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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年12月08日(日)
上下関係


 ともきちと飲みに行き、ホロ酔い(泥酔時でも)になると、東山の校歌や選手の応援歌を歌ったりする。最近の選手のはそれほど覚えていないが、90年代前半のはわりと覚えていた。かけ声やハモリも暗黙の了解で役割分担されている。これも長年の鍛錬の代物である。

 高校時代の学校の帰り道は、ともきち教官による校歌やおよび応援歌の試験会場と化していた。当時私の東山熱は微熱にも満たず、応援歌なんぞイチイチ覚えていなかった。だから、放課後が怖かった。

 女子高生が「友人2人と追っかけやってます」と言うと、2人でキャキャ言いながら楽しくやっているんだろうとイメージされるだろうが、当時の私とともきちの間にはれっきとした上下関係が存在していた。もちろん、上はともきち、下は私。

 別にともきちは先輩面していたり、私をパシらせていたわけではない。ただ、校歌も応援歌もともきちに覚えされられたし、「○○くんの応援歌は!」と言われ、歌えないととんでもないことになるような不安に襲われたのだ。試合中、うっかり相手校の応援にノッてしまった日には、「何してんの」とピチャリ。それは彼女の熱い情熱の証でもあったのだけれど、本人が思っている以上に怖かった〜。ある意味、高校のクラブよりも体育会系だった。よく辞めないで応援していたと思う。いや、“辞められなかった”が正解かもしれない。

 応援に際して暗黙のルールがあった。大体こんな感じだったと記憶している。

 1,攻撃時は必ず立って応援。(ポジションは応援団も真後ろ。通路席)
 2,校歌、各選手の応援曲、および歌詞の暗記は基本。もちろん、歌う。
 3,試合中に私語はしない。(ただし、ともきちさんはしてたぞ?!でも、逆らえない…(T_T))
 4,試合中の飲食は厳禁(ただし、父兄さんから頂戴する飲み物は可)。→20歳のとき、試合終了後、私が医務室行きになって以来廃止。
 5,うっかり相手校の応援口ずさんだり、リズムを取ったりしない。
 6,応援は内野席で。日陰にあるところなどもってのほか。
 7,父兄さんの前ではしおらしく。死んでも“地”を出さない。