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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年07月24日(水)
“がんばり”の確かなかたち


 試合開始が遅く、その上打ち合いの延長戦、終わってみれば日はどっぷり暮れ、ナイターでのゲームとなった。序盤は楽勝ムードすら漂っていたが、さすがは西高、わずかな試合の流れをすかざすモノにし、9回にはついに同点に追いつかれてしまった。

 試合が本当に盛り上がってきたのはその9回くらいから。応援団の子が観客に“立ってくださ〜い”と呼びかけた。ここ数年、手拍子すらしないでスコアをつけることに専念している私だが、さすがに立ち上がってしまった。そして、不覚にも“かっとばせ〜”と声を挙げていた!自分で自分にびっくりした。

 ああ、この感覚だ!

 声援って、選手に送っているものだと思われがちだが、むろんそうであるのだけれど、本当は自分を奮いたたせるためでもある。終盤、押しに押される試合、緊張感で頭がクラクラしてくる。ゲームを見守りながらも、私は呼吸困難になっていくのを感じていた。“がんばれ、がんばれ”というより、“酸素くれー、血液くれー、はよなんとかしてくれな、マジで倒れるー”という思いの方が勝っていた。そんな症状が声をあげることによって、紛れるのだ。

 延長に入ったころには、“そうや、一つずつアウト取っていったらいいんや”とか“ストライクたのむで〜”とか“犠牲フライでええ、ます1点!”“大丈夫、君は打てるから”などと口にしていた。完璧にネット裏のおっさんやんか。

 1点リードされ、延長10回裏を迎えた。回が進むにつれ、裏の攻撃で良かったとつくづく思った。このときには、何故が不思議と呼吸困難の症状は収まっていた。もう数年前だが、同じ相手に延長戦で勝った経験がある。それが私が初めて見た対外大西戦の勝利だったのだが、ふとそのときのことを思い出した。試合経過を見ていて、なんとか同点にはなるのではないかと思った。実際、追いつかれそうになったら、必ず得点していたし。

 犠牲フライで同点に追いつき、ツーアウトランナー二塁になった。ここで代打コール。監督さん、ここで決めるつもりやな。5回には2連続スクイズ失敗(多分)で流れを持っていかれただけに、ここは攻める。このチームに、“守る”の言葉は似合わない。攻めていくしかない。そんな気がする。

 相手ピッチャーが投げた初球は、センターの頭上を越した。センターは背を向けボールを追いかける。間に合うのがわかっていても、必死で“走れ、走れ〜”とランナーに声をかけた…。

 カクテル光線の下、♪法の教えに底深く〜 が響く。緒戦突破すら怪しいと思っていたチームだが、今日の選手たちほど“がんばった”という言葉がふさわしいと思えたことはない。押されても押されても跳ね返し、最後まで諦めずにこつこつ得点を重ねた。もちろん、いつもがんばっていると思うのだが。今まで、勢いで勝ったことはあったし、流れに押されて負けたこともあったし、自滅して負けたこともあった、そして、がんばっても勝ちにつながらないこともあった。土壇場、最後の夏でがんばりが初めて形となって現れた勝利。

 ここ1,2年敗れなかった夏4回戦の壁を、最高の相手で破ることができた。この試合、所要時間が3時間23分。延長戦ではあったが、かなり時間がかかっている。その一因は、相手校の再三の投手交代にあった。終盤からは、バッターの左右でピッチャーを変える徹底ぶり。“プロ野球かいな”と思っていたが、その撤退ぶりに敵ながらあっぱれだと思った。

 スタンドでは、高校野球にあるまじき継投にヤジが飛ぶこともあった。実際、私も昔なら「それだから西高は…」と思っていたかもしれない。でも、今は違う。ここまでして、勝ちに来てくれている。そこまで切実に勝負を挑まれていることに誇りすら感じてしまった。


おまけ>応援校全得点の記録(攻撃は裏)

1点目>1回、四球のランナー(3番・野口選手)を置いて、4番・梅田選手がライト線のタイムリー→1−1
2点目>1回、5番・渡辺選手の打球が相手のエラーを誘う。→2−1
3点目>2回、一死ランナー三塁から一番・今堀選手がセカンド強襲のタイムリーヒット→3−1
4、5点目>3回、二死ランナー一二塁で、7番・立本選手のタイムリーツーベース。→5−1
6点目>4回、一死ランナー三塁で、3番・野口選手のスクイズが内野安打に。→6−1
7点目>6回、一死ランナー三塁で、5番・渡辺選手がレフトへ犠牲フライ。→4−7
8点目>8回、一死ランナー一塁で、5番・渡辺選手のタイムリーツーベース。→8ー7
9点目>10回、一死ランナー三塁で、7番・立本選手が犠牲フライ。→9−9
10点目>10回、二死ランナー二塁で、代打・川上選手がセンターオーバーのサヨナラタイムリー。10x−9