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2024年03月02日(土)
はえぎわ×彩の国さいたま芸術劇場 ワークショップから生まれた演劇『マクベス』

はえぎわ×彩の国さいたま芸術劇場 ワークショップから生まれた演劇『マクベス』@彩の国さいたま芸術劇場 小ホール


シェイクスピア作品をわかりやすく、親しみやすいものとして上演するプロダクションといえば、山崎清介演出の『子供のためのシェイクスピアカンパニー』(現イエローヘルメッツ)という優れたカンパニーがありますね。はえぎわ×さい芸もこれをシリーズ化してほしいなあと思った次第。

約17ヶ月の大規模改修工事を経て、彩の国さいたま芸術劇場が3月1日にリニューアルオープン。今作『マクベス』は2月に東京芸術劇場でも上演されましたが、これはもうさい芸で観たい! と開館を待っていたのでした。ウキウキ気分で与野本町へ。

さい芸の小ホールは座席後方からの入場になるので、舞台美術の第一印象は俯瞰になる。まず目に入ったのは、(おそらくチェス盤を模した)グリッドがひかれた床面と、その上に整然と並べられた椅子、両サイドに雑然と置かれたさまざまな小道具。……この椅子、『2014年・蒼白の少年少女たちによる「カリギュラ」』で使われてたやつだろー! とエモも極まる。東京公演を観たジェンヌによるとスタッフさんからの提案だったそう。『たかが世界の終わり』のときにも思ったけど、保管というものはアートにとって重要なものだと感じ入りましたね! 財産よこれ! 同時に劇場のプロダクションカラーにもなる。だいじ! ラストシーン、あの首が浮いてるように見えるシーツもさい芸の財産ですね! てか『カリギュラ』ってもう10年前か…時が経つのは早いもので……。

閑話休題。張り切ってチケットをとったためか、自分の席は最前センターブロック。この視界は今しか観られない、としばらく最後列の通路をうろうろする。俯瞰の席で観ても面白かっただろうなあ。さい芸の小ホールはすり鉢状で最前列と最後列の段差がとても大きい。芸劇シアターイーストの座席段差とはかなり違うので、見え方は多少違ったかも。両方観てみればよかったかな。

という訳で最前列。目の前に撮影用のカメラが設置されている。観劇の障壁には全くならない位置だったが、これがなんとも気になる。というのも、目立たないようにとカメラは黒い布で覆われており、それがフードを被ったマント姿のちいさないきものに見えたのだ。あのーあれよ、スターウォーズのジャワみたいな感じよ。破滅していく人物を、舞台と観客の間に陣取って見つめる妖怪。なんともいえない不思議な効果。たまたまだけどね。

開演前のアナウンスがバグっている。10分前と開演直前。「なります」を「なるま…なります」などといったりしている。一度目は単にいい間違えたんだな、と思ったが、二度目となると「んん?」と思う。うしろのひとも「また間違えてる」と話している。ところが、具体的には忘れてしまったが、暗転寸前に「明らかに意図的であろう」いい間違えをした。携帯の電源を切る等の諸注意を観客が聞き流せないようにするためか、劇世界への入口を開けたと宣言するためか、妙なインパクトがあった。開演15分前あたりから、ステージには出演者の出入りが始まる。魔女3人が行ったり来たり。観客の注意を惹くように、置かれている数々の小道具をいじって音を出す。いちばん使われていたのは、らせん状の木琴に木のボールを落として音を出す知育玩具(カラコロツリーみたいなやつ)。踊るようにグリッドを行き来する魔女は、ときおり観客をふいと見渡す。ドキリとする。

椅子はさまざまなものに姿を変える。寝台、玉座、森の木々。グリッドはバミリの役割も果たしているのか、システマティックかつスムーズに配置を変えられる。小道具の見立ても効果的で、ひとりの役者が父子──バンクォーとフリーアンス──の会話をひとりで演じ、絵に描かれているこどもに巻かれていたキツネのえりまき(マフラーよりえりまきといいたい)を父が巻いた瞬間、その父がこどもに変身し死んでいく。魔女を演じていた役者が帽子を被るとマクダフのこどもになり、死んでいく。少人数の演者が複数の役を演じる際の工夫がエモを呼ぶこの鮮やかさ。こういうのに弱いのよ…泣いちゃう。

附け打ち等の歌舞伎的な演出もあり、それを観ているうちにふと思う。シェイクスピア作品、所謂「幕見」が出来るのではないか。「ダンカン暗殺の場」「マルカム説得の場」「大詰 バーナムの森」のように、各々のストーリーと台詞のどこを切っても名場面になるのだ。全体像を知っておく必要はあるが、それでもあらゆる場面に勘所があり、見応えがある。そして勘所をおさえてなお、台詞が長い(笑)。マクダフの妻子が亡くなったことを告げるやりとりがなんでこうもまどろっこしいのよ、辛い知らせなので遠回しにいいたいというのは判るけど、と思ったりもするが、それら修飾語で彩られた名台詞の数々を歌のように聴き、名調子の数々を堪能出来る。「人生は歩く影法師 哀れな役者だ」と大見得を切るマクベスには「待ってました!」と大向こうを飛ばしたくもなる。シェイクスピアが活躍した時代は日本でいうと安土桃山時代、歌舞伎の誕生は江戸時代のはじめとのこと。こんな妄想もありかな。

翻案には通し上演を俯瞰で見る鳥の目と、取捨選択の判断力が必要なのだと気付かせてくれた今回のホンと構成だった。そして冒頭のツイートにも書いたように、台詞を「云える」役者を揃えたことも、今回の上演を心地よく観られたことの要因。時代がかったいいまわしと現代口語を行き来し、血なまぐさい11世紀と現在を繋げる。多くのひとが殺され、こどもも容赦なく無残に殺され、死が見世物になる時代。それは決して過去の話ではないことを知らせてくれる。ラストシーンのマクベスの「首」と、カーテンコール後の魔女たちの「片付け」は、殺戮は今後も繰り返されるということを暗示するようで恐ろしかった。流れる多くの血は水で表される。染み込ませる素材の効果か、透明な筈の水が墨汁のようにどす黒く拡がる。印象的な美術。途中流れた加川良「教訓1」が沁みた。最後の「歓喜の歌」日本語カヴァーはどなたなのかな?

