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| 2003年01月05日(日) ■ |
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| 自己顕示欲 |
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昔どっかのTVで、『プロ野球選手として成功する人は“弟型”が多い』と言っていた。弟型、つまり上に兄か姉などの兄弟がいる人のことで、中でも兄を持っている人の割合が多いのだとか。事実、選手名鑑とかを見ていても、兄のいる選手は多い。有名どころでは、イチローやヤンキースの松井選手もその部類。実はこれ、野球やスポーツだけではなく、芸能芸術面でも当てはまるのだとか。
私には年子の姉がいる。つまり、2人姉妹の下、妹型。タイプ的には弟型と同じになる。物心ついた頃から、「私は姉と違う人間であらねばならない」と思っていた。何言ってんの、お姉ちゃんと自分は違うに決まってるやん。そう思われるかもしれない。しかし、それは甘い。年齢差一つ、それも同性。同じ服を着せられ、似たような体格。でも、つねに道の先には姉がいる。
たとえば、姉が幼稚園に入る。初めて子供を外に出す親の戸惑い、初めての制服、先生、教室、友達出来るだろうか、いい子でいてくれるだろうか。親にも姉にもいろんな思いがあったことだろう。そして、翌年、私が幼稚園に入る。「また入学式か、去年はこんな感じやったし、今年はもう少し余裕もっていくか」てな具合になる。これがちょっとでも年齢が相手いれば、幼稚園事情も変っているだろうし、私自身も諦めがつく。親は、2人とも平等に扱っていると言うし、実際そうだと思う。でも、その余裕が子供心ながらに寂しかった。(もちろん、妹のメリットもわかっているし、しっかり堪能しているが)
強迫概念だった。姉と同じことをしていては、自分はいないも同然なんだと。だから、姉が髪の毛を伸ばして女の子らしい格好をしていれば、私は男の子ほどの短い髪にし、近所の子を引き連れて遊ぶガキ大将的な存在を目指した。カメラで姉がすましていれば、私は思いきりおどけたポーズを取った(だから、小さい頃の写真は一生見たくない。恥ずかしいもん)。姉が「赤が好きだ」と言えば、私は「赤なんか嫌い、青が好きだ」と口にした。髪型とか、ポーズとか好きな色とか、自分の好みなんていう存在は頭にない。とにかく、姉と違えばいい。姉と反対であればあるほど、安心して、さらに上を目指した。姉が嫌いだったわけではない。ただ自分が存在していたかった。それだけだった。
別に愛情に飢えていたわけではない。自分で言うのは何だが、両親にはかわいがってもらったと思っている。でも、何故か親や周囲の気を引くために、何らかの形で目立とう、人とは違う自分でいようと思った。それがいいことであろうと、悪いことであろうとあまり関係なかった気がする。
以前にも一度日記で書いたが、小学校1年のとき、先生に作文を褒められ、「これだ、これが生きる道なんだ!」とちょっと大げさながら、そういう衝撃を覚えた。今も時々、自暴自棄になり、悪いことをして人の気を引きたいなあという誘惑に駆られるときもある。でも、そんな心にブレーキをかけてくれるのは、このときの衝撃だ。幸い、姉は文章を書かない。
だから、私は分かる気がする。きっと彼らは意識無意識にかかわらず、スポーツや芸術芸能に身を投じることによって、自分の存在確かめているんだ、と。きっと好きだだけじゃやれないよ、ああいうことって。
今、私のタンスには赤系統の服がいくつかあり、髪の毛も伸ばしている、もちろんカメラの前でアホみたいなポーズを取ることもなくなった。でも、違う方向へ行こうとする癖は一生治らない気がする。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。
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