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2007年12月15日(土)
『死ぬまでの短い時間』『わが闇』

なんかいつの間にか明け方になっている…おかしい!と言う訳であとでちゃんと書く…か、書きたい…けど先にこれだけ。ナイロン新作、素晴らしい…!『消失』以来3年振りの新作ですが、ケラさん冴えまくっている…出演陣もスタッフワークもすごいです。迷ってるひとは是非、是非観てください!当日券も基本的に毎日出してるそうなので。3時間15分、幕間の休憩10分。トイレは激混みなので水分控えめにして行きましょう(笑)

毎回なげーよと文句言ってますが、て言うかね、長いのは別に苦ではない場合が多いんです、面白いし。しかし例えば5回繰り返すところを3回でもいいと感じる箇所があったりするんです、そこ迄親切にしなくていいから、観客をもうちょっと信用してくれないかなと思うところが。今回は、それが、ない!なくて、この内容で3時間15分ならもう何も…!

ナイロンは毎公演DVD出すし、後で映像で観ようと思えば観られますが、今回の文字通り舞台がきしむような緊張感と歪み、照明と映像の鳥肌がたつような効果はその場で観て肌で感じるのが絶対いいと思います。行けないひとには悪いが、本当この作品は生で観てこそだと思います。

劇場のスペシャル感と言えば『死ぬまでの短い時間』もそうですな。やっぱりベニサン・ピットはいいなあ〜。と言う訳であとで書き足しまする〜ねもい。明日(つうかもう今日)は暗黒舞踏観るんで、頭シャキッとさせとかんと絶対寝る(笑)

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「ナイロンいつ観に行くの?」「明日っす!」「そう、今回はいいよ〜。長くてもあれならいいと思えたよ。そんで今日のキクチのトークと、先週のライヴとなんとなく繋がるよ…あとね、(岩松了の)『市ヶ尾の坂』とか(永井愛の)『萩家の三姉妹』が好きなら……」「え、マジで!?明日岩松とナイロンのハシゴなんすよ!」「ほんと?それは面白いね。あと(チェーホフの)『三人姉妹』ね」「そりゃ楽しみっすね…『市ヶ尾の坂』大好きでしたもん」

と話したのが金曜日の帰り道。先週のライヴで、菊地さんは「もう俺はどこでやっても一緒なんだよね、ピットインでもオーチャードでも。お客さん大好きになっちゃうの、お客とここで暮らせないかなと思うもん、家族みたいなもんなんだよ」と言ったのだ。以下ネタバレあります、未見の方はご注意を。

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M & O plays『死ぬまでの短い時間』@ベニサン・ピット

岩松了、初の音楽劇。しかし岩松了なので、普通に予想するような音楽劇では勿論ありませんでした。音楽が同居する芝居と言えばいいのか…。

自殺の名所に「仕事だから」と自殺志願者を運ぶタクシー運転手、シミズ。「崖っぷち迄」と行き先を指定され、到着後客が崖っぷちから飛び降りようがどうしようが、運転手にはどうしようもない。彼は非難を浴び乍ら、今日も「崖っぷち迄」と乗り込んで来たフタバを運ぶ。フタバは男を殺して来てる。死ぬまでの短い時間をほんのちょっと共有した、男と女のストーリー。彼女は死んでいる/死んでいない、死んだことに気付いていない幽霊/いや、そもそも死んでいない。ふたりが過ごした時間は何なのか。直接的な描写がなくても、岩松了の書く男と女には常に色気がある。

5人の登場人物は皆癖があり、しかし孤独で、寂しい生き物。そしてお互いに手を差し伸べられない。立っているだけで、ひとり、ひとりだと言う影を背負っているようでした。ひとは誰でもそうで、そうなると求めると言う行動が出てくる筈なんだけど、シミズとフタバのふたりは諦めなのかそんな気力もないのか、お互いをはぐらかしてばかり。それがもどかしくも切なくてよかったな。『シブヤから遠く離れて』が好きなひとはグッとくるんじゃないかなあ、この作品。

