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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年07月31日(水)
カーブが投げられないピッチャー


 たとえばこんな場面。1−1でも8−8でもいい、同点で迎えた9回裏、ツーアウトランナー二塁。バッターは4番。カーブを投げれば安全パイだと分かってる。でも、彼はカーブが投げられない。どうして投げるか知らずにこれまで過ごしてきた。だから、ストレートを投げ、打たれる。知らない人は、「なんでカーブを投げなかったんでしょう」とか「キャッチャーのリードに問題があるんじゃ?」とか言う。彼はそれが歯がゆくて仕方ない。ただ悔し涙にくれるだけだ。この先、練習して、練習して、ものすごいカーブが投げれるようになっても、今日の試合で負けたことは覆らない。

 私はほぼ毎日日記を書くにおいて、今ぶち当たっている壁が実はこんな感じ。本当に書きたいことに本当に書きたい表現が使えず、本当に読んでくださっている人に伝えたいことが伝わってないという歯がゆさ。いや、読者の方のとらえ方の違いもあり、自分の思うことがストレートのは伝わらないことは百も承知。それでも、少なくとも、自分の中で納得出来る文章が書けていると、たとえ相手に伝わらなくても、ある程度は納得できるのではないかと思っている。

 ここ数日の日記、とくに大事な起承転結(そんなんあるのか?この日記)の結の部分でそれを痛感する。こんな表現、ありきたりやん。こういう書き方では誤解を受けるかも。もっともらしいこと言っちゃって。じゃあ、それに代わる言葉は何?と言われても出てこない。でも、書くしかない。今の限界を残しておくしかないんだと日々更新ボタンを押す。

 私はただ文章を書くのが好きな素人の姉ちゃんだ。プロの人に比べたら拙い内容でしかないかもしれない。でも、新聞や雑誌や作家のような文章を書こうとは思っていない。ここだからこそ書ける文章があると思っている。そうでないと、読者の方にわざわざここを訪れていただく意味がなくなってしまう。

 今の私が特に探し求めているのは、「ありがとう」や「がんばれ」に代わる言葉。特に、文章の最後を「ありがとう」や「がんばれ」で締めくくるのは、あまり好きじゃない。確かに、純粋な意味でこの2つの言葉を使う必要があるときもある。でも、それは思った以上に少ないんじゃないかと感じるのだ。あまり使いすぎると、本当に実感してこの言葉しかないと思えたときに、安っぽく聞こえてしまうだろう。特にこの2つは、口あたりがいいのでついつい乱用してしまう。

 ストレートが速いピッチャーは、ストレートを投げておけばそう打たれることはない。でも、もし打たれてしまったら、もう後がない。「ありがとう」や「がんばれ」を安直に使うことは、それと似ている。

 私はカーブが投げれるピッチャーになりたい。ここぞというときのストレートは、たとえそれが100km/hそこそこでも、それまでに投げるボールで充分豪速球なりうるからだ。