチームはどうでしょうか?」と言いかねないなあと思ってしまう。あーあ、この1年で、ずいぶん野球の実況不信になってしまったもんだ。

 ゴールの西京極陸上競技場では、トラックに入ってきた選手を簡単にではあるが紹介するという粋な試みがなされていた。

 「次入ってきましたのは、ゼッケンナンバ○番、○○県の○○さんです。○○さんは、中学2年生のときは初めて都大路を走り、今年で2年連続アンカーをつとめます…」と言った感じ。

 ちなみに、京都チームにアンカー・福士佳代子選手は、前にアンカーを走ったときは区間43位だったという。今回は見事ゴールテープを切った。ちょっとしたエピソードを小耳に挟むだけでも、感動の度合いがぐっと増す。


 京都チームの優勝を追うと同時に、お隣・滋賀チームの40位代脱出にも注目していた。聞くところによると、滋賀チームには中高生しかいないのだとか。他にもそういう都道府県を見受けたのだが、残念ながら、そういうチームはやはり上位にはきていない。

 滋賀には、野球部を持っている某大手企業もある。ここでなんとか女子陸上部の強化を図ってもらえないものかなと思う(もしやっていたら、ごめんなさい)。女子マラソンは、今や世界でもトップレベル。不況ですたれさせるのはあまりにももったいない。

 中継の終わりに、ゲストで来られていたマラソンの関係者が、企業に依存しない新しいクラブスタイルを確立して、一人でも多くのランナーを育成したいと話していた。

 いい試みだと思う。

 野球では、クラブチームからプロ選手を輩出するようになった。今後、この傾向に拍車がかかると思う。

 私は、メジャーリーグにはそれほど興味はないが、マイナーリーグの醸し出す雰囲気は好きだ。そして、クラブチームがもっと盛んになれば、このマイナーリーグの雰囲気により近づけると思う。

 野球界のためとかではなく、私個人の好みのためにそんな時代がくることを楽しみにしている…なんて言ったら元も子もないか。



2002年01月12日(土)
電車の中で話をするときは、ちょっと考えなあかんな。


 今朝、通勤のため、地下鉄の駅のホームで電車を待っていると、おっさん2人が話すバカでかい声が構内に響き渡っていた。

「いや〜、今年は巨人優勝で決まりや」
「戦力的にもダントツやろ」
「阪神ファン(某スポーツ選手)も優勝するのは巨人やって言ってるし」
「原がやってくれるって」
「長嶋さんもあれやしなあ」

 …おっさんら、誰に向かってもの言っとんねん。
 朝からごっつ不愉快。迷惑を顧みない大声に、話の内容、おっさんにありがちな「断言口調」、私の「アレルギー要素」の集大成。同じ電車やったらイヤやなあ。

 そんなときに限って、同じ電車。それも同じ車両。混雑していたことが災いし、2人は私も真横に立っていた。うるさい声は、容赦なく鼓膜を攻撃する。

 電車が動いても、おっさんらの巨人トークは続き、今度は日南キャンプに行きたいと言い出した。これ以上側にいたら気分悪くなる。ドアの手すり前というベストポジションを敢えて手放し、おっさんを一瞥してから車両を変えた。

 車両まで変えるとさすがに声も聞こえなくなった。ホッとした。それでも、脳裏におっさんの声がこびりついていて、背中がむずむずして不快感は消えなかった。


 最近、車内の話し声に神経質になっている自分がいる。
 よく、「最近の若い子の車内のマナーが悪い」と言われるが、年輩の人にだって、負けず劣らずマナーの悪い人はいる。一番不快なのは、前述したような大声で話す人。内容が癪にさわると更にマイナス。若い人ばかりを責めるのはどうかと思う。

 友人が以前、「電車の中にはいろんな人がいるから、怖くて話できない」と言っていた。当時は、「何神経質なこと言ってんねん」と思ったが、気持ちはわからなくもない。

 前述のおっさんら、世の中には阪神ファンや野球嫌いの人がいるという意識はあるんだろうか。いや、きっとないな。

 朝の通勤電車なんて、イライラ・不快感・焦燥感の持ち主のたまり場だ。近頃物騒なんだから、そういう言動でいつ何どき事件に巻き込まれるかわからないのに、命知らずだなあと思う。

 不快音は、人の怒りや憎しみを煽る。
 せめて自分がその発生原因や被害者にはなりたくない。


〜つれづれお仕事日記3〜

 土曜日なので、食堂がすいていた。嬉しい♪
 今日は、さんまの竜田揚げとほうれん草、みそ汁とご飯を食べた。やっぱり、魚はおいしい。ここ2,3年、体は完全に肉よりも魚を欲求している。

 昨日言われていた通り、初残業が発生。
「2時間くらいちょっと残業をお願いします」
 …2時間くらいって。

 今日は、私もそうだったのだが、全体的にミスが目立ち、そのたびに仕事が止まった。上の人はかなり焦っているようだ。明日明後日の2連休が終わったら、そんなケンケンした中でも、11連チャンとなる。OH,MY GOD!

