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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2001年12月31日(月)
はたらく人たち。

前略、読者のみなさま。

約1年間、おつきあいくださり誠にありがとうございました。

今年1年は、ネットなどを通じて、多くの方と出会い、いろんな話を聞き、さまざまなことを学びました。

温かい励ましをくださった方、アドバイスをくださった方、色々なことがありましたが、みなさまのおかげで、どうにか乗り越えることができました。

そして、まだ見ぬ読者のみなさま、毎日アクセス分析を見るたびに、「ああ、これだけの方に御覧いただいているんだな」と思うと幸せこの上ありません。

心から、感謝しています。

2002年が、みなさまにとって良い年となりますように。

来年もよろしくお願いいたします。

            2001,12,31  管理人・あるこ


「はたらく人たち」

 昨日の夜行バスで、東京ディズニーランドに来ている(本来は「ディズニーリゾートというそうだが、どうもなじめない)。その29日の夜中、友人から電話がかかってきた。「1万円でディズニーランドに行けるんやけど、行くやろ」。私の「ひま人代表」のレッテルはまだ取れていないようだ。

 私が注目していたのは、構内で働く人たちだった。外で入場客を誘導する人、アトラクションの案内係、ボートをこいでいる人、ミニバスを運転している人、風船を売っている人、観光客に写真を撮ってあげる人、ファーストフードの店員さん、掃除をする人、そしてパレードで登場するディズニーキャラクター…。

 男性も女性もいる。全般的に若い方が多かった。また、各々の制服があるのだが、それがまたどれもこれもかわいい。各セレクションのイメージをしっかり捉え、かつ場内の雰囲気にとけ込んでいる。こんなこまかいところにまで、気遣いが行き届いていることに、一種の感動さえ覚えた。みな、親切でフレンドリー。「いってらしゃい」という言葉の暖かさ、手を振るさりげない仕草。思わず手を振りかえしたくなる衝動にかられた。

 ディズニーランドは非日常の世界である。時が経つことや今日が大晦日であること、日本にいること見事に忘れさせてくれる。

 しかし、はたと思う。
 いくら私たちにとって非日常の世界でも、はたらく人たちにとっては、それが「日常」。

 確かに、そういう何かしらの夢や情熱を持って仕事をしている人が多いとは思う。調子の出ないときとかには、きっとイヤになったりするんだろうな。でも、そこで無愛想な顔はできない。「お仕事です」みたいな冷め切った、割り切った表情や仕草、言葉は許されない。夢を売るって大変だ。

 プロ野球選手もそういう意味では、夢を売る人たちだ。契約交渉やオールスター休みなどは、働く人としては当然とも言える権利。しかし、職業がらそれはマイナスイメージに変身する。私自身も、労働者の権利をわかっていながらも、オフのたびにもつれる契約交渉には正直気分が消沈する。

 また、必要もないのにプライベートまで言及されたり、イメージが知らない間に一人歩きして、根拠のないバッシングを浴びるときもある…。どれもこれも、「はたらく」こととは関係ないはずだ。大金をもらっているからいいっていう次元の問題ではないはず。もし、町で選手を見かけるようなことがあっても、声は掛けないでおこう。

 華やかにとり行われているカウントダウンの光景眺めながら、ふとそんなことを考えた。




2001年12月30日(日)
ねがいごと、ひとつだけ。


 今日、昼からともきちと「願いごとが叶う」ので有名な地元の寺に行った。ぶちゃけた話、京都市内にある「鈴虫寺」だ。女性の方なら、「ああ、聞いたことある」程度ででもご存じだろうと思う。遠方から来られる方もあり、今日は「愛知から来ました」という方に遭遇した。

 学生時代、3回ほど行っているのだが、すべて願いは叶っている。いずれも、旅の安全を願ったのだ。しかし、今回は、自分の力ではどうすることも出来ないことをお願いしてみようかと思った。それでこそ、「願いをかなえてくれた」ことが目に見えてわかるから。

 願いごとを具体化するのは、予想以上に難しい作業だった。テンポのいい寺の神主らしいおじさんの話を聞きながら、ずっと「どうしようか」と考えていた。(余談だが、おじさんは「人に話を聞かせる」ことをしっかり考えておられると思った。ただ聞いているだけでは、「ふざけたおっちゃんやなあ」と思うのだが、気付いたらちゃんと耳を傾けていた。大勢の前で話をする方には、是非見習って欲しい姿勢だ)

 運勢は、2/3の節分にメドに変わるのだという。今回の私の願いごともそのころには結論が出ていると思う。
 
  えっ、「何をお願いしたか」って?
 「野球日記」として書いている以上、もちろんその願いごとも野球関連です。それだけは、申し上げておきます。



2001年12月29日(土)
枠に当てはまらないもの。


 今日、母校の就職課から、なにやら手紙らしきものが届いた。何だろうと思って開封してみると、黄色い紙が出てきた。「アンケートのお願い」だとか。元々、アンケートに答えるのは好きな方なので、「よっしゃ」と思って、中身を見てみた。

 しかし、その用紙も今や我が家のゴミ箱の中。
 だって、書くことがなかってんもん…。

 アンケート主旨は、「職場での現状」だった。会社での人間関係、転職の意志、待遇、給与、役職…。私には全く無縁の話ばかり。特に、「女性の方は、男女雇用機会均等法を踏まえて書いてください」とある。何じゃそら。

 世の中には例外っていうものがある。
 社会に出たからといって、企業内で社員として働くとは限らない。パートタイムや派遣で働いている人はもとより、仕事をしていない(出来ない)人もいる。また、結婚して家庭に入った人や、芸能活動をしている人、ボランティア活動で国内外を行き来している人もいる。そして、私の拙い想像力では考えつかないようなことをしている人もいるのだろう。

 それを、アンケート用紙にのっけから、「氏名」「企業名」「役職名」では、気も抜ける。就職課なのだから就職していない人のことなど関係ないのかもしれないけれど、せめて「貴方は現状は?」という項目をもうけて、例外を受け入れるのが礼儀っていうもんだろう。私は、就職課にお世話になっていないので、尚更そう思うのだけれど、「それが人に物を頼むときの態度か?」って思ってしまった。

 いや、こんなことでいちいち腹を立てるなんて、私もまだまだ未熟だ。冷静になってみると、おもしろいじゃないかと思う。

 お笑い芸人になったOBがいたとしたら、役職名は「ボケ」か「つっこみ」。給与はどういう風に書くのだろう。「1回の舞台単位」なのかな。それとも、「仕事内容による」なのかな。

 野球選手はどうなんだろう。役職名は、ポジション名なのかな?給与は年俸単位?職場の人間関係は、「監督が使ってくれない」とか「コーチがうるさい」とか「野手がエラーばかりして、勝ち星がつかない」とか??

 でも、野球選手に会社の匂いを持ち込むのはいやだな。10代20代から、サラリーマンが一生かけても稼ぎきれないようなお金をもらって(もちろん、そんな選手は多くないのだけれど)、広いグランド内で暴れて、オフにはテレビに出る…。彼らにとっては日常でも、私たちにとっては非日常の世界だ。

 野球選手は、いい意味で枠に当てはまらない人の集まりだ。
 私が、複数年契約が好かないのはそういう考えを持っているからだ。活躍してら、5億でも10億でもあげれるだけあげたらいい。でも、ダメだったら、即ダウン、1000万でも500万でもかまわない。当人じゃないから無責任はことを言うようだが、それこそプロの世界なんじゃないかなと思う。


 就職課アンケートは、社会人4年目のOBを対象に毎年行われているらしい。我が母校のOBには、プロ野球選手が何人かいる。そのうち、2人が来年で「社会人」4年目となる。黄色い紙は、彼らの元にも届くのだろうか。

 



2001年12月28日(金)
野球ファンを語るシリーズぁ 船侫.鵑了訐〜


 2,3日前に日記で、私はスポーツライターになりたいと思っていたと書きましたが、そのころの話をしたいと思います。


 9月ごろだったでしょうか。ネットを通じて知り合った方と、お話しする機会がありました。その方の器の大きさなのでしょうか、とても話やすくて、ついつい「自分はスポーツライターになりたいのだけど、具体的にどういう行動を起こしたらいのかわからない」ということを相談しました。まくしたてるように話す私の話をきちんと聞いていただき、具体論やご自分に意見も話していただきました。

 私がライターになりたいと思った理由の一つは、「取材が出来る」ということにあります。最近は情報が多様化しており、欲しい情報どころか欲しくない情報まで入ってくるのですが、私はマイナー志向の傾向があるため、そのような機関で取り上げられていない分野や団体・人物に対する情報も欲しいなと思っていました。

 そうなると取材という形が有効だし、自分の聞きたいことを聞けるメリットもあります。でも、素人が取材するなんて到底無理な話。そしたら、ライターになるしかない。とまあ、私の思考回路はそんな感じでした。

 しかし、その方はこうおっしゃったのです。

 「でも、そうなるとファンの視線じゃなくなるね」

 言葉だけ取ると、当たり前のことなのですが、私はすごい衝撃を覚えました。私は何か誤解していないか?、ふとそう思ったのです。

 ただのファン。
 そういう今の立場になんで負い目を感じたりしなければいけないのだろう。野球との距離が近いことがすべてなのだろうか。いや、そうじゃないだろう。関係者にしか見えないことがあるのなら、関係者でない人にしか見えないこともある。

 こんな私でも、与えられた立場で人に伝えられることは充分あるのかもしれない。外野席に座り、のんびり「野球」を眺める。選手の表情やバットスイングの音、ボールが風を切って走り抜ける音は聞こえない。でも、周りの景色はよく見える。隣のおっちゃんや前でいちゃついてるカップルの会話が聞こえる。選手の上に広がる空の色がわかる(ドームじゃ無理だけど)。

 たった一言の言葉で、いろんなことが脳裏を駆けめぐった。

 「取材したい」という思いは今でもある。でも、この一言のおかげで、ファンとしての誇りを持てるようになった。いつか取材をする機会があったら、カバンに中に忘れずに詰め込んでおこう。



2001年12月27日(木)
勝手に第1回野球日記大賞受賞作発表?!


 12/16の日記で、ちらっと予告していましたが、「勝手に第1回野球日記大賞」を本日の日記で行いたいと思います。

 当初は、12/31の予定でしたが、慌ただしさの中で忘れてしまう自信満々だからです。これは、あくまで私個人の趣味の一貫としてやっているもののため、残念ながら、選ばれた作品を書かれた日記作家さんが、更なる飛躍を遂げるきっかけにはならないでしょう。ですが、間違いなく「いい作品」です。ここで紹介させていただくことによって、アクセスアップやまた野球日記の更なる普及のつながればいいなと思います。

 
<勝手に第1回野球日記大賞優秀作品>

(他のノミネート作品は、12/16付日記を参照してください)

☆ 昔の野球を教えてくれた今中慎二(11/10)栗山司の一筆入魂日記
 
 今中投手の全盛期を見ていない私を思いっきり後悔させてくれた作品です。栗山さんの作品は全般的に余計な「熱」が抜けているため、内容にすっと入っていけます。このところ、文体がちょっと変わったように思います(もちろんいい風に)。来年も楽しみにしていますね。

☆ 野球日記だワン!(5/14)1字違い大学生の無謀な野望の野球日記

 ご自分の飼っておられる犬を主人公にした一風変わった日記。このまま絵本に出来そうだな、と思った。ですが、本来は本格的な野球日記を書かれる方。この作品を大賞に据えると、読者の方に金子さんの作風が伝わりにくくなると思い、あえてここに位置づけさせていただきました。

<勝手に第1回野球日記大賞>

☆ 審判から見た好投手(12/8)みのるの野球きちがい日記

 この視点が好きですね。球が速い、変化球のキレが鋭い…。好投手の条件はそれだけではないんだと痛感しました。十日町・尾身投手、きちんと見ておけばよかったなあ。


 故人ですが、有名なスポーツライターに山際淳司さんがいらっしゃいます。彼の書く作品の魅力は、「(その作品を)読むとそのスポーツや選手を見たくなる」ところにあると私は考えています。

 今回、ノミネート作品や受賞作を選ぶにおいて、前述したことを基準におきました。また、純粋に奇をてらった面白い作品にも注目して見ていました。私個人がそういうものを書けないので、書かれた方には純粋に敬意を抱いています。

