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| 2002年03月13日(水) ■ |
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| 誠意=心意気! |
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こんばんわ。 せっかくなので、今日は野球から離れて、今している仕事の話でもしましょうか。
さて、今回も大学入試に絡む事務作業をしています。今までの中では一番楽(今のところは)な仕事で、しかもパートナーの人とは仲良くやらせてもらっているので、時給が安いとはいえ、なかなかいい快適です。
さて、仕事内容なのですが。 大学に合格した暁に必要なこと。そう、入学手続き。合格して、かつその大学に入学する意志のある人は、様々な書類を学校側に提出しなければならないのですが、その書類に不備がないかをチェックするのが、主な作業内容です。
願書に始まり、答案整理、採点集計、そして今回の入学手続きと一連の入試の流れを把握することのできる貴重な経験をさせていただいています。
担当している大学は大規模校で、様々な受験方式を経て学生が入ってきます。そこで、「試験方式や置かれている立場によって、書類に対する意気込みがこうも違うものか」とまざまざと思い知らされた。
ひどいのは、推薦。実はこの学校、系列校の高校がいくつもあり、そこからエスカレーターで大学に入ってくる生徒が多い。お利口さん学校なので、さぞしっかりしているかと思えば、悲惨の極致。
書類が2,3抜けているのはあたりまえ、ペンで書くなと言っているのにペンで書いている、字が読めない。しかも、こちらの手間がかかるような作業ばかりを余儀なくさせられるのだ。
その散々たる書類の山、どう考えても「推薦の座」にふんぞり返っているとしか思えない。ああ、いいねえ、勝ち組は。なんてやっかんでみたりする。
とにかく、横着するな。
君らの書類からは「入学したい!」という意志が伝わらんのや。さしずめ、「入学してやる」「入って当たり前」とかったるくため息をついているような感じ。中には、今度町で会ったらぶん殴ってやりたいほどひどいヤツもいた。
ああ、金で「イヤなヤツの入学を取り消せる権利」を買い取りたい…。(前もこんなこと言ってたなあ、うち)
自己アピール文には「グローバル社会がなんたら」とは「アイデンティティーがどうたら」とか最もらしいことを書いてるが、日本語の書類ですらろくに揃えられないヤツが、寝ぼけたこと言うなと思う。笑っちゃうね。
国際的な人間になろうと思えば、自己を知り、自分の国を知ることから始まるんだ。書類も書けないような人間が、ビジネス英語を覚えて、社会情勢を学んでも、「頭でっかちなおぼっちゃん・おじょーちゃん」の域が抜け出せないね。ま、大学でがんばってくれたまえ。
とにかく、昼前の強烈な空腹に襲われているときにここの書類チェックをすると最高にストレスがたまる。
それに比べて、一般の合格者は最高。 ここでいう一般とは、特別な推薦なしに純粋に本番の試験一発勝負する本家本元の入学試験のこと。
浪人生も多く、苦労して合格しているためか、書類にぬかりがない。きちんとしないと入学を取り消されるかもとか思っているのかもしれないが。
本当に気持ちがこもっていて、こちらが訂正することはほとんどない。また、何らかの不備がある場合も、メモ等にその旨が記されているので、扱いやすい。故に作業能率の違う。同じ枚数での、2〜3倍くらいの差がつくかな。
あまりにも明暗が分かれすぎていて、ここのところは驚愕する日々だ。
また、社会人入学の人は、さすが心得ていてこちらも扱いやすかった。多少なりとも、社会人のハードさを知っているだけに、これからのキャパスライフを純粋に応援したい。
また、留学生の書類はややこしいので、正直大変だが、たどたどしい日本語のメモがついていたりすると、「よっしゃ、もう少しがんばろう」という気になれる。
後藤正治氏の『スカウト』(講談社)という作品の中で、木庭氏(元広島他スカウト)が、「昔はお金がなくても誠意が通用したが、今では誠意=金になってしまったのか」と嘆いているが、前述したような場面に出くわすと、誠意=金ではなくて、誠意=心意気であることをいつまでも願い続けていたいと思う。
追伸:こんなこと書いて…。バレたら、クビだな。
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