 とりあえず、火曜日の昼ご飯は何にしいうかな。マクド行っとこか。


 



2002年01月11日(金)
書けない…


 書きたいことを書けないのって、ストレスが溜まります。

 ボキャブラリーがないとか、文章力不足とかいう話は別にして、ちょっと今私はそんな状態にあります。

 昨日からバイトを始めているのですが、これがまた面白い。ネタの宝庫なのです。仕事中もあれやこれや思うことや考えることがあり、それを書いてみなさんにも是非読んでいただきたいのですが、残念ながら、極秘業務のため(決してあやしいことをしているわけではありませんので、悪しからず)、書くことが出来ないのです。部屋を一歩出たら、仕事の話は厳禁。友人知人どころか家族にすら勤務地および仕事内容は極秘にして欲しいという。

 たった二日でこんな状態ですから、あと2週間も一体どうやって耐えていけばいいのでしょう?半月それなりに働けば、本1冊は書けると思います。それほど、私の目には新鮮に映る仕事です。

 いつか、きっと何らかの手段を使って書きたいとは思っていますが…。


 

〜つれづれお仕事日記2〜

 念願のカレーを食べた。正々堂々と「Mサイズ」。

 若い人って、何故あまり食べないんだろう。前の女子大生とかは何か決まりのように「Sサイズで」と注文をしていき、時には男子学生まで「Sサイズで」と言う中、私は意気揚々と「Mサイズで」と注文した。

 食堂のおばちゃんが、「Mサイズねっ、どうもありがと」と言ってくれた。他の人には「ありがとう」なんて言っていなかったのに。嬉しかった。

 ほうれん草と野菜ジュースを加えたのが今日のお昼。とりあえず、食堂が開いている時は必ずほうれん草を食べようと勝手に誓いをたてた。

 仕事は2日目にして、かなり慣れた方だと思う。上の人が、「明日から残業が発生すると思います。スピードアップを心がけてください」と言った。よっしゃ、やったろうやないの。

 グループ単位での仕事なのだが、初対面なのに、私以外の人は何故か昔からの友達のように仲がいい。ちょっと居心地悪い。でも、下手に話を合わせたりすることを思えば遙かに気が楽だ。

 明日は何食べようかな、おでんか魚やね。平日にはマクドでも行ってみよう。

 明日が終われば、連休♪
 



2002年01月10日(木)
心配が先に立つ。

 夜、テレビを見ていたら、オフ恒例でプロ野球選手がバラエティー番組に出演していた。そこで、「試合中にファウルボールが若い女の子のこめかみに当たり、硬直していたことにびっくりした」といった旨の話が出てきた。

 当の本人も笑いを取るために言ったのではないだろうが、私はまじめにその女の子はその後どうしたのだろうと気になった。

 少し前の日記にも書いたが、私は「ファウルボールこめかみ直撃」の経験者だ。幸い軟式だったため、事なきを得たが、「もしもこれが硬式なら、死んでたかも」と思った。しかし、それが現実の出来事として起こっている。

 昨夏の甲子園大会、アルプススタンドで母校の応援をしていた女子生徒、ファウルを目に当て、視力の喪失にかかわるアクシデントに見舞われた。しかし、こうした事後の症状を私たちが知ることが出来るのはごく希な例だ。

 「珍プレー」と呼ばれるものでも、観客にボールが当たるシーンなどがある。しかし、その観客はどのくらいの怪我をして、症状はどう、入院したのか通院したのかなどはまず知り得ない。

 もちろん、個人のプライバシーの問題もあるし、場内でファウルボールによる負傷は責任を負わないちと念を押されている。だから、わからなくても仕方ないのだが、もしかしたら、そのアクシデントによって苦しんでいる方がいらっしゃるのではないかと思うのだ。

 私の知る限り、ファウルボールに当たって死亡したという例はないはず。でも、何かの拍子にありえなくはない事態なのだ。


〜つれづれお仕事日記1〜

 今日は、仕事初日。
 12月にも一度なんちゃって程度に仕事をしたが、本格的に「働く」のは、約7ヶ月ぶり。

 いつもそうなのだが、新しい仕事の初日は過剰に早く出勤してしまう。今日も就業40分前に職場に到着した。

 余った時間を使って、近所を探索した。電車で通勤するのだが、どの出口から出ると最短距離で行けるのか、またコンビニや飲食店はどこにどういうものがあるのかを一通り把握した。仕事に慣れると、楽しみは昼食とおやつだけになる。その時にそなえるわけだ。