 来年のこの日記を続けていれば、また第2回をしようと思っています。人の数だけ野球日記がある。新しい日記との出会いを楽しみにしています。


<おまけ>

〜涙を飲んでノミネート圏外になってしまったけれど、印象的な作品〜

☆ 栗山司の一筆入魂日記

1/12「ヤクルト・前田を引き立たせる二人の妻」
7/25「松坂よ、橋本のピッチングを見ろ!」
12/25「ハムサンタからのクリスマスカード」

☆ ライター(?)シローの物憂げ野球日記

11/12「瀬戸際の問題児」
12/18「アップアップ」

☆ カジカジの「私見的」野球日記

11/3「ファンの存在」
10/30「失礼な話なのか?名誉な話なのか?」

☆ 1字違い大学生の無謀な野望の野球日記

5/15「内野席の立ち見」
6/1「私設応援団」
7/13「コウヤレン」

☆ みのるの野球きちがい日記

11/26「書きたいことを書く」

☆ すみのいぶし銀な?野球日記

12/17「拝啓星野仙一様」




2001年12月26日(水)
終身名誉監督という肩書き。

 今季限りで、巨人の監督を辞任した長嶋茂雄氏の今の肩書きは「終身名誉監督」である。周知の事実だろう。

 最初にこれを聞いたとき、私は、「球団もいい加減長嶋さんを縛りつけるの、止めたら?」と思った。長嶋氏は、日本プロ野球史上最高のカリスマの持ち主だ。実力があるのはもちろんのこと、野球の魅力を最大限に伝えることの出来る人物だと人は言う。だから、球団が離したくないだろう。

 「親のすねをかじって」という言葉があるが、この「終身名誉監督」という肩書きにそれを感じてしまうのは私だけだろうか。長嶋氏は、長年自チームだけではなく、球界全体のために貢献したと思う。だから、そろそろ解放してあげて、普通の一人の男性としての生活を味わわせてあげてもいいのでは?と思った。

 しかし、はたと思う。
 長嶋氏は、以前トーク番組で、「家族よりファンが大事」と言っていた。(「ファンのために」という言葉が、嫌味にならない人も珍しい)
 
 ということは、解放して一男性となるより、終身名誉監督というともすれば球団のご都合主義的な肩書きをもってして、ファンのために球界にいて、プロ野球に携われる方がいいのだろうか。

 長嶋氏の本当の気持ちってどこにあるのだろう。深く考えていない(失礼?)人か、自分のことより人のことを優先するものすごく気を遣っている人なのだと私は思うのだが。

 小学1年生のとき、担任の先生に「人の気持ちを自分の気持ちになって考えなさい」と言われた。簡単に言えば、自分がされてイヤなことは人にしないということなのだが、年が経つにつれ、本当は「人の気持ちをその人の気持ちになって考えることなのではないか」と思うようになった。

 当たり前なのだが、自分がイヤだと思っていることが、その人にとってイヤなことだとは限らない。だから、今回の終身名誉監督について、私ごときがとやかく言うこと自体おかしいのかもしれない。

 だから、こう言い換えたい。
 「球団もいい加減、長嶋さんに甘えるの、止めたら?」。

 



2001年12月25日(火)
(野球日記なのに何故か)M-1グランプリの話


 今日は、かねてから楽しみにしていた「M-1グランプリ」を見た。M-1グランプリは、結成10年未満の若手漫才師が、1000万円と日本一の漫才師の称号をかけて闘う大会で、今回が初の試み。

 学生時代は、深夜に放送されていた若手お笑い芸人による番組に夢中で、ビデオに録画し、朝から晩まで飽かずに見ては、笑っていた。それゆえに、漫才を見るときはちょっとうんちくがはいってしまう。(注:私と一緒にお笑いを見ないことをオススメします)

 姉は、私以上にお笑いを見ていて目も肥えているので、評価は厳しい。1組1組、緊張の中ネタが披露されていった。私と姉がひとしきり笑ったあと、観客の反応やネタふりや芸人の仕草などをみて、「これはいける」「きびしいなあ」「後半盛り上がって方が有利やで」などと、渦中の芸人にとってはいい迷惑の評論に終始していた。

 中川家やハリガネロックなど大阪の芸人が出るときは、親戚が出ているかのごとく緊張したし、届きもしない声援を送った。「しっかりなあ」「ネタは安定しているから大丈夫やって」「いいネタ見せてやあ」。奥で寝ていた母が、「なにやこの子ら」とつぶやいて、こたつのあるパソコン部屋に移動した。

 グランプリは、みごと中川家に輝いた。結成9年目、今回が最初で最後の挑戦だった。優勝候補と言われていたが、やはりプレッシャーを感じていたことだろう。
兄弟コンビ、弟の方が力つきて座り込んでしまっていたのが印象的。

 番組宣伝で、大会委員長の島田紳助氏が、「この大会は高校野球です」と言っていた。確かに一発勝負、優勝はただ一組などという厳しさには相通じるものがある。出場メンバーに年齢は大体20代半ばから30代前半だったのだが、緊張の面もちや喜んだり悔しがったりしている姿は、その年齢を感じさせなかった。

 今年の大阪近鉄のリーグ優勝戦を見たときにも思ったのでが、人は何かに真剣であればあるほど子供に戻っていくように思う。それが、ちょっと羨ましい。

 今日、大舞台に上がった芸人はの大半を数年前から知っている。あれから月日が流れ、私も以前に比べるとそれほど熱心にお笑いを見ることもなくなった。そんななか、彼らはがんばっていて、ここまでたどり着いたんだなあ。姉とそんなことを話して、しんみりとした。

 1993年秋にドラフトで指名された高校生は来年でプロ9年目を迎える、26歳、私と同じ年だ。すでに夢破れて第二の人生を歩んでいる選手、年俸何億円という一流選手…色々いる。しかし、彼らは球界という社会で日々汗や涙を流し、努力を重ねていたのだろう。

 あれから、私は一体何をしてきたのだろう。
 人生、焦らなくてもいいとは思うが、ふとむなしさが胸の中を吹き抜けた。



2001年12月24日(月)
北京で見つけた高校球児?!

 
 野球日記を始めて9ヶ月、ホームページを開設して半年が経つ。それほど多くはないけれど、熱心で気持ちのこもったメールや書き込みをいただくたびに、「ああ、やっててよかったなあ」と思うし、また教えていただいたことも多い。

 高校野球を中心にあつかっているとあって、その多くは高校野球ファンの方で、その中でも驚くことに「元高校球児」の方の占める割合が多い。とても嬉しいことなのでが、いいのかなあと思ってしまう。私にとって、スター的存在の選手であろうが、名もなき高校の背番号のない選手であろうが、高校球児は芸能人と同じくらい遠く憧れの存在だからだ。

 OBの方なので、まだコミュニケーションもとれるのだが、現役の球児とかならきっと何言っていいかわからなくなるだろうな、と思う。今でも、用事があって現役選手に話かけなければならないときは敬語を使う。もう10近くも年が違うのだから、ため口でも誰からもとがめられないのだが、どうも気軽に「○○くん」とか「グランドはどう行けばいいの?」という口の利き方は出来ない。(まだ一般に携帯電話が普及してなかったころ、父兄さんに試合日程を聞くために電話をしていて、うっかり選手本人と話していたという肝を冷やすような経験をした(^_^))


 今日、クリスマスイブの人混みの中、地元の京都文化博物館に足を運んだ。来月6日まで開催されている「チベット仏教美術展」が目当て。私が自発的に博物館に行くのは、おそらくこれが生まれて初めてだと思う。私は動かないものにあまり興味がないし、芸術を理解する心を持ち合わせていないからだ。そんな私が何故今になって「博物館」なのか。話すとちょっと長くなる。

 学生時代に友人とミャンマーに行ったという話を以前の日記に書いたが、実はその2年前には中国に行っている。初めての海外個人旅行だった。北京と上海という超メジャー都市を回ったに過ぎなかったが、それなりに楽しい旅行だった。観光コースは中国好きの友人に任せ、私は後ろを付いていくだけだったのだが、印象に残った観光スポットの一つにチベット仏教の寺がある(名前をど忘れ(^^;))。

 私は大学時代、仏教を専攻していたが、特に仏教に興味があったわけではない。自分の成績と学科別偏差値を見比べて、第一志望の教育心理学科よりも合格の確率が高かったので、願書出願締め切り2日前の土壇場で変更したのだ。入学して仏教の講義を聴いていたが、特に楽しいと思うことはなかった。私は漢文が大の苦手だったし、他の一般教養の方がよほど面白かった。きっと、仏教を身近に感じることがなかったのと、暗いイメージしかなかったのがある。多くの一般の方が仏教に対して持つイメージと言えば、「お坊さん」「お経」「お葬式」の3つがメインだろうし、実際当初の私がそうだった。

 そんな私の意識を覆してくれたのが、このチベット仏教の寺だった。とにかく、寺の装飾が明るい。ややも蛍光に近いピンクや赤や緑の華やかなリボンや造花が目にまぶしい。いろんなものが印象的だったのだが、一番の衝撃は現地にいた若い僧如だった。灰色の袈裟を着た彼らは丸坊主で、とても凛々しい目をしていた。仏壇に線香をあげると、合掌して、一礼してくれた。そんな彼らの姿に日焼けした高校球児を思った。

 寺に入っている僧は、教えにそった規律正しい精進の生活を送っている。立場や意図は違うが、目標に向かって毎日練習に励んでいる高校球児も厳しさの中で生きているのは同じだ。

 別に丸坊主がかっこいいとかそういうことを言う気は更々ない。ただ、高校球児の魅力の一つは、厳しさの中にいるが故の顔のひきしまりや凛々しい目にあるんじゃないかなあと思った。

 というわけで、私が博物館に足を運んでのは、北京で見つけた高校球児の面影故のことだった。残念ながら、その時見たイメージとはかけ離れた色あせた絵画ばかりが並んでいたが、写真で見たチベットの色あせた自然には心惹かれた。寺の装飾がやたら派手だったのがなんとなくわかる。



2001年12月23日(日)
物書く人(長文です)


 今日もひたすら寝ていた(体は元気です。怠けているだけです)ため、書くことがありません。だから、自分のことを書いてみようと思います。テーマは、「私が文章を書く理由」です。野球のことはほとんど出てきません。「お前のことは、どうでもええ。わしゃ、“野球”が読みたいんじゃ」という方は、明日以降にまたお会いしましょう。

 さて。

 1,DNA?? 

 私の母方の祖母の夢は、小説家だったそうです。実際、文章を書くのもうまかったと聞いたことがあります。残念ながら、祖母は私が物心つくまでに亡くなりました。生きていたら色々な話が出来たことでしょう。学校教師をしている母の弟も、文章を書くのが好きだったそうです。(ちなみに父の家系は理系なので、文章とは無縁です)

 2,作文

 これといった取り柄のない小学生だった私が、唯一先生に誉められたのが作文でした。年子の2人姉妹の下だった私にとっては、人に誉めてもらったことが自分の存在をしめす全てだったのです。だから、作文だけは張り切って書いていたように思います。

 3,パパママ、バイバイ。

 自発的に文章を書くようになったのは、小学3年生のときのことです。夏になると地元の公民館で、戦争を取り上げた映画を見るのが慣わしだったのですが、そのときの映画の影響です。

 小学3年生の時に上映されたのが「パパママ、バイバイ」という映画でした。確か広島の原爆のテーマになっている作品だったのですが、戦争映画にしては、主人公のキャラクターが生き生きしていたこと、そして、景色がものすごくきれいだったことが、私の想像力を刺激したのでしょう。

 かわいそうな結末に、涙が止まらなくなり、家に帰ったらすぐに、新しいノートに「おはなし」と書き始めました。もしも、あの子供達が平和な世の中(現代)に生まれていたら、どんなに楽しい生活を送れていたことだろう。そんな思いをこめて、ひたすら書き続けていました。

 毎日、狂ったように「おはなし」を書く私を見ていた(父方の)祖母が、「あんた、小説家にでもなったら?」と言っていました。当時の私は「小説家」が何なのか、全くわかっていませんでした。

 4,「おはなし」から「小説」へ。

 人に文章を読んだもらうようになったのは、中学2年生くらいからです。それまでは、独りよがりで自分のために書いていたのですが、おりしも、時代は少女小説ブーム。当然、周囲でも、小説を書き始める子が出てきました。

 当時の私は、自分が「おはなし」を書いていることを誰にも打ちあけていませんでした。でも、みんなが自分の書いた小説を見せあいっこしているのを見て、刺激を受けないわけにはいきません。なんせ、こちらは我流とはいえ、9歳のときから5年のキャリアを積んでいるのですから。

