
|
 |
| 2002年07月14日(日) ■ |
 |
| 顔 |
 |
京都大会第2日目を舞鶴球場で過ごした。ときおり雨が降り空はどんよりしていたが、それに必死で抵抗するかのように試合内容は白熱した。
特に印象に残ったのが、第2試合の西城陽ー洛西戦。2x−1、延長15回サヨナラゲーム。スコアをつけていたり、私にもっと野球を見る目があれば、その詳細をきちんとみなさんにお伝えできたのに…と歯がゆくてしょうがない。
延長15回の熱戦ではあるが、どう表現していいか迷ってしまう。投手がズバズバ三振を奪ったわけでも、劇的な得点の入り方がしたわけでも、守備が明暗を分けたのでもない。よく言えば堅実、悪く言えば地味な試合展開。
両校ナインは緊張感の中でも落ち着いてプレーをしていたように見受けた。どこかに揺るぎない何かがあり、ナインはみな同じ目線でそれをじっと見据えて試合に臨んでいるような感じがした。それは、絶対信頼できるもので、選手の心を柔らかく受け止めてくれるクッションのようなものかもしれない。そして、彼らは安心してプレーする。だから、しょうもないプレーは生まれない。安直に言えば、日々の練習の積み重ねとなるのかもしれないが、それだけですませることに疑問を感じた。
…う〜ん、とても抽象的な表現でごめんなさい。でも、この試合を見て、信仰とかそういう崇拝的なものの存在を感じずにはいられなかったんです。誤解を招かないように申し上げるが、両校は公立高校で宗教とかと何の関係もありません。
さて、そんな中、一番印象深いのが洛西のエース・佐伯投手だ。元々この試合を見たいと思ったのも、彼の存在故である。
彼を見るのは、今日で3回目。181cmという長身も持ち主で細身。打順は4番でまさにチームの大黒柱。しかし、この系の選手にありがちで派手さはなく、投球げてはコーナーをつく丁寧なピッチング、打っては球の逆らわず素直にバットが出ているという印象。今日も1本ヒットを打った。勝つためにはどうするべきかとか負けないピッチングとかいうものを知っているモノの判ったエースで4番だと感じた。
西城陽も強打のチームだが、彼の投球を前に沈黙。昨秋応援校も対戦しているのだが、終盤まで全然打たせてもらえなかった。ちなみに、応援校もなかなかの強力打線を持っているのだが。
私はこういうピッチャーがすごく好きだ。パッと見い打てそうなんだけど、 “あれ、おかしなあ、打てないや”→気付いたらやられてた。相手からそういう印象を抱かせる投球は見ていて、痛快な気分になる。応援校との試合中も不覚ながら、もっとふんばって面白い試合になってくれと願っていた節がある。
翌日の新聞のスポーツ面、カラー記事はもちろんこのカード。延長15回の熱戦なんてそうそうお目にかかれるものでもない。写真はもちろんカラー。
決勝点が入り出来た西城陽高ナインの歓喜の輪。そのすぐ側に帽子のひさしに手を当て、立ちすくむ佐伯投手がいる。
普通、こういう写真では勝ったチームの歓喜の輪にピントが合わせられ、その付近にいる負けたチームの選手はややぼやけて映っているのは相場だが、この写真に限っては顔の表情までくっきり映っているのだ。
私はこのカメラマンに感謝せずにはいられない。高校2年の夏から1年の間に彼を3回見たわけだが、実は顔の表情まできちんと見れたのはこれが初めてだ。そして、最後になるだろう。
いくら狭い球場とはいえ観客席にいる以上、試合中の選手の表情や顔つきまでは見えない。彼の他にも注目している選手はいるが、町中で見かけても間違いなくわからない自信がある。
注目しているとか気に入っている選手の顔すらわかっていないとかなんと悲しいことかと思う。でも、今の私では仕方ない。だから、今回の佐伯投手もそれで終わってしまうのかと思っていたのだ。
佐伯投手は、思っていたよりも陽に焼けていて、童顔だった。グローブをはめている左手を腰にあて、口を閉じ、目を伏せている。こういう試合でのピッチャーは派手にうなだれていたり、座り込んでしなったり、うつぶせになって涙するというマスコミが好きそうなシーンが多い。それにくらべると、彼のとった仕草はあまりにも普通で、端から見れば、“これがほんとに延長15回を1人で投げ抜き、サヨナラ負けしてしまった瞬間の顔なの?”と思われるかもしれない。
でも、これもなんだか彼らしくていいなと思った。“彼らしく”と言ったが、私が高校生・佐伯昌裕を知っているはずもない。あくまで、野球部エースの佐伯投手としてのイメージである。
|
|