 構内には生協食堂がある。安くて、種類も豊富。はりきってプリペードカードを購入して、学生になりすましてみたが、びら配りの兄ちゃんは見事に私を回避してくれた。ああ、化粧品のセールス姉ちゃんには「学生です」で通用するのに…。

 物珍しさに惹かれて、鮭ぞうすいを食べた。ほうれん草で「緑」の栄養素も摂取。ほうれん草にポン酢かけてたべるのが、ここ数年のマイブーム。

 明日は何食べようかな。
 家では、母が「ルーにはエキスが入ってるから」と作ってくれないので、長らくカレーを食べていない。

 そうだ、明日はカレーだ。カレーにしよう。絶対。



2002年01月09日(水)
お元気ですか?

 部屋の掃除をすることはタイムスリップすることでもある、と思う。
 物置の中で眠っていた青い手帳の中から出てきた手紙が、私を9年前に連れて行ってくれた。


 高校生のころ、しばしば憧れの高校球児にファンレターを出すことがあった。それは恋をすることに似ていた、便せんや封筒にも神経を使ったし、下書きを何度もして、字の下手さや雑さで定評のある私が、一生懸命上手な字を書こうと奮闘した。

 学校宛に送るのだが、時期が時期だし、返事など来ようはずがない。でも、ただ一度だけ、返事が返ってきたことがある。それが前述した手紙だ。

 高校2年の冬、ブラウン管越しに見たある高校のエースにファンレターを送った。何故そんな季節はずれな時期に送ったのかといえば、夏や秋は大切な進路を決める時期なので、学校側が絶対本人に渡してくれないと思ったからだ。あと、他のファンレターと一緒にされたくないという思いもあった。

 彼がいたチームは、初戦でいきなり大会ナンバーワンと言われ、今でもプロの世界で活躍しているスラッガーを擁するチームと対戦した。長打は打たれたが、ホームランは許さなかった。でも、彼のチームは大量点を取られて負けた。

 超高校級スラッガーを擁したそのチームは、次の試合で負けた。そのスラッガーが5連続敬遠という類まれに見る作戦により、全く勝負をしてもらえなかったのだ。決してそれが直接的な敗因ではなかったのだろうが、社会問題にすらなり、当時は大変な騒ぎになった。

 だからというわけではないのだが、彼がそんなスラッガーに真っ向勝負を挑んだことがかっこよく思えた。

 どんなことを書いたかはあまり記憶にない。

 それから、2週間後、返事が来たのだ。びっくりした。
 筆圧の強そうな濃い字で、私の住所と名前が書いてあった。貼られている切手は、まだ62円だった。裏には、彼の名前が書いてあった。

 深い紺色の封筒に、薄い線だけが入って白い便せん。行間一杯に文字は広がっていた。

 甲子園は良き思い出であったこと、対戦したチームやそのスラッガーはやはりすごいなと思ったこと、もう大学が決まりこれからは準硬式野球でプレーすること、今風邪をひいていることなどが書かれていた。手紙の最後に、丁寧に「お手紙、ありがとうございました」と書いてあり、彼の自宅の住所が追記されていた。

 嬉しくて、嬉しくて、何度も読み返した。夜は枕元において寝て、朝はそれを一読して目覚めた。いつでも読み返せるようにとスケジュール帳に挟んでいた。生まれて初めて、「これが私の宝物だ」と思えた。

 
 その後、自宅の方にお返事をいただいたお礼の手紙を書いた。それ以上の発展はなかった。今にして思えば、返信用の便せんや封筒、切手も同封していなかったのに、返事を頂けたのはものすごいことだと思う(私の手紙の内容が質問ばかりだったのかもしれないなあ)。

 東京の大学に行った彼がその後どんな活躍をして、どんな人生を歩んでいるかは知るよしもない。でも、どこかで幸せに暮らしていることを信じたい。


 竹内正人さん、お元気ですか?



2002年01月08日(火)
今思えば笑い話


 今朝、某サイトの掲示板に書き込んでいて、ふと思い出したことがある。


 大学入学当初、私は野球部のマネジャーをしようと考えていた。高校時代は女子校だったため、「大学は野球部のあるところに入りたい」と思っていた。

 早速、野球部の部室を訪問し、練習を見学していたら上級生の女子マネジャーの声をかけてもらえた。そこで色々な話を聞いていたら、野球部員に人が寄ってきた。それほど有名でもないが、甲子園に出場していた人で名前は知っていた。

 その選手は、私にいきなり「自分、どこ出身?」と聞いてきた。面食らったが、自分の母校の名前を口にした。すると、「かわいい子いるやろ、紹介して、紹介して!」とそれほど整っていない顔を近づけてこられた。

 私の母校は名前がいかにも「女の園」!なので、男の人が必死になるのもわからないではなかった。実際、他の人にも言われていたし、高校にはかわいい子や美人も多かった。(それ故に友人知人に「あんたが行くのは間違ってる」とまで言われたっけ?)

