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2009年10月29日(木)
『印獣』

ねずみの三銃士『印獣 ―ああ言えば女優、こう言えば大女優』@PARCO劇場

はひーギリギリ入場、危なかった…。そもそも一週間前に@ぴあ覗いたらあって、慌てて入手したのだった。あんだけプレでも一般でもとれなかったのにどういうことだ、何の戻り?諦めてたひとはチェックしてみるといいですよ、友人なんか一般前売日に東京とれなかったから勢いで名古屋公演とって遠征ですよ…。

だいたい『鈍獣』もとれなくて観ていないのであった。DVDにもなってるし映画化もされたけど、どうも舞台を逃すとそのまま観ない性格なもので。と言う訳で前作と繋がっているモチーフや小ネタがあるかは判りません。

女優の業 VS 作家の業、どっちが深いか?

以前吉祥寺でクドカンを見掛けてギョッとしたことがある。あまりに異様な風体だったからだ。格好が変とか悪目立ちしていた訳ではないのだが、目だけがギラギラしている骸骨みたいだった。猫背でタワーレコードの袋を持ってゆらゆら歩いていた。即座に本人とは判らなかった程だった。

バラエティの構成もやるし、コントも書くし、常にギャグはあるしで時々忘れがちだが、このひとは『熊沢パンキース』の内藤のように、あっちとこっちの境界線に立っていて、あっち側に落っこちる。落っこちたそこで書く。そのバランス感覚がすごい。今回はその「あっち側」のクドカンが全開です。そしてそれも、「あの3人がこういう芝居をやりたいと言ってるから書いた」んだろう。そういうところがプロフェッショナルなんだろうな。以下ネタバレあります、未見の方はご注意を。

三田佳子を迎える、女優の自叙伝を書くために僻地に招かれた3人の作家の物語、と言う事前に判っていた要素だけでもこりゃヤバいと言う感じはしたし、観客はそういうエゲツないことへの欲求がとても高いので、ヌルいものなんかやる訳がないと期待している。とは言うものの、よくこんなもん書いたなあと思い、よくこんなもん演じたなあと思い、そしてよくこんなもん舞台にしっかり上げる演出をしたなあと思った。虚構だと判っていても、現実に起こったことをやはり連想してしまうし、現実がもっとエゲツないことであろうとも、目の前で起こる虚構を一瞬でも信じることが出来、少なからず心に穏やかでない波が立つ。虚構が現実を凌駕することは間違いなくあるのだ。それは事実と真実が違うことと同じだ。

これを観て、それでも「こっち側」からなんだかんだ言える程こちらも潔癖な人生を歩んでいる訳ではない。だからと言って、「こっち側」にいられることが幸せだとも思わない。「こっち側」でいられるひとたちについてもチクリと書いていたところも巧かったな。ちょっとした顕示欲、ちょっとした誇張、ちょっとした悪意。それがどれだけの破壊力を持つか。

三田さんと、生瀬古田池田の3人はもう鉄板ですが(て最初から思われてるからハードル高いよね…)、あとのふたり、編集者・岡田義徳さんと女優のマネジャー・上地春奈さんもとてもよかったです。岡田くんて調子のいいテンパッた人物やらせるとハマるよねー(笑)。上地さんは初見でしたがお笑い畑の方なんですね。芝居にお笑いのひとは強いと言う定説はありますが、それにしてもまあよく見付けてきたなと言う感じ。成志の九州弁は聴き取れたけどこのひとの沖縄弁は聴き取れなかったわ…。彼女のキャラクターが強烈だったが故、マネジャーが最後どうなったかが描かれていなかったのがちょっと残念かな。あの女優についていたマネジャーな訳ですから、何かしらの背景があると思ってしまうし。

いやーそれにしてもあのシーンで成志に「あんたは女優も母親もやりきれてない」って言わせるかね。当て書き、空気読まない(笑)。こんな時に嫁と娘がフィンランドにエアギター世界大会行ってるだけある(笑)。生瀬=二世作家であることにコンプレックスを持っているケータイ小説家、古田=量産型の風俗ライター、池田=他に書きたいことがあるけど今はこれをやってます絵本作家、と言う役柄なんですが、いちばん得体の知れない、書く根拠が全くないってのがふるちんってところも巧いこと当てたなあと…とは言っても、それは公的なふるちんのイメージ(それがイメージってのもすごいが・笑)の一面でしかないのだろう。最後に書ききったってのが生瀬さんだってことも。

そして三田さん。ランドセル姿やセーラー服姿、毒マグロ貴婦人姿と言うヴィジュアルだけでも相当すごかったが、「女優だから、女優なら」男役をやっていれば役に入り込んでいるので妊娠しないと言われても(そういう無茶がうっかり通用しそうなのが、女優と言う記号の恐ろしさでもある)妊娠はするし娘を産む人物。そして「あんたは女優も母親もやりきれてない」と言い放たれる。と言うヘヴィーな役を演じきる“女優”です。よく思い出すのが、つかこうへいが筧利夫を評した「彼は人間じゃなくて役者と言ういきものだ」と言う言葉。今回の台詞にも同じようなくだりがあった。三田さんは“女優”と言ういきもの、と言うか、“女優”と言ういきものとしての生き方を選んだひとなんだ、と思った。

あーあとここ最近のクドカンの作品は、父親になったこと、娘さんを持ったことがちらちら影響として出ているなあと思うことが多々ありましたが、これもきっと「父親になったクドカンがどういうものを書くか観たいんでしょ?」とちゃんと把握して書いてるんだろうなあと思ったりした。そういう面から、作家・宮藤官九郎の業が垣間見える作品で、役者陣がそれを真っ向から受け止めた作品にも思えました。その役者の業=懐の深さにも胸がざわめいた舞台でした。

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■オープニングが
夜中に車で移動中、ってシーンだったんだけど、数秒のうちに『ヴァンプショウ』、PARCO劇場での再演、成志演出、最後に観た伊藤さんの舞台、と言う情報がわあーっと頭に溢れてちょっと動揺した。そういえば『ヴァンプショウ』再演にはマッチャーも出演していたな。初演で成志が演じた役だった

■音楽
よかった。カーテンコールは渋さ知らズだったんだけど、渋さがこんなに禍々しく聴こえるとは新鮮

■ぴーとさんとこで知りましたが
今度の『情熱大陸』はふるちんです。『印獣』の稽古風景も観られるかな