江草 乗の言いたい放題
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2007年04月01日(日) 沖縄よ、日本なんかもう見捨てろ!        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

 個人日記に「私の読書遍歴1」というのを書いています。ぜひごらんになってください。

 文部科学省が3月30日に公表した2006年度の教科書検定で、地歴・公民では沖縄戦の集団自決を巡って「日本軍に強制された」という内容に対して修正を求める意見がついたためにいくつかの教科書が内容を修正していたことがわかった。これは「そんな命令を出していない」という旧軍人からの名誉回復の訴えなどを元にして内容を訂正したということらしい。

 「自決せよ」という命令が実際にあったのかなかったのかについてオレは判断することは出来ない。ただ、民間人がなぜ手りゅう弾を与えられたのかということを考えたとき、それを使って米兵を倒せという意味に解釈することはオレには出来ない。手りゅう弾を渡しておきながら「自決せよ」という命令は出さなかったというのも矛盾する話である。沖縄戦での日本兵の死者は65908人だが、沖縄出身の軍人・軍属の死者は28228人、そして一般住民の死者は約94000人だ。188136人とされる日本側戦没者のうち、沖縄県民は120288人、実に犠牲者の63%が沖縄県民であり、半分近くが一般住民の犠牲者だったのである。沖縄戦は住民を巻き込んで多くの犠牲者を出したという点で太平洋戦争の中でもっとも無惨な戦場であったことを忘れてはならない。

 琉球王国(かつての沖縄)はもともと日本ではなかった。そこは独自の言語や文化を持つ人々が暮らす一つの独立王国であった。中国や東南アジアの諸国から朝鮮、日本への中継貿易によって利益を上げる豊かな国だったのである。ところが1609年、島津氏は琉球侵攻の軍を派遣し、わずか10日間で琉球は敗れ、尚寧王と重臣ら約百名は鹿児島に連行された。島津氏は検地を行って琉球の石高を決定し、徳川幕府は島津氏の琉球支配を認めた。なお琉球王国の重臣の一人、三司官の諸名親方鄭同は島津氏に忠誠を誓うことを拒んだために処刑されたのである。

 島津氏は「掟十五ヶ条」という法令を発布して琉球支配の枠組みを定め、琉球と中国の貿易は薩摩藩の監視のもとで行われることとなった。特産物の黒糖は薩摩藩の御用商人によって安く買い叩かれ、中国貿易の利益も薩摩藩によって吸い上げられたのである。中継貿易によって豊かだったはずの琉球王国は薩摩藩の支配によって搾取され、疲弊していったのである。過重な租税負担や夫役労働を課された農民は甘藷(さつまいも)が主食だったが、度重なる飢饉のために間引きや赤子埋殺が行われ、借金のために身売りをする者も多かった。沖縄本島の農民よりもっと悲惨だったのは人頭税を課された先島(八重山諸島)の住民たちで、台風や干ばつなどの天災の後には多くの餓死者が発生した。1771年の明和の大津波では宮古・八重山で一万人を超える遭難者が出たのだが、生き残った人は死者の分まで人頭税を納めないといけなかったのである。薩摩藩の琉球支配はこのように住民を苦しめたのだ。約250年もの間、このような支配が続いたのである。

 日本を開国させるのに成功したペリーは琉球政府と米国人の保護や物資や薪水の補給を規定した琉米修好条約を結び、琉球はオランダやフランスとも同様の条約を結んだ。この時点でも世界は琉球を独立国と認めていたわけである。しかし日本政府は1872年に琉球藩を設置し、尚泰を琉球藩王に任命した。あくまで日本の領土としたかったわけである。1879年、琉球処分官松田道之は警官と軍隊を率いて首里城で今帰仁王子に対して「琉球藩を廃止して沖縄県を設置する」と通達し、琉球藩の土地・人民に関するすべての書類を没収した。(尚泰王は華族に列せられた)ただ、清国はこの状態を認めたわけではなく、前米国大統領グラントに調停を依頼した。清国側の案は、奄美諸島以北を日本領、先島を清国領、琉球王国の復活という三分割案だった。琉球問題が最終的な決着を見たのは1894〜95の日清戦争で日本が勝利を収めて台湾が日本の植民地となったことにより、琉球の全域が日本の領土として支配されるようになった時である。

日本政府は皇民化教育を推進した。沖縄的な苗字を大和風に改めさせたりすることもあった。金城(カナグスク)をキンジョウ、安慶名(アゲナ)を安田にという具合である。また標準語教育を進め、方言を使用した児童には罰札を首から掛けさせるということもあったらしい。沖縄戦の時も「方言を使用するものはスパイとみなす」という内規が出されている。約50年掛けて琉球独自の文化はどんどん失われ、戦争による破壊でさらに多くのものが奪われたのである。この事実を我々は忘れてはならない。沖縄はあの太平洋戦争で、本土決戦のための時間稼ぎのための犠牲にされた。ヤマトンチュウ(ヤマトの連中)が勝手に始めた戦争に平和を愛するウチナンチュウ(琉球の民)は巻き添えになっただけである。米国による占領支配の後、沖縄は日本になんか帰ってくる必要はなかった。独立国として自立すればよかったのだ。自分たちに多くの犠牲を強いた日本なんかに義理立てする必要はなかったのだ。薩摩藩の支配以来、日本が琉球に対して行ってきた数々の仕打ちを考えるとオレはつくづくそう感じるのである。

 アメリカインディアンが白人に土地を奪われ自分たちの文化を失ったことと、琉球の民が島津藩の琉球支配から明治政府の皇民化教育に至る歴史の中で文化を破壊されたことは全く同じレベルのことである。オレはこうした歴史を踏まえた上で改めて琉球の独立を提案する。「こんなクソみたいな国は今すぐ見捨てろ!」とオレは勧めたいのだ。政治家も官僚どももそいつらと結託した大企業の連中もみんなクソだ。いますぐ日本政府からの独立と、手切れ金代わりに政府の貯め込んだ富の分割を要求しろ。それを基本財産にして貿易立国による豊かな国家を目指すのだ。米軍基地なんか全部ぶっつぶせ。どうしても米軍がそこに基地を置きたいのなら法外な地代をぼったくってやれ。中国政府に軍事同盟を提案すれば喜んで乗ってくるぜ。いっそ琉中安保条約でも結べばいいわけだ。米軍を追い出して中国軍が進駐するというシナリオも考えられるわけだ。どうだ、こんなこと書かれるとビビルだろう。

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参考文献:「高校生のための沖縄の歴史」(沖縄県教育委員会編)

関連図書
沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった!
ひめゆりの沖縄戦―少女は嵐のなかを生きた
沖縄戦―民衆の眼でとらえる「戦争」
争点・沖縄戦の記憶
血であがなったもの―鉄血勤皇師範隊/少年たちの沖縄戦
空白の沖縄社会史―戦果と密貿易の時代
アメリカ第1海兵師団沖縄特別作戦報告書―極秘
沖縄独立関係図書
沖縄が独立する日―ウチナーがドゥータチする日
「沖縄独立」の系譜―琉球国を夢見た6人
激論・沖縄「独立」の可能性


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