 私は女系家族で育ち、高校も女子校。男の子と話すことすらほとんどなかったので、高校球児に「完璧な男性像」を求めていたように思う。だから、他の男の子が「紹介して!」と言うのは許せても、高校球児だった人、ましてや甲子園にまで出ている人が「紹介して!」なんて言うことはあってはならない事態だった。

 その時、その瞬間、私の高校球児像は音を立てて崩れた。球児も所詮、周りの男の子と一緒やん。そう気付くと、急激にマネジャー志願の気合いが萎えていった。

 思えば、笑い話。勝手に理想像を作りあげ、勝手に幻滅して…。
 でも、今となってはそんな些細な出来事に感謝したい気持ちでいる。少なくとも、猛暑の中、酷使されている高校球児を見て、「感動をありがとう!」とは思わなくなったから。

 



2002年01月07日(月)
マスコミに踊らされたある女子高生の話。

 2002年になって、1週間。すでに仕事始めや新学期をむかえた人たちが多く、もうそろそろお正月気分も抜けてくるころだ。

 今年のお正月は、私にとってちょっと予想外のものとなった。今年は、野球以外のスポーツ、たとえばラグビーや駅伝あたりをきちんと見ようと思っていたし、また見たいという明確な意志もあった。

 しかし、いざ年が明けてみたら、その大半をプロ野球選手が出演しているバラエティー番組やお笑い番組に費やしてしまった(そういや、「名探偵コナン」をやたらよく見ていたなあ…)。これは一体全体どうしたことか自分でもよくわからない。もしかしたら、宙ぶらりんな今の立場が、私に感動よりも笑いを求めさせたのかもしれない。

 今年は、あちこちで「駅伝がよかった」「ラグビーがすごい」とか聞くので、ちょっともったいないことをした気がしないではないが、どうも自分の好奇心には逆らえない。もっと積極的に他スポーツを見る自分になるのを待つしかない。


ふと、自分はいつから野球しか見ない人間になってしまったのだろうと思う。ラグビーや駅伝は見ている年もあるのだが、サッカーなんてもう何年も見ていない。きっと、その大きな契機は1993年のJリーグ開幕にある。

 こう見えても私は、高校野球とほぼ同時期に高校サッカーも見るようになっていた。中学3年生のときのことだ。当時は、高校野球よりもむしろ高校サッカーの方に熱心だったかもしれない。

 友人に「キャプテン翼」を借り熟読したし、当時書いていた小説の登場人物もサッカー部所属という設定にしていた。体育の授業は嫌いだったけど、サッカーだけは多少参加意識を持って取り組んでいた。高校時代には、サッカーの入門書を買って読破した経験も持っている。

 時代は、帝京や四日市中央工業・武南の黄金期。清水商業の1年生ゴールキーパー・川口能活選手や鹿児島実業のフォワード・前園・城両選手もまだ「将来のホープ」に過ぎなかった。そして、今や世界で活躍する中田英寿選手は、まだ高校サッカー界に登場していなかった。

 読売クラブにラモス選手やブラジルから帰国したカズがいた、武田選手もいた。でも、サッカーの話を出来る友人などいなかった。

 中学の卒業間際、答辞の内容をみんなで作ろうということになった。何がどういういきさつでそうなったかは定かではないが、私は「答辞作成実行委員」になり、皆からのアンケートを参考に答辞を作ることになってしまった。

 答辞は苦労の割に大半を先生に修正され、「だったら自分で考えたらいいのに」と不快になった記憶があるが、アンケートの回答を見るのは楽しかった。

 印象に残った回答があった。
「将来の夢・サッカー日本代表になって、ワールドカップに出場すること」。
 まだサッカーがそれほどメジャーではなく、ワールドカップなど夢でしかなかった頃の話だ。回答した当事者は、おとなしい男の子で、話したこともなかったのだが、妙な親近感を覚えた。

 夏は高校野球、冬は高校サッカー。そんなサイクルは2,3回だっただろうか。

 何かが狂い始めたのは、前述した1993年のJリーグ開幕後のことだ。
 今までサッカーの「サ」も言わなかったような女の子が、サッカー選手を見て、黄色い声をあげている。周りはこぞってJリーグの話題をする。サッカーがプロ化すること自体はいいことだとは思っていたが、あまりの激変についていけなかった。

