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| 2003年01月31日(金) ■ |
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| お年寄りに席を譲ることとスポーツライティングの類似性?! |
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電車やバスで、お年寄りに席を譲るのが、嫌いです。いや、苦手というか、抵抗があるんです。一番身近な年寄りがろくでもないヤツだというのもあるのですが、お年寄りに席を譲ることによって、「いいことをした」と思ってしまう自分がイヤなのかもしれませんが。そもそもそう思うようになった発端に、こんな出来事がありました。
小学2年のとき、遠足に行きました。そのとき帰りの電車で、何を思ってか、大々的に“お年寄りに席を譲ろう大会”が開催されたのです。座っていた子が次々に側にいるお年寄りに「どうぞ」と言って席を立ち出しました。すると、ただ座っている子がそわそわし出し、お年寄りを目で探して、早く席を譲らねばと焦るわけです。
ちょっと、いやかなり度が過ぎたかもしれません。隣の車両から年輩の男性の怒鳴り声が聞こえてきました。「ワシはまだ若いっ!年寄り扱いするんじゃないっ」。勇気あるクラスメートが隣の車両を覗きこんで、「50歳くらいの中年のおっさんや」と耳打ちしてくれました。怖かったです。怒鳴られた当人は、チビッていたりしたかもしれません。みんな一斉にシュンとなり、それ以降誰も席を譲ろうとはしませんでした。
当時は、「せっかく席を譲ってあげたのに、怒られたんじゃアホらしい」というのがみんなの世論でした。それも一理アリです。でも、私は何故か冷静でした。「ああ、席を譲ることが必ずしもいいことだとは限らないんだ」。中学を出て、高校に入ってから通学等で電車に乗る機会が増えましたが、そのことが頭にひっかかって、車内で側にお年寄りがいるとすごい葛藤が脳みその中で展開されます。
まず、お年寄りというのは基準は? 小学生だったあのころは、50代は充分お年寄りでした。でも、今となっては、席を譲るという意味でのお年寄りではないように思います。(今思えば、あのとき、とっても失礼なことをしたんだなと思う)となれば、60代以降なのですが、うちの父は60代ですが、全然そんな気配はありません。要するに見かけで決めるしかしょうがないんです。腰は曲がっていたり、髪の毛が真っ白だったり、杖ついてたり…。ああ、「立ってるの、しんどそうやな」という印象を受けた人、それが電車で席を譲るときにおけるお年寄りということにしておこう。そんな感じです。
でも、その「立ってるの、しんどそう」というのもあくまでこちらの憶測に過ぎないことが大半で、実際、「どうぞ」と席を譲ると、「けっこうです」とやんわり断られる場合も少なくありません。また、逆にシートに座っているこちらを舐め回すような目で見て、「近どきの若いものは云々」と当て付けのようにぶつぶつ言うジジイもいました。臓器移植意思表示カードじゃないけど、車内で席を必要とするかしないか、目に見えるもので表示しといて欲しいとすら思ってしまいます。
要はするに、わからないんです。席を譲って欲しいと願っている人、出来れば譲って欲しいけど無理には言わないという人、ホンマに立っても大丈夫なタフな人、プライドが許さない人、素直に腰掛ける人…。 お年寄りの辛さを疑似体験できるグッズがあるという。でも、彼らが歩んできた人生経験を疑似体験することはできない。
今日、ライター塾を受講した中ですごく印象に残った言葉がある。 「自分がわからないことを、自分の経験や自分のわかる知識でもって書こうとする」。この言葉に、私が車内で抱えているストレスや葛藤から解放されるヒントが隠されているかもしれない。
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