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| 2002年03月23日(土) ■ |
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| 高校球児、いつまで“お兄ちゃん”? |
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私の好きなエッセイストの一人に、群ようこさんがいる。その群さんが、著書の中でこんなことをおっしゃっていた。
<今では高級球児との年の差はずいぶん離れてしまってたので、図々しいかもしれないが、高校球児はいつまで経っても“お兄ちゃん”という感じがする>
私も少し前までは、そう思っていた。
年齢差は広がるばかりだが、社会の荒波の波打ち際でもたもたしている私などより、社会には出ていないが厳しい練習でもまれている彼らの方がはるかに大人びている。それに、マスコミや口コミ情報で聞いている限りでは、言うことも最もらしい。できてる子やなあと思う。自分の高校時代と比べると、情けなくてがっかりする。
ずっと“お兄ちゃん”だったはずの高校球児が、いつからそうではなくなったのか、考えてみた。
自分が高校3年生のときは、それほど思わなかったが、ちょっと無理して(?)2つ下までは“お兄ちゃん”でOKだった。当時、甲子園に出てくるような学校はほとんどが丸刈り、いわゆるイガグリ頭だったのだが、それがまた球児のりりしさを引き立てていたようにも思う(誤解されないように申し上げますが、私は丸刈り賛成派ではありません)。
はっきりした境界線はないが、気付いたら、高校球児は“お兄ちゃん”ではなくなった。自分より精神年齢が上でも、信じられないようなすごいプレーを見せていても、その仕草や雰囲気からは“お兄ちゃん”を感じない。大人びたことを言う小生意気だけど、憎めない弟…いや子供と言ってほうが正しいかもしれない。
私には男兄弟がいないこともあり、どうも兄や弟をイメージするのは難しい。それにプラスして、年が離れてくるとなると、違和感があって当然だと思う。
試合を見ているときに、思わず出る声が、スタンドにいる“おかあさん”に近いなあと最近自分で思う。もし、自分に子供ができたら、こんな感じなのかなあ。
そんなんやから、ここ2,3年父兄に間違えられたりするんやな。
高校球児との年齢差が広がっていくショックをいくつかの段階に分けてみた。
まず、第一段階。 19歳のとき。自分が高校を出て、初めて自分より年下の子が最上級生となる年だ。気が抜けた。もう高校生には戻れないんだな。月日の流れのショックを初めて痛感するため、ショック度は実はこの段階が一番大きいかもしれない。
続いて、第二段階。 21歳のとき。自分が高校生のとき、まだ中学生だった選手が最上級生になる。
第三段階は、24歳のとき。自分が高校3年生だったとき小学生だった子が最終学年を迎える。このあたりから、子供のころに見ていた番組や夢中になっていた遊びが違ってきて、世代の違いを感じる。また、「高校生ってこんなに幼かったっけ?」と思うのもこの時期だ。
第四段階は、今の私、26歳のとき。自分と10年離れた選手が高校球児になった。私が高校3年のとき、まだ小学2年生。本格的な子でも、ようやく野球を始めた頃だ。ちなみに、阪神優勝のときに生まれた貴重な選手たちである。
(注:阪神ファンと話をするときは、阪神優勝の年1985年に自分はいくつだったのか、何をしていたのか、また当時、阪神の優勝に対する興味はどの程度だったのかなど、事前に整理しておくとよい)
そして、今年は1986年生まれ、つまり阪神優勝を知らない子供たちが高校球児となる。阪神、長いこと優勝してへんなあとしみじみブルーになってしまう。 また、来年の新入生は干支が一回り違うし、次の年には平成生まれの子供が高校球児になる。ああ、頭が…。
昔、雑誌に「昭和50年生まれの子が高校球児にいると気づき、ショックで食事が喉を通らなかった」という年輩の方からの投稿があったが、その気持ちを今痛感する。
今度は私が、「平成生まれの子が高校球児にいると気づき、ショックで食事が喉を通らなくなる」番だ。
追伸:平成生まれの人から、見れば「んなこと知らんがな」となるのだろうけど。 (あ、今、中学2年生の子やね)
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