 ふと気付くと、周囲でおかしなことが起こっていた。世間では「野球VSサッカー」という構図が出来てしまっていたのだ。そして、それはややも野球に不利なように思えた。

 私は基本的にどちらも好きだった。でも、どちらかに決めなければならないように思えた。そこで、私は野球を取った。一度そう決めると、Jリーグに賛同する声が野球バッシングに聞こえた。あまのじゃくな私はいよいよサッカーが嫌いになった。

 それは、それから私はサッカーを見ることがなくなった。いや、意識的にサッカーを遠ざけていたのかもしれない。あの頃、なぜサッカーが好きだったのかすら忘れてしまった。

 最近になって、マスコミに踊らされていたなと思う。そもそも「野球VSサッカー」などという構図、どこにもないのだ。野球は野球、サッカーはサッカー、全く違うスポーツだ。

 冷静に考えると、サッカー界の取り組みは素晴らしいと思う。今は苦しいかもしれないが、10年20年単位で考えると間違いなく、成功を収めるだろう。全国に広がるクラブチーム制など、いいところはどんどん見習って欲しいと思う。
 



2002年01月06日(日)
年賀状迷言集?!


 朝からずっとテレビ漬けだった。野球シーズンはオフとはいえ、この年末年始はほぼ毎日なにかしらの番組でプロ野球選手を見ることができる。

 今日は、「プロ野球オールスタースポーツフェスティバル」という番組を見ていた。クイズにカラオケにバッティングに…。やらせの感も否めないが、単純に笑えた。そして、最後の馬跳びで、阪神が優勝したのが良かった。司会者がしきりに「阪神優勝!阪神優勝!」と叫んでいた。ああ、いい響きだ。一度でいいから、秋ごろに言ってみたい。


 とりあえず、ここで日記らしい日記はおしまい。この番組を見て何か思うことを書ければ良かったのだが、残念ながら発展のある文章や思いは浮かばなかった。

 そこで、今日は、今年私宛に来た年賀状から印象に残ったものを紹介させていただきたいと思う。

 年賀状を頂戴したみなさま、誠にありがとうございましたm(_ _)m。


1,「未だ道が決まらず。ウロウロ、不覚にも楽しいゾ」(友人・神奈川県在住)

 私の思いを代弁していただき、誠にありがとうございました。どちらが先に落ち着くのでしょうかね?

2,「今年の僕は「野球道」を極めたいと思っています」(友人・長野県在住)

 いい言葉ですね。あなたはあなたの、私には私の野球道があると思います。また、お話を聞かせてくださいね。

3,「12月に坪井が結婚しちゃったのでちょっとヘコんでる今日このごろです」(サークルの後輩・市内在住)

 私も藤本くんが結婚したら、ヘコむと思います。ま、別にどうってことないのですが…。

4,「虎もHPも盛り上がりますように…。」(友人・富山県在住)

 嬉しいお言葉です。ありがとうございます。今季は、オリックスと阪神で日本シリーズになったら…いいですね。

5,「元気ですか?最近どうしているのかうわさにもきかないんで…」(幼なじみ・市内在住)

 あなたっ!同じ町内に住んでて「うわさにもきかない」って…。とりあえず、生きています(苦笑)。



2002年01月05日(土)
今年初めて野球を見た、という話。


 元旦の市立船橋高校訪問で、無人グランドの訪問にも味をしめた私は、今日、兵庫・姫路工業高校のグランドを訪問すべく、JRで姫路まで行った。

 しかし、実際のところ、立地条件により、グランドをじっくり見ることができず、ほど空振り状態で訪問を終えた。

 ところが、足を運ぶとは無駄ではないようで、何かと収穫はある。


 姫路工業高校最寄りの神姫バス「慶雲寺前」に降り立った地点で、カキーンという金属音や言葉ではおよそ表現できない野球部独特の声が聞こえてきた。

 「お、これがラッキー、いきなり練習が見れるのか?!」、私は姫路工業高校への道を急いだ。

 しかし、姫路工業高校の前に来ても、声はまだ遠くにある。「グランドが離れているのかな」と思い、さらに声の方向に歩いてみた。

 声の主を見つけることが来たのは、大通りに出てからのことだった。フェンス越しではあったが、グランドも選手もしっかり見えた。でも、部員が来ているユニフォームは甲子園で見かけたそれとは違った。

 そう、付近にある他校の練習光景だった。正門に行き、校名を確かめた。姫路西高校。知らない学校だった。でも、別にがっくりはしなかった。

 まだ冷たい風が吹くなか、選手はノックをしていた。ノッカーもおそらく選手だったと思う。脇では、緑のジャージと制服であろうスカートにルーズソックスというスタイルの女子高生がボール拾いをしていた。下半身が寒そうだった。

