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2014年11月08日(土)
『サナギネ』

ベッド&メイキングス『サナギネ』@青山円形劇場

一日でマチネ:幼生サイド、ソワレ:成体サイドを観ました。双数姉妹による1994年の初演を観ているのですが、この形式になったのは再演からだそうです。そして今回の公演にあたり、上演台本として福原充則さんが新しく構成しなおしたところもあるようです。

もう全くの別ものと言っていいのですが記録として書いておくと、初演は『青山演劇フェスティバル〜女子高生1994〜』参加作品。太宰治の『女生徒』がモチーフ。チケットを東西南北の4ブロックに分けて販売(確か選べなかった)。幼生、成体と言う名前もついておらず。舞台は大きな壁で分割され、向こう側の声は聴こえる。それがお互いに影響を与えているかは判らないまま。壁は一度も開くことはなかった。と言うか、開く機能はついていない、そびえ立つ山のようなオブジェだったように記憶している。ベルリンの壁崩壊から五年、お互いは「向こう側」にどんな思いを募らせていたのだろう、などと思い乍ら観た。

美術も衣裳も白が基調、小野啓明さんと五味裕司さんがいぬらしきいきもので、不安定な女生徒を終始心配そうに見守っていた。衣裳や動きから成るふたりの容貌がとてもかわいらしかったのを憶えている。あと明星真由美さんがさんま食べたい食べたい〜とか言ってた(笑)、向かいの席に座った人物の心中を勝手に想像して喋るとかそういうのだったかな。ちなみに予算の都合上、片方のサイドしか観られませんでした(トホホ)。

と言う訳でその初演とも、(自分が抱いている)双数のイメージとも全く違う印象。ストーリーそのものもだが、双数と言うと観念的な言葉、抽象的な美術と衣裳を役者たちのエチュードによって実体化すると言うカラーがあった。と言っても、それは自分が観ていた1995年迄の印象だ。再演以降、劇団の方向性が変わっていったのかも知れない。そこへ加わった福原さんの視線には、生活の実感があった。ホームドラマのフォームを使い、人生を描く。ひとりの女性が故郷を出て行き、都会で流され、その自分をどうでもいいと思い乍ら、こんな筈じゃなかったとも思っている。過去の自分と未来の自分が、現在の自分の目の前に現われる。彼女たちは言葉を交わし、それぞれの時間を生きていく。過去の自分に説教されないように、未来の自分が達観したまなざしを持てるように。

『走れメロス』のモチーフは、福原さんの加筆によって大きくイメージが拡がったように思う。宮澤賢治のテキストもあり、『はぐれさらばが“じゃあね”といった』が思い出される。双数の観念=哲学はここに活きている、と感じた。ひとがひとり生きて死ぬ迄に、どれだけの生活が積み重ねられるのか。どれだけの思いが交錯し、他者の気に留められないまま消えていくのか。それが自分にとって、どれ程壮大な物語なのか。今回の演出版を観られてよかった。

幼生→成体と時系列通りに観たことになり、謎が順々に解かれていくような心地よさもあった。マチネで向こう側からどっと笑い声が聴こえる度(この日のマチネは成体サイドの方がドッカンドッカン受けている感じだった)何をしているのかなと思い、その箇所がソワレで判明すると二重の意味で笑える。余談ですがキンコのとらのバッグ、伊達直人=タイガーマスクかーい! と気付いたときの、目の前がパカーンと開けた感じは気持ちよかったわー(笑)。両サイドが繋がる場面、タイミングを合わせるための間を「チンポジをなおす」で埋めたところも最高。

青山円形劇場入り浸り。もうすぐお別れ。