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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年02月28日(木)
プロ野球選手の誕生日を調べてみました(2002年選手名鑑より)。


 今日はどうしようもなく書くことがないので、選手名鑑で遊んでみようと思う。

〜プロ野球選手生年月日データベース??〜

対象:2002年2月28日現在、現役のプロ野球選手で、下記に挙げる選手名鑑に名前が載っている全ての選手。

参考資料:日刊スポーツグラフ「2002年プロ野球選手写真名鑑」

調査者:あるこ

調査者の作業能力:早いが雑

信憑性:阪神タイガースのここ数年の勝率と同じくらい


 700人を超える選手の生年月日を調べていて気付いたのは、誕生日がかなり偏っているということである。

 700人もいれば、おそらく365日すべてプロ野球選手に誕生日で埋められるだろうと思っていたが、実はそうではなかった。

 それも、同じ球団で2,3人が同じ誕生日という偏り方も多々あった。また、プロ野球選手の誕生日のない日も偏っている(例:1/15,16など)。

 まるで、プロ野球選手の誕生しやすい月日はあるかのごとくだ。


 ◎ 月別で見ると、6月の94人が最多。また最小は2月で32人。やはり28日しかないのが響いている。29日以降のある月では、3月が最小の41人。

 ◎ 日別で見ると、12日の35人が最多で。最小は31日の10人。また、全ての月にある日(1〜28)の中では、22日の18人が最小となった。(ちなみに10人台は31日を除いたら22日だけ)

 ◎ 全般的に見ると、冬が少なく春から夏にかけてが多い。

 ◎ 2002年のプロ野球選手の誕生日で最も多いのが、6/8。この日が誕生日の選手は下記の通り。

 横浜・井上純選手 広島・末永真史選手 阪神・八木裕選手 大阪近鉄・三沢興一選手 大阪近鉄・谷口悦司選手 福岡ダイエー・城島健司選手 オリックス・川越英隆選手 オリックス・竜太郎選手(本名:辻竜太郎)

 ◎ ちなみに私と同じ8月25日生まれの選手は、5人。

 ◎ プロ野球選手の誕生日がない月日は下記の通り。ちなみに、今日2月28日生まれの選手もいませんでした。

 1/2,7,10,15〜17,20,24,25,27
 2/3,8,15,22,23,28
 3/21,22,26,31
 4月なし
 5月なし
(子供をプロ野球選手にするなら、4月か5月に生むべし??)
 6/25
 7/4,6,30
 8/14,17
 9/4,23
 10/11,12,15,19,20,22,24
 11/2,9,14,17,20,21,23,27
 12/2,3,15,16,23



2002年02月27日(水)
あるこ的“ヤクルトスワローズ”(注:戦力分析ではありません)


 以前、日記に書かせていただいた巨人ファンを辞めた友人の来季からのごひいき球団が決まった。その名もヤクルトスワローズ。

 ヤクルトは、藤井秀悟投手や石川雅規投手を始め、アマ時代も神宮で活躍した選手が少なくない。大学野球が好きな友人には打ってつけだろう。やはり、注目は石川投手とのこと。

 
 せっかくなので、ここでヤクルトのことを書いてみたい。

 私は阪神ファンだが、ヤクルトは好感の持てる球団である。特にここ2,3年で、著しく興味惹かれてきている。もし、東日本で生まれていたら、おそらく私もヤクルトファンだっただろうと思う。

 ビジター用のユニフォームが好きだし、神宮球場の独特な雰囲気にも魅力を感じる。それに野村監督が基盤を作った現チームは、私の思う理想的なプロチームを形成している。

 監督は選手を信頼しているようだし、ベテランと若手がうまくかみ合っているようにも思えるからだ。

 若手では、藤井・五十嵐・石川(2人いたっけ?)・河端・岩村など注目に値する選手も多い。また、ベテランでは日本シリーズで亡き球団スタッフの遺影を掲げていた池山選手が最近気になる。昔みたいに球場やブラウン管で活躍することはなくなったけど、今の池山選手は落ちつきもあり、いい年の重ね方をしている渋い男性だと思う。彼をそういう人間にしたのは、本人の資質はもとより、きっと球団のカラー故のことだろう。

 実は、私のプロ野球歴はヤクルトと切っても切れない。

 元々高校野球しか見なかった私がプロ野球を見るようになったのは、実は、当時ヤクルトにいた西村龍次投手あってのことだ。

 プロ野球なんて好きな番組の時間を狂わすものと忌み嫌っていた私が、チャンネルを変えずにそのまま見ていたのは、他でもない西村投手、その苗字故のこと。

 当時の私の好きな男の子の名前が「西村」といった。高校野球の同様の理由で見ることになったのだが、高校野球の「西村」投手は大活躍で、私の中で「西村」イメージは強烈になるばかりだった。

 そこで、否応なしにもプロ野球の「西村」投手にも注目することとなった。で、プロ野球の西村投手もそこそこ活躍した。嘘みたいな本当の話。

 また、生まれて初めて「すっげぇ〜、これがプロかぁ」と感嘆した選手もヤクルトにいる。今も現役の伊藤智仁投手その人だ。

 伊藤投手は、三菱自動車京都から競合の末にドラフト1位でヤクルトスワローズに入団。地元京都の選手とあって、新聞でも大きく取り扱われていた。また涼しそうな顔してベタベタの関西弁を話すそのギャップもよかった。

 シーズンが始めると、あれよあれよの大活躍、勝ち星を重ね、奪三振数も快調に積み上げていく。高速スライダーが彼の武器だと周りで言われていたので、「ああ、空振りにさせている球がそうなのかな」と漠然と思っていた。

 すらりとしたスタイルの体から、きれいなフォームで投げるものすごい球。新人なのに、私ですら知っているような有名な選手を次々ねじ伏せていく。

 強烈に印象に残っていたシーンがある。

 もういつどこでの試合かも覚えていないのだが、伊藤投手がいつも通り好投していた。しかし、終盤になって、相手球団のベテラン選手が何度も何度も打席を外したあと、ホームランをかっ飛ばした。伊藤投手は降板。

 すると、ベンチでグローブを投げつけ荒れ狂った(という表現でいいのかあ?)彼の姿があった。今まで見たことのない姿だった。正直、怖かったし、軽いショックを覚えた。

 彼は、ベテラン選手がバッターボックスを外してばかりいたことに腹を立てたのかな、それともそんな選手に対して打たれてしまった自分に腹が立っているのかな。そういう疑問が湧いてきた。
 
 これが、私が全盛期の伊藤投手を見た最後。7月くらいに故障が発覚して、ファン投票で期待されたオールスターにも出場できず、それから長い復活への道を強いられることになる。

 今ではそれほど熱心に伊藤投手を見ることもなくなったが、テレビで彼が投げてると、気付いたら作業の手を止めて見ている自分がいる。



2002年02月26日(火)
無題


 今日は(「も」?)、ちょっと「野球」から離れてみようと思う。

 今日の夕刊で、国会で犯罪被害者等(おそらく被告人の家族が含まれていると思われる)のプライバシーを保護するために過剰取材をする報道機関やフリー記者らを勧告対象にする見解を示されたという。

 私は勉強不足なため、その裏にある「からくり」がわからないのだが、「被害者らの人権保護」には賛成だし、正直「なぜ今頃」という気もしないではない。


 大学時代、夕方に友人と2人キャンパス内を歩いていると、新聞記者に声をかけられた。いわゆる「取材」。テーマは、“選挙に行かない若者たち”。「選挙には行かない」と答えた私たちに、記者は「何故行かないの?」と聞いてきた。そう目の当たりに言われると、返答に困る。でも、またとない経験なので、思い当たる節をいくつか挙げてみた。

 また、新聞記者をいう人との接触はそうそうないと思い、私も2,3質問をしてみた(前にも雑誌編集者を質問攻めにし、「こっちがインタビュー(電話で)してるの」とあきれかえられた経験を持っている)。

 印象に残った答えがある。質問内容は、「記者をされていて、一番苦労していること、辛いことは何ですか?」そして、答えは「被害者の写真をもらってくること」だった。

 私たちが何気なく見ている三面記事の被害者の写真。あれは、事件後、記者が被害者の自宅や実家に行き、遺族から提供してもらうのだとか。その道中、「帰れ」と怒鳴られたり、水をぶっかけられたりすることもあるという。また、辛そうに写真を差し出す遺族を見るとやはり心が痛むのだとか。

 この話を聞いてから、ある疑問が沸々とわいてきた。
 果たして事件・犯罪被害者の写真を世間に公表する必要はあるのだろうか。(むろん、遺族の了承のもと、事件解決のために捜索等で必要であれば別なのだが)

 それに反して、加害者の写真は目が隠されていたりする。これじゃあ、一体どっちが加害者かわからない。被害者の写真が公表されたからって、本人が生きかえるわけでもないし。

 事件が大がかりになればなるほど、加害者と同時に被害者のプライバシーも明らかになっていく。子供が被害者であれば、将来の夢を書いた作文が公開されたり、学校でどういう子だったかクラスメートや先生らによって明らかになる。そのエピソードを聞いて、私たちは「何の罪もない子供がかわいそう」と思い、憤りを覚えたりするのだが、そこまでさらされた被害者がかわいそうにも思う。

 例えば、私が何らかの理由でこの世からいなくなったとする。そうしたら、家族や友人知人、マスコミの手で、いろんなことがさらされるのだろう。もちろん、この日記のことや応援している学校のこと、毎日付けている体重記録メモもその対象になるかもしれない。ああ、イヤだな。想像しただけでたまらない。


 「個人情報保護法」というものがある。ネットや本でかじった程度の知識で恐縮だが、この法案がそのまま通ると大変なことになるらしい。周りには「ライターになりたい」という人が少なくないし、また私も「物を書いていきたい」と思っている人間の一人だ。それだけに危機感を持っているし、今後の動向も見守っていきたい。

 事件・犯罪被害者の人権の保護に賛成しておきながら、「個人情報保護法」に危機感を持つというのは、一見矛盾しているかのようにみえるが、それだけ“言論の自由”と“人権保護”の問題は複雑に絡み合っている。



2002年02月25日(月)
これが私の“痩せる”道?!


 もうすぐ、高校野球部の対外試合が解禁になる。私も、応援する学校の春からの練習試合日程はすでに入手済み。オフにときどき襲われていた虚無感も、シーズンが始まると影を潜めてくれるだろう。

 3月下旬になると高校生は春休みで、練習試合もバンバンやる。ほんの2,3ヶ月までまでなら、これをフルで観戦することも可能だったが、失業保険が切れてはや3ヶ月。お財布が言うことを聞いてくれそうにない。

 前々から、派遣先から新しい仕事のオファーが来ていた(カタナカ使うとさぞ知的な仕事のように思えるが、実はたいしたことない)。3月中旬から末までの約半月。休日は日曜のみ。土曜日も祝日も出勤。これでは、通常なら見に行けた試合すら見に行けない。ああ、なんでオフのときに精入れて働かなかったのだろう。後悔。

 ま、悔やんでも仕方ない。幸い、私的にメインの試合はこの短期バイトの後にひかえている。行けそうだ。試合を見るためにはお金がいる。そのためには働かねばならない。迷った末、働くことにした。

 そ、いつもいつも見ていたら新鮮味がなくなるし、変な目で見られるで。それに、「冬はがんばる」と言いながら結局プラスに転じてしまったその体格でのうのうと見に行く気か?それなら、働いて少しでもスリムになってからの方が気分もいいやろに。そう考えることにした。だから、春休みに予定されている練習試合10のうち、半分の5つを諦め、お楽しみを後半に回した。それを心の支えに安時給(自嘲)の仕事、がんばろっと。


 というわけで、私は今痩せようと思っている。
 「なんだ、ダイエットか」。そう思われるかもしれないが、う〜ん、「ダイエット」の割にはお気楽過ぎて、全国津津浦々におられるダイエッターのみなさんに失礼だ。

 そもそも私は、持続力がない。だから、「続けられない」ことを前提にモノを考えて行かなければならない。「続けられない」ということは、自分に過度な無理を強いているのだ。従って、それをいかに取り除くかが、「痩せる」道へのキーワードとなる。いろいろ試行錯誤している途中ではあるが、私が今取り組んでいることは下記の通り。

)萋体重を量る

△修瞭食べたものをメモする

E度な運動をする(40分程度のウォーキングと20分程度のウエイト(私の集中力は1時間が限界)。プラスαはその日の気分次第。ストレスを感じたり、過度な空腹を覚えない程度に)

い覆襪世嘘段を使う。

 1ヶ月1〜2キロ減を目標にぼちぼちやっていこうかと思う。順調にいくと、7月、選手が「本番」を迎えるときには、○○キロか…。それでも、まだまだおデブちゃんやなあ(^^)。



2002年02月24日(日)
今季も谷中さんについていく♪


 昨日の話で恐縮なのですが。

 阪神にとって、今季初となるオープン戦が西武を迎えて行われた。途中をちょろっと見ただけで、結果は分からなかったのだが、なんと3x−2のサヨナラ勝ちだとかで、幸先のいいスタートとなった。

 私が見たときは、丁度谷中さんが投げていた(谷中さんって…。高校時代の先輩みたいな感じで呼ぶなよ)。相変わらず、コーナーを丁寧につく、地味ながら味のあるピッチングを披露。この時期にちゃんと仕上がっているとはさすが!

