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2015年08月27日(木)
『地獄谷温泉 無明ノ宿』

庭劇団ペニノ『地獄谷温泉 無明ノ宿』@森下スタジオ Cスタジオ

『大きなトランクの中の箱』以来、日本国内では約二年振りの新作。と言う訳で観るのは二作目、アトリエ「はこぶね」での上演を逃しているのは残念で仕方がないが、空間と機構を活かす、と言う面では、森下スタジオでの公演を続けて観られたことはよかった。前回同様、四面構造の舞台が場面転換により回転していく。宿の玄関、宿の部屋、脱衣場、湯殿。うち宿の部屋は二階。三場のうち一場が二層になっている、と言うところも『大きなトランクの中の箱』と共通しています。各々の場の再現度も素晴らしい。建物と調度品のエイジング、時間とひとの手垢が染み付いた空間。これが数週間しか現存し得ないとは…舞台は幻だな、とつくづく思う。

宴会の余興で人形芝居をやる父子が依頼の手紙を受けとり、やってきたのは北陸の山深く。しかし到着した宿の様子がなんだかおかしい。宿泊客に聞いてみれば、いつからかこの宿に主はいなくなり、近所の者たちが勝手に施設を使っていると言う。帰りの足もなくなり、手紙の差出人も判らぬまま父子は宿でひと晩過ごすことになる。通された一階の相部屋には盲目の青年、上の部屋には老婆と芸妓ふたり。主のいない宿の管理は三助が請け負っている。この三助、個人名ではなく役職名。無口で字も書けないと言うこの男の本名を誰も知らない。

東京からやってきた人形芝居のふたりは父子、芸妓のふたりは擬似母娘で、老婆は年長の芸妓と擬似母娘。青年と三助の縁者は不在(不明)。宿泊人たちは東京からやってきたと言う父子に人間的好奇心と性的興味を以って接し、父子はある方法でそれに応える。三助はひたすら献身する。

いやー…感想がそのまま心理分析の材料にされそうでおそろしいわこれ(笑)トランクから取り出された人形は、まんまペンフィールドのホムンクルスでしたし。ホムンクルスは「小人」の意味を持つ。父役にマメ山田が招聘されたことを考える。ふと思い出したのはNYLON100°Cの『2番目、或いは3番目』。しかしここに憐れみはなく、共同体への示唆がある。人形芝居の父は自分をさして「むごいもんだろ」と言う。一度も学校に行ったことがないと言う息子は「父がそう決めたんです」と言う。芸妓のひとりはこどもを望んでおり、「旦那も応援してくれてるの」と、三助に夜這いをかける。ペニノにおける「悪夢」を今回担うのは盲目の青年。他人との接触を望む気持ちと、それを恐れる気持ちとの谷間に転落する。

最後「あ、よかったねえ」と思ってしまったクチです。ことほどさように、命と言うものはポジティヴな輝きを持っている。依頼の手紙の文末には平成25年とあった。北陸、開発、新幹線と言うワード。消えていく集落、消えていくフォークロア。しかしそれは本当に消えていくのか? ナレーションは「いつでも、いらっしゃい。お待ちしています」と言ったように記憶している。ひとの営みは案外したたかで逞しい。

礼儀正しく、ひとを惹きつける空気をまとっている、しかし背景が見えない。すっごい得体知れなくてこっわ! て思った息子役の方は初見。唐組の方だった、辻孝彦。芸妓の久保亜津子と日高ボブ美の襞のような質感。謎の集落に暮らす婆と言うイメージをしっかと観る側に貼り付けてくれた石川佳代、『大きな〜』で父親を演じた飯田一期が天涯孤独な三助を演じたところに興味。森準人は痩躯とその(見えない)瞳が印象的。田村律子のナレーションも、奇譚を語るにぴったりな味。

胡弓も三味線も、もともと演奏出来るひとを選んだのか公演のために稽古したのか…見事でした。そのうえまっさらな肉体を晒すと言うハードルもあるから、腹が据わってないと出来ないなあ。美術が注目されがちなペニノだけど、演者もすごい。

欲求が生じたことを少し。父親に抑圧され続ける息子、と言う描写に終始していた(他の登場人物もそう理解している)ふたりが、帰路の際交わした笑顔についてが、ナレーションのみで説明されたこと。これは実際に目にしたかった。強烈な存在感を持つふたりが父子を演じていたから尚更。老婆が若い芸妓に三味線を教えるやりとりも、ナレーションの前振りなしで表現出来たのではないかなと思う。

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・「大きさではなく、芸を買ってくれ」日本最小手品師・マメ山田“小人の哲学”|エキサイトニュース
デビューの経緯等、マメさんのまとまったインタヴューってあまりないように思うので読めてよかった