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2016年06月18日(土)
『四谷怪談』

『四谷怪談』@シアターコクーン

モダンホラーな演出になってたなー! 大詰の大立ち回りもなし、提灯抜けも仏壇返しもなし。戸板返しは映像で。群像劇にもなっている。歌舞伎に限らずさまざまな形態で上演されている作品だからこそ、のものになっているように感じた。反面、とても歌舞伎らしいとも言える。場がそれぞれ独立して観られるものになっている。『四谷怪談』がどういうストーリーで、この場がどういう場面か、了解しているひとが幕見で観るのに適している、と言えばよいだろうか。

ひとつひとつの場の情報量がとても多い。それは視覚的なものにおいて。台詞…というか、登場人物の心情すら字幕で表現されるところもある。お岩が薬とそれを与えてくれた伊藤家へ感謝の念を示す場面は前半の見どころでもあるのだが、それを字幕で表すとは。田宮伊右衛門がお岩から質草を奪いとる場面でもその手法は採用される。字幕が出た途端、伊右衛門はこどものような癇癪を起こし暴れ出す。情報量とそのスピードに驚き、演出(というか仕掛け)に役者が引っ張られてしまっているようにも見えてしまうのがちょっとひっかかる。しかし三時間弱の早い展開で見せる今回の上演に際して、はっとさせられたのも事実。これらの場面での、静まり返った劇場の空気とともに強く印象に残った。「夢の場」は文字通り夢心地、同時に悪夢のようでもある画ヅラが強烈。今作品最も印象に残る場面だった。

とはいうものの、頭と身体が直結するのにちょっと時間差を感じる。舞台には時折、スーツ姿で整然と歩くサラリーマンの一群が現れる。終盤、病が癒え四十七士に加わることの出来た小塩田又之丞がスーツ姿で現れ、伊右衛門とすれ違う。スーツは「所属する者」の象徴なのだ。と、その解釈を考えるのは楽しい。しかし舞台上にサラリーマンが現れたときの「?」が、「!」に変わるその時間が惜しい。物語に没入出来ない。転換も早い。前述の「夢の場」も、もう少し長い時間観ていたかった。

ダイレクトに心が動かされた場面は役者の力によるところが多かった。扇雀丈演じるお岩の、鬼気迫る髪梳き。直助権兵衛の残忍さを示す、勘九郎丈の身体の説得力。国生丈演じる小仏小平の懸命なさま。首藤康之演じる又之丞のキリリとした姿の美しさ。そして七之助丈演じるお袖がお岩の櫛を受けとり思わず「は、」と漏らす声、そのちいさな声が二階席迄刺すように届いたとき。

そして思い出す、勘三郎丈演じるお岩が、ていねいにゆっくりと薬包を開く仕草を。静けさのなか響く、「ありがとうございます、ありがとうございます……」という声を。

個人的には何度もいろんな演出で観てこその楽しみがあると思っている『四谷怪談』。「小仏小平住居の場」≈「小塩田隠れ家の場」があることで小平の存在に焦点が合うところ、伊右衛門と又之丞の対比が描かれるところは今作ならでは。木ノ下歌舞伎の通しを観ていたおかげで場の了解がスムーズに出来、助かった。うっすらしたあらすじだけ知っているひとが初めてこの演出で観たら戸惑うかもしれない。幕切れも唐突と言えば唐突で、カーテンコールが始まったとき後ろの席のひとは「えっ、これで終わり?!」と驚いていた。インパクトがあるのは確か。

それにしてもなんというか…てんこもり演出だったなあ。宮本亜門の『金閣寺』(初演再演)をちょっと思い出した。ホーメイが使われていたし。人海戦術的な場面にも連想。振付のクレジットがなかったのだが誰が手掛けたのだろう?

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・お岩が薬をのむ場面、普段は「あ〜のんじゃうよ〜」「のんじゃった……」と悲しく見送るんだけど、扇雀さんのお岩には「のむな!」「のんじゃだめ!」て切実に思った…つらい……
・笹野さんがいろいろ卑怯(笑)「第三者の〜」とか言い出したところは大ウケ。しかも波状で「……今スルーしようとしたけど第三者って言った?」「聞き流しかけたけど第三者って言った!」てな感じで笑いがじわじわ拡がっていったところが面白かった

・美術協力に山口晃! それにしても贅沢に使うことよ……。江戸の風景に東京が、と言ったような全体的な影響もありそうだが、具体的なラフ案は地獄宿と三角屋敷で使われていたと判断。違ったら失礼
・協力と言わず一度ガッツリ組んでほしいですな! たいへんだろうけど!
・人海戦術ならぬ鼠海戦術も。お岩の赤ん坊を連れ去れるところ、ねずみのあまりの多さに鳥肌が……一匹いた大きいのはみけねこ喰ってました、ゾワ〜

・字幕、『動物のお医者さん』のどうぶつたちの台詞がああいう出し方だったよなあと思い出してしまいひとりでニヤニヤしていた。「なぜだろう こんな花曇りの日は ゆううつになる事があるのよ」