 何度となくピンチがあったが、内角・外角としっかりコントロールされた球で切り抜けていた。低めの球での空振り三振もなかなか気持ちいい♪

 ストライクゾーンが変わって有利になるのは、球威のある高めを投げれる本格派投手か低めに変化球をコントロールすることのできる投手だという。そうすると、谷中さんは後者ということになるだろう。

 ところが、3回にタイムリーを許してしまった。それでも、大崩れしないのが谷中さんのいいところなのだけど。

 このところ、いい活躍をしてもそれ以降が続かない選手が少なくない(特に投手)。だから、正直、谷中さんに関しても心配していた。でも、今日の試合を見限り大丈夫そう。

 そうそう、今日は、藤本選手も試合に出ていた。相手チームの攻撃のとき、ショートを守る彼が、画面の下で見え隠れしていたのが、微妙に楽しかった。

 余談だが、谷中さんがいた小西酒造というチームは、都市対抗で応援に行くとき、バスの車内で酒の大判振る舞いがあったとかなかったとか聞いたのだが、果たしてそれは本当なのだろうか?


 



2002年02月23日(土)
甲子園の「選手宣誓」をちょっと掘り下げてみよう。


 このしゃべりな私が今まで公表しなかったのが、不思議なのだが、実は私、自称「高校野球選手宣誓マニア」である。

 選手宣誓に特別詳しいわけではないのだが、とにかく好きなのだ。

 昨年3月、東京ドーム構内にある野球の資料のそろっている図書館にわざわざそれだけを調べるために行ったほどである。とりあえず歴代選手宣誓者名を調べようと昔の新聞をあさり、穏やかな図書館司書のお姉さんを切らせかけた経験を持っている。

 とにかく、今まで調べた中で気付いたのは、「京都西高校は、高校野球(甲子園)の選手宣誓を語るにおいて、重要なファクターである」ということだ。

 京都西高校は、2001年春に京都外国語大学西高校とその名を変えたが、あえてここでは旧校名のまま、話を進めさせていただく。

 同校は、これまで2度の選手宣誓を経験している。その2回とも画期的なことをし、世間の注目を浴びた。みなさんの中でもすでにご存知の方はいらっしゃるはず。

 一度目は、昭和62年春、上羽功晃主将による英語の選手宣誓。2度目は、平成10年春、三好剛主将による手話に選手宣誓だ。手話は、その前年の夏、どこかの予選大会ですでに行われていたらしく、甲子園史上初となったが、英語はおそらく史上初であろう。

 ちなみに英語の選手宣誓は途中でミスがあったのだが、当人は潔く「すみません」と謝ったことが、好感が持てると評されていた。これも、おそらく史上初?!

 同校の3度目の選手宣誓が待たれるところで(ただし、春だけにしてね(苦笑))。

 
 ◎ 選手宣誓

 春→抽選で1番クジを引いたチームの主将がする。そのため、地域に偏りがあり、S56〜60は、広島→広島→兵庫→兵庫、H3〜6は、北海道→北海道→東京→東京となっている。

 夏→昨夏より、立候補制にある。私のようなマニアにとっては「ドラマ性に乏しくなる」ので淋しい。逆指名のため、競合のなくなったドラフトを見るような感じだ。しかし、当の選手らを考えるといいことだと思う。

 ◎ 選手宣誓の始まりは?
 
 実は定かでない。
 春はおそらく昭和27年か推測するのだが、夏は…。ちなみに私あるこの推定は、昭和25年で、宣誓したのは松商学園ではないかということだ。今後も調べて決着をつけたいと思っている。

 ◎ 選手宣誓の自主制作

 それまでは、選手宣誓用に用意された文章があり、それを読むだけだった。しかし、いつからか選手宣誓をする選手にその内容は任されることになった。昔読んだ雑誌で記憶する限りは、わりと最近だったのではないかと。

 ◎ 有名どころ

 選手宣誓経験者として、有名なのが今は野球評論家をして活躍されている豊田泰光さんだ。選手宣誓を経験しているプロ野球選手は意外と少ない。

 ◎ 脅威の大分県勢

 選手宣誓をする代表校は偏っていると前述したが、平成に入ってからの大分は驚異的で、春夏計4回の経験を持つ。

 H1 別府羽室台 H2 藤蔭 H4 柳ヶ浦 H7 日田 

 ☆ 今後調べて行くこと
  
 選手宣誓チームの戦績・選手宣誓未経験県勢の有無・最多選手宣誓経験県勢・選手宣誓者の守備位置や成績・選手宣誓のはじまり・選手自作による選手宣誓がなされた年とその時の宣誓者の所属校名と名前・史上初手話の選手宣誓をしたチームと宣誓者名主たる選手宣誓の内容・京都大会の選手宣誓校等
(声出して読んだら、早口言葉みたい…)




2002年02月22日(金)
努力の向こうにあるもの。

 おそらく双方面識がないであろう2人の女性から、共通した思いのメールを戴いたことがある。それは、野球(含めたスポーツ)を見るときに感じる「辛さ」についてだった。

 私にも、野球を見るにおいて、マイナス感情が働くことがある。それは、「むなしい」とか「しんどい」という言葉で表されるもので、「辛い」という心境はある意味新鮮に響いた。

 だが、私も野球を見る辛さを無縁ではないことに、最近気付いた。

 
 実は、私、生まれたこの方、「努力」ということをしたことのない人間だ。かといって才能があるわけでもないのだが、どうも「目標に向かってこつこつ」とか、「継続して毎日きちんと」とかいう類の行為が性に合わない。だから、努力をしている人達を尊敬しているが、「努力」という言葉自体は好きじゃない。

 よく「努力すらば報われる」とか「努力することは無駄ではない」と言われるが、果たして本当にそうなのかと思ってしまうのだ。

 
 高校時代、愛読していた高校野球雑誌には、その年センバツ大会に出場する注目の選手のインタビューが載っていた。

 その投手は、幼いころからいろんなことを犠牲にして野球に打ち込んできた。中学のときには、利き腕をまっすぐ上げることが出来なくなってた。色々言われるのがイヤで、体育の授業が憂鬱だったという。

 彼は評判の好投手で、チームも強かった。優勝候補にも挙げられていたが、結局準優勝に終わった。その年の秋、ドラフト2位指名で晴れてプロ野球選手になった。

 活躍が期待されたが、怪我が多く、1度も一軍に上がれないまま、たった4年で退団した。

 高校時代、雑誌のインタビューで「もしも、プロで活躍できなかったらどうする?」と聞かれたとき、「友人の家がやっている焼き肉屋さんにお世話になります。すでにお願いしていますしね」と答えている。たわいもない会話。でも、実際、彼は、そんな事態に迫れれることを予想していたわけではないだろう。

 たくさんのことを犠牲にして、挙手も出来ない利き腕で野球に打ち込んだ。それでも、プロで花咲かない。「野球」を奪われた彼は、それからどう生きているのか知らない。もし自分だったらと思うとぞっとする。幼い頃から「これしかない」と信じて積み重ねてきた努力が水の泡になる。虚しくて、気が触れそうになる。

 それからしばらくは、テレビや球場で高校球児を見るたびに、「この子らは何をどれだけ犠牲にして、ここにいるんだろう」と思っていた。ただ「感動」とか「さわやか」だというだけで、野球が見れなくなった。叶わなかった夢を思う「辛さ」。

 確かに、その努力は野球以外で生きるしれないし、一生懸命やるその姿勢が身に付いていることは強い武器だとは思う。でも、彼の夢はあくまプロ野球選手だった。

 むろん、彼はまだマシな方だ。憧れの甲子園で大活躍できた。しかし、それすら叶わずに野球人生を終えてしまった選手の中にも、彼に勝るとも劣らない努力をしている子はいたはずだ。

 私は、マイナス思考も持ち主なので、努力をするのが怖いと思う。積み重ねたものが水の泡になったとき、自分が自分でなくなり、とんでもない行動に出るかもしれない。それは、実際に壮絶な努力をしてみないとわからないことなのだろうが。

 



2002年02月21日(木)
生まれ変わるなら。


 みなさんは、もしも生まれ変わるなら何になりたいですか?

 この日記を御覧いただいているということは、野球が好きな方がほとんどでしょうし、おそらく「野球選手になりたい」という方も少なくないでしょう。

 私も多少なりともそういう気持ちを持っています。ですが、もし、本当に神様という人がいて、「お前の望む通りのものに生まれ変わらせてやろう」と言われたら、野球選手を選択はしないでしょう。

 そう。私が生まれ変わったらなりたいものは、シンガーソングライターです。

 歌を歌いたいんですよ。
 現世の私は、音痴だし、鼻声だし、音楽的才能なんて終わってる(ピアノを習っていた。最初のテキスト「バイエル」は普通なら1〜2年で終わるものなのですが、私は5年かけて結局終了することができませんでした。それだけでも、才能のなさをおわかりいただけると思います)。

 歌は、抽象的な世界が大半で、また多くの人が自分の経験や心境に当てはまることが出来るため、心に染みわたりやすいと私は考えています。

 もうすぐセンバツ大会が始まります。今年の入場行進曲は「明日があるさ」ですが、私は生まれ変わったら、場内で入場行進する球児ではなく、自分の作った曲が入場行進曲に選ばれ、ゲストとしてブース内で選手を見守る立場の方に憧れているのです。また、夏の甲子園大会の代表的ハイライト番組「熱闘甲子園」のテーマソングや夏の京都大会の試合の間に流れる歌というのも捨てがたいですね。

 聴く分に関してはノリのいい軽快で明るい曲が好きなのですが、自分が作るとなれば、やはりバラード系のものが多くなるでしょう。詩は主に恋愛や野球について書いていきたいですね。また、英語は使わない(使えない!)で、日本語を大切にしたいです。演奏は、やはりピアノ中心でしょうか(ああ、それじゃあ、西浦達雄さんじゃないか→好きですけど)。

 声は、鈴木彩子さんや相川七瀬さんのようなしゃがれていて腹の底から出てるという感じのが好きです。また、ブリグリのボーカル(名前を失念!)の低音に好きですね(キーの合う数少ない女性ボーカリストなので、カラオケではよく歌わせて頂いています)。最近では、元(はじめ)ちとせさんの声が好きです。だから、そんな声で歌いたいです。

 4大ドームツアーとかよりも、47都道府県の収容人数200人程度のライブハウスを制する方を選びたいです。(でも、それだけ有名にならなければならず…)

 生まれ変わっても、容姿には期待できそうにないので、テレビにはあまり出たくないです。聴いている人のイメージをこわすのも申し訳ない気がしますしね。でも、「HEYHEYHEY」には出てみたい。面白そうだから。

 ストリートで歌うアマチュアシンガーが増えてきてますね。昔は、大阪・梅田や京都では河原町くらいでしか見掛けなかったのに、今では地元の駅でも2,3人歌ってたりする。真剣にメジャーデビューを狙っている人もいえれば、単なるストレス解消に人もいるだろうが、そんな彼らはとにかく気持ちよさそうに声を出す。その気持ちよさを次に生まれ変わるときには味わってみたい。そのときには、きっと野球の見方も変わっているだろうな。



2002年02月20日(水)
甲子園神社〜感謝の心〜

 ろくに勉強しなかった高校時代、学校がイヤでたまらなかった。でも、そんな学校から教わったことがある。それは「感謝する心」だ。言葉は悪いが、これが自分がより快適に生きることのできる手だてだと私は思っている。

 その影響か、スポーツにおいても、「感謝する心」を見つけることのできるシーンがすごく好きだ。

 今回の冬季オリンピック、フィギアスケートで銀メダル(のちに、ジャッジの不正で、同点金メダルに昇格)を獲得したカナダペアの男性は、滑り終えたあと、真っ先にしたことが、氷上へのキスだった。最高の滑りが出来たことを氷に感謝したのだろう。また、今日行われた女子シングルの村主(すぐり)選手も、演技後のインタビューでも「感謝」の言葉が口から出た。

 
 高校球児の聖地とも言える阪神甲子園球場のレフト後方には、通称「甲子園神社」と呼ばれる神社(正式名称は、漢字が複雑なため、PCでは変換不可能でした)がある。

 境内には、たくさんの人の思いが詰まった絵馬が掛けられている。家屋の形をした通常の絵馬もあったが、甲子園を意識した(?)野球ボールの形をした絵馬も目立った。絵馬には、手作りのお守りや色鮮やかな千羽鶴がひもで結ばれているものもあった。

 「○○高校が甲子園に出場できますように」「○○君が怪我なく、試合が出来ますように」というファンやマネジャーもいれば、「レギュラーになれますように」「今度こそ甲子園で勝てますように」などという現役球児の字もちらほら。

 私が初めて甲子園神社に足を運んだのは、確か1992年の春だ。この日は、センバツ大会の開会式のリハーサルがあった。試合もないのに何故行ったのかは定かでないのだが、とにかくこの日が私の「甲子園デビュー」だった。

 リハーサルが無事に終わり、帰りに寄ったのが、かの甲子園神社。早速絵馬を買った(当時は1枚500円でした。今はいくらなのでしょう?)。備え付けのペンから紫色のペンを見つけだし、「東山高校ナインが怪我なく最高のプレーが出来て、甲子園で活躍しますように」。なんという欲張った願い!(苦笑)。

 境内に人がいないことをいいことに、他の人が書いた絵馬を見まくった。(ついつい、やりますよね?好奇心で)その中で、強烈に印象に残る絵馬を見つけた。

 絵馬を書き主は、その前年1991年の夏の甲子園準優勝した沖縄水産高校の屋良キャプテン。書かれていたのはただ一言。

「 準優勝 ありがとうございました 」

 感嘆のため息が漏れてしまった。そして、沖縄水産が甲子園で準優勝をいう快挙を成し遂げた理由が、なんとなくわかる気がした。

 もっとも、これで「高校球児はすばらしい人格者」という真髄とも偏見ともつかない思いを抱えることのなるのだが。

 また、よくよく見てみると、「2回戦ありがとうございました」「3回戦ありがとうございました」などというものあった。きっと、試合に勝つたびにお参りに来られたのだろう。

 絵馬は、願いごとをするためのものである。また、それほど信心深さを持たない私のような人間にとって、寺や神社に詣でるということは、願いごとをしに行くこととイコールに近い。叶えてもらったという経験もそれほど持たないが、果たして「感謝」のために詣でたことはあっただろうか。ふと考えさせられた。




2002年02月19日(火)
心に残る甲子園球児since1990


 ぽっかり空いているこちらの日記、せっかくですので、私が今までリアルタイムで見て、心に残っている甲子園球児を紹介させていただきたく思います。

 対象選手→1990年夏から2001年夏までの甲子園大会で、ベンチ入りしていた全ての選手

 ()内は、所属校都道府県・学校名・その選手が高校3年生だった年となっています。

 第10位 広田庄司投手(三重・海星・93)→現ダイエー

 第9位 若林隆信投手(佐賀・佐賀学園・91)→現ミキハウス

 第8位 塩谷和彦選手(兵庫・神港学園・92)→現オリックス

 第7位 井手元健一郎投手(三重・四日市工業・91)→社会人チーム所属

 第6位 島脇信也投手(滋賀・近江・01)→オリックス

 第5位 竹田純投手(石川・小松・99)→大阪学院大学?