 私はちょっとの間立ち止まって、練習を眺めていた。冬の間はウェートトレーニングや走り込みばかりだと思い込んでいた私の目には、このノックはかなり新鮮に映った。そして、こんな早い時期に「野球」を見れたのが嬉しかった。

 気のせいか、グランドが硬いように思えた。まだまだ寒い。動きが硬く、ゴロを処理するときにバランスが取れずこけていた選手を何人か見た。怪我にはくれぐれも気をつけて欲しいなと思った。

 時間が迫っていたので、グランドを後にした。バス停までは優に300メーターはある。しかし、選手の声はずっと響いていた。それがすごく心地よかった。



2002年01月04日(金)
個性とは何ぞや?!

 
 「人間は考える葦である」とはよく言ったもので(ところで、「葦」って何ですか?)、人は長年かけて意識の有無にかかわらず考え続けているテーマがあるという。

 以前つとめていた会社の上司は、「私は“商いとは何か”を20年以上考え続けていましたよ」と言っていた。20年とは非常に長い。しかし、私もおそらくそのくらいの期間考え続けるであろうテーマを持っていることに最近気付いた。それが、タイトルでもある「個性とは何ぞや」ということだ。(こんなんだから、「頭でっかち」とか「理屈屋」とか言われるんやろな)

 もちろん、その類の本はあるだろう。でも、「知っている」と「分かっている」は大きく違う。もっと時間をかけて考えてみたいと思うのだ。

 人から誉められてイヤな人はまずいないと思う。私が誉められて一番嬉しいのは、やはり文章に関することだ。うまいというより、いい意味で「あなたらしい文章ですね」とか「あなたにしかか書けない文章ですね」みたいなことを言われるとめちゃくちゃ嬉しいし、「ああ、書いて良かったなあ」と心の底から思える。

 しかし、今まで自分が書いた野球日記を振り返ってみると、出会った人のことを書いていたり、人から受けた影響のことを書いていることが多いのだ。自分独自の考えなんてはっきりいって、ない。

 以前、ある人に「僕の文章を見て、どう思いますか?アドバイスをください」というメールを頂戴した。その方の文章を元々読んでいたので、思ったことを書いて返信したのだが、そこに「あなたらしさが出るといいですね」みたいなことを書いた覚えがある。

 確かに、書き手の人柄が見えた方が読みやすいし、興味ひかれるのは間違いない。でも、今になって、「無責任なこと言ったなあ」と申し訳ない気持ちでいる。

 大体「自分らしさ」って何?と思う。
 世の中にはそれこそ星の数ほどの人がいる。
 
 学生時代に受けた模擬試験の問題文にこんな一文があった。

「文章を書くのがうまい、運動神経が抜群、絵がうまい。そのような他人よりちょっと抜きんでたものを指して個性というなら、それは個性とはいえない」

 残念ながら試験問題の文章は途中で終わっており、結論を知ることはできなかった。

 「個性とは何か」、まだはっきりした結論は出ていないただ言えることは、特徴や長所・短所は、個性とは別なところにあるのではないかということ。

 1,2年ほど前、沖縄代表として甲子園大会に出場した那覇高校が、「個性派野球」として話題をさらった。しかし、もしそれが変わったバッティングフォームをする選手や左投げのキャッチャーのみを指して言われていたものならば、関係者にとっては心外なのではないかなと僭越ながら思ってしまう。


追伸:今回何故このようなおよそ野球に関係なさようなテーマを取り上げたかというと、今日は私の人生に大きな影響を与えてくれた人の誕生日だからだ。今こうして野球日記を書いているのも、この人との出会いがあったからだし、また今まで出会ったどの人を抜いても今の自分は考えられない。その感謝の意味をこめて、全ての人に捧げたいと思う。



2002年01月03日(木)
つれづれ野球日記の今後を考える。於・京都駅前「酔心」


 今日は、相方と2人で焼酎(お湯割りレモン入り)を飲みながら、「つれづれ野球日記」の今後について考えた。(ちなみに相方は、このページを見たことがありません)

 3月でこの日記もまる1年になるわけですが、どうも夏に鳴きまくって力つきるセミのように、ネタを120%の勢いで書き下ろしているため、今から来季の構想不安なのです。特にオフのこの時期。「これ、去年も書いたで」ということが出てきそうだし、また気付かずにそのまま書いている可能性も多いに出てくると予想している。

