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| 2002年05月01日(水) ■ |
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| ひまわりさん、ごめんなさい。 |
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私は、花というものが苦手だ。小学校のときには、「怖い」とすら思った。人はそんな私を「おかしい」と笑い飛ばすのだが、これでも長年夢でうなされ、未だに花屋や植物園などに入るのは抵抗がある。
それは小学校に入って間なしの頃、我が家のトイレには小さな花瓶に花が挿してあった。便座につくと、視線の先にその花瓶がある。私のトイレタイムは、花とともにあった。
いつだったか、キンセンカという花が挿してあった。オレンジ色の花びらが幾重にも重なって、丸みを帯びた輪郭をしている。花には花びらとそうでない部分(花粉のついているところ)があるのだが、このキンセンカは日に日に花びらが浸食し、人間の顔がのっぱらぼうになっていくかのごとく、一面を花びらで覆ってしまう。
そんな変化を見て、本能的に「気持ち悪い!」と思った。母に頼んで、トイレから撤去してもらった。
しかし、母はそんな私の悲痛な思いを理解していなかった。当時私は、仏壇のある部屋で寝ていた。朝、起きあがったら仏壇が真正面に見える。そんな場所だった。ある日、朝起きたら、仏壇に供えてあった、キンセンカが目の前に飛び込んできた。
「ウギャーー!!」
言葉にならない奇声を発してしまった。花が怖い、この瞬間から本気でそう思った。当時のことは鮮明の覚えていて、未だにその場面を思い浮かべるとえずいてしまう。
パンジーが人の顔に見え、朝顔に吸い込まれてしまうのでないかとおびえて、追いかけ回されるのではいかと、道ばたでひまわりを見ると、駆け足で通り過ぎた。
花恐怖症にとって、小学校時代は地獄だった。1年のときはあさがお、2年ではひまわり…となんらかの花を育てなければならなかったからだ。夏休みには、植木鉢ごと家に持って帰らねばならない。必然的に花と密接することになる。私は、植木鉢を抱え、花を目が合わないように顔を背けて歩いた。泣きそうだった。早く家に帰りたい。でも、植木鉢が重くて、思うように歩けない。
そんなわけで、その年は、ひまわりが我が家にやってきた。毎日、水をやったり、観察日記をつけなければならないのだが、花を正視出来ない私にそんなこと無理で、ほったらかしにしていたら、知らない間に母が面倒をみてくれていた。
姉に「花が怖い」と言ったら、姉がおもしろがって、ひまわりの植木鉢を宿題をやっている私のそばに持ってきたり、耳もとで「ひまわりが追いかけてくるで〜」とささやきかけたりしてきた。姉に逆らうと、「あっそ、ひまわり持ってくるで」と言われたら一貫も終わり。こうして、毎日ひまわりと姉におびえて過ごす夏休みが始まった。
そんなある日、いつも通りひまわりを毛嫌いしていると、姉が言った。
「あ〜あ、ひまわり、かわいそー。「○○(私の本名)ちゃんに嫌われたぁ」って泣いているわ。あーあ」
ひまわりが泣いている…?!
私はおそるおそるではあったが、振り返って、ひまわりを見た。やっぱり怖い。すぐに目をそらしたが、姉の言葉がひっかかって仕様がなかった。
私はなんでひまわりを毛嫌いしているんだろう。もちろん怖いからに決まっているのだけど、ひまわりがいつ私に危害を加えたの?もしかしたら、ひまわりは私と仲良くしたいのかもしれないし、本当はいいヤツかもしれない。ひまわりは、言葉を話せないから、何も言えない。私が怖がっている姿を見ても、「そんなに怖がらないでよ、ボクは何もしないから」とは言えない。“人を見かけで決めてはいけない”“自分がされてはイヤなことを人にしてはダメ”と担任のやまぐち先生が言っていたっけ?
もし、私がひまわりなら絶対にイヤだし、悲しい…。
ひまわりに誠意を見せよう。 当時はそんな言葉を知るよしもなかったのだが、そんな言葉がピッタリだと思う。
私は食べ終わったあとのアイスの棒(汚いなあ)に油性のペンで、「ひまわりさん、ごめんなさい」と書いて、植木鉢の中の土に突き刺そうと思った。本当は、ひまわりを正面にして「ごめんなさい」と言うのが筋だと思うのだが、まだそこまでの勇気は湧いてこなかった。 植木鉢のそばに行くまでにずいぶん時間がかかった。それでもどうにか棒を突き刺すことに成功した。小さな満足感と大きな良心の呵責が入り混じっていた。
それから20年近く経つ。未だにあらゆる場面でこういう感情にとらわれることがある。
先日、応援していた学校の敗戦がショックで「無題」という題名で、かなり突き放した内容の日記を書いたのだが、数日経った今になって、この「ひまわりさん、ごめんなさい」の件をふと思い出した。
努力することの大変さ、出来ない自分へのいらだちや恥ずかしさややるさなさは、誰より私がよく知っているはずだ。
たとえ一人でも、ひたむきに野球をする子がいれば、それだけで充分応援に値するし、本当はみんな勝ちたいし、強くなりたいと思う。冬間も夜遅くまで練習をしていたという話も聞いたし、実際、遅い時間帯に疲れた顔している部員を駅のホームで何度となく見ている。
確かに私は、彼らとは無関係の人間ではある。いつでも見放すことはできるし、それが彼らに影響することはなにもない。
でも、勝手に好きになって、勝手に幻滅して、勝手に嫌いになる。こんなアホらしい一人芝居ってない。
せっかく縁があって応援し続けてきたチームだから、このまま終わるなんて絶対イヤだ。
これまで、何度も「もう辞めよう」と思ってきた。でも、奇跡的につながっている。
この奇跡と選手とチームと自分を、もう少し信じてみようと思う。
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