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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年04月13日(土)
出会いの神秘を思う。

 
 野球選手、ことにプロ野球選手ともなると、成功の是非はきっと本人の才能以外のことで決まってしまう。

 それが、私の持論です。


 選ばれて入ることのできる、ごく一握りの人の世界。きっと持っている身体能力や素材に大差はないはずです。

 ですが、かたや年俸ん億円プレーヤー、かたや2,3年で自由契約…。

 それは、怪我や同一球団内にいる選手層やチャンスの活かし方や、本人の性格など、様々な要素は絡み合っていることでしょう。

 雑誌やテレビ等で様々な成功談を聞く。そしてそれらに共通するのは、「人生を変える出会い」。

 あのとき、あの人と出会わなければ、今の自分はなかった。

 成功者に限らず、私達にもそういう人はきっといることでしょう。まだいないのから、これから出会うのかもしれません。

 ということは、その逆も考えられるのです。

 あのとき、あの人と出会っていれば、今の自分ではなかった(もっと成功していた)。

 出会い損ね。

 それも運命や本人の実力のうちと言ってしまえばそれまでなのですが、何て切ない響きなのでしょう。


 学生時代、いずれ友人になる予定であった女性が交通事故で亡くなった。

 彼女はとても几帳面な人だった。大学の講義で真面目にノートを取るなど考えられなかった私にとって、講義中の図や表をわざわざコンパスや定規を使って書き写す彼女は、おおよそ住む世界の違う人だった。

 でも、だからこそ興味を持った。当時は、誰でもいいから話をして、一人でも多くの友達を作りたいと意気込んでいた時期でもある。特に、個性というか何か特徴のある人となれば、尚のこと、関わってみたいという思いが強くなった。

 4月に出会って、連休が明けたときには、もうこの世の人ではなくなってしまった彼女。特別深い話をしたわけでもないので、お葬式に列席したり、涙をハンカチで拭ったり、実家までお墓参りをしにいくような関係でもない。かと言って、知らぬ騒然で見過ごせるわけでもない。

 彼女の実家は、長野県だった。何故か出身高校の話になった。彼女が言った。
「うちはね。県立じゃなくて、長野県長野高校っていうの」
 今でのその言葉が頭を離れない。そのときの彼女の顔や声色や着ていた服装や、教室の雰囲気まで覚えている。

 ひょっとしたら、彼女は私の人生にわりかし大きな意味をもたらすはずの人物だったのではないだろうか。今にして思う。

 もし、連休に彼女が実家で交通事故に遭わなければ、今ごろ、私はどうなっていただろう。もう少し几帳面な人間になっていたのかなあ?

 野球に「たら」「れば」はない。すなわち、人生に「たら」「れば」はない。

 わかっている。
 けれど、ふとそんな思いを馳せるときがある。