 小説を書こう。一発発起して、いわゆる「少女小説」とやらを買いあさって、読み始めました。そこは、未知の世界。目の前に広がる果てしない地平線。それからは、小説を読むことに夢中になりました。授業中であろうが何であろうがお構いなし。方程式や化学反応なんかを頭につめこむヒマがあったら、本読んでいた方がこれからの人生に役に立つ。根拠のない思いが私が駆りたてました。

 小説を書くようになったのは、中学3年のときです。目前にせまる受験から逃避するかのごとくひたすら書き続けました。試験直前に、小説の書きすぎで、腱鞘炎になったときは、ほんまに焦りました。当時は、中学生がワープロなんて使えなかった時代です。

 え、何の小説を書いてたかって?
 ご想像にお任せします。恥ずかしくてとても言えません(^^;)。

 5,野球を書く。

 本格的に野球に興味を持ったのは、高校に入ってからです。「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもので、たちまち野球にのめり込むようになり、小説を書くことに対する興味は薄れてきました。中学時代に小説を見せあっこしていた友人と高校が違っていたこともあるのでしょう。

 高校2年生のとき、衝撃的な本に出会いました。

 山際淳司さんの作品。「ルーキー」。この作品は、超高校級スラッガーと呼ばれた清原和博選手と、甲子園で対戦した選手にスポットを当てた作品でした。これまで、主役を書いた作品は何度となく見ていたのですが、こういう視点からの作品には初めて出会いました。体中にすごい衝撃が走ったのを今も昨日のことのように覚えています。

 「野球は、書くことも出来るんだ」。
 またまた、目の前に受験を控えた高3の秋から、私の小説熱は目覚め始めました。受験勉強を半ば放棄して、授業中であろうが何であろうがお構いなし、毎日ルーズリーフと格闘していました。

 いくつか野球小説たるものを書いたのですが、その中の1つが小さなコンクールながら、入選したのです。おりしも、大学合格の朗報と同じ日だったので、この日が人生至福の日のうちの1日でしょう。

 当時は、「小説家になりたい」と思っていたので、これでまだ、首の皮1枚夢につながっているんだなと思った記憶があります。

 高校3年のとき、一時期、大阪芸大を受けようと思っていたことがあります。同大学には、文芸学科という文章を書くことを専門にした学科があったからです。何故、思いとどまったはっきりした理由は覚えていなのですが、結局、普通の大学への進学を決めました。ですが、今になったら、その選択は間違っていなかったと思います。ちなみに、国語の成績は(も?)悪かったです。

 6,文章とは無縁?大学時代。

 大学生。長年の勉強地獄(途中で放棄したけど)から解放され、それなりに悩みもあったけど、何もかもが楽しかった4年間。今までにない価値観とバイトと手抜きとお酒を覚えました。

 バイト、サークル活動、車の免許、友達、彼氏、野球…。とても、文章を書いている余裕はありません。また、試験やレポートで形式張った文章を書くことを半ば強制され、文章を書くことに、興味は褪せていきました。

 7,読者投稿コーナーからリハビリ。

 一度興味が褪せた文章に対する情熱を取り戻すのには、時間を要しました。

 23歳、初めての社会人生活は、たったの2ヶ月で挫折。その後、郵便局員を目指して、アルバイトしながら勉強するも、段々気持ちが冷めていくばかり。そんな中、友人の紹介でベンチャー会社への就職の話を受けるも、うやむやに消えていく…。いよいよ無職、ほんまに無職。今でこそ、それなりの誇りを持って「無職」をしていますが、当時は、「無職=人であらず」みたいな直線的な考え方しか出来ませんでした。だから、一種の絶望感にありました。

 そんなとき、また、文章を書きたいなあと思うようになったのです。文章を書くことによって、目の前の現実から少しでも目をそらせるのではないか。そういう甘い考えがあったことも否定できません。でも、4年以上自分の文章を書いていなかったのです。文章に対する勘は完全に鈍っていました。

 おっかしいなあ、文章って何をどうして書くんやったっけ?
 自分の書きたいことって、何やったっけ?

 きっかけは、某野球雑誌の読者投稿コーナーでした。野球に関するネタを読者から募集し、いい作品は雑誌に掲載されるのです。ハガキ1枚で応募できる気軽さもあり、また想像力を鍛えるのにいい訓練になる。早速、近所の郵便局でハガキを購入しました。

 初掲載は、投稿を初めて3週間後でした。その後、多少の波はありましたが、わりと頻繁に載せてもらえるようになりました。

 8,1対1で自己主張 〜文通を始める〜

 読書投稿コーナーは、間違いなく私が再度文章を書くきっかけを与えてくれました。その後、私は野球を語りたくなって、雑誌を介して、野球の好きな人との文通を始めました。自分の思いを聞いてもらいたいだけではなく、相手の思いも聞いてみたいと思ったからです。世の中にいろんな人がいます。その人なりの野球観がきっとある。そう思ったからです。

 文通を続けるにつれて、「この人に私と文通してよかった」と思ってもらえるようになりたいという気持ちになってきました。そのためには、私にしか書けないことを書くしかない。そう思い、物の見方を少し変えてみよう、もう少し自分に素直になってみようと思いました。

 一時は、20名を越す方々と文通をしていましたが、今では5本の指に足るほどの人としかやりとりをしていません。残りの10数名の方には誠に申し訳ないことをしましたが、今もやりとりしている方々から学ぶことは多く、私の書いた文章を真摯に受け止めてくださる方ばかりなのです。

 9,野球小僧大賞

 1対1もいいけれど、もっと色々な人に自分の書く文章を見てもらいたい。そう思うようになったのは、ここ1年ほど前のことです。それも、野球に関して本格的に書きたいと思い始めるようになったのです。文通を始めたころから、私の興味の対象は小説より、ノンフィクションに傾き始めていたように思います。

 もうすでにインターネットは身近な存在になっていました。大学時代の友人でインターネットをしていないのは、私だけという有様。飲みに行ってもインターネットの話題が多くを占めていました。

 そこで、ホームページは誰でも作れるものだと知りました。「私も作りたい!」、強くそう思いました。ホームページなら、私のような素人でも人に文章を読んでもらえる。これが、最高の舞台だ。友人に無理矢理私もホームページを作ってもらうことをお願いし、毎日せっせと原稿書きにいそしんでいました。(結局、ホームページは後日自力で作ることになりました。今にして思うと無茶なことを頼んでいたなあと思います)

 そんなおり、購読していた「野球小僧」で、野球小僧大賞という名で野球に関する作品を募集していました。「これしかない!」、私は応募することに決めました。しかし、いかんせん時間がない。最後の手段で、ホームページ用に書いた原稿を手直しして、締め切り前日に速達しました。大学の卒論以来の徹夜を敢行しました。でも、そのとき、なんとも言えない充実感が体中を満たしていました。やっぱり、文章を書くのが好きだ。このとき、私の中で「スポーツライターになりたい」という思いがかすかに姿を現しました。

 ちなみに応募作は、入賞には至りませんでした。

 10,野球日記

 今年の2月、ようやく我が家でもインターネットが出来るようになりました。当初見た「野球小僧」さんのホームページでは、読者の方が野球日記をいうものをされていました。一目見て、私も書きたいと思いました。もともと、心の奥に「スポーツライターになりたい」という思いを抱いている身。好きな野球で毎日文章を書き、文章力を磨いていける。それほどいいことはない。説明書きの最後に「評判のいい方は作家デビューの可能性あり」って書いてあるし(苦笑)。

 ここで学んだことは大きいです。
 私は、本当は「ライターになりたい」ではなく、「物書く人でありたい」と思っている一人の人間にすぎないんだということをここで気づきました。

 スポーツライター、いや野球ライターになりたい。
 友人・知人にそう話し倒してきました。
 そのときに、「じゃ、なんで東京に行けへんの?(チャンス、多いよ)」「それやったら、出版社や新聞社に就職しないと厳しいんちゃう?」「ライターさんのアシスタントと何かになって、実践で勉強せんとあかんで」。まあ、いろんなことを言われました。

 「それをしないということは、きっと自分の中に何か躊躇することがあるんやろな。そういうときに無理して行動を起こしてもいいことないよ」。

 この一言がずっと頭から離れませんでした。でも、その理由がわかりました。これまで、私の文章の中にあった堅苦しさは、自分の夢を無理矢理スポーツライターという枠組みにはめ込んでいたが故のことだったのかもしれない。もっと、肩の力を抜こう。そう思う。


 おまけ・物書く理由

 私が文章を書く理由。
 もしかして、それは自分の「話す」という行為にコンプレックスがあるからかもしれません。

 私は人前で上手く話すことができません。極度の上がり症だということもあるのですが、自分の声が嫌いだからです。私は慢性鼻炎で、幼い頃から、その声をからかわれていました。

 また、成長段階を見ても、「話す」ことに対する発達が極度に遅かったのか、何らかの障害があったかで、幼少時代に大学病院に通院していた記憶があります。親はそのことについて私に話をしませんが、書庫の奥から、手あかのついたその類の本を見つけて、胸が痛みました。

 というわけで、自分の話を聞いてもらうのには、書くことが必要だったのです。もちろん、前述のようなもっともらしい理由を思うようになったのは、ここ最近のことですが。

 もし、私が普通の声で、普通に話せたら、文章を書こうとは思わなかったでしょうし、今も書いていないでしょう。

 今も基本には「自分の話を聞いてもらいたい(自己チューやなあ)」ということがあります。でも、ここにきて思うのは、今までのように現実逃避するためや自分の世界に浸るためのそれではなく、御覧になった方が、「読んでよかったなあ」と思う文章を書きたいと思うのです。できれば、心があったまる癒し系がいいかな。鋭い批評系の文章にも憧れますが、もっともっと人生を経験してからでないと書けないでしょう。

 文章には夢があります。いったいいつまで野球を書いているかは正直わかりません。でも、書くことは間違いなく「生涯の友」でありつづけると思います。



2001年12月22日(土)
一通のメール


 今日、寒いから、朝からダラダラ。こたつの中でゴロゴロ。ごはんを食べ、テレビを見て、本読んでたら、知らない間にスヤスヤ…。こんな1日で、「野球」日記なんて書けるかいな。そう思っていたら、思わずところからネタが舞い降りて来た…。


 夜、私宛にメールが来た。差出人の名前には全く心当たりがない。見た限り、怪しそうではなかったので、メールを開封してみた。何かの感想であるようだった。

 私は以前、他サイトに昔自分が書いたコラムを投稿している。そこは、メールを作者に直接送信できるシステムがとられているのだ。内容からして、そのコラムを読んでくださった読者の方に間違いないようだ。

 私が投稿したコラムは、背番号のない選手、いわゆるスタンドの応援団について書いたものだった。

 共に厳しい練習に耐え、汗を流しながら、試合に出れる選手とそうでない選手がいる。試合に出れない選手はいろんな思いを抱えているのだろう。でも、何も知らない私はそんな選手の気持ちをわかってはいけないように思う。グランドにいる選手にスタンドの声援って聞こえているのだろうか。聞こえているとは思う。でも、私たちが聞いているそれとは違い、彼らの思いがまるごとつたわってくるのだろうなあと思う。内容をかいつまんで言えば、そんな感じになる。

 メールの差し出し人は、元高校球児で、スタンドにいた立場の方だった。経験者の言葉は一語一句がリアルで心に響くものがあるのだが、最も印象に残った言葉がある。「僕たちのことをもっと知ってほしい」。

 コラム内でも書いているのだが、毎日厳しい練習(と人間関係?)に耐えてきた選手と、のうのうといい所だけ見るただのファン。「気持ちがわかる」なんて口が裂けても言えないし、また安易にそう口にすることは失礼だと思っていた。

 よく、「ベンチとスタンドが一体になって」というキャッチフレーズを聞く。でも、正直、どこまで本当なのか私にはわかりかねた。

 差し出し人の元球児さんは、「スタンドにいたけれど、野球部のレギュラーだった」と断言していた。こういう選手の存在は本当に嬉しいと思った。

 気持ちが分かるとは安易に言わない。それは今後も変わらないスタンスではある。でも、彼らのことをもっと見てみようと思った。

 ベンチとスタンド、背番号のあるなし。レギュラーと応援団…。
 私たち「見ている側」が、勝手に線引きしているにすぎないのかもしれない。

 



