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| 2002年07月11日(木) ■ |
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| もう一人の卯瀧監督 |
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今日、京都新聞の別刷りで、高校野球京都大会選手名鑑が届いた。メンバー等は5月現在の情報であるという説もあり信憑性にはかけるが、キャプテンの言葉などが書いてあるので、毎年楽しみにしている。
そんなわけで、今年もパラパラとページをめくっていたのだが、その手がある高校の前でピタッと止まった。
向陽高校。 京都府向日(むこう)市にある府立高校。現在の部員数は26人とあるが、私が高校生の頃は50人を越える大所帯だった。応援校との対戦もたびたびあるが、わりあい苦戦している。
私が目を引いたのは、監督の名前。卯瀧洋直さん。年齢は26。私と同年齢。記憶に間違いがなければ、実父は現在鳥羽高校で監督をされているはずだ。向陽高校時代は一番セカンドで活躍した元高校球児だが、実は彼の現役時代の試合を見たことがある。
1993年春季大会準決勝。応援校と向陽高校が試合をした。両校とも投手陣が総崩れで、14−13の大乱打戦の末、応援校が勝った。この試合での卯瀧選手の成績は5打数1安打。しかし、チームの総ヒット数が16。目立った成績ではない。
負けた向陽高校は、翌日の3位決定戦で北嵯峨高校と対戦した。親子対決になるはずなのだが、当時それが注目されているか否かは私の興味対象ではなかったので、記憶にない。ただ漠然と「卯瀧なんていう名前、そうそうないし、親子なんかなあ」とは思っていたが。
次の試合に応援校が出るため西京極に駆けつけたのだが、まだ前の試合が終わっていなかった。私とともきちは当時はまず行かなかったネット裏の日陰で漠然とそのゲームを眺めていた。
ところがところが、試合は0−0のまま延長戦へ。最後は北嵯峨がサヨナラ勝ちをしたのだが、なかなかいい試合だった。東山の試合と甲子園大会以外では私が初めて、「うわ、すごい」と思えた試合だった。ただ、このときも卯瀧選手がどんな活躍をしたかは記憶にないのだが。
ついにこのときが来たかと思う。 そう、自分が現役時代のプレーを見た選手が指導者になってグランドに帰ってくるという時代。 1993年夏の向陽高校は、シード校だったが3回戦で敗退している。その後、同校は目立った成績を上げてない。名将の血などという野暮なことは言わないが、同世代の若手監督が率いるチームの今後が気にならないわけがない。
さて、まもなく夏の京都大会が始める。今年の対戦相手はどこやったっけ?ん?京都成章?いきなりえらいとこと当たってるやんか。何?17日西京極球場の第2試合だ?これって、応援校の次にある試合やん。見っとけっちゅーことなんかな。
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