初日 最新 目次 MAIL HOME


あるこのつれづれ野球日記
あるこ
MAIL
HOME

2002年11月03日(日)
決別


 一部ご存じの方もおられるでしょう。8月ごろから私はある新人賞に応募しています。先日、すごいダメージを受け、めちゃくちゃ凹み(日記に書けないほど悲観的なこと考えていました)、情けなくなって、虚しくなり、そして、最後にはごっつ腹が立ってきて、「もう一生涯応募してやるもんか!」とすら思っていました。

 それで自分の中で終わったはずでした。でも、なんか後味が悪いっていうか、歯にひっついたキャラメルのような違和感がまとわりついていたのです。本当は、わかっていたのかもしれません。その作品と向き合わないと現状を打破することはできないんだと。ただダメージがあまりに大きすぎて、必死にその現実から目を背けていたんでしょう。

 昨日、野球部の練習を見ていて、ふと思ったんです。「ああ、この子らも、いろんな束縛の中でがんばってるんだな」って。言われたことをやらないといけない。わからなくても、わからないとなかなか言えない。納得できないこともあるかもしれない。でも、やっている。なんかね、そんな選手ら見ているとね、自分がちっぽけに思えてきたんですよ。ま、私なんてちっぽけなんですが、ふと、そのとき、あの作品を放置することは、誰のためでもなく、がんばった選手のために良くないんじゃないかと思ったんですよ。人に批判されたからどうこう、じゃなくて。

 でも、今のスランプ状態の私に何が出来るわけでもないんです。で、たった一つ出来ることは、文章を削ること。悔しいけど、一番手っ取り早いのは、自分を消すことでした。自分が感じたこと、自分の言葉は精一杯削ぎ落とし、試合状況を伝える言葉、選手の声だけを残しました。

 これで、指摘されたことが治ったのか、また選手にとって良くなくはなくなったのかはわかりません。ただ、私はこんなことを思ったんです。

 私が書く。もしかして、それだけで、“私は感動しているんだ”“これを読者に伝えたい”という強烈なアピールになっているんじゃないかな、と。だから、文章の中に自分がいなくても、私の存在や私の思いがないわけじゃないのかもしれないと。

 もちろん、私の“自分の思ったこと、感じたことを書く”という思いには変りありませんし、今後もこだわっていくでしょう。ただ、時と場合によっては、自分を存在させないプレーンな文章で書くことがベストな場合もあるんじゃないかなと思います。

 再応募作にどんな評価が下るかわかりません。ただ、私はひとつのひっかかりを克服出来たような気がします。だから、もう新人賞呪縛とは決別です。ひゃっほぅ〜!