2001年12月21日(金)
感動制限解禁。

 
 思い立ったが吉日とはよく言ったもので、今日は寒い中、重い腰を上げて、映画を見に行った。あまのじゃくな私らしくもない興行収益記録更新ばく進中の「千と千尋の神隠し」。

 元々、宮崎アニメの織りなす世界は好きで、テレビのロードショーに登場したときは、欠かさずチェックをしている。あの色使いといい、光景といい、ありそうでない世界は、私たちの想像力をかき立ててくれるし、また非日常の世界に足を踏み入れることができる。

 今日、この映画を見て思ったことは、「たとえ、その出来事が夢や虚構であっても、そこで受けた感動やわき起こった勇気や強さは、本物なんだ」ということだ。

 ここ数年、私は自分の感情に素直になれないでいた。

 たとえ、自分が「これはいい!」と思うことでも、後で周りが否定的な意見を言ったり、反応がイマイチだったりすると、気持ちが冷めた。…というか、感動することを自分で抑制していた。私はバリバリの没個性教育世代の学生なので、みんなと同じでなければいけないと漠然と思っていたからだ。

 私はどちらかと言えば、感動屋で、ささやかなことでも「うわ、すごいなあ」と思えるおめでたい人間だ。(しかし、逆に感動の押し売りをされると、どんな素晴らしいことでも冷めてしまうのだが)

 だから、これまで、何度となく、感動することに遠慮してきた。ひょっとしたら、野球でもそうだったのかもしれない。

 いいなと思う選手がいても、全体的に人気がなかったら、好きでいることに不安がつきまとったし、裏話や心ない批判の記事を見たりすると、ファンをやめなきゃいけないのかなあとも考えた。

 段々感動することに鈍感になっていく自分がいた。
 何かに感動しようとする自分を、別の自分が攻撃した。周りで見聞きした、批判・中傷や冷めた視線を刀にして、何度もその部分を突き刺した。

 幸い、今は元の感動屋に戻っている。
 100人中100人が、「あの試合はつまらない」「あのチームは弱い」「あの選手に魅力はない」と言っても、私にとって「おもしろい」「すばらしい」「魅力がある」と思えば、それが全てだ。第一、面白いか否かは本人の価値観だし、弱い強いは感動するにおいて関係はない。


 私の思いこみかもしれないんだけど、どうも最近はいろんなことろで、感動の押し売り、批判・中傷の押し売りが押し進められているように思う。

 私の知人に新聞やネットで知った情報をさぞ自分の考えのように発言する人がいる。先に辞任した野村監督にたいしてもそうだった。就任当初に「野村来たから、イケルやろ」とか言っておきながら、いざ辞任したら「最初から無理やと思ってたんや」ときた。皮肉をこめて、「自分、3年前なんて言ってたか覚えてる?」と訊いてやった。すると、「誰も優勝するとは言ってへんかった」という屁理屈が返ってきた。腹が立つというか、呆れた。

 この人には、金輪際、私の好きなこと、感動したこと、面白いなあと思ったことなんかを絶対に口にしまいと思った。悪い人ではないで、悲しいけれど、そんな私の思いにコンクリートを流し込んで、海の底に沈めそうだから。
 そして、どう間違っても、この人のような生き方はしたくない心底思う。


 これから、色々なことがあるかもしれないけれど、自分に正直に感動できる人間でありたいと思う。人にいい意味で影響を受けることは大歓迎だけど、操られるなんてごめんだ。感動するものは多ければ、多いほど豊かに生きられる。そんな気がする。

 でも、ただ感動するだけではない。各々の短所や他の考え方もしっかり受け止めた上で、感動できる自分でありたいと思う。



2001年12月20日(木)
うちのおかんは掛布党?!


 ここのところ、阪神ファンにとってめまぐるしい日々が続いている。野村監督の辞任が濃厚になったころ、我が家では次期監督が誰になるのかという話で盛り上がった(我が家って…)。

 私は無難に岡田二軍監督の昇格を示唆し、父は新聞で仕入れた情報でもって、「仰木さんちゃうか」と口にした。しかし、母親は「掛布は?掛布」と言う。

 私たち一般にファンの間でも「掛布が阪神に戻ってきてくれたらなあ」と夢みることはある。でも、現役時代のゴタゴタを知り得る限り、暗黙の了解でそれは不可能なものとして取り扱われている。だから、冗談交じりで「掛布監督誕生や〜」とは言えても、こういう深刻なときにそう口にする人はほとんどいない。

 母は、空気の読めない阪神ファンではない。野球は嫌いではないようだが、自ら積極的に観戦したり、知識を備えようとは考えていない類の人だ。母の中では阪神の選手ではっきり名前が出てくるのは掛布氏くらいだったのだ。気ぃ遣いのA型の母は、私たちの会話を盛り上げようとしてくれていたのかもしれない。

 私は、母に「掛布は無理やねん、いろいろあったからな」と説明した。その時は、「ふーん」と言っていたが、数日後また同じ話が出たとき、「掛布は、掛布?」と言った。

 母は、痴呆が進むような年齢ではない。ただ、私の一言程度ではゆるがない固定概念があるのだろう。掛布は阪神の選手やったから、いずれは阪神の監督になる。純粋にそう思っているのかもしれないし、テレビで見る人柄に惹かれているのかもしれない。


 繰り返すようだが、ここのところ、阪神ファンにとってめまぐるしい日々が続いている。野村監督の辞任に星野監督の就任。そして、今日は、片岡選手の入団に田淵氏のコーチ就任も決まった。

 田淵氏は、電撃とも言われたトレードで西武に移籍した。その後、現役を引退した。その当時、阪神が一度コーチを依頼したが、断っている。彼の中にトレードされたことに対するわだかまりがあったのだろう。

 しかし、今回は快く引き受けてくれた、。監督である星野氏の気持ちを汲んだこともあったのだろうが、会見で彼はこう言っている。

 「阪神には10年間もお世話になったし、僕を育ててくれたので…」

 ああ、流れる月日は人を変えるんだなあと思った。
 以前は、田淵氏が再び阪神のユニフォームを着ることは難しいと言われていた。しかし、それが今回、見事に実現している。


 掛布氏が阪神に戻ってこないとも言えなくはないかな。
 一人そう思ってみたりする。



2001年12月19日(水)
野球ファンを語るシリーズ ともきち


 日記を初めて御覧の方のために、「ともきち」を説明させていただきます。

 ともきち。
 滋賀県在住の25歳OL。私の親友。野球は、東山高校オンリー。私が、同校を応援しているのも、このホームページを立ち上げようと決めたのもすべて彼女の影響によるもの。当サイトは、野球やこ難しい教養や言葉に関する知識はいらないのですが、彼女の存在を頭の隅にでも置かれたらより楽しんでいただけるかと思います。

 というわけで…

 野球ファンに、正しいとか正しくないとか言う判断基準はないと思う。また、月日や情報量や費やしたお金と思い入れの深さは関係ないし、その思い入れすら深ければえらいというわけでもない。

 けれど、私はどうがんばっても彼女には及ばないと思っている。彼女の応援姿勢は常に私の一歩も二歩も先を行く。

 学生時代は、つねに彼女が私をひっぱる形で試合を観戦していた。練習試合に行くという習慣も彼女にのるものだ。高校生当時の私の頭の中には、夏の府大会と甲子園しかなかった。秋季大会や春季大会すらそれほど熱心に見ることはなかった。そんな私を半ば強引に練習試合に引っ張り出したのだ。今ではすごく感謝しているけれど。

 社会人になってからは、仕事が忙しくてなかなか試合を見れないでいる。それでも、いつもチームのことを気に掛け、試合を見に行っている私に「どうやった?」とメールをくれる。
 
 土日祝休みの企業に勤める彼女にとって、夏の京都大会は鬼門だ。仕事があって、よほどでない限り見にこれない。対する私は、夜型の仕事に切り替えるか、強行突破で会社を休むか、いっそ会社を辞めるかして、大半の試合をこの目で見てきた。

 社会人としてあるべき姿は、もちろん前者だ。そして、ファンとしてありたい姿も前者なのではないかと思う。はたから見れば、熱心なのは後者の私であるかのように思う方もいるだろう。しかし、それはちょっと違うと思う。もちろん思い入れの強さもあるが、それは一種の執着や意地にもつながっている。本当は、あふれる思いを抑えて仕事をしている方がはるかにしんどい。私は、チームの応援という大義名分をもらって、そういうことから逃げている。試合を見ることにどうしてもこだわってしまう。本当は、応援する気持ちがあればそれでいいはずだ。このところ、彼女を見ていてそう感じる。試合を見ることや、結果や知識や周りの声にはこだわらない。「私はただ好きだから」。それだけ。

 私は、どうしてここまでこだわるんだろう、ガツガツスコアをつけ、試合に出ている選手名を知りたがり、いろんなことを犠牲にして…。もっとおおらかに観戦しないと大事なことを見落としてしまいそう。そういう漠然とした不安にかられるときもある。

 あるとき彼女が言った。

 「野球なんて、“うれしい” “かなしい” “くやしい” “どきどき” “かんど〜”、この5つだけで充分やん」

 ああ、この人にはほんまにかなわへん。そう思った。



2001年12月18日(火)
野球ファンを語るシリーズ◆\嫻ご


 ファンを語るシリーズ第2弾は、メールの転記から始めます。
 
 これは、11月頭にホームページの掲示板を閉鎖したときに、ある読者の方からいただたメールの全文です(ご本人了承済み。プライバシー保護のため、一部変更あり)。


件名:はじめまして

最近掲示板がなくなりがっかりしてます。
実際嫌な思いをする事もありました。
僕はQ(高校名)が大好きで父兄の方にも知り合いはいましたので、
Qの選手や監督の野球スタイルを批判されると辛かったですし
それを信じて野球をやってきた選手の思いを慮ると憤りすら覚える事もありました。
夏大会で敗れた後Q野球を愚と罵倒された時は3年間信じて野球をやってきた選手の為に苦情も書こうかなと思い上がったときもありましたが、
自分のHPでもなければ俺自身が選手の本当の気持ちをわかってないだろうし、
飲み屋で言っていい事と公の場で言っていいことは違います。
それを履き違えてしまったときに今回のような事が起こるのかなと思います。
あるこさん自身にそれほど非があったとは僕には思えません。
ですから気落ちせずにどんどん東山のグランド日記等々を更新していってくださいね。
掲示板には凄く勉強になった面もありました。
僕の今の高校野球の知識の半分はあるこさんとこの掲示板から学ばせていただいたと言っても過言ではありません。
早く掲示板を復活なされる日を心待ちにしております。

普段はROMしてるだけの者の差し出がましい意見で誠に申し訳ありませんでした。
どうか頑張って下さいまし。


 みなさんがもし私の立場だったら、このメールを「抗議」ととられますか?それとも「応援」ととられますか?