 そこで、今後どのような形式、および構成で書いていけばいいのかを考えました。

 色々な案が出たが、その中の一つに「座談会」がある。野球好きな友人と一緒に飲みに行ってその会話をそのまま日記にするというものだ。多少、邪道の気もないとは言えなくはないが、これは面白そうだと思う。

 私は、文章を書く以上、テーマや意義、結論が必要だと思っている。しかし、日記というもは本来その日にあったことを書き留めるとりとめのないものだ。第一、毎日毎日難しいこと考えて頭を使っていられない。

 昨年はどうもそういうテーマや結論にこだわり過ぎていたように思う。もちろん、内容はあるに越したことはないのだが、たまにはいい意味で結論も魂もないようなたわいもない日記も必要かもしれないと思っている。それに、取材や書くことの勉強にもなるし。

 というわけで、近々この「座談会」形式の日記に挑戦してみたいと思う。私と酒を飲みに行く方は心しておいてください。


 また、文章的なことでは、やはりボキャブラリーの貧困さや誤字脱字がまだ目立つ。ボキャブラリーには時間を要するが、誤字脱字はどうにかしたいところ。

 あと、前述したこととダブるが、結論づけることにこだわりすぎ。少し前に読んだ本で、「ノンフィクションの究極の結論づけは、決定的な事実をただ書くこと」だという。

 たとえば、作者が「これはこういうことをテーマに書きました」と書くのではなく、ある人の証言や日記などを引用して、文章を締める、みたいな。

 また、これもよく話しているのだが、どうも文章が暑苦しい。うーん、少しはマシになっているのだけど、3ヶ月以上前の文章はむさ苦しくて読む気になれないのが正直なところ。うーん、やはり夜に書くのがいけないのかなあ。

 
 とにもかくにも、今日は色々考えた。言葉に上手くできないことがまだまだ多い。でも、日記を初めて当初に比べたら、少しはマシになってきているかもと思う。自分でいうのは何だけど。

 というわけで、私はまだまだ現状に満足していません。これからも温かく見守っていただければ嬉しく思います。


追伸:今度、相方が「特別寄稿する」とのたまっております。どうなることやら(^_^;)。

 



2002年01月02日(水)
なんちゃって教育論??!


 0泊4日という強行ツアーの疲れが一気に吹き出て、朝から寝てばっかりいた。これぞまさに寝正月。

 夜、ダウンタウンの浜ちゃんが司会をしていたプロ野球選手を回答者に迎えたバラエティー番組(タイトル、忘れた)を見ていた。各球団を代表2名が、いわゆる「暴露話」をするというおもしろいといえばおもしろい、問題ありといえば問題ありの番組だった。

 私個人は、それなりに楽しめたが、あれを子供に見せるのはちょっと考えものだと思った。もっと夜深い時間帯にやった方がよかったんじゃないかなあ?

 あと、プロ野球選手があまりに身近になりすぎると、気持ちが冷めてしまうのは私だけだろうか。ちょっと知りたくないことまで知ってしまったように思う。

 番組内で、球団をどれだけ愛しているかを試すクイズが各チームの代表に出された。ヤクルトの「利きヤクルト」、日本ハムの「利きハム」(岩本選手と森本選手のあの衣装を見て、大沢親分をふと思いだした…)など、なかなかウケたクイズもあったが、一番クイズらしかったのは、広島だった。

 「広島県の人口と県花は何?」というのがその内容だったが、残念ながら選手は答えられなかった。

 正解は、「250万人・もみじ」。250万人はともかく「もみじ」は有名だ。広島の名物といえば、もみじまんじゅう。答えられそうに思えたのだが。

 しかし、ふと我が立場に立ったとき、京都府の人口も府の花も知らない。答えを見て、きっと「ああ、なるほどな」と頷くのだろうが、今の地点では全くの白紙。

 実際、自分の地元の人口や県花、名物や名所や歴史をきちんと知っている人が一体どれだけいるのだろう。私は、地方の友人知人から、「京都を案内して」と言われるたびに、おどおどする。ガイドブックに書いているようなことなら、まあわかる。でも、地元ならではとか地元の人しか知らない穴場的なものを求められたら、白旗をあげるしかない。降参だ。


 10数年間、机の上に座っていて、「なんで、勉強せなあかんのやろ」「こんなん役に立つんやろか」「教育って何やねん」とまじめに考えていた。

 私は、世界地理が大の苦手だった。元々、カタカナアレルギーというものあるのだが、あまりに彼方のことでイマイチ現実感が伴わないことばかりだからだ。今でこそ、国際化社会になり、子供でもネット一つで海外を知ることが出来る。でも、当時はそうではなかった。海外は遠かった。

