おぎそんの日記
おぎそん



 宮部みゆき時代劇 第五話「師走の客」

結局、第四話「消えずの行灯」は見れませんでした。
激しく後悔です。

そんななか。
今週こそは、見逃さないようにビデオを準備。おぎそん自身が見れるときにそんなことをしても激しく無駄のような気がしますけどまぁ、気にしないことにします。
先日も少し解説をパクってエラそうに紹介した「かまいたち」収録作品からの今回。
そうですね、今回はそんなにどうこうというか可もなく不可もなくといったところでしょうか。
でも、やっぱり思うことは、名探偵コナン、金田一少年の事件簿のように指摘されてますがちょっと無理があるかな、といおう設定ではあることは確かです。
こんなに事件に関わる人間のほうが犯人だろ、みたいな。

というのも、今回の話において(ちょっとネタバレです)善良な小市民が騙されたというコンセプトであると共に誰にでも起こり得るものという二面性を取り上げてしまったことが上げられるでしょう。
事実、両方とも必要なのですがそのことに気を使ってしまったためにメッセージ性(この場合は物語が持つ負から正に変え得るエネルギー)が薄れてしまったような気がするのです。
この、後者の設定である茂吉親分の姉がこの詐欺士に引っ掛けられそうになる、のエピソードは小市民の事件が解決したとでの出来事でありますから、視聴者は姉が騙されそうなことを知っています。それが、あることが起きたことでたまたま姉は騙されなかった。
見ている分にはコミカルなので笑うべきところなのでしょうが、おぎそん自身は笑えませんでした。なんだか醒めてしまったというよりすでに話のベクトルが違うものになってしまっているからであります。
そのため、いくら役者さんたちに気を使うとはいえ、姉を被害者に立てるよりは全くの未知の他人(小市民)を被害者に使用としたほうがより話として引き締まった気がするのです。

そんなことを思いました。

小市民が騙されたときに妻が夫に「私たちって別に業突張りなんかじゃないわよね」と問いかけていたところにこの話のキーポイントでありましょう。
乃波アサの「幸せになりたい」でも同じようにありますが、ふっと目にあわられたまるでカンダダを極楽へ招こうとしている蜘蛛の糸と重なります。
誰もが報われるわけじゃない、でも、少しは。こんな時くらいには私にいいことがあっていいんじゃないの?とのテーゼではないでしょうか。
ちょっと寂しい内容になってしまいましたね。
次回は「紙吹雪」です。短編集「幻色江戸ごよみ」収録の最後の作品となります。かなり短いお話ですのでもし、本屋さんに行った時にはどうか手にとって見てくださいませ。

この作品で一話分ができるのかおぎそんはちょっと心配しています。

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2002年07月26日(金)
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