 第4位 橋爪勝海投手(静岡・浜松商業・93)

 第3位 竹内正人投手(新潟・長岡向陵・92)

 第2位 古岡基紀投手(京都・京都成章・98)→中央大学

 第1位 HPトップページを参照ください。さて、わかる方はどれだけいらっしゃるでしょうか?

 



2002年02月18日(月)
(注)決して高校野球を冒涜しているわけではありません(^_^;)。


 センバツ大会の選考基準は、言うまでもなく、秋季大会の成績を地域性である。だが、いっそのこと、クジか何かで決めてしまったらどうだろうなどと思うことがある。

 4100校以上にのぼる全てのチームに事前に番号の書いてあるカードを渡しておいて、1/31に大抽選会をする。大きな箱の中に各チームが持ってるカードと同じものが入っており、それを高野連のお偉いさんか誰かがランダムに32枚引く。運ためしにもってこい!

 昔、センバツは選ばれるのだから、いつか地元の高校が出るかもしれないと真面目に思っていたが、この方式なら本当にそれがあり得る。

 出場校のメドがつかないので、大変なのはマスコミだろう。町中にある有名校から、僻地にある無名校まで、すぐに飛んでいくように用意しとかねばならないから。

 当然、偏ることもあり得る。32校中15校が東北勢になったとか、私立高校ばかりだとか。それがイヤなら、事前に「私立枠」「公立枠」「偏差値70以上(今どき偏差値があるのかどうかは知らないが)枠」「分校枠」等を作って対応するのもテ。

 また、部員の足りないチームが選ばれることも考えられる。さあ、大変だ、陸上部やサッカー部から「甲子園に出るので、部員を何人か貸してください」となるのか。また、そんな学校と輝かしい実績を持った名門校との対戦はどんな試合展開になるのか、想像だにおそろしい。(この話を聞いた友人が、「それなら、野球部のない学校に抽選に入れてしまおう。当たったらおもしろいよ。学校パニックやで」)

 え、当該校が不祥事を起こしたらどうするって? 
 宝くじ方式ですよ、前後賞ですよ、前後賞。
 たとえば、「1559」番の学校が出場することになっていたとしたら、「1558」番か「1560」番の学校が繰り上げ出場。前か後かは、入場行進と同じで、隔年で変える。ここも運の織りなすあや??

 これなら誰も文句言えないし、究極的に平等でしょ?
 いろんな試合が見れるし、情報収集の楽しみもしっかり味わえるし。

 あ、でも、間違いなく「甲子園」の価値が下がるだろうけど。



2002年02月17日(日)
高校野球との距離感(読書感想文)

 今日は、市内に引っ越した友人の家に泊まり込んで、1冊の本を読破した。その本の感想文を書いた日記とさせていただきます。


 読んだ本:「0対122 けっぱれ!深浦高校野球部」(川井龍介著・講談社)

 ☆ 本の内容→1998年夏、青森大会で0−122という記録的大敗を喫した深浦高校野球部のエピソードとナインのその後。(余談だが、私はこの年の秋、青森にいる友人を訪ねた際に、この試合の行われた球場を見ている。失礼ながら、ちょっとした感激を覚えた。青森市在住だった友人は、野球に興味はないが、「すごい騒ぎだったよ」と言っていた)

 この本を読むにつれ、内容とは関係ないところで、「高校野球を見る距離感」を考えさせられた。

 文中に出ている深浦ナインは、本当に「あるがまま」の高校生で、こちらが無理に「ひたむき」とか「せいっぱい」とかいう型にはめるのはどうかと思ったからだ。と同時にそんな彼らに好感を持った。もっと、気楽に高校野球を見てもいいんだと思えた。

 最近思うことがある。選手の一生懸命さやひたむきさと、見ている側が「へたくそ」とか「たるい試合」とか思うことに何の関係もないのではないか、と。

 私もそうなのだが、高校生の試合のヤジは許せない。一生懸命やっているのにひどいと思った。でも、「一生懸命」やっているかやっていないかは選手個人の中にあるもので、私が言うことでもないなと思うようになってきたのだ。

 私は、この2,3年、高校野球というものを、いい意味で「冷静に」、悪い意味で「冷めた」目線で見ようとしている。以前は、フェンス前にしがみついて見ているような感じだったが、段々その距離を離して、最終的には外野の芝生で寝転がって見る。それくらい気楽に見ていきたいと思っている。決して、高校野球を嫌いになったわけではない。でも、距離を離して見てみたら、また新たな魅力を見い出せるかもしれないと思っている。

 この本を読んで、そんな私の方針は間違っていないんだと思えたのだ。

 一番印象に残っているシーンは、0−122の試合で、レフトを守る1年生選手が、スタンドから「球来てもとれねえだろ」と野次られたところだ。文中には「戸惑う」という言葉しか書かれていなかったが、この時の彼の心境がもっと知りたいと思った。そして、知るはずもないそのときの光景が脳裏に鮮やかに浮かんだ。すごく不思議な感覚だった。

 この作品のすばらしいところは、単に深浦高校のことにスポットを当てるのではなく、対戦相手の東奥義塾高校の選手や関係者の心境もしっかり汲んでいるし、また球場にいた新聞記者やアナウンサーや審判等、さまざまな人からみた「0−122」がしっかり書かれているところだ。感じ方や考え方は本当に多彩だし、だからこそ面白い。人の数だけ野球がある。改めてそう痛感した。



2002年02月16日(土)
速報!福井商業高校への道(グランド訪問記)


 旅行2日目、夕方から友人2人とは離れて、福井商業高校のグランドを見に行くことにした。

 福井駅の前で目にした横断幕は、福井商業高校が今春のセンバツ大会に出場することを伝えていた。頭の中で少しわすらかけていた「春のセンバツ」への思いをふとよみがえらせることが出来た。そして隅の方に小さく「ホームランバス予約受付中」と書かれていた。

 ホームランバス??
 一瞬「??」だったが、すぐにわかった。同校を甲子園まで応援する人を乗せるバスのことだ。私は興味津々で、横断幕を掲げている旅行会社に入った。

 「ホームランバスについてお訊きしたいんですけど、いくらくらいかかるんですか?」
 受付の女性は、明らかにイントネーションのの違う言葉を発する突飛な客の来店に戸惑ったようで、奥にいる上司らしき男性職員を呼んだ。

 男性職員は、「何言ってんの、この人」みたいな表情で、「まだはっきり決まったませんが、大体例年通りなんじゃないですか?」と言った。

 例年通りだぁ??
 こんな言葉の端に、福井商業の名門たる所以を思いしらされる。私は、敗北感に似た感情を背負って、店を後にした。


 福井商業高校の最寄り駅は、京福電車「西福井」駅…のはずだった。しかし、同鉄道の相次ぐ事故のため、昨年6月末に全面運休になり、今のことろ運転再開の見込みはたっていないようだ。代行バスが通っているのだが、以前敦賀気比高校に行ったときにバスでえらい目に遭っているし、時間制限つきの訪問だから、迷っている余裕もない。もう一つの電車、福井電鉄でなら、「田原町」駅が最寄りとなるのだが、駅から歩くと迷いそうなので、それなら…と徒歩で行くことにした。

 しかし、それでもというかやはりというか、道に迷い、結局1時間以上歩き回る羽目になった。ああ、京福電車に運休が恨めしい…。(ちなみに、「福商前」というバス停が学校の目と鼻の先にあった)

 学校の側にあった道を何気なく入ると、グランドに出てしまった。静かな校内には、ブラスバンドの演奏が響き渡っていた。グランドの側にあるバンガローみたいな部屋が部室らしく、狭い中に大きな楽器を持った部員がひしめき合っていた。

 ルパン三世やモー娘。の曲など、高校野球の応援でもおなじみの曲が流れてきた。そっか、センバツの応援の練習をしているのか…。がんばっているのは、野球部だけじゃないんだな。

 グランドにはところどころ雪の残っている箇所もあり、とても練習出来るような状態ではなかった。当然、部員の姿もない。バックネット裏に作られている観客席を撮ろうと側に寄った。地面はぬかるんでいて、よそ行き用の靴が泥だらけになってしまった。

 何気なくグランドを見渡していると、ライト後方に位置する場所に石碑らしきものがあった。「野球部のに違いない」。即座に移動した。

 予想は当たっていた。幸いグランドに中に入れるようになっていたので、一目を気にしながらも、石碑を一目拝んだ。中心には、同校のユニフォームにもある炎のマークが刻まれていた(写真を撮ったので、後日グランド日記をアップしたら御覧いただけると思います)。その下には、白い台の上に銀色のプレートは張られていた。それは、歴代甲子園出場チームのメンバーの名前の書かれた記念プレートだった。後半からは、私でも見聞きした選手に名前がいくつか出てきた。プレートは20数枚にのぼり、今後も増えることを見込んでか、白い台がその出番を待ちわびている。今春甲子園に出場するメンバーの名前もこのプレート群の一つに加えられるのだろう。

 多くの場合、こういう記念プレートは、正門の側など目立つところにある。同校もそうかと思っていたが、同校は野球の他にもハンドボールなど強いスポーツがいくつかあり、正門に野球部だけを飾るわけにもいかないのだろう。そういえば、同校は、成績もよくないと入れないと聞いた。

 少し話はそれたが、その石碑の向かい側には、プレハブで出来た室内練習場があった。福井商業を取り上げられるときによく映っている場所だ。今日は、女子ソフトボール部が練習をしていた。テレビで見たまんなの光景に軽く感激を覚えた。

 ここのところ、部員のいないグランド訪問が続いている。写真を思いっきり撮れるよいうメリットもあるのだが、やはり味気ない。もうすぐ春になる。グランドを走り回るユニフォームたちが待ち遠しい。

追伸:道中で、地元の新聞を見る機会があった。スポーツ面では、福井商業のOBで広島に入団した天谷選手を取り上げたカラー記事があった。昨春のセンバツでたった1回見ただけだが、私は彼の足の速さというかバネというかセンスというか、そう言ったものに一目ぼれしている。「練習が楽しい」とコメントしていた彼の今後が楽しみだ。



2002年02月15日(金)
夢を見た。


 北陸旅行1日目。今日は、福井の芦原温泉に行った。実は私、今回が生まれて初めての温泉旅行だ。旅館も豪華だったし、かなりそわそわしていた。館内にある2つの温泉のうち、今日はひのき風呂に入った。私は鼻がきかないので、ひのきの匂いとかを嗅ぐことは出来なかったが、お湯はやはり家の風呂とは別格だった。素人が言うのも何だが、きめ細やかで、やわらかい。温泉が健康や美容に効果があると言われるのもわかる気がした。

 和風の部屋で、手を伸ばしても届かないほど品数豊富な夕食とビールをいただいた。布団も敷いてもらい、浴衣のまま、ダイビングー!その後は、記憶にない…。


 そんな中、私は夢を見た。おそらく今まで記憶する限りほとんど見たことのない「野球」が絡む夢だった。妙な夢のため、かなり詳細を記憶しているので、それを書いて今日の日記にしたい。これぞ「つれづれ“夢”日記」!?

