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2014年10月11日(土)
『ジュリアス・シーザー』

『ジュリアス・シーザー』@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

「ブルータス、おまえもか!」を初めて生で聴けた感動な! アガるわ! そしてちょうエモ合戦なのに台詞が通る通る。演者のすごさな……。ブルータス=阿部寛、キャシアス=吉田鋼太郎、シーザー=横田栄司、アントニー=藤原竜也の、言葉を伝えるスキルがとにかくすごい。

前述の名台詞はよく知られているのに上演の機会はそう多くない。この彩の国シェイクスピアシリーズでも、これだけ後の上演になったと言うことからも判断出来るように、ん〜? と言う部分が少なくはない作品です。しかしそういうものでも演出と役者の力で見せきれるものですね…とそこにまず感心しました。通路使いが多くてしょっちゅう役者さんたちが近くを通ったんですが、メイクがいつにも増して厚塗りのようにも感じた。横田さんも藤原くんも元の人相が曖昧になるくらいの塗りっぷりで、もう「お芝居として大仰に見せます!」てメッセージすら感じるくらいでした。それが功を奏していたようにも思います。演説シーンといい言い争いのシーンといい寝た子を起こす勢いと言うか…実際となりのおばあさん、上演中三分の二いや五分の四は寝てらっしゃったんですが(…)鋼太郎さんが今回よく使った(意識的でしょう)大袈裟な芝居のところでは起きてらっしゃいました。

そうなんですよ、鋼太郎さんがノリにノッてて。結構な悲劇なのに鋼太郎さんのとこだけ笑いが出たりしてたよ……舞台あらしギリギリ。ここで笑わしにかかるか? と感じる箇所も個人的には多々あり、で、まあ、正直に言うと退いてしまって(いや私鋼太郎さんのことすごく好きですし、彼が出演した他作品ではこんなこと思ったことないんですよ…)「悲劇における笑いの使い方」について考え乍ら観てしまった。しかしお客を楽しませようと言う意気はとても感じましたし、実際観客の関心を惹き付けていたと思います。あとやっぱり散々笑わせておいてもキメるところはキメる。あれだけぶつかりあったブルータスとキャシアスの、今生の別のシーン。これ迄の激情は何だったの? と感じる程実に淡白なのですが、ここに到る迄の情交が濃かったからこそ、全てが過ぎ去ったのだと感じさせる別れはキます。

そして過剰なキャシアスがいることで、ブルータスの揺れや思慮深さとのコントラストがハッキリする。パンフレットによると阿部さんは蜷川さんに「声が小さい!」と怒られたそうですが(笑)、その大きくない声こそがブルータスの人物像を明確にし、観客がその心情を探るキーにもなっていました。小さくてもしっかり台詞が通る、伝わるところもよかった。

阿部さんと言えば、彼が出ていたからとか、セットが大階段だったからと言うだけではないと思うけど、あのエモさと言い、男性同士の愛憎(二幕目中盤のあれとか痴話喧嘩にしか見えん)と言い、二反田さんの階段落ちと言い、つかこうへい…を連想したのは意外な収穫でした。気になって帰宅後つかさんとシェイクスピア作品について検索してみたら、松岡正剛『千夜千冊』の『リア王』がヒット。興味深く読みました。つかさんが『ジュリアス・シーザー』についてどう思っていたか知りたいなあ。そしてつかさんが今も生きていて、今回の演出観たらどう思ったかな。観てもらいたかったな。

・600夜『リア王』ウィリアム・シェイクスピア|松岡正剛の千夜千冊

そうそう、セットの大階段なんですが、役者の立ち位置によってその上下関係や、今どちらが優位に立っているかが視覚化される非常に機能性のあるセットでした。三分割した真ん中の階段を取っ払い、そこでブルータスとキャシアスがいい争うシーンも、両サイドの高い階段により閉塞感、行き詰まり感がありよかった。出演者の膝にとても負担のかかりそうなセットなので(また階段ひとつひとつの段差がかなりあるんだ。その方が駆け上がるとき見映えするものね)、皆怪我なく千秋楽を迎えられますように。そして二反田さん、千秋楽迄ご無事で……!

あと訳が絶妙だったように思う。シーザーの口調とかちょうかわいい、「シーザーは出掛けない(もん)!」と、語尾に「もん!」が聴こえるような…クマモンか(笑)。横田さんの声がまたよくてな。藤原くんの「運命の女神は上機嫌だ!」て台詞も響いたわー。楽しゅうございました(あれ、悲劇なのに? とまた考える)。