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| 2003年01月02日(木) ■ |
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| ピアノ |
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我が家のPCルームの片隅にはピアノがある。私が小学校にあがる少し前にやってきた。今では父の書類置き場と化している。鍵盤はもう何年も叩かれていない。調律すらしてもらっていない。♪ピアノ売ってちょうだい〜のCMでおなじみのタケモトピアノとかに売ってしまえばいいのに、暗黙の了解のようにそこにあり続ける。
これはある親子の失敗物語である。
姉とピアノの出会いは、彼女が小学1年のとき。元々幼稚園の園内で行われていたオルガン教室で音楽と出会っていた姉。楽しそうにしているのを見たのか、母が近所のピアノ教室に通うのを勧め、我が家にピアノがやってきた。1980年代、一般的な少女が通る道である。
ピアノ教室には私も通った。姉と違い、「ちょっとは女の子らしいことをして欲しい」という母の願いのもと、半ば強制的に通わされた。しかし、おけいこが終わった後、同じ教室に通っていた男の子とけんかをしたり、「ピアノなんて嫌い!」と鍵盤をたたきつけて先生を困らせ、結局音階も読めないまま辞めてしまった。
そんな私とは対照的に、姉は真面目にこつこつ教室に通った。自分の部屋でマンガを読んでいると、下から姉が弾くピアノの音が耳に入ってきた。身びいきかもしれないが、姉はうまかった。中学2年の発表会では、最後になればなるほどうまいというプログラムで最後から3番目にいた。
姉に他意はなかったはず。ただピアノが好きで、毎日楽しく弾いていられればよかったのかもしれない。ところが、誰に勧められたのか、音楽科の高校を受けようということになった。個性を伸ばしてやろうという父の親心だったのかもしれない。というわけで、本格的に見てもらうことになった。
結果。「才能ない。もうピアノなんか止めて、受験勉強しろ。大学に行かないい会社に入れへんから、大学のある高校にしろ。」。父の一言で姉からピアノが取り上げられてしまった。音楽科を受けるような人は、幼い頃から本格的に稽古をしており、中学3年という時期はあまりにも遅すぎる。また、手が小さい(私もです)たも、本格的にピアノをやるにはネック。先生はそう判断をくだしたようだ。
当時の剣幕を今でもよく覚えている。前述したが、姉は別に自分から音楽科のある高校に行きたいとは言っていない。それを父は勝手に持ち上げ、人からちょっと何か言われただけで、勝手にたたきつけるように底に落とす。残酷なおっさんやなと思った。
その後、姉は大学のある女子校に通い、そのまま上の大学に進学した。その後就職するも1年で退職。2,3回職につくも、今は無職。家事手伝いという身分である。今ではピアノに向かうこともほとんどない。もしも、あのときの父の一言がなければ姉の人生はもっと違うものになっていたのではないか。ずっとそう思い、父を責めていたが、最近ちょっと考えが変わった。
野球を見てきて、親のサポートの持つ効力を思い知った。多少強引にでも親が引っ張っていかねばならないときもある。マスコミで表に出るのはその成功例が大半なわけで、姉の場合それがたまたま失敗したにすぎない。
姉は自分から積極的にグイグイ物事に取り組むタイプではない。だからこそ強くひっぱってやる存在が必要だったともいえる。また、非情な一言も、私は決していいとは思わないが、ピアノを犠牲にして受験に取り組んだからこそ、大学のある高校に受かったとも言える。
それに、あのときピアノを止めることがなくても、いつか止めてたかもしれない。就職活動の辛さ、仕事に忙しさ、恋人とのデート。その要因はいくらも考えられる。残酷なようだけど、なるようになったと思うしかしょうがないのかもしれない。
でも、それでも、休みの日やヒマなときに、自然とピアノと向き合う姉であった欲しかったなどと勝手なことを思う。イヤなことも辛いこともちょっとは、紛れたただろうに。四畳半の狭い部屋。私がカタカタ叩くキーの音と姉が奏でる優しいメロディーが競いあうでも、ハモるでもなく、ただ響いている。そんな光景を想像してしまう。自分のことではないのに、姉のこと、別に好きでもないのに、心が痛む。
肝心な姉は、そのことについて何一つ話さない。
追伸:妹(笑)の失敗物語は、2002年2月3日付日記を参照ください。
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