 私は今日旅行に同行している友人と2人で、急な石の階段を下っていた。映画「千と千尋の神隠し」を御覧の方には、序盤で千尋が転げ落ちるように降りていった階段をイメージしてもらえたらと思う。とにかくすごい高さのところにあり、足がすくんだ。その上、普段ならまず履かない細いハイヒールを履いているのだ。

 ところが、高所恐怖症であるはずの友人は、そのハイヒールでスキップしながら、階段を降りていく。「待ってぇや〜」の声を出す気力もない。その声が地面に響いて、バランスを崩したらとんでもないことになりそうだからだ。

 ハッと気付くと、私は右手に「報知高校野球」を2冊持っていることに気付いた(ハイヒールに報知高校野球って…。ほんま夢ってわけわからへん)。「そりゃ、降りれへんわ」。私は、友人を呼んだ。「これ、受け止めてー。ボロボロになるかもしれへんけどー」。そう言って、2冊の報知高校野球を友人にむけて、投げた。友人は、「かまへんよ〜」と行って、手を広げた。(かまへんって、それ、私の本やねんけど…と思ったのは、目覚めた後だった)

 それから、私はほとんど這うようにして、どうにか階段を降りることが出来た。

 ところが、そこにはすでに友人の姿はなく、顔も見たことのないはずのネットで知り合った友人がいた。夢の中の私は、シチュエーションの変化に動じることなく、そのネット友に「どうしはったんですか?」と声をかけた。すると、「この子、肩を痛めてもう野球が出来ないんだって…」と神妙な面もちでつぶやいた。彼女の目線の先を追うと、水たまりにはまったユニフォームを着た野球少年がいた。私は何故か胸がしめつけられた。少年の側では、さっき友人にむけて投げた2冊の報知高校野球が水浸しになっていた…。


 夢は人の潜在意識を表すものだと言う。一体この夢に私の何が隠されているのだろう。夢占いに詳しい方、どなたか分析してみてください。よろしくお願いします。



2002年02月14日(木)
枠外「野球マンガ」

 「野球マンガ」というジャンルがある。
 野球に負けず劣らず人気があり、雑誌で特集が組まれていたり、ネット上で語られているサイトも少なくない。

 しかし、世に言う「野球マンガ」とは、野球が中心になっているマンガが大半である。だから、ここでは、あえてそういう枠から外れてしまう野球マンガの話をしたいと思う。

 (今日の話は、わかる方がごく限られているマニアックな話です。悪しからず、ご了承ください)


 80年代「少年ジャンプ」の人気マンガの一つに「ハイスクール奇面組」がある。一言で言えば、ぶっとびコメディー学園ものなのだが、私はこのマンガがすごく好きだった。当時小学生だった私は、これをきっかけに、購入する雑誌が「なかよし」や「りぼん」から「少年ジャンプ」に変わった。

 その「奇面組」が、今、文庫版で復活している。本屋で目にしたとき、恥も外聞もなく、レジに走った。昔の友達に再会したような気分だった。もう10年以上経っているのに、今でも笑える。電車やバスの中で読むのは、かなりやばいかもしれない。今、私の中で再び「奇面組」ブームに火がついている。

 このマンガで、主人公達が、さまざまなクラブに体験入部し、大暴れするのだが、そのシリーズ第一弾が「野球部」である。

 ところが、現実とはあまりかけ離れた設定に、熱心な高校野球ファンなら、「高校野球を冒涜してる」と言いたくなるかもしれない。

 クライマックスのシーンでは、“地を這う魔球”対“2本バット”の対決がある。こんななの、現実世界ではまず絶対ありえない。第一、地を這うボールなんて見送ればボールかボークのどちらかだし(どっちですか?)、2本のバットを使うなんてルール上許されていないのではないだろうか(実際はどうなのだろう)。

 とにかく「打てば勝ち」「打てなければ負け」。きわめて単純な勝負は、地を這うボールを、ひげそりの2枚刃の応用で、見事打ち砕いたバッターの勝ちなのだが、そのあほらしさに、ただ笑えた。

 野球って、どうしても軽快に捉えることがタブー視されているきらいがあり、それがときたましんどいときがある。だから、このマンガは痛快だった。

 余談だが、ここで「たとえ、ワンバンのボールでも、バッターが打てば有効になる」ということを知った。


 あと、一つ、普段は野球を書かないマンガ家が書いた「野球マンガ」で印象的な作品が一つある。

 実は、タイトルも作者名も、掲載されていた雑誌名も覚えていない。記憶では、週刊系マンガの増刊号で、1回完結ものだった。本屋で立ち読みをしたのだが、2、3年前の夏だったと記憶している。

 舞台はなんと社会人野球。主人公は、ベテランのピッチャー。かつてはドラフト候補にも上がったほどの選手だったが、今は弱小チームで地道に投げている。ちょっとふてくされている。そんな設定だった。

 そんな主人公が、都市対抗(の予選だったかな?)の補強選手として、他企業チームに入る。その企業は、今年で廃部が決まっていた。しかし、主人公は、キャッチャーやそのチームとはソリが合わなかった。が、最後の最後、気持ちが通じ合って、いつもは敬遠するスラッガーに勝負を挑んで打たれ、そこでそのチームは終わりを告げた。

 あまりにリアリティーにあふれ、かつドラマチックでもハッピーエンドでもない物語。実は野球マンガでは珍しい。当時、なぜレジに走らなかったのか。今でも悔いが残る。

 ハッピエンドの野球マンガは数多くある。そして、今もなお多くの人々に愛されているし、また、夢があるので、これからも無くならないで欲しいと思う。

 でも、ハッピエンドではない野球マンガも読みたいなとも思う。

 最近、オリンピックを見ていて思うのだが、スポーツ選手にとっての満足感や感動って、周りの評価や順位や点数、勝敗とは別なところにもあるのではないだろうか。だから、そういう部分を表現するにおいて、ハッピーエンドではない「野球マンガ」は打ってつけだと思うのだが。


 〜つれづれ“ちょこっと”お仕事日記(後編)〜

 私はバスが苦手である。旅とかで使う座席間の広い長距離バスの窓側なんかは好きなのだが、通勤等時間の決めだれているとき渋滞にあるような街を走るバスに乗ることにものすごく抵抗がある。だから、仕事を決めるのでも、バスを使わなくてもいいところというのは条件だ。今回は2日だけということで、やむなく了承したが、今後はここでの仕事はまず引き受けないと思う。

 さて、今日は、午前中は計算機を使った仕事をし、午後は受験表の整理をした。受験表の整理は4人一組での作業となった。

 小さいころからそうだが、私は複数の人とグループを作ると、必ずと言っていいほど孤立するタイプの人間だ。昔は、「私の性格が悪いから、みなに好かれていないんだろう」と自分を責めていた面もあったが、こういう初対面の人に対してもそうなってしまうので、どうやら私はそういう星の元に生まれて来ているのかもしれない。

 当然、今回も知らぬまに作業は他の3人で進められていた。ところが思いのほか、作業ははかどらないようだ。行方不明の受験票があるのだという。しかし、よくよく見たら、拍子と中身が違うだけで、実際行方不明の受験番号などなかった。つまりは、中身よく見ずに、表紙だけを見て判断していたのだ。いい加減な私でも、それはちょっといい加減というか安易やで、と思った。

 前編でも言ったが、この仕事は非常に楽な仕事だった。だから、ずっと仕事をしてきた人は、頭が楽モードのなってしまっているのかもしれない。

 結局、17時の予定が16時半には仕事は終わった。(タイムカードは17時。なんというおいしい仕事だっ!)。帰り、最寄りのバス停でバスを待っていると、あられのような雪が降ってきた。雪は「シャラシャラ」という音がした。


 



2002年02月13日(水)
「ちょっとこの歓声をお聞きください」


 このところ、ソルトレークにはまっている。そう、冬季オリンピックだ。中でも、フィギアスケートが好きで、昨日も今日も、テレビの前から動けずにいた。

 伊藤みどりでフィギアスケートを見るようになった私は、「フィギアはやっぱり女子シングルやろ」と思っていたが、この2日間でずいぶん考えが変わった。

 昨日のペアで印象的だったのは、銀を獲ったカナダのペア。「ある愛の詩」という曲で演技をしたのだが、実に素晴らしかった。私みたいな素人が言うのは何だが、音楽と動作がマッチしていたし、何より表情や仕草が良かった。

 フィギアの審査の一つに「表現力」というののがあるが、一般人が真っ先に目がいくのは、やはり女性の表情ではないかと思う。華やかな衣装にパッと晴れ渡る笑顔。

 しかし、このカナダのペアは笑顔はほとんどなく切なそうな表情や髪をかき上げる仕草が印象に残った。また、普段は目のいかない男性の表情にも惹きつけられた。愛は甘いだけではないということを如実に表していて、これぞまさに「ある愛の詩」という感じ!

 衣装も、他のペアがドレッシーなのに対して、女性はグレーのカットソー(みたいなもの)に同系色のミニ、男性はブラウスの上に紺のセーターといういでたち。まさに普段服。

 リアルタイムでの演技の他にVHRで3回見て、3回とも「すご〜い」とうなってしまった。

 メダルの色は残念ながら、「銀」。演技で勝って勝負に負けた、と言った方がいいかもしれない。

 今日は、男子シングルのショートプログラムが行われた。フィギアスケートは好きだが、男子にはそれほど興味がなかった。伊藤みどりのような強烈な存在を男子で見つかることが出来なかったからかもしれない。知っているのは、本田武史という選手のみ。彼ですら、どういう選手か知らない。

 初めて見る男子のフィギアは、「力強い」という印象を受けた。回転数の多さはもとより、アップテンポでの軽快な動きや氷を捉えるときに、ブラウン管のこちらにも聞こえる「ガッガッ」という音。

 優勝候補の一人、ロシアのA.ヤグディン選手の演技は完璧だった。彼独自の氷を投げるパフォーマンスに自信にあふれるジャンプ。実況アナウンサーが「もう2分40秒(ショートプログラムの演技時間)が過ぎてしまいました」と言っていたが、それだけ魅了される演技だった。観客は全員立ち上がり、あふれんばかりの拍手。場内は興奮さめやらぬ、という感じだった。

 そんな中、日本のエースと言われている本田武史の登場。正直、「やりづらいだろうなあ」と思った。実際、演技の始まった当初は表情が硬いように思えた。

 しかし、中盤、ジャンプが成功したその瞬間から、パッと表情が明るくなり、笑顔も出て来た曲はアップテンポになったが、その速さに負けずに伸び伸びを滑っていたのが、見ているこちらにも伝わってきた。

 結果は、なんと2位!
 大健闘!

 私はフィギアのことなど、全くと言っていほどわからないのだが、もしかしたら、中盤以降の「変わり様」も評価されたのではないかと思う。

 聞いた話なのだが、アイドルというのは、見た目のかわいらしさやスタイルの良さより、「これから伸びる」とか「今、伸びようとしている」という子を採るのいだという。

 また、高校野球でも、一つのプレーがきっかけで大きく成長したり、また大舞台で大きく飛躍を遂げる選手も少なくない。

 明後日のフリーで、どういう演技をするのか。今から楽しみだ。


 テレビで見ていたので、当然、実況や解説も耳に入ってくる。そこで、印象に残ったことを一つ。

 前述した優勝候補・A.ヤグディン選手の演技のあと、歓声はなかなかやまなかった。そこで、ふと実況者が言った。

「ちょっと、この歓声をお聞きください」

 そして、テレビからは歓声だけが聞こえた。実況アナウンサーも解説者もしばらく口をつむんだ。

 じっと聞いていると、自分もその観客の一人になているような幻覚すら起こした。いや、本当に。

 巷ではしばしば、「日本の野球の実況アナウンサーや解説者はしゃべりすぎ」と言われるが、それもそうかもなあと思った。

 スポーツ選手にとって休憩も大切であるように、彼らも時には「話さない」ことが必要なのかもしれない。


〜つれづれ“ちょこっと”お仕事日記(前偏)〜

 実は、前回の仕事の最終日に新たに仕事が入っていた。それが今回の仕事。今回は、変則で、今日は夕方4時かた夜9時まで、明日が朝9時から夕方5時までだ。

 作業内容は、集計。これまた入試関係の仕事で、計算機を使ってひたすら数字を確認していく作業だ。

 実は、私、計算機を使うのが好きで、My計算機たるものも購入している。だから、正直、「おもしろそうだな」と思った。

 しかし、私の場合、下手の横好きのようで、計算機を使っているにもかかわらずしばしば計算を間違え、指摘を受けた。

 ずっとこの仕事をしている人が、「今日はめちゃくちゃ忙しい」と言っていたが、なんてことなかった。

 1時間くらい電卓たたいて、30分休憩。おまけに、時間をせかされることがなかったし、実際は30分前に終わったが、タイムカードはしっかり21時でOKだった。

 これまで、入試関係の仕事を2,3させていただきているのだが、派遣会社からの仕事なので、一度一緒に仕事をしていた人と再会することもある。

 今日は、9日まで仕事をしていた方と再会し、帰りも途中まで一緒に帰った。

 私は、派遣で働いている人とは気が合わないし、「この人と話したい」という興味が湧いてくる人もいなかった。

 しかし、彼女は例外。実は、彼女、音楽団に入ってオーケストラをやっている。今は、閑散期なので、短期バイトに来ているというのだ。収入は、安定していないし、貯金もない。それでも「好きなことが出来る自分は恵まれている」と言う。

 色々お話を伺ったが、今話しきるのはもったいないので、機会を見て、日記に書いていきたいと思う。

 そんな彼女に「自分、いくつ?」と聞かれた。私は普通に「26です」と答えた。

 「ふ〜ん、26か。私が26のときは、まだまだフラフラしてたなあ。やりたいことすれば?私は、小さいころから、音楽しか見えてなかった。だから、こういう風にしか生きれないと思う」。


 実は、このところ、就職かバイトかで迷っている。そして7割方「就職」に気持ちが傾いていた。「正社員なんて一生ゴメンや」と思っていたので、自分でもびっくりしているのだが、興味惹かれる仕事が一つあるのだ。

 でも、変則であるその仕事につくと、間違いなく野球を見る機会はぐっと減る。空いた時間で野球を楽しむことも大事だし、また時間がないからこそ濃密に野球を堪能できるのではないかと考えていた。そして、実際、お金も欲しい。

 やりたいことすれば?、と彼女は言った。
 私のやりたいこと、もちろん「野球を見ること」「野球を書くこと」だ。そして、また、「一度でいいから社員としてきちんと働いてみたい」とも思っている。時間とお金のバランスが取れない。それは分かっている。だから、もう少し迷ってみよう。

 



2002年02月12日(火)
つれづれキャンプ見学日記@安芸


 では、昨日行ってきた阪神・安芸キャンプで目に付いたことや感じたことを書いて行きます。

◎安芸市営球場
 
 好きです。
 両翼96メートル、中堅118メートルは、地方球場にしては大きい方なのではないでしょうか?

 バックスクリーン越しに、高知の海が見えます。昼下がりの試合中、ふと目をやると、波の流れと空の雲の流れが一緒でした。スタンドは石段。段差がわりとあるので、前の人が多少デカくても、「選手が見えない〜」ということはなさそうです。また、場内の芝生の色も、目に優しくていい感じです。

 バックネット裏と三塁側スタンド上に報道関係者の部屋みたいなところがありました。暖かそうな部屋で、うどんとか食べたはりました。いいなあ、プレスって。

 安芸球場は、ここ以外にもうひとつサブ球場的なところがあります。本球場は、坂の上にあるのですが、その途中にあるのです。以前は、ここで二軍が練習をしていたようですが、今は一軍の選手が使っているようです。

◎「虎一番」

 安芸球場に続く坂道の途中には、町をPRするブースや出店、お土産屋さんが連なっています。

 中でも、私のお気に入りが、タイトルの「虎一番」です。
 これは、星野監督就任祝いのために、造られた日本酒で、1本1,001円で売られています(実際は1000円になりました)。

 私は、これにおちょことそらきゅうがついた2,001円のものを買いました。まだ飲んでいませんが、楽しみです。

 ちなみに、そらきゅうとは、高知県で普及していると言われるおちょこの一種で、底が駒のように尖っているため、テーブルに置くことが出来ず、ひたすら飲み続けなければならないという代物。さすが、酒豪どころ・高知!

