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2018年11月25日(日)
『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』

『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』@新宿ピカデリー シアター6


最初に思ったのは会社員って〜、フリーランスって〜ということでしたよ…いや、会社員というか……組織に属する人間といえばいいか……。

『ボーダーライン』から二年、続編が出来ました。脚本はテイラー・シェリダンが続投。監督はドゥニ・ヴィルヌーヴからステファノ・ソッリマへ、音楽は故ヨハン・ヨハンソンからヒドゥル・グドナドッティルに。グドナドッティルは古くからヨハンソンの制作パートナーを務めていたそうで(múmのチェリストの方だったのね!)、あの不穏な音響を引き継ぎシリーズのイメージをより強固なものにしていました。メインテーマは前作のヨハンソン曲から。エンドロールに献辞も流れました。これからもっといろんな作品が聴けると思っていたのに、未だ信じられない。

今回は最初っからベニシオ・デル・トロ演じるアレハンドロがシカリオ=殺し屋だというのは明解なので、サスペンスの要素は減り、アクション増し増し、情も増し。アレハンドロとジョシュ・ブローリン演じるCIA工作員・マットのバディ感も増し、アレハンドロの変装=コスプレも色々と見られるという、なんというか、すごいエンタメ度が……正直おら戸惑うばかりだったぞ。紫がかった色彩が美しかった(撮影監督:ロジャー・ディーキンス)前作からメキシコの砂埃で黄色っぽい映像になり、同じシリーズで同じ脚本家でも、撮影と演出で作品の色はガラリと変わるものだなあと感心もする。SNSで話題になった「デルトロ撃ち」も命中しない感がすごくてな…いや、格好いいけどな……途中からはエンタメとして楽しんで観てました。麻薬や人身売買ビジネスといった社会問題をどう見せるかというさじ加減って難しいものだな。

しかし、エンタメによって多くのひとの目にふれ、問題が周知されるのは意義あることかなとも思ったり。『ウインド・リバー』もそうだったけど、シェリダンはこうした「身近で起こっていることなのに知らない、あるいは知ろうとしないひとが多い」アメリカの問題を常に観察しているのかもしれない。その分演出には細心の注意が必要にも思う。観る側もいろいろとジレンマがあります。

情が増すということはアレハンドロとマットに人間性が戻ってきているということでもある。それはこの世界では命とりにもなりかねないのだが、心のどこかでホッとしているところもあります。少女との交流を通し、アレハンドロは自分の娘に起きたことを追体験する。アレハンドロと少女を救うべく、マットはある手段を選ぶ。そのことをアレハンドロは知らないまま今作は終わるので、これはもう次作を待たない訳にはいかないでしょうが! と鼻息も荒くなります。冒頭の感想に戻れば、アレハンドロはフリーランスなのでああして見捨てられることも覚悟の上だし、マットも組織に属する人間としてギリギリの判断を下したので、それはいいんだよ。そういうものなんだよ。ただ、連絡が途絶えたあとのことをお互い知らないわけですよ。マットは新しいシカリオを雇うし、アレハンドロは新しいシカリオを育てるでしょう? ふたりがまた会うのは必然だよね〜。そのとき違う立場になっているふたりはどうするのかしら〜(血の涙)。

聞けばシェリダンには三部作の構想があるとのこと。シェリダン作品ということでいえば、『ボーダーライン』では隙が多く、結果的には保護される存在であった女性が『ウインド・リバー』では自立し成長する人物として描かれている。今回アレハンドロと行動を共にした少女がその後どう成長するか見てみたい気もする。そして人物は違うが、前作では父の死に為す術もなく日常に埋もれていった少年が、今作ではシカリオの前に鬼っ子として登場する。彼の姿は、前作の少年の未来ともいえる。いやほんと、このままでは終われないでしょ〜! あの子と! アレハンドロが! きっと父子のような関係になって地獄の道行きですよ、ヒー! 

麻薬王の娘である少女と、カルテルの一員となりつつある少年、かつて家族を失ったシカリオ。擬似家族ともいえる彼らはどんな道を歩むのか? はやくも次作が待ち遠しい。作れ! 作ってくれ! いや作ってくださいお願いします。今度はシェリダン自身が監督するのが観てみたいな〜、『ウインド・リバー』の演出見事だったもの。