 私は、このメールを読んで色々なことを考えさせられました。

 人間ですから、感情というものがあり、必然的に好き嫌いも発生してきます。でも、応援している学校の選手も、そうでない選手も、実は同じ高校球児。自分の道を信じ、仲間とともにがんばっているのは同じ。だから、自分の好き嫌いで選手をも批判中傷することは、実に多くの人を傷つけてしまいます。ひどく当たり前のことのように思いますが、私にはこれが出来てなかったんですね。全てのチームや選手を好きになることは無理だとは思いますが、それを直線的に批判・中傷につなげる必要はなにもないんだと気づきました。

 このメールで一番印象的だったのは、「苦情でも書こうかなと思いあがったときもありましたが」という箇所です。結局、この方は、掲示板等に苦情を書かれることはありませんでした。

 自分の応援しているチームが、不当な批判中傷を受けていたら、ムキになるし、苦情・反論したくなるのが多くの方も心境だと思います。実際、私もそうで、しばしば人様の掲示板でマジ反論をしていました(後日、「怖かった」みたいなことを言われましたが)。

 それが、私自身が不愉快だったのもありますが、その書き込み等を見た方に、応援しているチームに悪い印象を持たれたくなかったのです。それが、応援しているチームに対する礼儀だと思っていました。

 でも、それは違う。この方はそうおっしゃりたかったのでしょう。

 もし、この方が苦情を掲示板に書き込まれたら、私は間違いなくいい感じはしなかったでしょうし、この方が応援する学校にもいいイメージを持たなかったでしょう。

 言葉で上手くいい表せなくてもどかしいのですが、好きな人の好きなものって好きになれるけど、嫌いな人の好きなものって嫌いになる、っていうことってありませんか?そんな感じです。

 私は、ネット上で多くの人に応援している学校を告白しています。
 ということは、私の吐く言葉や書いた文章によって、読者の方がその学校に対してもたれる印象が決まってくるんです。

 実際、メールの送り主の方は、私の応援している学校に対する詳しい知識をお持ちではありませんでしたが、いいイメージはなかったそうです。

 これは大変なことです。
 ファンを宣言している以上、そのチームのイメージを決めるという責任を担ってしまっているのですから。

 でも、大丈夫です。
 自分がされてイヤなことは相手にもしない。
 最低限これだけを守れば、少なくとも自分自身が好きなものを傷つけることはありませんから。そして、1人、また1人とそういう人が増えていくことを心より願っています。

 
 この方とは今もメールのやりとりをさせていただいています。教えられることがたくさんあります。



2001年12月17日(月)
野球ファンを語るシリーズ ゝ羔砲離侫.鶲媼


 野球を書くことは、人を書くことである。
 
 ある雑誌で見かけた印象的な一言。
 ならば、私たち「ファン」もその対象になってもおかしくはない。
 確かに、熱心な野球ファンである有名人はメディアにも頻繁に登場し、取り上げられている。また、私設応援団等に属する「半関係者的」ファンもそれほど多くないが、テレビや雑誌等で紹介されている。

 しかし、大切なものが抜けている。
 これがなければ、プロ野球などあり得ない。

 そう、一般野球ファンだ。

 多くの方が、仕事や学業のため、野球にばかりうつつを抜かしているわけにはいかない。でも、限られた時間の中で精一杯野球を愛している。形はそれぞれだ。正しいファンのマニュアルなどない。でも、玉石のごとくすばらしい野球観を持った素敵なファンは、日本全国にたくさんいるはず。このシリーズでは、私の周りにいる素敵なファンを紹介したいと思う。(今日はちょっと例外)


 高校野球の中でも、最も活発に議論されるものの一つとして、「野球留学」がある。賛成派、反対派、それぞれの言い分がある。

 私は基本的に賛成だが、いざ地元の代表校がほとんど他府県出身の選手で構成されていたら、応援熱が冷めてしまうのが正直なところだ。しかし、地元の学校が負けても、他府県代表校に地元出身の選手がいたら、あたかも地元代表校のように熱を入れて応援するお気軽主義者だ。正直なところ、自分の確固たる意見など持てないでいる。

 しかし、全ての議論を物静かになだめてしまうような決定的な思考に出会った。自分は器の小さいやっちゃなあと痛感した。


 8月、甲子園大会まっただ中のある日、私は相方と小旅行に出かけた。車内のラジオは四六時中、甲子園のラジオ中継。

 中継の途中で、アナウンサーが視聴者から寄せられた応援ファックスたるものを読み上げる。第一試合は、京都代表・平安高校と山形代表・酒田南高校との対戦だった。アナウンサーは、山形県酒田市の男性からのファックスを読んだ。

 「がんばれ、酒南(さかなん??)! 関西出身の選手が多いので、酒田で鍛えて成長した姿を地元・甲子園で、お父さんやお母さん、そして仲間たちに見せてあげてください…」
 
 なんという心の広さ!
 地元出身ではないというだけで、心ないバッシングを浴びせる人もいるなか、この男性の存在に何故かほっとし、私もそういう見方をしたいと思った。地元を尊重し、選手の生まれ育ったところをも尊重する。彼らは知るよしもないのだけれど、酒田南は恵まれたチームだと思う。

 近年の山形は、高校野球情報で知り得るかぎり、にわかにブレイクの兆しを見受けられる。酒田南をはじめ、山形県のチームには、そんな心の広さを持ったファンのためにも、より一層の活躍を願ってやまない。
 



2001年12月16日(日)
勝手に第1回野球日記大賞ノミネート作品。

 昼前に帰宅し、夕方まで爆睡していたので、今日は書くことがありません。

 そこで、勝手に野球日記大賞を開催させていただきます。対象作品は下記に該当するものとさせていただきます。

 1,2001,12,16現在「野球小僧」HPに日記がリンクされているもの。
 2,その中でも、2001,1,1以降の日記
 3,ただし、私自身の日記は対象しない
 4,主に私の独断と偏見

 2001年のノミネート作品は下記の10作品。(タイトル敬称略)

 ☆ 「ビックマウスは再び」シリーズ(1/26,4/4,4/20,7/13,8/16,8/31,10/17,10/26)ライター(?)シローの物憂げ野球日記

 ☆ 昔の野球を教えてくれた今中慎二(11/10)栗山司の一筆入魂日記

 ☆ ずっとあなたが好きだった(11/20)すみのいぶし銀?な野球日記

 ☆ 城東Χ盪辧複検殖機砲擇い離機璽ルチェンジ日記

 ☆ 「あめりかん」フットボールを考える(11/25)YASUの野球を考える留学日記

 ☆ 未来予想図(11/7)1字違い大学生の無謀な野望の野球日記

 ☆ 高校野球は教育の一環だ(4/21)1字違い大学生の無謀な野望の野球日記

 ☆ 野球日記だワン!(5/14)1字違い大学生の無謀な野望の野球日記

 ☆ 審判から見た好投手(12/8)みのるの野球きちがい日記

 ☆ 練習グランド(10/12)みのるの野球きちがい日記

 12/31に大賞等を発表します。…ただし、覚えていれば、の話ですが。年末は何かと忙しくなるもので(^^;)。

追伸:勝手にこんなことしていいんだろうか?ま、大丈夫でしょう。御覧になられている方は限られているので(苦笑)。



2001年12月15日(土)
“素”食な文章


 昔、勤めていた呉服問屋は、年に数回、社内でお得意先を呼んで、展示会を催した。とにかく凝っていて、商品のディスプレーや食事などの打ち合わせで、内勤の女性も毎日遅くまで残業していた。

 展示会の食事は、接待みたいなもの。基本的に和風の懐石料理などの豪華なものが用意される。

 21世紀の始め、今年の1月の展示会の食事は今までとは違った。従来の豪華懐石料理をやめて、よく言えばシンプル、悪く言えば質素な食事に切り替えたのだ。

 メニューは、白いごはんにみそ汁、漬け物、鮭の焼いたもの。それだけだ。

 しかし、素材にはこだわった。高いものというより、より自然志向で作られたものを使った。ご飯は蒔で炊き、水もミネラルウォーターを使った。魚は炭火で焼き、漬け物は担当の社員がつけていたようだ。まさに、手作り、素材で勝負するおもてなし。テーマは、“素”食だった。物があふれている現在だからこそ、素材を大切にした商品を、というのが新作のコンセプトだったのだ。

 他の問屋でイヤほど懐石料理を食べているお得意先の方に、この“素”食がウケた。「これなら、毎日食べられる」とまでおっしゃった方もいた。買い付けに来られる方の多くは、こういう“素”食で幼い頃を過ごしているはずだ。


 今日、縁あって、「野球小僧」さんの忘年会にお邪魔することが出来た。普段からメールのやりとりをしている日記作家さんや編集部のみなさん、そして考えられないほど豪華な関係者にお目にかかれることができた。無職の身で、万単位の出費は痛かったが、お金では得られない経験をさせていただいた。

 今日、お会いしたかった方の一人にツルシカズヒコさんがいる。(無事、お話できました!)「野球小僧」さんでも原稿を書かれているフリーの編集者の方だ(私はライターだと思っている)。私は、ツルシさんの書く文章がすごく好きで、少なからず影響を受けている。

 「野球小僧」という雑誌を知る以前に、書店で「野球旅」という本を見つけた。その作者に一人がツルシさんだ。

 「野球旅」は、全国の野球場をランダムに巡った野球観戦記と旅行記がミックスされたものだった。とても楽しそうだった。今、私が遠方の高校のグランドへ足を運ぶようになったのも、この本との出会いがあったからだ。

 その中に、ツルシさんのコラムがあった。
 ご自分の歴史と見てきた野球がバランス良く書いてある。人の数だけ野球があるんだなと思った。

 また、ツルシさんの文章には、感情を表す言葉があまり出てこない。でも、文章の端々で、そのときの心境や感情が見えてくる。「かなしい」「つらい」「うれしい」「たのしい」…。人の気持ちは複雑で、きっとそれだけでは表しきれない。

 あの文章力は、一体どこからくるんだろう。ゆっくりお話できる機会があったら是非訊いてみたいが、困った顔をされるのが目に見えている。


 ツルシさんの文章を料理に例えると、前述した“素”食だ。

 私が好む文章の多くは、難しい言葉を使っていない。ツルシさんのもそうだ。簡単な言葉で人の心に伝わる文章を書くのはすごく難しいことだと思う。


 



2001年12月14日(金)


 私は鉄の涙腺を持つ女だと自覚している。だから、めったなことでは泣かないし、一目で泣くこともほとんどない。人のお葬式でも泣かないし、卒業式でも泣かなかった。それは、野球においても例外ではない。

 しかし、泣きそうになることは何度でもある。
 野球においては、応援しているチームが夏の大会で負けたときや、テレビ番組で地方大会で敗れ去った選手たちに演出を加えてスポットを当てた特集あたりには凄く弱い。(BGMが、長渕剛の「HOLD YOUR LAST CHANCE」だったら、尚、胸に迫るものがある。あれは、本当にハマリ曲だ)

 その「泣きそうになる」こともプロになるとぐっと回数が減る。元々私の応援している球団の強さに問題があるのかもしれないが、この際それは置いておく。

 私がプロ野球を見て始めて「泣きそうになった」のは、もう10年ほど前の話だ。甲子園球場でのナイターで、私はライトスタンドにいた。実はそれ以外もことはあまりよく覚えていない。対戦相手はおそらくヤクルトだったと思うが、それもはっきり覚えていない。多分、試合は負けていた。

 回も押し迫ったころ、阪神のピッチャーが代わった。御子柴という体の細いピッチャーだった。接戦でも、大敗でもない。なんてことない試合の敗戦処理。

 御子柴は、淡々と投げていた。ダレた試合に球場を後にするファンも出てきた。私はそんな光景と彼の背中にあまりのギャップにたまらない思いでいた。

「御子柴ぁー!!」

 思わず叫ぶ自分がいた。
 今でも、一人で叫ぶことに抵抗を感じる。
 にもかかわらず、当時観戦初心者の私はどうしてそんな行動に出たのだろう。同伴していた父は、「何や、こいつは」みたいな顔で見ていた。

 私はこのとき初めて、中継ぎ投手という存在を意識した。
 今でころ、その重要性が問われ、重宝もされているが、当時はそんな空気は見当たらなかった。敗戦濃厚の中投げる。経験を積むような新人でもない。かといって、大事なことろでも投げさせてもらえない。自分勝手に「報われなさ」を感じた。もっと、声援があってもいいのに。あんなに一生懸命投げてるのに。華やかやエースも主砲も、人気選手も、そうでない選手も、みんな同じ「一生懸命」なのに。

 今でも、あの時の心境はうまく説明出来ない。でも、あのとき、泣きそうになったのは事実だ。


 今年は、和田選手が引退挨拶で見せた涙で、「泣きそう」になった。それは、前述した御子柴投手を見たときとは、また別の感情のもとにあった。とにかく感動した。私が選ぶ2001年に見た最高の涙だった。

 涙と言えば、今日、日本有線大賞で、浜崎あゆみが見せた涙も良かった。ずっとずっとこらえていて、途中で、すぅーっと一筋だけ頬を伝った涙のきれいなこと。私は彼女の書く詩が繊細で非常に好きなのだが、なるほどあれだけの詩をかけるアーチスト、もとい女性だなあと思った。この涙は、和田選手の次にランクインしておこう。

 



2001年12月13日(木)
まだ16歳だもの。


 晩、友人と電話していると、「大阪桐蔭の事件、知ってる?」と訊かれた。知らなかった。でも、決していい話ではないのだろうなとは思った。

 受話器を置いてからすぐに、朝刊を広げた。その記事は、紙面の下段にあった。残念な事件だ。

 (以下、京都新聞12/13朝刊より抜粋)

「先輩暴行、と救済申し立て 〜大阪桐蔭高野球部員〜」

 大阪桐蔭高校(大阪府大東市)の野球部で先輩部員から暴力を受けたなどとして、1年生生徒(16)が12日、事実の調査や同校側に警告を行うよう求める人権侵害救済を大阪弁護士会に申し立てた。