北村さんはVシネでも映画でも一匹狼的な役を演じることが多いですが、今回もひとりで生きざるをえない男を魅力的に演じていました。そんな男だけど姉夫婦とは繋がりがある。姪っ子をかわいがっている。姪っ子はかわいい、プレゼントをよく持って行く。それでも、ひとり。秋山さんはもともと芸達者な方ですが、こういう謎な女を演じるとむっちゃ輝きますね!そら孤独な男も惹かれますがな。田中さんは初舞台とは思えない思い切りっぷり、内田さんも岩松作品特有のピリピリした女をかわいく憎めないキャラクターに演じており素敵でした。電話ボックスのシーン格好よかった!古澤さんは初見でなんだこのキショい役者は(ほめてる)!と思ったらゴキコンのメンバーなんですね…成程(納得するな)巧いな〜。トリティック・テへダスの生演奏も格好よかったです。ベニサン・ピットの怪しいロケーションも相俟って印象的な舞台でした。

「角の弁当屋がなくなって、道に迷ったひとが沢山出たそうだよ」って台詞があってウケていた。森下駅からベニサンへ行く道、長年の目印になっていたお弁当屋さんがなくなっていたのだ。森下の景色も変わっていく。

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NYLON100°C 31st SESSION『わが闇』@本多劇場

さて改まって書くとなるとどう書けばいいのやら…。ストーリー等は他のところに詳しく出てると思うのでそちらを見てくだされ…。

父の遺言で、家族のわだかまりが解ける。ずっと娘たちに背中を向けてきた父が、死と引き替えに振り返る。作家である父と同じ道を選んだ長女は誰よりも父を理解したいと思い、実際そうであることを父に気付いてもらえていないと思い苦しんでいた。いちばんかわいがられた次女は父から誤解されていると思っていた。末っ子の三女はいちばん心配されていた。誰にも気付かれることなく、アルバムに貼られた写真の裏に言葉を遺した父は、誰からも気付かれることなく笑顔で逝った。

それは救済であるかのようだ。

ケラさんがごあいさつにも書いていたが、劇団ならではの強味を活かした作品とも言えました。それぞれの役者の力量に加え、遅い脚本(苦笑)にも対応出来る阿吽の呼吸。そしてその脚本も、ある意味あて書き。あて書きと言うのは、その役者のプライベートな面を引き出して書くと言うのではなく、この役者ならこれが出来ると言う信頼感からのものだ。そういう意味では客演の3人もすごいなと思った。まるで劇団員のように馴染んでいる。そしてそのような役割を振られているとも言える。こんな座組は、プロデュース公演では実現しない。逆に言えば、劇団の懐の深さ、度量を見せつけられた。

そしてケラさん言うところの「無駄」や「寄り道」、これがあるからこそ深みが増したストーリーに思えた。悲劇的な局面には必ず笑いも付いてくるものだ。あたふたしているから、追い詰められているから突飛な言動が出てくる。紙一重だ。その方がリアルだと思う。悲劇的な面ばかり拡大して描き、それを泣かせるカタルシスに持っていく最近の「泣ける」ものにはどうしても違和感がある。

「無駄」「寄り道」には、後で振り返ってみると大事なものが含まれている。それは機能的なものでも、形になるものでもないが、不思議と心に残るものだ。思い出と言ってもいい。三姉妹の共通言語「ダバダ」とそのコーラス、雷が鳴るとハイになる大人たち(それはこどもの頃からそうなんだろうと思わせられる)、書生の三好の服のセンスはどうにも調和がない、恋愛第一で仕事は上の空の大鍋は大事なビデオを紛失するが、それは忘れた頃にトイレから出てくる。皆藤の妹はひとを噛む癖があるが、兄のことをとても慕い心配している。義兄に襲われた三女は「私だってこういうことしてみたいのよ」と言う。その「こういうこと」は「黙っておく」ことなのだが、編集者は「義兄に襲われてみたいってこと?」と誤解する。