◎話題の弁当

 マスコミ等が取り上げて話題になっている一連の選手弁当を見ていました。出来れば、買おうと思っていたのですが、こう言っては何ですが、買うまでもないと判断して、見るだけにしておきました。

 桧山弁当(800円)は、ご飯の上に梅肉らしきもので「24」と書かれている以外は、これといった特徴のない普通の弁当。唐揚げとかが入ってたかな?洋風。

 藪弁当(900円)は、ごはんの上にたまごふりかけで「4」と書かれてありました。(え、片岡だったかな?あまり自信が持てません)和風です。先着4名は、半額の450円でした。もしかして、売れないの??

 仙一弁当(1,001円)は、ご飯の上にのりで「77」と書かれてあり、他のとよりちょっと豪華で(それ1000円以上取るんやもんな)、和洋折衷という感じでした。

 「これなら出来る!」と、同行者と「藤本弁当」のプランを練ってみたのですが、タコ飯を入れて…以降、考えに行き詰まり断念。お弁当屋さん、ボロカスに言って、ごめんなさいm(_ _)m。

◎星野監督

 全体を見渡すためにと、上の方で見ていたので、全然と言っていいくらい見えませんでした。でも、歓声がすごいので、どこに星野監督がいるのかはわかりました。男の背中やなあという印象を受けました。

 星野監督の縦縞については賛否両論がありますが、ドラゴンズを象徴するほどの方ですから、違和感があるのは仕方ないかもしれませんね。でも、一流選手(だった)からユニフォーム自体が似合うのは間違いありません。

◎スタッフ

 いわゆる3桁背番号の人たちを、目の前で見ました。タクシーから降りてきたのです。少年ファンが「おはようございます」と挨拶すると「おはよう」と言ってお辞儀していたのが、印象的。

◎ヤジ将軍?!

 練習では、観客の容赦ないヤジが飛びます。しょーもないエラーとかしたら、「何やっとんねん」「しっかりせぇよ」。また、ヤジを通り超えて、爆笑が起こることも。これが、選手にとって一番辛いかも。でも、観客はそうやって、タイガースに愛を注いでいるのです。
 
 言うまでもなく、ファインプレーやナイスバッティングに対する賞嘆の拍手も忘れません。


◎某誌の編集者

 キャンプには、観客でだけではなく、新聞や雑誌関係の取材の方も来る。首に、「○○新聞」とか「××放送」と書かれたものをぶら下げている。いちいちチェックしてしまう(笑)。

 知ってる雑誌や新聞社の名前もあり、その人たちの仕事ぶりが見れるのは新鮮だった。また、誌面上に記事を書いた記者名が載っていたりするが、その記者を見受けることもしばしば。私のような一般人にとって、マスコミの方を間近で見るのは、このときくらいしかないだろう。

 多くの人が、ネット裏前列や温かい報道関係者の部屋で見学している中、某雑誌の編集者は、私たちと同じ位置で、観客に混じってスコアをつけたりメモを取ったりしていた。このあと、ファンの目線で書かれた記事が出来上がることだろう。普段それほど頻繁に読まない雑誌だが、今度読んでみようと思った。

◎サブ球場

 紅白戦が終わったあと、一部選手は、クーリングダウンのために走り込んだり、課題に取り組んでいた。

 投手では、伊達と川俣が黙々とグランド周り走っていた。野手は数人が球場を斜めにダッシュしていた。投手と野手って違うねんなあと改めて痛感。

 セカンドベース付近では、松山コーチが、上坂選手とアマ参加の村田選手にベースに入ってボールを捕ってから、投げるまで動作を指導していた。見た限り、プロ・アマ関係なく平等に教えているようだった。

 野手がダッシュしている側には、島野コーチがいた。見ていた関西人の兄ちゃんが、「島野さーん、今年はどない?」と声をかけた。おいおい、ツレじゃあるまいし…。

◎和田コーチ…

 紅白戦が終わって、球場を後にしようとしたとき、背番号「86」がキャッチボールをしていた。「86」ってコーチの番号と思うんやけど、選手かなあと思い、よくよく見てみると、昨シーズンで引退した和田豊コーチだった。一瞬、背中の「WADA」と「和田豊」を結びつけることが出来なかった。長い間、一桁の数字が乗っていた背中に「86」は窮屈そうに思えた。早くも、下腹がプクっとふくれていた。

「ショックや…」
 同行者は、しばらく言葉をなくしていた。

◎10年後が楽しみ

 当日は、使い捨てカメラを持参していた。選手を撮るなどという野望は毛頭捨てていた。だから、いつアップできるかわからない当HPのニューコンテンツ「つれづれ球場日記」の資料集めのため、球場内の景色等、目についたものを撮っていた。

 私の前の席に、ユニフォームを着た野球少年がいた。その子は、アイスクリームを食べながら、練習風景を見ていたのだが、そのまっすぐな目、ピンと伸びた姿勢に惚れた。「これは、いい!」。にわか写真家の気分で、気付かれないようにシャッターを押した。

 ユニフォームのピタッとくる子だった。将来が楽しみ♪

◎ごめん・なはり線

 球場へ行くまでの坂のふもと(?)に、まだ使われていない駅の高架が建てられていた。実は、ここ安芸市にも、今年の7月1日から鉄道が開通する。

 キャンプで車が混んでいるのも、付近に鉄道が走っていないことが一因する。この鉄道が開通すれば、高知から、直接来れることになりそう。

 ちなみに駅名は「球場前」。
 なお、今秋開催の「よさこい高知国体」高校硬式野球の会場は、ここ安芸市営球場だ。もしかしたら、球場の改装もあるかもしれない。

 でも、私個人は、今の雰囲気好きだから、このままがいいなあ。秋に、もう一度、ここに来たい。がんばれ、TOHZAN!



2002年02月11日(月)
つれづれ紅白戦観戦日記@安芸(書き込み完了ver.)

 
 星野フィーバーに湧くと言われている、阪神タイガース安芸キャンプを見に行った。

 前日から、高知入りしたわけだが、どういうわけか天気が悪く、高知の南国市に入った途端、木々は白く、吹雪いていた。

「どこが“南国”やねんっ!!」

 山を抜けたら雪はやんでいたが、やはり天気は悪く、寒かった。「明日、大丈夫やろか」。一抹の不安がよぎった。

 しかし、翌朝は見事に晴れ。3連休の最後というのもあるが、当日が徳島方面で雪が降り、思ったより観客はいなかった。

 今日は、今季初の紅白戦が行われた。

紅3−9白

紅白戦のメンバーは次の通り。

(紅)
投手・金沢→山岡、捕手・山田 一塁・吉田 二塁・上坂 三塁・田中 遊撃・藤本 左翼・坪井 中堅・赤星 右翼・濱中 DH・村田(アマ選手→どこの誰ですか?ご存じの方、何か教えてください!)
(白)
投手・吉野→川俣 捕手・吉本→カツノリ→浅井 一塁・カツノリ→吉本 二塁・今岡 三塁・梶原 遊撃・沖原 左翼・平下 中堅・高波 右翼・曽我部

<ひとことコメント>

金澤→可もなく不可もなくという印象か。でも、今日登板した投手の中では一番マシだった。

山岡→変わった4回は0点に抑えた。

山田→バッティングが好調♪

吉田→まだまだ調整途上か?空振りと自打球が多かった。

上坂→前を打つ赤星の印象が強烈で、あまり記憶がないのですが、ヒットを1本打っていました。

藤本→安芸行ってよかったぁ。今季第1号ホームランを拝んできました。ライトにフラフラ〜と上がった打球だったので、一瞬、二塁打かとも思いましたが。実は、前の打席でもライト方向にホームラン性の当たりを2,3度飛ばしています。まぐれではないですね。左打席で、右方向の打球を飛ばすということは、きっとすごいことでしょうし、パワーをつけた証拠?今季も期待できそうです♪

田中→「00」が違和感ある。藤本・赤星・沖原の加入で、存在感が埋没している感が否めない。がんばってアピールだ!

坪井→吉田同様、調整途上?全盛期の影を求め過ぎるのが酷か?でも、彼は阪神Vには絶対必要だと私は思っているので、星野監督に上手な起用を期待したいです。今後の仕上げ具合に注目。

赤星→あなたはすごいです。4−4.長打はなかった(はず)ですが、1回もアウトになっていません。2年目のジンクスを吹き飛ばして欲しい。

浅井→初打席でセンター返しで、ヒットを放った。私個人は、新人選手のセンター返しには好感が持てます。あと、意外に足が速いんですね。キャッチャーとしてのお手並みを拝見するには、イニングが短すぎて残念。

村田(三菱自動車岡崎)→アマ参加選手ながら、紅白戦に出場。四球を選んでホームを踏んでいます。試合後、上坂とボールを捕ってからの動作の練習をしていました。アマだから、疎外されているわけでも特別扱いされているわけでもなく、選手と同じように練習していましたし、指導も受けていました。セカンドの選手なのでしょうか?

濱中→打球の速さが違うっ!

吉野→こちらも調整途上?立ち上がりに連打を食らっていました。ですが、時に三振を取るよう「悪いなりに良いピッチング」だったのではないでしょうか?四球で自滅しなかったのも良かったです。星野監督のお気に入りにようですね。

川俣→ロッテからの移籍選手。イマイチピリッとしなかった。立ち投げみたいな感じだった。元々こういうフォームの人なのか、単なる不調なのかは、よくわからない。

カツノリ→初打席でヒットを放つも、暴走で二塁アウト。とはいえ、バッチングには見るべきものがありますね。

吉本→ヒットを打ちました。素材の出し惜しみが嘆かれる選手の一人です。

高波→彼の「65」にも違和感。田中とともに、がんばれ、熊工OB!

梶原→昨シーズン、高卒以上のルーキーでただ一人一軍に上がれなかった。雪辱にかける。守備機会はそれほどなかったが、スローイングは堅実。ちょっと送球の速さがないように見受けたが。実は、私の後ろで見ていたおばあちゃん3人組は、宮崎から駆けつけた方々で、「背番号61を見に来た(方言混じりだったが、どういうニアンスだったか忘れてしまった)」と言っていた。その61番が彼。延岡学園のOBだ。彼がヒットを打つと、手をたたいてキャキャと喜んでいた。すぐ近くで、多くの球団がキャンプをしているのに、それを蹴って、わざわざ安芸に足を運んで見に来ている。そんな彼女たちの存在に元気づけられた。いいファン持ってるなあ、あなたは。活躍せんと。

今岡→いい意味でも、悪い意味でも「やっぱり今岡やなあ」と思った。

沖原→こちらも、調整途上?前のおっちゃんが「沖原ぁ、そんなバッティングしてたらあかんて」とムキになっていた。

平下→ごめんなさい。あまり印象に残っていませんm(_ _)m。


藤本選手が、今季第1号HRを放ち、赤星選手は4−4(3−3かな?)。
幸先のいいスタートとなりました♪

 今季からストライクゾーンが変わり、かなり高めのボールもストライクになるようです。話を聞いて知ってはいましたが、目の当たりにすると、ゾクゾクっと来ました。これで、少しは投手有利になり、「力と力の勝負」を見る機会も増える…かな?

 試合の途中で、審判の人たちも見に来ていました。新ストライクゾーンに目を慣らすため…と思いきや、写真を撮りまくっていました(^_^;)。

 
 長くなりそうなので、その他の話題は12日付の日記に回しますね。




2002年02月10日(日)
雪のち晴れ〜池田高校グランド訪問記〜

 安芸キャンプに行くべく、今朝から高知にむけて出発した。その道中で寄ったのが、池田高校。

 池田町は、故蔦監督の名言にある通り、本当に「やまあいの町」だった。とにかく、坂が多い。視線を上げると、小高い丘の上に校舎らしきものが見えた。「池田高校や、間違いない!」。同行者であるドライバーにそこへ向かうように頼んだ。

 坂は予想以上に長く、険しかった。何度目かの坂の途中に、「徳島県立池田高等学校」と書かれたアーチ型の看板らしきものがあった。そこには階段があり、おそらく学校へと続いているものだと推測した。丘の上の校舎はまだ目線の高いところにある。生徒は毎日ここを使っているのか…。はっきり言って、私は絶対ごめんだ(^_^;)。

 何とか車で入れる道を探した。すると、そこから少し進んだところに細い坂道があった。曲がり角にしては角度が足りないため、1度切り返しをしてから、曲がった。すると思った以上に広い道路に出、ものの数秒で池田高校に到着した。真っ白い校舎で、思ったよりきれいで近代的な校舎だった。校内に人影はなかった。もちろんグランドにも。ちょっとがっかりしたが、仕方ない。

 正門が開いていたので、おそるおそる入ってみた。そして、周囲を散策すると、野球部の活躍を讃える石碑や出場を記念したプレートがいくつかあった。しかし、気になったのは、平成になってから甲子園に出場したことを示すものが一つも見当たらなかったことだ。

 池田高校は、平成3,4年の夏に甲子園大会に出場している。平成3年は3回戦、翌4年はベスト8に駒を進めた。実は、私がリアルタイムで見た「IKEDA」はこの2チームのみだ。だから、「IKEDA」と言われるとこの2チームの活躍がまず脳裏に浮かぶ。しかし、これら2つのチームは、もうすでに蔦監督の手かたほとんど離れていたチームだった。

