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| 2002年07月04日(木) ■ |
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| 0(ゼロ)には帰せないもの。 |
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BS放送でやっていた『人間の翼〜最後のキャッチボール〜』という映画を見た。
これは、第二次世界大戦で特攻隊として24歳の若さにしてその生涯を閉じた元プロ野球選手・石丸進一氏を題材にしたノンフィクション『消えた春』(牛島秀彦著・河出文庫)を映画化したもの。
原作を読んでいた私は、この映画を前々から見たいと思っていたので、何気なくチャンネルを合わせたときは、偶然に感謝をしたくなった。
本来こういう作品を見ると、“戦争は二度としてはいけない”“戦争は恐ろしい”“平和が一番だ”、ちょっと発展して、“野球を見れる今は幸せなんだ”“この時代にくらべて、今の選手は何だ、「金、金」と情けない”となる。
もちろん、私も平和が一番だと思うし、戦争は絶対にごめんだ。目の前でミサイルが爆発するような中で日常生活を送るなんて冗談じゃない。また、「俺の人生は野球だけだった」と随所でこぼす石丸氏のことを思うと、今球界に物足りなさを感じるのは確か。
でも、今回に限っては、ふとこういう風に思ったのだ。
日本が平和でも、野球界がよりよくなっても、石丸氏も、けいこさん(彼のお嫁さん?)ももう戻ってこないんだなあ。
でも、私は彼らの夢と未来と命を奪った戦争を土台にこの世に存在している。
戦時中、父の家族は満州に移住していた。祖母の話によると、子さらいがうようよしていたそうだ。祖母は、何度となく危ない目にありながら、片手に幼い父を抱き、もう片手で伯母の手を引いて、必死で逃げまどったことを話してくれた。戦争が終わり、満員の船の劣悪な環境の中、命からがらたどり着いたのが京都だった。
母の家族はずっと京都にいたので、もし父が子さらいにさらわれていたり、船の行き先が京都でなければ、父と母は出会っておらず、私は生まれていなかった。
むろん、戦争なんてなければ、父の家族は満州に行くことなく、生涯を山口の下関で過ごしていただろし、母もしかりだ。間違いなく、私はこの世に存在してはいない。皮肉だな。
この映画は、白黒だったが、進一が持っていたボールの白さがやけに際だっていた。これは演出だったのだろうか…。
余談だが、石丸進一役の俳優さん、かっこいいなあと思った。私は芸能人や俳優をかっこいいと思うことがあまりないが。
りりしく、太い眉毛に大きな二重の目…。 どうやら、私は好みは昭和時代の顔のようだ。
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