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2017年03月11日(土)
『高橋徹也とスモサが祝う「鹿島達也」30th』

『高橋徹也とスモサが祝う「鹿島達也」30th』@風地空知

フライヤーには「鹿島達也 音楽生活30周年祝賀会」とあります。いやもー、まずはとにかくこれらを読めばよいと思います↓。

・「高橋徹也とスモサが祝う『鹿島達也』30th」 at 風知空知 感想他まとめ - Togetterまとめ
chinacafeさん有難うございます〜! 読み返すとこの日のことが思い出されて心が洗われる〜! 鹿島達也というベースプレイヤーがどれだけミュージシャン仲間から信頼され、リスナーから愛されているかが伝わって、読む度ジーンとする。なんなら涙ぐむ(実際最初読んだとき泣いた)

・Small Circle of Friends「高橋徹也とスモサが祝う『鹿島達也』30th」 at 風知空知|Facebook
・セットリスト|Facebook
画像もたくさん

・高橋徹也 official|夕暮れ 坂道 島国 惑星地球『鹿島達也30thを祝して 』
・鹿島日記『鹿島の30から一週間過ぎた』

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こちらでは個人的な備忘録をちょこちょこ書いておきます。なんてえの、音楽ってリスナー各々の思い出と強く結びついていくもので、それぞれの人生を彩り、寄り添い、ときには支えていくものだと強く感じた次第。時間の芸術といわれる要素のひとつになるかな。音楽は世界を変えられるか? 社会は変えられないとしても、個人の見る世界を変えることが出来る。という訳で第三者から見たらどうでもいいことがつらつら書いてあります、ご了承ください。

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・そもそも鹿島達也というベーシストを何から知ったのか、と振り返ってみたのだが、思い出せなくて自分の記憶力のいい加減さに愕然とする(いつものこと)。そうとは知らず見聞きしていた最古はてつ100%。これは間違いない。彼らが所属していたCBSソニーは、EPICソニーとともに全国でビデオコンサートというものを開催しており、自分はそれに熱心に通っていたからだ。『DAYS』と『BEE』な
・あんな田舎でも開催してくれてて有難いことですよ…webもケーブルテレビも普及してない時代、ラジオとともに(ソニー限定とはいえ)いろんな音楽を聴くきっかけになっていた

・で、このあたりの自分のリスナー遍歴をざくっと振り返ってみたのですが
・80年代後半〜90年代は所謂渋谷系もよく聴いていたけれど、オリジナルラヴはピチカートファイヴのヴォーカルのバンドって流れから聴いて、ヒックスヴィルはオリジナルラヴから覚えた。フリッパーズ・ギターは愛聴していたけど解散後のふたりは熱心に追っていない。ソウルセットは今でもずっと聴き続けていてLBネイションも追っていたけど、小沢健二の動向には詳しくない
・夜遊びに本格的にハマったのはU.F.O.からソニテクの頃、スモサはU.F.O.絡みのパーティやコンピでしか見聞きしていない

・というすごい虫食いな感じなんですね。ひとつのシーンをくまなく追っかけるということをしていない。予算や時間の都合もあるけど
・あと90年代に入ってからUSインディーを掘りにいくようになって、邦楽へのコンタクトが手薄になったという自覚はある

・で、小林建樹を聴き始めたきっかけは窪田晴男とバカボン鈴木で、このふたりがかかりっきりの新人てどんだけ…しかもプロデュースがホッピー神山?! と興味を持った。バンドセットのライヴに出かけていったら、バカボンではなく鹿島さんが弾いていた、という流れだったと思う
・高橋徹也を覚えたのはヴィジュアルからで、木村豊デザインの『ベッドタウン』の広告が強烈に印象に残った。ちゃんと聴きはじめる迄にそこから十年以上かかる訳だけど、そこにも鹿島さんがいた

・こんなコウモリのようなリスニング遍歴の各所に存在しているベーシストが鹿島さん、ということになる。所属していたバンドが好きだったので、といった理由からではないので、まず演奏のすごさで記憶に残る。こっちもいい加減としよりなので長く聴いているものはそれなりにあり、さまざまな理由で音楽をやめてしまったひとたちのことも知っている。そんななか語弊があるかもしれないが「消えずに」第一線で活躍し続けている

・アンコールで、昨年亡くなったex. SUPER BADのドラマー遠藤さんの話も。みんな元気で長生きしておくれよ……
・矢野顕子は亡くなった音楽仲間をおくるとき、彼女らしい言葉で「困る」という。それを思い出した。ミュージシャンが亡くなると、そのひとにしか奏でられない音もなくなる
・録音したものは残る。それでもね。その場でしか聴けない音をこれからも聴かせてほしい
・この日の演奏も、最高の逢魔が時を演出する風地空知(あのテラス!)とともに心に残る。とても幸せなこと

・あとですね、上田禎とsugarbeansを同じステージで聴けたのが嬉しかったです
・自分が高橋さんのライヴに通うようになったとき、keyは既にsugarbeansだった。上田さんのライヴ演奏は『The Royal Ten Dollar Gold Piece Inn and Emporium』でしかしらなかった
・このライヴアルバムには今回出演した菅沼雄太も参加していて、このメンバーの高橋さんのバンドセットを聴くのも初めてだった
・で、ヘンな話ですがこのアルバム、会社がらみでつらいこと続きだった昨年のサウンドトラックだったのです。仕事中何度聴いたか
・いやもう、どれだけ助けられたかわからん! てくらい聴いてた。特に「惑星」はアホほどリピートしていた
・今は会社もやめてスッキリ(笑)、そしてこのアルバムを聴き返したからといってつらい記憶がついてくるということはなく、この美しい楽曲と演奏があってよかった、おかげで乗り切れた、という思いしかない
・そんな! 上田さんと! 菅沼さんの! 演奏をあんな親密な場で聴けて! しかもそこには現在高橋さんの楽曲制作やライヴに大きく関わっているsugarbeansもいて! アンコールでは曲の途中で楽器(ポジション)とっかえっこして演奏するなんて姿も見られて!
・あれって上田さんの気配りもあったように思う、大人の魅力ですよ……
・う…うれしかった……

・冒頭「かしまさ〜ん」と皆で呼ぶオーディエンスのてらいのなさもよかったな。みんなだいすき鹿島さん
・普段こんなにかしまかしまいうこともないよね。サッカーではあるか? だって
・毒舌さわおが「だいたいいつもひとの陰口たたいてるんだけど、陰口たたきようがないの誰だ? って話になって、鹿島さんだ! って。すごくない?!」て言ってたくらいですよ
・皆口を揃えて「恩人」ていってたなー。演奏だけでなく、楽曲の構成からそれをリリースする意味、多くのリスナーに届ける手段について等助言もたくさんしてもらった、プロデューサー的な役割も担っていると。サポートするミュージシャンたちと深く関わっていく姿勢と情熱
・そして鹿島さんもこの日の出演者たちのことを「恩人」といってた

・小鳥のようなスモサのおふたり。華奢でもちいさくても小鳥の翼は力強く、海をこえることも出来るんだぜ。彼らが唄い詠う姿は本当に愛らしく、そしてたのもしかった。感動があった

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これからも“スーパースター”鹿島達也の奏でる音が聴き続けられますように。内容の記憶は薄れても(それを思い返すために日記を残してるとこがありますよ…)、この日何度も胸がいっぱいになった感覚はいつでも引き出せるように思います。思いたい。