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2006年02月02日(木)
『小劇場が燃えていた』

考えているうちに感想ではなく思い出話になってしまった。

■『小劇場が燃えていた ―80年代芝居狂いノート』小森収

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鴻上尚史のユニークなところは、そうした社会に対する違和感を持った人間に、組織抜きで語りかけようとしたことにある。

決意だけなら、どんな孤立した状況ででも可能なのである。そして『朝日のような夕日をつれて』は、日々、孤立感を感じている観客ひとりひとりに目配せをする。ひとりで立て、と。

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「演劇は風に記された文字である」。ここに書かれた舞台はもうどこにも存在していない。それでも、小森さんの筆でその存在が紙面に残された、と言うのはとても嬉しい。特に第三舞台に関しては。

1991年末に演劇ぶっくの編集の方と会う機会があった。「今年のベストは?」と訊かれ、「ZAZOUS THEATERの『ソカ』」と答えた。「ああ、あの初日通信でも絶賛されてましたよ」と言われた。「“あの”初日通信?」「辛口なんですよ」

初日通信の名前は知っていた。定期購読制で、3本程の劇評をホチキスで束ねたものが毎週郵送されてくると言うものだった。『ソカ』の劇評が載ったバックナンバーを送ってもらえないかと問い合わせたら、「可能ではありますが大変な時間がかかります」と返事が来た。ならば結構です、とお断りし、それから定期購読をするようになった。

1996年の最終号迄、それは毎週金曜日に届いた。成程確かに辛口だが、“浴びるほど芝居を観”ているひとの熱があったし、それだけの数を観ているひとならではの的確な指摘があった。舞台に立つひととの馴れ合いがない、ひたすら客席から観た芝居の数々。ネットも普及していない頃で(Niftyはあったが)、情報源としても重宝していた。ZAZOUS THEATER『欲望という名の電車』上演中止を最初に知ったのは初日通信の記事からだった。『SWEET HOME』騒動の続報も、祈るような気持ちで待った。

その初日通信を発行していたのが、小森さんだった。

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ひとり第三舞台の客席に座り、そして、自分に対するある肯定的な感情を、そっと感じ取って、現実の社会に戻っていった観客が、確実に存在した。それは理論的な存在ではなく、具体的に名指せる人として。私にそう言い、それに対して私がうなずいた観客が。

公演のチケットがプラチナペイパー化し、入手出来なかったファンが荒れるという騒動になってからは、こちらも腹をくくった。場合によっては、鴻上尚史より、第三舞台より、その公演そのものより、あの時の観客と同じ立場にいることを選んだ。

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第三舞台の人気は異常とも思える様相を呈していた。『朝日のような夕日をつれて'91』は、チケット発売日の10日以上前から紀伊國屋前に行列が出来た。劇場側が徹夜組を減らすために、整理券のための整理券を配付するなど苦慮していた。

情報戦のようなところもあり、皆が疲弊し、疑心暗鬼になっていた。それに乗っかりきれなかった自分は一般プレイガイドに並んだ。無駄だった。その後は『ハッシャ・バイ』(これも全くダメだった)を除き、順調に観ることが出来た。

『ファントム・ペイン』のチケット発売日、フジロックフェスから帰途の新幹線車内にいた。各優先全てに落選し、もうこの日しかなかった。友人にチケット予約を頼んでいた。一緒にいたあのじさんもそうだった。携帯に着信があり、メールを覗いたあのじさんがポツリと「ダメだったって」と言った。当日券もとれなかった。

最後に観たのは『朝日のような夕日をつれて'97』千秋楽だ。当日券で滑り込んだ。
(追記:あっ、ぴーとさんのサイトでツアー日程見て思い出した。最後の最後に観たのは、福岡公演の『朝日〜'97』だ!この年会社辞めて、勢いで福岡迄観に行ったんだ!(笑)地元だったので、松重さんのシーンは盛り上がってましたよー)

第三舞台に関しては、周囲にコアなファンが多かったこともあり、一歩退いて見ていたところがあった。それでも、その時代その現場に居合わせたと言う感覚は強い。終演後客席からしばらく立ち上がれなかったことも、劇場を出てもなお涙が止まらなかったこともある。その感覚は異常だとは思わない。自分にとってそれだけのものを、彼らに見せてもらったと言う事実だけがある。第三舞台はそういう存在だった。

それを他者にどう説明すればいいか、今でもよく判らない。しかし、この本には、それに対する答えのようなものがあると思えた。第三舞台に関して、そう思える文献はなかなかない。

時が経つのは早い。もう5年経った。あと5年だ。あと5年経ったら、第三舞台は活動を再開するのだろうか。そして小森さんは観るだろうか。何かを書くだろうか。

そして自分は?現場に居合わせることが出来るだろうか。そして何を考えるだろう。

90年代前半迄を取り上げる予定だったそうだが、頁数の関係で、80年代のものが殆ど。最後は飴屋さんの『ドナドナ』で締めくくられている。続刊、待ってます。