 「IKEDA=蔦監督」。それほど、蔦監督の存在は大きなものであるだろう。しかし、「IKEDA」の歴史は、まだ続く。この訪問で、私の中に残ったたった一つのわだかまりだった。

 そんな石碑やプレートと反対側に、蔦監督の写真と「やまあいの子供たちに一度でいいから大海(甲子園)見せてやりたかったんじゃ」というかの名言が彫られた石碑が建てられていた。蔦監督の業績をたたえるものだろう。

 グランドは思いのほか、狭かったが、野球部は全体の半分を使っているようで、残り半分をサッカー部やテニス部や陸上部が共有している。こうして見ると、野球部がいかに恵まれているかがわかる。

 三塁側には、球場並にきれいな「ダグアウト」があり、バックネット裏には3段程度の石段観客席があった。今でも、熱心に足を運ぶファンやOBもいることだろう。

 あまり長居することに気が引けたので、写真を4,5枚撮ると、早々に同校を後にした。すると、車で進んでいると、グランドの側(そば)に行けそうな小さな抜け道を見つけた。どうやらこれは一般道路らしく、杖をついたお爺さんも歩いて行った。

 しかし、当日持参していた使い捨てカメラのフィルムが無くなったため、一度町に出て、使い捨てカメラを購入することに。

 坂のふもとにある「IKEDAFAMILY」というスーパーに入った。(地元の子は「池ファ」とか言ってるんかなあ?)27枚撮りのフラッシュ付で580円という超お買い得の品を見つけた。レジのおばちゃんたちはいたってのんびりしていて、私がレジに行くまで、買い物客と世間話をしていた。

 そして、再び池田高校前へ。さきほど見つけた抜け道を通行人の振りをして、通る。道なりに進むと、なんとグランドの真裏に出た!校舎内で見たときとまったく逆の角度からグランドを見ることが出来た。

 グランドの裏は細い道で、民家があったり、ブルペンがあったりした。またグランド周りには低いブロック塀があり、よくよく見ると「82」と白いインクらしきもので書かれていた。目線を上げると、そこは、グランド内ライトファールラインに位置する。そっか、ここはグランドを球場に見立てたとこの距離がきちんと測られているんだな。(ちなみに、グランドないのフェンスにかかっていた看板には「81」と書いてあった。果たして、どちらが正確?)

 フェンスはブルーの塗料が剥げて出来上がった白。高いさは思いの外高く、パワー野球で打撃が急成長した全盛期の池田の存在を感じた。

 池田高校は、周囲を見渡してみると、「山に抱かれている」という印象を受ける。レフト後方には高い山が迫っている。しかし、それらにはとげとげしさがないからだ。また、学校から車で少しいくと、吉野川が流れている。濃紺の水は穏やかによどんでいた。また、正門前の通りは「あいさつ通り」というが、そこから見下ろす町の光景もなかなかオツなもの。最近出来たであろう大手電機メーカーのでかいビルがちょっろ目障りである感も否めないが、それでも、誰もが一度は見たことがあえると思えるような懐かしい光景だった。

 実は、訪問当初は天気が悪く。冷たい風が吹き、雪も降っていた。しかし、一度同校を離れ、買い物をしてから戻ってきたときには嘘みたいに晴れ上がっていた。

 蔦監督亡きあとの「IKEDA」、実績だけで考えるならば、今は試練の時と言えるだろう。しかし、曇りでも雨でも雪でも、いつかきっと晴れる日は来る。

追伸:今回は叶わなかったが、今度ここに来るときは、生徒が使っているであろう通学用階段を登ってみたいと思う。しんどいだろうが、そこからまた違ったものが見えてくるはずだ。
 



2002年02月09日(土)
まとめの弊害


 本の最後についている解説というものは、それひとつでその本の価値観すら決めてしまうほど大きなウエートを占めていると思う。

 すばらしい解説文、あるいは、あたりさわりのない解説文は、その本の魅力は一層引き立てる。しかし、そうでないものは、きれいに仕上がった絵に墨などを塗ってぶちこわしにされたほうな不快感をあおる。

 私は「すばらしい」と思う解説文は、その人がその本を読んで印象に残っている部分にポイントを絞って書いていたり、また作者を面識のある人はその作者とのエピソードが混ざっているものである。

 逆に今まで読んだ中で、「最悪だ」と思ったのは、作者の手法を真似て自分の物語を書いていたものだ。その作品は、12編の短編によって構成されていたのだが、解説者は「12は数字がきれい過ぎて気に入らない」と、13個目と14個目の短編を解説文をして書いてしまった。これは、痛い…!

 その筆者の世界観が好きだった私は、解説を読んでものすごく不愉快になった。確かに自分の物語を作りたい気持ちは、わかる。しかし、これはあくまでその作者世界であるべきだと思う。

 そして、もう一つ苦手な解説のタイプは、「まとめ」を書いているものだ。今日、通勤電車の中で読んでいた本の解説文はまさしくそれだった。<この作品を全体的にまとめてみよう>という一部を見た瞬間、本能的にページを閉じ、カバンの奥深くにしまい込んだ。ああ、不愉快。


 そういえば、これと似た不快感を持ったことがある。

 1,2年ほど前、地元の地域団体が、平安高校の原田監督を招いて講演会を開いたことがある。40代以上の人しかいないような団体だが、父の計らいで私も会場にお邪魔することが出来た。

 スーツ姿の原田監督は、思ったより体格がよく、肩幅が広かったのが印象的だった。(後日、原田監督は選手とともに、ご自身も体を鍛えておられると知りました)また、思ったよりお若く見えたので、周囲からは「スポーツメーカーの兄ちゃんかと思った」という声もあがった。

 講演すること自体が初めてという原田監督は、かなり緊張しておられるように見受けた。しかし、多少たどたどしながらも、話の内容は興味深いものばかりだった。ご自身の野球人生の話、プロの壁に苦しんでいる教え子・川口投手(オリックス)のこと、また平安高校野球部の指導についての話、またご自身の生まれ育った家庭環境のお話までされた。(また話題を試合のイニングにわけて話されるのも、野球人らしいなあと思った)講演が終わると、質問の時間がもうけられ、年輩の方から飛び交う質問に軽快に答えられた。「え、こんなこと言っていいの?」ということから、「なるほど」と納得させられることまで…。こうと分かっていれば、私も何か質問事項を考えておけば良かったなあと思った。

 この日以来、勝手ながら、平安高校野球部や原田監督の存在をちょっと身近に感じてしまった。平安高校は、地元ではナンバーワンの名門校で、選手も監督もさぞ特別かという錯覚に陥りがちだが、平たく言えば、私たちと同じ「人間」だ。

 時間も迫ってきたので、質問タイムも終わり、原田監督は大きな拍手の中、退場された。しかし、問題はそのあとである。

 そういう肩書きを持った人だか知らないが、小太りのおっちゃんがおもむろにマイクを手に話しだした。そして、今回の講演内容をダラダラを話しだした。

 帰り、父が言った。
 「最後のおっさんの話が、余計やったな。もっともらしくまとめて自分では気持ちいいかもしれんけど、(原田)監督が一生懸命話したことがぶちこわしやで」。
 
 なるほどな、と思った。


 本にはたいてい「あとがき」というものが付いている。そして、大半はそこにまとめやこの本を書いた理由やきっかけ、そこに込めた思いが書かれている。だから、まとめを他人がする必要はないと、私は思う。


〜続・つれづれお仕事日記最終回〜

 バイト最終日、入試もすでに終わっているため、通勤途上で下宿案内のパンフレットを渡されることもない。気分は、爽快で穏やかだった。何者にも邪魔されずに道を歩ける。なんと素晴らしいことか!

 今日は、入試で使われたものの後かたづけをした。しかし、思いのほか、仕事はなく、職員の人もヒマをもてあましている私たちを見て、困惑していた。

 とにかくヒマで、他の4人に人と給料についての話をしたり、私用電話をしたり、買い物に行ったり、なぜか、ティータイムには学生すら入れない職員専用の食堂でケーキを呼ばれたりした。

 しかし、間際に他の仕事を手伝うように言われた。与えられた作業は、採点された答案の点数確認。あらかじめ、書かれた数字がちゃんと読めるものかどうかを見るのが主な仕事。ここにも、私と同じような派遣で雇われたアルバイトの女性が数人いた。彼女らは、黙々と冊子をめくり、出来たら「終わりましたぁ〜」と気の抜けたような声を出す。

 帰り、同じバイトの人が「座ったままで、「終わりましたぁ〜」って、それだけかい!殺気が足りひんわ、殺気が!」と憤慨していた。確かに、私らの時間に追われる仕事より遙かに楽だし、職員の接し方の違った。(だって、私ら初日にいきなり「人数いるだけで、使いものにならんわ」などど言われたし)あれで時給が同じなら、あほらしいにもほどがある。

 余談だが、そんな「終わりましたぁ〜」女に昼間、私たちは「弁当泥棒」の疑惑をかけられた。私たちは職員の人に言われて弁当を取りにきただけなのに、聞き耳持たず。結局、女は別の職員を呼んできた。で、もう一度説明し直し。職員は、「ああ、そうだったんですか?」と言ったまではいい。そのあと、「で、何を取りにこらられたんですか?!」…人の話をきちんと聞かんかい、ボケッ!

 結局、最初から最後まで「イライラ」「ブチギレ」をつきまとった素敵な7日間だった。でも、いい経験をさせてもらったのは間違いないと思っている。普通ならまず見れない入試の楽屋裏を覗くことが出来たからだ。また、長らく働いていなかった私にとっては、立派な社会復帰のリハビリになったと思う。さて、次は定職を探すとするか。その前にもう少しユニークな短期バイトをしていたい気もするけれど。



2002年02月08日(金)
心意気 〜野球用具と受験番号〜


 以前見たバラエティー番組で、某現役プロ野球選手が、「試合が終わったら、スパイクやグローブを磨いてから球場を出ます」と言っていた。

 いい選手は、バットやグローブ、スパイクなどの用具にこだわり、大切にしていうるという。それらは、選手の商売道具であり、体の一部。だから、日々トレーニングで体を鍛え、ケアするのと同じように、用具も改良を重ね、手入れを怠らないのだろう。


 私は今、大学入試に携わるアルバイトをしている。具体的な内容は申し上げられないが、その業務の一つに「受験番号チェック」がある。

 学生時代、「受験番号をきちんと書かないと不合格になる」と聞いていた私は、試験当日、必要以上に神経質になって答案用紙に番号を書き込んだ。だから、みな、さぞ丁寧に書いているものだろうと思っていた。

 しかし、実際は「否」。
 もちろん、丁寧に書いている受験生もいる。だからこそ、雑な字が目立ってしまっているとも言えるのだが。

 下手なのは仕方ない。それでも、何とか「わかるように書こう」というのが、筆跡から見受けられるものもある。また、何度も書き直しているうちに用紙が黒ずんでしまった…なんていうものは、けなげでいとおしさすら覚える。

 それに比べて、「こいつ、やる気あるんか?」という字も多々見受けられる。特に、理数系学科の受験生に多い。難しすぎてお手上げ、というもはかわいげもあるが、こんな学校たいしたことないという傲慢さがにじみでているもは、もうダメ。オークションなんかで「受験生をあなたの権限で一人だけ落とせる権利」なんているものがあったら、是非買い取って、落としてやりたいようなヤツぎょうさんいた。

 みなさんもよくご存じなのは、「1」と「7」や「0」と「6」の区別だろう。これも、多かったには多かったは、思ったほどではなかった。きっと、受験生が先生などから口すっぱく言われているので、意識して書き分けているのを感じ取ることができた。

 気になったのは、「5」や「8」である。また、「4」が「9」に見えるものや、「2」が「0」に見えるものもあった。

 ごく少数だが、受験番号の書き間違いもあった。「6704」を「7604」や「6074」と書き違えてしまうのだ。これは、チェックしている私たちでもうっかり見落とすことがあった。

 ちなみに、受験番号書き忘れは、私が処理したものの中には1つもなかった。

 今日は、あまりの書き直しの多さにイライラしてしまった。受験生には受験番号をもう少し大切にして欲しいと思った。


 道具を大切にする選手がいいプレーをするように、受験番号を大切にする受験生は、きっと合格に近いと思う。

 出来るものなら、受験番号の字の丁寧さと合格率を調べてみたいものだと思う。


〜続・つれづれお仕事日記6〜

 入試の最終日。やっと、パンフを配る兄ちゃんや姉ちゃんから解放される。毎日、「わしは学生ちゃうねん、見過ごせやっ!」と言葉にできない叫びを腹の底に溜めていた。

 そんな中で、某予備校が受験生にむけて、カイロを配っていた。
 
 そっか、今日は、そんなに寒いんだな。
 そして、パンフを配る彼らも、私と同じ「働く人」なんだな、とふと思った。

 今日は、いつもの2倍のスピードで2倍働いた。
 いつもなら、2時間働いて1時間休むペースだったが、今日は、中盤は7時間ぶっ通し、休憩なしの強行ハードスケジュール。それも、10時に昼食という、胃袋にとっても過酷な日程だった。

 つまりは、忙しいということで、普段は穏やかな人たちもピリピリイライラしている。実際、今日もまたバイトの人にカチンと来そうになった。

 しかし、何故かふと冷静になる自分がいた。

 イライラするのは、それだけ仕事に対して真剣で、しっかり遂行しようとするが故の行動なんだ。 それに、イライラしてしんどいのは、当たられたこちらではなく、イライラしている本人なんだ。

