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| 2002年08月01日(木) ■ |
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| 本当の悔し涙 |
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昨日だったか、今日だったか、TVで某高校の監督がこんなことを言っていた。 「試合に負けたときに、一生懸命努力してがんばった子が泣くのはわかるんですよ。でもね、ろくにがんばりもせずに、ヘラヘラしているようなヤツが泣くといううのが、私にはわかりませんね」。
ああ、なるほどね、いいこと言うなあ、すばらしい指導者だ。そう思う一方で、指導者に泣く理由を分かってもらえない“ろくにがんばりもせずに、ヘラヘラしているような子”がちょっと気の毒に思えた。もちろん、彼ら全てに同情するわけじゃない。その場の雰囲気に酔って、とりあえず泣いとこかなんていうヤツもいないとは言い難いし。ま、そういう子の話は置いといて。
監督さん、あなたの目には“ろくにがんばりもせずに、ヘラヘラしている”に見えるかもしれません。でも、彼らは彼らなりに自分と葛藤しているように思うんですよ。本当にがんばる気がないのなら、とうに野球部なんて辞めてますよ。きっと、野球もうまくなりたいし、試合にも出たいし、甲子園にも行ってみたい。そして、そのために日々練習を怠らずに、常に向上し続ける自分でありたい。多かれ少なかれ、野球部に在籍しているということは、そういう思いを残しているんじゃないかと思うんですよ。
ですが、いろんな現実があります。誘惑に弱い自分に勝てず、日々後悔していたり、明日はがんばろうと思いながら、確かな結果が出ずに自分を信じられなくなっていたり、未来なんてわからないから、「今やっていることに本当に意味があるんだろうか」と悩んでいたり。
がんばりの許容量は人によって違います。端からみたら、ろくすっぽ努力していないように見えても本人にとっては、それで限界を感じていたり、限界だと思って楽になりたがったりしているのかもしれません。がんばっても、がんばっても結果が出ない。情けなくて、恥ずかしくて、虚しくて…。ヘラヘラするしかしようがない状況っていうのもあるかもしれません。
もちろん、私は高校球児でもないし、高校球児だったわけでもありません。また、高校球児に直接話を聞いたわけでもありません。ただ、自分が努力しなかったこと、がんばれなかったことが悔しくて、情けなくて涙した経験ならあります。だから、そんな高校球児がいてもおかしくないと思うんですよ。
悔し涙っていう言葉がありますが、その言葉の本当の意味を知っているのは、きっと彼らだと思うんです。これを機に、彼らががんばりきれる人間になれるのは、1年後かもしれないし、10年後かもしれないし、50年後かもしれません。また、一生無理かもしれません。ただ間違いなく言えるのは、今の自分に悔いを残していることだけですね。
長い人生、高校生時分なんてまだトラックの第一コーナーすら回っていない。世の中の高校球児、みんながみんな、ひたむきの努力し、勉強も熱心で、礼儀正しくて…。そんなん、気持ち悪い。高校野球は教育の一貫だと言うけれど、教育なんて3年間くらいでは結果が出ないもんじゃないのかな?私は学校や先生という人種が大嫌いだけど、今になって身にしみている先生の言葉っていうものもある。それでいいんじゃないかと思う。
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