 申立書によると、生徒は今年4月、推薦入学で同校に入学(中略)同級生1人とともに2年生の4人から呼び出され、けられたり、バットで殴られるなどの暴行を受けた。

 生徒は近く退学する予定で、民事訴訟も検討しているという。(後略)


 PL学園、仙台育英…名門と呼ばれる学校での相次ぐ不祥事で、正直、衝撃は麻痺している。しかし、やはり心は痛む。

 夢を持って野球部に入ってきたのに、野球と関係ない理由で野球を辞めなければならない無念さや心身についた傷は、私などでは想像を絶する。

 それでなくても、競技人口が減っている野球。特にこれからを担う若い層のプレーヤーやファンは重宝されるべき存在だ。なのに、またこれで、野球から心が離れる子を産むのかと思うと、自身の無力さにため息が出る。

 野球部という同じ目標を抱いて共にあるはずの仲間同士が、法律を挟んで対立し、訴える訴えないだの言う。とても悲しいことではある。でも、ことの深刻さはそこまできている。私個人は、もうそういう感情を断ち切ろうと考えている。

 悪いものは悪い。暴力は犯罪だ。泣き寝入りする必要なんて何もない。今後、こういうケースはますます増えるだろう。PLのあの事件以来、何かが少しずつ動き始めているように思う。それは、本来、選手を守るべき人がやるべきことなのに、結局、痛い目に遭った選手が自らリスクを背負ってしまう状態。たとえ、これで高校野球界から暴力が減ったとしても、それは根本的解決にはならないように思う。

 ただ、訴えるにしても何にしても、何故退部や退学のリスクを背負わねばならないのだろうか、と思う。もちろん、選手自身に意志で「もう野球はやりたくない」と思っているのかもしれないし、また、身体的にプレーの続行が不可能である場合もあるのだが、きっと本当は「野球を続けたい」と思っている生徒は少なくないと思う。それが、たまらなく歯痒い。

 同校にはおそらく厳しい処分が下ると思う。夏の大会の出場も危ういかもしれない。以前の私なら、ここで「せっかくがんばってきたのに、関係ない子はかわいそうやな」と思ってた。

 でも、ここ最近は考えが変わっている。
 忘れてはいけない。かわいそうなのは、被害者の少年なのだ。


 最後は、PL事件の際、「報知高校野球」に掲載されていた巨人・桑田投手のコメントを記して締めたい。私の言いたいことは、まるごとここにつまっている。

 「非常に残念ですが、これを機会に野球部がよくなればいい。辞めた選手もこれからいい人生を送って欲しいですね」





2001年12月12日(水)
野球小説を書こう。


 私の記憶が正しければ、今日12月12日は、「バッテリーの日」だ。

 確か電池協会かどこか設定したもので、由来は、12月12日の「1」と「2」にある。この「1」と「2」、野球のポジションで言えば、ピッチャーとキャッチャーで、ひとまとめにしてバッテリーと呼ばれているのは周知の通り。単純明快で、そこからつけられたものだ。野球においてバッテリーの役割が重要であるように、電気の恩恵を授かる私たちの生活においても、バッテリーは重要なものだ。


 高校3年のとき、受験勉強をほっぽりだして、小説を書くことに夢中になっていた。元々、小説や物語は小学生のころから書いてはいたのだが、この歳になって初めて、「野球」を題材にしたものに挑戦してみたのだ。

 主人公は、下級生にエースナンバーを譲る背番号「10」の控え投手。今のように複数投手が活躍するという時代ではなかったので、主人公の出番はない。(当時の私の中には、「エースの完投が当たり前」という野球観があった)舞台は夏の甲子園大会の初戦、0ー9の大敗でむかえた9回表。マウンドでひたすら打たれ続けるエースをブルペンで見守る主人公の心境をつらつら書くだけのただひたすら地味な小説だった。

 あとは詳しく書かないが(恥ずかしいので)、最後の大会でエラーをした内野手の話や、甲子園を湧かせた偉大な兄に複雑な心境を抱きながら野球を続けた少年の話などなど。傾向を見ると、小説やマンガではスポットの当たらない立場の選手を主人公にして書いていた。

 今でこそ、いろんな本や雑誌、ネット等でそうした立場の人のことを知ることができるのだが、当時の私にはそこまでの情報網はなかった。だから、そういう人がどういう気持ちだったのか、知りたくて、自分ならどんな思いを抱くのだろうと考えてペンを進ませていた。特に野球がオフになってからは書く量は増えていった。きっと少しでも野球に浸っていたいという思いがあったからではないのかな?


 そんな私が書きたいなと思う野球小説が、この「バッテリー」ものだ。バッテリー、今までの傾向を覆す超メジャー題材。でも、それだけ魅力があるのだ。

 主人公は、基本的にピッチャー・キャッチャーの2人に当てるが、どちらかと言えばキャッチャーか。それとも、2人の共通の友達であるチームメイトか監督あたりの目線で書くのも面白いかもしれない。

 バッテリーを組む二人は幼なじみ。近所の少年野球チームからバッテリーを組み、高校3年の夏で10年になる。しかし、二人の性格は共に強気で、相性はまるで水と油。仲がいいのか悪いのかよくわからない。私が見た野球マンガの中に出てきた「バッテリー像」をぶちこわすスタンスで、展開していく物語が作りたいと思う。

 具体的なことはまだ全くの白紙。でも、2人に歯切れのいいやりとりをさせて、小説では難しいコメディー系カラーのものに出来たらいいなあと思う(出来れば短編でまとめたい)。

 私には絵を書く才能、音楽を作る才能がびっくりするほどない。別に文章の才能があるとも思えないが、3つに中では一番出来そうなジャンルだ。

 ここのところ、日記系統を書くことが多いが、いっちょ「野球小説」に再挑戦しようかな。ふとそう思った。



2001年12月11日(火)
平和産業


 今日、ワイドショーで、アメリカの同時多発テロにより、不況のあおりを受ける旅行業界の特集が組まれていた。

 アメリカ本土やハワイは、考えられないほど安値で行けるようだ。これを機に行く人もいるようだが、その大半は敬遠している。この年末年始、アメリカへの旅行予定者は昨年より7割減だとか。アメリカもまだ安全が保証されているわけではない。敬遠する人たちの気持ちも充分わかる。

 旅行会社の苦戦はまだまだ続きそうだ。
 友人は、派遣で旅行会社に勤めている。終わったら、午前様だという日もざらにあるという。それも、キャンセル・変更等の手続きが多く、テンションは下がっているみたいだ。私も以前まで事務をやっていたので、気持ちはよくわかる、同じ忙しいのでも、儲かって忙しいのとは訳が違う。

 インタビューを受けた男性社員はこう言った。
 「旅行業界は、“平和産業”なんだということが、本当によくわかりました」。

 平和産業。
 多くの仕事がきっとそれにあてはまるだろう。野球だってそうだ。

 高校野球は、戦時中、数年間中止された経験を持つ。先のテロ事件を受けて、アメリカ大リーグは一時中断された。台湾や韓国には兵役があり、野球選手でもよほどでないかぎり、免除されないようだ。20歳そこそこ、そんな伸び盛りに野球が出来ないとは、球界にとって、少なからず影響を与えているはず。

 球界のみなさんも、野球は平和産業なんだと実感していただきたい。そうすれば、自分で自分の首をしめるような無茶な制度がまかり通ることはない。

 野球はすばらしいスポーツだと思う。
 でも、今決して少なくない人々がその他の要因によって、野球自体から離れ始めている。

 某掲示板で、高校野球時代に無茶な指導を受け酷使された人がこんなことを書いていた。

 野球が裏切ったのではなく、人間(指導者)が裏切ったようなものですから。
 野球は何も悪くないわけだし…。
 でも、嫌いにならなかったと言えば嘘になります。

 でも、私は負けたくないと思う。
 無茶な制度、頭の固いお偉いさん、選手を取り巻く複雑な環境…。極端な話、野球そのものとは関係ない事柄で、野球から離れたくない

 



2001年12月10日(月)
心の中で生きるということ。


 一昨日、大阪京橋の紀伊国屋で、「ダイエー・藤井将雄物語」という本を見掛けた。思わず手に取り、レジに向かった。今日は、読書の日をしようと派遣の会社に欠勤の旨を伝えると、昼過ぎに本をリュックに忍ばせて、揺れの激しいローカル線の中で読んだ。私の場合、読書は家にいるときよりも、出先での方がはかどる。

 ダイエー・藤井将雄投手は、故人である。1年前の10月に肺ガンで息を引き取った。

 私が藤井投手の死を知ったのは、静岡に住む友人に会いに行くために乗っていた新幹線の車内に流れたテロップによるものだった。私は同投手を特別知っているわけでも、ダイエーファンでもない。でも、その訃報は衝撃的だった。数年前脳腫瘍で亡くなった津田恒美投手のことがふと脳裏をよぎった。これから逢う友人は、ダイエーファンだった。どういう顔をして行ったらいいかわからずに、静岡まで胃袋に鉛を入れたような重い気分をひきずっていた。

 

 この本は、ご家族の回顧や取材、そして同投手が長年に渡って交際していた女性の手記で構成されている。藤井将雄という人間を多方面から垣間見ることが出来、こまめに段階が分かれていて読みやすかった。亡き選手のご遺族が手記的なことを書いている本はいくつかあるが、このような方式がとられているものは、初めて見た。

 この本を読んで、心の中で生きるとはどういうことなのだろうと考えさせられた。

 例えば。
 藤井投手の将来の夢は、「少年野球の監督になること」だった。そんな彼は、オフにはふるさと・唐津で「藤井将雄少年野球教室」を開催していた。そして、彼が亡きあともダイエーの選手により、運営は続行されている。ご家族は、本の印税の一部をその野球教室の運営資金にあてるという。

 例えば。
 藤井投手は、何よりも野球が好きだった。辛い闘病生活も、野球が出来るようになるためにと頑張った。(最後は、引退を決めたのだが)そして、福岡ドームの15番ゲートは「藤井ゲート」を名付けられた。

 例えば。
 彼の存在は、家族や恋人や仲間やファン…。たくさんの人々を勇気づけ、愛し愛された。
 彼のホームページは、彼が亡き今も、多くの人で賑わっている。掲示板に書き込む方の多くが、「藤井さん、みなさん、こんばんわ」という書き出しをしている。

 例えば。
 生前はほとんどその存在を知らなかった私のようなファンが、彼の本から学ぶことが多かった。

 自分の周りの誰が欠けても今の自分はなかった。だから全ての人に感謝したい。 という言葉には本当に頷けた。
 自分を変えることで、病気を治してみせる。
 その言葉に、人生って自分との戦いなんだなと感じた。

 ドラマや小説で使い古された言葉、「心の中で生きている」。
 今まではあまりに漠然としすぎていて、よく分からなかった。筆者の自己満足的手法だとすら思った。大切な人を亡くしたことのない私には到底分からない心境だと思った。

 でも、今日、この本を読んで、それが分かった。
 
 
 文中には、藤井投手のふるさとでもあった唐津の海が良く出てくる。彼は海が好きだった。大人になっても、よく海を見ていたのだという。海を見つめ、何を思い、どういうことを考えていたのだろうか。
 私も唐津の海を見に行きたいと思った。


追伸:藤井投手のHPには、生前に書かれた日記が残っています。言葉が柔らかで、愛情をにじみでているような文章がちりばめられています。心に響く言葉もたくさん出てきています。まだ御覧になられていない方は、一度訪問されるとこをオススメします。


参考文献:「宙を舞った「藤井ハリー」 ダイエー・藤井将雄物語」(勁文社・藤井正子・マリ子著)
 



2001年12月09日(日)
星野阪神にちょっと待った!


