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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年08月13日(火)
Dear…

 長い夏が終わりました。いや、私の中では京都大会決勝戦で終わっていたので、“終わりきった”という言葉を使いましょう。

 試合前、別のバスに乗っていた父兄さんとSAのお手洗いの前で会いました。そのとき、合言葉のように、「打たれて普通、エラー当然、四球基本」と言って別れました。どんな試合になっても、選手たちのする野球なら、それが全て。きっと0−100でも、13−14でも楽しめる。

 試合を振り返ります…と言いたいところなのですが、実はあまりよく覚えていません。アルプス席はとても見にくい場所です。あわただしい移動やより応援しやすい場所を探していると、気付いたら3回くらいでした。

 前には同世代のOBがフーリガン化して、売り子のお姉ちゃんをからかっているし、後ろでは変なおっちゃんがわけのわからないことを選手に向かってわめいていました。あーあ、せっかくの甲子園やのにムード台無しやわ、なんて思っていました。

 でも、中盤、集中打で点が入っていったときは、そんなことどうでもよくなって、周りのお兄さんやおばさんと握手をしていました。得点は何よりの特効薬です。このまま勝ってしまうのかな。まさか甲子園でこんな展開の試合が出来るなんて。嬉しさと戸惑いが入り交じりました。

 やはり、甲子園はそんなに甘いところではありません。じわじわ追い上げられました。でも、そんなことで動揺はしません。だって、これがいつものスタイルなんだから。「いいぞ、いいぞ、いつも通りの野球が出来てる〜」、ほほえましい気分にすらなりました。横にいた父兄さんが「そうや、そうや、なんてことないで〜」とグランドに向かって声援を送っていました。

 結局はエラーが絡み、6点あったリードも終われば4点ビハインドの7−11。終盤はピンチの連続で、“燃えろ、燃えろ、燃えろTOHZAN!”と何かにとりつかれたかのように叫び続けていた。だから、いつ逆転されたかすらよく覚えていません。

 鮮やかに覚えているシーンはただ一つ。8回だったか、9回だったか、ホームランを打たれたときのこと。私は打球がこちらに向かってくるのをじっと見ていました。高校生のとき、別のチームの応援で同じ三塁側アルプスにいましたが、そのときも同じような打球を見送っていたことをふと思い出しました。

 ダメ押しとなる大事な場面なのに、「そういえば、ここに飛んでくる打球ってホームランになるねんなあ」などと思っていました。頭がぼ〜っとしていたのです。そして、視界の中心の小さな白球は、レフトスタンドの端に落ちました。サード塁審が腕を回していました。

 アルプススタンドは、水を打ったように静まり返りました。今まで、どんなにリードされてても、どんなピンチでも、こんな静けさは京都大会では一度もありませんでした。みんな、なんで黙り込むの。声出そうよ。私らは最高の舞台にいるんやで。終盤に迫ってこのリードはちょっと厳しい。でも、選手がしてきたのはずっとこういう野球。何も変わったことなんてない。「いいよ、いいよ、切り替えて〜!」

 最後のバッターが三振に倒れ、ゲームセット。悔しいわけでも、悲しいわけでもないけれど、こみ上げてくるものがありました。空を仰ぐと紺色の夜空がありました。ナインの名前が刻まれた電光掲示板の横で、三日月と小さな星ひとつが光っていました。それは、目立つことなく、謙虚に夏の選手たちを見守っていました。何故かそのとき、脳裏のBGMに ♪見上げてごらん 夜空の星を〜 が流れてきました。

 ああ、みんなはこんな幻想的な場所で野球をしていたんだな。そして、私はこんな場所で野球を見ることが出来たんだ。幸せだなあ。

 選手たちがスタンドに挨拶をしにきました。みんな、拍手で迎えました。うなだれてる選手や、がっくりした選手、そんな選手たちをなぐさめている選手…。なんてことないわりとよく見かける敗戦チームの姿でした。でも、みんなが泣き崩れるような悲劇的な負け方でなくでよかったなと思いました。

 そんな中、一人の選手がスタンドに向かって大きく腕を伸ばして手を叩いていました。歌手がコンサートのときに、観客に手拍子を要求して、“みんなで盛り上がろう!”と言っている。そんな感じで。意外な光景にはっとしました。スタンドのみんながそれに気付いたのか、拍手はさらに大きくなりました。

 他の選手がある程度キリをつけ、私たちに背を向けベンチ前へ小走りし始めたときも、彼だけは私たちから目を逸らすことなく、手を叩き続けていました。遠いので良く見えなかったのですが、きっと明るい表情をしてたんじゃないかな。そんな彼の心遣いが、嬉しかったです。スタンドにいる私たちもきっと60人目の野球部員。そう思い上がってしまいそうになりました。

 立ち去りづらくて、いつまでもアルプススタンドにいました。おそろいの紫のTシャツを着た父兄のみなさんに「お世話になりました」の挨拶。もうやめようと思っていましたが、また逢えるという保証など何一つないのです。テンションの高さをいいことに、父兄さん求めてアルプススタンドを走り回りました。

 今年は泣くかもと思っていましたが、結局泣きませんでした。妙ににすがすがしい気分で、汗と涙の混じった父兄さんの顔を見ていました。気付くと、すぐ後ろで、ともきちとある父兄さんが自分の存在をかき消すような静けさでしんみり泣いていました。ともきち、試合前は「今年は泣かへんと思う」と言っていたのに。ま、いいけど。

 私もそうだったのですが、一緒に見ていたともきちも、相方も、そして野球部のOBも、東山の野球を初めてTV観戦した友人も一様に「楽しかった」と言ったのです。不思議だなと思いました。

 今日の試合、先制をし、中押しし、最後の最後で逆転され、それもエラーが絡んでいたのですが、実はこういう試合が私の中で一番イヤな負け方なんです。これならドラマチックなサヨナラ負けか大敗の方がマシ。そういう考え方なのですが、今回は「いい試合だなあ」と思えました。

 バスを降りたあと、ともきちと近くの居酒屋で一杯やりながら、今日のことをしみじみ話しました。でも、どこをどう見ても、負けたことが残念という空気が流れていませんでした。口につく言葉も「楽しかった」「最高やわ」などというすべて肯定の言葉ばかりです。早くも回ったアルコールも手伝って、ひたすら気持ちよくなるばかり。何故だろう、と自分に問いかけたら、あることに気付いたのです。

 とにかく愛おしいんです。そりゃ、すごいのは他チームのホームランでありファインプレーです。でもそれより好きなのは、思いを寄せずにはいられないのは、このチームのエラーであり、凡打であり、簡単に打たれてしまうボールなんです。かわいくてしゃあないんです。私、おかしいですか?

 何度応援するのを辞めよう、試合なんて見たくないと思ったことか。それでも、辞められなかったのは、きっとここにあったのでしょうね。

 今回の甲子園出場を機に、私の中で一つの時代が終わりました。これからは新たな目線で野球が見れるような気がします。新チームの試合が楽しみです。

 試合後、ある父兄さんがこうおっしゃていました。
 「これも勉強。ミラクルはいつまでも続きません」