初日 最新 目次 MAIL HOME


I'LL BE COMIN' BACK FOR MORE
kai
MAIL
HOME

2013年01月26日(土)
『祈りと怪物〜ウィルヴィルの三姉妹〜』蜷川バージョン

『祈りと怪物〜ウィルヴィルの三姉妹〜』蜷川バージョン@シアターコクーン

さて蜷川版です、ケラ版の感想はこちら

テキストの分量は違いました。トビーアスの長台詞や、ヤンと対話する異形の存在が具象で登場する場面はケラ版にはなかったものです。同じ上演台本で(戯曲は出版のため早めに提出した、上演用の最終稿ではないものと思われる)、ケラさんが「上演時間の都合でやむなくカットした」箇所を蜷川さんはカットしなかったのでしょう。にも関わらず、実質的な上演時間はほぼ同じ(ケラ版は休憩各10分、蜷川版は各15分)で、体感時間は蜷川版の方が短かった。簡素化し機動力を活かした装置、時間の経過や場所の移動を字幕で提示することにより情報処理のスピードを上げ、観客にフィジカルな鑑賞を促したからだと思います。

フィジカルな鑑賞、と言うのは、字幕を読んだりコロスのラップによる群唱に耳を傾ける行為。実際はラップが聴き取れなかったり(これはラップを使わなかったケラ版でもそうだった。群唱の難しさですね)ト書きの字幕を読み切る前に次の場面が始まってしまったりすることもあり、私の後ろで立ち見していたおじいちゃんとおばあちゃんの三人組は「(字幕の)字が小さい、見えない」と漏らしていたのですが、休憩時間の会話(聞こえちゃった)からするとストーリー展開についていけてないと言うこともなく、「おもしろかったね〜!」と帰っていった。元気…4時間超ですよ?隣の立ち見の若者は靴脱いでぐったりしていたと言うのに。そう言えば立ち見客に結構年配のひと多かったなあ。そしてコクーンの立ち見エリアって、休憩時間ピクニックっぽくなりますよね。フロアに直接座ってチラシ読んだりしてて(笑)。

閑話休題。これらは観客の注意と興味を引き、ぼんやりしている暇を与えない=退屈させないことが狙いのフックで、極端な話、字幕は開演前に提示されていた序文だけを心に留めておけば充分だったと思います。ラップによる群唱は成功していたとは言い難く(ラップのためのテキストではない=韻を踏んでいないのでリズムに乗せるとセンテンスがガタガタになる)、ケラ版のコロスとは違うことしたるでと言う後攻の強迫観念と言うか意地にも感じられました。サービス精神の表れだと思えばご愛嬌。有頂天がカヴァーした「心の旅」を劇伴に起用、曲が流れる間字幕にタイトルと「歌唱:KERA(ケラさんがいたバンド=有頂天、だと知らないひとのためへの親切心!)」と提示したところは、ケラさんを意識した蜷川さん流のナンセンス演出と解釈しました。

スピードと言えば、パブロとレティーシャの恋はロミオとジュリエットを彷彿する破滅的なスピード感がありました。ふたりでウィルヴィルを出ようと客席エリアで激しく抱き合うところは、蜷川さんらしいドラマティックなシーンになっていた。個人的にはどちらのヴァージョンもパブロに感情移入することが多かったのだけど、公園くんと満島くんどちらのパブロにも違う魅力を感じて惹き付けられた。公園くんのパブロには何ごとにも没頭出来ない迷いからどこにも居場所を持てない寂しさを感じたが、満島くんのパブロには何にでも激しく没頭してしまうが故の、どこかに所属し誰かと繋がっていたいと言う愚かさが悲しかった。

ケラ版で感じた“おとぎ話”感は薄れ、ウィルヴィルの滅亡を観測すると言う鳥瞰から、ウィルヴィルの地に引きずり降ろされたうさぎの視点へ。他人事ではない、自らの老いと死を意識する。年老いたドン・ガラスが渋谷の雑踏へと消えて行く、劇場には寒気が吹き込んで来る。ケラ版を観たときには連想しなかった松尾さんの『生きちゃってどうすんだ』を思い出した。劇中繰り返し流れるのは、ギャビン・ブライアーズ『タイタニック号の沈没』からの主旋律。鳥たちはレミングさながら船=ウィルヴィルから脱出を試み、それは結果死を招く。弦の調べは死者(二度と会えないひとと言う意味でもいい)へのレクイエムにも、生き残った者へのアンセムのようにも響く。祈りは届かない、それがどうした。老人のタフさとしたたかさを感じる幕切れ。蜷川歌舞伎と揶揄されることも多い仕掛けの数々―本水を使った雨、開放されたステージ後方から登場人物が劇場の外へ出て行く―は、何度も見ている演出にも関わらず心に迫りました。

これ迄三作コクーンの演出対決を観てきましたが、作家の劇世界がそのまま反映されているであろうヴィジュアル含む舞台のありようはケラさん、野田さん(『パンドラの鐘』)のものが好きなのに、劇中の登場人物にどうしようもなく惹き付けられ、ドラマに没入出来るのは蜷川さんの方でした。一作目の『零れる果実』(作:鈴江俊郎、演出は蜷川さんと佐藤信)のように、作家本人が演出しないものでまたの対決を観てみたいと言う欲求も沸きます。思えばこの演出対決、蜷川チームは勝村さん皆勤なんですよね。

-----

その他。

・深谷美歩さん(多分三姉妹の末妹役)どうして降板しちゃったのかな…稽古始まる前?ってくらい早い段階で降板がアナウンスされたようですが。ネクストシアターにももう名前がないし(これは卒業ってことかも知れないけど)、次はどこで観られるんだろう。残念
・役へのそれぞれのアプローチの違いも面白く観たんだけど、三女の役に関してはどちらのヴァージョンともすごく筋が通った似通い方だった。どんなアプローチをしても辿り着くところは同じと言う強烈な人物像だったってことかな

・新川さんが身体能力を活かさない(蜷川さん曰く「筋肉バカ」ではない)役(ローケ)を演じていて、それがまたすごくよかったのが嬉しかったな
・長くニナカンを観てきている者としては、大石さん(アリスト)とのやりとりにジーンときてしまった
・と言えば大石さん、確かに痩せてたわー(パンフに演出家からの指示でダイエット中とあり)もともと細いひとなのに。憔悴が表れててよかったな…元は善人なのに状況的に悪人にならざるを得なくてしんどい、みたいな
・だからあの夫婦が(その後どうなったかは判らなくても)あの家を出て行けたことはとても嬉しかった。純粋に幸せを願えるふたりだった

・染谷くん初舞台とは思えない、声もよく通るし堂々としたもの。眉の色変えると別人みたい!あの眉存在感あるもんね

・『金閣寺』のときにも思ったけど、森田くん小さい声でもすごくよく通りますね。劇場のサイズを把握して声を届ける印象。抑えてきたトビーアスの感情を爆発させるモノローグとの緩急も素晴らしかった

・そうだーさとしさん左利きだった。ギッチョダー。勝村さんもギッチョダー
・さとしさん(ダンダブール)と三宅さん(パキオテ)のやりとりは心和むひととき。それもあってパキオテが死んだとこでは泣いちゃったわよーうえーん
・パキオテの「なんだね」「そうかい」が自分内で今流行っている
・あとドンドンダーラの「おなかがすいたよう」も流行っている