 こうやって、野球日記たるものを書いて、8ヶ月が過ぎた。しばしばメールを戴くこともある。最近、よくされる質問は、「星野監督の就任に対して、関西の阪神ファンはどう思っているのか」というものだ。

 私もそれほど詳しくないが、流れは大きく分けて二つある。

 一つは、大歓迎派。星野氏の「燃える男」的な要素を買い、チームが奮起することを期待している。

 もう一つは、反対派。やはり阪神の監督は生え抜き選手でして欲しいという考え。野村氏の一件で、もう外様はこりごりと思っているのだと推測する。
 
 そして、大半は前者の「大歓迎派」に属するだろう。実際、私の周りはほとんど前者派である。

 では、自分はどないやねん。
 うーん、私としては、その両方に属さない。どうしてもどちらかと言われれば、反対派を選ぶ。

 誤解のないように申し上げるが、私は星野氏が嫌いなわけでも、純血主義者でもない。もし、星野さんが監督になってもらえるならそんなにありがたい話はない。

 しかし、違うんだ。腑に落ちないのだ。
 星野さん、待ってぇや。それでいいの?止めるなら今のうちやで。
 そう、話かけたくてたまらなくなる。

 阪神球団は、何も変わっていない。変わっていない限り、監督が変わっても結局同じことを繰り返すように思えてならない。星野氏に問題があるとは思えない。でも、阪神には口ではうまくいい表せない特異な体質がある。私は、今回の野村政権の3年間でそれに気付いた。阪神が、長年純血主義を続けていた理由がわかったように思う。

 私が思うに、球団側が求めているのは、昔の星野氏であって、決して今の星野氏ではない。ベンチを蹴ったり、怒鳴ったりする「燃える男」星野仙一、というのと今は違うように思うのだ。人が変わるもの、なのに。それを分かっていないのかな。

 星野氏は義理堅い人間だと聞いた。
 おそらく監督就任要請も受けるだろう。
 今の自分とギャップがあっても、「燃える男」星野仙一でありつづけるだろう。

 でも、そうすることで星野氏がつぶれてしまわないかと心配になる。野村氏の素晴らしい実績を残しながら、阪神に来て、球団や特殊な体質に振り回されて、汚名をつける形となってしまった。星野氏が同じようにならないという保証はどこにもない。
 
 こんな見解は当たって欲しくないのだが、2,3年後、ファンやマスコミが、「星野もあかんかったなあ、これじゃあ、野村と同じやん」と言っている光景が目に浮かんでしまう。


追伸:阪神には、愛知出身の選手が多くなるなあ。それも、上坂や赤星あたりのメジャー級もいるし…。

 



2001年12月08日(土)
(野球日記なのに何故か)ミュージカルの話


 昨晩遅くに、友人から電話がかかってきた。
 「急な話やねんけど、“キャッツ”のタダ券もらってんか。明日やねんけど行っかへん?どうせ、ヒマやろ、自分」。
 ヒマ人代表に選んでいただいて光栄です。特に予定もなかったので、友人の誘いを快諾した。

 「キャッツ」は、劇団四季による超ロングランミュージカルだ。私のように、ミュージカルに無縁な人間でも名前だけは聞いたことがある。

 第1回大阪上演の1985年に阪神が優勝している。また、東京上演の時に巨人も優勝しており、「キャッツ」が上演された都市を本拠地にしている球団の優勝確率は実に80%を超えるというデータも出ている。今年は、大阪近鉄がリーグ優勝を果たしている。


 さて、生まれて初めて見たミュージカルは、実に素晴らしかった。何故もっと早く見なかったのだろうと思った。縁のなさをちょっと嘆きたくなったが、今からでも遅くはない。

 私はよく日記でも書くように、野球を見ているときに一種の「疎外感」を感じることがある。しかし、今日はその疎外感を感じることがなかった。演劇やミュージカルというものは、演じている側と見ている側が野球以上に(野球の場合は、演じているのではなく、プレーする側なのだが)明確に分かれているのだと思っていた。しかし、それは間違いだったのだ。

 キャッツの舞台は、都会のかたすみのゴミ置き場にあるのだが、劇場全体がゴミ置き場みたいに演出されているのだ。舞台にあるゴミのオブジェが、そのまま客席の壁に続いている。まるで自分も舞台の一部になっているような錯覚すら起こす…と言ったら大げさか。ただ、その演出に「劇は観客と共に作り上げていくんだ」という気持ちが汲めたし、仲間外れにされていないんだなと思うと嬉しかった。

 私は2階席中央にいた。収容人数1100人と大きくはない劇場なのだが、舞台は決して近くない。それほど興味のないものなら、この地点で冷める。昔、友人(前述の友人とは別人)と二人で安室奈美恵のコンサートに行ったことがあったのだが、あまりに遠すぎて、最後は、ステージを見ずに声だけを聞いていた記憶がある。また、別にアーチストのコンサートのときは、不覚にも眠ってしまったこともある。
 
 でも、今日は眠るわけにはいかなかった。劇中随所随所で、俳優の猫たちが、客席に散った。1階だけでなく、2階の私たちにところにも来た。濃い猫メイクがしっかり見えた。俳優さんの目、声、息づかいをしっかり感じた。(最後は、握手までしてもらえました!)これで、完全にお客さんを引き込んだと思う。野球とミュージカルは根本的には違うものなので、比べるのはナンセンスなのだが、外野席で見ているときに、選手が側でボールをさばいたり、素振りしているような感じなんですよ!これは、すごすぎます!

 前の席の観客はもっと凄くて、劇中に主役格の俳優さんが、観客から女の子を連れてきて舞台に上げた。前の席の子だったので、熱心なファンだと思う。きっとすごく感激しただろうな。自分が舞台に、それも劇中の演出の一つとして出ることが出来たのだから。登場人物の一人と言っても過言ではないのだ。私が彼女なら、「うち、“キャッツ”に出たことがあんねん」とかなり自慢してしまいそう…。

 2時間半の上演で、休憩が20分あった。お手洗いも、きれいでかなりたくさんあったので、スムーズに出来たし、また、この20分の間にサイン会も行われた。そのサイン場所はなんと舞台の上!さっきまで、熱演が繰り広げられた場所に立ち、憧れの俳優さんからサインをもらえるのだ。舞台にはきっと熱気が残っているのだろう。また、演じたばかりの俳優さんは猫のコスチュームのままでいるので、その汗や鼓動も聞こえてくるかもしれない。俳優さんはきっと疲れているはずだし、これからもまだまだ疲れなければならない。それでも、快くサインを引き受け、握手をする。

 演出、サービス面ばかりを書いたが、もちろんそれも良心的なファンあってのこと。劇中に俳優が観客席を駆け回ったり。舞台でサインをしたりするのは、ファンの良識やマナーを信じていないとまず踏み切れないと思う。劇場スタッフが、「後ろの方に配慮を」と呼びかけていたが、私が見受けるかぎりみな守っていた。ああ、ここには劇団と観客との間に強い信頼関係が築けているのだなと思った。すこし羨ましくなった。(第2幕が始めるときに、ブザーなどは一切鳴らなかった。サインをしていた俳優の談笑から、自然と演技が始まって行った。観客もそれをしかり把握しており、スムーズに劇の中に入っていけたのが印象的。ブザーやベルは人を縛り付けてる印象がする)


 帰宅して、劇団四季のホームページを見た。劇団四季の設立には、「市民に演劇を通して喜びや感動を提供すること、そして、演劇がもっと身近になって欲しい」という思いがある。文中に書いてあったことなのだが、元々日本人にとっては演劇は身近なものだったという。それが、時代の波に押され、そうではなくなった。そのため、今、演劇の普及のため、努力・奮闘をしている。

 “キャッツ”は、2回目の大阪上演で、関東の総動員人数を抜いた。パンフレットに寄稿したエッセイストはそれを受けて、「“キャッツ”は大阪のものになった」という。猫たちは、劇場を飛びだし、御堂筋パレードや天神祭に参加した。それもまた大阪に根付く要因の一つだったのだろう。


 劇団四季は、演劇界の危機を察して設立され、素晴らしい劇やサービスを提供している。野球界もまた、危機にさらされている。だが、だからこそ、今、本気になって野球に取り組めるのではないかと思う。多くの人間が野球の明日を切実に考える。野球がファンに浸透するためにはどうすればいいか、選手には求められているものは何か、またファンが考慮しなければならないこともあると思う。きっと、その先に、「答え」と輝かしい「野球界の未来」があると信じたい。

 そう、「ピンチのあとにチャンスあり」。
 野球界には素晴らしい言葉がある。

 



2001年12月07日(金)
球界ライン作業


 私は、この6月まで呉服屋で営業事務をしていた。アクが濃い会社と社員たち。色々あったが、カチンと来た言葉の一つ、担当の営業社員が言った一言を今でもよく覚えている。

「作業ではなく、仕事をする」

 この会社では、幹部から何からこれを信じて疑わない。この一言を口にしただけで、「あ、この人はしっかりしている」という空気が流れる。きっと社長の方針なんだろう。

 株式会社ではあるが、会社のカラーは実質的には個人商店だった。コンピューターを始めとする機会類はほとんどない。伝票記入、値入れ、商品の札付け、発送するための荷造り、来客の対応、得意先との電話でのやりとり、掃除、展示会の準備・後片付け…。とても忙しい部署だった。だから、効率よく仕事をしなければならない。そのためには、段取りや順序を考え、またよりよい対応が求められる。そういう頭を使うものを仕事、頭を使わないものを作業というらしい。

 待てよ、と思う。
 作業は頭を使わないだって?

 そんなセリフ、そのまま、郊外の工場でライン作業をしている人に吐ける?
きっとケンカ売ってんのかと立腹されるか、何も知らないんやあざ笑われるだけだ。

 作業は、頭を使う。
 いかに能率よく、作業をするか、1秒、いやそれ以下の単位の時間を無駄にしないために、作業工程はしっかり為されている。そして、ラインに商品を流すタイミングもかなり神経を使う。遅すぎたら、働いている人はだれるし、一日のノルマは達成出来ない、また早かったら、ラインはスムーズには進まないし、生産効率も落ちる。

 また、作業は精神的にも滅入る。やってもやっても終わらない同じことの繰り返し、話すことも出来ないし、いつも時間や商品に追われている。余計な感情を入れず、自分を機械化するように心がけなければ、正直かなりきつい。早く(作業を)しなければ、それは強迫概念になることもある。

 ふと、今の野球界もそうなのかなと思った。商品があふれるように流れてくるライン状態。それほど多くない作業員は、目先のことに精一杯で。とても作業は進まない。「とりあえずは」と、いう無責任対応をする。

 どこかで、止めなきゃいけない。分かってる。でも、商品は流れてきているし、自分のせいでラインを止めるわけにもいかない。

 野球界の悪しき伝統やルールがまかり通るのは、そういうライン現場と似ている。このままじゃいけないのは誰だってわかってる。でも、目の前には山盛りの商品(問題)。とても対応でききそうにない。とりえあず、次に回そう。そういう気持ちの余裕のなさの繰り返しが、悪循環に拍車をかける。

 工業のラインは止めちゃいけないけれど、野球界のラインは誰かに勇気を持ってスイッチを「OFF」にしていだきたいところだ。


 
 
 



2001年12月06日(木)
管理人・あるこ社会復帰記念(祈念?)!幻の「野球小僧大賞」応募作品?!


 今日、約半年ぶりに仕事をした。
 前日、真夜中に野村監督辞任のニュースが流れ、よく寝れなかった上に、慣れない作業。疲れないはずがない。

 というわけで、この機会に、昨年末私が「野球小僧大賞」に応募しようと思っていたが、土壇場で原稿をなくしたという問題作を公開させていただきます(後悔と書いた方が正解か…)。


「生活指導の先生」

 今、プロ野球界では、審判を巡って様々なトラブルが起こっています。“審判の言うことは絶対”など、どこ吹く風。一人の審判を(その技量にかかわらず)大きな図体した男たちが取り囲んで抗議している光景に、一種の“いじめ”に似た恐怖感を抱いてしまいます。さしずめ、その関係は「亭主関白な夫とそれに黙って耐える妻?」といったところでしょうか。

 さて、高校野球では、どうなのでしょう。
 多様なご意見があるでしょうが、私が思い浮かべるのは「生活指導の先生」なんです。

 その技術は、プロと近い問題をはらんでおり、私も何度となく泣かされました。“高校野球”という名のもと、選手や監督は黙っていますが、きっと心の奥にあるはずです。

 ともかく、高校野球の審判は、一歩グランドに入ったら、「生活指導の先生」なのです。

 ストライク・ボール、アウト・セーフの判定はもちろんのこと、ボークやオブストラクション(走塁妨害)などは、何故だめなのかを選手やベンチに教えています。この“教える”行為、プロではまずお目にかかれないのではないでしょうか。

 高校野球界では、ボークの基準が年々厳しくなったりで、特にそういうシーンを多く見受けました。

 あと、ベンチでヤジがきつい学校に対しては、「ケンカじゃあるまいし、言葉に気をつけなさい」と注意する審判もいます。そういえば、以前見た雑誌で、元ヤクルトの荒木大輔氏が、高校時代(早稲田実業)のことでこんなことを話していた。
「甲子園で審判にユニフォーム着こなしについて注意を受けたことがある」。
 
 服装をチェックする人種…。まさに生活指導の先生ではありませんか!