 そう思うと気が楽で、妙な余裕で、いつも以上に丁寧に時間をかけて仕事をすることが出来た。

 19人いるスタッフのうち、14人が今日で終わり。
 ちなみに、私は明日まで居残り組。
 なんか気が抜けてしまって、気分が冴えない。

 でも、今日は、ダッシュしたら、みんなより1本早い電車で帰れたから嬉しかった♪



2002年02月07日(木)
選手名鑑の季節


 日本で一番早くプロ野球の選手名鑑を出すのは、おそらく「週刊ベースボール」だと思う。今日、友人から、「今日発売の週ベは、選手名鑑号。お買い得です」といった内容のメールが来た。残念ながら、関西は発売日は1日遅れのようで、明日までお預けとなるが、開幕前のお楽しみとして、選手名鑑は欠かせない。

 週べの名鑑のいいところは、発売日は早いことはもとより、監督やコーチ、および審判についての情報が豊富であることだと思う。去年はこの名鑑を見て、ある球団のコーチの息子が、大阪代表として選抜甲子園の出場していたことを知った。

 名鑑は1つあれば充分なのかもしれないが、私は何故か3つ買う。1つ目は前述した週ベの名鑑号、あと2つはスポーツ新聞社から出版されているものである。球団スタッフや記録員が明記されているものと、未婚選手の家族構成が書いてあるものをそれぞれ買う。欲しい情報が、たまたま1冊になっていないので、病む終えない。

 では、ここからは私の名鑑の見方を紹介します。

 1,出身高校・出身都道府県→高校野球から野球ファンになった私にとって、選手に出身校は必須事項。意味無く暗記することに燃える。出身県は、出身高校のある場所と同じか否かを見る。違ったら、親の転勤か野球留学。推測するのもなかなか楽しい。

 2,身長→主に投手を中心に見る。まずか170センチ以下のピッチャーをチェック。その次は、190センチ以上。そして、各球団のちびっ子ナンバーワンとのっぽさんナンバーワンを決める。個人的に、小柄な投手が好きだからというのが最大の理由。

 3,生年月日→とりあえず、自分と同じ誕生日の選手がいるかを見る。以前は、カレンダーに一人一人の選手の誕生日を書き込み、365日埋まるかどうかを試したが、たしか5〜6日空いていた。

 4,家族構成→既婚者ではなく、未婚者を中心に見る。特に兄弟構成と年齢。「お兄ちゃんか弟がプロ野球選手だなんて羨ましい」。

 5,年俸→金額より、上がり(あるいは下がり)巾を見る。そして、「もっと上げたりぃや」とか、「もらいすぎや」と誰に求められたわけでもないのに、コメントを付ける。

 6,選手紹介→とりあえず、新人さんは必ずチェック。一流選手になるほど、文章が短くなる。なぜなら、記録やタイトルすくめで、書くスペースがなくなるから。5〜6年経っても芽のでない選手にコメントに担当記者の苦しみが漂ってきて、微妙に楽しい…

 7,一軍デビューの日→入団から何年目か、また時期はいつか。それによってその選手の置かれている状況がわかったるする。とりあえず、入団した年から数えてもっともブランクのあいた選手を捜してみる。

 8,好きな女性のタイプ→モー娘。系を書いている選手は何人いるかチェック。年々増えてきている。また、1,2年前に日ハム・岩本投手に「和田アキ子」のような強者回答を探しだして楽しむ。そうそう、「特になし」の人はおつき合い進行中だと聞いたのだが、本当なのだろうか。

 

〜続・つれづれお仕事日記5〜

 みな仕事に慣れてきたのか、かなりスムーズにことが運ぶようになった。でも、慣れてきたが故に感情もあらわになってくるもので、今日バイト先の人にカチンと来た。

 話せば長いので、経緯は省略するが、とにかくキレそうだった。「わしが悪いんかいっ」、いらいらしてたら、その人にミスを指摘された。最悪。その上、帰りの電車も彼女ギリギリ間に合って、私はギリギリ間に合わず15分待ち…。惨敗の1日。

 電車を乗り逃したら、妙にイライラしませんか?ぶつけようにない怒りに、何をしても集中できずに、15分間が、30分にも40分にも思えた。

  そのとき、ふと前職の上司の言葉を思いだした。
 「人間、イライラしたり腹をたてるのは、仕方ない。でも、そのイライラしている時間や腹立ててる時間を少しでも短くしていくことは、出来るはずやろ?」。

 私は、1つ、深呼吸をした。
 そうや、私はきっとあの電車に乗ったらあかんかってんや。車内にイヤなヤツがいたり、お金を取られたりしていたんだ、きっと。だから、神様がそうさせないように、私があの電車に乗れないようにしたに違いない…。モノは考えようである。



2002年02月06日(水)
日本で3番目の…


 もうここで腐るほど言ってきたが、私には応援するある特定の高校がある。どっかの雑誌に、「女性はランキングづけするのが好きだ」と書かれていたが、私のそのクチだ。そこで、私のファン度にもランキングをつけてみようと考えてみた。

 そして、私が導き出した結論は、「日本で3番目の東山高校ファン」である。

 私の追っかけ活動をご存じの方は、もしかして意表をつかれたかもしれない。また、「1番がダメなら、ビリでいい」という私の偏屈な性格を知っている方も同様なのだが。真剣であれば、真剣であるほど、「自分は一番」だと信じていたい気持ちがあるのも、わかる。実際、私も恥ずかしながら、少し前には「(この学校をここまで応援しているのは)私くらいやろな」と思い上がっていた時期もあった。

 さて、これにはきちんとした根拠がある。

 まず2番目は、わが親友・ともきちだ。以前に日記にも書いたが、私が東山高校を応援するようになったのも、また今まで続けてこれたのも彼女のおかげだし、また、そのファンとしてのあり方も常に一歩先を行っている。

 本当なら、1番を彼女にしたい。また、現在の日本一は彼女と言っても間違いはない。しかし、今は一番を空席にしておきたいと思う。いつか、私たちを凌ぐ情熱で東山を応援し、愛してくれる人が現れて欲しいと思うからだ。

 
〜続・つれづれお仕事日記4〜

 早いような遅いような、もう全日程の半分が過ぎた。仕事も慣れ、手際もよくなり、全体的に作業にかかる時間も短くなってきている。

 あれだけイヤだと思っていた、駅から20分ウォーキングも今では、「いい運動♪」だと、気を良くして早足。

 そのせいか、疲れて、PCの前に座るころには、すでに「お休みモード」。眠くて仕方ない。ここんところの日記が短いのも、実はそんなことが関係している。

 ある人に「人がすっと頭にはいる文字数は800字程度」と聞いているので、本日記だけなら、今の量で丁度いいかもしれない。

 そうそう、今朝、夢を見た。

 夢の中での“私”は、3年B組金八先生の生徒だった。あの桜中学の制服を着てる。もちろん、私も中学生のルックスになっている。太ってはいなかった。席は、一番後ろ。黒板のそば。今でいうと、信太か今井儀の間くらいの場所。

 “私”は、授業中、何を思ってか、つかつかと教壇にいる金八先生のところに歩み寄り、「こんなことしたって意味がない」みたいなことを言った。叫んでいたと言った方が正解か。

 普段は物静かな子らしく、周りの子はみな口をあんぐりとしていた。すごい剣幕の“私”に、最初は「どうしたんだ」と心配そうに話を聞いていた金八先生も、段々血相を変え始めた。内容に記憶はないが、そうとうひねたことを言っていたのだろう。

 「心で行動しなさいっ!」
 金八先生はそう怒鳴った。私は、たまらなくなって教室を飛びだした。

 女子トイレにこもり、一人で泣いていた。外から金八先生が私を捜す声がした。
 
 「そっか、私は誰かにかまってもらいたかったんだ…」
 ポツリとつぶやいた。

 妙な夢。

 ちなみに、私の夢はカラーで、最近は夢の中で、「これは夢だ」と認識しているときが多い。



2002年02月05日(火)
掛け値なしの…


 今のバイト先は、昼食に弁当が出る。これがまた豪華で、ちょっと申し訳ないような、でも、「時給良くないし、駅から遠いしこれくらいしてもろてもええやろ」というような…。

 世の中にはお金で買えないものというのが存在している。今日の弁当のパッケージは、まさにそれを象徴していた。

 お弁当には、成分や調理した業者名などが印刷されたシールが貼られているのだが、その空いたスペースに「お疲れさまです」と手書きで書いてあったのだ。かわいらしい丸字だが、若い女の子の字でないことは一目瞭然。きっと、お弁当を作っているおばちゃん方の心遣いなんだろうなと思った。

 周りの人も、弁当を手にするとそれに気付いたらしく、「お疲れさまですって書いてある〜」と驚きと喜びの混じった表情を浮かべていた。その場の雰囲気が和んだ。

 朝から、大量の弁当に作りに追われ、余裕がないはずである。それに、はっきり言ってしまえば、おばちゃんたちのそういう行動は、一銭の得にもならない。たとえ私たちが、その心遣いに感動しても、おばちゃんたちの時給を上げてあげることも、弁当屋の売り上げをアップさせてあげることも出来ないのだ。

 もちろん、おばちゃんたちはそれを分かっている。それでも、そういう心遣いをしてくださることが凄く嬉しいし、また、私もそんな人間でありたいと思う。

 実は、今の仕事、変則で、11時ごろに昼食を取り、それから仕事が本格化する。だから、昼食を摂っている地点では、疲れてはおらす、これから疲れるのではあるが、仕事の始まりが気持ち良かったので、今日は仕事がわりとはかどった。弁当屋のおばちゃんに感謝♪


 実は、これを受けて、野球において、こういう心遣いをする人はいるのだろうかと考えた。結論からいうと、それは、「ファン」と呼ばれる人間そのものにある。

 私の友人は、曇りの日やナイターでも、写真のフラッシュをオフにして選手を撮る。はっきり言って見えない。でも、彼女はそれでもいいという。「フラッシュはまぶしいし、プレーに支障が出るから」だそうだ。それ以来、私も彼女を見習って、ナイターや曇りのときは、写真を撮らないようにしている。


〜続・つれづれお仕事日記3〜

 受験生と一緒に通勤。沿道で待ち伏せるパンフ配ってるおばちゃんに「がんばってください」と言われた。わかりました、がんばります、仕事を。

 昨日も書いたが、一番好きなのは、ホッチキスをかなづちで押さえる作業。実は今日、コツを覚え、昨日ほどアホみたいにたたきつけなくても、楽しみを得ることが出来た。

 かなづちのたたく部分から、なるだけ遠いところを持ち、ソフトにたたく。すると、紙からかすかに浮いていることによって、抵抗している芯がしまりなく伸びきって、やがて、紙の一部のなるかのごとく、めり込んでいく。この征服感!

 でも、夕方には、「めりこませ禁止令」が出て、またまた楽しみを奪われる羽目に。ああ、仕事はかったるく小難しくやるものだと相場は決まっているのか…。



2002年02月04日(月)
「予定調和を覆す」


 プロ野球のキャンプもすでに始まっている。
 この時期、何をするのかよくわからないが、もう少し暖かくなってきたころには、「新しい球種をモノにしよう」という投手も出てくるかもしれない。

 実は、私たちは文章を書く上で、それと似たようなことをしている。同じ作家の本を立て続けに読んでいたら、ある特定の表現が何度となく使われていることがある。

 最初の方は、ピースの合わないジグソーパズルのような違和感があるのだが、段々月日が経っていくと、自然に作品のなかにとけ込んでいる。

 これは、その作者がその表現をモノにする過程を如実に表している。これが、ピッチャーの新種修得に似ていると思うのだ。

 実は、この1年野球に関する文章を読み、印象に残った言葉が「予定調和を覆す」だった。かっこいい!と思った。なんか高級感が漂う言葉だなあという印象がある。

 そこにあるのは、中学生の女の子がかっこいいモテモテの先輩に一目惚れをするような、はたまた高校球児をフェンスにはりついてじっと見ている野球少年のような、またちょっと無理した買ったシックなアンティーク家具を部屋に置いたときのような、そういうほのかな憧憬。

 ああ、私も、早く「予定調和を覆す」を使いたい!
 日々そう思ってはいるが、やはりいざとなったら、「予想と反して」とか「セオリーに逆らって」とかいう、安直な表現になってしまう。照れくさいし、まだまだぎこちない。

 ああ、私にはまだまだ無理なのか?
 でも、新たな表現は、使いこまないと、なじまない。しかし、憧れているからこぞ、初めてといえど、疎かにはしたくないし。思いは複雑だ。でも、第一球を投げてみないと始まらない。

<予定調和>
 世界は神の意志によってあらかじめ調和すべく定められているのだという考え。(infoseek辞書より)


〜続・つれづれお仕事日記2〜

 今している仕事を簡単に言うと、「3ラウンド制の5回勝負のボクシングの試合」である。

 1日3回の大きな波があって、それにそって仕事をする。だから、一つの波の仕事を終え、次の準備が終わると。2つ目の波まで休憩時間となる。「忙しい」と「ヒマ」の落差が激しい仕事だ。

 でも、「ここまですれば終わり」というのが、毎日見えているので、案外やりやすい。

 楽しい作業を見つけた。
 ホッチキスで止めた書類が取れないように、ホッチキスをかなづちで押さえ込む作業がそれ。ホッチクスの出っ張りに向かって。かなづちをたたきつける。

 なんという、ストレス解消法!
 私はここぞとばかりに、力の限りかんづちを振り下ろしていが、隣の人が「そんなにしなくてもいいよ」と心配そうな、はたまたあきれ果てたような表情をしたので、それからは力をセーブした。すっかり我を忘れてやっていたので、周りから見たら相当怖かったかもしれない…。

 そうそう、今日のお弁当は豪華でした。
 天ぷら(エビ。レンコン・さつまいも・かぼちゃ・ししとう)、煮物(こいも・にんじん・肉・ホタテ)、出し巻き卵、肉団子、大学芋、春巻、酢の物、焼き肉、タマネギスライス、うなぎ、メロン、パイナップル…。
 どれも、一口大だしたが、いろんな味が楽しめてよかった。