翻訳台詞を現代に聴かせる内田健司のマクベスを観られてうれしかった。囁き声も、張った声も、遠く迄届く。ものいわぬときの逡巡も恍惚も、目の輝きひとつで見せてくれる。長いあいだ観ていきたい役者。コメディエンヌの印象が強かった川上友里は、悪事にも破滅にもまっしぐらの一途なマクベス夫人像。そこにある思いは野心というより、ひたすらマクベスを成り上がらせたい気持ちが先に立つよう。バンクォーとフリーアンスを演じたからくり人形のような山本圭祐、魔女とマクダフの息子を演じた菊池明明の声の力。個人的に贔屓のキャラクター、マクダフを演じた町田水城は、時折脱力するようなユーモアを見せる人物像で魅力的。

紅林美帆による衣裳が美しくかつ機能的。特に茂手木桜子のドレスが素晴らしく、彼女の身体能力をより魅力的に見せてくれるものになっていた。常態はノースリーブ、ドレープの効いたふわりとした漆黒のドレス。魔女が摺り足で歩くとロシアの舞踊「ベリョースカ」のような、引力を感じさせない動きに見える。ふわり、ふわりと風に舞う落ち葉のように舞台上を移動する。四つん這いになり、暗黒舞踏のように足を床面から離さず体幹を裏返す動きをすると(諸星大二郎のヒルコのよう。今回喩えばかりですみませんね……)ドレスの裾がめくれあがる。そこで初めてペチパンツを履いていたことがわかる。転じてマクダフ夫人を演じるときは、シックなデザインが映える。

茂手木さんの魔女は獣のような仕草をしても下品にならず、マクベスを遠くに見やり乍ら猫の声色と仕草を見せる姿もかわいらしかった。異界の際から、愚かな人間の営みを見つめているよう。なんでもワークショップの段階では3人の魔女をひとりで演じたそう。今回も魔女チームの象徴ともいえるはたらきを見せていた。そしてマクダフ夫人役がまたよかった。「筋肉あっても死ぬの!」には大笑いしてしまった、なんて愛しいマクダフの妻。名前がほしい。

スコットランドは日本の東北なのだろうかなどと思う(秋田は日本のグラスゴーが刷り込みの人)。一応説明しておくと、「秋田は日本のグラスゴー」というのは90年代のUKと日本の音楽シーンが地方によって似通っていると一部でいわれておりまして……ってこれ誰がいいだしたんだっけ? USハードコアの流れが何故か北海道で勃興したことにも通じており、風土から生まれる音楽というものは(以下長くなるので割愛)。

しかしそれなら上村聡演じるロスだけが東北弁だったのは何故なんだろうかという疑問も湧く。階級とか身分の差を表していたのだろうか……なんて、ダラダラ考える帰り道のなんて楽しいことよ。このカンパニーで他のシェイクスピア作品も観てみたい! 密かに待っています。

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・はえぎわ×彩の国さいたま芸術劇場「マクベス」稽古場レポート / ノゾエ征爾インタビュー┃ステージナタリー
また本で読んでいくと「あ、とても素敵な言葉だな」と思うんですけど、それをいざ俳優の身体を通して、音として聞いてみると、頭に入ってきづらいところが多々あって、そこも難しいなと。でも取り組んでいくうちに、あの特有な言い回しが作り手としてはとても楽しくなってきて、ともすると、自己満のような悦に入ってしまいそうになるので、気をつけないといけないなと思っています。
謡いすぎず説明にせず、台詞の肝を観客の頭に届けるスキルはやはり必要なもの

・杏、ギター弾き語り動画公開「一人ひとりが今、できることを」┃cinemacafe.net
2020年、コロナ禍のステイホーム中に杏さんが発表した「教訓1」のカヴァー。私もこれでこの曲を知りました

・それにしても先月の『すし屋』からの首ネタ、つらい(笑)。見世物的な処刑ってほんとバラエティに富んでいて人間てホント残酷ねーと思う。ちなみに今迄でいちばんヒィイイイとなった処刑方法は、『藪原検校』のお蕎麦いっぱい食べさせて宙吊りにして腹切るやつですね〜ヒー





久しぶりのさい芸がうれしくていっぱい写真撮っちゃった。そうそうカフェは現金不可でした。Suica使えてよかった、多めにチャージしといてよかった。チャージだけのため戻るには、与野本町駅は微妙に遠いのでな……


劇場近くの中学校沿いに設置されている、『彩の国シェイクスピア・シリーズ』出演者の手形レリーフとサインとも再会。ニコニコと眺め乍ら歩いていたら、ある箇所で違和感が。えーとこんなのなかったよな、と一瞬考え、はたと気付く。ここ、四代目猿之助のレリーフがあった場所だ。うーーーーーん