登場人物は皆自分勝手だが、それはあたりまえだ。人間は決してきれいごとだけでは生きていけないからだ。糾弾するのはたやすいことだが、それを清濁併せ呑み、吸収する家族の大きさと言うものが描かれている作品だった。

ここでポイントになるのは次女の亭主。敢えて書かないと語り手は言うが、「笑っていてほしい」との父親の遺言を読んだ次女は、離婚するだろうと思わせられたし、離婚してほしいとも思った。男のダメな嫌な部分を凝縮したような(そしてこういう人物はデフォルメでなく実在する)寅夫だったが、汚い部分も含めて決して共感出来ない人物ではないのだ。時々正論も言う。しかしとてもやっかいなことだが、次女はこの亭主を断ち切らねばならないとも思わせられた。彼はここの家族でいてはいけない。そういう意味では、書生のままずっと家を見てきた“東大のジョー・ストラマー”三好は、どんな他人よりも柏木家の家族だった。

これだけストーリーに入り込めたのも、役者陣が素晴らしかったから。全てを黙って背負おうとする長女役の犬山さんは、落ち着きと激情を爆発させるギャップを3時間と言う時間をかけてじっくり魅せてくれた。次女役の峯村さんは、いろんなことを呑み込んで優しく生きる女性の強さを魅せてくれた。奔放と強さが魅力の三女役の坂井さんは、何度も躓き立ち止まる家族を鼓舞する光(そして勿論影も)を持っていた。松永さん、長田さんも素晴らしい!そしてナイロンに出演する女優は皆声が魅力的。いやもう全くつっこみどころがありません。それはシリアスもコメディも何もかも。

ストーリーのアホな部分を一身に背負った大倉くんは流石だ…最高だ……そしてこのストーリーのいや〜な部分を殆ど全部背負ったみのすけさんも。多分観客皆「こいつ酷い目に遭わないかな、死ねばいいのに」と一瞬でも思ったと思う。それは同時に、観客に自分の嫌な部分を自覚させることでもある。観客全員を敵にまわすタフな、そして重要な役割です。それをしっかり演じてる。不器用な編集者をひたすら切実に演じた長谷川さん、柏木家に一生を捧げた三好役の三宅さん、いちばん正しいことを言っているが裏ではかなりダメな(しかし映画のことを本当に愛しているのだ。そういう人物は総じてろくでなしだ。同時に誠実でもある)男を演じた岡田さんも素晴らしかった。そして父役、廣川さん。倒れてからは姿を見せることがなくなり、出番としては少ないものですが、存在感は圧倒的でした。廣川さんの声も魅力的だよね。それが最後の遺言でとても効いていた。いやはや素晴らしいばっかりです。

演出も冴えまくり。台詞の間、タイミングもかなり細かく指定していると思う。これは初期にかなりトレーニングされたと峯村さんが言っていたので、これこそが劇団の阿吽の呼吸なんでしょう、この独特なリズムは他では絶対に観られない。そしてこのリズムが笑いのツボを徹底的に圧す、同時に痛みを伝える。映像の使い方は『消失』からガラッと変わった憶えがあるが、今回は映像を照明効果としても使う巧みさが見事でした。何度も鳥肌がたった。家全体が歪む装置(軋み音もいい効果になっていた)も、プロセニアムの枠組みで全体を観てこその効果。映像でトリミングやズームアップをしては決して伝わらない。「無駄」や「寄り道」を、全力で観客に届けようとしている。素通りすることは許さないとでも言うように。ナイロンにしか出来ない、ナイロン以外は有り得ない。

もともとナイロンは、劇団と言うシステムに不具合を感じていたケラさんが健康を解散して始めたプロデュースユニットだ。しかし今ではケラさん自身ナイロンのことを「劇団」と言っている。劇団員は家族のようなものだとも。3年振りのナイロンの新作は、家族と言う枠組みの強さと柔軟さ、ひとが生きることを何が何でも肯定する優しさに満ちていた。