 東南アジアがどっかの産物に、ボーキサイトというものがある。「なんじゃ、そら」と思う。小・中・高とずっと教わってきた。でも、誰もボーキサイトが何物なのか教えてはくれなかたった。成人した今でも、ボーキサイトって何かわからない。私の教養不足かもしれないけれど、町中で100人アンケートをとっても、きっと答えられる人は20人いたらいい方だと思う。

 また、日本史は、どうしていつも近現代史が手薄になるのだろう。一番大事だと思うのに。大学や高校では、そこを狙って、出題するのだが、間違ったことをしていないと思う。今、若い世代の政治無関心が深刻だというが、こういう教育課程には一因がないだろうか。(正直、私も政治にそれほど興味はない)

 「ギブアンドテイク」という言葉がある。情報や知識も同じだ。だから、せめて地元のことは知っておきたい。だから、教育現場では、もっと身近なことを教えて欲しいと思う。


 回答の「県花・バラ」を見て、会場は笑っていたが、一体本当の意味で笑える人は何人いるのかと考えてしまった。少なくとも、私は笑える立場に回れない。
 

追伸:京都府マメ知識
   人口・約256万人 花・シダレザクラ 木・キタヤマスギ

 



2002年01月01日(火)
初“グランド”詣

 新年、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。


 さて、今日は東京ディズニーランドおよび千葉県上陸2日目にあたる。そこで、せっかくここまで来たのだからと、同行した友人に了承を得て、昼から市立船橋高校に向かった。

 新年早々グランド訪問かいっ!
 今日くらい野球から離れればいいのに…。そうは思ってみるものの、やっぱりダメ。ま、高校野球の原点、神聖なるグランドに初詣するというのも悪くはない。

 東京ディズニーランドの最寄駅JR「舞浜」駅より武蔵野線で西船橋駅に行き、ここで総武線に乗り換え、一駅目が市立船橋高校の最寄り駅JR「船橋」駅。所要時間は25分だったが、武蔵野線の本数が少ないため、乗り継ぎに失敗すると憂き目を見そう。

 船橋駅には詳しい地図がなく、町中にある学校の割に辿りつくまでに結構苦労した。市立船橋高校は、線路に沿った道路を道なりに歩いて10数分のところにある。駅員のおじさんは、「10分もあれば着く」と言っていたが、どう考えても無理だ。とにかくどんつきまで信じて歩きつづけるとたどり着くことが出来る。下手に方向転換をすると、迷いの基だ(経験者)。

 道のどんつき。たどりついた所は同校のグランド前。第一印象は、「狭っ」。

 とにかく、グランドが狭いのだ。周知の通り、市立船橋は野球だけではなく、サッカー(むしろこちらの方で有名か)や駅伝でも全国レベルの実績を誇っているスポーツ有名校だ。公立とはいえ、さぞ恵まれた環境で練習に励んでいることだろうと想像していたのだが…。

 グランドは、校舎と線路に挟まれた形である。線路とグランドの間には枯れた蔦らしきものが絡まった高いフェンスが立ちはだかり、ややも圧迫感がある。これが、広くないグランドを更に狭く見せる要因なのかもしれない。

 グランドのすぐ外側を歩いてみた。私の歩幅はそれほど大きくはないのだが、縦(?)は約100歩程度。横はその3〜4倍はあるように見受けた。その形状から、サッカー部は全面使ったらそうにか練習出来るだろうけど、野球部は辛そうだなあと思った。どう考えてもフリーバッティングなんて無理。

 もしかしたら校外に別のグランドを持っていたり、地元の運動公園や球場などを使っているかもしれない。そうでないと、あの環境で野球もサッカーも駅伝も全国級なんて説明がつかない。私、頭硬くなったのかな?

 線路寄り中央に野球部が使っているであろうダグアウトやスコアボード、パイプらしきもので出来た観客席などがあった。それも特別なものではなく、どこの高校でも見かけることが出来るごくありふれたものだった。裏には、緑のビニールハウスらしきものがあった。おそらくブルペンだろうと思う。

 そのダグアウトと対角線上に部室らしき2階で構成されている建物があった。元旦とあって、グランドには人影はなかったが、2階のてすり部分に野球部員のアンダーシャツが干してあった。「こんなところに干してたら凍るで」。そうは思ったものの、この時期に部活動の息づかいを感じるものに出会えたのは幸運だなと思った。目線を少し上げてみた。「祝全国高校サッカー選手権出場決定・市船」と書かれた横断幕。野球部もがんばれよ、沈黙を守るグランドに、そっと心の中で声をかけてみた。

 それにしても、ここまでイメージとかけ離れたグランドにお目にかかるのは初めてだ。今度は是非練習風景を見たいと思う。あのグランドをどういう風に使っているのか気になって仕方がない。