 ただ、ご飯にゆかりが入っていたのは、あまりに痛かった!
 実は、私、「昼は弁当です」と言われて、懸念していたことがそれだったのだ。ゆかり部分をよけて食べていると、いつもの3分の一程度しか食べれなかった。

 弁当広げた人、みんながみんな、ゆかりが好きなわけではないんですよ。だから、せめて、「ご自由に」用として、ゆかりだけ別クチで持ってきてもらえたらなあ…(苦笑)。

 



2002年02月03日(日)
見果てぬ夢のかけら


 野球ほど親の介入するスポーツはない。
 少し前、高校球児の息子を持つ親御さんが、おっしゃっていた言葉だ。

 私は、特定の高校を応援するようになって、「選手の親」という立場の方と接する機会が多くなった。いろんなお話を聞いたり、いろんな姿を見てみているので、「高校球児の親するのも大変やなあ」と痛感している。それでも、他でもない自分の息子のため、がんばっておられる。そして、また、そこに自分に夢を重ねて。

 甲子園に出た選手やプロ野球選手のエピソードを聞くと、その大半に親御さんが絡む。それも、はたからみれば「そこまでやる?」というくらいに。それくらいしないと、成功できない世界。それが野球。

 今日、テレビで見た俳優・三木良介さんは元甲子園球児だが、やはり小さな頃から父親がしっかりバックアップしていた。本格的なトレーニングを課し、大きくなるようにと、おやつにキャベツ一玉、寿司20貫、巻きずし2本という恐ろしいまでの「プロ野球選手養成メニュー」。

 有名どころでは、イチロー選手の父親は、毎日、練習から帰ってきたイチロー選手の体をマッサージしていた。また、同じマリナーズの佐々木投手が、高校時代野球部を辞めるのを思いとどまったのは、自分の汚れたユニフォームを洗濯する父親の姿であったという。

 また、こんな情勢の中、バットやグローブを買ったり、決して安いとはいえない部費を出すのも、相当な苦労だと思う。昨日の日記とダブるが、そういうことも社会に出て。お金をもらうようになってからわかった。

 そういう親に愛情が報われるとき。それは、その子が野球選手として成功したときであり、また野球を通して、人間的に成長したときかもしれない。


 今でも、思い出すたびに、胸が痛くなることがある。

 実は、私は友人に勧められて、中学受験を経験している。勉強を始めたのは、小学校6年になってからだ。当時は、何も知らなかったのだが、はっきり言って、中学受験を始めるにしては、あまりに遅すぎた。受験はあえなく失敗した。

 地元の公立中学に進学した。何故か、私が中学受験に失敗したことを小学校時代のクラスメートが知っていて、公立中学に行くのが格好悪くてものすごくイヤだった。「まず受かる」と言われていた私立の女子中学の2次試験を受けたいと言ったが、親は反対した。高校は、絶対にいい高校に行ってやる。そう思って、中学入学と同時に、地元では一番と言われる進学塾に入った。

 今思ったら、入ったのが間違いだと思うくらいのおそろしい塾だった。

 英語・数学・国語で、1日2講座3時間で週3回。まず、中学2年半ばまでに中学英語をすべて終える。中学3年からは高校のカリキュラムだった。とにかく宿題が多い。英語は、1回につき7〜8ページくらいあり、プラス単語50個丸暗記。その上に、数学、国語の予習も同じくらいの量があった。(国語は月1回、作文を書くのが宿題だった。今、思えば、これが一番役に立っているかも)

 また、そんな塾についていくために、家庭教師をつけている子もザラにいた。クラスメートの大半は受験戦争を勝ち抜いた有名私立中学生。「この人ら、まだ勉強するのか?」とちょっと疑問に思ったが、それより、あまりに自分が場違いなところにいるなあと入塾した地点で違和感を覚えていた。

 うちでは、その家庭教師役を父がした。父は、熱心だった。その塾は自宅からやや距離があったので、授業終わったら、毎日むかえにきてくれていた。家でも、宿題を見てくれたし、また、野球選手の自主練ではないが、父が問題集を見ながら、新しいノートに手作りの問題を作っていた。

 自分なりにがんばってはいたが、想像以上に高いレベルの授業に息切れをし始めていた。クラスメートは次々辞めていった。それも、私と同じ公立中学の子ばかり相次いで。正直、私もしんどかった。

 イライラして、むかえに来てくれて父を無視して帰ったこともある。授業をさぼりたいがために、「もう迎えにこんでいいから」とつっけんどんに言ったこともある。

 問題がどうしてもわからないから、教えてくれる父に「教え方が悪いんや」と八つ当たりし、父をほったらかしにして、自分の部屋でマンガを読んでいたこともある。

 その塾は結局、中学3年の夏に辞めた。中学3年になってからはほとんど行っていなかった。退園の挨拶も、親だけが行って私は行かなかった。もう建物すら見たくなかった。最後に書いた作文を、塾内のコンクールで優秀賞に選んでいただいた。

 
 高校を卒業してまもなく、机を整理していたら、昔父が作ってくれた問題集が出てきた。パラパラとページをめくってみたら、私の雑な字は最初の本の数ページしか出てこず、あとは、父のややつながって見にくい字だけ。答えが書かれるのを待っていた問題たちは、目に触れられることなく、長い間そこに眠っていた。

 父はこのとき、どういう心境で問題を作っていたのだろう。毎日会社で疲れて家に帰ってきた上の、こんな疲れる作業をして…。きっと娘の私に何かの思いを託していたのかもしれない。そう思うとなんだか胸がつまる。

 父は、今ではそんなこと思い出しもしないし、私に期待をかけるのはもうやめて、趣味に学業に没頭して、自分の人生を謳歌している。

 
 野球選手のドキュメントを見て、「こんな親がいたからこそ、この選手は成功したんだな。親に恵まれるのも大事なことだな」と思っていたが、実は私自身もかつてはそれに近い立場にあったことに気付いた。

 子供のトレーニングに毎日つきあう、子供のユニフォームを洗ってやる。そんな父親と同じように、私の父も毎日塾に迎えに来てくれて、勉強も見てくれていた。
私はそんな父の誠意を踏みねじってまったけど、ドキュメントで紹介されるような野球選手はそうではない。

 風の頼りで、当時の塾で机を列べていたクラスメートは、早稲田や慶応、阪大・京大に行ったと聞いた。私の頭では、父の作った問題をもきちんとやっても、きっとそんないい大学にはいけなかっただろう。でも、そうでなくとも、あの問題をきちんとやっておきたかったと思う。

 たとえ、甲子園に行けなくとも、日々悔いの残さずベストを尽くしたいという選手の心境が、なんとなくわかる。



〜続・つれづれお仕事日記1〜

 仕事初日でこんなことを言うのは何だが、とにかく「いやぁ〜」と気怠い気持ちでいる。明日も、明後日もあるの?え〜、いややぁ〜って感じ。

※今度の職場、ここがイヤ

1,駅から遠すぎる。その上、微妙に坂。
2,交通費高すぎる
3,乗り換え多すぎる
4,携帯のアンテナが立たない
5,何気に寒すぎる
6,正門から校内までが遠い
7,前回、「こいつは、イヤ」と思ってたヤツとまた一緒
8,女性職員は、明らかに私らバイトをバカにしている
9,道ばたで、下宿パンフを配る兄ちゃんと姉ちゃんの存在
10,ガードマンにいちいちIDカードを見せるのがめんどくさい
11,仕事内容に、楽しさを見つかられない

 ちなみに昼はお弁当が出るようだ。私は好き嫌いが激しいので、あまりありがたくないかも…。

 



2002年02月02日(土)
尊敬する人物は、「両親」です。

  
 センバツ大会出場校が決定し、外はまだ寒くとも、春の訪れを感じる今日このごろ、もうまもまくすると、各雑誌から出場校の選手名鑑たるものが出るだろう。

 出身中学、家族構成、趣味や将来の夢…。いろいろな項目があり、センバツ大会を楽しむ予備知識をして頭にいれておくと、何かとお得。

 そんな名鑑の必須ともいえる項目が、尊敬する人物だ。
 今はどうかわからないが、その答えの上位を占めるのが「両親」。

 高校球児って、えらいなあとしみじみ思う。
 私は高校時代「両親を尊敬する」などという概念は、かけらもなかった。親はいて、当たり前。ご飯を作り、洗濯し、子供を学校にいかせる。そういう「仕事」をする人種だという意識があった。ナメたガキだった。

 でも、今は、尊敬する人物で真っ先に上がるには「両親」だ。学校を出て、社会人として生きてみて、ようやくわかる親のありがたみ、大変さ、存在感…。今もたまにケンカして口答もするけれど、心の底にはいつも「ありがとう」がある。

 そんなことをもし、高校生の地点でわかっているとすれば、そんな素晴らしいことはない。


 ある日、テレビの企画で、公立高校と私立高校の諸経費の比較がなされていた。それも、もろ金額まで公開されているというびっくり企画だったのだが、とにかく驚いた。

 私立の諸経費はなんと公立の3.5倍!
 画面にむかって、「あ」に濁点のついたような声を上げてしまった。

 確かに、私立が金のかかるものだということは、分かっている。しかし、せいぜい2倍程度だとふんでいた。まさか3倍以上だなんて。

 コメンテーターのある女性が、「それやったら、(子供を)公立に入れて、卒業祝いにロレックスの時計買うたった方が、安うあがるわ」と言っていたが、それももよくわかる。

 私には年子の姉がいるのだが、実は2人して、高校・大学と私立に行かせてもらっていた。それも2人とも違う高校・大学で、兄弟で通学すれば少しは安くなるという私立のメリットも生かせず。その上、私は予備校にまで通わせてもらっていた。そして、その結果、1人は無職、1人はその日暮らしのアルバイター…。

 自分の人生が間違っているとは思いませんが、親に申し訳ないなあという気持ちはあります。ですが、いい会社、高い給料をもらうだけが親孝行でもありません…よね?いや、きれい事ですか?でも、私はそう思います。

 だから、私は「この世に生まれてきてよかった」といえるような人生を送りたいです。できれば、温泉とかに連れて行ってあげたいですが、まだまだ先の話になりそう…。


 
 夜、ある方からお電話を頂戴しました。
 実は、1/27に「ある高校球児への手紙」を書いたのですが、この方はその選手の親御さんです。
 わからないように、固有名詞は一切使っていなかったのですが、「もしかして、うちの息子かなと思って」と、おっしゃりびっくりしました。
 やはり、ご自分の息子さんのことですから、おわかりになるんでしょうね。母の愛は海より深し!
 とにかく、嬉しかったです。ありがとうございます。また、春になったら、球場でお会いしましょう。



2002年02月01日(金)
“甲子園” 光と陰


 このところ、朝起きたら新聞を見る習慣がつきつつある。野球シーズンの幕開けが近いというのもあるのだが、最近ようやく、新聞がおもしろいと思うようになってきた。

 我が家で購読している新聞は、「京都新聞」という地元の新聞だ。微妙にローカルチックでそこも素敵だと思う。(また、滋賀県のこともしっかりピックアップしてくれるのがいい。ただ、滋賀版では京都の扱いは小さいんだとか)

 さて、今朝の朝刊。それは出来すぎているほど「光と陰」が反映されていたもので、「禍福はあざなえる縄のごとし」という言葉をふと思った。

 昨日、春の訪れを告げるセンバツ大会出場校が発表された。地元からは、平安高校が出場する。1面も平安ナインが万歳しているカラー写真で飾られていたし、またいたるところに関連記事や写真が躍っていた。

 そのカラー写真の横にあった、こんな見出しの記事を目にした。
 「甲子園で急死 監督に労災 〜 福島の労基署・期待でストレス原因〜」

 ご存じの方も多いと思う。
 学法石川高校野球部総監督・柳沢泰典氏が、3年前、1999年夏の甲子園大会をスタンドで観戦中、くも膜下出血で倒れて、その一週間後に亡くなられた。

 学法石川高校。私が最も甲子園大会にのめり込んでいた中学3年から高校3年の4年間、何度となく、甲子園に出場した学校だ。ユニフォームも印象に残っている。監督時代の柳沢氏は、部員の練習メニューを女子マネジャーに任せるといった「部員主体」を重んじるところもあったという。(演歌歌手の門倉有希さんが、元マネジャーだったというのはわりと有名な話)最近では、オリックス・川越投手が同校のOBで、今もプロの世界でがんばっている。

 私はずいぶん経ってからこのことを知ったが、「(亡くなるには)あまりにも早すぎるなあ」と思った覚えがある。

 そのときは、何とも思っていなかったのだが、実はこの死が、前述の通り、労災として認められたのだ。きわめて珍しい例。期待やプレッシャーなど、目に見えないものを判定するのはとても難しい。ニュースをそれほど見ない私だが、過労死が労災と認められるのは、かなり困難であることはわかっているつもりだ。

 好きなこと、やりたいことを仕事にしている人は、世間ではごくわずかだ。だから、そういう人は羨ましいと思うし、ストレスもたまらないと思いがちだが、実はそうではないんだなと痛感した。

 これはあくまで氷山に一角で、監督業で心身の不調を抱えている人は少なくないと思う。それはまた、私たち一般社会で働く者と何ら変わりはない。

 もし、自分の父親が、恋人が、友人が、そして自分自身が…。そう思うと、何とも言えない気分になる。

 センバツ出場校決定と労災認定の日が同じだなんて、何という皮肉。

 横の華やかなカラー写真がかすみ、太い黒文字の見だしが目に鮮やかになるばかりだ。


追伸:この日、残念ながら21世紀枠での出場がかなわなかった彦根東ナインが、がっくり肩を落としているカラー写真も掲載されていた。他校と同じように、決定に備えていろいろ準備がなされていたことを思うと、これまた何とも言えない気分になった。すぐ上には、喜びの表情から早くもセンバツ決戦に向けて、引き締まった表情の平安ナインがいた。