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2016年02月24日(水)
National Theatre Live IN JAPAN 2016『夜中に犬に起こった奇妙な事件』

National Theatre Live IN JAPAN 2016『夜中に犬に起こった奇妙な事件』@TOHOシネマズ日本橋 スクリーン3

2014年に上演された日本版の感想はこちら

2012年の初演版。演出はマリアンヌ・エリオット。主人公クリストファーはルーク・トレッダウェイ、彼のよき理解者・助言者である教師シボーンはニアマ・キューザック、父エドはポール・リッター、主人公に重大な秘密を明かすことになるミセス・アレグザンダーにユーナ・スタッブス。他に五人が出演、計十人で複数の役を演じます。上演劇場のコッテスロー・シアター(現在は改装されドーフマン・シアター)は可動式の機構。今作はアリーナ形式で、四方を客席がぐるりと囲む仕様。キューブで仕切られただけの舞台で、最前列は本当に目の前、といった近さ。

アクティングスペースのフロアにはグリッドラインが引かれている。グリッドにはライトが仕込まれており、明滅する光の線は場面転換のガイド、個々のシーンを成立させる見立て、登場人物の立ち位置、振付のための所謂バミリといった役割を果たす。そしてそのグリッドをガイドに主人公は絵を描く、レゴのレールを敷く、そして目的地を目指して歩く。まるでヘンゼルとグレーテルが落としたパンくずのように、見えぬ道を照らすライトは主人公の心情や行動の指針としても表現される。フロアにはそのライトだけでなく、映像も映し出される。他にも役者がフロアに横たわって座る、歩くといったような、立体を平面に見せる「上空」を意識した演出が多く見られた。主人公が夢見る宇宙飛行士の視点でもある。あるいは優れたアスリートが持つ空間認識能力の高さを示すものでもあると思われる。

劇場は三階席迄あるそうなので、上から観る光景はさぞや美しかっただろう。実際映像には鳥瞰(真上からも!)カメラの視点が多用されていた。これは現場では見られないものだ。とても楽しめた。余談だが先週『僕のリヴァ・る』を観たとき「ああこの舞台、真上から観てみたい!」と思った視点があったことがなんとなく嬉しかった。舞台構造や客席配置にも通じるところがあったな。こういう連続する偶然性は楽しい。

登場人物はときにグリッドに沿い直線的に動く。それは主人公が見て考えている光景でもある。しかし家出をした主人公が駅で遭遇するのは混乱の極みともいえる光景だ。視覚も、聴覚も、その情報量を処理しきれない。同時に流れるアナウンスの量、歩きまわっているひとたちの数……このなかを平気で歩けるということは、ある種の感覚を閉ざしているということだ。自分を振り返り改めてぞっとする。主人公を恐慌に陥れるものを量として見せる、非常に数学的で明快だ。音と映像の洪水、そして主人公の行く手を覆う肉体でその質量を見せる演出が効果的。過剰とも感じるくらいだが、主人公の感覚は状況をこう受けとるのだと解釈すればとても自然なことだ。

数学の世界に社会の曖昧さがぶつけられる。一幕終盤、主人公が誰と暮らせばいいのか「一緒に住めない理由」をあげて悩む場面がある。その理由を言う度に観客が笑う。主人公の焦燥を社会は理解出来ない、その苦しさ。あまりにやりきれない思いで幕間に入ってもしばらく立てなかった。そしてトイレ並びに出遅れた(笑)。

心が寄るのはやはり父親、というのは変わらなかった。壁は高い、時間は長い。それでも彼と息子はいつの日か、再び掌を触れ合わせることが出来るだろうと信じたい。そして教師。幕切れで僕は何でも出来るよね、と訊かれた教師の表情をカメラは捉えない。後ろ姿を撮る。主人公の確信に満ちた、しかし社会的には無邪気ともいえる問いかけに応えられない彼女の表情を、四方を囲む観客の一部は見ることが出来た筈だ。前述の感想にも書いているが、日本版の舞台が上演されたとき、私は教師の表情を見ることが出来ない席にいた。そしてまた、彼女のことを考え続けることになった。

そしてカーテンコール。日本版の演出を手掛けた鈴木裕美さんのツイートから、この「ショウアップされたカーテンコール」はホンに含まれていることを知っていたので、今回もそれを待っていた。日本版上演時、自分は単に楽しいカーテンコールとして観ていた。やりきれない幕切れからのショウに救われた気分になった。しかしそれが何故なのか、どういうことなのか気付いていなかった。別の日に観た友人の言葉が忘れられない。「あのショウに、幸人にとっての数学の美しさとそれでもこの子は頑張るかもしれないって可能性を感じてはっとなった」。そうだ、そうなのだ。

本編中「数学に興味のない観客にわざわざ聞かせることはない、どうやって解いたかはカーテンコールで紹介すればいいのよ」と教師はクリストファーに釘をさす。本編が終わり、観客の拍手に迎えられ出演者が礼、舞台を離れる。観客は帰らない。彼を待っている、解答を待っている。彼が出てくる。拍手を受け、深く礼をする。そして生き生きとした瞳で、表情で、劇場施設と機構の素晴らしさを紹介する。そしてその効果に乗って数式を解く。映画館の観客も帰ることはなかった。カーテンコールは数式の解だけでなく、彼の見ている世界をも紹介してくれる場だったのだ。観客は彼のことを知りたい、理解したい。それが伝わるカーテンコールでもあった。

NT版では、幕切れの主人公の問いかけは日本版よりもドライに響いた。音楽を使う箇所がはっきりしていて、強い客観性を持つ主人公の内面、あるいは社会のノイズを表現する劇伴がつくことが殆どだった。反面日本版には叙情があった。音楽を担当したかみむら周平の特性ともいえる。そういう意味では日本版の余韻も捨て難い。裕美さんと蓬莱竜太の手による日本版の翻案がとてもよく出来ていて、プロダクションも出演者も素晴らしかったなあと改めて思う。しかしこうなると韓国版も観てみたかった、先月渡韓していたとき上演中だったのだ。今後もいろんなプロダクションで観てみたい作品。そういえば、ねずみやいぬがほんものなのは共通みたいですね。かわいかった。

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その他。

『欲望という名の電車』を観たときにも感じたけど、マイク装着は映像用なんだろうなあ。動きまわる役者(特に今作は、ダンス的な振付も多いので)の台詞を集音マイクで拾うには無理があるのだろう。しかし気になる

・ナショナル・シアター・ライヴ 2016 OFFICIAL SITE『夜中に犬に起こった奇妙な事件』

・The Curious Incident of the Dog in the Night-Time | Background pack(PDF)
ナショナルシアターが「Resource packs」として配布している資料。プログラムともいえますね。いろいろと参考に

・Curious Incident of the Dog in the Night-time by adriansutton | Adrian Sutton | Free Listening on SoundCloud
サウンドトラック

・アレクサンダー夫人がオススメしていたバッテンバーグケーキ
食べてみたいようなみたくないような(笑)

(20160226追記:)
・NTLive 「夜中に犬に起こった奇妙な事件」字幕の問題点 - Togetterまとめ
単純な誤訳から誤変換(誤字)迄、NTLの字幕は当初から結構どうなのよて言われてましたよね。これをきっかけに字幕担当の方が交渉してくれるようですよ。好転するといい!