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| 2002年10月04日(金) ■ |
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| 右?左? |
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以前勤めていた呉服問屋で、こんな電話を受けたことがある。 「今、○○ビルの前にいるんやけど、おたく(会社)に行くには右に進めばいいの?」 お客さんからである。エラそうなおばはんのダミ声。こいつ、絶対デブやでなどと自分のことを棚にあげて思った。印象は良くない。呉服問屋の客なんてたいていこんなもんだ。 この人には、東西南北という概念がないらしい。「右」と言われたって困る。その○○ビルは大きくて、出口がいくつもあるような建物だし、また本人はビルを背にして前にいるのか、ビルと向い合う形で前にいるのかわからない。私は、なんとかそれを教えてもらおうと、必死に聞き込みをしたのだが、「もういいっ!」と言ってガチャンと電話を切られてしまった。すっごく後味が悪い。これなら適当に「ハイ」と言っておいたら良かった。その人が迷おうが私の知ったこっちゃない。たくさん歩いたら、ちょっとは痩せるだろうよ。
実は、こういう釈然としないことが野球観戦においてもあった。
恥ずかしいことなのかもしれないが、私は長年バッターボックスの左右がわからなかった。だから、右バッター、左バッターと言われても何のこっちゃって感じで。それって、そんなに大事なこと?とすら思っていた。野球を選手の顔やドラマ性で見ている私にとっては、どうしてもわからなきゃ困るというものでもないし、ずっとほったらかしでいた。
スコアをつけるようになったここ2,3年でよくやく意識し始めたのだが、大体、バッターの右左って、どこから見た右左なのかよくわからなかった。バッターと言うから、バッターを中心に見てたら、左バッターは右方向にいるし、右バッターは左にいる。おかしいと思って、ピッチャーの立場で見てみたら、合点がいった。そっか、野球はピッチャー中心のスポーツやったんや。改めて、そう痛感した。
…と書いたところで、メールを頂戴しました(ありがとうございます)。左右は、バッターの利き腕によって決まるものだと思いますといった旨のもので、なるほどなと思いました。確かにそうなんですよね。右で投げる子は右投げ、左で投げる子は左投げ。エンピツでも右で持つから右利き、左で持つから左利き、当たり前なんですが、そうなんですよね。
じゃあ、どうして私はバッターの腕ではなく、バッターボックスという空間で左右を判断しようとしていたのでしょう?それは、バッターがバットの両手で持っているからです。ボールでもエンピツでも片手で持ってるじゃないですか。だから、わかりやすいんですよ。もし、これらが両手で持つモノだったら、やっぱり同じように悩んでいたかもしれません。となると、目安はもっと大きくてわかりやすいものとなります。そこで出てくたのがバッターボックス。大きいし、左右に1つずつあるし、わかりやすいと思ったんでしょうが、それがかえって混乱を招いていたようです。
今回、アドバイスを頂戴したことで、バッターの腕に注目してみました。目の前のバッターと同じ場所に自分の姿を重ねて…。わかる、わかる!右バッターはバットと腕が右に寄っており、左はその逆。な〜んだ、そんなことかと思う。でも、元大洋の近藤和彦さん(故人)のようなフォームのバッターが出てきたら、たちどころにこんがらがるかも(苦笑)。
余談ですが、これと似た現象が京都市にあります。頂戴したメールに書いたあったのですが、京都市の地図を見ると、右にあるのは左京区、左にあるのが右京区になんです。この地点で、私がパニクるのは必然と思いきや、実は全く悩んだ形跡がないんですよ。 その原因は。記憶の仕方にあります。私の中では、右の京、左の京というより、右京、左京を一つの単語をして覚えていました。例えば、美左子さんという人がいるとします。すると、それは左が方向を示すものではなく、彼女を名前に組み込まれた文字にかわり、方向性を意識しないはずで、それと同じことが私の中でも起こっていました。
なんや訳のわからん話になってすみません。あと、今日の夕方メールをくださったKさん、返信したのですが、何回やっても届きませんでしたので、今日の日記を持って返信に代えさせていただきたいと思います。よろしくご了承ください。
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