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| 2002年04月15日(月) ■ |
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| ノック練習、いとおかし。 |
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見るのは天国、やるのは地獄。 ノックを定義すると、ま、そんな感じだろうか。
このところ、野球部の練習を見ることにハマっている。グランド訪問をしても、「練習試合はいいから、練習だけはやっててくれよ」と願をかけて出かける自分がいる。
たった1回見ただけで何がわかるわけでもない。しかし、私の中では色々なことが新鮮に映る。
今日は、「練習を見るのって、楽しいなあ」と改めて実感させてくれたある高校の練習について書きいていきたい。
この学校は実践を重んじているらしく、ノックを受けるために全ポジションに野手を配置し(ピッチャーは投げないでフィールディングのみ)、バッターやランナーまで置いていた。また、途中から自発的に塁審をやっていた部員がいた。練習に緊張感を持たすためには、なかなかいいアイデアだと思った。
状況設定は、一死二・三塁。 内野ゴロで三本間でランナーを刺す挟殺プレーを成功させること。
1回目のプレーでは、見事に成功。サードランナーを三本間に挟んで刺したうえ、セカンドランナーも進塁できずにいた。これ以上にない、完璧なプレー。しかし…。
「そうだ。守ってる方は、いいよ。最高のプレーだ。それでいいからな。 でも、ランナーにとっては最低のプレーやわな。三本間で刺されるのなら、せめて二塁ランナーを三塁まで進塁させて、ツーアウト三塁にする。それが最低限の役割だろ。わかるな」
熱心にノックバットを振るう指導者の声だった。
ほぉ〜、なるほどね。 これは、ノック練習でもあり、走塁の練習でもあるんだ。
私はそんな指導に興味を覚えて、足を更に一歩、グランドに近づけた。
その後も、指導者の声はひっきりなしに飛んだ。今まで目の当たりにしてきた練習における指導者の声は、怒鳴り声だったり、檄だったりしたので、練習を見ているだけでは、野球の具体的なことはほとんどわからなかった。
しかし、この学校の指導者の言うことは、すごくわかりやすかった。素人の私でもそうなのだから、選手にとってはもっと明瞭に聞こえているのではないだろうか。
前述の「」内の言葉のそうなのだが、例えば、「そんなんじゃ、試合に使えない」言われるのと、「ワンナウトでランナーが三塁にいるときにエラーをするサードなんて、試合には使わない」と言われた方が、はるかに効くだろう。少なくとも、私ならそうだ。
高校野球のお偉方は、「野球部の監督は、学校の教師であるのが好ましい」という考えを持っておられるようだ。実際、ある都道府県では、学校の先生しか野球部の監督は出来ないのだという。
そんな野暮なこと言っちゃって、なんて思っていたけど、実はこれにもなかなか意味があるようだ。
私の叔父は、学校の教師をしている(母方は、教師に始まり、保育士や講師など「教える系」の職についている人が多い)。
一昨年、祖父の葬儀で親族が久しぶりに集まったのだが、そのときの進行を取り仕切ったのが叔父だった。明瞭な声で、話がきちんとした文章になっている。他人に伝えるための話術に長けていた。母は、「さすが教師やなあ」としきりに関心していた。
今回の指導者のことは、全く知らないのだが、ほぼ間違いなく学校の教師をされている方だと思う。
また、声のかけ方にも工夫があり、厳しくピチャリと言いつけることもあれば、「守備位置がちょっと前すぎるんじゃないか?」「もう一歩前で守ってみぃ?そうすれば、ホームへの返球が楽になるから」などとオブラードに包んだ優しいアドバイスという形を取るときもあった。
「レフト」「サード」という風にポジション名で呼ぶときもあれば「○○」という風に、姓名や下の名前で呼ぶときもある。
声の大きさも違う。遠い外野手には裏返りそうにあるくらいに声を張り上げるが、側にいるキャッチャーの何か言うときは、こちらではほとんど聞こえないくらいのささやき程度で済ませる。
私は知らぬ間にグランド側のブロック塀に体重を預ける形で、じっとその練習光景に見入っていた。
次は何を言うのかな、どういうことをするのかな。それがただ楽しみだった。私のように分厚い野球技術書を見るのは気がふさぐという方には、こういうノック練習を見ることを是非オススメしたいと思う。
追伸:何度か練習を見ているが、何故か文中に出てくるようなランナーがサードにいるときのシミュレーション練習に出くわすことが多い。これは単なる偶然なのか、それとも全般的にそういう練習が多いものなのだろうか。私の中でちょっとした謎として残っている。
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