白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2003年06月30日(月) 愚弟と語る。

昨日は長時間、車で移動したおかげで愚弟と色々な話をした。
愚弟と私は男女の兄弟にしては、比較的仲の良い方だとは思うのだが
それでも毎日の生活で「語り合う」なんてことは滅多にないので
昨日は、色々な話を聞けて、とても良かった。

1つは愚弟の指の話。
愚弟は、この秋から義指を付けて生活することになる訳だが
「一応、作ってみるけど、無くてもいいかもしれない」とのこと。
医師、装具士の話を聞いて、愚弟も色々と思うところがあるらしい。
日本人の場合、片手を失っても、西洋人ほどのダメージがないのだそうな。
お箸の文化だから……ということもあるのだろうが
日本人は大抵のことを片手で出来るようになる器用さがあるらしく
その反対に西洋人は、驚くほど「片手での生活」に慣れるのが遅いらしい。
ゆえに日本人の場合、義手や、義指を使わない人も多いのだそうな。
今は「ものすごく高性能の義手」なんてのも開発されているようだが
ものすごく高性能であるがゆえに、ものすごく高い。
「必要としている人が意外と少ない」ので、コストが下がっていかないのだとか。
だから、どう…って言う話ではないのだが、妙に納得させられる話だった。

もう1つは父の話。
母を家に送った後、ふとしたことから父の話になり
「父の伴侶が母でなければ、父は、もう1度立ち直れたと思う」
「父が人として駄目になった原因は母にもあると思う」てなことを言った。
正直なところ、姉としては、ものすごく驚いた。
愚弟は父のことが好きでなかった……というより、むしろ嫌っていたので。

世間的には「父は最低の男」「乙女な母は出来た妻」として評価されている。
ほぼ、間違いのない評価だと思うが、別の側面だってある訳で……
私も乙女な母の功罪については、いささか思うところがあるのだが
「ま。そんなことで駄目になる人なんだもの。結局駄目になってただろうし」
……ってなくらいにしか思っていたのだけれど
愚弟は「父は立ち直れるだけの男だと信じていた」と言う。
今まで知らなかったけど、愚弟は、そんな目で父を見ていたんだなぁ。
父と息子の関係って、父と娘のそれとは、また違っているようだ。

ものすごく驚いた旨を愚弟に言うと
「そりゃ息子だしね。父はあれだけで終わる男ぢゃなかったはず」とのこと。
父を思う愚弟の気持ちを嬉しく思いつつ
「しかし、なんやね。現実は『あれだけの男』で終わっちゃったよな……」
……なんてツッコミはここだけの話。
あんなに反目しあっていたのになぁ。やっぱ親子ってところなのだろうか。
父が死んじゃったからこそ、抱ける感想なのかも知れないと思ったりした。

たまには愚弟と話をするのも悪くないよな
なんてことを思いつつ、今日の日記は、これにてオシマイ。


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2002年06月30日(日) 前半の半年。後半の半年。

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