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| 2006年11月04日(土) ■ |
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| 現代能楽集III『鵺/NUE』プレヴュー |
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現代能楽集III『鵺/NUE』@シアタートラム
プレヴュー2日目を観ての感想です。実際の初日迄に手を入れると宮沢さんも仰っています。そして多分私は本公演を観に行けません。どのくらい変わるか気になるのですが…それを踏まえてネタバレも全開です、ご注意を。
能楽の『鵺』を現代に置き換える、と言う主題はあるが、もうひとつの主題があった。引用された数本の戯曲からも狙いは明らかだ。登場人物の演出家には、ある特定の人物を思い描くことが出来る。演出家を夢の遊眠社出身の上杉さん、黒ずくめの男を天井桟敷出身の若松さんが演じる。トランジットは新宿だ。同時に発声する役者の中から、誰の台詞を選択するか観客に委ねるシーンが少しだけ出てくる。前述の人物とは違う、あの演出家の手法だ。若い役者たちは、当時の演劇についてクールな意見を述べる。現代演劇の第一世代、第二世代、第三世代……。
ふと気付く。ある世代の、劇作家・演出家の姿がここにはない。多分意識的だろう。そしてその“蚊帳の外”が、あの劇団の作品がどういうものであったかを、顕著に表しているようにも思える。気付かないひとはいない筈だ。80〜90年代に小劇場演劇をひたすら観ていたひとなら。絶対気付く。勿論とりあげられていない演劇人は他にも沢山いる。しかし、この不在には大きな意味があるように思える。
この意識的な排除が、どういう意味を持つのか…。意地悪で、ではないと思う。意味がない、とは決して思えない。自分の解釈が正解かは判らないのだ。しかしひっかかってしまったのでもうどうしようもない。私はその劇作家のことを考えるしかなくなった。
新宿は機動隊(追記:あるいは武力)によって制圧される。演出家は連れ去られる。黒ずくめの男=役者、あるいは運動家は、常に過去形で喋る。そして終盤、彼は死んでいたことが明らかになる。鵺だ。
「何も写らない。何も記録出来ない。」
終盤の台詞。これが演劇でなくて何なんだ!ここでは触れられないあの劇作家の作品も、勿論記録出来ない。記憶に残るだけだ。演劇史には記録されないかも知れない。それでも、あの時あの作品に触れたひとは、いつ迄もそのことを憶えている筈だ。現在の彼は苦戦しているように思う。批判も多い。しかし、残したものは確実にある。そしてこれからも、何かを起こさないとは誰にも言えない筈だ。
てな感じで、自分がどの世代に属するかによって、この作品は印象ががらりと変わる。私はあの世代に捕まった観客なんだなあ、と改めて自覚した。選んだ訳じゃなくて、交通事故みたいなもので、遭っちゃったんだよ。ずっとついてまわるよ。そしてそれは、エキサイティングなことだと思っている。
演出に関しては宮沢さんテイスト満載でかなり好きでした。意外にも笑いどころも結構あります。役者陣は流石にプレヴュー期間で固かった面もあるかな、でも面白く観れました。
この舞台の制作過程を宮沢さんはずっと書き続けています。観る迄読まないようにしていたので、これから読みに行ってきまっす。そしていろいろ考える。 ■富士日記2 http://www.u-ench.com/fuji2/index.html ■『鵺/NUE』公式ブログはこちら http://setagaya-ac.or.jp/nue/
今月は清水さん月間になりそうだなあ。『真情あふるる軽薄さ』をとりあえず読み直してみよう。そして能楽の『鵺』は12月に観る予定なので、今回の解釈を考えながら観るのが楽しみです。
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