 小さな球場や観客の少ない試合では、そんな審判の“教育的指導”に注目してみてください。面白いかもしれませんよ。



2001年12月05日(水)
嗚呼、野村克也

 今日、バイトの面接から帰って来ると、「野村沙知代社長」が「野村沙知代容疑者」に変わっていた。


 世論は、夫である阪神・野村克也にも厳しくあたる。確かに、3年連続最下位で、ドタバタ劇じゃ、腹の立つファンの気持ちも分からなくはない。

 
 しかし、私はどうもこの野村克也という人を、悪いとは思えないし、憎んだり、嫌ったりできないのだ。

 一般ファンの私だから、野村克也という人間がどういう人間なのかを知るには、マスコミやライターによる文章、テレビ等に頼らざるおえない。残念ではあるが、私たちはその中でああだこうだ言っているに過ぎない(決して、マスコミ批判ではないです、むしろ情報の提供には感謝の気持ちすらあります)。

 そんななか、私たちは自分自身の持つ価値観や考え方で、あふれる情報の中の何を信じるかで、自分の中の「野村克也像」を作り上げる。

 私の信じる野村克也像は、後藤正治氏の「大阪への帰還」という作品の中にある。

 作品は、野村克也氏の阪神監督就任までの半生を追っている。その中心は彼が南海ホークス在籍時のことなのだが、文章の最後で彼を慕っていた柏原純一氏はこう述べている。

 「理屈が多いとか、暗いとか人はいう。でも実は情の人なのではないかと僕は思いますよ」

 それまでに読んできた後藤氏の文章にそうさせる何かがあったのかもしれないが、もしかしたら、これが野村氏の仮面をはずした素顔なのかなと思った。


 先日、「プロ野球珍プレー好プレー」のゲストにメッツの新庄選手と出演していた。新庄を見るその目、その仕草は本当にかわいい息子を見守る親のそれとダブってしまった。新庄選手を特別にひいきしているという見方も出来ないではなかったが、それにしてもあんな朗らかな野村克也氏を見たのは初めてだった。

 あの目、あの仕草を見た以上、やっぱり、野村克也という人を悪くは思えない、憎めない、嫌えない。

 ある方からいただいたメールを拝読して、たとえたった1日でも首位になったあのときの歓喜の気持ちを考えると、野村克也という人間に感謝してもバチはあたらないと思った。

  
 野村克也という人物を思うとき、すれ違い続きの悲恋映画を見たときのような心の奥底から泣きたくなるような衝動にかられる。

 「もしもあのとき…」ということがあまりにも多すぎる。故鶴岡氏との決別はまさにその典型。不器用故に何かを誤解されたままの人生なのではないか。私にはそう思えてならない。


参考文献:後藤正治著「復活〜十の不死鳥伝説〜」(文藝春秋)より「大阪への帰還」
 



2001年12月04日(火)
Happy Birthday♪


 今日、12月4日は、相方の25回目の誕生日にあたる。クリスマスやバレンタインというイベント系には全く関わらない私たちだけど、誕生日は別。ちゃんとお祝いをする。今日は平日だから、一昨日の日曜日にご飯を食べに行った。

 誕生日は、その人が生まれたことに感謝をする日だ。その人と出会えたことによって得られた喜びや楽しみや貴重な経験や成長や…。それは、恋人であろうと、友人であろうと家族であろうと同じ。


 野球との出会いは人との出会いでもある。
 私と相方も、野球が縁で知り合った。

 私は大学で阪神タイガースの応援サークルに入っていた。純粋に阪神を応援したいという気持ちと、あまのじゃくなのでテニスサークルとかいうのに、かなり抵抗を感じたからだ。野球観戦にこ慣れた先輩たちとの観戦は楽しかった。甲子園には何度となく通い、夏には先輩のボロ車で広島球場や東京ドームに遠征した。私は2回生のときに、相方が新入生として、サークルの門を叩いた。具体的な話は省略するが、約1年をかけて、じっくりと攻めて、今に至っている。

 月日が経つと、マンネリになり、デートのたびに「どこ行く?」という話で終始してしまう。でも、そんなときに野球があるから助かる。何もなければとりあえず野球を見に行く。野球も見れるし、酒も飲めるし、それがデートとなれば、幸せの極み。しかし、オフになったら、行くところを決めるのが本当に大変だ。それでも、どうにかこうにか今まで持っているということは、何かの縁なんだろう。

 そういえば、阪神が優勝したときの試合に感激して、たまたま居合わせて、抱き合った隣の人と結婚することになったというカップルのエピソードを聞いたことがある。最高やなあ、究極の出会いやなあと思う。


 誕生日がその人が生まれたことを感謝するためのものなら、野球の誕生日っていつなんだろう。何か記念日みたいなものがあってもいいのに、と思う。

 



2001年12月03日(月)
お兄ちゃん


 今朝の朝刊に興味惹かれる記事があった。
 知的障害のある15才の少年が、所属していた市内の少年野球チームを無事に卒団したといういわばローカルニュース。

 今から4年前の小学校6年生のとき、彼笹村正城君は、弟の練習を見に行ったのをきっかけに、チームの代表者に入団を勧められ、野球を始めた。公式戦に出る機会はほとんどなかったが、試合ではバットやボールの整理をしたり、練習では後輩を手伝ったりして、みなに「お兄ちゃん」と呼ばれて親しまれてきた。

 聴覚障害のある選手や目の不自由な生徒が野球をすることは、わりと知られている。だが、私の記憶する限り、この知能に障害を持つ子が野球するという話を聞いたことはなかった。それでも、ただやるだけではない。本格的にチームに所属しているのだ。

 野球だけではないが、スポーツには様々な危険が伴う。それだけに、ハンディギャップのある子供がプレーすることはきわめて困難だ。少子化等の影響で、野球をする子供が減っているから、こういう生徒を受け入れる余裕が出来たのかもしれないが、リスクを考えると、チーム代表の方の判断は勇気あるものだったと同時に素晴らしいものだと思った。


 近所に住む同級生の男の子に、知的障害を持っている人がいる。小学校では何回かクラスが一緒になり、同じ時を教室で過ごした。でも、言葉の通じない彼と一緒に遊ぶことはなかった。それは、私だけではなかった。

 友達にいない彼は、よく一人で近所を自転車で走っていた。ゆっくりゆっくりペダルを踏んで。道行く人を切なそうな目で見ていた。当時の私は気持ち悪くて、避けて通っていた。

 その後、私は、中学を卒業して、高校に行き、大学にも行った。
 その間も、彼は同じルートを自転車でこいでいた。ゆっくり、ゆっくり。時が止まってしまったかのように。

 早くに亡くなったそうだが、私の母は知的障害を持つ姉がいたようだ。だから、母は彼によく声を掛けていた。「おはよう」「どこ行くの?」、声をかけるたびに彼は嬉しそうな表情をしたのだという。

 きっと、彼は友達が欲しかったんだ。ひとりぼっちが淋しかったんだ。ゆっくり自転車のペダルを踏みながら。友達を捜していた。誰かが声をかけてくれるのを待っていた。日常から、脱出したかった。それは、きっと私たちも同じ。

 今となっては、彼を見掛けることはない。長い年月でつもりつもった言いしれぬ孤独は彼にどんな影を落としているだろう。


 野球を通じて、友達と夢中になれるものを見つけた笹村君の存在に癒されたようでもあり、また切ない気持ちにもなった。

 卒団後は、チームのコーチとして野球に携わるのだという。
 「高校野球には挑戦しないのかな」。ふとそういうことが頭によぎった自分に、「器のちっちゃい人間だなあ」と思った。世の中にはシビアな現実があるし、高校野球が全てではない。

 「おにいちゃん」には、素敵なコーチになって、素敵な人生を送って欲しいと思う。



2001年12月02日(日)
プレーボール


 急に大阪に行くことになり、車中の暇つぶしにと久しぶりに「週刊ベースボール」を購入した。

 さまざまな記事やコーナーがあり、読み応えのある雑誌だ。その中で、私のお気に入りは、「12球団トピックス」の中にある「ロッカールーム」というコーナーだ。ここは、野球に関すること以外にもいろいろなテーマで各球団からランダムに選ばれた選手に話を聞いている。

 今週のテーマは鍋料理。中でもすごいと思ったのは、横浜・三浦選手の話に出てきた「キジ鍋」。幼いころ、お父さんが近所でキジを獲って来て、それをお母さんがさばいたのだという。

 遠い昔の話のように思えたが、実はこの三浦投手は、私より2つ年上なだけに過ぎない。つまり同世代っていうわけだ。
 
 そういえば、私より1つ年下の相方は、幼い頃、武庫川(兵庫県尼崎を流れる川)でしじみを獲って食べていたと言った。もちろん今ではそんなこと出来ようもない。

 私たちの多くは、お金を出して食べ物を買う。でも、つい20年ほど前まではまだ自然の中から食べ物を得ることが出来た。改めて考えると、驚きと不思議で戸惑う。

 昔は、田圃や畑、空き地という自然の中で少年たちは野球をしてきた。プロ野球の歴史を彩ってきた人たちの多くが、原点をそこに持っている。

 1980年代、私たちの子供のころは、田圃や畑が段々は減り始め、「危ない」と言われながらも、家の前の道路で野球をしている子がわりといた。ピッチャーとバッターさえいればよかった。飛び入り参加、ぬけがけOKだったという。

 今、野球少年を見掛けるのは、学校や河川敷にあるこぎれいなグランドや球場でだ。少年たちにとって、もはや野球は遊びではない。きれいなユニフォームを着て、高そうな野球道具を持っている。

 少子化、野球人気の危機が叫ばれている中、野球少年を見掛けるとほっとするし、本当に嬉しい。でも、時代の流れを感じてもの寂しくなる気持ちも同時に湧いてくる。今の子供にとってはそれが当たり前なのだ、かわいそうとかいう気は更々ない。また、小さいころから目標を明確にもって野球に取り組んでいる子なら、早い内に高いレベルの練習をすることも悪くはないだろう。

 昔通っていた学習塾の講師がこんなことを言っていた。
 「子供は遊ぶことから、学ぶことを知るのです。だから、みなさんも勉強ばかりしないでたまには遊んでください」
 塾講師という立場の人らしからぬ発言だが、野球にも同じことが言えなくもないなあと思う。

 「プレーボール」。
 単純に訳すると、「ボールで遊ぶ」、となる。



2001年12月01日(土)
独断と偏見の「2001・心に残るプロ野球選手ベスト5」

 今年、私の心に残ったプロ野球選手を紹介させていただきます。その大半が阪神の選手なのは、私が阪神ファンだからです。12球団平等な目で、なんていう心の広さは私にはありません、悪しからずご了承ください(^^;)。


☆第5位 大阪近鉄・北川博敏選手(あの愛嬌のあるアニメ系の顔(ファンの方、ごめんなさい)が、満面笑みになったときは、こっちまで嬉しくなりましたよ。阪神を出てからの活躍というのが多少残念ですが、ま、よかったんじゃないですか。「勝利の女神に惚れられた」とし言いようのない今年の活躍、素晴らしいです)

☆第4位 阪神・広澤克己(漢字に自信なし(^^;))選手(お立ち台で六甲おろしを歌った選手がかつていただろうか。最初の印象が最悪だっただけに、好感度の上がりようがすごかった。ホームランっていいなあと改めて思わせてくれた選手でもあります)

☆第3位 ヤクルト・河端龍選手(元々小柄な投手がタイプなのですが、人の良さがにじみ出ている雰囲気が好きですね。母校の後輩でもありますし、がんばって欲しいですね。え、もう結婚してるって?チェッ…)

☆第2位 阪神・藤本敦士選手(彼の辿った野球人生のドラマも好きだし、がんばって欲しいなと純粋に思えます。小柄でもホームランを打てるのが魅力。心に残るというか、ファンですね)

☆第1位 阪神・谷中真二投手(地味ながら丁寧なピッチングといえば、ありきたりな表現なのですが、まさにそれがピッタリな選手。平凡なコメントでも彼ならその意義が感じ取ることができます。プロ初完封を外野席で見守ったときは感動の嵐でしたよ〜)

追伸:すみさん、ネタがかぶりました。ごめんなさいm(_ _)m。